行ってきました。大変楽しかったです。
余りにも暑かったので北に行こうかという話になりました。今回、長女次女はお祖母ちゃんのところに泊りがけで遊びに行かせてもらっていて目いっぱい堪能中、一方長男は諸々忙しくってあまり隙間時間もなく、長男もどっか連れてってあげるかーという話になり、私・奥様・長男の三人パーティでの行動になりました。
ちょうど奥様が宮沢賢治童話村のライトアップに興味があったのと、東日本大震災のあと復興した街がどんな風になっているのか見てみたい、ということだったので、仙台→花巻のルートを計画しました。
大体どんな旅行だったのか、という話をします。
〇松島に行きました〜一泊目
しんざき長男は海鮮料理好き・綺麗な景色好きで、「松島で海鮮丼を食べて松島を観たい」という希望がありました。旅の目的が明確なのはとても良いことだと思います。
ということで、仙台でレンタカーを借りて松島に行きました。まあ、乗り鉄の長男は「仙石線に乗りたい」と言いまして、仙台から別行動だったんですけど松島海岸駅で合流しました。
これは松島の一例です。関係ないんですが、私seesaaブログ19年くらい使ってて、未だにseesaaで画像をアップロードする時の正解が良くわかっていません。どうすりゃいいんだろうな。
松島はとにかくまあ綺麗で、私は仙台出身なんですが地元の名所にそれほど足しげく通ったわけでもなく、大変無責任に綺麗だな感に浸ることが出来ました。平日休みだったのであまり人がいなかったのも二重丸過ぎました。
松島には五大堂というものがありまして、五大堂に行くには透橋を渡らなくてはいけません。透橋というのは隙間から下が見える構造になった橋で、本来は下を見ることで心を静めるための橋なんだそうですが、私は少しでも足元に不安定さがあると大変わくわくしてしまう方なので、残念ながらあまり心は静まりませんでした。
そして美味しいものを食べました。あら汁が大変においしかったです。長男は海鮮串焼きを食べまくっていた由。
その後、仙台市の輪王寺に寄ってから秋保温泉に行きました。輪王寺って小さい頃行ったことがあるんですが全然記憶がなく、今回行ってみたら滅茶苦茶綺麗な庭園があり、しかもお客さんが他に一人もおらず貸し切り状態。大変贅沢な環境で庭園散策が出来ました。素晴らしかった。
奥様の話だと「君たちはどう生きるかに出てきた庭園そっくり」らしいのですが、私はまだ未見の為観ないといけないと思いました。
あと秋保温泉の「KOMOREBI gelato」という店でジェラートを食べました。これもまた大変冷た美味しかったです。
この後宿に行くわけですが、このすぐそばの磊々峡がすごかった。すぐそばに何の変哲もない住宅街のような街並みがあるのに、ちょっと川沿いに入ってみると巨岩奇岩の嵐。「ポリゴンのスケール設定間違ってない?」と言わんばかりの物凄いスケールでした。
一応写真を撮ってはみたのですが、スケール感が全くこれっぽっちも活かせていません。こういうの写真で表現するのってどうすればいいのでしょう?この写真だとなんか普通の川みたいに見えてしまうと思うんですが、実際にはこれに写ってる岩、通常川で想像されるような岩の10倍くらいのスケールがあります。
その後秋保温泉の宿で飲み食いしまくって一日目終了。
〇仙台から名取に行って花巻まで北上しました〜二泊目
二泊目。仙台から岩手は花巻へと北上するというプランは最初からあったのですが、東日本大震災のその後に触れてみたいという奥様の要望、一方昨日に引き続き海鮮を貪り食いたいという長男の欲望を折衷しまして、名取はゆりあげ港の朝市を目指し、そこから花巻へ転身するルートにしました。
皆さんよくご存知の通り、名取は震災の津波の際、最も大きな被害を受けた町の一つです。「閖上の記憶」という施設がありまして、そちらで当時の被災者の人にも貴重なお話を伺えて、改めて当時の凄まじい被害が実感出来た一方、「ああしていれば、こうしていればという後悔は尽きない」という言葉が非常に重かったなあと感じました。
そしてゆりあげ港併設メイプル館の海鮮丼の安定感。
その後、やはり長男は「東北本線に乗る」と言って名取で我々と別行動、今度は花巻駅で合流することになりました。久々に150キロ程車で移動しまして、花巻で長男と合流→宮沢賢治記念館→一度宿に移動してチェックイン→花巻市街で焼肉食べる→宮沢賢治童話村でライトアップ見る、のコンボルート。
賢治記念館については先日書いたのでこちらご参照ください。
宿で温泉入って、新幹線で東京に戻り、その後西荻ゲームパワーに参加して聖剣伝説の曲を吹きまくるという、なかなかのパワープレイでしたが大変楽しかったです。超充実した三日間でした。
一旦それくらいです。