私自身のスタンスを先にまとめておくと、
・私が好きなものを嫌うことは勿論あなたの自由です
・ですから、私と関係ないところで、私が好きなものについて「嫌い」と言われていたとしても、別にわざわざ反論しに行ったり説教しに行ったりはしません
・ただし直接私に言われたら私に対する意見とみなして反論はするよ
・ただ「嫌い」というだけなら何の問題もないけど、何か誤った根拠で批判しているのを見かけたら、「それは間違ってるよ」とは指摘するかも知れないです
・私が好きなものに対して「嫌い」という意見を観測したら、「私はこういう理由で好き」というのをすげー主張するかも知れないです
というくらいの感じです。よろしくお願いします。
以前こんなこと書いたんです。
残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。
上の記事で書いた意見は特に変わっていません。今でも、他人の「これ好き!!」を探し出してわざわざ水をぶっかけに行く人は、40時間くらいひどい腹痛にでも悩まされて欲しいと思っています。
今も変わらず、「だれかがそれを嫌っているかも知れない」ってことは全くくみ取らず、自分の好きなものについては「これ超好き!!!!」と主張していこうという所存ですし、そうし続けているところではあります。最近だと特にイース8とアオアシをベタ褒めしています。
ただ、それとは反対ベクトルの話もちょっとありまして。
「自分が好きなものを嫌いと言っている人が許せない人」というのもいるよね、それは「自分が嫌いなものを好きと言っている人が許せない人」を裏返しにしただけで、やってることは変わらないよね、ということを、先日話してたんです。
shinzaki / しんざき
「私はあなたが私を嫌う権利を阻害しない」「私はあなたが私が好きなものを嫌う権利を阻害しない」って結構大事なスタンスなんじゃないかと思うんだけど、自分や自分が好きなものを嫌う人にどうしても文句を言いたくなる人は多い at 03/05 23:27
別に、批判に対して反論してはいけない、わざわざ反論すべきではない、という話じゃないんですよ。投げかけられた批判には反論していいですし、もし誤った論拠があれば誤っていると指摘していい。売られた喧嘩なら値段に応じて買うべきです。shinzaki / しんざき
「自分が嫌いなものを好きといっている人を許せない人」は控えめにいってクソだけど、「自分が好きなものを嫌いといっている人が許せない人」も単に裏返しにしただけで何も変わらないということは指摘しておきたい。好きになるのも嫌いになるのもその人の自由です。 at 03/05 23:37
ただ、世の中には、ただ自立的に「〇〇が嫌い」と言っているだけの人に対して、「俺は〇〇が好きなんだ!!〇〇が嫌いだなんて許せない!!」という感じで、ただ「自分が好き」というだけの理由で、その「嫌っている人」をぶん殴りにいく人が結構観測出来るなあと思っていまして、それはちょっと違うんじゃねえかなあ、と思うんです。
当たり前のことですが、「好き」「嫌い」というのはその人の自由です。それを止める権利、それを「間違っている」という権利は誰にもない。何かを好きになる、何かを嫌いになることを阻害する権利は誰にもない。
なので当然、「〇〇は嫌いだ」ということを表明するのも自由なんですよ。
だから、「嫌い」と言っているだけの人に対してわざわざ文句をつけにいくのは、「好き」と言っているだけの人にわざわざ文句をつけるのと同じように理不尽な話だよなあ、と思ったんです。
誰かが「〇〇が嫌い」と言っている人を見かけたとして、その〇〇が好きな人がやるべきことは、「〇〇が嫌いだなんて許せない!」と憤って殴りつけにいくことではなくて、「自分は何故/いかに〇〇が好きなのか」をその100倍くらい表明しまくることではないかなあ、と。それによって、「嫌い」に共感する以上に「好き」に共感する人を捕獲することができれば、それで大勝利と言っていいんじゃないかなあと。
少なくとも私にとってはそっちの方が性に合っていますし、例えばメタルマックス2Rが嫌いだと言っている人や、ダライアス外伝が嫌いだと言っている人を見かけたら、それぞれの作品がいかに素晴らしいかというツイートを30連投くらいしようかなーと考える次第なわけです。よろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。