いや、分かるのだ。今に始まったことではない。おそらくずっと昔から、それこそwebのあちらこちらで観測出来る問題だったのだろう。別段はてブに限った話でもない。
ただ、煙草をやめてしばらくすると、あんなに自然なものだった煙草の匂いが、ひどく我慢のならないものになることがあるらしい。もしかすると、私に起こったことも似た類のものだったのかも知れない。
はてなブックマークを使っている。外から観測しているだけなら、それこそ10年来の付き合いだ。はてブには議論好きの人が多く、共感ばかりではなく様々な意見が集まるので、自分にはない見方や意見に触れるのが面白く、ちょくちょく気になる記事のコメントを覗きにいったりしていた。
いつ頃からだったろうか。はてブを見ていて、なんか疲れるなー、と感じることが多くなった。具体的には、いわゆるほってんとり、はてブの人気エントリーのページを見ている時の話だ。
これは恐らく個人差があると思うのだが、私は怒ると疲れるし、憤ると疲れる。
「怒る」「憤る」ということに一種の快感があることは間違いない。「怒る」という行為は、一種のエンターティンメントとして動作し得る。「これはひどい」と思ったニュースを舌鋒鋭く批判した時、人は快感を感じる。切断処理をする気はない、私も同じだ。
自分が正義の側に立っているという気持ちよさ、他者を攻撃することの気持ちよさというのも勿論あるのだろうが、「感情を大きく動かす」こと自体にもある種の気持ちよさがあるのだろうな、と思う。感情を煽られると気持ち良い。それは間違いない。
ただ、私の場合、怒った際の気持ち良さに、ある種の疲労感がついて回る。私にとって、憤りというのは、何らかのMPを消費して代わりのエネルギーを得るようなものであるらしい。家の内装をはがして暖をとるようなもので、ちょっと不健康かも知れないなと思ったので、暫くの間、意識してホッテントリを見るのをやめていた。はてブの利用自体はしていたし、twitter経由で話題のページをブクマしていたりもしていたが、ホッテントリのページからは足が遠のいていた。
最近、ちょっとした機会に久々にホッテントリを見てみた時、以前とはちょっと景色が違ってみえた。具体的に言うと、ホッテントリに並ぶ記事の8割方が、何かしら「憤りを煽る」内容を含む記事だった。「ほーれ、ひどい話だろう、怒れ怒れ」と言われているような記事だった。
いや、別段、これが「最近になって変わったこと」だとは思っていない。変わったのは、多少のインターバルを置いた私の視線の方だったのだろう。それは分かる。
ただ、大げさに言ってしまうと、「これは憎悪を煽るサービスだ」と私は感じた。負の感情を伝染させるサービスだ、とも思った。
理屈は分かる。
感情を強く揺さぶる記事は、それだけ反応も大きくなる。記事を書く側にとって、「反応」というのは命綱だ。出来るだけ多くの人に見てもらうためには、出来るだけ強い反応を得る為の記事を書くのが手っ取り早い。それはずっと昔から同じだ。つまり、元より、「感情を強く揺さぶる」記事というのは注目を集めやすい。更にそれに加えて、「何か一言モノ申したくなる」記事というのは、はてブにおいて更に注目されやすくなる。つまり、「怒りを誘って、痛烈なコメントを言いたくなる」記事は元来注目されやすい。
それに加えて、はてブには「はてなスター」と「人気コメント」というシステムもある。出来るだけ早く、出来るだけ共感ないし注目を得られるコメントをした人が、スターを媒介にしてより注目を得やすくなる。そういうシステムだ。
結果的に、「出来るだけ上手く憤りを煽れる記事」であればある程、人気エントリーに集まりやすくなっていると。そういう仕組みが完成している。
それにしたってなあ、と思うのだ。
「ほーれ、怒れ怒れ」と言われるのが、私はあまり好きではない。私は単純な性格をしているので、憤りを誘うような記事を読めば憤りを感じてしまう。そして、それによって私のMPは低減する。憤りの渦に巻き込まれておぼれそうになってしまう。
これがTwitterであれば、タイムラインは自分が作るものであって、ある程度穏健な論者を自分の観測範囲に集中させることも出来る。しかし、ホッテントリではそういう真似が利かない。
ホッテントリは、便利だ。はてブには、ある程度議論好きな人たちが集まっている。そういう人たちから見て注目を集めている記事を、ぱっと見でチェックすることが出来る。アンテナの感度をよくしておくために、上手く使えば有用なのだ。
ただ、少なくとも私は、疲れすぎないようにある程度自衛を固める必要があるようだ。ご利用は計画的に、というヤツだ。
別段、はてブ自体の利用をやめる気はない。私ははてブが好きだし、自分の注目、自分の意見を残しておく一言ログとして、私が好きな人たちの観測範囲をチェックする場として、はてブは非常に便利だ。
ただ、少なくともホッテントリについては、よくよく注意して利用しなくては、憎悪の渦に容易に飲み込まれてしまうな、と私は感じた。それは、多少のアンテナの高さと交換出来る話ではない。
もしかすると世の中には、いくら憤っても疲れることなく、無限にエネルギーを得ることが出来る人がいるのかも知れない。
しかし、私と同じように、憤ることに疲労感を覚えて、「怒れ怒れ!」と言われることに食傷気味な人もいるかも知れない。
そういう人には、「時には休憩も必要だと思いますよ」と声をかけてあげたい。世の中、アンテナの感度を高くしておけば良い、というものでもない。最新ニュースを知らなかったとしても死にはしない。ただ事実だけ、起きたことだけのニュースを、それ程注目されていない事実だけを、後から淡々と拾い集めることだってできる筈だ。
ホッテントリはよくよく注意して閲覧しようと、少なくとも私は思ったのだ。
ご指摘の点は、なんというか、ニュースソース全体で起きているように思います。
仮にサニーサイド(ポジティブで人を明るくする)の情報とダークサイド(ネガティブで負の感情を掻き立てる)の情報があるとすれば、ダークサイドのインフォメーションが多いように思います。
その方が報道の価値があるのか、経済的な事(お金になるとか)なんでしょうか。
結果、インターネットではエコーチェンバーとかフィルタリングバブルなどの効果もあるうえ、サービスもこれを加速させる装置になってしまっているものある感じに思います。
なんというか、インターネットのサニーサイドをもっと増幅させるサービスが出てくると良いなと思います。
自分は独身で仕事以外ではもっぱらネットを介した関わりしかしないためその分SNSやニュースサイト等々の煽りたてるような情報を受けてしまいがちで
特に最近はその影響が強く精神に作用し心身に悪影響が出ていました
そんなタイミングでしんざきさんからこのような記事を読めたことは大げさかもしれませんがある種の救いのように感じています
いきなりネット断ちとまではいかないまでも
つき合い方を見直すきっかけにしたいと思いました