私が思うに、シューティングの醍醐味はなんといっても「自機がやられた時」である。
グラディウスで、ビッグコアのレーザーに接触した時のビッグバイパーの爆発音。ファンタジーゾーンのオパオパが飛散する時の効果音。ダライアス外伝で、シャコのばら撒き弾の前にボンバーが尽き、弾避けに力尽きた時の悲哀。我々は、時として「クリアした時」以上に、自機の消失というイベントを強く胸に焼き付けられている。
およそ、ありとあらゆるゲームジャンルの中で、シューティング程「ノーミスクリア」という単語の比重が高いジャンルは他にないだろう。ダラ外しかり、グラディウスしかり、R-TYPEしかり、シューティングをある程度やりこむ人は、大抵の場合「ノーミスクリア」というものを一つの目標に据える。別に神業でもスーパープレイでもない、ごく一般的なゲーマーが一般的に目指す目標として、「ノーミスクリア」というものが存在しているのだ。
これは、シューティングというゲームジャンルにおいて、「ミス」「自機の消失」というイベントが、物凄く重大な事件であることを示している、と私は考える。
・「失望」と「達成」の揺れ幅について。
あるゲームを評価する際、その尺度のひとつに「「失望」をどう演出しているか」というものがある、という気がしている。失望の演出がうまいゲームは面白い。麻薬的な面白さといってもいい。
それは何でかというに。人間の精神が、「触れ幅」に凄く敏感だから、ではあるまいか。
ちょっとゲームと話がずれるが、以前、恋愛のコツ的な話で「感情体積を増やす」という話を読んだ。以下、参照リンクである。
異性をほぼ確実に落とす方法
とすると、ずっと「いい人」は差分が0点。
「いい人」が「すごくいい人」になっても差分30点。
「悪い人」と「すごくいい人」を『繰り返す』人は何百点でも稼げてしまう。
多分、根っこは同じ様な話なのかなあ、と。
ゲームにおいて何かに失敗し、あるいは何かを得ることが出来ずに、失望する。失望が強く胸に焼き付けられる。この失望があってこそ、何かに成功し、何かを得た時の喜び、興奮が倍増する。これが、ゲームにおける「達成感」の構造なんではないか、と私は推測するのである。
別に上の話はシューティングに限らないのだが、シューティングというジャンルには、分厚い「失望の地層」とでも言うべきものが体積している様な気がする。ジャンル自体が失望というものに関する根強いテンプレートをもっていると思うのだ。
シューティングにおける典型的な「失望デザイン」というものは、ざっと以下の様な感じである。
・ミスした時の自機の弱体化。純粋に難易度が激増するケース。
・稼ぎの問題。ミスが得点の低下に直結するケース。残機がボーナス点に加算される場合など。
一昔前には、
・ミスした際の復活形式。
というものもあった。自機がやられるとちょっと前まで戻されて、弱体化した件もあいまって復活にエラい苦労を強いられた、アレである。残機潰しによる得点稼ぎとか、バトルガレッガみたいな例外もあるが、シューティングにおける「失望」のゲームデザインは基本的に一様であり、しかも極めて有用だ。ここでは、「失望」という要素はゲームデザインの中に完璧な形で組み込まれている。
そしてこれこそが、シューティングというゲームジャンルにおける、麻薬的な魅力を生み出すソースの一つになっているんじゃないだろか、と私は思う。
・「失望のデザイン」いま・むかし。
ちょっとシューティングというジャンルから離れてみよう。
例えば、RPGでいうとウィザードリィにおけるキャラクターのロスト(消失)だとか。ヴァンパイアロードに2レベルも3レベルもドレインされたりだとか。
ロンダルキアの洞窟で、進んでも進んでも落とし穴に落ち、さっぱり先に進めなかったりだとか。
苦労に苦労を重ねてラスボスまで辿り着き、MP切れでこてんこてんにフルボッコにされたりだとか。
全滅すると所持金が半分になる、といったペナルティも、「失望のデザイン」のよくある様式の一つだろう。
いわゆる「集めゲー」においては、試行回数が量的な失望を演出している。倒しても倒しても出ないレアアイテム。探しても探しても出現しないレアモンスター。会心の一撃を何度決めても仲間にならないはぐれメタル。
試行回数が高まるごとに、「量としての失望」ゲージが上がっていき、これがあればこそ目的のアイテムを見つけた時の達成感が麻薬的なものになる。近年のMMOなんか、大体のタイトルがこの要素を取り入れているんじゃないだろうか。行き過ぎてMMO廃人とか量産しちゃうと色々とアレだが。
話は勿論RPGに限らない。SLGだろうがパズルゲームだろうがアクションゲームだろうが、「達成感」を演出しているゲームは、多かれ少なかれ「失望」という要素をゲームデザインの中に含んでいる。テトリスで赤ブロックがさっぱり出現せずに画面をブロックが埋め尽くすことだって、ドルアーガでイシターとサキュバスを勘違いしてZAPされることだって失望の内だ。
これらの「失望デザイン」は、色んな分類が可能だと思う。例えば、それがリカバリの効くものなのかどうか。プレイヤーに与える衝撃度はどの程度か。実際に失われるものは何か。
ウィザードリィが全世界で愛された理由の一つは、このゲームにおける「失望」が時として絶対に取り返せないものであり、それ故にプレイヤーの心中に強烈な印象を残したからじゃあないか、と私は思ったりもする訳だ。
・そしてプレイヤーは、新たな失望へ歩みだす。
敢えてもってまわった言い方をすると、良質な失望は、決して絶望には転化しない。
失望しても失望しても、その向こうにある「達成」をプレイヤーに求めさせてしまうタイトルこそが、「麻薬的な名作」と称されるべきだろう。開発者があの手この手で用意した「失望」という要素を、私は愛好する。その向こうにどんな「達成」が待っているのか、楽しみでならないからである。
次に私が出会う失望はどんな形をしているだろう。
以下、まとめてみる。
・ゲームを評価する軸の一つとして、「失望」をどう演出しているか、というものがある気がする。
・何故かというに、「失望」と「達成」の触れ幅は、強烈な面白さとしてプレイヤーの印象に残るからである。
・「失望」の演出が上手いゲームは、ハマリ者を大量生産する。
・シューティングは、ジャンル自体が「失望」というものに対するゲームデザインを内包しており、すげえ面白いと思う。
・ここまでOK?よし、じゃあそろそろPゾーンのクラスティハンマーに突っ込んでみようか。
シューティング衰退してないよシューティング。少なくとも私んちでは。
参照:のとーりあす なぜシューティングは衰退したのか
自機がやられた時でレッコチャーン/(^o^)\を思い出した僕はCAVE厨
>なぜシューティングは衰退したのか
近所のゲーセンでも衰退してません^^
シューティング面白いんですけどねぇ。
「難しすぎ」って言う方が多いと思うんですけど、何も大往生を2周しろとか言ってるわけじゃないんですから、そこまで無理なジャンルじゃないと思うんですけどね。
この取っ付き難さを解消出来ればもう少し広まってくれる・・・んですかねぇ?
>自機がやられた時でレッコチャーン/(^o^)\を思い出した僕はCAVE厨
caveゲーのやられシーンも記憶に残りますよね。私は怒首領蜂の頃のCAVEヲタですが。
>この取っ付き難さを解消出来ればもう少し広まってくれる・・・んですかねぇ?
うーーーーむ、どうなんでしょ。今は、シューティングうという時点で無条件に敷居が高くなってる人が結構いそうな予感がします。
最近のSTGは敵機や敵弾に当たれば死ぬ程度の事は分かりますが、パワーアップやボーナス得点のシステムをインストカードを見て理解するのが面倒くさいですね。
それを理解しないまま他の人がやってるのを見ても「すごいけど、俺には無〜理〜〜。」と思ってしまうんではないでしょうか?
たぶんきっとその辺の問題。
ウィズは強烈なキャラロスト的失望側面もありつつ、でもあのゲームにはアイテムコンプというネタもあり、「今度こそこのフラック斃して盗賊の短刀を! 嗚呼ダメだあ」てな失望の連続は「ひょっとして次はイケるかも」による引張り効果じゃなかろかと思いますねんね。
…よってワタシ、ある条件下で入手不可能になるアイテムとかあるゲームはかなりションボリしてしまうのです。クリア後も取りに行かせてくれよう! とか。
>パワーアップやボーナス得点のシステムをインストカードを見て理解するのが面倒くさいですね。
うーん、確かに、インストカードを見ないと分からないレベルの操作方法、っていうのは、STGのインターフェイスとしてはちょっとネックですよね。
ある程度共通の文法はあるので、わきまえている人にはいいんだと思うんですが。
>おやじのノ介さん
>「この失望もちょっとでリカバー可能だ(可能だった)」てな希望を見せてくれる要素もアリかなあと。
R-TYPE辺りはその希望を粉々に打ち砕いてくれます。
RPGのボス戦とか、ちょっと辛い、くらいの難易度だと希望の見せ方が上手いですよね。
>「ひょっとして次はイケるかも」による引張り効果じゃなかろかと思いますねんね。
MMOの引っ張り方は大部分がそんな感じだと思います。