なんだかすっきりしない。なんでだろうな。
話の始めはここである。
許可してください
無断リンクにまつわる色々話の一翼の様だが、実は無断リンクの話自体はあんまり興味がない。LSTYさんの一言でそれこそFAであろう。
すっきりしなかったのは、冒頭のリンクの内容とそれにまつわる様々な反応。発祥の地は2ちゃんらしいが、まあ2ちゃんかどうかもこの際はあんまり関係がない。
先に、リンク内容の要約を含めた前提から行こう。
・とある実験精神旺盛な人が、「無断リンク禁止」「リンクしたいなら許諾を受けろ」と表示がある、学校のHPにメールを出してみた。
・その結果帰ってきた反応が、およそネット事情が分かっているとは思えぬ頓珍漢なものであった。
・何言ってんだこいつら、バッカでー。
って感じか。
リンク先を読んで頂けば分かるが、明白に理屈に合わない点はこれくらいだろう。
・無断リンクを著作権法違反と勘違いしている。
・許諾を求める様掲示しているのに、問い合わせに対してまともな反応を返していない。
その他は議論が絡むから省く。まあ、理不尽っちゃあ確かに理不尽なのだ。
それに対する反応は様々。2ちゃんは読まなくても大概内容は分かるが、ざっと検索してみたところ大半はこの理不尽性に対する「正論」的な批判の様だ。多少なりとネットが分かっている人にとっては当然目につく理不尽性だし、まあ仕方がないとは言える。
私だって正論を思いつく。幾らでもある。
○そもそも学校という指導的立場で働いている人間が、ネットについて間違った知識でページを運営していていいのか。
○「無断リンク禁止」に代表される色々とアレなネットマナーが、今後ネットを使う子供に浸透していくとやばいっしょ。
○っつーか公的機関にネットの常識に通暁している人が少な過ぎ。
○ところでインパク(ry
いや、私もこれ正論だと思いますよ。
議論も正論も全部かなぐり捨てて私の脳内構造を検索すると、この「正論山盛り、反論不能」という状況が、私をすっきりさせない訳である。
・これも既出話なのかも知れないが。
すごく分かり易い強弱関係、というものがある様な気がする。
実は今回の事件自体は飽くまで分かり易い「例」でしかないのだ。話は多分もうちょっと根深い。
2ちゃん発を代表とする「祭り」とか「炎上」とか色々見ていると、上の騒ぎと似た様な構図は割とあちらこちらに見受けられる。つまり、「(議論の余地がある場合も多いが)明らかな正論」と「明らかに理不尽」という対立構造、及び前者に組する圧倒的な数の暴力、という様な構図だ。
旬は外れたが、以前ののまネコ問題とかもある種この類の話ではあった。経済とか商用常識とかはおいといて、「パクりを悪とする」いわゆる正論から考えれば、あれは多分「正義対悪」の勝負だったのだろう。最近話題になったバスの運ちゃん怒鳴りつけがどうとか、元編集長のブログとか他もろもろ、色んな「炎上」とか「祭り」が、「正義対悪」を量産している。
これと同じ様な構図の話は他にもある。例えば以前に書いた、マスコミ様主催のJR祭りだ。
JR西日本にまつわる報道と善悪二元論について
このときもなんつーか、個人的には明白な「弱いものいじめ」な構図が見えてちょっといやーな気分を味わったんだが、これと冒頭の話も同じに見える、といったら怒る人は怒るだろうか。いやまあ、JRが弱いものかどうかはともかくとして。
何でこんな構図になるのか、という話は知れきっているし、既出も既出だろう。単純に「正義キモチイイ」というだけの話で、こんな感覚誰にでもある。誰にでもあるからこそ「正義」の側に人は集まる。誰にでもあるからこそJR報道が視聴率を集める。誰かに対して憤って気持ち良くやっつける快感ということで、下の話も多少関係あるのかも知れない。
人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。
・なにせ反論も容易に出来ない訳で。
冒頭の話にちらっと戻る。
今回の話の場合、どーも強弱関係は「善悪」じゃなくて「ネットリテラシーの有無」の方にありそうだ。
断言してしまうと、公的機関はネットリテラシー的には弱者も弱者である。私も以前某区が主催の生涯教育の一環ということで、おじいちゃんおばあちゃんに学校でネット話を色々教えてきたが、教材から教員からなかなかアレだった。冒頭リンクの様な反応が出てくるのも頷ける。
でも、なんつーか、上の「善悪対立」の話も含めて、もうちょっと「強者」の側に余裕があってもよくね?という様な気はする。今回の話で言うと、総務省の予算のこととか、ネットリテラシー教育の件とか、もうなんぼかおしとやかな口調で出て来るべきではないかとも思う。上から優越感に浸るのもまあ、醍醐味なのかも知れないが。
話のすり替え、と言われると確かにそうだ。冒頭を読んでいただければ分かるとおり、私はそもそも無断リンク問題にはあんまり興味がないのだ。だったらそもそもネタを語るなとか、お前だって上から見てるじゃねーか、とかいわれるとあんまり反論出来ない。
確かに冒頭リンクの話は問題なのかも知れないし、学校は理不尽なのかも知れない。でも、なんつーか、数の暴力できもちよーーく相手を罵倒するより前に、ちょこっと「弱者」の側にも思いを致してあげると、世の中多少なりと丸くまとまりそうというか、そんな日和見なことを考える私なのである。
2005年11月14日

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横一線で正論をとなえる人々
Excerpt: [http://mubou.seesaa.net/article/9338319.html:title=不倒城:「正論」の暴力性について。] 簡単にまとめると「いくら相手が間違っているからといって..
Weblog: サンゴのメモ帳
Tracked: 2005-11-16 23:21
「闇」
Excerpt: 「闇」 小犬をイジメる少年を見て ひどい子だと怒るだけなら 君の子供もそうなるだろう 分かるかいこの世に起こる あらゆる残虐な行為も あらゆる理不尽な出来事も 一度心に受け入??
Weblog: みときち日記〜What I found〜
Tracked: 2005-11-19 22:15
イズベスチヤがイズベスチヤではないとよく言うし
映画「わらの犬」に出てきた、まぁあんな感じですね。
とはいえ、時には気づくと知らずに自分も参加していたりするのも確か。
いわゆる「正論」とか「強者」の側にこそ、本当はリテラシー能力が求められるものなのかも知れませんね。
こういう国は 戦争が始まれば 簡単にその方向に突進するだろうなぁ と 暗澹たる気分になってしまいました。
「人間には目、耳、手、足がそれぞれ二つずつありますが口は一つしかない。それは何故かと申しますと、その事にものを言うのならば、その事について二倍観察し、その事について二倍他人の意見を聴き、その事について二倍自らの手で触れ、その事について二倍自分の足で行動するために、口より目、耳、手、足の数が多いのです」
という、誰が考えたかは知りませんが、なんとも味のある話が色々とあります。
炎上の特徴として「客観的に見て負けてるはずの弱者が勝ったつもりで勝利宣言」っていうのがあるんですが、あそこでの学校からのメールって明らかに構図が同じなんですよ。
webについて何も分かってないのに、全部分かってるような上から見た態度。負けてる側が「参りました」って素直に認めないから、炎上するんですよ。
「叩く人」の増加は「無知を認めて学ぼうとしない傲慢な人」によって支えられてるわけですな。
皆様コメント頂いてありがとうございます。
レスをする前に一つだけ補足というか言い訳をしますと、文章中でも書いてある通り、私は今回の騒動の中身自体にはあんまり踏み込む気がなかったりします。騒動を起こされる側に全く問題がないってことはそれこそありえねえ訳で、今回の話だって主因は学校側の対応でしょう。
一応それは踏まえた上の、日和見気味エントリーだと思って読んで頂けると幸いです。
>めあさん
ロシア新聞ですかい。って、なんだか分からないんですがそんな昔から言うのだろうか。
>さいとう7さん
>とはいえ、時には気づくと知らずに自分も参加していたりするのも確か。
上論とはちょっと離れますが、正論を「呼び込む側」の誘引力ってのもすげえんだろうなーとは思います。私も普段マスコミ批判とかやってますし。あんま人のことは言えないかもシレン。
あまり各論には踏み込みたくないのでイラクの話は避けますが、バッシングされる側にもそれなりの問題はあるんだろう、とは思います。
上の議論はあんまりそれとは関係ないですが、まあバッシングする側も節度があるといいよね、というかなんというか。
某ちゃんねるは構造的にちょっと例外っつーか極端ぽいですが。
>T.Kingさん
>そうやって個々の主張と結びつけ出すと単に社会的に認められない側の言い訳に見られて説得力減りそう
同感です。いや、元々あんまり説得力を求めてる訳でもないですが。
>ワンダラーさん
>その事について二倍観察し、その事について二倍他人の意見を聴き、その事について二倍自らの手で触れ、その事について二倍自分の足で行動するために、口より目、耳、手、足の数が多いのです
お坊さんは説得力の筋トレを数世紀単位で積んでますから。なんつーか、やっぱ法話っていうのはなんだかよく分からない程に上手く話をまとめますねえ。
理想論ではあるんだと思います。
>LSTYさん
> 学校の対応があほくさかったから、こういう盛り上がりになるんだろうと思うんですよね。
この話の場合、全くおっしゃる通りだと思います。万事、正論を呼び込む方には呼び込む原因があって、そーゆー原因にわーーっと人が集まるんだろうと。
>負けてる側が「参りました」って素直に認めないから、炎上するんですよ。
このケースの場合、そもそも学校側には「参りました」と宣言出来るインターフェイスが存在してないですね。謝るにしても誰が謝るんだ、って話でしょうし。
その辺も、お祭りを大きくする原因の一つかも知れません。
と、敢えてこのケースに踏み込むと上記の様な感想。
イラクの話がしたかったんじゃないんです。その後 似た様な集団ヒステリーを しばしば目にする様になったので もしかしたら これは 時代のせいだろうか そういう時代になってきたんだろうか それとも 古くからの この国の国民性の問題なんだろうか と 考えてしまったんです。
まあ 考えてみれば いつの時代 どの国にも 似た様な話はあったのかもしれなくて ネットは それが 見えやすい構造をしてるのかな。。。
・・・「なら書かなきゃいーじゃん」とかのツッコミは自分で入れときます。
>イラクの話がしたかったんじゃないんです。その後 似た様な集団ヒステリーを しばしば目にする様になったので もしかしたら これは 時代のせいだろうか そういう時代になってきたんだろうか それとも 古くからの この国の国民性の問題なんだろうか と 考えてしまったんです。
これに関しては、歴史を紐解けば洋の東西問わずいくらでも類似例は出てきますよ。
だからこそメディアリテラシーというものがとても大事なのですけどね。
少なくとも、今の学校では教えてくれないですね。
最近の現象は、マスコミが作り出した物(何かを一斉にみんなで追いかける)に、ネットが燃料を供給している(一般人も追いかけられるようになった)ように思いますけどね。
以前なら、みんな思っていても知り合いに話すのが関の山だったのが、数万・数十万の人に意見をほぼリスクなしのいいぱなしで表明でき、意見をを読める場があるというのは大きいでしょうね。
広まるまでの時間も飛躍的に早くなってますしね。
>それとも 古くからの この国の国民性の問題なんだろうか と 考えてしまったんです。
ふにふにさんもおっしゃってますが、国民性とか国の別とかはあんまり関係ないかも知れないですね。どこにでもあることかとも思います。
>ネットは それが 見えやすい構造をしてるのかな。。。
テレビでは見せないものがネットではそのまんま転がっている、ってことは結構ある気がします。
>なぽさん
おっしゃりたいことは大体分かりますw
>ふにふにさん
>以前なら、みんな思っていても知り合いに話すのが関の山だったのが、数万・数十万の人に意見をほぼリスクなしのいいぱなしで表明でき、意見をを読める場があるというのは大きいでしょうね。
知り合いに話す場すらあんまりなかった、と思うんですよ。だから「若者に話す機会を与える」みたいな妙な番組が流行る訳ですし。
ネットの影響範囲のでかさにはつくづくとんでもないものがあります。今更ですが。
祭りは祭りで大事なコミュニティのガス抜きであったりするし、
被害者がお気の毒なのも分かるけど、ある程度の落ち度もあるわけで、
なんともかんとも。
無断リンク問題が「「リンクされる可能性があって、それを完全には回避できない」という事実のみがある、これだけの話です」でFAなら、
こちらも「「隙を見せると2ちゃんねらやその他の団体・コミュニティに祭られる可能性があって、それを完全に回避できない」という事実のみがある、これだけの話」なのかもしれない。
>被害者がお気の毒なのも分かるけど、ある程度の落ち度もあるわけで、
>なんともかんとも。
ああ、個人的な意見なんですが、実は被害者が気の毒とはあんまり思わなかったりします。
ただ、この場合「いじめの構図」を「強者」である加害者が自覚していない様に思えるというか。一方が本当に正義感とか義憤しか覚えていないんだとしたら、ちょっとそれは気持ち悪いな、と思っただけでして。
祭と集団ヒステリーは別物だよ
集団ヒステリーってのは憶測や噂があたかも真実のように伝播して、それに共感したやつらが集まって引き起こすもの(正確には違うがw)
祭ってのは、明快に提示されたソースに対する感想が、大多数の意見と一致した場合に起こるもの
二つは相互に似てるが、ソースの有無という決定的な相違点がある
そのソースが誤報で無い限り、祭で炎上するのは、炎上した奴の自業自得でしかないってこと
いじめだとか、弱者強者の二元論で語るのは的外れだ
コメントありがとうございます。
>そのソースが誤報で無い限り、祭で炎上するのは、炎上した奴の自業自得でしかないってこと
えーと。読んでもらえると分かるんですが、上で話している話題は「「明らかな正論」と「明らかに理不尽」という対立構造、及び前者に組する圧倒的な数の暴力」」という「構図」の話でして、「祭」というのはこの構図に当てはまるんではないでしょうか。集団ヒステリーという言葉を使っているのはお一人だけですね。
ついでに言うとその二つ、「原因」は違うのかも知れませんが、「結果」がどう違うのかいま一つ分かりません。私は「自業自得」を踏まえた上で、構図はいじめと同じなんじゃないか、と思っているんですが。
烏合の衆の無力さをせめて数の暴力で示したいのでしょう。
大半は説得力の強い言葉に惹かれて賛同の意見を述べるのみです。
個対個だと到底適わない地位に数で抗いたいのは大衆の常だと思います。
学校然り政治然り
首相に食いついて知識もなく鬼の首を取ったような人未だにたくさんいますよね。
自覚しているかどうかに関わらず、これからもなくならないでしょう。
理性があっても逆らえない動物的な本能はあると思います。