昔、出版業界の端っこの端っこくらいでバイトをしていた時、色んな人の言葉をつぎはぎして思ったこと。
本を買ってもらうということは、お金をもらうということだ。
本を読んでもらうということは、時間をもらうということだ。
お金は返すことも出来るかも知れないが、時間は決して返金出来ない。だから、文章を書くということには、ある人の人生をその時間分削りとるという覚悟が要る。
今、私は何かを書く仕事はしていない。その代わりブログを書いている。
お金をもらうこともないし、お金を払うこともないし、それでも読んでくれる人はいる。それは本当にありがたいことだと思うんだけど、「人生を削りとる覚悟」というものは、依然として、あるいは前以上に重要であり続けている。「読みたくない人は読まないだろう」というのは全くその通りなんだけど、書き手がそれを拠り所にするのは単なる逃避だ。
長文を書くのは、本当に怖い。長文を読むのに必要な時間に見合うものを、果たして私は提供出来るだろうか。出来たかも、と思うことも、出来なかったんじゃねえかなあ、と思うこともある。それでも、ゼロよりは符号つきの数字の方がましだろうと信じて、私は送信ボタンを押す。
私は今後も書きたいことを書き続ける。誰かの為ではなく自分の為に書く文章も、正直結構ある。ただ、書きたいことをブログという「読んでもらえる」場所に書く以上、覚悟はいつも忘れないでいようと思う。
私の文章を読んだことで削られた人生の、その十分の一にでも見合うものを、私の文章を読んでくれる人に差し出せます様に。
2007年12月07日

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[ブログ]ブログを書くということは,読む人の時間を削り取るという覚悟が要る
Excerpt: 以前のエントリーの中で, ブログは,未熟な内容でも,どんどん情報を発信していったほうがいい という旨を書きました*1。未熟な内容でも,自分の世界に閉じ込めておくよりは発信したほうが,世の中全体を考え..
Weblog: 彼女からは,おいちゃんと呼ばれています。
Tracked: 2009-07-19 23:57
お褒めの言葉、どうもです。今後もご期待に沿える様に、適度な範囲で頑張ります。
本を読むということでその間の時間は削られますが、それがどうして「時間をもらう」ということになるのか理解できません。
そもそも「もらう」とは、誰のことを指すのですか。文脈からすればその本を書いた人となるかと思いますが、本を書いた人が時間を貰うということが意味がわかりません。