「教訓を得るべき案件」と「教訓を得るべきではない案件」があると思うんですよ。
いやだってこれ、「危険なので注意するつもりで」とかいうのただの都合のいい理由付けでしょう。
記事中でも「複数の女性」って書いてありますが、要は相手選んでるわけですよ、これ。断言しますが、自分より強そうな男性になんて絶対体当たりしてない。多分、女性でも、大柄で見た目強そうな女性には体当たりしてないんじゃないですか。
本当に「危険だから」という理由だったら、相手を選ぶのはおかしい訳で、オラついてる男子高校生の集団にだって、ガチムチマッチョの男性にだって体当たりしてないとおかしい訳ですよ。けど、自分より弱そうな女性しか選んでないってことは、要は「弱そうな相手に体当たりをして気持ち良くなること」が目的であって、歩きスマホがどうとかなんて自分の中での体のいい正当化な訳ですよね。
うっかりすると、「こうしてれば歩きスマホをしているヤツが減るだろう」的に、単なる弱い者いじめを自分の中で正当化しちゃってるかも知れない訳です。自分がしていることが「警鐘」だと思っている。いじめをする側が、「いじめ」ではなく「迷惑なヤツをこらしめている」とか「目立たないヤツをいじってやっている」みたいな体のいい理由付けをしているのと同じです。
つまり、ここから「だから歩きスマホはしない方がいいよね」的な教訓を得てしまうことは、イコール「盗人にも三分の理」をわざわざ与えてしまっていることになる。こんなん、「弱いものを狙って暴力を振るうとか最低だよね」だけで十分だし、それだけで完結するべきなんです。
歩きスマホが良くないこと、するべきではないなんてこと当たり前ですよ?けど、少なくともその「教訓」を、こういう事件から得るべきではない。こういう事件に、「社会への警鐘」的な性質を与えてはいけない、と私は思うんです。
これだけの話ではなく、「被害者側にも責任が」みたいな言説って多くの場合そういう「得るべきではない教訓」になっちゃってるんで、私あんまりそういう言説に共感出来た試しがないんですが。うっかり勘違いしてこういう事件を起こしちゃう人って、結構な頻度で自分の中での変な正当化をしちゃっている訳で、そういう「餌」を与えるべきじゃないよなあと私は思います。
一旦それくらいです。