2023年05月18日

ズイショさんに反応いただいたので折角なので反応を返してみます

見方の違い、捉え方の違いはあれど、大筋大きく考え方が対立してるわけじゃないんじゃないかなーと思いました(別に考え方が対立していちゃいけないわけでもないんですが)


というか元増田書いたのズイショさんだったの気付かなかった。言われて読み直してみるとズイショさんの文章だった。この辺の感覚鈍ってるなあ。


僕はそもそもそういう「正義の告発」みたいなものが純粋な正義感からの発露であることはごくごく稀でみんなケースバイケースにシームレスに自分に都合のいい時は正義を振りかざすし自分に都合の悪い時はうやむやにするのが常だと考えてるんだと思います。

子供は純粋で善なんだからルールを信じるんだし大人はそれを揶揄するのはどうなんだと言われても、俺は子供はそんなに馬鹿じゃないよ恣意的にルールを運用するしそれを善性によるものだと寛大に受け止めてやったらつけあがるだけだぜ、と思う


ここについては同感で、子どもは純粋でも善でもないし、正義の告発が純粋な正義感からの発露であることは稀である、と私も思います。いわゆる「告げ口」というものが善意や正義に基づくケースはむしろ希少なのではないか、とも思います。

ただ、私について言うと、A君の行為が正義感に根差してるのかどうかはあまり言いたいことに関係がなかったというか、

どちらかというとズイショさんが書くところの

「大人だってホウレンソウを大事にしてるでしょ、それをチクリって揶揄するのはどうなのさ」

という方がメインテーマなつもりでした。

>「自分の基準で納得できない行為について先生に報告する」というのを「告げ口」とか「チクリ」とかってラベリングするのっていじめっ子の論理じゃないの?

と私は記載したのですが、これ別に正義感とか善とかというものとは関係なく、たとえ「自分に都合がいい」ものであっても、告げ口自体は自分の中での何らかの基準に抵触した時に行われるものだろう、と私は思うんですよ。この「基準」が実際の法律や校則と合致しているかどうかとか、良識や正義に基づいているかどうかというのは、それはそれで論点ですが「報告・共有」という行為自体の正否とは直接紐づかない。

私は情報共有・連携・開示というものを重要視というか、割と無条件に肯定している方ですので、極端な話「その子が認識しているルールがてんで間違っていたとしても、それは「ルール認識が間違っている」という方向で個別に修正されるべきものであって、「大人(先生)への相談」自体が否定されるべきじゃない」と思っているんです。

ただこれは、もちろん私が単純に言葉足らずなのであって、

>仮にルール自体、あるいはルールに対する認識がおかしいのであれば、そのルールや認識の在り方について議論をするべきで、むしろ報告/共有すること自体は正しいことなんだよ、と言わないといけないじゃないですか?

という記載だけでそう取っていただくのは難しいと思います。すいません。この点、「僕は簡潔にまとめるのは取りこぼしが発生するので苦手なので」というズイショさんのお言葉通りだと思います。

で、


ただ、自分はそういう風な逃げを打ってルールからの逸脱をやっておきながら、他人のことになると自分が得意で苦じゃない領域になると、そのルールから逃れようとするやつを糺弾したがる態度ってのは、それは褒められたもんじゃないよ


これについてはご指摘の通りで、私が「情報共有・情報連携についてのラベリング」という方向にこだわっていた為、あまりA君の行動自体を評価はしていなかった(というより一つ目の元増田の方が念頭にあった)という点はあるかもなーと思いました。

それとは別に、


大人だってホウレンソウを大事にしてるでしょ、それをチクリって揶揄するのはどうなのさと言われても、ホウレンソウがすごく健全に機能する環境って全体の何パーセントなのよと素直に思う

それと同じくらい側面的な正義に酔って自分の非を顧みることができないシーンもあるだろうと思っている。後者の方がわかりにくいから厄介だなとも思っている。


ここについては認識というか想定しているシーンがだいぶ違いそうだなーと思っていて、いやまあ私が想定している方が(子どもの学校という場を離れているという点で)当初の話とずれたのかも知れないですが、ホウレンソウが機能するかしないのかという点についてどういう認識を持っているのか、という点はすり合わせの余地があるのかもな、と感じました。

私、ホウレンソウが「すごく健全に」機能するかどうかはともかくとして、ホウレンソウによるデメリットってメリットよりは余程突き当たる機会が少ないだろうと思っていて、うまく受け取ってもらえないことこそあれマイナス方向に働くことってあんまりない、と思っているんですよ。だから、ホウレンソウはほぼ無条件にいいものだし、無条件にいいものだってことを子どもにも認識して欲しいなーと思ってました。この認識、あるいは信仰が、前回の記事を書いた直接的な動機になっています。

ただ、


「子供が何が正しいか混乱しちゃうから、親で意見を揃えなさい、なんならジジババも意見を揃えなさい、何が正しいかをちゃんと子供が理解できるように、色んな大人が色んな意見を言うんじゃなくて、みんな大人が同じ意見を言ってこれが正しいんだってちゃんと子供に思ってもらえるようにしましょう」みたいなやつあるじゃん、アレが俺すげえ嫌いで、大人にもろくにできてないことを子供にそう思い込ませようとするのが嫌なんだ。しんざきさんのホウレンソウに対する提言にも同じニュアンスを感じて、やっぱちょっと嫌なんだよな。


どうなのかな、「みんな大人が同じ意見を言って」とまでは思っていなかったと思うんですが……どっちかというと、あんまりその言い方好きじゃないなあという、アンチテーゼ、というよりむしろ個人的な感情の発露みたいなつもりでした。けどまあ私の意見も押し付けっていえば押し付けかも知れない。


あんまりまとまってないですが、一旦それくらいです。



posted by しんざき at 22:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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