エース様じゃねぇか。今日は何にする。
返事をする気にもならなかった。上目遣いにバーテンを見上げると、ため息ひとつと一緒にダブルが押し出されてきた。申し訳程度に氷が浮かんだマッカラン。もう何年も、飛んだ後の夜にはこれしか飲んでない。
確かに、パラシュートを積まずに飛んでいるのは、今では俺一人しかいない。勇敢な訳じゃない、むしろ逆だ。パラシュートで降りる羽目になって、無抵抗で宙に浮いている時間が、俺にはとても耐えられないのである。
とどめを刺すも刺さないも敵次第、放っておかれても魚の餌になる確率が5割以上。それくらいなら、自分の意思が及ばない境遇に怯えるくらいなら、一瞬でさっぱり逝く方が遥かにマシだと、俺は本気で思っていた。
その内俺が呼ばれる様になった名が、こともあろうに「レッドバロン」ときた。呼ぶ方も呼ぶ方だが、黙って呼ばれている方も呼ばれている方だ。自覚はある。
風船が何で割れるか、知ってるか、知ってるかよ、おい。
カウンターの右の方、もう十年も空気が動かずに淀み続けている様に見える薄暗い空間から、何やらぼそぼそとした声がした。
横目で一瞥してみると、体の成分の数十パーセントがアルコールで出来ているんじゃないか、と思える様な酒臭いオヤジが、数ミリの安酒が残ったコップに向かってなにやら話しかけている。
バーテンの眉の角度から察するに、さっきからずっと、故障したCDプレイヤーの様に同じことを繰り返している様だった。
ヘリウムガスが詰まってるから、詰まってるからよう、ゴムの表面が張り詰めてるんだよ。膨れてるから割れるんだよ。膨れてなければ割れねぇ、よな、へへ。
オヤジは際限なく、くだらない言葉を垂れ流し続けていた。マッカランを傾ける。
昔は、これを一緒に飲むヤツが、もう一人いた。パラシュートを積んでいなかったもう一人、俺が唯一、自分の上を飛ぶことを許していた男。スコアを争って、お互い数知れない相手を叩き落としていた男。飛行中に落雷に遭って、雲下に姿を消してから、もうそろそろ一年になる。
ヤツの仇名は、確か「ブルース」と言った。これも質の悪い冗談だ。
だがよう、ガスが詰まってない風船は飛べねえ、飛べねえんだよ、水風船にもならねえわな。へへ。飛ぶのが風船の唯一の仕事、風船が風船であろうとしたら、いつかは割れるしかねぇんだよ。因果、因果だよな。
飲み終えた。いつもよりちょっと早いが、これもオヤジの下らない言葉の恩恵だ。
金を置いて、席を立つ。グラスを拭いていたバーテンが、それが義務であるかの様に、こちらにちらりと視線を向けた。目も合わせずに、バーの出口に向かって歩き出す。
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「どういうことだ?これは」
テーブルが一つ置かれたっきりの出撃準備室。目の前にフライト予定図がある。フライト前にこれに目を通すのは、俺達に許された数少ない権利だ。
いつもなら書き込まれている、複数の敵の姿がない。地形図すら書き込みはなく、ただあるのは・・・海と、一面の雷雲。
俺の言葉は、部屋の片隅の魚眼レンズに向かって放たれたものだったのだが、勿論魚眼レンズも、その向こうにいる顔を見たこともない誰かさんも、何の言葉も返しはしなかった。いつも通り。
ハメられたか。
多分、俺は目立ち過ぎたのだろう。今まで叩き墜として来た相手の数は、勿論100や200では到底利かない。俺に恨みを持つ人間の数など、数える気にもならない。それでも、いつかはこちらが落とされる立場になるだろうと思っていたし、後ろから撃たれる羽目になるかも知れない、というのも覚悟の内だった。今更動揺はしない。
聞いたことはある。生還不能のミッション。ただひたすら雲海を飛び続け、いつか力尽きて海に落ちるか、落雷に落とされるか、選択肢はその二つだけ。名前は何と言ったか。
風船が風船であろうとしたら、いつかは割れるしかねぇんだよ。因果、因果だよな。
脈絡もなく昨日のオヤジの言葉が思い出されて、勝手に俺の口から笑みがこぼれた。上等じゃないか、という思考がよぎったことは否定出来ない。
いってみるか。
俺は、出撃準備室の窓の外、今から俺が飛ぶことになる空に目をやった。雲海の上には、多分青空がある。終わりのない戦いを越えた後には、一体何があるのだろうか。雷雲を抜けて、終わりのない空を飛び続けて、もう一度、どこかを目指してみようか。墜とされる恐怖とも、墜とす恐怖とも無縁で暮らせるどこかを。
ひとつ、力尽きるまで飛び続けてみようか。
どこかに辿り着くまで飛び続けてみようか。
割れない風船もこの世にはある、ということを見せ付けてやろうか。
二度と戻ってくることのないだろう出撃準備室の、無愛想な雰囲気をもう一瞥すると、俺は相棒のバックパックに手をかけた。今までも、これからも、俺が相棒と呼べるのはこれ一つっきりだ。
背負う。俺の仇名の由来である、二つの赤い風船が翻った。
最後のフライトに向かう。
発射台に歩き出す時、さっきは思い出せなかったミッション名が、唐突に頭の中に浮かび上がってきた。平和な単語だ。戻ることのないミッションには、そんな名前の方がふさわしいのかも知れない。
バルーントリップ。
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このエントリーのタイトルは、本来は「レトロゲーム万里を往く その76 バルーンファイト」でしたが、不倒城のロジックミスで変換されました。ご了承下さい。
2008年02月20日
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スマブラにはふぁみこん昔話とバルーンファイトも出演するべきだと思うんだ。踏みつけしか攻撃手段ないけど。
>sammyさん
スプーン一杯です。
レッドバロンがそのまんまでしまったと思ったり。