なんか言葉の話の難しげな話題なので、お好きな人だけどうぞ。
モウビィ・ディック日和様に頂いた、前回の「「文章力」の落とし穴」宛てトラックバックへのコメント。
以下、コメントとして書き始めたので敬態。
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件のエントリーは、ちょっと検討不足の部分があって恐縮なのですが、少々補足を。
まず、「装飾」という言葉に関して「パフォーマティブ」という例示をされています。補記2で言及して下さっている様に、私は正直、件のエントリーを書いた当初はそこまで考慮していませんでした。
「パフォーマティブ」という表現が「装飾」や「修辞」の内に入るかどうかはちょっと未整理というか微妙だと思いますが、敢えてごっちゃにしたままで話を進めます。
以上前置き。
つまり「文章とは意味(情報)が伝わることがいいことだ」という前提。
「やっぱ文章ってのは簡潔に判り易いのがいいでしょ」という風に、上げといて落とされてしまっている。
「上げといて落とす」というのは後半の部分のことだと思うんですが、私の意識としては「整理系の文章」と「装飾系の文章」の間に優劣は感じていません。というか、私自身どちらかというと後者の文章力が必要とされる職業の人間でした。昔のことですが。
ただ、こと「ブログ」というフィールドに話を区切ると、どちらかというと「読みやすい文章」「伝わりやすい文章」が強く希求される側面の方が強いだろう、とは思っています。
それは何故かというに、ネットはまだまだ「情報媒体」であって、おっしゃるところの「パフォーマティブ」な部分を多く含む文章を求めてアクセスする人よりは、「情報」を求めてアクセスする人の方が絶対数が多いだろう、と考えているからです。
統計的にあやふやになることを承知の上でもう一歩踏み込んで表現すると、「読んで面白い」情報を求める人と「知って面白い」情報を求める人では、現在のところまだ後者が数的優位を保っている様に思える、と。勿論感覚的な話なんで具体的な根拠はないんですが。
言い換えると、私が思うところのこの「数的優位」は所詮数の話なので、将来的には「装飾系」の文章がブログでもより必要にされる時代が来るかも知れません。実際人気のあるブログって読んでも面白いし知っても面白いところが多いですし。
「装飾的な文章」こそが文章なんであって、いわゆる「整理系の文章」と呼ばれるのは、ただの記号に過ぎない、と。
上記の「ブログ」というフィールドを離れての話であれば、大筋で同感です。なんでかというと、言語ってのはそもそも「記号」と「修辞」に分解されるからです。
ちょっと面倒な話になりますが、言語学って「記号論」と「修辞論」ってカテゴライズが出来ますよね。例えば認知言語とか意味論とかは記号論系の話を多く含み、文学畑の研究はその多くが修辞論です(これも、現役研究生に見られたら殴られそうな乱暴な要約ですが)。
情報を伝える為の「記号」は、修辞を得て初めて「ことば」になる。なので、コミュニケーション上もおっしゃっている様な修辞的な部分は絶対的に必要になるし、それなしでは文章といいません。
それを含んだ上で、「傾向として」どちらかというと論理分析力というに近い「整理系の文章力」と、どちらかというと修辞語彙力というに近い「装飾系の文章力」というものが存在する、という様なお話だととって頂けると助かります。
「装飾的」というのを僕が言うような行為遂行的/パフォーマティブな部分として使っているんじゃなくって、普通の意味での過剰な装飾体の文章を言っているんだろうと思う。
とゆー様な次第で、確かにおっしゃる様な側面は考慮に入れていませんでした。行為遂行的、って言葉になるとそもそもこの場合の「修辞」の内に入るのかどうか微妙なんで、なんかかみ合わない補足になってたら申し訳ないです。
以上、補足でした。
斯様に意味も無く話が拡張するのがよくないところなのですが、つまり僕はしんざきさんが前回でも今回でもおっしゃっていることには、100%で同意するんです。その上で、虚数解を提示することで、死につつ生きながらえることもできるんじゃないだろうかと言う、そんなことを考えて前回の文章を書きました。大変丁寧に対応していただいて、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
>「文学が必要とされる時代が来る」なんてことが、この先絶対来ないと、自分で認めていることになります。
文学が多数に必要とされる時代、というのは今も昔もないだろうとは思いますが、ある程度のラインで文学・及び文学的言説自体は生き残ると思いますよ。ただ、なんらかの過渡期で需要が減少しているのは確かですね。
>虚数解を提示することで、死につつ生きながらえることもできるんじゃないだろうかと言う、そんなことを考えて前回の文章を書きました。
新しい視点を提示していただけるのはどんな時でもありがたいです。またお願いします。