ヨタ話をします。
先日、知人と議論になりました。テーマは、「らんま1/2」をハーレムもの漫画と考えていいのかどうか。
話は、「ハーレムもの漫画の系譜」というところから始まって、知人が「らんま1/2」を「ハーレムもの漫画の系譜」として位置付けたところから始まりました。
私は「らんま1/2はハーレムもの漫画ではない」という考え方なんですが、案外「ハーレムもの」の定義が曖昧で話がちょっと紛糾したため、自分用の論点整理の為にちょっと話の経緯を書いておきます。
〇知人の論点
・ハーレムもの漫画の定義は、「1人のキャラクターに対し、数多くの異性キャラクターが恋愛対象として対置されている設定のフィクション作品」である(Wikipediaより)
・らんま1/2は、メインヒロインのあかねの他、シャンプー、右京、小太刀など、ヒロイン候補のキャラクターが複数配置されており、上記の定義に当てはまる
・また、主人公である乱馬は天道三姉妹など、普段から多くの女性キャラクターに囲まれている描写がなされている
・よって、らんま1/2はハーレムもの、ないしハーレムものに類する漫画として捉えることが出来る
〇私の論点
・乱馬は確かに複数の女性に想いを寄せられているが、その描写は基本「乱馬の優柔不断さと、あかねのやきもち」というキャラクター描写・展開の為のツールでしかなく、劇中、最初から最後まであかねのヒロインの座は実質的に不動である
・つまり、らんまは「複数の恋愛対象がいる漫画」とはそもそも言えない。人間関係こそ多少錯綜しているものの、キャラクターの機能的には単純なラブコメ+それぞれにとっての当て馬的なライバル(シャンプー・良牙など)と考えて良く、これはハーレムものというより一般的な少女漫画の描写に近い
・また、天道家において、ハーレムものであればヒロインの内に含まれるべき立ち位置のかすみとなびきは、異性としての乱馬に一切興味を示しておらず、異性関係的には徹頭徹尾傍観者でしかない。これもハーレムものというには強い違和感がある要因である
・よって、らんま1/2は他のハーレムもの漫画に影響を与えている可能性こそあれ、それ自体をハーレムものとは言えない
途中話の経緯は色々ぐるぐるしたような記憶もあるんですが、簡単に整理するとこんな感じです。上記に加えて、乱馬は「性別が転換した際、男性からも思いを寄せられるケースがある」という問題もあるのですが、まあその話はややこしくなるのでちょっと置いておきます。
まず一つには、らんま1/2には確かに複数のヒロイン候補が出てくることは出てきますが、その中で「乱馬の恋愛対象」と言っていいキャラって、実はそんなに多くないんですよね。小太刀は最初からギャグキャラっぽい扱いであって、乱馬も全くその気を見せませんし、右京も当初から乱馬の意識としては「友人」であって、秘伝のスープの話とかで迫られた際にも、罪悪感と優柔不断から断り切れていないとはいえ、右京に対して恋愛的になびいている描写は殆ど見えません。
シャンプーについてはまだ、反転宝珠のエピソードなんかで乱馬の側から好意を表現するような部分はありましたが、あれもどちらかというと、恋愛感情というよりは自分の見栄とプライドからきているような話ではありました。
というか乱馬、基本優柔不断純情青年ですので、迫られてどぎまぎすること、断り切れずに曖昧な態度を見せることこそあれ、彼自身のスタンスというか心情的にはほぼ物語の終始あかねから動いていないんですよ。もうぜんっぜんフラグ立たない。実質「恋愛対象」としてのヒロイン候補って、あかねと次点としてのシャンプーくらいしかおらず、これで「ハーレムもの」というのはどうにも違和感がある。要は、ハーレムものなら本来あってしかるべき、「読者視点でのヒロイン選択肢の幅」がほぼ存在しないんです。
上でも書きましたが、「同居の三姉妹」という、ハーレムものであればヒロイン候補として真っ先に位置付けられるべき立ち位置の筈の長女かすみ、次女なびきが、実質異性としての乱馬に一切興味を示さないのも少々痛いところです。あかね自身、ライバル的な意味でかすみやなびきを意識する場面というものは、なびきのごく一部のエピソード(しかも金絡みの打算)を極少数の例外を除けばほぼ一切ありません。これも、「ハーレムものの文法」というものを考えれば、ちょっと外れ過ぎではないかなーと。
ただ、ことは定義論ですので、キャラクターの配置だけを問題にすれば、一見ハーレムものと解釈できる余地があるように見えなくもない、というのは私も考えるところです。まあ飲みの席だったんでそこまで突き詰めて考えてないんですが、皆さんいかがお考えでしょうか。
あと全然関係ないんですが、しんざき的ならんまキャラクターでの推しは雲竜あかりさんです。よろしくお願いします。
今日書きたいことは一旦それくらいです。
まず、最初から論点がブレてると思います。
「ハーレム物漫画の系譜であるか」と「ハーレム物であるか」は別の話です。
最近のハーレム物みたいな開き直った作風はギャルゲーを漫画に輸入したラブひな以降であり
それ以前は「連載長期化でハーレムみたいになっちゃったラブコメ」が大半です。
こういうのはハーレム物ではありませんが、ハーレム物のルーツとなった作品ではあります。
「ハーレム物漫画の系譜」がテーマであるなら、後者の定義、
つまり今のハーレム物の文法に厳密にあてはまるか否かよりも
今のハーレム物の要素を部分的にも有しているか否か、その割合で考えるべきと思います。
次に、主人公が恋愛対象をどう見てるかはハーレム物か否かの判断でさほど重要ではありません。
ToLoveるでさえ主人公から恋愛対象とみられるヒロインはほとんどいません。
これは読者がハーレムシチュを望みつつも、気の多い主人公は受け入れづらいためだと思います。特に少年漫画では。
もちろん例外はいますが、いずれにしても主人公にとっての正ヒロインが不動であるかは
ハーレム物か否かの判断では重要ではないと思います
3つめに、右京が恋愛対象ではないとか言ったら戦争になります。
友人だから良いわけです。
乱馬自身も右京を自分のハーレム要員にカウントしています。腐れ外道です。
小太刀や姉2人をヒロインから弾くのはわかりますが、右京まで弾くのは無理筋と思われます。
まとめると
らんま1/2は他のハーレムもの漫画に影響を与えている可能性こそあれ、
それ自体をハーレムものとは言えないが、
右京はヒロインである
ということです。
長くなってすいません。
ですが、ギャルゲー原作の漫画などと一括りにしてしまうのには違和感を感じます。
なので、SFがハードとソフトに細分化されるように、ハーレムものも複数のヒロインから明確な好意を向けられるハードなものと、複数のヒロインと友人以上の関係にはあるものの、好意は明確ではないソフトなものに細分化して考えています。
その場合『らんま1/2』は後者に該当します。
私の見解も否かな。
やっぱ主人公にその気が無いのは大きい
「ハーレム」と「複数人に言い寄られている状況」の間には
大きな壁があると思う
物語の構成と言うより、読み手がどう感情移入するかで、
別の解釈もあるかもしれませんが。
あと、絵柄という部分も無視できない。
氏の描く女性は、本来なら色気が前面に出てしまうはずなのに、
その辺を上手く隠している。露骨に言うとイヤラシくない。
別のところでは、艶めかしい絵も描いているわけで、
その辺の描き分けが出来た上で、抑えて描いている
それが、印象の違いにつながっていると思われる。
同様の題材を手塚治虫氏あたりが描いたら、
恐ろしくエロスが前面に出て、ハーレムどころじゃ無い内容になりそう。
そもそも「数多くの」って何人から?
1人だと当然違いますよね。
2人だと三角関係
3人?4人?
らんま1/2って、婚約者としてあかね・右京、一方的に好意を抱かれているのがシャンプー・小太刀
それ以外だと1話ゲストが数人いるだけで、メインだと合計4人。これでハーレム定義は難しいよなあと。
「ハーレム物」が嫌いで、「らんま1/2」が好き。
だから「らんま1/2」は「ハーレム物」では無い。
後はそれに合う理屈を探す。
「らんま1/2」が「ハーレム物」か否かは、「らんま1/2」が好きかそうでもないかで結論が異なる。
「らんま1/2」が特別好きで「ハーレム物」が嫌いな人は「らんま1/2」が「ハーレム物」では無い理由を探すし、
「らんま1/2」は特別好きなわけではない、あるいは「ハーレム物」に忌憚感が無い人は容赦なく「らんま1/2」を「ハーレム物」に入れるだろう。
ご友人は、ハーレム物の定義を「構文」で捉えている。
しんざきさんは、ハーレム物の定義を「構造」で捉えている。
いわば外延と内包の関係です。
これと同じ事が古今東西あらゆる定義論で起きています。
ラノベ定義論。レーベルで決まるのか。作風で決まるのか。
ミステリ本格論争。一定の条件があるのか、『精神的核心』か。
SF定義論。ガジェットか、ストーリーか。
全て、「形式」か「精神」かの戦いなんです。
私はいずれの論争も「精神」派なので、今回の議論もしんざきさん寄りですが、とにかく興味深かったのでコメントさせていただきました。
好き嫌いで定義を決めるなんてのは論外でしょう。
それはその人が話のスタートラインにすら立ってないだけ。
ラノベ嫌いな人がラノベ定義論に参加してきて
「僕の嫌いなものがラノベです」とか言ってるのと変わらない。