2008年06月05日
レトロゲーム万里を往くその78 ゲームにおける、「振り出しに戻る」の重要性。
コンティニューが裏技だった時代から、まあ随分遠くにきたもんだなあ。と。
まず、結論から先に書いてみる。
1.「振り出しに戻る」というのは、ゲームの進行、キャラクターの育成などに関して、何らかの方法でリセットすることを指す。昔から、たくさんのゲームがこの「振り出しに戻る」機能を有していた。
2.近年、色んなジャンルのゲームが「育てる」「集める」という要素を内包している。「育てる」「集める」は非常に高い中毒性を期待出来るツールだが、「基本的に面倒くさい」「育つにつれて更に面倒くさくなる」「育つにつれてだんだん飽きてくる」といったマイナス要素とワンセットであることが多い。
3.「振り出しに戻る」という機能は、この二つの要素と一見矛盾している様だが、上手く取り込むことが出来ると、「飽きにくい」という物凄く有効な武器になる。
4.特にMMORPGであるとか、「継続して遊んでもらう必要がある」ゲームにおいては、この「振り出しに戻る」機能をいかに上手く取り込むか、ということが一つの生命線になるんじゃないだろうか。
と。先に言いたいことを全部書いてしまったので、上の4つの順番で、以下ざっくばらんに話を進めてみよう。
・「振り出しに戻る」の歴史について。
いや、ぶっちゃけ1980年台のゲームって8割がた「振り出しに戻る」なんですけどね。
ゲームの歴史から言うと、むしろ「振り出しに戻らない」方が後から付け加わった機能だと考えていい。古くはスペースウォーの頃から、ゲームの大多数は「死んだら最初から」となるのが当然だった。ゲームオーバーは「最初からやり直し」という意味だった訳で、感覚としては駆けっこやかくれんぼといった「遊び」と一緒である。
で、一番最初に「残る」を実現した機能が、多分「ハイスコア」というヤツだ。その日プレイしていた人の中で、一番稼いだ人の点数が表示される、アレである。インベーダーの頃にはもう存在した機能だから、少なくとも成立はそれ以前の筈だ。
で、その後、裏技としてのコンティニュー、パスワード方式を経由して、「バッテリーバックアップ」という「振り出しに戻らない方法」が出現した頃から、ぼちぼちゲーム業界は「集める」「育てる」という遊びの有用性を取り入れ始めた。RPGがゲーム業界に隆盛し始める時期と、「育成要素」というものの出現時期は、まあ大体重なっている。経験値稼ぎが、レアアイテム取得が、「やり込み要素」が、段々とその形を明確にしていく訳だ。
この辺については、以前も私は同じ様なことを書いた。手前味噌だが、以下のURLをご参照頂けると幸い。
「集める」ゲーム性と「育てる」ゲーム性
レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論
ともあれ。「振り出しに戻らないゲーム」が主要なジャンルとして、いつからかゲーム業界に隆盛していったということは言えるだろう。
・「育てる」ゲームの弱点について。
めんどーくさいこと。
一言で終了してしまったが。以前も書いたが、「育てる」「集める」ゲームの最大の弱点は、楽しみを味わっていけばいく程、それ以上楽しむ余地を削ってしまうこと、である。
例えばドラクエで言えば、ある程度以上レベルを上げてしまえば、苦戦する敵というものは殆どいなくなる。それ以降、全ての戦闘は「遊び」から「作業」になってしまう。遊びは楽しいが、作業はあんまりは楽しくない。これが、「育てゲー」の最大の弱点な訳である。FFでも信長でも同じことが言える。
例えばメガテンで言えば。仲魔を集めるのは楽しいが、簡単に強い仲魔集め切ってしまえるとゲームにならない。だから強い悪魔であればある程仲魔にするのは難しい訳だが、これがまた、タイトルによってはやってられないくらいめんどーくさい。ミカエルを、ルシファーを仲魔にしようとした人ならば誰でもわかるだろう。その面倒くささは、一般人を軽く挫折してしまう程のレベルである。
集めるのは楽しい、育てるのは楽しい。だが大抵のゲームの場合、ある程度以上楽しんだその先には高い壁がそびえている。
普通のオフラインタイトルであれば、そんな「壁」は大した問題にはならないのだが、ずーっと継続して遊んでもらうことを前提に考えられているオンラインRPGなんかでは、実は結構この「壁」が重大な問題になってくると思うのだ。ROも、FFも、ある程度以上の強さのプレイヤーは「廃人」と称される。人生捨てる程の覚悟がないと到達出来ない領域が存在する、ということだ。遊び続けている内に「廃人になるか、ならないか」という選択肢をプレイヤーに突きつけるのは、収益性という側面からは可能な限り避けたい。
・じゃあ解決法はなんだろう。
「振り出しに戻る」と「育てる」「集める」を両立させてしまえばいい訳である。
多分、上記二者を両立させている、一つの理想的な例が「不思議のダンジョン」シリーズだろう。「育成」という要素を飽くまで保持しつつ、プレイヤーは「振り出しに戻る」ことを前提としたゲームに何の違和感も感じない。ダンジョンに何百回挑んでも新鮮味が失われない、その要因はひとえに「主人公が死ねば装備・レベルがリセットされる」という一点に尽きる。その一方で、「育てた武器を残す方法もある」ということは、プレイヤーの収集要素を決して減衰させない。
「残る」ものと「消える」ものの両立。結果的に、トルネコやシレンは、育成ゲームでありながら「遊び」の要素を色濃く残した、ローグライクゲームとしても出色のタイトルに育った訳だ。この辺りには学ぶ要素が多いんじゃないかと思う。
ここまで考えて、ふと最近のタイトルを見回すと、上手い具合に「振り出しに戻る」を導入している例が幾つもある。例えばディスガイアやマビノギの転生システム。強さの核になる部分は残しつつレベルを1にリセットして、その後の育てる楽しみを継続する、というのは、プレイヤーのやる気を喚起するという意味では実に上手いやり方だ。
一方、「振り出しに戻す」システムを用意していないゲームとの場合、遊び続けてもらう為には新要素をざくざく投入していく他手段がない。これは、あんまりコストパフォーマンスがよろしくない。
振り出しへの戻し方。最近のゲーム業界を見てると、これ、結構重要なキーワードなんじゃねえかなあ、と私は思った訳である。
ということで。大概長くなったので、今回はこれくらいにしておくことにする。
次回は多分タイトルもの書きます。

この記事へのトラックバック
「振り出しに戻る」こそがゲームを面白くする
Excerpt: 「振り出しに戻る」という言葉を聞くと真っ先に思い浮かぶのは「すごろく」ですが、コンピュータゲーム、特にRPGなどでは様々な形でこの「振り出しに戻る=リセット」システムが採用されています。自分が経験した..
Weblog: blogs.com
Tracked: 2010-02-12 18:00
つまり
おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました
ということになるんですね
振り出しに戻るシステムは、中々難しいものがありますね。シレン等は一人でコツコツ進めていくところにも面白さはあるので、単純にオンラインにしても余り魅力的なコンテンツにはならないでしょうし。
あと、オフゲーは、振り出しに戻して長く遊んでもらうより、続編or次回策を遊んでもらった方がいいので、永久コンテンツはオンゲーにこそ重要なのかもしれませんね。
「集める」「育てる」ことができる傾向にある。
何かをコンプリートしようと集める際に、
最後のひとつを得るためには、
それまでに集めたものを失う可能性があったり、
新しい能力を得れば、既得の能力を失うというリスクを
絶妙なバランスで盛り込むことができれば
ゲームは面白くなりそう。
>おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました
思わず吹いてしまったではないですかっ
日本人がスルーする領域ですが
それはちょっと戻り過ぎな気もします。
>通りすがりさん
>マビノギのシステムは基本的に戻って無いですよ。今ある能力ほぼそのままに新たに能力を積み上げるので。
ああ、一応私もそのつもりで書いてます。全てリセットするんじゃなくて、なんというか、「もう一度育てる余地を確保する」という意味での振り出し。ディスガイアもそうですよね。
>あと、オフゲーは、振り出しに戻して長く遊んでもらうより、続編or次回策を遊んでもらった方がいい
それはそうなんでしょうね。
>無名さん
>新しい能力を得れば、既得の能力を失うというリスクを絶妙なバランスで盛り込むことができれば
面白くなる、んだろうなあとは思いつつ、絶妙なバランスって部分がすげー難しそうです。
>NOBIEさん
ドラクエは結構誠意がある方だったと思います。ファイアーエムブレムのそっけなさといったらもう。
やはりやりがいや成果というものがないと楽しく遊べません。
そこで「振り出しに戻る」タイプのゲームは、
「残るもの」を腕前というソフト外のものに設定していたと考えられないでしょうか。
得たものをほかのタイトルにも流用できる(しやすい)、保存性が高い、
といったことが目立った(いま思いついた)長所ですが、
人間力が大きく影響することで敷居が高くなってしまい、
楽しめる人間が限られやすいのが難点でしょうか。
そりゃ「残るゲーム」のほうが主流になるわな。
>「残るもの」を腕前というソフト外のものに設定していたと考えられないでしょうか。
昔のゲームは、多分殆どがそうだったと思います。ゲームオーバーってのは、今から考えてみると深いくくりでしたよね。
>楽しめる人間が限られやすいのが難点でしょうか。
そうなのかなあ。どうなんでしょう。
昔のゲームは昔のゲームで楽しいですよ。
>名無しさん
>「俺の屍を超えてゆけ」はどうした
黄川人はいい味出してましたよね。