てっけんさんが書かれたこちらの記事を読みました。
私の所感をまとめるとこんな感じになります。
・「今のゲームは映像がリアルだから想像力を使わない」というのは少なくとも私に関しては嘘
・ただし、「想像で補完する内容が昔と今で違ってきている」というのは多分私に関しては本当
・あと、昔のゲームでも、想像で色々と内容を補完するゲームとそうでもないゲームがあった
・同じ「想像」するにしても、「何を補完する為の想像なのか」はやっぱりゲームによって違った
・開発者さんが用意してくれた「想像のトリガー」をつかみ取れる楽しさは今も昔も同じ
・ただし、「想像で補完する内容が昔と今で違ってきている」というのは多分私に関しては本当
・あと、昔のゲームでも、想像で色々と内容を補完するゲームとそうでもないゲームがあった
・同じ「想像」するにしても、「何を補完する為の想像なのか」はやっぱりゲームによって違った
・開発者さんが用意してくれた「想像のトリガー」をつかみ取れる楽しさは今も昔も同じ
うん、大体言いたいことは言った気がします。
以下は補足です。
〇我々はゲームにおいて何を「想像」するのか
えーとですね。まずこの話なんですけど、「ゲームによって、想像で補完するものが変わる」というものはまず一つ、割と重要な大前提だと思うんですよ。これは多分、ゲームのスペックとかグラフィックによってという話ではなく、「開発者さんが用意してくれたものが何か」ということによって変わってくると思うんです。
てっけんさんもおっしゃってますけど、例えばスーパーマリオで「実際のマリオが走ってたら」とかいう、いわば「現実にゲームを写像する」的な想像って、少なくとも私はしなかったんですよね。ドット絵のマリオはそのまんま、ドット絵として受け取っていた。これもてっけんさんがおっしゃる通り。
じゃあ私はマリオを遊ぶ時に何も想像していなかったかというとそんなことはなくって、「上手くプレイ出来た時の自分」を想像していました。ゴール地点を想像していた。で、その想像と現実が合致すると物凄い達成感を得ていた。
これは例えば、「テトリス」なんかでも同じですよね。皆さん、「リアルなテトリミノが実際に上から落ちてきたら」みたいな想像しながらテトリス遊んでました?そういう遊び方してた人ももちろんいるかも知れなくって、多分ジオキューブなんかそういう発想から生まれたゲームなんじゃないかと思うんですけど、それはそうと私はそんな想像してなかった。何も考えないでプレイしてたか、あるいは「こんな風に組めればすげー気持ちいいな」みたいなこと想像しながらプレイしてました。
一方、例えばWizardryとかあるじゃないですか。あのゲームなんかは、それこそ「どれだけ想像しても想像し足りない」っていうゲームでしたよね。ただのステータスと文字の塊だった自分のキャラクターが、実際にはどんな姿をしていて、どんな会話をしていてどんな生活をしているのか。それこそ想像しまくった。そして、その「想像する」という行為自体がものすごくエキサイティングだった。
あれは典型的な、「僅かなドット絵から無限のグラフィックを想像出来る」ゲームだったと思います。多分なんですけど、「今のグラフィックはリアル過ぎて想像力がうんぬんかんぬん」とか言ってる人って、Wizardryみたいなゲームのことを念頭に置いてると思うんですよ。
この違いってどこから来るのかというと、多分「そのゲームに元々用意してあるものは何か」ということと、「それはプレイヤーにとってどんなトリガーになるか」ということ。ゲームを遊ぶ時の「想像」って、結局この二点に集約して、そこには古い新しいってあんまり関係ないような気がするんですよ。
じゃあ、実際に我々は、ゲームを遊ぶ時にどんな「想像」をするのか?ちょっと、私自身の経験で考えてみました。
〇想像のトリガーとはどんなものか
我々がRPGを遊んでいたとしましょう。
例えばドラクエ3で、アッサラームからバハラタにいくとします。この時、ノルドにポルトガの王様からの手紙を渡すと、「おうさまの頼みなら仕方ない」みたいなこと言うじゃないですか。
私、この時ものすっごい色々想像したんですよ。アッサラームとポルトガって結構離れてますよね?しかも間にロマリアがあるし、更にロマリアとポルトガの間には魔法の鍵で閉ざされた関門まである。なのになんで、ノルドはポルトガの王様と知り合いなんだろう?
こういうの、つまり「ゲーム内で語り切られていない物語」。あるいは、「ゲーム内で起きていることの、更にその裏に広がっているかもしれない展開」。これと、実際に語られている内容のギャップ。
これって、少なくとも私にとっては、非常に明確な「想像のトリガー」なんですよね。こういう、語り切られていない物語をあれこれ想像するの大好き。まだたどり着いていない展開についてあれこれ想像するのも大好き。こういうのがあるからこそ、「モンスター物語」とか「アイテム物語」みたいな本読むのがすっげえ楽しいと思うんですよね。
で、てっけんさんもいみじくも言われていますが、こういう「まだ見ぬ物語、語られていない物語を想像する」っていう遊びの楽しさは、今も昔も全然変わらないと思うんですよね。十三機兵だってめっちゃ色々想像しましたよ途中で。シナリオ補完、展開補完とでもいうんですかね?
私自身にとっては、「裏にほの見える物語と、実際に語られている物語のギャップ」を埋める遊びを楽しむ機会は、むしろ時代を下るごとに増えている気がします。物語の質量もあがっているし、シナリオもすげー分厚いゲーム多いし、その分裏で色々妄想する機会も増えた。「物語についてあれこれ想像するトリガー」があちこちにあるゲームが凄く多いわけです。まあこれは個人差あるかもですが。
一方、「ドット絵からグラフィックを想像する」っていう遊びについても、多分「そのゲームに用意されているものは何か」ってことによって変わってくる。Wizardryなんか、「グラフィックはチープだけど、実際に描かれているのは等身大の冒険」という、いわばグラフィックとその裏で動作しているものに対して大きなギャップがあったわけです。だから、そのギャップを埋める為の「想像」が成立した。もちろんグラフィックだけじゃなくて、上に書いたような物語上の補完をする想像も色々しましたけどね。
テトリスやらスーパーマリオやらは、この側面ではある意味「完結」しているんですよ。画面に映ったものがそのまま動いて、ちゃんとその場で活動してくれている。だからその間にはあまりギャップがない。結果、そのギャップを想像で埋める必要が生じない。いやもちろん、必要が生じないだけで想像出来ないわけじゃないんですけどね。
こういう、「グラフィック的な意味でのギャップ」を感じるタイトルが時代を下るごとに減っていった、っていうのは確かにあるかも知れません。FF7見ればわかりますよね。PSの頃のFF7は、あれでも「もっとリアルなグラフィックだったらクラウドは、ティファは、エアリスはどんな顔してるんだろう」とかまあ考えましたけど、FF7Rなんて全くその必要ないですからね。
更にもう一点、さっきスーパーマリオの話で書きましたが、「上手くいったときの自分を想像」というのも、私にとっては一つの重要な楽しみでした。特にSTGではその側面が顕著でして、ダラ外のスコアアタックで、全部つながった時の展開を勝手に想像して勝手に気持ち良くなったりしてました。
これは、「実際のプレイと理想のプレイのギャップを埋める遊び」とでもいいましょうか。この楽しさについては、今も昔も全く変わらないんですよね。
〇「何を補完するのか」によって想像の種類は変わってくる
つまり、少なくとも私にとっては、「ゲームをする上での想像」というものは大きく次の三種類があった。
1.実際に語られているゲーム展開と、その裏の物語の「ギャップ」を埋める想像
2.実際に見えるグラフィックと、そのリアルな姿の「ギャップ」を埋める想像
3.実際にプレイしている時のプレイ感と、理想のプレイの「ギャップ」を埋める想像
2.実際に見えるグラフィックと、そのリアルな姿の「ギャップ」を埋める想像
3.実際にプレイしている時のプレイ感と、理想のプレイの「ギャップ」を埋める想像
で、同じく少なくとも私にとっては、
1の「展開ギャップ」について補完する為の想像は、機会が減るどころかむしろ増えている気がする
2の「グラフィックギャップ」について補完する為の想像は、確かに機会が減っている
3の「プレイ感ギャップ」について補完する為の想像はあまり変わっていない
2の「グラフィックギャップ」について補完する為の想像は、確かに機会が減っている
3の「プレイ感ギャップ」について補完する為の想像はあまり変わっていない
ということが言えるわけです。
これはもちろん私にとっての話であって、多分感じ方は人によって違います。人によっては、理想のプレイを想像するなんてやったことねえよ、って人もいるかも知れませんし、お前なんでこういう想像しないの?みたいな話もあるかも知れません。ただ、
「ゲームによって、何を「想像」するかは全く違う」
「そしてそれは、今が昔がという話ではなく、開発者さんが何を用意したかによって変わってくるもの」
ということについては、多分言ってしまっていいんじゃないかなあ、と思っているんです。
開発者さんが用意したものを楽しんで、そして時にはそれをトリガーにして、更にそれと別の何かのギャップを埋める為の想像をする。それって、ゲームを遊ぶ上での割とコアな楽しさですよね。ギャップのありようには多少変遷があったかも知れないですが、そういう楽しさ自体については、今も昔も何ら変わっていないんじゃないかなあと。
私はそんな風に考えるわけなんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
初代のゼルダが大好きだったけど1と2の想像の余地が大きかったなと思う。アクオメンタスとかデグドガとか説明書に書かれているイラストをイメージしてワクワクして戦ってた、と今にしてみれば思う。迷宮の音楽とか、隣室に聞こえるボスの鳴き声とかの演出も、イメージを掻き立てるのがうまかったのだろう。
そういう意味では昔攻略本が人気だったのも、実機で表現できないキャラクターやアイテムや世界をもう少しリアルなイラストで見られるから、ってのもあったのかも。
ああいうのには、おまえは映画見てたらバカになるのかバーカと言ってあげてました