タイトルは飽くまで途中経過であって、実のところ最終的なテーマはトラックバックについてなんである。というか、このタイトルだったらもうちょっと深く考えるべきだったかも知れない。やや反省。まあいいや別に。
トラックバックについては、「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーを始め様々なお話を読んできたが、私個人の考えは正直未だに固まっていない。私の中でも、どう使ったものかいまいちスタンスが定まりきっていない様なところがある。
で、「どんなトラックバックをするのが一番建設的か」についてちょっと幾つか考えてみた。考えの発端は実は全然TBと関係なく、lstyさんのこちらのエントリーである。
だから、たまには意識して新規巡回先を増やさないと、閉塞感は高まるばかりで、公開はしてるけど、結局は「内輪の馴れ合い」なんて事にもなりかねない。
だからなんていうかね、建設的な反対意見は歓迎します。捨てハンじゃないね。
えーと、正直あまり思考を整理していないので、文章の組み立てとか難しい話を全部まとめてスッ飛ばして、先に私の思考の筋道を書いておこうかと思う。大体以下の様に考えた。
・SNS(mixi)は馴れ合いが多い、と良く評される。馴れ合いが多いというのは、要は意見に対する「共感」が多いということである。
・共感は基本的に議論を深めない。何故か。「意見一致」だけで話が止まってしまうからだ。
・共感が多いのはそれはそれで一向構わないと思うが、反応が共感ばかりになると閉鎖性は強まる。反論を書き込みにくくなるし、議論は深まりにくくなる。これは、lstyさんおっしゃるところの「常連が増えると閉鎖的になる」ということの直接的な原因である。
・ブログにあってSNSにない機能は、トラックバックである。トラックバックであれば、「共感」が多めなブログであっても、遠慮せず反論、あるいは新しい視点を送ることが出来る。
・つまり、トラックバックは「共感」よりも「反論・反発」の時にこそ送るべきではあるまいか。共感的なコメントに対しTBを反論用とすれば、いい感じで住み分けに寄与するんではないだろうか。
以下蛇足。
まず最初に断っておくが、これは飽くまで私にとっての、私だけが適用するローカル・ルールについての一連の話である。トラックバックに関する普遍的なルールを考える、などという大望は一向にもっていない。
まずは、以前の「mixiと2ちゃんの比較論」の続きから。
私にはmixiに少々肌が合わない部分がある。確かにある。
それは何かというと、一言でいうと「共感どっさり」という点だ。
まず前提から始めよう。いつも通り分類するとするならば、ネットにおける意見交換には、大雑把に言って二種類がある。「共感」と「非共感(敢えて反発とはいわない)」である。
字ヅラの通り、誰かが何かしらの意見(例:プータン面白ぇ!!)を表明したとして、前者がそれに賛同する意見(例:そうそう面白いですよね、私も好きです!)、後者がそれに反発する意見(例:全然面白くねぇよ!)あるいは新しい視点を提供する意見(例:面白いというよりは微妙な番組ですよね)ということになる。
ブログのコメントやTBも、当然のことながらこの二種類にほぼ分類出来る。コメント数が多いブログというのは、「共感」が多いブログか、「反発」が多いブログのどちらかだ(「炎上」もこれに含まれる)。両者がうまい具合にミックスされているブログというのは比較的少ない様に思う。
これは何でか。
私は決してmixiのコミュニティを隅から隅まで知っている訳ではないのだが、基本的にはmixiの相互アクセスの基本は「共感」であると認識している。誰かがテーマを出す。それに対して同じ様な興味をもつ人、同じ様な好みを持つ人同士が集まってお互いの「共感」を披瀝する。あそこにも共感、そこにも共感である。そして、「ただの共感」は正直言ってそれ程面白いものではない。いや、もらって嬉しいものではあるかも知れないが。
共感する者同士がその場の雰囲気を醸成するが故に、「反発」は口を出しにくくなっていく。皆が楽しく一つのテーマについて話し合っている中で、それに一人だけ反論するというのはmixi上ではどちらかというと「雰囲気を壊す」行為である。この為、あるひとつのコミュニティーが共感で一杯の「平和空間」として形成されていく。
勿論すべてのコミュニティーがこうだとは思わない。が、少なくともちょっと前までのmixiにおいて、上記にあてはまらないコミュニティーっていうのは少数派だったのではなかろうか。
mixi的な「平和空間」は閉鎖的だ。理由は簡単で、人間「多数決」より先には思考を進めにくいものだからである。皆が賛成をしている事柄に対して、無理して反対の見方をしようとする人はあんまり多くない。議論はLstyさんおっしゃるところの「建設的な反対意見」が集まって初めて掘り下げられる。
で、ブログの話に戻る。
先述の通り、「反発」はその場が平和であれば平和である程見られにくくなる。ほぼmixiと同じ要因で、人間その場の雰囲気を壊すコメントは基本的にやりにくい。共感的なコメントが増えれば増える程、反発的意見によって議論が深められる余地は狭まってしまうことになる。これが、イコール「常連が増えると閉鎖的になる」という、その理由だ。
トラックバックとは何の為にあるか。まあ他所のブログから他のお客さんに参照してもらうということもあるにはあるんだろうが、私の私見でいうと、その効果は年々少なくなっているのではないかという思いがある。つまり、他ブログにトラックバックをつけたとしても、確実にそのTBを踏むのはブログ主さんくらいであり、その他お客さんの引っ張りこみに関しては現在TBは限定的な効果しかもっていない、らしい。これ、どこかで調査レポートを読んだ覚えもあるのだが、ご存知の人はいるだろうか。
つまり、TBの最大の目的は「相手のブログ主さんに読んでもらいたいエントリーを提示する」ということになるのではないか、と思うのである。
で、上の話と結びつく。
SNSが仮に「共感の場」になってしまうとしたら、ブログは反発や反論も十分やりやすい場所になるべきだ。そして、面白いブログがコメントによって「共感の場」になるのは避けられないし、悪いことではない。反論・反発をTBで行うことによって二つの住み分けは可能だ。
これは飽くまで単純に私の方針であるのだが、「もらう分には何も文句はないとして、出す分には「相手に対する反論、あるいは新しい視点の提供という場合に行う」という様な、大雑把なポリシーを設けたいと思う。少なくとも不倒城における限り、「ただの共感」をトラックバックとして送ることは多分今後ない。共感したくなったらコメントで行う。
と、言う辺りで今回のエントリー締め。言い訳がましくなってしまうが、冒頭に書いた通りまだあんまりまとまりきっていない。またその内考察し直すこともあるかも知れない。
最近は、異論を唱える事が荒らしとされるケースが多いですから。
荒らしとまで行かなくても、不快なトラックバックとされるケースは多く、それはまぁ、異論を唱える際に、必要のない罵声がオマケでついてくることもあるのかもしれないけれど、ここに来てブログのコンテンツのホームページ化が落ち着き、コメント欄の2ちゃんねる化が進んできたように思えます。
>最近は、異論を唱える事が荒らしとされるケースが多いですから。
うーん。その辺に違和感を覚える人は、つまりmixiノリにあんまり向いていない人、といえるかも知れないですね。
ただ個人的な所感としては、「異論」を「荒らし」と認識する人の記事には、そこまで掘り下げる欲求を感じない場合が多い気もしますが。
>コメント欄の2ちゃんねる化が進んできたように思えます。
むむう。コメント欄については、どちらかというとTB以上にローカルルール・ブログの雰囲気に左右される部分が多い様に思うんですよね。2ちゃんねる的コメント欄になっているブログというのは、「炎上」とはまた別の話でしょうか。
TBだろうがコメントだろうが、反論は反論であって、僕は「TBだから反論しやすい」とは思っていません。
だから、しんざきさんの考えられている「TBは反論のときに飛ばそう」というポリシーについても、個人的には同意できるけれど、どうなのかな?という感じです。
僕は、固定読者ができてこそ、意味のある反論や議論ができると最近思うのですね。普段は肯定的にブログを見てくれている人から諌められたり反対意見を書いてもらうことがたまにあるのですが、お付き合いのある方だからこそ、その真意を理解しようとこちらも努めるし、伝わりやすいですね。
僕自身も、お付き合いのあるブログに反対意見めいたことをたまに書きます。「俺って嫌なやつかなー」とか思いながら。
反論こそ、あったかくあるべきだ、なんてことを思うのですよ。
■えっけんさま
>コメント欄の2ちゃんねる化が進んできたように思えます。
それは読者数の問題だと思いますよ。特に「むだづかい〜」のように人気のあるブログ、かつ批判型ブログ?の場合は、2ちゃん化は仕方ないような気がします。
あぐぁ、失礼しました。どーもSeesaa、昨日から妙に重くないですか。
mixiの馴れ合い関連の話についてはそれなりに前から考えているんですが、トラックバックについてはホントーに個人的な話なので、一般に適用して考えるとちょっとアレでしたね。却ってTBの方を嫌がる人もいますし。
>お付き合いのある方だからこそ、その真意を理解しようとこちらも努めるし、伝わりやすいですね。
「普段から読んでいる人だから、その他のエントリーも踏まえて総合的に意見を判断してくれる」という側面もある様に思います。非建設的な反論って、そのエントリーしか読んでくれていない人のものである場合が多いですしね。
だから、相手の批判に納得できなくても、その事を伝えた上で、「考えとしてアリ」という方向にはなる。
炎上については、僕は批判的に見ています。
意見の対立から炎上になるのも分かるのですが、仲に破綻なう嫌がらせのものが多く、「そこまで書くなら自分の所で書いてTBしろ」と思う事が多い。
また、「炎上」という新しい言葉を使うことで、それまでの「荒らし」「祭り」を美化する傾向に見えるのも嫌悪感があります。
>「そこまで書くなら自分の所で書いてTBしろ」と思う事が多い。
それはホントーーーによく見ますねえ。なんだか、とりあえず寄って集って書いておけ、的なものも多いですし。
>また、「炎上」という新しい言葉を使うことで、それまでの「荒らし」「祭り」を美化する傾向に見えるのも嫌悪感があります。
むう、これはあんまり気づかない視点でした。ちょっとネットを見て回ってみます。
mixi共感だけでないとこもありますよ。
例えば、私の参加しているインココミュ。
私も含め、インコをこよなく愛するインコばか
の集まりなのですが、
インコの餌についての時、
インコは、人が食べるものをやたらにあげると
寿命が縮むということがあるのですが、
「我慢させてまで」ということを書かれた人が
いた時には、
「インコが苦しんでもそれでいいのですか?」
というような苦言も、たくさんされました。
書き方は気を遣いながらではありますが。
まぁ普段は、「インコ可愛い!」という共感の嵐なのですが。
(写真もいっぱいでインコ好きにはたまらんです)
mixi、私の入っているコミュを見ていると
情報交換、というような要素が強いように
思っています。
ふむふむ。っつーかあなた、そーゆーこと自分のブログにも書きなされ。
>「我慢させてまで」ということを書かれた人が
いた時には、
コミュの性格にもよるのですな。っつか、動物系コミュってその手の問題が結構熱くなりそうですね。
それでも、議論が深化してるコミュって割と少数派なんじゃねえかなーとも思うんですが。
でもあそこは昔っから「批判のための批判」
ばっかですし。
馴れ合いウザイには共感しますが。
議論がしたいなら、別の場所がありますしね。
ブログは基本日記で、身内意識でやってもかまわんもんだと思ってますです。
コメントありがとうございます。
>でもあそこは昔っから「批判のための批判」ばっかですし。
「何でもアリ」の中には極めて見苦しいものも結構混じっていますね。たまーにすごくイイ意見とかも見かけたりはするんですが。
各ブログにも文化があるようで。
私は今楽天日記ブログに生息しているのですが、あそこのコメントは主に反論及び異見主体のようです。(身内でのマンセーも見掛けますが)
特に政治的主張に対して、それに虚偽、疑念がある場合はそれを是正する、疑義を表明するコメントが殺到します。(所謂炎上でしょうか)
対して、正論とかはほぼスルーです。
あとは”ネタ”に対してそれを膨らませるコメントはよく付きますね。
コメントありがとうございます。
>特に政治的主張に対して、それに虚偽、疑念がある場合はそれを是正する、疑義を表明するコメントが殺到します。
むむう。それはブログ運営会社によるのか、それとも「異論が集まりやすいブログ」をやる人が楽天に集まっているのか、どっちなんでしょう。例えば政治・経済ですとか、その辺も強いブログとそれ程でもないブログっていうものがあるのかも知れないですね。私の知っている限り、seesaaブログは割と和やかな方っぽいですが。