遍く親はかつては子供だったのだ、という、口に出してしまえば当たり前のこと。
あんまりまとまってないけど、混沌とした雑感をそのまま書く。
私は中二病である。かつての私は、「親になってみないと分からない」という言葉を嫌悪しながら生きてきた。それでも、実際の所「親になって分かること」が何かということ自体については興味があったし、それを整理してみたくもなった。
人間は、生まれた時点では「自分の親-自分」という関係性しか持っていない。だから、「自分の親の親-自分の親」という関係性については、多分推測することしか出来ない。つまり、「子供としての自分の親」というものをリアルに実感することは難しい。少なくとも私に関してはそうだった。
「親」という存在を相対化できなかった、という言い方でも同じだろう。親はどこまでも「親」でしかなく、それ以外の何かではなかった。
子供が出来ると、「自分-自分の子供」という関係性を取得出来る。この時初めて、「自分の親の親-自分の親」という関係性との相似形が、自分というプログラムのサブセットとしてリンクされる。自分の親がかつて自分を育てたプロセスが、ある程度生の形で理解出来る。
その時分かる。「あー、自分の親は、自分を育てる時点では子供だったんだな」と。はじめから「親」である親などこの世に存在しないのだ。
当たり前のことなのだが、確かにこれは、子供が生まれるまでリアルに実感出来る内容じゃない。
「親の気持ちが分かる様になる」という言葉は陳腐だけど、おそらくこれは「自分が親の階位まで上がって、そこから物事を見ることが出来る様になる」という意味ではないのだろう。
少なくとも私にとっては、その言葉は「別世界にいた親という存在を、自分と同じ位置まで引き摺り下ろす」という心理体験だった。いいことなのか悪いことなのか知らんが、これが事実だ。
私と、私の親との関係は、多分ちょっと歪な形をしていたと思う。理想的な関係だったとは私は思わないけど、自分と同じ立場まで親を下ろしてみて、ようやくそのことを自分の中で消化出来そうにも思う。今後に生かすことも出来るかも知れない。
その一方で、出来たら自分の子供には、理想的とは言わないまでも、なるべくいい感じの親子関係を提供出来ればなーと思う。
2007年08月29日

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