2005年11月28日

レトロゲーム万里を往く その47 テトリス

テトリスは突然変異である。

多分思いついた人はもうちょっと昔にもいたのだろう。作ってみた人もいたかも知れない。だが、作ってみて、売ってみて、ゲーム業界に嵐を巻き起こした人はそれ以前に一人としていなかった。テトリスの前にテトリスはなく、テトリスの後には数え切れないテトリスがある。

コンピューターゲーム史のターニングポイントとなるタイトルを三つ挙げろと言われたら、私はあんまり考えずにこう答える。スペースインベーダー、ストリートファイターII、そしてテトリス、と。

テトリス。旧ソ連の科学者アレクセイ・パジトノフの手によって誕生し、1988年12月22日、BPS社よりファミコン版発売。その翌年にはゲームボーイ版が発売され、424万本という空前のヒットを巻き起こした。この販売本数は今に至るまでゲームボーイ史上一位である。

その後も、業務用を含めた様々なハードに移植されてはメガヒットを飛ばし、ゲーセンにおいては会社帰りのサラリーマンの集団を大量捕獲し、後には「コラムス」や「ぷよぷよ」などを代表とする「落ち物パズル」業界を形成するに至った。

歴史に関してはWikipediaが例によって殺人的に詳しい。ご参照あれ。

また販売関係に関しては、版権を巡って色々とごたごたがあったらしい。細かい内容に関しては、こちらのページに詳しい。まあこの辺り、ゲーム業界じゃあどこもある程度脛に傷、ではある。

さて、話を戻そう。

テトリスのどこが突然変異かというと、それまで基本的には「消費物」だったコンピューター業界におけるパズルゲームを、「完全リサイクル商品」に変えたモデルを提示したこと、だと私は思う。

例えば倉庫番やフラッピーは、解き方を一度マスターしてしまえば基本的にはそれまで、というパズルゲームだった。ロードランナーだってバベルの塔だって、熟達するに従って難易度を落としていくことには変わりない。かのソロモンの鍵でさえ、クリア方法を全部覚えてしまえば多少は新鮮みを失うだろう。

テトリス以前のパズルゲームというのは、基本的には「頭を使って解き方を見つけてもらう」というのがゲーム性の中核だった。コンピューターゲームに限らず、これに関してはパズルゲームというジャンルの大部分が同じだ。

つまりパズルゲームというのは、極言すると「一回クリアすると一つ消費」という消費物だった。

これに対するメーカーの対策は幾つかに分類出来る。

・パズル局面の難易度を大幅に上げ、そう簡単に解かれない様にする(チャンピオンシップロードランナーなど)

・アクション性を押し出し、パズル以外の部分でのゲーム性を補強する(ソロモンの鍵など)

・ステージのランダム生成(あるいはエディット)などで面数を純増し、消費ペースを遅くする(上海、四川省など)

・なんらかの方法でステージを追加リリースし、ユーザーに継続的に遊んでもらう(倉庫番など)

代表的なものはこれくらいか。勿論これらの方法は一定の成果を上げ、初期のパズルゲーム業界に数々の名作を送り出してきた訳だが。

テトリスの凄いところは、これらの対策群を全部まとめて無用の長物にしてしまったところだ。

たった数種類のブロックと、「落として、並べて、消す」という単純極まりないルール。後は全部ユーザー任せ。ゲームを形成するにおいて、細かい面構成に頭をひねらせる必要などどこにもない。「パズルを作る」部分まで全部まとめてゲーム性の一貫として、ユーザー側に渡してしまった、という言い方も出来るだろう。

これがとんでもねえ中毒性と懐の深さを生んだ。

ブロックがまとめて消える際の爽快感と、隙間を埋めていくという遊び自体の気持ちよさを背景として、テトリスはまさにシンプル・イズ・ベストを体現するゲームだった。

簡単な遊び方も出来れば難しい遊び方も出来る、初心者も遊べれば達人も生まれる、これがテトリスである。

ルールさえ考えれば製作にかかる労力は極めて安い、そして中毒性は極めて高い、それがテトリスを先駆けとする「落ち物パズル」の特徴である。

ローコストハイリターン。それまで開発者の神経衰弱率激高といわれたパズルゲーム業界をたった一本で変身させた、それこそがテトリスの凄みだったのだ。

勿論これはある程度安易な後追いを生み、テトリスの亜流群によるプチアタリショックを発生させはする訳だが(言っちゃなんだが、パジトノフ自らによる二匹目のドジョウ「ハットリス」なんかちょっとどうなん、と思わないでもなかった)、それもテトリスの「破壊力」を示す一端とはいえる。

ロシアの生んだ著作物の中でも、実は最も偉大な作品の一つなんじゃねえか、とか言うと元文学部生としてちょっとアレだろうか。


テトリスは時代を越え、ユーザー層を越え、今じゃあすっかり携帯アプリの定番ソフトである。かつての革命家は子持ちのおっちゃんになり、今でも多くのゲーム開発者を養っている。

posted by しんざき at 16:17 | Comment(5) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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この記事へのコメント
テトリスを「製作側が提供するステージ構成からの脱却」という視点からとらえるとは。目から鱗が落ちますねえ。言ってみればこれ、パズル界のローグライクなワケなんですかなあ。シレンとか。

ワタシの親父が中国出張の土産として買ってきたのが、どこで手に入れたのかメガドラ版のテトリスでした。んで結局、それで一番遊んでたのがその親父。トシいった人間でもルールの判る、ある種根源的なゲームだったんでしょうねえ。
Posted by 通りすがりおやじ at 2005年11月28日 18:37
うほなかなかいいところに目をつけられましたな。この話いつかゲームの静的リソースと動的リソースという形でまとめてみたいと思ってました。テレビゲームというのはつまるところ砂嵐を人間が見て面白いものにするためにかけるフィルターなんですよね。
Posted by T.King at 2005年11月28日 23:24
こう捉えるとテトリスというか落ち物パズルはシューティングなんだな
Posted by めあ2 at 2005年11月28日 23:49
こんばんは。

今回もしんざきさんのとらえ所はすばらしいですね。
ゲームボーイ版テトリスは私も本体と一緒に買ったので
最大ヒットに貢献してます。

メガドラ版は版権を任天堂が握ったからセガが作ったのに
販売できなくなって泣く泣く倉庫にしまったとか
しまってないとか風の噂に聞きました。
中国版は確か「瓦礫崩壊」ってタイトルでしたね。
高校生の頃よくやりました。移植度が高かったので、
任天堂に版権を買われなかったら、もっとメガドラは
売れたんじゃないかなぁ、と思いました。

それでは、失礼しました。
Posted by USHIZO at 2005年11月29日 01:44
>通りすがりおやじさん
>パズル界のローグライクなワケなんですかなあ。シレンとか。

ローグもわらわらと後追いが出ましたねえ。
何で読んだんだったかな、誰か一人が後を追うとパクリになるが、皆で後を追うと「○○もの」として確立される、とか。テトリスも正にそれですね。

>T.Kingさん
>ゲームの静的リソースと動的リソースという形でまとめてみたいと思ってました。

それも面白そうなテーマですね。ゲームの究極の形は「開発者はスタートラインしか用意しないで、後はユーザーとゲームの側で勝手に進化してくれる自己進化型」ゲームだと聞いたことがあります。今、ある程度それに近い形で進行しているのはネットゲームでしょうか。


>めあさん
>こう捉えるとテトリスというか落ち物パズルはシューティングなんだな

落ち物パズルはアクションというジャンルにするかパズルというジャンルにするか混乱する、と昔ゲーメストに書いてありました。

>USHIZOさん
>メガドラ版は版権を任天堂が握ったからセガが作ったのに販売できなくなって泣く泣く倉庫にしまったとか
しまってないとか風の噂に聞きました。

文中のリンクでもあったんですが、私実はこのごたごたあんまり知らなかったんです。セガファンの方が任天堂ファンを目の敵にする理由の一つなんでしょうか。

Posted by しんざき at 2005年11月29日 13:33
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