なんでだろう。
例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。
そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。
例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。
例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。
以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。
という訳で、今回は「不快な文章を読みにいく」という事象についてうだうだと考えてみる。
まず場合わけしてみよう。
・自分が好きなもの、あるいは賛同しているものに関して情報を検索していて、偶然それに関して批判を展開しているページに突き当たって頭が沸騰した。
・自分が好きなもの、あるいは賛同しているものに関する批判や自分が賛成出来ない議論をわざわざ探し求めて、見つけた途端頭が沸騰した。
前者はまあ、しょーがないといえばしょーがない。Google様のお達しとあっては、ユーザー側にはどうしようもない。
が、世の中よくわからないもので、どうした具合か後者に該当する行動を繰り広げる人がどーにも多い様なのである。ブログに限らず、例えばテキストサイトや2ちゃんねるなどでもこの傾向は顕著だ。
つまり、「ご意見を拝聴していますと、どー考えてもここは貴方の賛同出来ない議論があふれ返っていることがわかりきっている場所なのに、何でわざわざこんなところに紛れ込まれたんですか」とゆー様な人が割と多い。
コメントを残すかどうかはともかくとして、これ意外と他人事でない人も多いのではなかろうか。実を言うと私にもこの傾向は皆無でもなく、特に国際関係の時事問題とか、ヘッドラインを見ただけで不快なニュースだろうなーと分かるリンクをわざわざクリックすることもある。まあ、私の場合は大抵すぐ閉じてしまうが。
まあ純粋な情報収集の場合は別として。「敢えて自分が不快になる文章を読みにいく」ということに、なんらかの種類の快感があるのであろうということが推測出来る。
ということで、推測その一。
・自分が不快な文章を読んで、「憤る」ことに快感がある。
攻撃衝動というのか怒りんぼパワーというのか、人間には「怒ると気持ちいい」という性質が確かにある。いや、別に怒気に限らず、多分喜怒哀楽全ての感情が「気持ちいい」成分を含んでいるとは思うのだが、つまりは何かに反応して感情を発散すること自体が気持ちいい。
言い方を変えると「怒りを求めて」不快な文章を読む、という部分は割とあるのではなかろうか。
で、さらに副次的なものが伴う。
・不快な文章を発信した人を攻撃することに快感がある。
まあ、これは分かりやすいことなのでどうでもいいといえばどうでもいい。攻撃欲求という奴だ。実際にネット上に書き残すかどうかはともかくとして、不快な文章を読むという行為は大抵の場合発信者に対する悪態を伴う。もう少しぶっちゃけると、脳内なりつぶやきなりに「馬鹿じゃねえのこいつ」という言葉が生まれる。これがコメント欄や書き込みに反映されると、本エントリーの冒頭の様な話に繋がる。
言い方を変えると、「攻撃対象を求めて」不快な文章を読む、という部分も多分あるのだろう。
サドとマゾというものは、方向性が逆なだけであってその正体は一緒だと聞いたことがある。つまり、他者に向けられた嗜虐がサドであり、自分に向けられた嗜虐がマゾである、という話なのだ。
仮にこれが正しいとすると、この「不快な文章」談義にも同じ様な構図が当てはまる気がする。前者は自分を怒らせることによる快感、後者は他人を攻撃することによる快感という訳で、要は前者が精神的マゾで後者が精神的サドだ。
結果として、「不快な文章をわざわざ自分から読む」という行為は、一種のSMに類似している、という割とどうでもいい結論が導き出せた訳である。良かったですね、私。
なんだか良く分からない話になったが、まあコメント欄で悪態をつかれたWeb管理者の人には「楽しんでもらえた訳ですね」と。悪態をついた読者の人には「SMは程ほどにね」と。その程度のうやむやな言葉をお送りして本エントリーを閉じたいと思う。
2005年08月02日
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という文章を書こうと思っていたんだけど、この文章に激しく同意でいいや。
☆ストレスが溜まっている人間が世の中に多い
☆でも自分なりの上手い解消法を持っている人間は余り多くはない
☆実際の(オフラインでの)(日本の)社会は、自分と相手との人間関係を常に考慮しなければならず、面と向かって批判・文句を言える相手というのはそういるものではない
☆言うにしても、根拠があり相手を納得させることができるようなリクツや口頭の技術を持っていないことが多い
☆しかも、下手に言おうものなら刃傷沙汰になりかねない
・・ってな訳で、匿名性の高いネットで、「自分が不快になろうともわざわざ攻撃対象を探しにいく」なんてことになるのではないでしょうか。
しんざきさんの仰ってる「怒りを求めて」という表現は本質を突いておられるかもしれませんね。最初っから何かの怒りを秘めてるというよりは、ネットだと一人で勝手に盛り上がって感情を高ぶらせることができるから、無意識に「求めて」しまっているのかも。
細かくすると
書き手が嫌いとか。
理由は得にないとか。
文を読むと全て喧嘩腰に見えてしまうとか。
そんな人とかもいそうだけどね。
そういや語源のサド公爵はマゾだったとか。
どうでもいいトリビア
いらっしゃいませー。えっけんさんのブログも、なかなかアレなコメントがつくことが結構ありますよね。お疲れ様です。
あ、関係ないんですが戦国村の記事にブッ飛びました。あれ、ライブドアの社長辺りが素で買ったらどーすんでしょうか。
>neo_central_dogma108さん
ふむふむ。ストレス解消になっている側面がある、ということですね。確かに。
ただ、不快な文章を読むってことはストレスを溜めることとも関連している訳で、けっこー諸刃の剣というか、自宅の壁をサンドバッグ代わりにぶん殴っている様な構図にも見えます。
>最初っから何かの怒りを秘めてるというよりは、ネットだと一人で勝手に盛り上がって感情を高ぶらせることができるから、無意識に「求めて」しまっているのかも。
ああ、おっしゃる通りですね。文中の構図が仮に正しいにしても、大多数の人にとっては無意識的なものだと思います。
>文を読むと全て喧嘩腰に見えてしまうとか。
ああ、そゆ人見たことあります。なんつーか、自分に喧嘩売られてる様に見えてしまうんでしょうね。ネットだからまだいー様なものの。
>そういや語源のサド公爵はマゾだったとか。
( ・∀・)/Ω ヘェ ヘェ ヘェ ヘェ
という(偏った)正義感に溢れている人。
こういう分類にあてはまる人が多数いると思われます。
(特定の国の話題をしているとほぼ必ずあらわれる、
ねじくれた愛国心を持つ人たちなんかもこの分類にあてはまるでしょう)
ネットから いつのまにか ここに紛れ込んでしまいました。。
議論が沸騰しているところ というのは みんな 真剣に怒って(?)いるので おお なるほどなぁ なるほどなぁ という意見が 沢山聞けて 結構面白い(事もあります)
第一印象で「わたしは こう思う」と感じて 読み始めたのが 読んでいく内に ああ そういう事もあるのかなぁ という話が いくつも出てくる。(かな?)
まあ攻撃しなくては、とまではいかなくても本能的に人間はそう動くものなのかもしれませんなあ…
自分との考え方の違いを「理解する・したい」ためにやっているような気がします。
それでも、どうしても納得がいかない意見などには、
自分の考え方(つまり、その人からすれば文句)を、
勝手に押し付けているのではないでしょうか?
そこに「愛がない」というのが大きな違い。
よく勘違いしてる人がいるんですが、例えばMだからって、痛いこと全般が好きなわけじゃない。
DQNに殴られたとか、車に跳ねられたからって、ちんちんおっきしないですよw
あと「お互いの間に精神的な関係がない」ってことも違いますね。
書き手が読み手を攻撃するため、あるいは攻撃されるために書いてるならば、擬似SMと言えるかもしれませんが、お互いに交わることのない加虐性と被虐性が別個に存在するってだけでは、SMにはならないです。
ま、結論で「一種のSMに類似」と書いてらっしゃるので、「本物と違う」っていうのは微妙にお門違いですけど。
僕としてはむしろ、仮想敵を設定することで自己の安定性を図るとか、単に刺激が欲しいとか、マイノリティを気取ることで優越を感じたいだとか、自己顕示欲を満足させたいだとかそういう単純な動機なんじゃないかなと思ったりします。
>名無しさん
>(偏った)正義感に溢れている人。
>こういう分類にあてはまる人が多数いると思われます。
「不快な文章を読んで、それに対してコメントを残す人」というカテゴリの中では、おっしゃる通りですね。啓蒙欲求といいますか、世の中ネット上だと攻撃的になる人は結構いる様です。
http://mubou.seesaa.net/article/2306729.html
この辺でも書いておりますので、良かったら参照して頂けると。ただ不快になる文章を読みに行きたがるだけの人、だとその限りではないかも知れないですが。
>ようこさん
いらっしゃいませ。
>おお なるほどなぁ なるほどなぁ という意見が 沢山聞けて 結構面白い(事もあります)
そうですねー。単に荒れてるだけの場所もあれば、凄く建設的なコメントにあふれている場所もあり、その辺の分岐もなかなか興味深いです。
>第一印象で「わたしは こう思う」と感じて 読み始めたのが 読んでいく内に ああ そういう事もあるのかなぁ という話が
そういうスタンスで読む人が多ければ、いわゆる「炎上」現象なんかも少なくなると思うんですけどねー。
>自分にとって将来的に不利益になるのでその文章を読んで攻撃しなくてはならない、という旨のページをどっかで見た記憶が…
おお、なるほど。それは結構深謀というか、戦略的な話ですね。ただ「○○うぜェ」とかだけだと効果は薄そうですが、例えば理論的にアンチの意見に対抗する、とかだったら効果がありそうです。
実際荒れたページを見ると理論的な人って少数派ですが。
>名無しさん
>jyhm,,lkjhgfdlkjmnb/. 。、mんbfgkl。mjfbvんbんdtj、hkjtyjhhszvsf
落ち着いて、やさしい気持ちで話し合いましょう。
>intさん
>自分との考え方の違いを「理解する・したい」ためにやっているような気がします。
そうですね。ただ、いわゆる「沸騰してるページ」という場所では、そういった建設的なスタンスの人は少数派かも知れません。
「世の中いろんな意見があるんだ」っていう前提を確固としてもっている人なら、そもそもあんまり不快に思うページがないかも知れませんが。
>通りすがりのMさん
大変勉強になりました。SMって言葉を軽く使わない方が良かったでしょうか?構図的な話ではあるんですが。
>お互いに交わることのない加虐性と被虐性が別個に存在するってだけでは、SMにはならないです。
なるほど。この場合は、「プチ自分いじめ」と「他人攻撃」ですね。
ちなみに、これは個人的興味なんですが、「自虐」あるいは「自虐的」と「M」は違うのでしょうか?
>僕としてはむしろ、仮想敵を設定することで自己の安定性を図るとか、単に刺激が欲しいとか、マイノリティを気取ることで優越を感じたいだとか、自己顕示欲を満足させたいだとかそういう単純な動機なんじゃないかなと思ったりします。
攻撃的な人に関していえば、おっしゃる通りだと思います。意識しているかどうかはともかくとして。
ただ、エントリーの中身にもよりますね。
単純に「怖いもの見たさ」と根が同じものなんじゃないかと思います。
「そんなに怖いならホラー映画なんて見なきゃ良いじゃん」
と言われても、本人にしてみたらそういう問題じゃないのと一緒で。
自分に対する批判、自分が好きなものに対する批判は
聞きたくないんだけれども聞きたくて仕方ないものなのではなかろうかな、と。
>自分にとって将来的に不利益になるのでその文章を読んで攻撃しなくてはならない、という旨のページをどっかで見た記憶が…
ひょっとしてこれじゃないでしょうか?
『「嫌なら見なければよい」の間違い 〜「嫌だからこそ見る」心理』
http://d.hatena.ne.jp/madness/20050501/1114966456
好き嫌いの趣向に対して罵倒する人は攻撃で快感を得ないといけない程、
不安定な精神状況下にある人とかじゃないですか。別におかしな事ではないですよね。
ただSMはただ攻撃を受ける事が快感なだけであって
「自虐=M」の場合だとしても別に自虐じゃないと思います。
それです。よく見つけてくださいました。
ほうっておけない、とか。
人権擁護法案に関する話題等を見てみると
そんな気がしてきます。
自分の価値観で判断し、異端だと思うから反論する
そして「異端」の行動を観察するために見る
そういう心理はわかる
SMうんぬんの気持ちはよくわからない
嫌なら見なければいいという論調は個人的には多様性を偏らせる原因になるので余り好きではないのですが
でも読みたがる理由として自分の考えを打ち砕かれるという所でマゾチックな所があるというのは同意します。
私の考えとしてはscottさんと同じで好奇心と興味で見に行く人が大半だと思います。何せネットの世界なら見に行くことに関するペナルティはわずかな時間のロスだけですからね。まじめな人なら中立性維持のためとか言うかもしれませけど。
ちなみに大抵の炎上Blogにせよなんにせよ実際文句を書き込む人って総アクセス数に比べるとやっぱり少ないですよ。書き込んでる人はストレス発散にはなるでしょうけど大多数は書き込まないわけでそう考えるとストレス解消目的で見に行くってのは(始めから文句を言いに行くと決めてる人以外)ちょっと考えづらいと思うのですが・・・
ちなみに私は好奇心のみで見に来ました^^
どんな批判であろうと、それは個人の意見だと思っている。
自分の意見が絶対だという自信があるような人はあまりいない。
自分はこのように考えているのだが、他の人はどのように考えているのだろう
他人の意見と自分の意見を照らし合わせて、他人を理解しようとする。
そして・・。
やめた、硬い文章は苦手だわ。
ま、簡単に言えば、読む方は好奇心や知識欲を満たすためじゃないかな。
荒らしをする人って、自分を見てほしいから?
自己主張が出来なくて、わめく感じに近いのかな。
今度荒らしの心理でも考えてみよう、暇つぶしになるかも。
>Scottさん
>「そんなに怖いならホラー映画なんて見なきゃ良いじゃん」
>と言われても、本人にしてみたらそういう問題じゃないのと一緒で。
ホラー映画に関しては、確かに構図が似てるなーと思いました。あれも、「怖さ」っていう負の感情を味わうものですよね。普通に考えれば観て得することなんて何もないのに、という。
まあそれでも、13金と呪怨ではだいぶ怖さの性質が違いそうですが。
>フレディさん
おお。リンク先、私も見させて頂きました。なるほどなあ。そういう視点もありますね。
>通りすがりさん
>好き嫌いの趣向に対して罵倒する人は攻撃で快感を得ないといけない程、
>不安定な精神状況下にある人とかじゃないですか。別におかしな事ではないですよね。
そうですね。ただ、罵倒抜きでも、なんかついつい「不快なリンク」をクリックしちゃうことって結構あるんですよね、私も。
政治が絡むエントリに関しては、ちょっとまた事情が別枠かも知れない、と思いました。政治思想ってまた結構複雑ですからね。神経過敏にならざるを得ない部分というか。
>ALさん
>自分の価値観で判断し、異端だと思うから反論する
>そして「異端」の行動を観察するために見る
「冷静なコメント」の人はそんな感じなんでしょうね。本来あるべき姿だと思います。
>饅頭こわいさん
>嫌なら見なければいいという論調は個人的には多様性を偏らせる原因になるので余り好きではないのですが
そうですね。いや、一応本論でも触れてるんですが、最終的には「見なければいい」で済む問題でもないと思っております。
>ちなみに大抵の炎上Blogにせよなんにせよ実際文句を書き込む人って総アクセス数に比べるとやっぱり少ないですよ。
だと思います。やっぱなんとゆーか、喧嘩好きな人々が何%かの比率で混じっているんでしょうね。
>k&kさん
>自分の意見が絶対だという自信があるような人はあまりいない。
んー、私は自分の意見が絶対だとは1ミリグラムも思っていないつもりですが、ネットには結構「オレの意見絶対」って考えてる人が見受けられる様にも思います。ソース出せって感じですか。すいません。
勿論、自分が正しいと思う意見を書く訳で、ある程度までは偏狭にならざるを得ないのかも知れませんが。
好奇心や知的欲求はメインの部分ですよね。
>荒らしをする人って、自分を見てほしいから?
どうなんでしょう。荒らしってのも色々ありまして、まずは「自覚がある人」と「自覚がない人」の分類から始めるのが手っ取り早いんではないかと思います。私もそのうち書いてみようかな。
>見受けられる様にも思います
「書き込む」自体が、他人に自分の意見を正しいと認めてもらいたい、という感じで、他人の目を気にしているのかな、とも思いますけどね。
俺はこう思うから他人の意見なんて関係ないという風に、絶対自信がある人は書き込まないかなと
>まずは「自覚がある人」と「自覚がない人」の分類から
>始めるのが
そっか、まずは色々分類することから始めないとだめか。
眠い・・さすがに睡眠時間足りないかな。
心地よく感じるのは何らかの体内麻薬成分が分泌されている為ですから
常なる怒りは感覚を鈍くして、より一層の怒りでないと快感を得られなくなってしまう
「怒」中毒症となる危険がなきにしもあらず・・・かな?
そんなわけで、本当に『嫌なら見ない→嫌だから見ていない』という人もいるのですよ。その人たちは意見を書き込まないので存在に気付かれないだけで。
だから、私は発熱地帯を見ていない。一度見て、そういうサイトだと、私には向かないサイトだとわかったから、二度と見ないし、見ていない。そういうことです。
(・・・ここに書き込んだら、「釣られた」ってことになるのかなぁ。)
では、また、ゲームの話の時にでも来ますね。
>k&kさん
>「書き込む」自体が、他人に自分の意見を正しいと認めてもらいたい、という感じで、他人の目を気にしているのかな、とも思いますけどね。
>絶対自信がある人は書き込まないかなと
うーん、どうなんでしょう。自信、のニュアンスがちょっと違うかも知れないですね。
言い換えます。「聞く耳をもってない人が多い様に思えます」
他人の目を気にしている、というのはおっしゃる通りだと思います。でも、他人の目を気にしていても他人の意見を受け入れないのであれば、結果は「オレの意見絶対」と同じですよね。
>>がーごいるさん
>「怒」中毒症となる危険がなきにしもあらず・・・かな?
むう。例えば会社のエラい人とかで、始終色んなことから怒りのタネを見つけてくる人がいると、「怒」中毒かなーと思うこともありますが。
ちなみに私は、SNKの「怒」は好きですが中毒ではないです。
>気分を害するようなことが書いてあったら嫌なので。申し訳ないですが。
ああ、うちみたいにテーマがとっ散らかったブログからすると、にゃあさんみたいなスタンスで読んでくださる人は大変ありがたいですよ。気にしないで下さい。一応参考までにこのエントリーの中身を要約すると、一言で言うとSMの話です(えー
>本当に『嫌なら見ない→嫌だから見ていない』という人もいるのですよ。その人たちは意見を書き込まないので存在に気付かれないだけで。
いや、その方が確実に精神衛生上いいと思います。そして、おっしゃる通り、多分そちらの方が多数派でしょう。わざわざ求めて嫌なものを見る人もいるのだな、と考えてこれ書いてはいますが。
>LSTYさん
>「ストーリーを作る者と、それに従う者」という、非常にわかりやすく安定した「関係性」だと思っていますよ。
ふーむ。つまりはアレでしょうか、ロールプレイの一種、ということでしょうか?イメクラみたいな。
ただ、そこに精神的・ないし肉体的な嗜虐が伴うとしたら、やっぱりそちらに目が行き勝ちにはなってしまいますね。「従属」というロールに象徴なのかな?
>↑どうでもいい事をここに書き、本来コメントに書くべき事をはてなブックマークに書いたことをお詫びします(笑)
私の中では既にこちらがメインになりつつあります(カエレ
>他人の目を気にしていても他人の意見を受け入れないのであれば、結果は「オレの意見絶対」と同じですよね。
押し付けなければ、まだ違うと見て良いのではないでしょうか。
議論の場では、押し付けたと取られるからモメるのですけど。(^_^;)
原因は見る方の取り方だったり言う方の書き方だったりと、その時その時によりますが。。
というマゾ的行為だと思いますが。
コメントありがとうございます。
>押し付けなければ、まだ違うと見て良いのではないでしょうか。
そうですね。すいません、またちょっと言葉足らずだった様です。どーにも、荒れた場所でコメントをべきべきと書き綴る人には、押し付ける意思満々の人の方が多い様にも思うんですが、どんなものでしょうか。
>fumfum_nu atさん
コメントありがとうございます。
傷つく、の後に「怒り出す」「憤る」っていうプロセスがある人とない人がいるんですかね。
あなたみたいに、ちっこいところで
勝手に結論ずけちゃっている
勘違い君がいるから、
じゃないの?
もっと、視野をひろーくひろーく
コメントありがとうございます。
>勘違い君がいるから、じゃないの?
おっしゃる通りですね。ただ、よかったらネタも汲み取ってもらえると嬉しいです。たいしたネタじゃないですか。すいません。
面白い題名だったので、思わず読んでしまいました。私も読むと不快になる文章を読むことがありますが、謎が解けると全く興味がなくなってしまいます。
書いている方も気が付いていないような根本の性格や、考え方の癖を読んでいる方もまた気が付かないで違和感を感じていることが、多いのではないかと思います。
その違和感の謎が解けるとき、あっという間に興味がなくなります。そのほとんどは書いている側、読む側にとっても知識にもならないくだらない感情が原因ということが多いからです。結果的に、人の感情をなでたり刺したりする文章って実は簡単なのかもしれませんし、一番楽しいのかもしれませんね。考えなくていいから。
そういうことを書ける人が実はもっとも苛立たせたいと思っている相手の感覚と似ているというか、そのものなのかもしれないと思ったりします。そう考えると、目くそ鼻くそを笑う類に思えたりして、SMとかとは全く違う世界だと思えます。似たもの同士の小競り合い。
その程度のものではないでしょうか。
それと読んでる側も書いてる側も嫌がるのが、どちらも集団になっていくこと。それがあると、ますますヒートアップしますよね。書く側もコメント側も「見えない集団(人が溜まっている、見られている妄想)」がキーワードになってると思います。それの小競り合い。
要するに人はいつでも「集団に所属したい」だけなのではないでしょうか。煽る側か煽られる側に入ってれば、自分で自分が把握しやすいと勘違いしているだけのことだと思ったりしています。残念なのは、他人の力を借りないと燃えられない人たちが、たくさんいるようだということですよね。ある意味惨めかなぁなんて思うこともあります。
コメントありがとうございます。えーと、まあその、これだけコメントがついた後でこんなことを言うのはちょっと心苦しいのですが、SMうんぬんというのは実際のところ単なるネta(PANG!!)
それはそうと。
>それと読んでる側も書いてる側も嫌がるのが、どちらも集団になっていくこと。
考察してみると面白いかも知れませんね。ただ、見ていると周りとの会話や連携にはあまり興味なく、筆者にだけひたすら叱責を書きつづける読者さんもいる様です。
読み手の立場に立ったら確かにしんざきさんが書かれた記事の通りかもしれません。
ですが私も幾つか批判した記事を書いたことがありますが、猛烈な反発を受けたという経験はありません。
私の場合がレアケースということも考えられますが、私が幾つかネットで炎上したブログの例を見たところ、書き手(というか書いてるネタ)にも問題があるような気がします。
炎上ブログの傾向として以下の三つが上げられます。
1.宗教、イデオロギーに関する記事(マナー論などもこれに当るかな。。。)
2.反社会的な記事(万引きしちゃった記事とか、動物虐待記事など)
3.書き手の性格的な問題(コメント欄で煽ったり、人をバカにしたりした場合)
2項については反社会的という多くの人々に受け入れられない内容をネタにしているので反発も当然です。
3項についても書き手が煽っているのだから自業自得ってものです。
問題なのは1項です。
こいつは厄介で、どんなに理論整然と説明しても解ってくれないくれないことが多い。
(例えば神様を信じている人に、神様なんていないさとどんなに親切丁寧、理論整然と説明てもたぶん解ってくれないでしょう。)
日本は言論の自由が認められているので、上に挙げた記事を書くなとは言いませんが、書いた場合はある程度反発があるということも、書き手は理解していた方が良いというのが私の考えです。
以上、単なる所感です。
コメントありがとうございます。
>問題なのは1項です。
>こいつは厄介で、どんなに理論整然と説明しても解ってくれないくれないことが多い。
おっしゃる通りですね。これに関しては、イデオロギーとかその辺のデカブツが、どれだけ人間の基盤に食い込むかって部分に起因しているんじゃないかと思います。
昔それについてもちらっと書いた様な覚えがありますので、もしお暇な時間などありましたらご参照いただけると。
http://mubou.seesaa.net/article/2360379.html
わたしはアニメファンでもあるのですが、ブログのアニメ感想を見てるとつまらない、面白くないという意見を延々と全話分語ってる人がいたり、中にはたたきまくる人がいたり。
これについて不思議に思ってました。つまんないなら見なきゃいいのにって
なるほど、精神的マゾかぁ
というのがそもそも見当外れなんです。
だって、アンチスレにマンセーを書くのも、
競合企業の商品スレを炎上させるのも、
命令されて強制的にやらされてるオシゴトですもの♪
おまいら、選挙なんて行かないだろ?
でも、命令されて強制的にやらされるオシゴトなら行かざるを得ない♪
あら、そっくりね♪
>わたしはアニメファンでもあるのですが、ブログのアニメ感想を見てるとつまらない、面白くないという意見を延々と全話分語ってる人がいたり、中にはたたきまくる人がいたり。
それを書くことによる楽しさ、精神的興奮っていうのが結構多いんでしょうね。
後はやっぱ釣れる快感ってあるんだろうと思います。
>名無しさん
選挙はいかないといかんですよね。
それがそもそもではないかと思います。
そうじゃなくて、ある事例に関しての批評を検索したい。それは賛同も批判もあるはずだけど、それを好きな人間としては、賛同であって欲しい…しかしとても受け入れられないような批評を発見して、なんだこいつは!と怒りに行くんじゃないでしょうか。もちろんこの行為が良いわけではなく。
これだけ書くと「大人ならスルーすればいいじゃん」と思ってしまいますが、動物大嫌い板的な「一般社会としてこれはどうかと…」とあまりに許せないものを見て「一言言いたくなる」とかそういうのもあるのでは。
逆に、叩かれやすい「オタク的、マニア的コンテンツ」に一般人が「何おまえらおかしなことやってんだ!」とわざわざやってくれば「なんで嫌いなもの覗きにきてるの?」と問い返してしまいますけど。
>そうじゃなくて、ある事例に関しての批評を検索したい。それは賛同も批判もあるはずだけど、それを好きな人間としては、賛同であって欲しい…しかしとても受け入れられないような批評を発見して、なんだこいつは!と怒りに行くんじゃないでしょうか。
そういう場合の方が多い、というのは確かだと思います。
ただ、世の中には、本当に「嫌いなものをわざわざ見にいく」という人もいるみたいなのですよ。私も最初は「なんでやねん」と思いましたけど。
全然違う
しかも 私は〜 私は
って結局他人を批判して自分擁護ばかりで奥行がない
という言葉を見ると、
「クズみたいな文書を俺の視界に入れた責任をとれ」と何時も思ってしまう。
本当に、なんとか不快な情報を事前カットする
技術が開発されないんでしょうかね
http://blogs.yahoo.co.jp/tetudofun/36038132.html
国はネットをちゃんと整備すべきだと思う。
この現状じゃ落書きゴミクソだらけの公衆便所と変わらん。
古い記事にコメしてどーすんだという感じですが、私の考えを少し書かせていただきます。
私も不快になる文章をわざわざ読みにいくタイプです。
(この記事は違いますよ)
そして、その理由は「論破してやろう」という自分の虚栄心のような感情を満たすためです。
でも、だいたい無理です。
私が書きこむ前に論破を試み、失敗している人がいて「あー、じゃあどうすればこの人にわかってもらえるだろうか……」とへこむ感じですね(笑)
結局「こういう風にならないようにしよう」という勉強のつもりで記事を閉じますが、基本的に虚栄心から読んでます。
また、もし論破できそうでも、私より先にコメントして論破しちゃってる人がいれば、私は便乗しません。
あんまり生産的な行為ではありませんね(笑)
同じような人がいなかったのでコメさせていただきました。
このエントリーを見た感想です
僕の意見としましては、コミュニケーションというのは2つの要素があると思っています。
・「コミュニケーション」そのものを楽しむ人。目的として考えている人。
・「コミュニケーション」によって何かを得たい人。手段として考えている人。
男性と女性の違いみたいな話ですが、人間はどちらの要素も持っていると思います。
不快な文章を読む方の心理として、自分の好きなものの話題を知りたいとという事があると思います。良く好きの反対は無関心といいますが、つまり不快な文章というのは無関心な態度をとられるより、嬉しいものであると考えます。そして、何でもいいのでそのことについて語りたい、知りたい、「コミュニケーション」そのものをしたいという方が1つあります。
もう1つとしては、自己に興味がある方というのでしょうか、自分を研鑽すること、自分を成長させること、自分と内省すること。そういうのが好きな方がいらっしゃるかと思います。そういう方は、自分の意見とは違った意見を絶えず求めています。新しい発見、気づき、知識。そうやってコミュニケーションを1つの方法として、持っている人。
この2つの考えによって批判は生み出されるものだと思います。
どちらも中傷や非難というのは、間違ったやり方ですが、ネットだとそういう安易なやり方に走る傾向が少なからずあると思います。
1つは、あおる事によって誰かと会話したい人。
1つは、あおる事によって知識を得たいと思っているひと。2chでは間違った知識を堂々と語ると、誰かが突っ込みを入れやすいという書き込みを見た覚えがあります。
なぜネットでそういう書き込みをするのかというのは、自分の今の環境に満足できていないとか、知識を得たいけどやり方が分からないであるとか、色々あるかと思いますが、本質的にはこの2つの要素が働いて書き込みされる方が多いんじゃないかと思います。
自分がつまらなかったら人類すべてつまらないと思っている、と勘違いしています。
出来た人間なら、「こういう考えをする人がいるのか」とその意見を自分の知識に変換することが出来ます。しかし世の中にはそれが出来ない人が多いから、アンチや信者などと異端児扱いをするのです。
よく絵が下手、面白くない等の理由で作品を批判するコメントを叩く人がいますが、別に問題ないんですよね、そう考えるのは個人の自由ですから。言い方に問題がある人は多数存在しますが。
自分の感情を抑制することが出来ずに、他人の感情を否定し自分が正しいと思い込んでしまう。
故に、自分の不注意で批判が多いサイトを閲覧しても相手のせいにしてしまう。
感情なんてものは面倒くさいと常々思いますね
書かれた2005年当時から今にも脈々と続く問題ですね
古代人脳みそ「あの草むらには毒蛇がおる気がするで!近づかんどこ」
古代の現実「当たったぞ」(毒蛇ブシャー)
古代人脳みそ「やったぜ!危機を回避するこの能力は有用やから予測があたったら気持ちええホルモン出すようにしとこ!」(デュワー
時は流れて
現実「アンチ巨人記事やぞ」
現代人脳みそ「この記事読んだら頭に来るやろな…読んだろ!」
現代人脳みそ「ウワー頭にきた!予想があたったから気持ちええホルモン出すで!」(デュワー
現実「アンチ巨人記事その2やぞ」
現代人脳みそ「あ、これ読んだら頭に来るやつじゃん!読んだろ!」
現代人脳みそ「ウワー頭にきた!予想があたったから気持ちええホルモン出すで!」(デュワー
こういうことらしいね
ンモーご先祖様ってば生存のみに特化するんだもん子孫がこまっちゃう