2007年09月07日

文学に対する私の妄想と、Webの傾向について。


「知って面白い」情報への敷居が余りにも低くなった為に、「読んで面白い」情報に集まるエネルギーが目減りしてるんじゃないか、と。先に結論を書くと、こういうことになる。

順を追って書こう。

以前、「知って面白い」エントリーと、「読んで面白い」エントリーの違いについて、ちらっとだけ書いた。背景がちょっとややこしいのだが、一応リンクしておく。

文章力のお話の補足で、要は文章力には「整理系」と「装飾系」のニ軸があり、大雑把な基準ではこのニ軸は反比例する傾向にある、と。そして、現在のブログ界隈ではどちらかというと「整理系」の文章力の方が尊ばれている様に見える、と。

で、その原因は、どちらかというと「情報としてのエントリー」の方が「読み物としてのエントリー」よりも人気であるからの様だ、と。そんな感じの話だったと思う。

上の、人気がある・なしの話というのは、基本的にはニュースサイトや、はてなブックマークなどのSBMを見ての皮膚感だということを先に断っておく。別に厳密な統計を私が持っている訳ではない。

で、ちょっと前にこちらを読んで、ふーむ、と思った。
切込隊長BLOG:筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋社)

本書については、書評を書ける程読み込んでないが、一応店頭で読むことは読んだ。
で、この辺の話だ。
 ネットの時代になって、文章読みとして人材がプールされているような機能、あるいは、野球好きが野球についての理屈や見方を吟味するような機能が、お手軽になった反面、大量の浅薄な情報によって埋没してしまって深く掘ることが不能になってしまったようには感じる。その場が面白ければそれでいいのであって、その場を面白くするために素材を適当に商業著作物から引っ張ってきて張り合わせて文章なり画像なり映像なりにして無料でバラ撒いて同好の士同士安価でお手軽な面白さで時間を共有できればそれでよいという暗澹たる状況になっているのは筒井氏の作中での指摘通り。それについては何も文句はない。

私は、Webに対して多分ある種の幻想を持っていたと思う。

かなり以前、例えばブログの隆盛を見て、「これだけ「日常的に書く」人とインフラが集積されれば、将来的にはいわゆる純文学の方面にも、何かしらいい影響があるんじゃあるまいか」とか、そんなことを考えていた。もっと端的な言い方をすると、「Web出身の純文学作家」がざくざく出現する風景、なんてものを妄想していた。こういう視点になるのは、私がかつて、どちらかというと出版社側の人間だったからだ。


現実に私の眼下にあるのは、書店に並んだケータイ小説コーナーである。

ケータイ小説をちょっとだけ読んでみて、思ったことが一つある。「ケータイ小説を読む」という体験は、「読んで楽しむ」という行為よりはどちらかというと「知って楽しむ」という行為に近いな、ということだ。私小説をずっと簡略化したもの、というか、そこにあるのはいわゆる「事実」であって「装飾」ではない。そんな風に感じた。

まあケータイ小説については置いとこう。多分、私よりずっと詳しい人がずっと詳しく語っているだろうし、そもそも語れる程読んでない。ケータイ小説に文句をつける気も別にない。


ただ、私が抱いていた様な妄想が屑篭の中で焼却を待っている理由と、冒頭で挙げた「読んで面白い」エントリーが足踏みをしている理由は、どこかで根っこを一つにしてるんじゃないかなあ、と私は考えるのだ。


文学とは文芸であり、つまりは「芸」であり、実際の所「知識」ではない。

芸は愛でるものであり、楽しむものであり、断じて役に立つものではない。

「文学は役に立たないものである」というのは、文学部の学長が入学式で話すお決まりの台詞である。

つまり、「知る」ことが重視される世界では、極端な話文学の出番は存在しないのだ。お呼びじゃないのである。

かくして文頭の結論に至る。


多分、私は極論を書いているのだろう。

ただ、「純文学」という言葉に(笑)や「いわゆる」をつけないと何となく収まりが悪いと感じる人の方が、どちらかというと多数派である様には思える。ページがスクロールする程長い文章は、そもそも読まない人の方が多数派である様には思える。


それが悪いことだとは言えないし、エラそうなことをいえる程の内容を私が書いている訳でもない。ただ、何となく寂しい。

posted by しんざき at 19:37 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
ども。こんばんはです。
なんとなく理解できます。要は文章の「難易度」なんじゃないかな、とふと思ったりしました。
情報に力点を集めて多少のユーモアを交えて文章を展開するのと、文章そのものの「芸」に注力するのとどちらが簡単で楽か?
文章で「芸」ができる人、というのはネットが発展しようともその総数は少ないのだろうと思います。更にその文章で芸をする為にはべらぼうなエネルギーを要求されますし、その結果が読者に支持されるとは限らない。
WEBという場が情報の集積と発信を基本としている以上、前提として文「芸」というのは最初から分が悪いものなのかもしれません。
更にはWEBの文化の基本には「笑い」というのがあるのではないかと思います。なんでもシニカルにネタ化されてしまう土壌で真剣に文章を書こうとする、これも相当に厳しいと思うのです。
寂しい、というのは分かります。ただ、それでも文学と真剣に向き合う人が全て駆逐されてしまうとは思えません。力ある書き手は確かに少ないし冷遇されているかもしれませんが、逆にWEBがあるから出会える、と考えるのは楽観的過ぎるのでしょうか?


俺ごときが語れる事でもないとは思うのですけどね(´・ω・`)とりとめない長文失礼しました。
Posted by 汁粉善哉 at 2007年09月07日 21:10
「芸」に長けてるのは何気に2ちゃんねるの方が多いかもと感じますね。
ただ単に「数」の問題で、それが抽出されているだけかもしれませんけど。
Posted by lastline at 2007年09月08日 00:33
いわゆる「純文学」とか、
カテゴライズを好む人がいて、
わざわざ「ライトノベル」とか
ひとつひとつにジャンルを与えたがる
ようなイメージがありますが、
時々そういうジャンル分けを軽く
超えて行く人が出てくる。
そういう土壌作りの一部を
webが担ったりすることも
あるんじゃないかなあ。
というのを今日、乙一の「GOTH」の
あとがき読みながら思いました。

でも所詮ツールの問題じゃないか、という
気もする。
Posted by や at 2007年09月08日 00:41
>汁粉善哉さん
>情報に力点を集めて多少のユーモアを交えて文章を展開するのと、文章そのものの「芸」に注力するのとどちらが簡単で楽か?
文章で「芸」ができる人、というのはネットが発展しようともその総数は少ないのだろうと思います。更にその文章で芸をする為にはべらぼうなエネルギーを要求されますし、その結果が読者に支持されるとは限らない。
WEBという場が情報の集積と発信を基本としている以上、前提として文「芸」というのは最初から分が悪いものなのかもしれません。

おっしゃる通りだと思います。つけ加えるとすれば、Web上での読者の支持が「アクセス数」とか「PV」という形をしている限り、「芸」の分が悪い状況は変わらないのかなー、とか。

>ただ、それでも文学と真剣に向き合う人が全て駆逐されてしまうとは思えません。力ある書き手は確かに少ないし冷遇されているかもしれませんが、逆にWEBがあるから出会える、と考えるのは楽観的過ぎるのでしょうか?

そうですね。駆逐されるとは私も思いませんけど、引用エントリーとか筒井著作とか読んで、思わず悲観的な気分になってしまいました。

出版業界自体が斜陽気味、って事情もあると思ってます。

>lastlineさん
2ちゃん上の創作とか見てると、結構面白い試みがされてたりしますよね。
ただ、周囲の雑音が余りに多くて、埋もれてしまっている側面はあるのかも知れません。

>やさん
>時々そういうジャンル分けを軽く
超えて行く人が出てくる。
そういう土壌作りの一部を
webが担ったりすることも
あるんじゃないかなあ。

そうあって欲しいなあ、と思ってます。見えてないだけで実はすごい、って人がじゃんじゃん出て欲しい。

ライトノベルのことは全然分かりませんけど、純文学ってジャンルじゃないんじゃないか、と思ってます。
Posted by しんざき at 2007年09月08日 23:03
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