2019年10月21日

「何度も同じ質問をするな」という人たちの謎の自信について

Books&Appsさんに寄稿したこの記事の補足というか、追加で思ったことについて書きます。


これ、基本的には「質問する側の心理的安全性」に帰結する話でして、質問自体のハードルを可能な限り下げないと質問なんて出なくて当然だよっていうことだと思っているんですけれど。

世の中には、何故か逆に「質問する側のハードルを無暗に上げようとする人たち」が結構な数いるよなーということを、この話題に頂いた反応から思い出したんです。

これ、例えば「同じことを何度も聞くな」とか、「聞いたことはちゃんと一度で理解しろ」という人、実際全然珍しくない数いるんですよね。私も言われたことありますし、横で聞いたこともあります。横から「そういう言い方やめた方がいいと思いますよ」と指摘して喧嘩になったこともあります。

これ、そういう言い方をする人の話を実際に聞いてみると、ほぼ「きちんと真剣に聴いていたら一度で理解出来る筈」「だから、何度も同じことを聞くということは、真剣に聞いていないということ」っていう思考だったんですよ。統計とった訳じゃないんで断言はできないですが、多分割と典型的な考え方なんだろうと思います。

私、これについては、二点明確に「違う」と思うところがありまして。


・仮に相手が真剣に聞いていたとして、自分が理解するに十分な説明を出来ている、という保証は一体どこにあるのか。
・理解力は人それぞれなのに、「何度も聞くな」というプレッシャーをかけることで理解力が上がる要素が一体どこにあるのか。


この二つが、私にはどうも分からないんですよ。

まず一点、「何度も同じことを聞くということは、真剣に聞いていないということ」という思考が、既にどうにも理解出来なくて。それ、「自分は一回真剣に聞けば理解出来る、必要十分な説明を出来ている」という自信はいったいどこから来るのかなあ、と。

私なんか粗忽な性格ですから、何を説明するにも絶対一つ二つは見逃しているトピックがあるだろうなーって思ってますし、だからむしろ一回説明しただけで「分かりました」とか言われると不安になるんですよ。「いや俺本当にちゃんと説明出来たっけ?」という。だから、「一度説明しただけで十分って俺絶対思わないんで、「前もいったやん」とか絶対言わないんで、何度も同じこと聞いてね」って口酸っぱく言ってるんですが。

「真剣に聞いて一度で理解しろ」っていうのは、裏返せば「真剣に聞けば一度で十分理解出来る説明を俺はしているぞ」ってことですよね。それ、相手の知識状況やら理解力やら、必要な情報やら環境やら、全部を計算に入れた説明が出来ているってことじゃないですか。マジすごい。

だから、「自分の説明を聞いた上で何度も同じような質問をするのは許さん」という時点で、まずものすげえ自信だな、というのが一つ。


そしてもう一つ、たとえ1から10まで説明出来ていたとしても、それを理解出来るかどうかは当然聞き手の理解力やら前提知識によって変わってくるわけで、それをただ「真剣に聞く」だけで解決できるという根拠はいったいどこにあるのかな、と。根性論で理解力が上がるなら幾らでも根性論採用するんですけど、大抵の人はプレッシャーかかると逆に理解力が下がるような気がするんですよね。

いや、確かに、説明していて「今この子真剣に聞いてないな」と分かるときとかはありますよ?ただ、そういう時に言うべきことは「今ちょっと気が散ってるみたいだから、ちゃんと集中して聞いてね」という一言であって、「同じことを二度聞くな」というハードル上げではない。どう教えてもどうにもならなかったら人事に相談するべきであって、結局ハードルを上げることにメリットなんて何もないような気がするんですよ。

そこで、わざわざ心理的ハードルを上げて、質問が出にくくなるようなデメリットを自分でしょっちゃう理由って一体なんなのかな、というのがもう一つ。

何よりまずい点として、この「一度で理解しろ」的教育を受けてきた人って、更に自分もその教育を再生産しちゃうような気がするんですよね。実際、「オレも若い頃はそう教育されてきた」っていうスタンスの人って、想像以上に多いような気がしているんですよ。結果、質問をすること自体ハードルの高い、プレッシャー型新人教育が蔓延してしまう。これもまあ一種の生存バイアスだと思いますけど。

理解力の低い人をバンバン切り捨てても後から後から新人がくるような状況ならまだいいかも知れないですけど、もうそういう時代でもないじゃないですか、今。正直なところ、余程ハードルを下げていても、自分の仕事が進まなくなる程質問が来ることなんてないんだから、めいっぱいハードル下げてなんぼだと思うんですよ、私。

だから私は、例えば新人を教える立場になった時は、まず「最初は何も分からなくて当然」「まず「何が分からないか」を明確にしていくことが目標」「「さっきも言ったけど」とか絶対言わないから同じことを何度でも聞け」って口酸っぱく言うところから始めています。なんなら、「説明が理解出来ない時は説明してる側が悪いと思え」とまで言います。それは、多分その新人が育ってからも、そういう考え方で下と接した方がきっと教育成功率が高くなるだろう、と思うから。

そんな感じで、それなりの人数の新人がある程度働けるようになってきている、とは思うんですが。とはいえやっぱりまだまだ粗忽で説明不足な点は全く治っていないんで、今後も精進していこうと思う次第なわけです。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 13:21 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
あいつは仕事ができない、やり方が間違ってると馬鹿にするわりに
本人にその情報を渡さないせいで一向に改善されない現象もありますねー

人事査定で低評価ついてるけどその評価が非公開だから本人が気付けない
気付けないから改善されなくて給料も業績も上がらないという結果的に誰も得してないやつ
Posted by at 2019年10月21日 19:37
こういうのでいいんだよ
Posted by しんざき信者兼ソムリエ at 2019年10月24日 20:49
こういう人ってたぶんこういう理屈以前の問題で
教える立場にいるけど相手に理解させるつもりないんじゃないかと。
相手が理解するとこまでが課せられた役割だという認識がないとどうにもなりません。
Posted by at 2019年10月31日 09:54
自己中で自分がルールブック。
相手を見下していて、何処からともなく湧いてくる自信は全く理解出来ない。
基本的に沸点は低いが、怒りやすい人程知能は低いという統計が......
Posted by のど飴ガリガリ君 at 2019年11月05日 23:29
そこまで複雑な話でなくて、
単に、教える側の理解と準備が不足しているだけであることがほとんどに見えます。

物事を教えるということは、それから特殊性を省いて、
体系化・一般化・抽象化された概念に基づいて行う必要があるけど、
大多数の人は、その段階までいってない。
要するに、情報や経験が、知識や知恵になっていない。

学校の先生の授業準備とか、あるいは会議でのプレゼン準備とか、
そこまでする必要は無いけど、教えるにあたって、
・達成目標
・評価項目
・その基準や方法
その辺を明確にしておくだけでも、効果が全く違う。主に自分の理解を深めるという点で。

単にOJT的なものだったら、その工程が完了したかどうかを
各々が自分で確認できるチェックシートを作るだけでもいい。

実際は、大多数の人は、チェックシートの項目さえ満足に網羅出来ないことが多い。
……ということも、往々にして、自分が指導する立場になって始めて分かるのですが。

Posted by at 2019年11月08日 16:13
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