2018年06月18日

君と二人なら

結婚して14年経った。

私はそれ程未来予想能力が高くないので、結婚した時点で「10年後の生活」などというものは全く想像できなかった。ただ、まあなんだかんだでなんとなく幸せにはやっているのではないか、と、ごく楽観的に思っていたし、その予想については外れていない。

私と妻は一学年違いで、半年程妻の方が年上だ。元々妻と私は同じ楽器をやっている音楽仲間で、妻はケーナ吹きの先輩だった。ただ、妻はその内ケーナをあまり吹かなくなり、どちらかというとボーカルが本業になっていった。元々歌の方が好きだったそうだ。私は今でもケーナしか吹けないし、歌はろくに歌えない。

私と妻は、それ程波乱も紆余曲折もなく、ごく自然に結婚した。結婚した理由は色々あったような気もするし、そんなになかったような気もする。強いて言えば「結婚しない理由がないから」というものが一番大きかったかも知れない。私にとっては、妻と一緒にいることが一番自然であったし、その為に「結婚している」という状態が一番適していたから、結婚した。その点は多分、妻も同じようなものだったと思う。

妻は元来ロジカルかつリアリストであって、いわゆる紋切り型の(それこそ「ライトは点く?」のコピペのような)「共感だけを求める」女性というようなところは一切なかった。うっかりすると私より妻の方がロジカルであるような有様であって、妻にとって情報交換は物事を解決する為の情報交換であって、課題共有は課題を改善する為の課題共有だった。私と妻が問題を感じる点は大体同じだし、どういうゴール設定が最適か、という判断も大体ずれない。

勿論のこと、私と妻はそれぞれ独立した人間なのだから、時にお互いの都合が背反することもあるし、時にいら立ちを覚えることもあるだろう。妻のスタンスに私が賛同できないこともあれば、私のスタンスに妻が賛同できないこともあるだろう。

ただ、そういったずれというのは要は「課題」だ。根本的なところで、「課題を解決しなくてはいけない、という共通認識」「課題を解決する為の方法論の一致」というものがあれば、大体の課題は解決可能だ。その点、私は妻に全く不安を感じなかったし、今も感じていない。

だから私は、妻と二人なら、大概の問題には対処出来るし、そこそこ人生幸せにやっていけるのではないかと思った。


私は妻を愛しているし、妻は超美人で可愛いと思っているが、それより何より私が妻に感じているのは、「人生というゲームにおける共同プレイヤーとしての、圧倒的な頼もしさ」だ。「人生」プロジェクトにおけるプロジェクトメンバーとしての、圧倒的なベストマッチ感だ。

時代、というものがある。それぞれの時代にはそれぞれの課題があり、それぞれのリスクがあり、そういったリスクが我々の家庭を襲うことも、今まであったし、これからもきっとあるのだろう。どんな時代、どんな家庭にも、乗り越えるべき課題というものがあった筈だ。


けれど、君と二人なら。


あれから14年経った。しんざき家には子どもが3人生まれ、上の子は相変わらず電車好きで、将来電車の運転手になるのだと張り切っているし、下の双子は今年4月に小学校に入った。ほんの10年前は、うちにランドセルが3つ転がっている状況などとても想像出来なかった。とすれば、今から10年後の未来も、全く想像出来ないことになっているのだろう。そこについては予想がつく。

入学式に向かう

君を幸せにする、ではない。

子どもたちを幸せにする、ではない。

君と二人で、幸せになる。子どもたちに、自分で幸せになれる力を育んであげる。結果的に、家族5人で幸せになる。


私と妻のコンビなら、多分それが出来る。
posted by しんざき at 14:53 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
良いです
Posted by at 2018年06月18日 20:41
はじめまして。
こちらのブログ、ゲームブック検索から飛んできまして、
更新を楽しみにして開いていますが、初めてコメントさせていただきます。

とても素敵な関係なんだと改めて思いました。
そんな人と出会うことが出来たらいいなと足跡を残します。

Posted by 大福 at 2018年06月18日 21:42
常々、きちんと言葉にして伝える重要さを語られているしんざきさん。これはまた何時にも増して、奥さまへの素晴らしいラブレターですな。
なかなか日本人でここまで言葉にできる人、少ないですよね。素直に凄いと思います。素敵です。
Posted by むー at 2018年06月18日 22:19
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