2007年08月30日
なんで体罰の話になると皆思考停止するの?
はてなブックマーク > 痛いニュース(ノ∀`):中学の先生、注意きかない生徒の頭を平手で1回叩く→処分…石川
中学の先生、注意きかない生徒の頭を平手で1回叩く→処分…石川
ちょっと前の記事だけど。
この元記事に関して、これが本当に体罰というべきものだったかどうかに関しては、書いてあることからは読み取れない。だからこの処分の可否について私は判断出来ない。ただ、はてブの議論に合わせて、取り敢えず「体罰」という大枠に従うことにしよう。
まず第一に、体罰が云々という話になると、何でこうも反応が感情的な脊髄反射になるんだろ、とか思った。
引用エントリーまで全部漁ってる訳じゃないが、こういった問題に関する「テンプレ的」な反応というものは、概ね二つに分かれる様に思う。
・「おいおいこの程度で処分かよ」という、どちらかというと体罰に肯定的な反応
・「体罰」という言葉が出た時点で「絶対ダメ」という即否定的な反応
まあ元の場所が2ちゃんで、おまけにレスをある程度恣意的に抽出しているまとめブログだから上のテンプレが際立ってる様にも見えるけど。いずれにせよ、それぞれの反応が脊髄反射で、議論の成り立ちようがない様に思うのだな。
で、私は次の様な疑問を抱く。
・肯定派は、何故「体罰はそもそも有効なのか」というレベルでの議論をしないのか。
・否定派は、何故「じゃあ、口で言っても分からない子にはどう対処するべきか」という議論をしないのか。
つまり、本来根幹にあるべき部分が置き去りにされてる様な印象を受けるのだ。
こういう件に関しては、スクールカウンセラーとして実際に小学生と渡り合っていたうちの奥様に聞いてみるのが常である。彼女は「いわゆる体罰」に関して否定的なスタンスだが、議論を拒絶する様な面は全くない。
以下、彼女の意見を私なりに補完してまとめてみた。
・小学校以上を想定した場合、そもそも体罰が有効かどうか、という点に疑問がある。
・体罰には、「痛み」「体罰を受けたこと」が強く記憶に残り、肝心の「何故怒られたか」ということが薄れる場合があり、結果として理解に至らないことがある(心理的に被害者に置き換わってしまう場合もあるらしい)
・口で言って分かる子であれば、上記の理由から、きちんと言葉で理解させるべきである
・「口で言っても分からない子」には、それぞれ個別の理由がある場合が多い。
→個別の家庭の事情で発達上の問題が認められる場合。根本的な解決には個々のカウンセリングが必要であり、体罰で解決する様な問題ではない場合が多い
→アスペルガー症候群、ADHDなどの発達障害。これらは病気である為、体罰で痛みを覚えさせれば治る、という性質のものではない。
・いずれにしてもきちんとした心理的対処が必要である。これらの「体罰が解決に至らないケース」を見分けるのは簡単な作業ではなく、体罰に類する対処をすることで却って悪い結果になることもある。対処が出来なくて他の生徒に影響が出る、という様な場合には出席停止などの処置をとるべきである。
なるほどなー。と。
私自身は体罰に肯定的というよりは、むしろ「体罰」というものがいちいち取り沙汰されない環境で育った人間であるから、「これ、体罰なん?」という疑問を抱くこともあるし、体罰に関する議論自体について理解し難い点もある。
痛みが伴うことで何か得られる場合もあるんじゃないかな、くらいの、漠然とした許容感をもってもいる。といっても、それが小学校というステージで当てはまるのかどうかは良く分からないし、上の様な話であればなるほどとも思う。
なんにせよ、肯定派否定派それぞれ、きちんとした論拠にたって議論するのは重要だよなあと思う。思考停止はイクナイ。
この記事へのトラックバック
愛がなきゃ指一本触れなくたって虐待なこともあるし、信頼関係があれば蹴飛ばしたって大丈夫なこともある。個々のケースがどうかというのは、それこそ奥様のような専門家が考えることで、少なくともWebやテレビで議論する(できる)話じゃない。それにも関わらずそんなニュースに群集まってコメントしたがるのもニュース元同様思考停止状態の人ばかりになる。停止していない人は普通よく知らないので何も言えないと考えるのであって、「よく知らないので何も言えない」とコメントするわけではないから。
・・・まあ、時代は変わっていくものですね。個人的には父兄が「体罰はいらない」と思うならなしでいいと思います。ただ、その場合は子供の素行が悪く成績も悪くても学校に文句を言うべきではないでしょうね。
私は、今数学でご飯を食べていますが。中学高校では、予習をしていかないと授業中ずっと床に正座させられたので、しかたがなく毎日1・2時間かかる予習を書かさずやっていった気がします。おそらくこの強制正座の体罰がなかったら、私はこの大学に入れなかったでしょうし、今の職にも就けなかったでしょう。
小さい子供に対する躾もそうなのですが、それが本当にその人のことを思ってやっているなら、たとえその当時は恨まれても。十年後に感謝されることはあると思います。
・・・・まあ、単に怒りにまかせて体罰を振るう教師が許せないのは当然ですがね・・・。
別に「体罰」が悪いわけではないでしょう。
私はそもそも暴力は嫌いだから教師の平手打ちは正直なくてもいいと思う。
・・・と思ってぐぐってみると、文部省が何が「体罰」になるかの定義らしいことをやっていることに気付きました。どうやら「居残り学習」や「当番を増やす」はいいらしいです。
・・・で、正座や廊下に立たせる(英語はこっちでした)はアウトっぽいです。
・・・わけわかりませんね。
だけど、学校に「修行」に来ているのなら「至らない自分」を戒めるために、警策を入れてもらう程度の懲戒は必要だと思いますけどね。
そういやあ、遅刻をしたら放課後中庭の雑草抜きってのもあったなあ・・・。
「授業を聞けない」状態になるのでNGのはず。
教室の後ろに立たせましょう。
……ホンマかいな。
ひどい言い方だけど、子供はまだ「一人の人間」に向かう途中であって、完全に「一人の人間」として扱って説明して理解して行動できるレベルにないと思うのです。怒られたことをその場で理解したとしても、すぐに忘れて同じ行動をしてしまうこともあるし。
あと、口だけで言って理解させるだけの技術を持った教師がどれだけいるのだろう?という疑問もありますな。
体罰は生徒を選べば有効だと思います。
たとえば、口が達者で言い負かすことが困難な生徒、教室から追放しようとしたら小躍りして出て行くような生徒がリーダー格のクラスを体罰なしでまとめるのは現実的に不可能じゃないのかなあ、と。
ただ、体罰が有効な生徒かそうじゃないか見極める能力も教師に問われるから、その点がまた難しいところでありますが。
奥様のおっしゃることにはうなずける点も多々あります。
ただ、それは「スクールカウンセラー」という能力、経験を持っているから言える意見のようにも私には感じます。全ての教育に携わる方がそれだけの知識を持っていればいいのでしょうが。
でもそうでない社もいる。
個人よりは学校や教育委員会は批判しやすい対象だからね。
だから何かあるとすぐ矢面に立たされる。馬鹿みたい。
体罰には学校という社会の秩序を保つための「強制執行」と、子供を正しく導くための「指導」の両面がある。このうち前者について言えば、大人ですら言葉だけですまないのに子供が済むわけがない。言うだけで秩序が保たれるならば軍隊も警察も要らない。
後者について言えば奥様の言うことは半分正しい。全部でないのは教育の力を過分に評価し、かえって子供の人格を認めていないように思えるからだ。世の中には子供がやったことについて、育った環境に責任を負わせ、子供自身の責任は不問にする風潮がある。しかし、子供は独立した人格であってすべて遺伝的に異なるので、劣悪な環境でも「いい子」は育つしその逆も然り。教育や心理的治療で全員を「いい子」に導けるという思想には違和感を覚える。
(しんざきさんが括弧書きで「いわゆる体罰」とされてる意図は、定義づけが曖昧であると認識されているからなのかなと・・・)
怪我をさせるような事と正座をさせるような事をどちらも体罰だといって、同じ判断基準を与えようとするのは、メロンとリンゴはフルーツだから両方同じ値段をつけようとする議論みたいなものだと思います。
文科省は体罰の定義として、「肉体的に苦痛を与えるもの」としているようですが、例えば忘れ物をした生徒の首から"忘れ物しました"プラカードを下げさせるのはいいの?とか疑問点はたくさんありますね。
また、居残り勉強を体罰として行うというのは、「勉強=嫌なこと」と教えてるみたいですね・・・。
じっくり考えてコメント返さないと勿体無い気がするので、また改めて何か書きます。