2018年11月20日

「〇〇はあるのに××がないのは何故なのか」系の考察に「いやお前が知らないだけでたくさんあるやん」というカウンターが一瞬で返される現象


に名前をつけたい。なんかもう名前あるんですかね?どなたか知りませんか?

仮にここで、当該現象に「知ったかぶり非存在考察」という名称をつけてみるとしましょう。ネーミングは適当なので気にしないでください。

知ったかぶり非存在考察は、大体以下のような要件を持っています。

・「××がない」という、非存在を考察の核にしている
・その上で、その「ない理由」をあれこれ考えている、あるいは「ない」ことを批判的に指摘している
・けど実際には「××がない」ということ自体が当人の観測不足、ないし単なる事実誤認であって、実際には××は幾らでもある
・「お前が知らんだけでいっぱいあるやん」という突っ込みが山ほどくる
・場合によっては炎上する

皆さん、こういう現象見たことないですか?結構webでは頻繁に観測されますよね。

そもそも、「ない」ことを考察の核にすることはかなりリスキーなんです。何故かというと、「反例一個で考察がおじゃんになるから」です。かつ、その「おじゃんになる」には、当人の観察力不足、観測範囲の不備指摘もワンセットになっている訳であって、論客としての信頼性にかなりのケチがつくことは避けられません。「何故××がないのか」ということを論じる際には、かなり入念な事前観測、ないし理論武装が必要になるでしょう。

まず第一に、「××は本当にないの?」ということを自分に問いかけることが重要なのです。「××がない」と感じた場合、それはかなりの確率で「単なる観測不足」なのです。

ちなみに、「××は何故少ないのか」だと多少緩和はされますが、これもリスキー度合はあまり変わりません。「少ない」ということ自体を証明する、ないし定義することが困難だからです。この場合、「少ないって具体的にはどう少ないんだよ?」という突っ込みが避けられないものとなってしまうでしょう。

それでも、人は「何故××はないのか」という考察に度々突っ込んでしまう。これは、一つには「あ、××ってないやん」という発見の衝撃が、当人にとってはそれなりに重く、また大きいものだから、ということもあるのでしょう。誤った発見であっても、それが発見であるというだけで一定の価値を持ってしまう、という話ですね。

ただ、「何故××はないのか」考察には、結構「釣り」も含まれているように思っておりまして。つまり、「実際には××が存在することを承知の上で、敢えて「何故××はないのか」を論じることによって突っ込みを誘引する」という手法ですね。

つまり、「知ったかぶり非存在考察」には「知ったかぶり非存在考察(真)」と「知ったかぶり非存在考察(偽)」の二種類がある

この二種類を見分けることはそこそこの困難事でして、基本的には推測するしかありません。「実際に知らないのかどうか」を確認することは普通出来ないからです。

例えば、私はこの記事を「知ったかぶり非存在考察(偽)」ではないか、と推測しています。

何故かというと、プロレスゲームはそもそもゲームのメジャーなシーンとは言い難く、どちらかというとマイナーなジャンルであって、そんなプロレスゲームを「たくさん」知っている元増田が、コナミの「日本大相撲」やボトムアップの「64大相撲」、あるいは「ああ播磨灘」「SDバトル大相撲」などの有名相撲ゲームをまるっと知らないというのも、ちょっとおかしな話だなーと感じるからです。この辺のタイトルは検索すれば一瞬で引っかかるわけでして、「××ってないよなー?」というのを全く調べていないというのも脇が甘い話です。

もっとも、これは所詮ただの推測であって、実際に元増田が相撲ゲームを二作しか知らなかった、という可能性を否定することはできません。

一方、こちらはちょっとガチっぽいかな、と感じました。


このまとめ自体は、非存在考察をスタート地点に、ちゃんと有益な考察にまで着地しているのですが、それはそうとスタート地点については「知ったかぶり非存在考察」と言ってよいのではないかと感じます。

これは飽くまで私の感覚なのですが、

「何かしらの思想バイアスが絡む」

かつ

「たくさんあるやん、という指摘を受けると、最初の非存在考察をなかったことにして「けど少ないし」とか「ちゃんと調べないと見えない程度だし」といったスタンスのスライドをする」

場合、ガチである可能性が高まるように感じています。


突っ込む側から見ると、「××は何故ないのか」という誤謬は非常に「ツッコミ誘因力」が高いです。つまり、「いやいっぱいあるやん」とついつい突っ込みたくなってしまう。これは何故かというに、

・考察を瓦解させるのが非常に容易だから(反例一つで瓦解させることが出来る)
・知識量的にマウンティングをとることが出来るから
・同時に「あれもある、これもある」的な、大喜利的な面白さに発展させやすいから

ではないかなーと考えています。元々炎上しやすいステージ立てなんですね。

勿論のこと、釣る・釣られるはネットの華ですので、これが悪いとは言いませんが、場合によっては「知ったかぶり非存在考察(偽)」にあっさり釣られるピチピチフィッシュ、的な立ち位置に置かれてしまうかも知れません。炎上PV稼ぎに易々利用されてしまうというのも面白くない話です。

皆さまには、「知ったかぶり非存在考察(真)」「知ったかぶり非存在考察(偽)」の存在については一応念頭に置いて頂き、快適なツッコミライフをエンジョイ&エキサイティングして頂きたいなーと考える次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:15 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
存在しないことの証明や、その困難さについて、「悪魔の証明」という言葉が使われることがございますよね。
ですからこの場合、「悪魔の考察」とかではいかがでございましょう。  違うかな? 
Posted by 道化の真実 at 2018年11月21日 05:31
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