「事実主義」こそ、ジャーナリズムの敵だ
ほー。
発見場所はガ島通信さんのエントリー。で、元記事はこれか。
Winnyへの考え方に関しては、まあ人それぞれというものだ。別に文句をつける気はない。
ただ、
ブログジャーナリスト諸君はタイトルの「Winnyは最高のジャーナリズムである」に含まれたアイロニーをちゃんと読み取ってほしかった。それが分からないようでは「褒め殺し」されているのに気づかず喜ぶ輩と同じになってしまうぞ(笑)。これを書いてしまう時点でもう書き手としてはダメだな、とは思う。ブログジャーナリストって誰のことなのかは知らないが。
仮にも金をとって記事を書いている人間が、仮にもジャーナリストを名乗る人間が、自分の意図通りに伝わらなかったことを読み手の読解力のせいにしてどうするのか。後釣り宣言もここに極まる、だ。
建て前がどうあれ、ジャーナリズムが完全中立だと思っている人はもう多数派ではないだろう。「こう読ませたい」という意図が介在することはある程度当然だし、仕方ないことであるとも思う。「自分の意図通りに読ませること」は、それ自体が書き手の重要な仕事の一つなのだ。「この記事には建て前とは別にこう読ませたいという意図があるんだよ」というのも、まあそれはそれで一つの手法だろう。
もっとも、ジャーナリズムが中立である、という建て前は堅固な盾であり、それ自体を尊重するべきでもある。間違っても書き手自身がそれをかなぐり捨ててはいけない。
つまりこの筆者は二重の錯誤をしている。一つは、自分のエントリーを「額面通りではない釣り記事でした」と自ら後付発表してしまったこと。もう一つは、読者に意図通りの読ませ方をさせられなかった時点で文章の敗北であるのに、それを自覚もせずに読者の責任と称していること。プロの事後処理としては最悪の部類なのではないか。
筆者が実際にアイロニーのつもりで書いたかどうかは知ったことではないが、本来釣りは釣りとして放置するべきなのだ。それが伝わらなかった、つまりは書き手としての仕事に失敗したということを声高に宣言して「建て前を踏みにじった」上で、しかもそれを「読み手が気付かなかっただけ」とはよく言ったものだ。それこそまさに負け犬の遠吠えではないか。
奇しくも標題記事は「ジャーナリズムの敵」というお題になっているが、私の認識する限り、2ちゃんねるで「釣られてやんのープゲラ」と後釣り宣言をするのと同様のメンタリティでジャーナリズムを標榜する様な人こそ、「ジャーナリズムの敵」と言うべきなのではないかと思う。
関係ないけど、エントリーに「釣られてみた」と書くのは「先釣られ宣言」とでも名付けるべきなんだろうか。これはこれであんまりかっこいいものじゃないと思うけど。
(追記 07/07/18 22:19)-----------------------------------------
真ん中付近の段落に一部加筆。
ワタシが似たような感情を抱く言葉に「シャレだよシャレ。ギャグの判らないヤツだな」ってのがありますなあ。これを言った時点でその人の敗北宣言だと受け取っております。シャレの判らぬ人の前でそういう発言をチョイスをしてしまった自分の判断ミスをこそ嗤うべきでしょうねェ、と。
まあ、何事も中途半端はよくないよね、と。釣るなら釣り切れよ、と。
釣りに失敗したならばっくれれた方がまだいいと思うんですけどねえ。