2019年06月20日

「実は生きていた展開」があんまり好きじゃないという話

全然大した話じゃないんですが。

ゲームでも漫画でも小説でも、味方であれ敵であれ、「キャラクターの死」というのは非常に大きな出来事です。キャラクターの死は、登場キャラクターにも読者にも大きな衝撃をもたらして、時には悲しみを、時には憤りを、時には感動を読者に提供します。物騒な話ではありますが、キャラクターの死というものをどう扱うか、というのは、創作者の一つの腕の見せ所でもあります。

で、たまーに、「死んだと読者に思わせておいて(あるいは明確にストーリーから退場しておいて)、実は生きていました」っていう展開があるじゃないですか。勿論ケースバイケースではあるんですが、私、そういう展開があんまり好きではありませんで。というか、「実は生きていました展開」を見ただけで、多少そのシナリオに対する熱量が下がってしまうんですよね。

皆そうかなーと思っていたんですが、実はそうでもなさそうだということに最近気付いたので、ちょっと自分の感覚を整理しておきたくなったんです。

「実は生きていた展開」が好きではない理由は幾つかあるんですが、ざっくり整理すると

・安易と感じてしまう
・蛇足と感じてしまう

の二点が大きな原因かなー、と思いました。

まず一つ目、「安易」。つまりこれ、「シナリオ作者が安易な方向に逃げた」と感じてしまうんだなーと。

キャラクターを退場させるのって、シナリオメーカーにとっては諸刃の剣です。大きな展開、大きなストーリーの起伏を作れるのと同時に、それ以降、そのキャラクターを使った展開というのは基本的に作れなくなってしまう。

キャラクターというのは、イコール「シナリオの核」ですから、生きたキャラクターが多くいれば多くいる程、シナリオメーカーはお話を作りやすくなるんですね。どれだけのキャラクターを動かしておけるか、というのは、そのシナリオを動かす上での重要なキー項目でもあります。

ですから、「キャラクターの退場」を描くというのは、かなりリスキーな行為です。そのキャラクターの人気をお話に反映する機会を失ってしまうということでもありますし、単純にストーリーの幅を狭めてしまう可能性もある。

で、その最も安易な解決法が、「キャラクターの死というイベントは演出しつつ、実は生きていたことにしておく」という解決法なんですよね。死の衝撃、時には感動というものは享受しつつ、ストーリー展開の幅は失わないで済む。ある意味では、ノーリスクハイリターンな手法なんです。

ただ、だからこそ、この「実は生きていた」って安易に使っていい展開じゃないんじゃないかなー、と思うんですよね。一つには、「ああ、楽な方向に逃げたな」と感じてしまう。一つには、「どうせ実は生きていた展開なんだろ?」と思わせて、「キャラクターの死」自体に感情移入できなくなってしまう。

私、昔出版社に出入りしていた頃、上のような話は実際に聞いたことがあります。つまり「退場シーン」自体は感動的に書いておいて、「死んだかどうかはちょっとぼかしておきませんか」って編集者さんが提案するんですよ。「そうすれば、必要に応じてキャラクターを戻せるから」と。人気キャラクターではよくある話なのかも知れません。

二つ目、「蛇足」です。

キャラクターの死、シナリオからの引き際が見事であれば見事である程、「そこで完結して欲しいなあ」と、少なくとも私は思うんですよ。キャラクターの退場が感動的な物語であったのならば、それはそこでちゃんと物語を終わらせて欲しい。その後の「続く」って、結構余計だったりするじゃないですか?

勿論これは、キャラクターへの思い入れにも、そのシナリオにもよるのかも知れません。最初から「仕組まれた一時的な退場」であることを半ば明示している場合もありますし、その場合、そもそもその退場はあんまり劇的に描写されません。そういうのが嫌なわけではないんです。

ただ、ある程度きちんとキャラクターの退場を描いて、衝撃なり感動なりを描き出したのであれば、その物語についてはちゃんとそこでピリオドを打って欲しいなーと。私自身はそんな風に思うわけなんです。


というようなことを、FF14プレイしていて思いました。

これ、FF4やってた時も思ったんですよねー。こんだけ華々しく退場したんだから、それはもう「実は生きていました」にしなくていいんじゃないかなーと…。FF2とかだと人が本当にサクサクと退場していったので余計アレなんですが。


一旦それくらいです。


posted by しんざき at 18:36 | Comment(6) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
確かにこれは思います。
殺しきる勇気がないのであれば、安易に死亡イベントはやるべきではないと思っています。
GEシリーズでも似たような話があり、復活してしまうことで前の話が若干茶番になってしまう危険性すらあります。
デスレースものとかだと最後に死者復活してしまうと、本当に茶番になってしまいますしね・・・。
ドラゴンボールぐらい振り切っていれば話は別ですが・・・。

ただ、MMO系のゲームの場合はちょっと仕方がないかなと思わなくもないです。
話の進捗が人によって違うので、NPCを消すとつじつま合わせが非常に大変になります。
FF11にもそういうのはありましたが、そうなるとイベントでしか出てこない上に、イベントですら不自然なぐらい出番がないみたいになってしまいます。
Posted by sparrow at 2019年06月21日 14:53
ドラゴンボールはもう、お話自体に「生き返る」を組み込んでいるから、読者もそれを承知で読むものだとは思いますけどねー。その分死が軽くなるのは致し方ないですし。

>話の進捗が人によって違うので、NPCを消すとつじつま合わせが非常に大変になります。

FF14だと、そこはもうある程度仕方ないっていう方針のようにも見えます。エスティニアンとか、メインで相棒呼びなのに竜騎士クエでは他人行儀とか、そういうのはもうどうしても発生しちゃいますし。
Posted by しんざき at 2019年06月21日 15:44
個人的には、敵キャラだと「生きていたのか/死んでなかったのか」は結構アリなことが多い気がします。
Posted by ポテコ at 2019年06月21日 22:09
やり方次第なんだろうけど……。

旧作の宇宙戦艦ヤマト。
沖田艦長の死がカタルシスを大きくしているのに、
森雪の命の軽さよ。

あれが無ければ良かったのに。
Posted by at 2019年06月22日 10:40
明らかに死んでる描写してて、実は生きてました展開やるのって一種の裏切りだと思う。
(裏切りはちょっと言葉が強過ぎるかもだけど)

ギミックはいいんよ。伏線はあるけど読者が気付いてないってのはいい。
でも「人気出たキャラだから」みたいな、メタ事情が透けて見える復活はダメ。

読者は描写を通してしか作品世界を認識出来ないんだから
作品に「ボヤけさせてるところは後付けでなんでもあり」って
ルールを付与されると、もうまともに内容を考えるのがアホらしくなるんよね。
Posted by at 2019年06月25日 19:46
東のエデンで、板津が生きていたのは実に良いと思いましたね
アレが凡作なら死んでましたね
Posted by at 2019年06月25日 20:03
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