承前。
峠鬼は大変面白いですし、実は日本史好きにもかなりお勧めですし、妙がめちゃ可愛いので皆読むといいです。
それはそうと、なんとなく記憶頼りで「多分これ壬申の乱のことだろうなー」と思っていたものの、ちゃんと確認していなかったことについて確認したので自分用メモとして書こうと思います。ネタバレに該当する部分もあるかも知れませんのでご注意下さい。
峠鬼では、作中に「東宮」という人物が登場します。小角の友人であって、岡本宮に居住していることが示されています。

東宮というのは皇太子の御所のこと、同時に皇太子自身のことも示す呼び方ですので、この人物は皇太子の一人であることが示唆されています。ちなみに歴史上の小角の生年・没年は「続日本紀」から読み取れる634年〜701年ですので、飛鳥時代の皇太子の内の誰かである筈です。
この他この人物について分かることとしては、
・出家しており、まだ還俗していない
・「近江の新都」という言葉がある
・東宮の台詞に「兄上と共に近江へ行ったものもいる」という台詞がある
・作中の時間軸で言うと未来の小角の台詞に「東宮が近江へ攻めあがる際に」という台詞がある
というようなものがあります。
で、飛鳥時代の「近江の新都」というと当然近江大津宮だと考えられます。手近な資料ということでWikipediaを引きましょう。
近江大津宮は、天智天皇が飛鳥宮から遷都した新しい都ですので、作中時代は天智天皇の治世であること、「新都」という言葉から遷都後それ程時間が経っていないことが強く示唆されます。ちなみに近江大津宮に遷都されたのは667年3月19日です。ただし、天智天皇は斉明天皇の崩御(661年)後しばらく即位しておらず、即位したのは668年です。
で、「東宮が近江へ攻めあがる」という言葉から、この後東宮が叛乱を起こすことが示唆されます。当然のこと、この時間軸で条件を満たす乱は一つしかありません。壬申の乱です。
壬申の乱は日本史上でも珍しい「反乱側が完勝してしまった戦い」なんですが、今でも様々不明な点がある乱であって、色々と面白いので是非書籍を読んでみて頂きたいのですが。個人的には倉本一宏氏の「壬申の乱」なんてお勧めです。解釈に際して賛否はあるものの、非常に細かく資料に当たられ、現地の観察に基づく記述も充実した名著です。
皆さんご存知の通り、壬申の乱は天智天皇の死後、皇弟であった大海人皇子が起こした乱であって、時系列で言うとこんな感じになります。尚、記載年代は太陽暦です。
671年11月:天智天皇が、自身の皇子である大友皇子を太政大臣とする。同時期、大海人皇子が大友皇子を皇太子に推挙し、出家する
672年1月:天智天皇崩御。大友皇子が天皇の後を継いで統治を始める(即位したかどうかは不明。弘文天皇は諡号)
672年7月:大海人皇子が挙兵
672年8月:大海人皇子が大勝し、大友皇子が自決
673年2月:大海人皇子、天武天皇として即位
ざっくりこんな流れです。大海人皇子は668年、天智天皇の即位時に東宮になっているので、「峠鬼」作中の描写とも矛盾しません。
ここから、「峠鬼」の東宮は歴史上の人物で言うと大海人皇子であり、イコール後の天武天皇であるということが分かるわけです。これが分かった上で峠鬼読むとまた色々、東宮の描写が面白い。「私もああした風習は古いと見ます」とか、天武天皇の治世とか考えると「あーーっ」てなります。
ちなみに、

ここでいう「さらら」というのは、大海人皇子の妻でありかつ「うののさらら」という諱をもつ人物、つまり後の持統天皇であろうと推測出来ます。ひょこっとこんな名前が出てくるの超面白いですよね。
で、作中年代も、恐らく大海人皇子が出家した671年頃であろう、と推測は出来るのですが、これについては分からなかったこと、というかちゃんと確認出来ていない点がありまして、
・大海人皇子は出家後吉野離宮にいた筈
・ただ、小角は東宮に会った宮廷のことを「岡本宮」と呼んでいる
・これはおそらく後飛鳥岡本宮のことではないかと思われるのだが、吉野からは随分離れている
・また、大海人皇子が出家してから挙兵するまでの間には本来半年くらいしかタイムラグがないので、作中の描写にはちょっと短すぎる気もする
というくらいです。まあ、東宮が後飛鳥岡本宮に出向いていたとも考えられる(これは小角が「何故ここに!?」と驚いていることとも符合する)のでそんなに不思議ではないですが。額田王ゆかりの地でもありますしね。
時期的な話については、671年以前に大海人皇子が出家していたという解釈なのかも知れない。小角が「おぬし出家中の身では」と言っているということは、それなりに長い期間出家してそうですしね。
なので、この時期恐らく小角は30台中頃であろう、ということも推測できるわけです。しかしあれですね、当時次期天皇となる可能性もかなり高かったであろう大海人皇子と、令名があったとはいえ一介の道士である小角がタメ口で話せるというのも、作品上背景を色々妄想しちゃう要素ですね。
まあ、これらのことから考えると、作中世界において妙が皇后になるという未来もあり得たのかなーと思うと大変面白いですし、読者にこういう考察をさせたくなる峠鬼マジ面白いなーと改めて思うわけです。皆読んでください。
あと、上でも書きましたが壬申の乱については謎が多く、乱の原因についても皇位継承を争う戦だーという説もあれば持統天皇が首謀者だーという説、額田王(元々大海人皇子の妻であるが、天武天皇との間で三角関係があったという説がある)をめぐる確執だーとかいう説もあって色々面白いです。興味ある方は調べてみて頂けると。
更に余談なんですが、小角が言っている「道昭様」というのは、古代日本仏教史では極めて重要な僧である道昭さんですね。法相宗を日本に広めた方で、かの玄奘三蔵に師事した、というエピソードが著名です。
今日書きたいことはそれくらいです。