2007年10月29日

Webの「キー局」としてのGoogleと、TBSの共通点。

自分の中でちょっとしっくり来たので、なんとなく書き残しておく。既出かどうかは気にしないことにする。


あらゆるメディアには、情報ツールとしての側面と、評価・認証機関としての側面という二面性がある。

ニュース番組がニュースを流す。ニュースという情報を電波に乗せる、「こんな事件があったよ」という情報をお茶の間に放映する、この場合ニュース番組は情報ツールとして機能している。

ニュース番組がそのニュースの内容について、あるいはニュースで報じている事物について、なんらかの評価を付け加えるとする。例えば、「この事件良くないですよね」と付け加える。この場合、ニュース番組は評価機関として機能している。ニュースを流すこと自体が、あるニュースの正しさを認証するということでもあり、この場合もニュース番組は評価機関に近い役割をもっているといえるだろう。


情報は、素の状態ではそっけない。素の状態で情報を流しているだけだと視聴者に受けない→影響力が減ずるから、評価という付加価値をつけて情報の価値を上げる。それが「評価機関」としてのメディアの働きであり、利益を追求する企業としての姿勢でもある筈だ。

多分、ここまでは前提と考えていいだろう。


最近TBSが色々と叩かれていた。この前の初音ミク絡みの騒動だとか、亀田家絡みの話を見るに、乱暴に総括すると「情報ツールとしてメディアを捉えている」文脈と、「評価・認証機関として機能しようとした」TBSの軋轢があった、様に私は感じたのだ。


この前の初音ミク絡みの番組は分かりやすかった。「初音ミクというソフトがありますよ、こんな機能がありますよ、というのは素の情報だ。そこに、「でも、使っている人がこんなんですよ、オタクキモいですよね」という評価を乗せる。これは評価機関としてのメディアの機能である。で、後者の方にWebの一部のヒトビトがエラい文句をつけた、というのがこの前の騒ぎの要約だったと思う。

まあ、この騒ぎについては「評価の内容」が刺激的だったもんで際立っていると思うんだけど。Webのメディア批判の殆どは、「評価機関としてのメディア」を叩いている、という共通点をもっている様に思う。

評価が捏造までいくのはまあ論外だが、とにかく評価が行き過ぎると叩かれる。Web界隈では、評価には極めて厳密な公平性を求められる(本来「公平な評価」「客観的な評価」なんてものはこの世に存在しないと思うが)。というか極端な話「情報ツールに過ぎないメディアが、評価なんて生意気なことをするな」という方向性になっている文脈が結構ある様な気がするのだな。


敢えて極論すると、Webの多くの言論は、メディアに「情報ツールに徹する」ことを要求している、様に私には見える。


以前、毎日新聞の新特集関連で香ばしい事態が発生している件について。で、ちらっとこんなことを書いた。
商業メディアのパワーソースは影響力であるから、影響力を確保する為に自社の報道には偏向をかける。繰り返すが、これは商業メディアにとって「当然のこと」なのだ。

一方、Webの言論は「情報ソースに偏向をかけること」を許容しない。

偏向と言うと聞こえが悪いが、これ、「偏向→評価」に置き換えると今回の構図に大体当てはまるのかなーと思った。


一方、ちょっと興味深く思ったのがGoogleに絡んだ騒ぎだ。

当然のことだが、GoogleやYahoo!の様な検索エンジンも、情報ツールとしての側面と、認証・評価機関の側面としての二面性をもっている。

検索エンジンは、基本的には「検索語と関係するページを表示する」という情報ツールであるが、同時に「このページは検索語と関係していますよ」ということを保証する認証機関でもある。そして、SEO対策だのGoogle八分だのを見ていれば分かる通り、「表示順位」という絶対的な評価方法を有してもいる。


Googleの評価機関としての側面が、実はTBS他大手メディアと本質的に変わらないということを、あんまり意識していない人が多い気がする。Googleは、それが有効だと思えばいつでも「えげつない」やり方で評価機関としての側面を前面に出すことが出来るのだ。そして、WebにおけるGoogleの影響力は、言うまでもなく巨大である。

この前の初音ミクに絡んだGoogle騒ぎは、結局勇み足だったんじゃねえかなと見えなくもないが(ちゃんと追いかけていないので、結局真相がどうだったのかは良く知らないが)、ともあれ随分センセーショナルな騒ぎになった。それは何でかというと、メディアとしてのGoogle、「情報ツール」ではなく「評価機関」としてのGoogleが、今まで余りそれを意識していなかったユーザー達につきつけられたから、という側面もあるんじゃなかろうか。


Googleはまず第一に情報媒体であり、情報ツールであると同時に評価機関でもあり、そして何よりも企業である。Webを代表するツールだったGoogleが、企業として「Webの理屈」から乖離し始めた時、TBSを批判している様な人達はどんな反応を示すのだろうか。
posted by しんざき at 18:30 | Comment(4) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
毎度、お邪魔します。

(※以下、一息で読んで下さい)
個人的に思うことなのですが、テレビ媒体が「評価機関」としての機能を有することは情報提供者が人間でありまた情報の受け取りが受動的で「評価」も「情報」という考え方も出来るので恐らく大部分の人が「是」とするでしょう。逆にGoogleの場合は仮にもプログラムでありその上情報を受け取る人間が能動的に情報を引き出そうとするものなのでそれを阻害するような評価機関を備えるというのは「否」とする人がほとんどなのではないでしょうか。
(※息継ぎして下さい)

本当にスンマソンm(__)m
Posted by NOBIE at 2007年10月30日 21:21
>NOBIEさん
すいません、一回息継ぎしてしまいました。深く反省。

>「評価」も「情報」という考え方も出来るので恐らく大部分の人が「是」とするでしょう。

私もそれが当然だと思うのですが、そう思わない人も意外といるみたいだな、とか。いや、印象論なので申し訳ないですが。

>情報を受け取る人間が能動的に情報を引き出そうとするものなのでそれを阻害するような評価機関を備えるというのは「否」とする人がほとんどなのではないでしょうか。

評価機関といいますか、現状SEO対策とそれに伴う検索順位の上下は、決して情報を受け取る側の利益にはなってないとは思うのですよ。単なる原則論ですけど。
そういう意味では、Googleをはじめとする検索エンジンは、実に巧妙な評価機構を作り上げたなあ、とか思います。悪いことだとは思ってないですが。
Posted by しんざき at 2007年11月01日 23:04
>すいません、一回息継ぎしてしまいました。深く反省。
(ピンポンパンポーン)
お知らせいたします。
しんざきさまの息継ぎポイントとなった(であろう)句点部分は、審議の結果、接続詞に変換可能であることが判明いたしました。
主催者(誰?)より深くお詫び申し上げます。

>私もそれが当然だと思うのですが、そう思わない人も意外といるみたいだな、とか
Googleとの対比としてのTV、てことを念頭に置いていたのでああいう書き方になりましたが、案外いそう、というのは同意です。

>SEO対策とそれに伴う〜
「SEO対策」はともかくとして、「Google八分」は「絶対にその情報が検索できないようにされる」という点で相当な害悪である、とは言えますまいか?
Posted by NOBIE at 2007年11月02日 03:36
>NOBIEさん
あらゆる接続詞は「ところで」に変換しても文脈に不都合は生じない、とか昔国語の先生が言ってたんですが、そうでもない気がします。関係ありませんが。

>「Google八分」は「絶対にその情報が検索できないようにされる」という点で相当な害悪である、とは言えますまいか?

そうですね。Google八分も、検索順位を武器にした評価機関としての能力、なんだろうと私は思ってます。ちょっと不確かな部分が多いんで、文脈には書きませんでしたが。
Posted by しんざき at 2007年11月05日 23:27
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