2019年02月19日

昔俺は、近所のおもちゃ屋で半熟英雄を予約して、その予約券を抱いて眠ったんだ


「ゲームを予約する」ってことは、昔、特別なことだったんだ。

何故だろう。何故半熟英雄だったのだろう?それはもうよく覚えていない。恐らく何かの理由はあったのだと思うが、それはもう、30年間の遠い遠い記憶の闇に紛れてしまった。

俺は当時、群馬県は高崎の、そのまた隅っこの方で暮らしていた。家の裏手には「裏山」があって、夜は街灯がつかないエリアがそこかしこにあった。

webではグンマーとか揶揄されがちな群馬県だが、webで聞く群馬についてのエピソードの大半は根も葉もない作り話だ。群馬ではちゃんと日本語が通じるし、県庁は掘っ立て小屋ではなくきちんとしたビルだし、上毛かるたについてうっかり馬鹿にしたものは身の安全の為にすぐさま群馬を脱出した方がいい。その程度の問題しか群馬にはない。

近所にはギャムズというおもちゃ屋があって、3階建てで、2階にはチョロQのコースが設置されていた。途中からはミニ四駆のコースもあったかも知れない。当たり前のことだが、当時はAmazonもなければ楽天もなく、俺たちがゲームを買える場所といえばほぼ「おもちゃ屋」に限られていた。当時、「ゲーム専門店」すらまだろくになかったように記憶している。少なくとも俺が住んでいる地域には、そんな洒落たものは一軒たりとなかった。


俺は「ゲームの予約」をしたことがなかった。


当時「ゲームが手に入るかどうか」というのは案外不明確な話であって、何軒おもちゃ屋を回っても在庫が見当たらないことも、そもそも入荷している店自体見当たらないということもあった。

予約という制度がなんなのかについて、きちんと理解していたわけでは全くない。ただ、「予約」という言葉それ自体には、得体の知れない力強いパワーを感じていた。それは、「新しいファミコンのゲームが手に入る」という事実を、先取して保証するものだった。実際には手に入るのが数週間から数カ月先だったのだとしても、「予約」を行えばもう手元にそのゲームが存在するような、まるで待っている期間もそのゲームをすぐ隣においておけるような、そんな気がしていた。

つまり予約というのは、俺にとっては「わくわくする時間の先取り」だったわけだ。

だから俺は、ギャムズで半熟英雄を予約した。母親と一緒にギャムズのレジに並んで、上ずった声で「よやくおねがいします」と言った。
半熟英雄が予約しないと手に入らない程の人気ゲームだったかというと、多分答えはノーだ。半熟英雄は、ドラクエやスーマリのようなお化けタイトルではなかった。かといって、入荷するかどうかも危ぶまれるようなマイナーなゲームというわけでもなかった。発売日の夕方にギャムズにいけば、ごく順当に並ばずに買えるゲーム。多分そうだったのだろうと思う。

半熟英雄が出たのは1988年の12月、ファイナルファンタジーIIが発売する2週間ばかり前だ。当時、スクウェアはまだそれ程メジャーなメーカーではなく、今のように数々の名作RPGを擁している訳でも勿論なく、「テグザー」や「キングスナイト」のような作品、あるいはDOGのディスクゲームの印象の方が強かった。初代のファイナルファンタジーも、どちらかというと「非ドラクエ型RPG群の一つ」という扱われ方だったと思う。

だが、ファミマガで読んだ半熟英雄はとても面白そうだった。だって敵も味方もリアルタイムで動くんだぜ?

城を奪って、奪った城を育てて、収入を確保して、将軍を雇って。卵からモンスターを呼び出して戦わせて。そんなゲームが面白くないわけがないじゃないか。

もらった「予約券」には、俺の名前と、予約タイトルの「半熟英雄」の名前が、並んで店員の手書きで書いてあった。恐らく、そんなに御大層なものではなかったに違いない。ちゃんとしたフォーマットがあったかどうかも怪しい。ただ、それは間違いなく、私にとっては初めての「ゲームの予約券」であり、ゲームが手に入る保証、つまりゲームを遊ぶまでのわくわく感を具現化したものだった。うちに持って帰って表裏丹念に眺め、当時宝箱にしていたクッキーの箱か何かにしまい込み、夜寝るときも枕元に置いて寝た。

ようやく手に入った半熟英雄は勿論面白く、俺は将軍集めに夢中になり、「アポロン、ダイダロス、ヘレン」という三択で「アポロンこい!!!ダイダロスでもいいぞ!!!」と思っていたら見事にヘレンを引き当ててのたうちまわったりしている訳だが、なによりも俺にとって、半熟英雄は「初めて予約して買ったゲーム」という意味での特別感が強い。あの可視化されたわくわく感、一片の紙片にこめられた特別感の記憶は、今でも頭の中のどこかにある。

あれからもう、30年が過ぎた。

勿論時代も変わった。今は大体のゲームはダウンロード販売に対応するようになり、「予約しないと手に入らないゲーム」というものは殆どなく、予約というのはもっぱら特典目当てに行う行為になった。

それはただ「変わった」というそれだけのことであって、勿論悪いことでもなんでもない。ゲームの入手性というのは昔よりも遥かに改善されていて、やっとの思いで手に入れたゲームをカツアゲされることも、目当てのゲームと抱き合わせで要らないゲームを買わされることももうない。意見は人それぞれだろうけれど、今は結構、ゲーマーにとって理想の時代ではないかと俺は思う。

ただ、あの頃の「ゲームが手に入るかどうか分からない」という得体の知らない危機感、それを退けてわくわくを具現化したような「ゲームの予約」という行為については、誰かがどこかに書き留めておいてもいいんじゃないかと思って、こんなしょうもない記事を書いたんだ。

あの頃わくわく感を抱きしめて寝た何人ものファミコン小僧が、今でも全力でゲームを楽しめていることを、心から願う。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 17:06 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
子供の頃、SFCのレミングスが超楽しみで予約したのを思い出した。そんなの誰も買わねーだろって友達にはバカにされたが俺はやりたかったんだ。
Posted by at 2019年02月20日 00:48
子供の頃は『ゲームを買う』のが一大イベントでした。
単価は高い。親は世代的に理解がない。事前情報は薄い。地雷はそこかしこに埋まってる。核地雷だってシレっとある……。

お年玉を握りしめて、ゲーム屋でパッケージ裏を舐める様に見てた記憶が、鮮やかに甦ってきました。

年くったなぁ、もう!
Posted by at 2019年02月20日 01:11
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