ちょっと予定変更。今回はちょっと個別タイトルを離れて、ゲーム業界に大氾濫している「シリーズもの」の展開について、古きを思いて新しきを知ってみようぜ、というお話。
およそ、シリーズものが陥りやすい罠は、「複雑化・高難度化して客・新規離れ」に尽きる。
大体において、続編が作られる様なタイトルには、ある程度以上の数のファンがいるに決まっているのだ。当然ファンは、前作・元祖の記憶を引きずりながらも、前作以上の面白さを期待する。
この「記憶」というのが厄介だ。シリーズものの優位な点は「前作が面白かったから今度も面白いだろう」という意識に他ならず、前作が好きだった人こそが最大のマーケット、という事情の故に、あまり根本的にゲームを変える訳にもいかない。
一方で、開発者は「なんだよ、前作と全然変わってねえじゃん」とか「前作の方が面白かった」などという期待外れとも闘わなくてはいけない。
つまり、「前作の面白さ」は強力な武器であると同時に、最大の敵でもある。
変え過ぎてもいけないし、そのまんまでもいけない。
この過酷な縛りの為に、多くの続編は「前作を大きくは変えずに、色んな要素をちょこちょこ追加していく」という方針で作られざるを得なかったのだ。シリーズものが複雑化していくのは、実は宿命的な問題なのである。
じゃあ、この宿命から逃れる為にはどうすりゃいいんでしょ、という話になる。多分方法は二つしかない。「丁度いい範囲での「追加」を模索する」か、「「追加」以外のゲームの作り方を考える」の二通りである。
順番に考えてみよう。
1.丁度いい「追加」を考える。
上の縛りにハマった典型的な例が、多分格ゲー業界だろう。多くの格ゲーのシリーズものは、「基本的には変わらないシステム+次から次へと新要素」という作られ方をしていって、最後には肥大した追加要素に耐え切れずに自沈していった。
といっても、およそあらゆるシリーズものの初期には、成功した続編がつきものである。格ゲーの場合、スト2ダッシュやターボのヒットがなければ、業界そのものが成立しなかった。何で「初期の続編」はヒットするかというと、変化の「相対量」は大きいけど「絶対量」が少ないからだ。
スト2ダッシュの例で言うと、実はあのゲーム、ちょちょいとバランスがいじられて四天王が追加されただけで、後は殆ど前作と変わらなかった。それでも空前の大ヒットをした理由は、当時は「その程度の変化だけで十分驚天動地の変化だったから」に他ならない。
絶対量で見ればそれ程変わっていないので、前作ファンがこぞって100%楽しむことが出来る。相対量では物凄く変わっているので、前作ファンがこぞって「前作よりすげえ」と感じることが出来る。ドラクエやFFの二作目三作目も同じ様な事情だった。
つまり、「追加要素」という道を選んだ時の理想的な続編とは、「相対量では大きな変化だけど、絶対量で見るとそれ程でもない」という作り方である、ということがまずはいえそうだ。
これ、言うまでもなく難しい。シリーズが重なれば重なる程、一作品辺りの「変化の相対量」は目減りしていく。ちょっとやそっとの変化量ではユーザーを誤魔化せなくなっていく開発者は、ガンガン追加要素を加えていかざるを得ない。KOF然り、飢狼しかり。この辺考えると、格ゲー業界の最大の悲劇は「それ程システム的に発展性はないのに、続編作りまくって引っ張り過ぎました」という一点に尽きる様な気がする。
ちなみに、RPG業界も似た様なことになっている様な気はする。こっちは、システムの複雑化というよりはプレイ時間の増加が敷居を高くしてる様にも思うけど。
と、あんまり意味がないなあと思ったところで、もう一つの手法。
2.「追加」以外での続編の作り方を考えてみる。
幸いなるかな、われわれは過去の例を考えてみることが出来る。続編でゲーム性ごとものすげえ方向転換をしてみましたというタイトルは、かつて星の数程存在した。
この変遷をジャンルごと体験したのは、おそらくアドベンチャーゲームだろう。ポートピアの時にも書いたが、かつては「単語探しゲーム」だったアドベンチャーゲームは、ある時期を境に「コマンド総当り+テキストを楽しむゲーム」という凄まじい方向転換を行った。代表的な例が「サラダの国のトマト姫」だろう。
この変化は、コマンドに対応するテキスト量の純増という方向に向かい、更に方向性を突き詰めた「サウンドノベル」に流れこんでいくことになる。これは、変化というよりは単純化という方向に向かったゲームの好例であり、何かの解決法がここにあるんじゃないか、とか漠然と感じるところがある。
「パックマン」→「パックランド」の方向も瞠目するべきものがあった。ドットイートゲームにさくっと見切りをつけて、作られた横スクロールアクションは珠玉の職人芸。ワルキューレの冒険→伝説の例も鑑みると、ナムコの底力を感じずにはいられない。ファミスタ?知らん。
SDガンダム2(戦闘画面はアクション)→SDガンダム3(ガンダム版大戦略)の変化も大きかった。評判はいまひとつだったのか、SDガンダムXで元の鞘に納まった時は大評判だったけど。ああ、先祖がえりって手法も有用かも知れないな。
と、ここまで例を挙げてみるとお分かりかと思うが、われわれは当然源平討魔伝にも触れる必要があるだろう。アーケード版での超ド級和風アクションが、どういう訳かボードゲーム風RPGへの華麗なる転進。あれは衝撃的な続編だった。私自身は、「月風魔伝」が既に発売されていたということが、このゲームが生まれた理由ではないかなーと想像するのだが、まあ細かい話はこちらをご参照頂きたい。
あ、そろそろこの項の結論出す時間ですか。そうですか。続編の作り方に困ったら、いっそ全部国取りボードゲーム(フィギュアつき)にしてしまうというのが斬新でいいんじゃないかな、って感じで。
・まとめ。
ということで、変化が大き過ぎてもいけないし、小さ過ぎてもいけないし、いずれにせよ複雑化し過ぎるとまずいよね、ということになると開発者さんの苦労が偲ばれる。
取り敢えず、アドベンチャーゲームが辿った「ゲーム性転換→単純化」という道は、ちょっと他のジャンルとは違う様に思えるのだな。つまり、足し算ではなく、引き算の続編という可能性だ。
次回万里では、ハドソンの例のアレなんかを主題にして、この辺についてもうちょっと考えてみたいと思う。
2007年09月08日

この記事へのトラックバック
あー、ホントですね。まあ、不倒城はトレンドマイクロとマクロメディアを素で間違えるクオリティですから気にしないでください。私は気にしてません。
Y's IIIやWIZ4なんかもソレにあたるんでしょうか?
先のエントリにあったくにおくんシリーズなんかはもー(以下省略)
アーケード版をよく知らなかった私は結構楽しめたので勝ち組?w
方向転換っていや、ボンバーキングやリンクの冒険やブルークリスタルロッドやスクコマなんかも楽しめたのでオレって結構懐広いのか?
それともそもそもあまり期待していないのか?オレ。
別方向に単純化してはどうでしょう
Wiz4は微妙なラインかなーとも思いますけど、イースの方向転換っぷりは凄かったですね。
あの時点で既に時代に逆行してた気もするけど、あれ一体なんで新路線にしたんだろ。
>朱凰さん
私はアーケード版をよく知ってたけど割と楽しめましたよ。えっへん。>源平
それはそうと、
>方向転換っていや、ボンバーキングやリンクの冒険やブルークリスタルロッドやスクコマなんかも楽しめたのでオレって結構懐広いのか?
リンクは凄い方向転換でしたね。ボンバーキングはどうだろ、ゲーム性自体は意外と変わってなかった気もしますけど。BCRは、なんというか、圏外。
>めあさん
当然三音縛りも必須ですよね。
続編ものの功罪ですよね。
バイオハザードなんかも続編が出る度に…。
でも4の進化は凄かったみたいですね。
(まだプレイできてません)
しかし、キャラクターを持ってるソフトハウスは強いですね。
いたストもキャラの追加をするだけで毎年発売が(略)
CLAMPや松本零士みたいなびっくりパラレルワールド的な
続編の作り方もアリですよね。
ディグダグとドリラーがまさかつながるとは
思わなかったので、びびってたじろぎました。
それでは、失礼します。
>しかし、キャラクターを持ってるソフトハウスは強いですね。
いたストもキャラの追加をするだけで毎年発売が(略)
キャラクターの強さっていうのは、最近ほんっと痛感してます。どことはいいませんがFF7のアレとか。
続編の方向性、というのとはちょっと別の話かも知れませんが。
>ディグダグとドリラーがまさかつながるとは
思わなかったので、びびってたじろぎました。
なΣ(・ω・ノ)ノ
すいません、ドリラーあんまりやってなかったので知りませんでした。今度調査してみます。