着衣指向原理主義過激派としては、「脱ぐな、着ろ」という熱い思いが胸に去来することを否定できないわけです。
新年からいきなり何の話をしているのか、ついに本格的にとち狂ったかと思われるかもしれませんが、ソーシャルゲームやOTCGのカードの話です。
私の観測範囲内ですと、いわゆるソーシャルゲームやらOTCGでは、「カードがパワーアップするごとに、何故か露出度が上がっていく」という文化が、かなり一般的に定着しているように見えます。例えばカードのレベルを上げたり、カードを進化させる時に、そのカードの画像自体もマイナーチェンジするわけですが、その時ほぼ一方通行的に、キャラクターの露出度が上がる方向に衣服が変化していくのです。
これ、対象キャラクターが男性でも女性でも、大きく傾向が変わらないように思います。
およそ、ソーシャルゲームのキャラクターは、「あなた何でそんな恰好で外出歩いてるのん?」という程度に露出度が高いキャラクターがしばしばみられるのですが、それがパワーアップするとさらに脱いじゃう訳です。元から腹やら背中やら出してたところ、「水着かよ」「下着かよ」「布かよ」みたいな服装に変動していくキャラクターも全く珍しくありません。
何故なのか。
一般的に考えて、「パワーアップ」と言えば攻撃力やら防御力やらが上がる方向に行くべきであることは議論を俟ちません。もちろん、軽量化によって速度が向上するという可能性を否定はしませんが、衣服の布切れを削って乳を半分見せたとして、それが素早さにどう貢献するのかは正直よくわかりません。
普通なら重武装になるだろ、と。お前なんで半裸で戦場立ってるねん、と。わざわざ弱点増やして、うっかり台所に立ったら油がハネて火傷しかねない恰好になることにどんな意味があるのか、と。パワーアップしてフルアーマー化するZZガンダムを見習って欲しい。すごい勢いで見習って欲しい。
一点強く思うのが「寒いやろ」という点でして、これが真夏の設定ならばまだしも、うっかりすると全然冬場でも、どう考えても5秒で風邪ひきそうなスタイルにパワーアップしていることをだれも止めないわけです。誰か言ってやってください、「着ろ」と。
これは飽くまで私の嗜好の話なのですが、私は着衣原理主義過激派と呼ばれる派閥に所属しておりまして、「露出度は低ければ低いほどエロい」「具体的に言うと、プレートメールを隙なく着込んでいるくらいが一番エロい」「サムスはエンディングでも脱がないで欲しい」といった諸点で表現できるわけです。
着ている時、そこには無限の想像の、あるいは創造の余地が残される。
着衣派にとって、「服」とはそれ自体がキャンバスであって、自らの創造の翼をはばたかせるためのフィールドなのです。
然るに、「パワーアップする度に露出度が上がっていく」というのは、ただそれだけで創造の余地を次々はぎ取っていく暴挙に他ならず、嗜好を抜きにした一般論で考えてもなんで脱いでいくのかよくわからない、という話なわけです。
私は主張します。
脱ぐな、着ろ、と。
パワーアップ着衣というものが何故ないのか、と。
なんならご褒美着衣というものがあっても良い、と。着衣麻雀上等だ、と。
確かに、一般的なソーシャルゲーマー諸氏にとっては、脱衣が着衣よりも勝っているのかもしれません。ですが私自身は、彼らに着衣のすばらしさこそ知って欲しい。ソーシャルゲーム開発者の皆様には、ぜひご褒美着衣というもののご導入を一考いただきたいと、それだけを考えて当エントリを10分くらいで書きなぐっているわけです。
皆様、ぜひご検討をよろしくお願いいたします。
末筆になりましたが、新年らしさというものを2800キロメートルほど後方においてきた記事を書いてしまって申し訳ありません。本年も旧年に10倍する適当さで適当に書きなぐっていこうと思いますので、皆様適当によろしくお願いいたします。
今日書きたいことはそれくらいです。
当時も散々ネタにされてました
気が付くといつも全裸になってる小池一夫+池上遼一作品にも言ってあげて。
カプコンの『魔界村』シリーズは脱ぐと弱くなるタイプ。
ゲームとして純粋に作っていた時代のものは、たいてい着れば着るほど強くなるのが普通ですな。
もちろん、リアルなゲームでは、重すぎてだめということはございますが。
小説ですが、薄着でもある程度防御力があることに理屈をつけたのは、おそらく高千穂遙先生の『ダーティ・ペア』シリーズでございましょう。
あれは、パルプフィクションのスペースオペラに登場するヒロインが、なぜ水着みたいな宇宙服でいるのかに対するアンサー(パロディ的な)でしょうな。
つまり何が言いたいかというとステータスとかどうでもよく着衣万歳ということです
モードレッド?知りませんね…
ただ脱衣ダメージとかブーストとか、一時的な演出であるべきで、脱衣が常態化するのはダメな気がします。
ロックマンXでアーマーを付けていくのは実に楽しい。よく分かります。
ゼルダ無双でも、素のゼルダ姫よりも男装して顔も隠しているのに所作や輪郭に女性らしさが出てしまうシークの方がエロいと思います。
でもサムスは待ってください。エンディングのご褒美脱衣はこの際置いておくとして、
ゼロミッションにおけるアーマー喪失からの逃走劇は凄く良いですよ。
雑魚相手なのにダメージすら与えられず、こそこそ隠れて逃げ回った末の新アーマー獲得&反撃開始。
あれでアーマーがない状態の弱さを描写したからこそ、アーマーを着たサムスがより輝くんだと思います。
ポイントは熱です。
運動エネルギーへの変換効率なども関わってきますが、普通はエンジンのパワーがアップするほど、そこから生じる熱も増えます。
このため、強力なエンジンを積む車ほど、大きなラジエータを、しかも風通しの良い所に露出させる必要が出てきます。
あるいは、長距離走ではヒトという生物の能力は結構高く、特に原産地である高温乾燥気候の東アフリカでは、ヒトより長距離走が速い哺乳類はウマ科だけです(ヒト - Wikipedia)。
この大きな巡航能力は体の冷却能力の賜物で、他の哺乳類は汗をかく能力が低いため、ヒトより先にオーバーヒートして動けなくなります。
当然、汗の冷却能力を活かすためには、皮膚付近の風通しが良くなければなりません。
マラソン選手の露出度を思い出して下さい。
北海道や海外では、晩秋にマラソン大会が行われることがありますが、その時の気温が10℃を下回ることは珍しくありません。
にも拘らず、出走する選手達の服装は夏服と見紛う薄着です。
勿論、エネルギー保存則が示すように、熱はエンジンパワーその物ではなく、逆にパワーに変換し損ねたエネルギーです。
近年のパソコンは電気エネルギーを演算力に変換する効率が急速に高まっているため、強力な演算パワーを持っているからといって、露出度の高いラジエータが付いているとは限りません。
ただし、化学エネルギー(燃料や食べ物)から運動エネルギーへの変換効率については、生物の筋肉が既にかなり高い効率に達しており、同等の効率を人工的な内燃機関などで達成するのは大変です。
このため、実質的に排熱能力はそのマシンorキャラの運動エネルギー生成能力の大きな制限要因になります。
どんなに巨大な運動エネルギー生成能力を持っていても、ひとたび排熱能力を越えて運動エネルギーを生成すれば、オーバーヒートでそのキャラは無力化します。
すなわち、ソーシャルゲームのキャラが僅かに残った薄着すら脱ぎ捨てるのは、軽量化ではなく、パワーアップに見合った排熱処理のためです。
軽量化は脱ぎ捨てた着物の量に比例しかしません。
しかし排熱能力は着物の厚みに反比例し、最後の僅かな薄着を捨てる事は、重厚装甲を半減するよりも大きな効果を生みます。
そして、ソーシャルゲームキャラの多くは、オリンピック選手も真っ青の身体能力の持ち主ばかり。
露出度が競技中のオリンピック選手を大きく上回るのは当然だと私は考えます。