2007年07月29日

ある赤ん坊が産まれるに至るまでの淡々とした記録。

先日書いたが、子供が生まれた。


一生にそう何度も無いことだ。思ったことを何かの形で書き記しておきたいと思った。といっても、思った内容全てを書き切ることなど、私の脳みその表現力では到底期待出来ない。せめて淡々と、出来事の表面だけでも書き残しておこう。
以下の文章は、初めて妊娠と出産という場面を目の前で目撃した件に関するちょっとした記録、ただの私的な記録である。これをブログに書いておくというのは単なる私のわがままであり、別段面白い話でもないだろうことは先に言い訳しておく。


奥様が妊娠して、大きくなっていくお腹を撫でて、かなり早い段階から「助産院で産みたい」という彼女の言葉を聞いた。助産院の説明会にもついていった。それなりのリスクもありそうだとは思ったが、普段はあまり「やりたいこと」を自分から言い出さないうちの奥様が、珍しくはっきりと明示した意思であれば、特段文句はないと思った。この世になんとかならないリスクは存在しない、というのは私の持論でもある。

助産院は、本当に普通の民家みたいな建物だった。1Fは民家の客間といった雰囲気の部屋が幾つか並んでいて、地下には水中出産用のプールやベッド、その他の設備があった。

産まれてすぐ母親と赤ん坊が一緒に生活出来る、と聞いて、そういうのもいいのかもな、と思った。というか、病院で産むとしばらくは母子が一緒に生活出来ない場合が結構ある、ということを私はこの時点で知らなかった。ちょっと驚いた。赤ん坊の側も、生まれた直後の不安な状態こそ母親と暮らしたいんじゃないかと思うんだが。


ネットで無痛分娩のページを見て、即座に「こんなの絶対イヤ」と言い切った奥様を、すげえと思った。後から理由を聞いてみると、「産んだという実感がなさそう」というのと、「生まれてくる子どもの方はどうせ無痛じゃない」という理由だったらしい。

生まれてくる際の子どもの苦痛なんか、私は全く思い至らなかった。うちの奥さんすげえ、と改めて思った。少し嬉しくなった。

私には女性の痛みは勿論分からない。それでも、仮に自分が女性だったとしたら、痛みがない道と痛みがある道を等価で提示されて、痛みがない方を選ばないという自信はない。別に無痛分娩が悪いことだとは私は思わないんだが、自分が信じるやり方の為に平然と痛みを許容出来るというのは、やはり凄いことだと思う。


陣痛が起きた朝は速攻で会社を休んで、タクシーで奥様を産院に連れてって、ホントーに普通の民家の様な助産院の、普通の民家の様な六畳一間でしばらく過ごした。六畳一間には布団が敷き詰められていて、でかいクッションがところどころに置いてあった。陣痛が5、6分毎にくるらしく、奥さんは定期的にクッションにしがみついて痛みを逃がしていた。私は横にあぐらをかいて、陣痛が起きる度に腰をさすっていた。

ウィダーインゼリーとスポーツドリンクが欲しい、という言葉を受けて買出しに出たら、その間に産気づいたらしい。戻った時には、助産院の地下から苦しげないきみ声が聞こえていた。付き合い始めてこの方、初めて聞く様な大声だった。うちの奥様は、稀に喧嘩になるとむしろ黙り込む。まだ結婚していない昔、一時間ばかり電話口で無言になることがたまにあった。あの時は参った。


流石にちょっと心配になって、助産師の先生に、どんなもんですか、と聞いてみた。「ああ、だいじょぶだいじょぶ、このまま出てくるでしょ」と言われた。

気楽そうな返答と、主語が飽くまで「子供」であったことが印象的だった。彼女にとって、出産は「母親が産む」ものであるというより、子供が「産まれてくる」ものなんだろう。主体が子どもなのだ。そういうもんなのか、と思った。そして、こんな時でもいつも通り、しょーもないことを考察している自分に納得した。私は多分死ぬまで私だ。


四つんばいの奥様の横に突っ立って、子供が出てくるのをこの目で見た。血まみれだった。うちの子供は、まだ頭しか出てきていない状態で、既にぎゃんぎゃん泣き喚いていた。元気なヤツだな、と思った。

奥さんの横に突っ立っているだけの私は、二人の助産師さんと比較すると如何にも無為だったが、不思議なことにそれ程無力感は感じなかった。ただ、後になってから妙にあごが痛くなった。痛がる奥さんを見て、知らず知らずの内に歯を食い縛っていたらしい。私には出産の痛みは分からないが、それでもほんの僅か、何がしかの痛みは感じられたと思う。

這い出してきた赤ん坊の臍の緒を切って、ぎゃんぎゃん泣く赤ん坊を抱き抱えてあやした。赤ん坊の髪は割とふさふさしていたが、血がところどころこびりついていた。あのでかい腹の中にこいつが入っていたのか、ということに対して、驚く程実感が沸かなかった。ただ、うちの奥さんもすげえ頑張ったが、こいつも大変だったんだろうな、と思った。

あやしながら歌を歌った。歌うと赤ん坊は泣き止むもんなんだな、と学習した。その赤ん坊が産まれて初めて聴いた曲は、私が趣味でやっている南米の民族音楽で、タイトルを「Si me Quieren」と言う。スペイン語だから多分混乱したんだと思う。割りとすぐおとなしくなった。やがて薄目を開けたが、まだ目は合わなかった。

奥さんの方は、流石にほっとした様に脱力していたが、まだ胎盤の排出がもう一仕事残っているらしい。私と赤ん坊は待機を命じられ、私は色んな歌を歌いながらその辺を歩き回った。髪は血まみれだったが、向こう一日は体を洗ってはいけないらしい。


その後5日程、私はその助産院から会社に通った。普通の民家の、普通の六畳間で、ただ奥様と赤ん坊は「入院中」ということだけが普通の民家とは違うところだった。おむつも替えたし、沐浴もさせた。奥さんが赤ん坊に授乳するのを眺めて、赤ん坊が泣き出したら歌ってあやすのが私の日課だった。

以上が、私の息子がこの世に這い出てきた前後、一連の記録である。今、息子は奥様の実家で母乳をがぶがぶと飲み、布団に寝転がって踊ったり、自分の顔におしっこをひっかけてメダパニったりしている。


総括しておこう。


まず、私自身は、息子が生まれた瞬間に立ち会えたことに心から満足しているし、世のプレ父親は出来うる限り、出産のその場に立ち会うべきなんじゃないかとも思う。生命の誕生という場面が云々、とかそんな話ではない、もっと実際的なレベルの話だ。

あの場をみることで、私は子どもと奥さんがどれだけ頑張ったのかをその目にすることが出来たし、それになにがしか貢献することも出来た。産む方も大変だが、産まれてくる方もありゃ相当大変だ。子どもと奥さんすげー、とも思えた。

奥様にしか出来ないこともあれば、旦那にしか出来ないこともある、そういったことに対する再認識に際して、出産の場程ふさわしいものはそうないのではないかとも思う。「死に目には立ち会うべき」という文化が定着している中、何故出生の場所に立ち会うのがどちらかというと珍しいものだと考えられているのか、単純に不思議だ。

助産院、という場所に関して言えば、病院での出産を当然経験していないので比較は出来ないが、いい場所だったんじゃないかと思う。子どもが親と離れるタイミングが基本的にない、というのもいいことなんだろうと思うし、それがごく普通の民家の一室、というのも悪くない環境だったと思う。

息子に関して言えば、彼が助産院で産まれてきたことに満足しているかどうかは、当然わかりゃあしない。ただ、奥さんの実家に来てマッサージをしてくれた助産師さんは、息子がすぐ泣き止むことに関して、「一人にはされないってことが分かってるから、安心出来るんじゃないか」みたいなことを言っていたらしい。そんなもんなのか、と思った。


最後にひとつ。子供が生まれてきて一番最初に思いついただけの曲だが、Si me Quierenのタイトルの意味は、歌う時には忘れていた。日本語にすると、「私をもしも望むなら」「もしも愛するなら」になる、と思う。


posted by しんざき at 22:10 | Comment(4) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
読んでて嬉しくてなった。
お父さん、ありがとう。
子供の気持ち。
Posted by きあら at 2007年07月31日 19:43
おおー。
なかなか参考になる話ですな。
早くお子さんに会いたい。
わくわく。ジュニアー。
Posted by N at 2007年08月01日 02:20
>きあらさん、Nさん
どもです。ブログに書くことじゃないかな、とも思ったんですけど、アップしてみました。

お目見えはまたその内。
Posted by しんざき at 2007年08月01日 12:41

腰が痛いのは辛いものです。
私も14年間悩まされました。

私が考案した腰痛解消法をお試しください。

【3分腰痛解消法】で、検索すると見つかります。

腰をお大事に。
Posted by 腰痛アドバイザー at 2008年03月13日 23:08
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