先にお詫びしておくと、感傷的な文章になる。
まず第一に、私はレトロゲーマーであり、最近のゲーム業界事情にはそもそも疎い。近来のタイトーについて私がそれ程知らないことも事実であるし、確か最近のタイトーは業務用・家庭用ゲームの自社開発をあまりやっていなかった筈だ。だから、タイトーの立場が多少変わったとしても、私に及ぼされる影響は実のところあんまりない。
第二に、今回の話でタイトーが倒産する訳では無論ない。タイトーの名前は残るだろうし、TAITOレーベルのゲーム開発が活発になる可能性すらないではない(あんまりなさそうだが)。全くの悪い話ではもともとないのだ。
例えるとすれば、「昔凄く好きだったけれど、最近引退気味の作家の訃報」という様な構図に似ている。私は飽くまで昔の著書の愛好者であり、手元に残った本だけで十分楽しく生きていける。そこまで重大な衝撃がある訳でもなく、昔の自分に対する一種の感慨があるのみである。
故に、今回のエントリーは単なるタイトーファンの感傷である。繰り言になることをご容赦頂きたい。
私にとっての三大メーカーの一角が、どうやら崩れる。
歴史の話をさせて欲しい。日本におけるゲームの歴史は、タイトーから始まった。
まず、「世界初のコンピューターゲーム」と呼ばれる「Pong」と「Computer Space」を発売したのが米国のアタリ、1972年である。で、その翌年、日本で初めてコンピューターゲームを世に送り出したのがセガとタイトー。内容はいずれもPongのコピーだった筈だ。
で、ゲームの歴史に爆発的大加速をフッかけたのが、他ならぬ「スペースインベーダー」である。
「スペースインベーダー」。1978年、タイトーから業務用発売。多分言わずと知れているとは思うが、固定画面において画面上部から少しずつ迫ってくるインベーダーを、画面下を横移動しながら次々撃墜する。インベーダーが下までたどり着く前に全て撃墜すればステージ一つクリア。
稼動当初からの流行で空前絶後の大ヒットとなり、喫茶店などへの設置の他、インベーダーゲームを置いて客を集める「インベーダーハウス」と呼ばれる店舗が竹の子の様に全国各地に続々出現した(これらが後のゲームセンターになる)。恐喝などの社会問題も様々発生し、当初は「ゲーセン=不良の溜まり場」というイメージの直接的な要因にもなっていた。まあ勿論、私は実際経験した年代でもないのだが。
基板の生産が需要に追いつかなかったということもあり、他のあまねくメーカー(某花札会社を含む)が後追いコピーを続々発売し、ありとあらゆる海賊版が市場にあふれ返ったという話も有名である。このコピーを契機にゲーム業界に参入したメーカー、というのも割と数ある。まあコピーに限らず、1978年からいわゆるアーケードゲームを発売し始めた企業の数を数えるだけでも、その影響力が伺い知れる。有名所だけで、データイースト、バンプレスト、ジャレコ、サン電子、サミー、SNK、アイレム。おっそろしい面子である(別にこの全部がインベーダーを契機にゲームを作り始めた訳じゃないだろうが)。
メーカー単位の話を離れても、スペースインベーダーの影響力というものは想像を絶していた。「攻めてくる敵を迎撃する」というゲーム性はゲーム開発の格好のモデルケースとなり、ギャラクシアンやムーンクレスタなどのシューティングの原型のみならず、「シェリフ」を始めとする様々なアクションゲームもインベーダーを基点として開発されている。このゲームは、文字通り日本の多くのゲームの「始祖」だったのである。
日本のゲーム業界史で三つの歴史的タイトルを挙げろと言われれば、多分大体は「スペースインベーダー」「テトリス」「ストリートファイターII」辺りに落ち着くんではないかと思う。いずれもとんでもねえ知名度と売上を誇った名作揃いではあるが、「影響度」という点において、後ろの二つはスペースインベーダーに恐らく及ばない。ストIIは業界そのものを創ることはなかったが、スペースインベーダーはそれをやったのだから。
私の個人的な話にうつる。
インベーダーの話からは逸れるが、私はレトロゲーマーの中でもタイトーッ子というちょっと特殊なカテゴリーに分類される人である。タイトーゲームを好んで遊び、人生を円グラフにした際にタイトーゲームが占めるパーセンテージがそれなりに大きい。
人生で初めて「やり込んだ」ゲームは、宮城のとある簡保ホテルのゲームコーナーにあった、「スピードレース CL-5」。当時ですら既にレトロゲームだったそのゲームは、ハンドルとアクセルとギアを操りながら長いストレートを突っ走り、前方から押し寄せるライバルカーをよけまくるという、丁度「ジッピーレース」の元祖の様な構図のゲームだった。見知らぬ客とのハイスコア争奪合戦が非常に熱く、かなりの勢いで100円玉をつぎ込んだ記憶が濃い。
以後、私のゲーム人生は、かなりの密度でタイトーゲーに埋め尽くされることになる。いいゲームもそこまででもないゲームも全部ひっくるめて、私はタイトーゲーが好きだった。
例えばクイックス。フロントラインにちゃっくんぽっぷ。グレートソードマンやジャイロダイン、スカイデストロイヤー、影の伝説。そしてアルカノイド。勿論奇々怪界にバブルボブル、オペレーションウルフにダライアス、ミッドナイトランディング、レインボーアイランド、サイバリオン、ニンジャウォーリアーズ、地獄めぐり、中華大仙。フリップルにナイトストライカー。インセクターX、ヴォルフィード、ミズバク大冒険、ガンフロンティアからレイフォース、ダライアス外伝、レイストーム、Gダライアス。
羅列になった。
少々不謹慎な話なのだが、私はたまーに「誰が死んだら時代が一つ終わったと感じるか」という話題を持ち出す。時代を代表した人物というのは確かにいるもので、例えば手塚治。いかりや長介が亡くなった時に時代の終わりを感じた人もいるだろうし、高田渡が死去してそう思った人もいるだろう。
ゲーム業界の歴史と、私の個人的ゲーム史を創ったタイトーは、スクエ二の子会社になる。私が「一つの時代の終わり」を感じるに、これ以上の事象はない。存在しない。
昭和と平成に挟まれて続いていた何かの時代が、私にとってようやく終わった。
2005年08月23日
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確かに昔のタイトーのゲームは小粒ながらもキラリと光るものがあったよねぇ。羅列しているゲームの9割がたは私もお世話になったし。
今回の合併、スクエニがタイトーの何が欲しかったかはみえみえだしね。スクエニが持っていないもの持っているし。
・゚・(ノД`)ノ・゚・。
>GOTYさん
いやーーははは。ZUNTATAを摂取して育ちました。はぁ。
みえみえですねえスクエニ。携帯とゲーセンとカラオケですか。どー展開するのやら。
自転車に鍵をかけ忘れてパクられたり、ホモっぽい兄ちゃんに妙に気に入られたり、補導されて教室で晒されたりw
ゲームセンターにはネガティブな思い出は他にもありますが、それ以上に楽しい思い出の方が多いです。
ホステスっぽいお姉ちゃんと知り合いになったり、常連の大学生の兄ちゃんとドルアーガ攻略したり、ドラバス1コインで営業終了まで粘って店員にたたき出されたり、いやすいません、昔語りはこの辺で。
>常連の大学生の兄ちゃんとドルアーガ攻略したり、ドラバス1コインで営業終了まで粘って店員にたたき出されたり、いやすいません、昔語りはこの辺で。
ドルアーガ攻略はホンット熱かったみたいですねー。リアルで体験出来なかったのが残念でなりません。
1コ系の思い出は私もあります。イシターの復活とか。