2007年12月15日

書評もどき:レイ・ブラッドベリ「十月はたそがれの国」



改めて書く程のことじゃないかも知れないが。



ホラーの肝は、「踏み越えさせ方」である。



あらゆるホラーに共通していることだが、「最初から非日常」というホラー作品は、基本的にあんまり怖くない。開幕から恐怖シーンが上映されているホラー映画を想像してみるといい。最初っからジェイソン大暴れの13金は、単なる怪獣映画でしかない。最初からリング終幕の映像が流れていたとしても、普通の人は「なにそれ」と思うばかりだろう。怖さは、日常の、少なくとも日常に準ずる導入があって初めて演出される。



それは何故かというと。ホラーの怖さというのは、落ちる恐怖、つまづく怖さだからである。観客は、最初は「日常」という磐石な足場に立っている。同じく、舞台がSFであろうが異世界であろうが、ホラーの導入も「日常」の上に立っており、それによって読者の視点を作品の中へと誘っている。「日常」といういつもの足場に立っている筈が、気付くと崖との境界を踏み越えていた、暗い谷底に落ち込んでいるまさにその瞬間だったという、その無重力感がホラーの怖さなのだ。



「十月はたそがれの国」。久々にブラッドベリを読みたくなって、ラファティやケストナーと一緒に図書館から借りてきた。もう何度も読んでいる作品ではあるが、読む度に引き込まれる。ちょっと書評の真似事をしてみたくなった。


ブラッドベリは、勿論ホラー作家ではない。かといってファンタジー作家という訳でもないし、ひょっとするとSF作家ですらないかも知れない。ただ、たとえば本書で著されている「ファンタジーホラー」とでもいうべき作品群において、彼の「踏み越えさせ方」は、並のホラー小説の比ではない。


そこには、最初から「境界線の向こう側」が見えている。読者には、何かが違う、何かがおかしいというのが見えているのだ。しかしそれは半透明の膜の向こう側で展開されている様なもので、読者の立ち位置は「日常」から一歩も出ていない。読み進めていく内に、読者も気付かない内に「踏み越え」は済んでいて、読者は結末まで読み進んでから「ここだったのか」という無重力感を味わうことになる。


「怖さ」をメインにおいた作品ではないものが多いので、絶対量として「怖い」という程ではないが、この無重力感はブラッドベリの味のひとつだと私は思う。この辺のギャップの演出というのは、「何かが道をやってくる」の様な長編小説でもあちらこちらに盛り込まれている気がする。

「彼らはどこから来たのか?闇路からだ。彼らはどこへ行くのか?墓場だ。血が彼らの血管を脈うたせるのか? 否、夜の風だ。」(レイ・ブラッドベリ「何かが道をやってくる」)
訳者に負う所も多いなあとは思う。というか、ブラッドベリ作品を訳す訳者さんって大変だなあと。ラヴクラフト作品よりはましかも知れないけど。


いくつか、ネタバレにならない程度に収録タイトルに触れてみる。


「骨」:骨が痛む男の話。無重力感の真骨頂。正直後味は悪い。ただ、この話に関しては、冒頭の挿絵も無しではないと思う。


「使者」:体の弱い少年と、彼に外の空気を連れてくる犬の話。最後でちょっと訳が失敗している気がする。原文読んでみたい。


「群集」:交通事故の周囲に、常に現れる不思議な群集の話。都市伝説チック。寒気の演出、かな。


「びっくり箱」:古い田舎家に住む母子の話。叙述トリック、か。読み返した時のギミックの多さに驚く。


「大鎌」:訪れた家で、老人の遺体と、耕すべき畑と、大鎌を見つけた男の話。星新一が何かの作品で本歌取りをしてた様に思う。


「ある老母の話」:ホラーに類すると思うんだけど、ティルディ伯母の余りの強引さが全てを弾き返しているお話。


「集会」:ポォ的な世界観。


「ダッドリー・ストーンのふしぎな死」:この作品だけ、なんつーか他と違うなーと。全然違うなーと。いや、最後にこれというのは、まさに「デザート」という感じで私はスキなんですけど。


最盛期で突如執筆を絶った小説家が、自らその理由を語るお話。これ、やっぱりブラッドベリ自身の願望なんでしょうか。どっちかというと「ウは宇宙船のウ」の様な、割と爽やかなお話。



この辺で。また「ウは宇宙船のウ」辺りにも触れてみたい。




posted by しんざき at 10:35 | Comment(3) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
懐かしい! だいぶ前に読んだきりなのですっかり忘れていたのですが、タイトルのイントロ見たら割と思い出してきました。ブラッドベリは確かに何らかのカテゴリに分けにくい作風の方ですねえ。月並みで陳腐な表現ですが、「詩人」てェ側面もありますな。

「宇宙船」の書評も楽しみにしつつ。…「スは宇宙(スペース)のス」がそのまんま翻訳の原題だったので、コレも「U is for...」だと思っていたあの頃よ。そらロケットのRだわな。
Posted by おやじノ介 at 2007年12月17日 12:27
>おやじノ介さん
>ブラッドベリは確かに何らかのカテゴリに分けにくい作風の方ですねえ。

なんでもやさん、という感じの人ですよね。SFも書くし、ホラーも書くし、ファンタジーも書くし、童話まで書いちゃうし。

もう90近いんだなあ。
Posted by しんざき at 2007年12月20日 08:29
萩尾もとがいくつか漫画で描いているのもある。
「びっくり箱」はなぜか男の子が少女に変えられていた。
Posted by at 2012年01月31日 02:52
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