2007年12月06日

人は何故、体験談や経験談に「釣り」「ネタ」と指摘せずにはいられないのか。

あなたは、あるいは私は、何の為に「釣り乙」「ネタ乙」というコメントを書き込むのだろうか。放流される予定の魚に、「お前は釣られたんだぞ」と言い含めてやる理由は何だろう?


はてな匿名ダイアリーであるとか、2ちゃんであるとか。
主に匿名畑の掲示板でよく見るのだが、何か体験談、経験談っぽいものが書き込まれ、それにある程度以上の反響や共感が集まった場合、その中には「釣り」「ネタ」と指摘する声が割とある。結構ある。大体ある。


「釣り」「ネタ」というのは、この場合は「実話ではない、創作・妄想」という様な意味になると思う。体験談・経験談に対して「実話じゃないでしょ」「(釣り|想像|妄想)でしょ」と指摘する・あるいは野次る声をしばしば見る、という話である。

その「声」には、きちんとした根拠と説得力を備えたものもあれば、そうでもないものもある。


考えたいことは、大きく分けて二つある。

・釣りを指摘する効果について。
・釣りを指摘する意味について。


順番にいこう。


・釣りを指摘する効果について。

先に、「実話じゃなかったとして、それって何か意味あるの?」という点について考えてみる。

結論から先に書くと、「実話ではないかも」という疑念が、どれだけその話の面白さに関わってくるのかという、受け手の尺度の問題になる。


皆が「面白い」といっているその声の中に、「お前ら釣られるな、実話じゃないぞこれ」という声が割り込んだとする。その、「実話じゃない」とする声にある程度の説得力があったとしたら、「面白い」と思って読んでいる人たちには、どんな水がぶっかかるのだろう。


かつて、岸辺露伴先生はこう言った。『リアリティだよ!リアリティこそが作品に生命を吹き込むエネルギーであり、リアリティこそがエンターテイメントなのさ』

リアリティは、確かに文章の面白さの重要な要素の一つであり、また「感情移入のしやすさ」という重要な尺度にもなる。「入り込めるかどうか」というのは、その文章が訴えかけるリアリティ次第なのだ。


原則的には、「それが事実であるかどうか」はリアリティとは何の関係もない。 もってまわった言い方をすれば、「リアル(事実)であるかどうかは、実はリアリティとは相関しない」のである。実際のところ、「それが事実であるかどうか」を本当に突き止める方法などWeb上には存在しない、という現実もある。

ことは表現力の問題であり、言ってみれば読者と書き手の勝負だ。出来のいいフィクションに感情移入する人はたくさんいるし、それに対して「実際に起きたことじゃない」というケチをつける人はどこにもいない。


勿論上の話は単なる原則論であって、体験談という枠に絞って言えば、受け取り手のスタンス次第で「事実と受け取るかどうか」という要素が及ぼす影響は変わってくる。


ある文章を「読み物として」楽しむ人には、それが事実であるかどうかは多分あまり気にならない。

ある文章を「情報として」楽しむ人には、それが事実であるかどうかが結構重要かも知れない。



私自身は、体験談という時点で「情報」としての受け取り方はしない様にしているので、それが事実であるかどうかは割とどうでもいい。ただ、例えば2ちゃんで「釣りですた!」という言葉が書き込まれた際の過剰反応なんか見ていると、「それが事実であるかどうか」に重きをおく人というのは、案外少なくない様ではある。


「釣り乙」という言葉は、受け取り手のスタンスによっては、体験談・あるいは経験談のリアリティに何かしらの悪影響を与えることが出来そうだ、という結論をまずは出しておこう。



・釣りを指摘する意味について。

「釣り乙」という言葉が向けられる対象は、大きく分けて三つある。

・自分以外の読者。
・自分。
・書き手。


これも順番に考えてみよう。


・自分以外の読者に対する「釣り乙」という言葉の意味は?

基本的には、「自分からは釣りである様に見えるエントリーに賛同している他の読者に水をぶっかけたい」という意図によるだろう。この理由は、また幾つかに分けて考えられそうだ。

○そのエントリーが実話だと信じられ、共感を呼ぶことによって、自分、あるいは自分を含んだ他の何かにマイナスの影響がある、と考えた。
○単純にそのエントリー・あるいは作者が嫌いである為。あるいは嫉妬。その記事が共感を集めることが面白くない。
○主観的に見て実話ではない記事が広まることに耐えられない正義の人、あるいはリテラシーの啓蒙者である。


他にも色々考えられそうだなあ。

ただ、一つ注意しなくてはならない問題がある。そのエントリーを書いた人は、はっきりとした釣り針を見せているのか?ということだ。

もしも話者の尻尾が見えているというのに、多くの人が話者の語り口に騙されているとしたら、ことはリテラシーの問題になる。「そこに尻尾が見えているぞ」ということを指摘するのも悪いことじゃないだろう。

ただ、その釣り針が水中にあってはっきり見えないということであれば、もしかするとあなたは他の何かを釣り針と勘違いしているのかも知れない。単に「あなたにとって嘘くさい」ということは、それが嘘であるという根拠にはならない。この辺は、水をぶっかけることが好きな者の嗜みとしても心得ておきたいところだ。


・自分に対する「釣り乙」という言葉の意味は?

「釣られなかった俺かっこいい、釣られたお前らダサい」という優越感ゲーム。それ以上でも以下でもない。

正直なところ、「釣り乙」というコメントの大半は、この種の優越感を多かれ少なかれ含んでいる様に思う。

「外から見ている限り、別段それが実話であろうがなかろうが、誰にも損は生じない」と思える様な体験談は結構ある。それに対する「釣り乙」に関しては、多くがこれなんではあるまいか。

受益者が自分に限られており、他のヒトビトはイヤな思いしかしない辺り、この水のぶっかけ方はあまり生産的とはいえない。自己分析は怠らない様にしたいところだ。


・書き手に対する「釣り乙」という言葉の意味は?

リアリティの不足を指摘することによって、書き手としての成長を期待しているのだろうか。それはいいことをなすった。次回は更にリアリティあふれる体験談を書いてくださることだろう。まあ、結局実話かどうかはあんまり関係ないんだけどね。



という訳で。向ける対象によって色々な側面があるとは思うのだが、一つ言えることは、「「釣り乙」という書き込みは、少なくとも誰かしらに水をぶっかける行為ではある」ということだ。

あなたにせよ、私にせよ、「釣りエントリー」を目にした時には、水をぶっかける前にまず考えてみるべきだろう。その「釣りエントリー」を信じる人がたくさんいることで、誰かが損をするのだろうか、と。水をぶっかけることで得られるものは何だろうか、と。それがあなた一人の優越感だけだったとしたら、書き込む前に一歩立ち止まる手もあるかも知れない。


ということで。ちょっとまだ考えたり無い部分がある様にも思うのだが、長くなりそうだし取り敢えずアップしてみる。

続きはまたその内。

posted by しんざき at 16:09 | Comment(6) | TrackBack(1) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
実話と思ってものすごく共感してたら釣りで
心底がっかりしたことがあってもう二度と
釣られるものか、と過敏になってる人とか
多そうですね。特に若者に。
「サンタクロースなんてなー、ほんとはなー」
って言って回ってる小学生みたいな。

個人的には逆に、なんとなく小説だと
思い込んで読み始めた本が読んでるうちに
エッセイだと分かって「あ、じゃあこの
"私"っつう1人称は作者本人?」と
気づいた瞬間の釈然としない感じの方が嫌です。
Posted by や at 2007年12月07日 01:13
「なんか釣りっぽい感じもするけど、面白いから事実だということにしておこう」
くらいの受けとり方したほうが、書き手読み手双方にとって幸せな場合が多いような気がします。
Posted by memento at 2007年12月08日 01:19
>やさん
>心底がっかりしたことがあってもう二度と
釣られるものか、と過敏になってる人とか
多そうですね。

2ちゃんで言うバーボンハウスみたいなものでしょうか。釣りはネットにあふれている。

>「あ、じゃあこの
"私"っつう1人称は作者本人?」と
気づいた瞬間の釈然としない感じの方が嫌です。

私小説をフィクションと信じ込んで読んだらそんな心理体験になりそうですね。

>mementoさん
>書き手読み手双方にとって幸せな場合が多いような気がします。

おっしゃる通りでございます。
7割の心。
Posted by しんざき at 2007年12月08日 20:39
釣り乙
Posted by at 2008年04月08日 23:20
嘘つき嫌い。面白いけどムカつく。
Posted by ケン at 2012年10月29日 21:32
なるほどね!体験談って時点でこの作者はフィクションだと思っているのか!オレもそう思って読むことにします!
Posted by at 2015年12月21日 11:34
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