「自分の興味のなさ」を語りたがる人って結構多いな、と思うんですよ。
色んな人が話題にしている〇〇や××について、例えば「私〇〇に全然興味なくて」とか。「××興味ないからスルーしてるんだけど」とか、そういうことをわざわざ語りたがる人。いや言及してる時点でスルーしてないんじゃね?と思わないでもないんですが。
しんざきは極めて興味が偏っている人間なので、恐らく色んな「興味がないこと」があるんだろうな、と思います。普段はそもそも、興味がないことっていちいち観測しないんで、自分の興味の欠如すらよく分からないんですが、皆がそのことについて語っていると、ああ、これって興味のギャップだな、と気づくことはあります。
ただ、私個人的には、自分の「興味の無さ」について語るのってあんまり好きじゃないんです。
だってそれって、コンテンツとしてあんまり面白くないじゃないですか。興味がないってことは主体的に観測していないっていうことですし、つまりその対象についての知見が溜まっていないってことです。何も知らないことについて面白いことが言えるわけないですし、盛り上がっている周囲に対して水を差す、ないし思い切り水をぶっかける行為でもあります。
私、皆が盛り上がっている状態は割と好きなので、たとえ自分に興味がない話題であっても、盛り上がっているところに水をぶっかけたくはないんですよ。そこに水をぶっかけるのが趣味、みたいな突き抜けた人も中にはいますし、そこまでいったらむしろ敬意を払っていいと思うんですけど。
だから、私自身は、「興味のなさ」を語ることについては後ろ向きです。それを語る人を止めたりはしませんが、まああんまり面白い話じゃないよな、と思っています。そんなことを語っている暇があったら、自分が興味をもっていることについて語り倒したい。イース8の話とか。
ただ、分からないでもない部分もあって。
別にこれ、日本に特有な現象でもないと思うんですけど、世の中「興味の同調圧力」みたいなものってあると思うんですよね。皆が興味を持っているものは、当然お前も興味を持っているよな?的な。皆が興味をもっていることについて、自分が興味をもっていないと驚かれる、何か異常な状態であるように思われる。
そういう状況に対して、「頑張って興味がある振りをする」ないし、「何か自分の「興味がない事情」を説明する」という対処をとらざるを得ない場合って、結構あるんじゃないかと思うんですよ。
言ってみれば、自分の「興味のなさ」についての言い訳、理由づけですよね。
興味なんてものは人それぞれでして、人に押し付けるようなものではありません。私が興味を持っていることについて、他の人が興味を持たなかったとしても、それは全く個人の自由というものです。
それに対して、無言の圧力で、「自分が何故興味がないか」をわざわざひねり出さないといけない、説明しなくちゃいけない、というのもあんまり面白くない状況だなーと思うんですよ。
自分の興味のなさを語る時、わざわざ「盛り上がっているところに水をぶっかける」目的で語る人がたまーにいます。言ってみれば攻撃的な「興味の欠如」、オフェンシブな興味なさ語りです。
一方、周囲の盛り上がりに対して、自分を守る為に興味のなさについて理由づけをせざるを得ない、という人もいます。言ってみれば防御的な興味なさ語りです。
つまり、興味のなさを語る時には、攻撃的な語り方、防御的な語り方の二面があるのではないかなーと。勿論、それとは全然関係なく、自分語りの一環として何故か興味のなさをコンテンツにしている人もいますけど。
前者は若干趣味が悪い感じではありますが、後者の防御的な興味なさ語りが強制される向きがあるとしたら、それはあまりよろしくない状態だなーと思うわけなんですよ。興味がないものは興味がない、でいいやん、と。
興味のある、なしというのは完全に個人的な問題であって、他人に容喙するような話ではありません。
興味がある同士では遠慮なく盛り上がる、けど同時に他人の興味の無さには敬意を払う。興味の無さをわざわざ語らずに済む。
そんなスタンスが一般的になるといいなあ、と思う次第なのです。
今日書きたいことはそれくらいです。
DQライバルズの話で盛り上がってるときに
「ライバルズかー…、最近やってないなあ」
とか呟く人。
みたいなのが多いですね。
熱く語る人に単に「興味が無い」とだけ言っても、「興味を持ってもらう」ための語りが延々続いたりしますし、相手が好きな物を否定するのもどうかと思うので、「わたしはこういう理由で興味が無いけど、あなたは好きにしていいんですよ」と伝えなきゃいけない。
興味があることを語りたいなら、防御的な「興味のなさ」の言い訳は許容するしかないんじゃないかなぁ。
ゲームとか、いわゆるサブカルに属する分野は、
一般に、押しつけがましくない。
推す側も、受け入れられないことがある、
ということを弁えている。
これが、スポーツとかになると、押しつけがましさが数段上がる。
それを容れないのは、人としてどう? とさえ思っているフシがある。
推す人にもよるけど、独特の同調圧力がある。
テレビでタレントさんが盛り上がるのは仕事だし、
商業的にも避けられないことだと理解できる。
でも、そのレベルをこっちにまで求められると、
興味ない言い訳が出てしまう。
もうしばらくしたら、オリンピック推しが始まる。
今から勉強して、マイナースポーツを推しまくろうかしら。
そこで理由を示さずに「興味がない」で終わらせてしまうのは、オススメしてきた相手に失礼だと思います。
もちろん、そのオススメしてきた人のことを好きでも何でもないなら構わないんですけどね。
翻って、サッカーやらオリンピックやらというのは、言ってみれば「社会からオススメされている」状況であるわけですね。
ということは上の理屈から言えば、自分が社会のことを好き(=社会に溶け込むつもりがある)のならば、「興味がない理由」を示す必要はあると思いますね。
「興味が無い/持てない」も立派な理由でしょうに。
「ごめん、興味無い/持てないんだ」で充分。