ちょっと雑然とした話をする。愚痴の類であって、特に結論が出るような話ではない。
世の中には、山ほどの対立項、山ほどの思想的態度、山ほどのアンモラルな行為が溢れている。それらは、特に連帯することも連携することもなく、てんやわんやの状態で存在しており、互いにぶつかったりすれ違ったりしている。
時折それらにスポットが当たる。頭がいい人たちが、対立項を分かりやすくクローズアップして、極端なゼロイチを放り込む。あるいは、どこかで誰かが行ったアンモラルな行為が、また別の誰かに見いだされて、急きょスポットライトを当てられる。
そんな時、怒りたい人たちが大量に寄ってきて、どちらかの立ち位置に肩入れして、ガンガン怒りマークを投げつけ合う。プライベートライアンのオープニングみたいなものだ。
正直、ちょっとしんどいな、と感じる。
別に今に始まったことでもない、ずっと以前からの話だ。この状況も、私の性向も、10年前と変わったかと言われたら正直それ程変わらない。
まず前提にあるのが、「憤るのは気持ちいい」ということなんだろうと思う。正確には、「憤って、何かを攻撃するのが気持ちいい」ということだろうか。
これは多分、人間全般にある程度普遍的な話なんだと思う。私も別に例外の振りをするつもりはない。なんらかのエピソードに対して、「これはひどい」と感じて、ひどい理由や自分の考えをスカーーンと投げつける。それは、確かに、一種の娯楽として機能する。感情を大きく揺り動かすこと自体に一種の快感があるし、そこからマウントをとって他人を叩くのも気持ちいい。それはそうなんだろう。私だってそうだ。
ただ、その行為は一種の焼畑農業のようなもので、ある程度のMPを消費する。そして、そのMP消費の度合は、多分人によって違う。極めて低いMPで、効率よく憤ることが出来る人もいれば、憤ること自体に大量のエネルギーを必要とする人もいる。
私は、昔から、怒るのがちょっと苦手だ。憤ることに、多分人よりちょっと多くのエネルギーを必要とする。怒ると、疲れる。だからあんまり怒りたくない。
別に怒らない訳ではないのだ。憤らない訳でもないのだ。私は聖人君子でもなんでもない。ひどいニュースに突き当たると腹も立つし、一言言ってやりたくなる。実際に何かしら、一言ぶつける記事を書くこともある。ただ、腹を立たせることはイコール腹を空かせることでもあるので、出来ればあまり腹を立てたくない、という気持ちもある。
「怒りを誘う」メソッドがあまりにも定着し過ぎたような気はする。つまり、「どういうアプローチをすれば、色んな人が怒ってくれるのか」という文法が、既存のマスメディアだけではなく、一般のユーザーにまで知れ渡ってしまった。
怒りを誘う情報を見つけてきて、それにちょっと味付けをして、ぽんっとおいておくと、色んな人が寄ってきて怒ってくれる。色んな人に知られれば知られる程、メディアの影響度は増す。「知られる」ということはそれ自体が大きなメリットだ。だから、色んな人が「怒りを誘う」メソッドを利用する。結果的に、「怒りを誘う」情報が大量に可視化される。
「怒りを誘う」情報は、それ自体、私のような人間にはMPを減少させる地雷のようなものだ。パペットマンの大群と言っても良い。
時には怒るのもいいし、憤りに任せて記事を書くのもいいが、正直、ちょっとしんどい。最近は、「これを読むと憤りを誘われそうだな」と感じた情報をしばしばスルーするようになってしまった。ブロガーとしてはあんまりよくない傾向だと思う。
皆はしんどくないんだろうか。皆はMPをすり減らさないで怒れるんだろうか?
世の中には、いくら憤ってもまるで疲れた様子を見せず、常に憤りと、憤りを誘うような情報を出力し続ける人もいる。そのMPが無尽蔵なのか、あるいは精神的耐久性がバカ高いのか、どっちにしてもすごいなーと思う。とても真似できない。
今のwebは、どちらかというとそういう人が脚光を浴びるように出来ているのかも知れない。
ただ、多分世の中には、私と同じように「憤ると疲れる」という人もちょこちょこはいる筈で、そういう人はそういう人で、多分ちょこちょこ地雷を避けたり、時には地雷を踏みぬいたりしながら生きている筈なのだ。
どちらかというと日陰者の類になるのかも知れないが、私も日陰者の一種として、どちらかというとそういう人達と気が合うような、あまり疲れない記事を引き続き書いていければいいなーと。
そんな風に考えている次第なのである。
今日書きたいことはそれくらい。
そして一度火の着いた集団というのは消耗するまで収まらないもので・・・
「戦争は始めるより終わらせる方が難しい」とはよく言ったものです。
時には静観が許されないケースもあるのが悩ましいです。
でもまあ、世の中には憤りで腹が減ってメシがうまいって層もいるようですから
そういう手合いは憤るための貴重なエネルギーを仕事や勉強で浪費したりはしないでしょう
そう思えば、反面教師にすればいいことがありそうです