昔話をする。
私は昔、割と真面目にゲームの為に生きていた。ゲームを遊ぶ為にバイト代を稼いでいたし、学校と部活以外の空き時間は基本的に全てゲームに突っ込んでいたし、ゲームが出来るか否かで進路を決めていた。
小学校の後ろ半分から中学、高校まで、10年近く名古屋にいた。名古屋は気に入っていたし、そのまま名古屋に住んでもそこそこ楽しく暮らせたと思うのだが、私はある時期から「東京に行く」と頭から決めてかかって、名古屋に暮らし続けるという選択肢を完全に頭から追い出してしまった。
笑い話として聞いて頂いて構わないのだが、その理由は実は二つしかない。
・地元のゲーセンに、自分より上手い人がいなくなったから。
・東京に新声社があったから。
・東京に新声社があったから。
この二つだ。本当にこの二つだけで、私は自分の進路を完全に決め打ってしまった。
まず一つ目として、私は当時、いわゆる「地元のゲーセンでは負け知らず」という存在だった。といってもそれ程守備範囲が広かったわけではない、幾つかのSTGと幾つかの格闘ゲームが人よりちょっと得意だったというだけの話なのだが、少なくとも「地元のゲーセン」という非常に狭い井戸の中で「蛙の一匹」ではあった。
そして、当時は今より遥かにゲームにおける上昇志向をもっていた私は、「もっとうまいヤツらと切磋琢磨したい」などと思い込んでしまった。恐るべき意識の高さである。成層圏を突破していそうだ。
時期も悪かった。当時、私がゲーセン内で一方的に「ライバル」とみなしていた人たちは、相次いで引退したり引っ越したり、そのゲーセンに顔を見せることが少なくなってしまっていた。格ゲーが飽和しつつあった時代だったこともあり、そのゲーセン内で対戦が盛り上がることも減りつつあった。意識高い高校生が勘違いしてしまう土壌は整っていたのだ。
当時の私が住んでいたのは名古屋の端っこの方で、栄や名駅など、名古屋の中心地に出るのは聊か時間がかかった。勿論のこと、八事や大須、金山など、有名ゲーセンがある地域に出るのはもっと時間がかかった。そういった有名ゲーセンに行けば自分よりゲームが上手い人などごろごろいたのだが、どうせこんなに手間がかかるなら、もっと人がたくさんいる東京に行った方がいいじゃねえか、と思った。それはもう一つの理由で補強された。
もう一つ、私は当時、アーケードゲームの攻略雑誌である「ゲーメスト」という雑誌を愛読していた。私は「ゲーメスト」に、「大人が本気でゲームをやる」ということの意味を学んだし、ゲームを攻略するというのがどういうことなのか学んだ。
そのゲーメストを出版していたのが、ゲーメストライターを複数抱えていたのが、新声社だ。
ゲーメストの記事は基本的にすべてが記名の記事で、数々のゲーメストライターに、私は当然の如く憧れた。「アディオスToshi」さんが、「松ちゃん」さんが、「K-TAN」さんが、「C-LAN」さんが、私の憧れだった。
そういったライターたちが集まる場所が、東京にある。これが、本当に、もう一つの東京行きの原動力だった。
実際のところ、新声社で働きたいとか、ゲーメストに記事を書いてみたいとか、あるいはゲーム業界で食っていきたいとか、そう思ったことはないように記憶している。私にとって、ゲームは飽くまで「遊ぶ」ものであって、「それで飯を食いたい」と思うものではなかった。それについては今でも首尾一貫している。
そうして私は東京に行った。「東京に住める」「東京のゲーセンに通える」ということが一番重要なのであって、受験やら進学やらは実のところ、私の中ではおまけだった。だから、大学に入った後の自分の能力にはビタイチ幻想をもっていなかった。あんな奴らに勝てるわけねえじゃん、と思っていた。私にとって、自分の主戦場はそこではなかった。
結果から言うと、私の進路は、私が名古屋で想像していたものからは若干ずれた。私は新宿モアに通い、西口スポランに通い、渋谷会館に通い、馬場のTILTに通い、当初の想定通り「上には幾らでも上がいる」ということを散々思い知らされた。それはそれで勿論楽しかったのだが、私はケーナとも出会い、塾講師としてのバイトにも出会い、大学での勉学も意外に面白いことを知り、その他諸々、ゲーム以外の要素も自分の人生に抱えることになった。
私は今でもゲームが大好きで、色んなゲームを全力で遊んでいるが、今は昔程の意識の高さをゲームに持つことはなくなってしまっている。これは堕落だろうか?もしかするとそうかも知れない。
ただ、今でもたまに、当時のうだるような熱気を思い出して、懐かしいなーと思うことがある。
対戦で勝てずに歯噛みして、何度も何度も何度も勝ち筋をイメトレした。
自分が知らなかった稼ぎ方を知って、慌ててメモしようとしたらノートを持ってきていなくて、店員に頼み込んでゲーセンノートのページを1枚分けてもらった。
格ゲーの大会で1回戦負けを喫して、帰りに飲みつけないビールを一缶買って呷った。
渾身のスコアが数十万点差で置いていかれ、そのゲーセンの1位にすらなれなかった。
何度となく挫折して、時にはちょっとだけ成果を出して。ひたすらそれを繰り返した生活は、なんだかんだで底抜けに楽しかったと思う。あれを味わえたというそれだけで、自分が選んだ道は結局一から十まで正しかったのだと断言できる。
これは小さなカエルの話。小さなカエルが、大海に泳ぎ出した。結局大魚にはなれなかったけれど、ほんの一時期、本気で海を泳いだ。
ただそれだけの昔話だ。
田渕健康とか今頃何をやってるんだろうな。