昨日は久々に夜中のトラブルでエラいことでした。なまってるかなあ。
今日は奥様の実家。ぼちぼち息子さんに人見知りの気が出てきた模様。
使い慣れてないキーボードというものは、何故かくも打ちにくいのか。とりあえず今回は気になった内容メモ書き。
・「私の人生は何だったのかしらねぇ」
私は、多分、「あなたの人生は、少なくとも私の人生を幸せにしてくれました」と将来息子に言われれば嬉しいと思う。
親に「自分の人生は無駄じゃなかった」と思わせることが出来れば、多分それ以上の親孝行はないんじゃないだろうか。も
しも「親に幸せにしてもらった」と思う人ならば、そう言ってあげるのもいいんじゃないか、とか思う。
・ちょっと、ケータイ小説から派生して思いつきがあったのでメモ、というか宿題。
wikipedia:日記体小説
wikipedia:書簡体小説
最古の書簡体小説って何かしら?
日記体小説とは、文字通り話者の日記形式でつづられる小説。最古の「一人称の小説」、といってもいいだろう。ヨーロッ
パだと、古いのはなんだろ、ガリア戦記?ヨーロッパ文学については系統だった知識を持っていないので、知ったかぶりす
ら出来ない。宿題その一。
Wikipediaのリンクでは触れられていないが、「日記もの」というジャンルは日本においてもエラい昔から隆盛している。
土佐日記、蜻蛉日記、更級日記。1000年以上前から幅を利かせているジャンルである。世界的にみても、日本の「日記文学
」の隆盛具合は有数の筈だ。
参照ということで、一応Wikipedia。サマリーとしてみるには凄く便利。
日記
一方で、「手紙形式」の、いわば二人称の小説を書簡体小説と言う。これ、上記リンクでも触れられているが、発生したの
はヨーロッパだったらしい。「あしながおじさん」辺りが有名だろう。
私の勉強不足である可能性はおおいにあるのだが、日本の古典で「手紙形式」の小説というものの存在を知らない。日本に
限らず、手紙調の小説というものはどうも日記調の小説に比して非常に少ないみたいだ。これには恐らくちゃんとした研究
がある筈なのだが、私の勉強不足で理由がよく分からない。宿題その二。一応、ぱっと思いつく理由としては、「手紙」と
いう形式の自由度が日記と比べて非常に低いこと、とかかな。
ケータイ小説を「メールの文体」として紹介される向きを非常によく見る。ほほう、というか、これはもしかすると日本独
自の「書簡体小説」ジャンルの発生として、ケータイ小説を位置づけることが出来たりするんじゃないか、とか一瞬思った
訳なのである。当然のことながら、文体がメールに近いだけであって中身はメールとは全然関係ないということだと判明し
た時点で、この考えは一瞬の内に破砕される訳だが、メール由来っていうことで何か関連づけて調べられないかなあ。
とかちょっと調べてみる。宿題その三。
2007年12月08日

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