蒼天編面白かったなーーと思うんですよ。
まず第一に、これは蒼天編に限らずFF14のストーリー全般に言えることだと思っているんですが、主人公を「英雄」として、文字通り超人的な働きをさせつつも、「英雄の働きにも限界はあるし、英雄と仲間たちがどれだけ頑張っても解決出来ないことはある」ということをきちんと描いていることが、一つ凄いなーと思っているんです。
例えばの話、ウルダハの難民問題。石の家に難民がやってきて救いを求めて、ミンフィリアが困り果てる場面とかありましたよね。ドマの難民は助けたのに、なんでウルダハの難民は助けないんだ!という。勿論、ウルダハの難民は規模も人数も違って、何万人も助ける余裕などないから区別せざるを得なかった、というのが暁としての事情だったわけですが。
英雄が英雄としての働きをして、それによって歴史が変わることは確かにあります。けれど、それだけで世の中の問題が全てが解決出来る訳でも、魔法のようにすべての人間が幸せになるわけでもない。政治的な問題は基本的に政治的にしか解決出来ないし、何万人もの人々の生活を保証する為に必要なのは一人の英雄ではなく経済的な基盤です。
勿論、随所随所では適度にディフォルメされてはいますし、アラがないわけでも勿論ないんですが、そういった「英雄の限界」みたいなものを当初からきちんと描いている点については、FF14のストーリーってのは凄いなあと思っていた訳なんです。
「ヒロイズムとリアリズムのバランス」とでも言うんでしょうか。気持ちよくするところは気持ちよくさせてくれつつ、きちんと「架空世界の中のリアル」としての事情も描写している。そういう部分は、新生編の頃からよくできているなーと感心していたんです。
で、蒼天編の話です。
以下は新生編〜蒼天編のネタバレが色々混じっているので、まあ数年前の話とはいえ、まだ未プレイの方は一応注意して頂ければと思うんですが。まあこの記事自体周回遅れもいいところかも知れませんので、細かいところは気にしないでおきます。
蒼天編は、まさにこの「英雄の働きだけでは解決出来ない政治的な事情」が縺れに縺れて、主人公たちが英雄の座から追われるところから始まります。ウルダハの政争やら、ナナモ様の考えに対する砂蠍衆の都合やら、色々な事情のせいで暁が政治的に退場を余儀なくされるんですね。
ここで、分かりやすく主人公の立ち位置を表現してくれるのが、暁の主要人物の一人であるアルフィノです。エオルゼアを救うため、という理想を掲げてクリスタルブレイブを作ったのに、実はそれは自分の手の届かないところで政治的な道具として扱われていた。そして、自分自身が作った組織によって陥れられ、ウルダハを追われた。
これはいかにもよくありそうな話で、普通に考えて「ネームバリューはやたらある英雄を抱いた、けれどコントロールは甘い超国家的な組織」なんて政治利用されない訳がないんですよね。ここでヒロイズムに傾斜しないのがFF14の味だと思うわけなんですが。
ですが、蒼天のストーリーは、それらリアリズムを踏襲しつつ、けれどヒロイズムによって「失地からの逆転」をもコンテンツとして提供してくれるところが非常に絶妙だったと思うんですよ。
全てを失ったかに見えた主人公やアルフィノを救ってくれたのは、盟友であるオルシュファンやイシュガルド貴族であるフォルタン家でした。英雄としてではなく一人の友人として庇護を受けることになった彼らは、文字通りゼロから再出発し、竜詩戦争の中で少しずつ自分たちの立ち位置を再度向上させていきます。
この中でも、アルフィノの成長っぷりが本当に素晴らしかったと思っていて、2.X編では正直「口だけじゃなくてもうちょっと働け」と思わないでもなかった彼が、イゼルやエスティニアンやらと出会い、薪拾いやらなにやらの下働きもし、自分がいかに光の戦士に戦ってもらうことを当たり前だと感じていたかを反省もし、ものすごーーく好感を持てるキャラクターに化けていくわけなんですよ。この「アルフィノの成長をプレイヤー視点から見守る」というのが、蒼天編の一つのメインコンテンツであることは間違いないと思います。
イシュガルド編のストーリー自体は、複雑な背景を持ちながら、根本の展開としては非常に分かりやすい話であることもまた素晴らしいと思うんです。正直なところ、アシエン絡みの話がどうも分かりにくくてすっきりしなかったところもあるので、余計分かりやすさが際立っていました。
「人と龍の対立と融和」という、実に説得力のある大筋。超克の対象として、「復讐」という動機が非常に分かりやすい大ボスのニーズヘッグ。アイメリクやエスティニアンといった、根っから信頼出来る頼もしい味方キャラクターと、容易には否定出来ない大義を持った教皇たち黒幕。
特にエスティニアンについてはめちゃいいキャラだったなーと思っていて、彼当初横暴というか好戦的なキャラクターと見せて、実にきっちりと筋を通すんですね。自分の意志は「邪龍倒すべし」と明確でありながら、対話を見届けるとなったらきちんと見届ける。イゼルともなにやかや角突き合わせることもありながら、対話の努力には最後まで付き合うんです。実力といい、主人公との信頼感といい、もうエスティニアンさんマジ光の戦士の相棒。
いやホント、最初は「この黒いカインさんいつ洗脳されるんだろ」とか思っちゃって申し訳ないの一言でしたよ。いや闇堕ち展開もあるわけなんですが。
エスティニアンのみならず、勿論それ以外のサブキャラもいい味出しまくっているわけです。フェードアウトを匂わせながら、最後に重大な見せ場があったイゼル。そして勿論、言うまでもないオルシュファン。最初ネタキャラかと思わせておいて、まさかあそこまで頼もしく、かつ最後の最後まで熱いキャラだとは、本当に予想だにしませんでしたよ。
常に主人公の味方であり続けてくれたフォルタン家の面々や、敵・味方に分かれるドラゴン種族。この白ビーバーどもどうにかならんのかとプレイヤーに思わせること大だったモーグリ連中。
皆それぞれ事情を抱えて、自分なりに筋を通そうとしているところが明確に伝わってきまして、好感が持てるキャラクター揃いだった訳です。ただしモグリンはちょっとどうにかして欲しい。
で、勿論イシュガルドにはイシュガルドの政治的な現実もあって、「偽りの歴史というが、その偽りを正すことによって起きる歪みをどう解決するんだ」という問題もちゃんと提示されるし、主要キャラクターたちがちゃんとそれに向かい合うんですよね。「偽りを正して大団円」にはならない。偽りを信じてきた人たちにはその人たちなりの思いがあるし、解決出来ない部分は最後まで解決出来ない。
こういった、いわば「リアリズム」の部分を担当するのがアイメリクであって、彼がまたちゃんと筋を通す人物であることが物語全体をすっきりさわやかなものにしている、と思うところも大きいわけなんです。
で、得るものも失うものもありながら、ヒロイズムとリアリズムの天秤が揺れる中、最後にはきちんと光の戦士が英雄としての仕事をして、ストーリーはたどり着くべきところにたどり着く。物語の導入当初は猛吹雪だったところ、最後はまさに抜けるような「蒼天」で終わるという、このトータルの展開が素晴らしい。もう本当に素晴らしい。
「リアリズム」で失地を味わった主人公たちのヒロイズムへの遷移と、その過程における大逆転。大団円に至るまでのそのコンテンツ全体が、プレイヤーとして実に実にイシュガルド編を楽しませてくれるものだったという、要は蒼天編の面白さはそこに集約されるのではないかなーと、私はそんな風に思うわけなんです。
ということで、長々と書いて参りましたが、私が言いたいことは
蒼天編超熱かった!!!!!!!!あとオルシュファンさんとエスティニアンさん超好き!!!!!!!!!!!
ということだけであって、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。紅蓮編も引き続き楽しんでいく所存ですのでよろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。