ちょっととりとめもない話をさせてください。一応先に言っておくと、ラ・ムラーナのネタバレは含まれないです。
世代、というものがあります。
勿論ゲーマーにも世代というものはありまして、その人がいつ生まれて、いつ頃ゲーム好きになったかによって、その人が触れるゲームというものは変わってきます。勿論、世代を飛び越えるということも可能なんですが、基本的には、「ある人がどんなゲームを好むか」ということに対して、その人の世代というものはかなり大きな要素になると言っていいでしょう。
例えば、ファミコンの黎明期にゲームに触れ始めた人。
スーファミ、PCエンジン、メガドライブの三つ巴の時期にゲーム機を初めて購入してもらった人。
格ゲー全盛期の頃にゲーセンに行き始めた人。
物心ついた頃には、既にPS2が自宅にあった人。
初めて触れるコントローラーがSwitchのコントローラーだった人。
それぞれにゲームとの出会い方があって、それは「どれがいい」「どれが悪い」というものではありません。ただ、幸運なゲームとの出会い方も、不運なゲームとの出会い方もあるのだろう、ということは言えます。
私自身の話をすれば、私は1985年から1986年、ファミコンが大きく盛り上がり始めた頃、初めてゲームに触れた人間です。その後、ゲーセンに通い詰める時期もあれば、サターンやPS2のゲームに血道をあげることもありました。
私が特に「幸運だった」と思っているのは、1990年代前半から中盤にかけて、STGが最高の盛り上がりを見せた頃にゲーセンに通える立場だったことです。私はそこでダライアス外伝に出会いましたし、19XXに出会いましたし、レイストームに出会いました。
全体的に見て、私は自分のゲーマー人生を、極めて幸運に恵まれたものだと思っているのです。それは間違いありません。
ただ、どんなことでもそうであるように、ないものねだりというものはありまして。それは、軽く言えばちょっとした残念感であって、ちょっと大げさに言えば「ゲーマーとしての心残り」で。
私は、「ドルアーガの塔」を攻略することが出来なかったのです。
皆さん、ドルアーガの塔、ご存知ですか?クリアしました?
あのゲーム、面白いことはすごく面白いですし大名作だと思うんですが、よく知られる通り攻略法が色々理不尽でして、特に「宝箱の出し方」が一切ノーヒント、しかも内容も相当ひどいんですよ。
「敵を全滅させる前に扉を通過し、そのあと敵を全滅させる。」とか。
「敵を一匹も倒さずに扉を開ける」とか。
「スタートボタンを押す」とか。
「最初から見えている宝箱は放置したままリザードマン、ハイパーナイト、ミラーナイト、ブラックナイト、ブルーナイトの順に敵を倒し、後から出た宝箱→始めからある宝箱の順にアイテムをとる」とか。
しかも、そういう「ウルテクかよ!!!!!!」と叫んでしまいそうな程複雑怪奇な手順の宝が、普通に必須アイテムであって、とってないと数十分のプレイが一瞬で無駄になったりするんですよね。控え目にいって、結構理不尽ですよね?
けど、ドルアーガの塔ってゲーム、得体のしれない魅力を放っていて、当時たくさんの人が攻略に挑戦していたんです。
当時この「ドルアーガの塔」をゲーセンで遊んでいた人たちが何をやっていたかというと、本当に手探りで必死に総当たりをしたり、あちこちのゲーセンのコミュニケーションノートで情報を交換したり、口伝で都市伝説を広めたりしていたんですよ。
色んな情報に情報を重ねて、メモをとって、試行錯誤して、ニセ情報に右往左往して、最後にドルアーガを倒して。(そしてイシターに剣をブッ刺してZAP)
超楽しそうだと思いませんか?
私、初めてドルアーガに触れたのはファミコン版、しかも小2か小3かそんなもんでして、既にその時点で攻略本を読んでいたんですよ。確か、「ファミリーコンピュータ必勝本2」って本だったと思うんですけど。
勿論、ドルアーガの塔は、攻略本を見ながらでも散々苦労する難易度でしたし、当時チビジャリだった私がゲーセンでまともに攻略出来る難易度では到底なく、そういう触れ方でも仕方なかったとは思うんです。
ただ、「リアルタイムでドルアーガが攻略出来なかった」というのは、私の中に、ほんの小さなささくれ、ほんの小さな心残りの残滓として残っていたんですよね。私のちょっと上の世代に、とんでもなく面白い時期があった。
ああ、それを味わえなかったのは、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ残念だったな、と。
ところで、今日、たった今、PS VITAの「LA MULANA EX」をクリアしました。
私のTwitterをフォローしている方であれば、ここ最近、私が「わかるかあああああ!!!!」とか「進めねえええええ!!!」とか叫んでいるのを目撃されていたことだと思います。別に頭を豆腐の角にぶつけたわけじゃなくて、ラ・ムラーナやってたんですよ、私。
プレイ時間でいうと23時間くらいだったんですが、ボスで死にまくった時間とか、VITAから離れてExcelとにらめっこして石碑のヒントを漁っていた時間なんかは含めてないんで、多分実際には30時間近かったと思います。
ツイートを見て反応してくれた方のつぶやきを見て、「ああ、そういうことか」とか感づいちゃったこともあったんで、厳密にいうとノーヒントでクリアとは言い難いんですが、一応攻略サイトの類は一切見ないでクリアしました。大変面白しんどかったです。
ラ・ムラーナは、正直プレイし終わっても「おいそれと人には勧められないゲーム」と言いますか。色々と謎解きがひどくって、相当のリソースを振り向けて、リアル脱出ゲームを解くような感覚で突き詰めないと多分このゲーム、クリア出来ないんです。ただ、攻略サイトを見ながらこのゲームをクリアしたとして、果たしてそれで楽しいのか?ということは、私には確信出来ないのです。
これは文字通りの話で、クリアした現時点でも「これは私の為のゲームだった」と私は思っています。not for meな人には徹底的にnot for me だろうなあ、と思いもします。ただ、少なくとも、私にとっては、これは私の為のゲームだった。
何故かというと、このゲームを攻略サイトなしでクリアしたことによって、私の中に残っていたほんの少しの残念さ、ほんの少しの心残りが、解消出来たように思うからです。
ラ・ムラーナをプレイしていて、私は何度も、「ああ、ドルアーガを当時手探りで遊んでた人って、きっとこういうことしてたんだろうな」と感じました。それは辛くって、キツくって、面倒くさくって、けれど報われた時には極上の達成感を味わうことが出来る、なんだかよく分からない面白さでした。正体不明の面白さでした。
私は、ドルアーガの塔を手探りで登ることは出来なかった。
けれど、La Mulanaに手探りで挑むことが出来た。La Mulanaを手探りで踏破することが出来た。
1984年の7月、ゲーセンに行くことが出来ずに、私の中のどこかで立ち尽くしていた子どもが、その事実に一つ納得して。大げさな言い方をすれば、私の中の子どもが一人死んで、ようやく「残っていた子ども」が大人になれたような、そんな気すらするのです。
長々と書いてきました。
上記した通り、私はLa Mulanaを「おいそれとは人に勧められないゲーム」と評価していますので、これを読んでいるかも知れないどなたかに、「面白いからやるといいですよ!!」とは言いにくいものがあります。
ただ、この記事や前回の記事を読んで、「このゲーム気になる!!」と思ってくださった方がいたら、是非攻略サイトを見ないでプレイしてみて頂きたいなあ、と思います。多分、かつての高難度ゲームを手探りで攻略した人たちの気持ちを、なんとなく体験していただけるんじゃないかと思います。
La Mulanaを開発してくださったスタッフの皆さんに、心からの感謝と、若干の怨念をささげたいと思います。
今日書きたいことはそれくらいです。
本当に人にお勧めするかどうか悩むゲームですよね。面白いと言えば面白いけどそこまでたどり着けるかというのがありますよね。