余りにやるせないので、頭が固いレトロゲーオタとして空気も文脈も読まずに書きたいことだけ書く。
たった1年で一変したゲーム産業、E3は規模縮小
「非ゲームへのアプローチ」だから、何でそういう文脈になるんディスカー。この、美しいCG映像がなければゲームにあらず、と言わんばかりのアプローチ。なにそれ意味わかんね。ドルアーガやゼビウスがゲームじゃないとでも言うつもりか。いや、そういう文脈じゃないってことは一応分かってるけどやるせないから一切斟酌しないよ?
これが今年のキーワードだったと言えるだろう。 映画のように美しいCG映像で描かれた異世界を冒険する――いわゆる誰もが思いつく、どっぷりとゲーマーたちがハマるコンピュータ・ゲームがなくなってしまったわけではない。だが、確実にその数は減っている。みんなでワイワイと楽しむパーティゲームやゲーム機を使った実用的なソフトが増えてきている。
取り敢えずお前、ファミコンとマスターシステムとタイトーメモリーズしか存在しない島に三年間流刑な。まあオレは3年どころか5年でも平気だけど。
というかこれ、もしかするとSCEの提灯記事なのか?
「ドラクエ」「FF」シリーズ、回想シーン多用の脚本は改善の余地あり? RGN#4レポート
まあこちらは、上みたいな文脈オンリーの文章って訳じゃないが。
川邊氏は「ドラクエ」「FF」シリーズで回想シーンが多用される傾向にあるのに対して、「映画では、下手な演出家ほど回想シーンを多用したがる」とコメント。映画とゲームではプレイ時間などが異なるので、一概には言えないが、ゲームの構成にも改善の余地が見られるのではないかと述べた。何故そこで、「ゲームが映画の真似をしようとするのは根本的におかしい」という結論に辿り着かないのだろう。どことは言わないが、一応RPG最大手のメーカーが看板シリーズの制作始めて、出来たのがあの厨設定だぞ?結果として神シナリオや神展開が出来あがることはあっても、そもそも「遊び」を映画やアニメと同じ土俵に乗せようとする方がおかしいと何故思わない。
そもそも、何故たかがゲームタイトルの脚本云々が真剣に論じられなくてはいかんのだ。ゲームだよ?遊戯だよ?遊びだよ?一体シナリオが存在する必要がどこにあるのだ。あんたは缶蹴りで遊ぶ前にシナリオを作成するのか?
取り敢えず地下10階でグレーターデーモン狩ってこい。ノルマ200匹な。
と、書きたいことだけ書いてちょっとやるせなさが薄れたので関連エントリーでも貼っておく。
「映画を目指した」ゲームの災厄
(追記 07/07/24 12:22)------------------------------------------
コメント欄でもちらっと書いたが、補足。
ゲームが「映画的な」物語を作ろうとした際、二つ程致命的な障害がある。
・ゲーム性(遊ばせる部分)と物語性を両立させる、ということ自体が既にある程度難しい。
・上記に加え、ゲームを開発しつつ、映画的・映画とタメをはるシナリオを作れる人材が乏しい。というか、いない。
上リンク先の論者は、映画と同じ土俵で比較される、ということのリスクがわかっていないとしか思えん。映画論が一体何十年前から存在していると思っているのだ。
私自身は、ストーリー性というのは飽くまでツール、あるいは「おまけ」程度の存在として扱うべきであって、間違っても「映画的大作」を大々的に目指す様なことはしない方がいいんじゃねえかな、とか思う訳だが。
純粋なプレイ感覚を追及したゲームは言うとおり、缶蹴りやあるいはスポーツのようなものだ。すなわち操作すること自体が楽しい。それはゲームとして確かに十分である。しかし、RPGを操作していて楽しいという人は少ない。その楽しさは未知の世界を冒険するという、ある意味世界に入り込むと定義されるゲームと同系列に位置すると思う。
この場合、ハイドライドの様に平原に投げ出されるよりは、王様に竜退治を命じられるほうが、ゲームにおいて目的=すべきことを見つけやすいのは想像に難くない。ならば、この系列が物語を重視する方向に向かっていったのは自然なことだろう。SMGRPGなどもこの流れに沿うもので、明確なストーリーのない大戦略やFWより、悪の帝国と戦うFEやオウガバトルが支持を受けていった。
そして物語をゲームに与えれば、プレーヤーがシナリオに感動することもありえる話である。この時点でゲームによる感動が達成から物語に転換し、物語による感動を求める流れが発生する。あとは表現能力の向上に伴い映像表現が追求され、ストーリー性の高いゲームが映画のような表現を行うようになった。これが現在の状態だと思う。
前者のレビューはこの点で明らかに失当である。指摘されるように、ゲームは美しい映像を持つ必要はない。もう一つ指摘すれば、ゲームの目的の多様化は既にファミコン時代にもあった。結局流行らなかったが。DSの多機能化はただ単にハードルの低い汎用端末化しているだけである。
後者のレビューについては悩ましい。映画を目指すというベクトルが確かに存在し、それを求める人もいるのだから、映画と比較すること自体が直ちに失当であるとは思わない。確かに映画と同じことがゲームに出来るかどうかは分からないが、現在表現を目指したゲームが袋小路に陥っていることを考えると、検討すべき価値はあるかもしれないとは思う。
丁度補足したいと思ってたのでコメント感謝。
>そして物語をゲームに与えれば、プレーヤーがシナリオに感動することもありえる話である。この時点でゲームによる感動が達成から物語に転換し、物語による感動を求める流れが発生する。
これに関しては、まあツールとしての物語の有用性、ということだから異論はないんですが。
>表現能力の向上に伴い映像表現が追求され、ストーリー性の高いゲームが映画のような表現を行うようになった。これが現在の状態だと思う。
ゲームが映画に近づけた部分があるとすれば、それこそ「表面だけ」だと思うのだな。CG技術とハード性能の発展で、見かけ上は映画とそれ程遜色ない表現が出来る様になった。だけど、
・ゲーム性をまがりなりにも維持しないといけないという制約(ゲーム性と物語性の反比例)
・ゲームという土俵と開発環境で、映画と同等の物語を作れる人材が皆無
この二つがある限り、ゲーム業界が好んで「映画みたいなゲーム」をアピールするのは自殺行為ではないかと思うのですよ。自分から絶望的なアウェーに突っ込んでどうすんだよ、と。
個人的には映画なんてものとは全く関係ない方向でつきつめる方が遥かに賢明だとは思うんだけど、映画的物語を希求するなら希求するで、「映画と比較されたら負け」ということは計算に入れた上でやらなくちゃいけない。映画やアニメと同じ土俵でゲームを評価させるようなことは、間違ってもしちゃいかんだろ、というのが私の意見な訳です。
GB版ゼルダに対する某クリエイター氏の名言〜
初代GBのグラフィックはすげー職人技だったねえ。
白黒でもあそこまで色んな表現が出来るってのは凄かったな。
痛いニュース(ノ∀`):PS3の新感覚ゲーム「Little Big Planet」 米ニンテンドーのトップが賞賛
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1008262.html
個人的に「Little Big Planet」は面白そうです。
ただ、痛いニュースの編集は、すぐ飽きるとか、ゴールを作れとか、他力本願な感想が見られます。与えられないと何もできないみたいな。だから、ゲームにストーリーが必要なのかも。
これこそ、ゲーム=遊びだと思うのですが、いかがでしょう?
私もちょっと前にチェックしてみましたが、これはすごいですね。「おもちゃ的感覚」って遊びの重要な要素だと思うんですが、それがくるところまで来たか、っていう印象です。
個人的には、任天堂にやって欲しかった気もしますけどね。
しかし「物語を遊ぶ」ことに関しては最強なのではないかと、ガンパレードマーチやジルオール、そしてオブリビオンなんかをやると思いますね。
いくらなんでもそこまで否定するのもいかがなものかと。ゲームにおける物語の扱いように関しては、まだいくらでも可能性はある(それはもちろん映画とかとは違った方向で)と感じます。まだそれを感じさせてくれる作品は少ないですけどね。
あとは単純に感情移入しやすさの問題ですかな。
あとはメタルギアソリッドシリーズなんかが
>・ゲーム性をまがりなりにも維持しないといけないという制約(ゲーム性と物語性の反比例)
>・ゲームという土俵と開発環境で、映画と同等の物語を作れる人材が皆無
この両方を既に実現していると思うんですが、どうでしょう。
というか、前から疑問だったのですがしんざきさんは最近の「その手の」ゲームをどのくらい触っていらっしゃるんでしょうか。
ちと気になったので、横から失礼します。
正直、danさんの主張がしんざきさんの主張と相容れないものであるようには思われないのですが、いかがでしょう?
danさんの「ゲーム内の物語は映画とは違った方向で可能性がある」という主張は、しんざきさんの「映画・アニメと映像面&シナリオ面で真っ向勝負するのは無謀(ていうか同じ土俵に立たすな)」という主張にむしろ沿ったもの、と見えるのですが。
>しかし「物語を遊ぶ」ことに関しては最強なのではないかと、ガンパレードマーチやジルオール、そしてオブリビオンなんかをやると思いますね。
>いくらなんでもそこまで否定するのもいかがなものかと。
え、同感ですが。遊びの部分って私否定しました?
リンク先の方も読んで頂けると。
>ゲームにおける物語の扱いように関しては、まだいくらでも可能性はある(それはもちろん映画とかとは違った方向で)
可能性は大いにあると思いますが、それをまるで「映画と同軸」という様な誤解を招いていることに関しては、現在のゲーム開発の方向性、あとは引用文の様な文脈に罪があると思います。
>しんざきさんは最近の「その手の」ゲームをどのくらい触っていらっしゃるんでしょうか。
えーと、「その手の」が示す意味が具体的に分からないんですが、挙げて頂いたタイトルだと、メタルギアソリッド、ガンパレードマーチ、あとジルオール(リメイク版はやってないけど)は遊んでます。ガンパレは結構やりこみました。
ガンパレは、「シナリオがないストーリー性」という意味で、私もすごいゲームだと思ってます。その後の展開がちょっと疑問符でしたけど。
そして、メタルギアのストーリーは確かに演出ツールとして優秀でしたが、あれが「映画と同等」あるいは「映画的」というのはちょっと違うと思います。あれこそ、「観る」部分ではなく、「遊ぶ」部分ではなかったかと。
>NOBIEさん
補足どもです。
だいぶ前に書いた文章ですが、なかなかいい事言ってるな、と我ながら思います。と同時に、ゲームでしか表現できない物語というものがある筈だと思い、ゲームを作ってます。
また、物語というより、世界やキャラクタを表現するためのメディアとしてのゲームは、他の小説・漫画・映画・諸々を越えるポテンシャルを持っていると思います。
「ゲームのためにストーリーがある」というお言葉に同感です。ストーリーを主軸にゲームを作る、って本末転倒だと思うんですよね。
物語を表現する為のゲーム、という意味では、サウンドノベルくらいに吹っ切っちゃったヤツがある意味一番潔いんじゃないかな、とか思います。