みんな生きているか?まだゲームやってるか?
Webの片隅で、愚にもつかない話をネタにクダを巻いているか?
それともネットなんてやめちまったか?それもいいのかも知れないな。毎晩毎晩、パソコン通信の画面の向こうやら、cgiのチャット画面の向こうやらと、23時過ぎになったらしょーもない話をひたすら書き始めて、気が付いたら朝なんてこともあった。ありゃ正直体に悪かったし、多分頭にも悪かった。ただ底抜けに面白かったっていうだけのことだ。
俺はまだ、諦め悪くネットにいる。webにいる。思い出したようにくだらないことを書き連ねては、誰に届くとも思わないで、適当にブログに放流するボタンをポチっと押している。そうすると、たまに物好きな人が見てくれる。ありがたいことだけど、時間を無駄にさせてないかなーと心配にもなる。
「ああ、考えてみるとあれって今生の別れだったんだな」って思う機会が、ぽつぽつあるようになった。会ってる時は1ミリだってそんなことは思わない、ただいつもの馬鹿話をいつものように消化しているだけだけど、気が付くと10年経ち20年経ち、いつの間にやら連絡手段すらなくなって、死んで数年経ってから「え、あいつ死んでたの!?」という程度の訃報が届く。
考えてみると、昔のネット友達なんて、ハンドルネームとICQのIDくらいしか知ってるものはなかったんだ。草の根BBSがなくなって、Teacupの掲示板がなくなって、IRCチャンネルがなくなって、ICQが叩かれなくなって。そしたら、昔は毎日の様に飲んでいた連中だって、いつの間にかすっぱり連絡手段はなくなっている。それで再会出来る方が不思議だし、訃報が届くのだって奇跡の一種かも知れない。
かといって、例えばTwitterやらFacebookやら、現役のSNSで繋がっていれば、その繋がりはいつまでも健在なのか?というと、それだって全然そんな訳はない。「会おうと思えばいつでも会えるから」という意識のまま、いつの間にやら数年経ってた、なんてよくある話だ。気が付かない内にログインしなくなった人だって、知らない内にIDが消えていた人だっている。大抵はそれっきりだ。
生きている、っていうのは、「いつかまた会える」という可能性に、一つ一つ墓を建てていくことでもあるのかも知れない。最近はそう思うようになった。
だから、会える機会、会える手段がまだある人には、なるべく会う機会を作っておきたいなーと。これも、最近はそう思うようになった。だから、ちょくちょく飲み会やら、アナログゲーム会やら開くようにしている。それだってそんなにしょっちゅう出来る訳じゃないけどな。向こうだって忙しいし、俺だって、まあそれなりには忙しい。そういうもんだ。
ただ、ほんっとーーーーにハンドルネームしか知らなかったあいつら、個人情報なんて一つも知らないけど何か一緒に集まって飲んでたあいつらに、今も再会出来るかっていうと、多分それは難しいんだ。
すぐ近くにいたような気がしていたけれど、実のところ俺たちにあったのは「場」だけだった。だから、その「場」がなくなったら繋がりもなくなった。ほんの数人くらいは、今でもTwitterやらなんやらで繋がってる人もいるけれど、本当にそれくらいだ。
東京BBSが、
AEネットが、
セガBBSが、
そこから始まった色んな掲示板が、
あめぞうが、
いつの間にかその名前でしか呼ばれなくなったミラーチャットが、
IRCが、
多分俺たちの場だった。みーんななくなった。
別に、今更再会したいって程大げさな話でもない。案外、再会したって、大して話すこともないかも知れない。あの頃の思い出話くらいはしたいけど、20年も経てば多少は記憶もさび付いてくる。
ただ、俺は、「今でもあいつらは元気にやっている」と思い込みたいんだ。ネットのどこかで、相変わらずゲームをやったり、馬鹿話をしたり、喧嘩をしたりしてるんだろうなーと、ただ思い込みたいだけなんだ。
誰に届くかも知れないくだらない文章を、ボトルメールのようにwebに流すのは、考えてみると俺の得意技だった。だから、これも特に何も考えず、誰に届くのかすら期待せずに、ただwebに放り投げる。
俺は元気でやっているぞ、と。
私の頭の中の記憶にあるだけで、それ以外は本当になんの手がかりも足あともない。
バルス推察記念カキコ
私達は確かに生きていたんだ。