2018年07月17日

ファミコンのある風景


今から、単なる個人的な思い出話をします。

うちに「ファミコン」がやってきたのは、確か私が幼稚園の時のことでした。当時私は群馬県は高崎に住んでおり、近所に「ギャムズ」という大きなおもちゃ屋がありました。

郊外型の広いおもちゃ屋で、2階にチョロQだか、ミニ四駆だかのコースがあったことを何となく覚えています。

ファミコンを買ってもらった経緯を、今ではもうよく思い出すことが出来ません。私には5歳年上の兄がおり、恐らく兄に対する何らかのご褒美か、誕生日プレゼントか何かで買ってもらったものなのでしょう。私のゲーム趣味というものは、大方兄の影響で培われたものなのですが、それが始まったのが恐らくここだったのだろうと思います。

最初にしんざき家にやってきたソフトは、ハドソンの「ナッツ&ミルク」でした。どうも兄は「ゼビウス」が欲しかったようなのですが、当時「ゼビウス」は徹底した品薄で、ギャムズでも購入することが出来なかったのです。

当時をご存知の方であればよくお分かりだと思うのですが、ファミコンをテレビに接続する為には、それなりの高さのハードルと、割とアナログな手順がありました。「RFスイッチ」と呼ばれる薄いクリーム色の機械を、「クワガタ」と呼ばれていた端子で四苦八苦しながらテレビに接続して、VHSの2チャンネルに合わせてファミコンの電源を入れると、そこに「ナッツ&ミルク」のタイトル画面が映っていました。


私は恐らく、横で唖然として見つめていたのだろうと思います。先述した通り、しんざきは当時まだ幼稚園児で、遊びの時にもお出かけの時にも、兄のおまけ程度の存在でした。であれば、ゲームをやる際にも、恐らくおまけとしてちょこちょこ手を出させてもらう程度のものだったろう、とは思うのです。

しかしそれでも、「ナッツ&ミルク」の体験は強烈でした。

手のひらに収まる程度のカートリッジの中に、今まで見たこともなかった「遊び」が入っている。それを、同じように手のひらに載る程度のコントローラーで味わうことが出来る。

画面の中で、ナッツから逃げ回りつつ、果物を集めてヨーグルを助け出すミルクが、様々なステージを動き回っていました。まだ幼稚園児だったしんざきにとって、それは本当に「魔法の遊びの箱」であるようにしか思えなかったのです。

そこから、しんざきのファミコン人生、あるいはしんざきのゲーム人生が始まりました。

マッピーを遊びました。アイスクライマーを遊びました。バルーンファイトを遊びました。クルクルランドを遊びました。

当時ファミコンをもっていた友達と、ソフトの貸し借りをしながら、しんざきは色んなゲームを遊びました。貸すカートリッジには、持ち主がわかるよう、油性ペンで自分の名前を書きました。学校でファミコンのソフトを受け渡そうとして、先生に没収された友人もいました。そこから、ファミコンソフトの受け渡しは、公園の「秘密基地」で行うことになりました。裏取引でもしているようで、なんだかドキドキしました。

エキサイトバイクを遊びました。ギャラガを遊びました。けっきょく南極大冒険を遊びました。スカイデストロイヤーを遊びました。

毎年の誕生日のプレゼントは、兄と話し合って「どのファミコンのタイトルを買ってもらうか」を決めていました。兄にとってみれば、私の誕生日も貴重な「ファミコンのソフトを買ってもらう機会」だったのだから、私をなだめすかして説得して、うまいこと自分の遊びたいゲームを買ってもらうこともあったのでしょう。とはいえそれは、私にとって、「より難しい、複雑な、けどだからこそより一層面白い」ゲームに触れる、重要な機会でもありました。

忍者くんを遊びました。ドアドアを遊びました。ドルアーガの塔を遊びました。ヴォルガードIIを遊びました。

しんざきの当時の生活のうち、かなりの部分をゲームが占めていたことは間違いなく、今から考えると両親も随分不安だったのではないかと思います。「ゲーム」などというよくわからない遊びにどっぷりハマる長男と次男です。目が悪くならないか。成績が落ちないか。運動不足にならないか。友達と仲良く出来るのか。恐らく最低限のTPOくらいは教えられたと思うんですが、ゲーム自体を制限された記憶は私にはありません。となれば、両親も随分、不安を抱えつつも我々を好きにさせてくれていたのだと思います。

ツインビーを遊びました。ハイドライド・スペシャルを遊びました。魔界村を遊びました。ワルキューレの冒険を遊びました。

その頃、兄の興味は徐々に「ゲームセンターのゲーム」に移っていき、私がファミコンを占有する時間も増えていきました。ゲーセンのゲームの凄さを聞きつつ、まだゲーセンについていくことは出来なかった私は、それでもファミコン世界に魅了されていました。時折、兄が友人から色んなゲームをまとめて借りて来てくれることもあり、好きに遊んでいいよといってくれたこともありました。どのカートリッジにも、まだ見たことがない「遊び」が入っており、私はその世界の余りの広さに圧倒されるばかりでした。

ソロモンの鍵を遊びました。迷宮組曲を遊びました。ドラえもんを遊びました。ドラゴンクエストIIを遊びました。

本も読みましたし漫画も読んだんですが、しんざきの「趣味」「遊び」の中心に、常に「ゲーム」が存在したことは間違いありません。結果、私は子ども時代、アニメというものを観たことが殆どありません。というか、テレビ自体ほぼ観ていませんでした。テレビというものはゲームが映る機械であり、それ以外のものではありませんでした。時折両親がニュースやら野球やらを見ている時間は、専ら本を読む時間でした。

ゲームに助けられました。ゲームに励まされました。ゲームに脅かされましたし、ゲームに傷つけられました。ゲームを通じて出来た友達もいれば、ゲームをきっかけに知った知識もありました。

つまるところ私は、ゲームを食べて育ったし、ゲームに感謝しているし、私とゲームをいい関係のままでいさせてくれた、両親や兄に恩義を感じているのです。多分、私の人格のかなり根っこの方にあるのはそういう意識です。

はたから見ると、しんざきの人生は多分「ゲーム漬け」といっていいと思うんですが、それでもなんだかんだ、多分まともに社会人をやれているし、多分まともに家庭人をやれてもいる、と思います。それは恐らく、私とゲームが、周囲のおかげもあっていい関係のままでいられた為だろうと思います。

となると、今の私の役目は、私の子どもたちがゲームとのいい関係を築くにはどうすればいいかを考えることなのかなあ、と思っています。

長男は既にいっぱしのゲーマーとして色んなゲームを遊んでいますし、長女次女もぼちぼちゲームに興味を持ち始めました。この先ゲームとどう過ごしていくのか、あるいはゲームから離れるのかは、勿論彼ら彼女らの意思次第です。ただ、もしもゲームと一緒に歩もうとするならば、出来る限り「いい関係」を築けるようフォローしてあげるのが、多分私にとってのゲームへの恩返しなのだろうと。

そんな風に考えているのです。
posted by しんざき at 12:32 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
しんざきさんと多分同じ歳ですけど、ほぼ同じ経験をしてきました。従姉妹の家で初めてファミコンを触り(たしかナッツアンドミルク)、しばらく後に本体とアイスクライマーを買ってもらい・・・。私も本当にゲーム漬けの人生です。
Posted by at 2018年07月17日 14:28
>Posted by at 2018年07月17日 14:28
そういえば、しんざきさんと同世代のゲーマーが主人公の漫画、ハイスコアガールのアニメがはじまってます。よかったらご覧になってください(ステマ)
Posted by at 2018年07月17日 14:34
初めて触ったファミコンはイーアルカンフーでした。

そこから一気にファミコンへとのめりこみ、
しんざきさんと同じようにゲームがいつも生活の中にありました。

しんざきさんのこの投稿、自分にとっても感慨深いですね。
Posted by at 2018年07月19日 12:37
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