2005年11月01日

ギャグマンガ考・悲哀篇

奥様の友人の方から、こんな話を聞いた。

知り合いから一冊、「面白い」というマンガを借りた。タイトルは「極道一直線」。以前私もちらっと触れたことのある、スピリッツ連載の三上龍哉氏の漫画である。

笑えるという触れ込みだったのだが、どーもなかなか読み進まない。どこが面白いのか良く分からない。

結局読み終わらない内に相手の人から「どうだった?面白かったでしょ?」と聞かれ、ハタと困った、という様な顛末。


考えるところは二つある。

一つは、人がギャグで笑える範囲というのはどれだけ共有可能か、という点。

もう一つは、ギャグ漫画自体のもつ特殊性とリスクについて。

なんかとっくの昔に誰かがやり尽くした考察だったりせんかと不安ではあるが、まあいいや。順番に行こう。


・あなたはドリフで笑えるか。

先に結論から言ってしまうと、笑いのツボってものは実はけっこーーー範囲が狭いんじゃないか、という様な感触がまずある。つまり、ある人が笑えるネタで、他の人も同じくらい笑える、という保証は地平線を見渡す限りどこにもない。

勿論共有が全く出来ない、という話ではない。人気があるギャグ漫画は当然裾野も広い。落語だってドリフだっておそ松くんだって稲中だって、多くの人を笑わせてきたからこそ売れてきたのである。

が、「課長バカ一代」を好む人がボーボボで笑えるかどうかといわれるとそうとも限らない。爆笑エンタメが好きな人は、八時だよ全員集合では眉一つ動かさないかも知れない。


ギャグの壁、とでも言うべきものがある様な気がする。


世代間ギャップを考えると分かりやすい。例えば時事ネタで笑わせるギャグは、その時事ネタを知らない人には何がなんだかわかりゃーしない。勢いで笑わせるギャグは、その勢いについていける客でないと笑えない。パロディだって物まねだって、元ネタを知らなければこれっぽっちも面白くないだろう。その他諸々、「ある人が笑えるネタ」と「他のある人が笑えるネタ」の間には、ある程度の高さの壁がある。

当然といえば当然なのだが、笑いというものにも何かしらの下準備というか、背景みたいなものが必要なのだろう。その背景が広いか否かがギャグの裾野を決める。そして、この「背景」が重なるかどうかが、「笑いを共有出来るかどうか」の正に境目である。

例えば、私は課長バカ一代やクロ高で比較的笑える人である。三上龍哉氏で言うと、未来警察暴力課辺りは凄く笑える。チャップリンも好きだしおひっこしも好きだし安永航一郎も割と好きだ。が、ファンの方がいたら申し訳ないが、私には例えば「おぼっちゃまくん」とかボーボボの面白さはさっぱり分からない。相原コージもよく分からない。これは、私がそれら作品で笑える背景を持っていない、ということを意味しているのだと思う。

この「背景」部分については、どーも話が広くなり過ぎそうなので取り敢えず細かく掘り下げるのはやめておく。冒頭の話でいうと、奥様の友人と「極道一直線」を貸してくれた知人の間で、笑いの背景に共有できない部分があった、というのは確かだろう。


・ギャグ漫画の特殊性。

話は変わる。

ギャグ漫画、というジャンルには多少の特殊性がある。極めて「専門的」、という特殊性だ。

ギャグ漫画にも色々あるだろうが、いわゆる「ギャグ漫画」と呼ばれるものの中には完全に「笑い」に特化している作品が少なくない。つまり、ストーリーであるとか流行の萌えであるとかを切り離したギャグ一本の漫画、という作品は結構数ある。それらの漫画の多くは用途が非常に限られていて、外した場合の危険性が非常に大きい。

どーゆー話かというと、ギャグ漫画は笑わせられるかどうかが勝負、ということなのだ。何を当たり前のことを、と思われるかも知れないが、これ結構重要なことである。つまり、ストーリー漫画では理解できなかった際「分からない」「あんまりしっくりこない」で済むところが、ギャグ漫画では笑えない時点で「つまらない」に直結してしまうのだ。 ストーリー漫画では「ドラマ」に逃げることが可能なところ、純粋なギャグ漫画にはそれが出来ないのである。

上記の通り、ギャグで笑えるかどうかは背景に由来する。ある程度広い範囲に受け入れられるギャグ漫画を描くことは可能だろうが、誰にでも笑ってもらえるギャグ漫画を描くのは至難の業である。当然だ、「笑えるかどうか」の要因は結局作者側にはないのだから。

冒頭の極道一直線とかクロマティ高校なんかは、ジャンル分けするとすれば「シュール系」ギャグ漫画とでもいうジャンルになるのだろうと思う。この辺りのギャグ漫画は特に危険で、笑えない人から見れば「つまらない」を通り越して「何描いてあるかわかんない」「意味不明」にまで簡単に転がりこんでしまう。

最近漫画界には純粋なギャグ漫画が不足しているという話を時折聞くが、それは一面こういった特殊性が原因ではなかろうか。


・ギャグ漫画を人に貸す際のリスクについて。

上記の話を総合すると、多分下の様なことになる。

○自分が笑えた漫画だからといって、人にも面白いとは限らない。

○ギャグ漫画は、笑えない人が読むと大変退屈な漫画になってしまい、割と危険である。

○感覚のずれが友好度の低下につながることもあるので、特にコアネタのギャグ漫画を人に貸す時は注意した方が。


皆様もご注意されると良いのではなかろうか。

あ、「ギャグ漫画の分類」というのは深くやってみるとなんか面白そうなテーマであるが、とっくの昔に誰かにやられてそうな気もする。気がむいたら手を出すかも。

posted by しんざき at 21:18 | Comment(9) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
このエントリーをはてなブックマークに追加
この記事へのコメント
ギャグ漫画に限らず、人にある作品を面白いと言って勧めるのは、その時点でなくてもいいハードルが設定されてしまうので難しい気がしますw

あと、「笑い」って言うのはウケる範囲が狭ければ狭いほど面白いって説があって
でも商業としてやってく以上、相手を限定しすぎるのはマイナスな訳で、
その辺のバランス感覚も求められるので、ギャグ漫画創るひとはホントに大変だと思いますね
Posted by ぽち at 2005年11月02日 03:41
>ぽちさん
コメントありがとうございます。

>ギャグ漫画創るひとはホントに大変だと思いますね
神経症の方が多いそうです。(洒落にならん)

>あと、「笑い」って言うのはウケる範囲が狭ければ狭いほど面白いって説があって
それも検証してみると面白そうですね。いわゆる「ピンポイントのネタ」というヤツなんでしょうが。
Posted by しんざき at 2005年11月02日 10:44
確かに世代でも笑いは違いますよね。
父に「ピューと吹く!ジャガー」を読ませても「?」となりますし。
僕の場合は「金玉」と言われても無反応ですが「アナル」だと腹を抱えて笑ってしまうようなツボがありますし。同じ下ネタでも笑えないものがあるのが人間の不思議ですね。
Posted by komusubi at 2005年11月02日 12:47
自分は極道一直線もクロ高もシュールではなくベタだと思います。
個人的には和田ラヂヲみたいなのがシュールかなあと。
Posted by at 2005年11月02日 15:01
広義に「笑いとは?」という研究は昔から哲学者や精神科学分野での主要研究の一つになっています。
マルセル・パニョルの「笑いについて」では、例題がいかにも古くて同意しかねる部分も多いのですが、各章の結論は十二分に今でも通じるものです。
総論として掲げられているのは「何を笑うかでその人が判る」と、これ自体がパロディになっているのですが、うなずける言葉ですよね。
Posted by GTO at 2005年11月02日 23:34
Posted by at 2005年11月03日 20:56
ギャグ漫画というのは
年齢によっても変わってきます
昔面白かったギャク漫画も、最近漫画喫茶で読んだら物凄くつまらなかったことが結構あります

まあ、昔読んで面白くて今読んでも面白いのも
有りますけど

Posted by at 2005年11月03日 21:05
ギャグの壁、というのは感じますね。マンガ
以外でも舞台でのコントなどは反応が
分かれがちですし。シティボーイズなどですが。
Posted by at 2005年11月04日 13:56
そうそう、つぼって皆違うもんね。
それはさておき、最新情報で〜す。
【役満キング】で毎日イベントが開催されるそうなので
行ってみないですか?
内容は1位なら5,000円!!
上位3位迄に入賞すればボーナスゲット!!
11月15日迄 毎日開催するそうですよ〜

役満キング、あの「近代麻雀」「近代麻雀オリジナル」
に掲載されたそうですね!!

役満キングURL書いておきますね!!
http://www.yakuman-king.com
私のIDは(せなちゃーん)だよ
Posted by suzuki at 2005年11月08日 15:16
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック