2018年08月20日

「考え無しに愚行を行う組織」という物語と、それに魅惑される人たち

確かに、組織は時に愚行を行うものですし、愚行を行った組織は批判されるべきです。そこに文句はないんです。

ですが、「一見すると愚行のように思える行動」が本当に愚行なのかどうか、本当に考え無しで行われたものかどうかについては、それなりに慎重な検討が必要です。「本当に無能な人たちの集まり」という組織は、もしかするとあるのかも知れないですが、そこまで多数を占めている訳ではありません。大体の組織の大体の措置は、専門職の人たちのそれなりの検討と思考を経て決定されているものです。

そしてメディアは、時として「組織の検討や思考」を四捨五入して、組織の行為を「考えなしの愚行」っぽく演出することがあります。我々が「一見すると愚行のように思える行為」を見かけたとして、その裏に何かしらの検討はなかったのか、その検討が四捨五入されていないか、それらも含めて愚行といえるのかどうか、ということはちょっと考えてもよいのではないかと思うのです。

先日、こんな記事を見かけました。高知新聞の記事ですね。


高知県立大学(野嶋佐由美学長)が、永国寺キャンパスの図書館が昨春新設される際、旧館よりも建物が小さいため全ての蔵書を引き継げないとして、約3万8千冊に及ぶ図書や雑誌を焼却処分にしていたことが8月16日までに分かった。中には戦前の郷土関係の本をはじめ、現在は古書店でも入手が難しい絶版本、高値で取引されている本が多数含まれている。焼却せずに活用する方策をなぜ取らなかったのか、議論になりそうだ。

ログインすると、実際に処分された書籍についてもうちょっと細かいことが読めますが、まあ大筋、高知新聞が言いたいことは上記のセンテンスに集約されていると考えて良いでしょう。

ちなみに、上記記事に対する、はてブの反応は下記のような感じです。


人気コメントは、一部を除いて罵倒の大合唱ですね。「本を燃やした」という点に対するセンセーショナルな批判、郷土資料の保存に対する批判、「旧館よりも建物が小さい」という点にたいする非難、よりどりみどりです。

で、これに対する高知県立大学の声明が出ていまして、以下のような感じです。

本学の蔵書は、歴史的には高知女子大学、高知短期大学、旧高知女子大学保育短期大学部の図書を統合しつつ、このたび高知工科大学の一部の図書を含めたものであり、永国寺キャンパスの整備にあわせて新図書館を新しく開館いたしました。この新図書館は、広さを約1.5倍としたうえで、旧図書館にはなく、近年求められているディスカッションルームや集いスペースなどのグループ学習室を新たに設置し、座席数も大幅に増やすなど、大学図書館としての機能を充実させました。一方で、蔵書の収蔵能力は旧図書館と同程度を保ちつつ、将来も増加し続ける蔵書のことも考慮し、大学として慎重に検討を行い、3.8万冊程度を除却するという決断をいたしました。

除却にあたっては、複数の司書と分類ごとに専門性のある教員が、破損により補修不能であるものや重複しているため保存の必要がないものなど学内規程に定める除却の基準に基づき、除却候補リストを作成しました。その後、全学の教員に確認する工程を繰り返すなど、時間をかけて手続き的にも慎重に行った結果、重複図書約18,700冊、雑誌約12,700冊、書籍約6,600冊、合計約3.8万冊を除却することを決定しました。そして、この決定後、池図書館への配架移転や教員研究室、学生研究室への移管などを行い、大学としての有効活用にも努めてまいりました。

そもそも謝罪する必要あることなのかな、という気もするんですが。

これを見ていると、なんで高知新聞がああいう報道を出したのか、ちょっと疑問を感じます。少なくともこの辺の記述については、明確に報道と食い違っていると思えます。

・図書館はそもそも小さくなっておらず、蔵書能力も旧図書館と同程度にあった
・除却の判断は規定に則って検討され、決定されている
・除却せずに活用する方法の模索、他研究室への移管なども行われていた

これ見ると、端的に高知新聞の勇み足というか、ごくシンプルにただの煽りだったんじゃねえか、と思わざるをえなかったりするんですが。

ちょっと細かい点について確認してみたくて永国寺キャンパスに問い合わせのお電話をしてみたのですが、残念ながら20日までは夏季休業とのことでした。これについてはまた明日以降問い合わせをしてみます。

そもそもの前提として、「図書館において、本の除却というのは定例業務」であることは間違いないんですよね。新しい本は常に増え続けており、図書館のスペースも司書さんのリソースも無限ではない以上、新しい本を所蔵する為にはどこかで既存書籍を除却することが必要です。それがダメだという人は、場所とリソースを無限にする道具を四次元ポケットから出してきてくださいって話になります。

で、除却した本を寄贈したり売却したりという話も勿論ないわけではないと思うんですが、それだって簡単な話では決してなく、

・数万冊の本を一気に受け入れられる組織や書店や図書館がそうそうその辺に転がっているわけではない
・分散して受け入れ先を探すならそのコストや事務手続きも膨大な量になる
・その上で、そもそも受け入れ手が見つからない書籍もどうしても発生するし、その期間も時間的コスト、場所的コストは発生し続ける

となると、それ相応の量の除却というのはどうしても発生するし、その結果として焼却処理が発生することも別段不思議なことではないと思うんですよ。

除却対象の選定基準は様々ではありますが、大抵の場合きちんとした検討の上できちんと明文化されて、それに則った運用をされています。

ちなみに、この辺については匿名ダイアリーで解説をしてくれている人もいました。下記の記事です。


その辺考えると、学内での移管というのも相当な手間だったのではないかと思うんです。つまり、それ相応の手間と検討を経て、その上で決定された措置であることは間違いない。

少なくとも、

・(除却書籍の選択についての是非などで)批判の余地が全くないとまでは言えないが、大学図書館の業務としては普通に考えられる範疇であり、間違っても愚行とまでは言えない

とまでは言ってしまっていいんじゃないかなーと思うんです。


ここから先は一般論というか、webでの反応についての私見なんですが。

どうも、「組織は考えなしの愚行を行うもの」という先入観というか、「愚行を行う組織に対する強い攻撃意識」みたいなものがどっかにあって、高知新聞もそれを煽ることを狙ってああいう記事を書いたんじゃねえか、という感触があります。

焼却せずに活用する方策をなぜ取らなかったのか、議論になりそうだ。

辺りの記述を見ていると、いかにも「大した検討もなしに多くの貴重な書籍を燃やした!!これはひどいことだ!!!!」っていう感情を惹起したい、という記述に見えるんですよね。「みんな、ひどいことをした組織を叩こうぜ!」という煽りが感じられる。で、はてブとかでも、その注文通りの反応をしている人たちが多数いるわけなんです。

ただそれ、叩かれる方にとってみればたまったもんじゃないだろうなーと。検討なんて散々してきたし、活用する方策もとってきたし、その上で残った書籍を除却するっていうのに、まだなんか活用する方策があるなら実際やってみてくれよ、っていう感想なんじゃないかと、はたから見ているとそんな心配をしてしまうくらいなんです。

勿論、「愚行を行う組織」というものが世の中に存在しないわけではないですし、結果として「愚行が行われた」ならば、それは相応の批判を受けて然るべきです。そこは間違いないんです。

ただ、叩くなら叩く、批判するなら批判するで、もうちょっと慎重に構えてもいいんじゃないですか、と。本当にそれは愚行なのか、本当にそれは考えなしで行われた措置なのか、それが今見えている情報だけで判断出来るんですか、と。

「愚行を行う組織」というものは、いかにも「叩く対象」として魅力的です。名誉棄損も形成しにくいし、なんとなく改善に寄与する建設的なことが言えそうな気もするし、「正義」の側に立ちやすい。そこはまあ分かります。ただ、それだけに、「愚行を行う組織」を仕立て上げて、そこに対する批判を煽ろうとする向きも割と頻繁に発生します。

批判をダイレクトに届ける環境があるからこそ、その運用については慎重であっていいんじゃないかと。特に、いかにも炎上を煽りたそうなメディアを見ていると、私としては「条件反射で対象を叩く前に、ちょっと立ち止まってみませんか?」という思いを結構強くもってしまうわけなんですが、皆さんいかがでしょうか。


取り急ぎ、今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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