サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり!
こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。
何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。
そこに本当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、
あわよくばアルファブロガーから好意的に言及されたり、個人ニュースサイトに紹介されたり、はてなブックマークの人気エントリーになればいいという、浅ましい欲望しか感じられない。
この様にたたかれるのは、まあ仕方ないことではあるんだろう。
勿論ここにはブーメランが潜んでいるんだけど、一旦回避して話を続ける。
しかしいま、カスラック批判やマスゴミ批判を憑り付かれたように書いているひとたちは、そんな自分を「はしたない」と将来、思うのだろうか。
上記の「罪」を分解して繰り返してみよう。ここで書かれている様な「ひとたち」の、反省するべき罪は何だろうか。
・明確な(背景or思想信条or根拠)の明示を怠った。
・口汚い総括を行った。
この二点に関しては、まあ、「はしたない」と感じるに十分であろうと私も思う。私自身は、「口汚いということは、アクセス数を稼ぐのと同時に言説の説得力を大幅に低下させる」と思っているんだが、まあWebも色々だなあ。と。
で、だ。「サヨ、カスラック、マスゴミ批判」「アジビラまがい」という総括に、私は若干の口汚さを感じるのだけど、その点どうなんだろう。大塚氏に関する前段と結語が根拠ってことなんだろうか。私自身は、例示されている様な大塚氏の言説と、「いわゆる」つきのマスコミ批判やJASRAC批判を同列に語ること自体が既に飛躍じゃないかと思うんだけど。
もっと単純に書くとこうなる。「思想信条を欠いた総括を批判している人の総括に、思想信条が明示されてないのはどうなんだ」と。
更に単純に書くと一言になる。「これ、ブーメランじゃね?」
ここからは所感。というか、ブーメランか。
思うに、「同文中に明確な思想・根拠の明示がない、批判的な総括」というものは、かつてはメディアの側の専売特許だったのではなかったか。この武器を、発祥以来メディアは一瞬たりとも手放したことがないんじゃないか、と私は思う。たとえば週刊誌広告のヘッドラインが代表的な例だろう。ヘッドラインでの総括の仕方なんて、メディア界の隅っこの隅っこに生息していた私でさえ指導を受けたことがある。
根拠を常に隙なく明示しなくてはならない、なんてルールは存在しないし、仮に存在したとしたらひじょーに文筆は窮屈になる。だから私は、「根拠の薄い批判」を否定はしない。私だってやっていることだ。
ただ、どちらかというとメディア側の文法に長けている人が、Webの「根拠薄き総括」を批判するというのは、ちょっとずるいんじゃないかなあとか思わないでもない訳だ。
しんざきさんの批判には納得できる部分も反論したくなる部分もあるのですが、それはさておきます。
どうにも気になるのは、私がコメント欄で「言論人様」とイヤミっぽく呼ばれたり、しんざきさんから「メディア側の文法に長けている人」と言われることです。ゴーストライターとして仕事をしたことのあるしんざきさんならお判りになるかもしれませんが、同じマスコミといっても放送・報道・出版ではそれぞれノリも違えば仕組みも違います。そして出版といっても、小学館や講談社のような大手の世界と、正社員が10人にも満たないような会社がしのぎを削っている世界はおそらくは異なり、私は後者の世界しかよく知りません。
だいたいそんなに「メディア」や「マスコミ」が嫌いならIT系の出版社やその関連会社が運営しているオンラインニュースサイト(ソフトバンクとかインプレスとか)も批判の対象にしなければならないと思います。しかしたとえばITMediaの記事に対して、「これだからマスゴミは信用できない」といったタイプの批判が寄せられることはありません。こっちのほうが私には不思議に思えるのですが……
私は自己認識としては、「商業媒体で記事を書くこともある、ヘビーなネットユーザー」のつもりでいます。そしてヘビーなネットユーザーだからこそ、程度の低い記事を書き散らしているネットユーザーをみかけると思わずむっとして、彼らを批判したくなるのです。
だいたい私は個人サイトで趣味的に発表した日記をたまたま読んだIT系出版社の編集者から、「上手で判りやすい文章が書ける」と評価されたから、このメディア側で働くようになっただけです。「メディア側の文法」(通俗的なキャッチコピーで読者の興味を掻き立てること、でしょうか)にはまるで長けていません。むしろそういう文法が身に付けられずに苦労しているほうです(私は「読者の興味を惹き付ける面白そうなタイトル」を考えるのが苦手で、そうした作業はすべて編集者にまかせています。問題になっているエントリーの見出しを考えるときにも苦労しました)。ただ読みやすくて判りやすい文章を書くように腐心しているだけです。でもしんざきさんは私のこうした釈明も「ずるい」「ダブルスタンダードだ」とお考えになるのでしょうか。だとしたらちょっと淋しいなあ、と。
以上、とりとめもなく書きましたが、この辺で。
>yskさん
丁寧なコメントありがとうございます。こちらにも公平な視点ではない部分は当然あると思いますので、ご指摘はありがたいです。
まず第一に、
>だいたいそんなに「メディア」や「マスコミ」が嫌いならIT系の出版社やその関連会社が運営しているオンラインニュースサイト(ソフトバンクとかインプレスとか)も批判の対象にしなければならないと思います。しかしたとえばITMediaの記事に対して、「これだからマスゴミは信用できない」といったタイプの批判が寄せられることはありません。こっちのほうが私には不思議に思えるのですが……
念のため確認をしておきたいのですが、「そんなにメディアやマスコミが嫌いなら」というのは私に対するお言葉でしょうか?断りを入れておきたいのですが、私に関して言えば、「マスコミは信用出来ない」という言説を書いたことはない筈ですし、そういった言説にコミットすることもありません(ケース別に、頭から信じ込むのは危険、というような内容は書いたことがあるかも知れませんが)。私自身、昔はメディア側の人間でした。
その一方で、「メディア」という言葉で括る時、ソフトバンクやインプレス、ITMediaの様なWeb上メディアを他メディアと区別する気も私にはありません。yskさんが「そんなに嫌いなら」と言われている対象が誰なのかわかりませんが、一応、「それは私ではない」というクッションは入れさせて頂きます。
私は、メディアが嫌いだから「メディア側の文法」という言葉を使った訳ではありません。私も使ってますし。
>しんざきさんから「メディア側の文法に長けている人」と言われることです。
>ゴーストライターとして仕事をしたことのあるしんざきさんならお判りになるかもしれませんが、同じマスコミといっても放送・報道・出版ではそれぞれノリも違えば仕組みも違います。そして出版といっても、小学館や講談社のような大手の世界と、正社員が10人にも満たないような会社がしのぎを削っている世界はおそらくは異なり、私は後者の世界しかよく知りません。
ということなので、私は特に大手・零細、放送・出版・報道の違いがそれ程この話に関わってくることはないのではないかと考えています。
「メディア側の文法に長けている」と書いた理由は、yskさんのご経歴を拝見したこともあるんですが、主要な理由は二点に絞ることが出来ます。
・私の中に、「総括しようとする文法」を「どちらかというと」メディア側の文法である(少なくとも一昔前までは)、と考える位置づけがあったこと。
・yskさんの「総括の仕方」が、私が考えていた上記の文法に合致していたこと。
長文なのですが、<a href="http://mubou.seesaa.net/article/30962505.html">背景となるURL</a>を書いておきます。お暇な時にでもお読み頂ければ。
>「メディア側の文法」(通俗的なキャッチコピーで読者の興味を掻き立てること、でしょうか)
上記の通り、「分かりやすい括りで総括すること」のつもりで書きました。
私の論点はたった一つで、yskさんが批判している様な「アジビラ」的な文言と、yskさんの「アジビラまがいの文章を書いている手合い」という文言は、「分かりやすく、やや口汚い総括」という点で通底しているのではないかということ、それだけです。
その上で、所感以下の内容は、「上記の様な総括は、昔はメディア側がたくさん使っていたよなあ」という程度の内容であり、それにyskさんを巻き込んでしまったのは私の錯誤かも知れません(上記二点の理由は、所詮私の主観ですので)。それに関して不本意に思われるのなら訂正致します。追記という形になりますが。
>でもしんざきさんは私のこうした釈明も「ずるい」「ダブルスタンダードだ」とお考えになるのでしょうか。
上記の通りなので、特にずるいとも思いませんしダブルスタンダードだとも思いません。
>そしてヘビーなネットユーザーだからこそ、程度の低い記事を書き散らしているネットユーザーをみかけると思わずむっとして、彼らを批判したくなるのです。
もう一点だけ苦言を呈させて頂くとすれば。
「批判の対象が曖昧な総体である」という点に関しても、ややyskさんが批判されている対象と通底する部分があるのではないか、という様に感じております。どうせならば、もう少し批判対象を明確にされるといいのではないでしょうか。
以上、コメントのお返事とさせて頂きます。
一応。
http://mubou.seesaa.net/article/30962505.html
その上で言及すると、元来批判はブーメランである危険性を内包している。それを恐れれば何も言えなくなるし、世の中はつまらない。コメントで書いた論点は全くその通りなのだが、それを指摘することは「分かりやすい括りで総括した」表現にこだわることも含め、結局のところ揚げ足取りのような気もする。個人的には、その表現自体がどんな人間が書いているかを示してくれるのだから、むしろ情報価値を判断する上で便利なフィルタではないだろうか。
以下、内容についていくつか。
確かに週刊誌のヘッドラインは羊頭狗肉を掲げるがごとく、ブロガーが口汚い文章で人を集めようとするのに似ている。こうしたヘッドラインは記事の内容と別に無関係ではないし、単独の記事で明確な根拠が書き込まれていなくても、前後や長い時間の中で示されてきた内容や共通理解がある。そういうものを常に示すのは言うとおり窮屈だし馬鹿げている。
ネット上の「カスラック」などの記述を私は永遠に支持しない。しかし、そういった文章を書く人たちのグループの中には、既に提示し尽くされた(と彼らは思っている)根拠があるのかもしれない。そういうバックグラウンドの上で彼らが語っているのだとしたら、それを知らない人が単純に批判するのはあまりに一方的だろう。
また、そもそもメディアとひとくくりにすることにも違和感を覚える。ネット上のニュースサイトやアルファブロガーの存在を考えれば、画一的にマスコミを定義することすら難しい。テレビと新聞、週刊誌、個々のコンテンツの間でもやり方には大きな差があるのに、「メディアが」と書くのは余りに安易に思えるのである。
なるほど、流石現役だな。
>そもそも「サヨ」「カスラック」「マスゴミ」といった記述をする人は、「俺は知ってるんだぜ」的な格好付けに過ぎず、思想信条があるわけでないように思える。逆に思想信条がある人はそんな書き方はしないだろうから、いちいち反応する必要性が分からない。
一概にもいえない気はする。私も、口汚いレッテル貼りをする時点でその人の言説が浅くなると考える方だけど、ネットって独特のスラングが物凄い勢いで膾炙する場所だから。程度の差こそあれ、口汚さを意識せずに使っている人は結構いるんじゃないかな。で、そういう人に思想信条がないかどうかの判断は難しい。
>元来批判はブーメランである危険性を内包している。それを恐れれば何も言えなくなるし、世の中はつまらない。
>結局のところ揚げ足取りのような気もする。
それは全くその通り。だから迷った。
ただ最近、「対象を明確にしない総括」っていうものをよくWebで目にする印象があって気になっていたので、敢えて書いてみることにした。
>そういうバックグラウンドの上で彼らが語っているのだとしたら、それを知らない人が単純に批判するのはあまりに一方的だろう。
Webにおいては、「知っている人」にとって参照ページを引っ張ってくるのが余りに容易だから、逆にそれを明示しなくなってしまう、っていう側面はあるのかも知れない。いずれにせよ言及を怠るっていうのは指摘されても仕方ない穴だとは思う。
>テレビと新聞、週刊誌、個々のコンテンツの間でもやり方には大きな差があるのに、「メディアが」と書くのは余りに安易に思えるのである。
そうかも知れない。ただ、エントリーでもコメントでも書いてないから後出しの形になるが、「食う為に書いている」「金をもらって発信している」という共通点を大前提として考えれば、「Webの言説」と「メディア」という括りで区分するのはそこまで的外れでもないと思うけどな。