2017年02月13日

今でもB+C同時押しを超必コマンドに導入しまくったSNKを恨んでいる

皆さん、ネオジオ遊んでましたか?


ネオジオの話というか、MVS筐体の話から始まるかも知れません。

当時、ネオジオといえば100メガショーーーック!!!っていう例のアレでして。ネオジオ発売当初はナム-1975とかジョイジョイキッドとか戦国伝承とか人気今ひとつでしたけど、91年の餓狼伝説以降、格ゲー人気の高まりと歩調を合わせるようにして凄い人気出ましたよね。ネオジオ。私はクロスソードとかもめっちゃ好きだったんですけど。

ネオジオが一台置いてあると、そこはゲームセンターになる。当時はそれが誇張でなかったくらい、「MVS筐体一台で、ゲームが複数タイトルの中から選べる」というのが、ゲーム小僧たちには物凄く画期的なことに思えたんです。何これゲーム選べるじゃん!!!すげえ!!!!って。いやもう盛り上がった盛り上がった。

龍虎の拳や餓狼2、サムスピ以降は、大体「格ゲー3タイトル + フライングパワーディスク」っていうセットでスーパーの軒先に置いてあるのが定番の光景になってましたよね。ビューポイント大好きだったんで、ビューポイントが入ってるMVS筐体あちこち探し回ったりとかしたんですけど。

で、その当時、ネオジオの筐体って台によってボタン配置にバリエーションがあったんです。

例えば、単純に「ABCD」の順で並んでいる横一列配置。

次に、

AC
BD

の配置で並んでいるボックス配置。これ、AとCがパンチで、BとDがキックだった2以降の餓狼に対応してたと思うんですが。

これ、厄介なことに

AB
CD

で並んでる筐体もあったんですよ。これは多分サムスピ・真サム対応だったんですかね?AB同時押しで大斬りになるから。

もうちょっとあとになってくると、6ボタン筐体にネオジオを入れた関係で横一列配置が出来ず、

BCD
A

で並んでる配置とか、

ABC
D

で並んでる筐体とかも出現してきました。

今から考えてみると、同じハード、同じゲームシリーズでここまでボタン配置が統一されてないのってどうなのって思わないでもないんですけど、当時は何せ「ゲーセンごとにボタン配置が違う」「下手すると同じゲーセンでも筐体ごとにボタン配置が違う」というのが割と普通だったんで、みんなそれに順応するべく必死で練習してたんですよ。

で、当時私、餓狼とかやる時、主に

AC
BD

のボックス配置で練習してたんです。上列がパンチ、下列がキックっていうの自体は、ストIIも同じだったんでそこまで問題なかったんですけど。

ただ、この配置、何が問題ってBC同時押しがめっちゃやりにくいんですよ。指が斜めにまたがるじゃないですか、この配置。ただでさえ同時押し苦手で、サムスピの半蔵のモズ落としですらどうしても小モズになっちゃって毎回悔しい思いをしていたのに、もう入力出来ないこと出来ないこと。

皆さん覚えてらっしゃると思うんですが、一時期、特にネオジオのゲームってやたらコマンドが複雑化していったじゃないですか。あれ、ネオジオっていうか主にSNKのせいだと私思ってるんですけど、そのスタート地点が餓狼2だったと思うんですよね。餓狼2の超必です。超裂破弾とか鳳凰脚とかダイナマイトいずな落としとか。

龍虎の超必はコマンド自体は簡単だったんでまだよかったんですよ。ただ、餓狼2の時って、21416+BC同時押しとか、21416+BD同時押しとか平気で入力させたじゃないですか。あ、この数字の意味が分からない方はテンキーの矢印表示を見てみてください。

21416の時点で既に大概なのに、しかもBC同時押しって。お前はパワーゲイザーを出させる気があるのかと問いたい。小一時間どころか18時間くらいぶっとおしで泣くまで問い詰めたい。その上ガロスペになったら、ブレイクスパイラルが4123692+BDとか、レイジングストームが1632143+BCとか、ふざけてんのかマジで。

コマンド入力だけでも泣く程しんどいのに、とどめに待ち受けているのが斜め同時押しですよ。どんだけトラウマかという話です。

いや、勿論事情はある程度分かるんです。龍虎の当時、超必は「対戦上でのテクニック」というよりは「隠し技」という、「隠れている」ことの方が役目として大きい存在だった。龍虎乱舞とか、当時は完全に存在隠蔽されてましたもんね。「出たらビックリ」という技であって、簡単に出される訳にはいかなかった。だからコマンドを複雑化させた。

ただ、言ってしまえば、餓狼スぺの頃なんかもう完全に超必の存在なんて知れ渡ってたじゃないですか。ある程度、超必が出せることが対戦の前提にすらなんていたんですよ。対戦のテクニックの中に、「超必のコマンドが入力できるかどうか」というものが必須の要素として組み込まれてしまっていた。しかも、ボタン配置は筐体ごとに統一はされていなかった。

それであれか、レイストかと。ブレスパかと。ブラッディフラッシュかと。

コマンドの複雑化って、格ゲーの高速化と共に、「俺はもうこのジャンルについていけない…」という人を大量に生んでしまった二大要因の一つだと思うんですよ。私、SNKのゲームは基本的に大好きなんですが、「一時期超必のコマンドを非常に複雑化させてしまった」ことだけは弁護の余地がないと考えています。


鳳凰脚やパワーゲイザーのコマンド考えた人おなかこわせ、というピュアな思いで心がいっぱいなわけです。単純に言ってしまうと不器用勢としての個人的な恨みです。


それはそうと、こののちカプコンは「ヴァンパイア」において、モリガンのダークネスイリュージョンのような「ボタン順番押し」というコマンドを考案しまして、一時期は「カプコンお前もか!!」とか思っていたんですが、こっちはなんか割と早く慣れました。なんでだろうな。ただ、それでもマーヴルのエリアルレイヴは大変だった。


まあ、手先が不器用な人も不器用なりに、格ゲーの世界を渡っていたんだよーという思い出話なのか愚痴なのかよくわからない話でした。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 12:28 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月01日

レトロゲーム万里を往く その137 ホテルの「ゲームコーナー」とスピードレースの思い出。

昔、毎年泊まっていたホテルに「ゲームコーナー」がありました。


「ホテルや旅館のゲームコーナー」というものには、みなさん色々な思い出をそれぞれお持ちのことと思います。ホテルに泊まった時、館内地図に「ゲームコーナー」という文字を見つけた時のわくわく感には、一種独特のものがあります。一体どんなゲームがあるのか、真っ先にゲームコーナーに確認の足を運んでいた人も少なくはないのではないかと思います。


時には見たこともないエレメカに目を輝かせ、時にはUFOキャッチャー数台が並んでいる空間に落胆し。人によっては、「ゲームコーナー」は新しいゲームとの出会いの場でもありました。ゲームコーナーでアフターバーナーIIに出会ったことも、ゲームコーナーでリブルラブルに出会ったこともありました。


幼稚園から小学校中学年くらいの時期ですので、30年は昔のことだったと思います。毎年、東北は宮城の祖父母の家に、夏休みになると家族旅行に行っていました。旅行中、殆どの期間は祖父母の家に泊まっていたのですが、うち2泊だけ、白石蔵王のかんぽの宿に宿泊していたのです。

近くに川が流れている、ホテルと旅館の中間のような宿でした。宿泊エリアとは別に長期療養の人用のエリアのようなものもあり、「ちょっとおさんぽに行ってくる!」と言って部屋を飛び出して、ホテルのあちこちを探検したことを覚えています。静まり返ったホテルの通路を一人で歩き回るのに、妙な高揚感を覚えたものでした。

何故か今でも、そのホテルの通路の匂いだけは鮮明に覚えています。匂いの記憶は、時には視覚よりも聴覚よりも長く残るものです。


そのホテルのゲームコーナーには、卓球台と、ケロケロパックンと、当時ですら古めかしく見えたジュークボックスと、三択を当てるとキャラメルが出てくるエレメカと、そして「スピードレースCL5」がありました。皆さん、スピードレース、ご存知ですか?


「スピードレースCL5」。レースアクションゲーム。タイトーから発売。

元となる「スピードレース」は1974年に発売されたんですが、そのホテルにあったのはそのだいぶ後に出た別バージョン、「CL5」だったことを記憶しています。

大型筐体と通常のビデオゲーム筐体の中間のような機体でして、筐体にハンドルと、ハイローのギアチェンジレバーと、アクセルがくっついているような構造になっていました。アクセルを踏むと自機の赤い車が走りだし、上から凄い勢いで突っ込んでくる(というかこちらが突っ込んでいる)ライバルカーを次から次へ避けまくる、というようなシンプルなゲームです。

動画がありました。興味がある方はみてみてください。音結構迫力があるんですよね。ぶつかった時の「ガガーーーー」みたいな音とか、当時は結構怖かった記憶があります。


ちなみに、ケロケロパックンはこんなエレメカでした。これは多分、ご存知な方結構多いんじゃないでしょうか。結構力加減が難しいんですよね、コレ。



これが、私と「ゲームコーナー」の出会いであり、私とタイトーとの出会いでもありました。また、「見知らぬ誰かとのスコアアタック」を初めて経験したタイミングでもありました。


スピードレースはシンプルなゲームでした。ゲームシステムとしては、「弾が出せずに敵をよけまくるSTG」といってもそれ程支障はありません。しかし、シンプルなだけにその熱中度は相当なもので、私と5歳年上の兄は、そのホテルに泊まる度、親にあきれられながらスピードレースに血道を上げていました。


スピードレースは、ライバルカーを避けまくっていればいる程スコアが上がっていき、5位までのハイスコアが記録されるシステムになっています。当時、ホテルでは定期的に電源を落としていなかったのか、ハイスコアを出すと翌日でもそのスコアが残ったままになっていました。そして時には、私が出したハイスコアが、翌日他の誰かに塗り替えられている、ということが起こったのです。


スコアを出す。抜かれる。抜き返す。知らない誰かとの無言のスコアアタック。それも当時、ゲーセンの、あるいは「ゲームコーナー」の大きな醍醐味の一つだったと思います。ずっと後になって、私は「ダライアス外伝」で同じようなことをすることになります。



やがて、私と兄が成長する内に、夏休みごとに祖父母の家に旅行に行くことはなくなりました。そのホテルに泊まる機会も自然となくなりました。


そして、随分時間が流れました。時代が変わりました。

家庭用ゲームはファミコン時代、スーファミ時代を過ぎPS2やドリームキャストの時代になり、アーケードは格闘ゲームブームもぼちぼち終わる頃でした。私は、とある用事で白石に足を運ぶことになりました。

ホテルの建物は川沿いに残っていましたが、運営会社は変わっていたようでした。通りがかった時に、中を覗いてみました。館内の調度は、記憶に残っているよりずっと新しくなっていました。

館内地図に「ゲームコーナー」の文字は既にありませんでした。昔を思い出しながらホテルをうろついていると、温泉の横の休憩室に、一台の「ジャンケンフィーバー」だけが、まるで奇跡のように残っていました。わざわざコインを入れました。「ジャンケン、ポン!」「アイコデ、ショ!」「アイコデ、ショ!」「ズコー」昔と変わらない展開でした。


今では、ホテルや旅館に泊まっても、館内地図に「ゲームコーナー」という文字を見る機会は随分と減ってしまいました。

それでも。たまに「ゲームコーナー」という文字を見た時は私は相変わらず新鮮なわくわく感に包まれますし、もしかするとそこで見たこともない出会いが待っているんじゃないか、あるいは懐かしい旧友に再会出来るような機会が待っているんじゃないかと、私は胸をどきどきしながら足を運ぶのです。

今でも、これからも、「ゲームコーナー」が一つの出会いの場であり続けることを、願って止みません。

今日書きたいことはそれくらいです。
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posted by しんざき at 18:44 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月13日

ファミコン版スペランカーについてもう一度ちゃんと振り返ってみようじゃないか


ちょっと思うところがあったので、「ファミコン版スペランカーとは何だったのか」ということを、皆さんと改めて考えてみようと思います。ご存知の方には今更の話が多いと思いますが、ご勘弁ください。


皆さんよくご存知の通り、ファミコン版スペランカーは、ブローダーバンドからライセンスを受けたアイレムが、1985年の12月に発売したアクションゲームです。元々はAtari、コモドール64で発売されたタイトルだったのですが、ファミコンに移植された際、アイレムが大幅に難易度を上げたことで結果として有名になりました。


コモドール64版のプレイ動画を見つけたのでちょっと掲示させて頂きます。基本的な画面構成やゲームシステムは同じなんですが、「デブが軽快に洞窟探検をするゲーム」としてデザインされていることを見て取って頂けるでしょう。何故こんなにデブなのかは知りません。


この頃のスペランカーは、のちのファミコン版で取沙汰されるような、「自分の身長の高さから落ちたくらいで死ぬ」「ひざ丈から落ちただけで死ぬ」というような難易度デザインはされていません。死ぬときゃ死ぬんですが、1:06くらいでも、エレベーターのちょっと高いところから落ちた主人公が、その後も元気に走り回っているところを確認して頂けると思います。


さて。スペランカーは、アイレムが移植したファミコン版において、「繊細な操作をしないとすぐ死ぬ」という形での難易度アップを施されました。のちに公式を含めた様々なところでネタにされる、「虚弱体質探検家」の誕生です。


今更くだくだと書く必要はないとは思いますが、一応動画をリンクさせていただきます。エレベーターから降りた直後にキャラクターが死んでいることが分かります。


いきなり余談なんですが、スペランカーのオープニングBGMはめっちゃ名曲です。この重厚なメロディを、1985年というファミコンド初期に作り込んだアイレムのスタッフは本当に素晴らしい。



さて。ちょっとここで、ファミ通.comに掲載された、スペランカーオリジナルスタッフのインタビューを参照してみましょう。原作開発者であるティム・マーティン氏も参加している、非常に貴重なインタビューだと思います。


注目して頂きたい部分はここです。(強調筆者)

――ちなみに、ファミコンソフトの中で『スペランカー』の難しさは突出していましたが、難度設定にはどのような意図があったのでしょうか?

津村 アーケードゲームを開発していた当時、家庭用ゲームは難度調整のツメが甘いなと感じていました。我々は “数分間でおもしろさがわかって長く遊ばせない”という方針でアーケードゲームを開発していましたから、ファミコン版『スペランカー』も、おもいきり難度を高く設定しました。ですが、ただ難度を高くするのではなく、学ぶことで達成感を得られるようにしようと。試行錯誤すれば達成できるけど、達成するには根気が必要。それを我慢できない人からはつまらないゲームと言われるでしょうが、我慢強い人は“やり甲斐のあるゲーム”として評価してくれる、そういう意図を持って調整していましたね。


早い話、スペランカーの「すぐ死ぬ」という特徴は、「試行回数を増やしてだんだん学習していってね」「繊細な操作に習熟して達成感を得てね」という、開発者の意図的な仕様なのです。「スペランカー」を語るとすれば、大前提としてここを了解していないといけません。

そして、その試み自体は間違いなく成功していました。ファミコン版スペランカーは、「何度も死ぬことによってだんだん上手くなる」「上手くなればなるほど気持ちよくなることが出来る」ゲームに仕上がっていたのです。それを楽しめるかどうかは別として、後々数多くゲーム業界に送り出される、「死んで覚える」ゲームの草分けの一つとまでは言ってしまってもいいでしょう。


アクションゲームの楽しさには、「操作感」と「達成感」という二つの代表的な軸があります。

「動かしているだけで楽しい」「動かすことによって直接的な気持ちよさを得られる」というのが、操作感の軸。

「何かの課題をクリアするのが楽しい」「だんだん上手くなっていき、難しい壁を乗り越えることが出来るのが楽しい」というのが達成感の軸。

この二つは、別に矛盾する訳ではないのですが、両立させるのが難しい場合があります。達成感を得させる為には難度を上げなくてはいけない場合が多く、それが「操作しているだけで楽しい」と結びつかないことがあるんですね。


そこから考えると、ファミコン版スぺランカーでは「達成感」の軸に大きく寄せたデザインが行われていることが分かります。「ドット単位の繊細な操作を身に着けることで、困難なステージを次々クリアしていくことが出来るようになる気持ち良さ」。それがスペランカーの楽しさ、面白さの本質であることは議論を必要としないでしょう。

1985年というのは、ファミコン全体の歴史を考えれば初期も初期です。キン肉マンマッスルタッグマッチやチャレンジャー、忍者じゃじゃまるくん辺りが発売されていた時代です。「ドルアーガの塔」という先達があったとはいえ、はっきりと「達成感寄り」のゲームデザインを行ったタイトルとしては、スペランカーがかなりの先駆者だったことは間違いないでしょう。


さて。


これもみなさんよくご存知のことかと思うんですが、スペランカーは、一時期のテキストサイトの隆盛時代、「クソゲーの代表格」みたいな取沙汰をされてしまったことがありました。そのころの文脈の代表的なものは、上のような高難度のレベルデザインを取沙汰して、「ひざの高さから落ちただけで死ぬ!クソゲー!」というようなものでした。

そしてこの、「すぐ死ぬ」というところだけを面白おかしくクローズアップした文脈が、高難度レベルデザインにあまりなじんでいなかった一部のネットユーザーにウケてしまったのです。

勿論、ゲームが面白いかどうかは人それぞれです。例えばこの当時大ヒットしていたスーパーマリオブラザーズのような、「繊細な操作を意識しなくても十分楽しめる、直感的で爽快なジャンプアクション」を期待してこのゲームに触れた人が、「求めていたものと違った」という感想を抱いてしまうのは仕方がないところでしょう。そこに文句はないんです。


ただし、スペランカーは決して「UIが優れていないから遊びにくい」ゲームではない。「理不尽なゲームデザインが施されている」ゲームでもない。操作は直感的だし、レスポンスは早いし、ギミックは豊富だし、アクションゲームとしてみれば実に良く出来ています。「すぐ死ぬ」というのは開発者が達成感の演出の為に導入したデザインであって、しかもそれは間違いなく成功しているのです。


だとすれば、私はこれだけは断言できます。


未だに「すぐ死ぬからスペランカーはクソゲー」などと言っているヤツがいたとしたら、そいつは何も分かっていない。下手すると30分以上スペランカーをプレイしたことすらないスペランカード素人だ、と。



かつてのゲーム開発者たちの数々の試みが、たくさんの人々の心に残ることを願って止みません。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:12 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月17日

レトロゲーム万里を往く その136 食欲をそそるファミコンレトロゲームのお話・前編

FF15のおにぎりのグラフィックが話題になっていましたね。


大変美味しそうですよね。どうもFF15では、食事をするという要素も大変重要なものであるらしく、「美味しそうなおにぎり」をモデル化するのに並々ならぬ苦労をされた、というインタビューもみかけました。


元ツイートの方は批判的ですが、「ここにはこだわる」という意志があった上でこだわるのであれば、それはそれでアリなんじゃないかと私は思います。


ところで、「おにぎり」というのは食料のアイコンとしては極めて一般的なもので、かつてファミコンでも、数多くのゲームが「おにぎり」を体力快復のアイテムや空腹回避のアイテム、あるいはボーナスアイテムとして採用してきました。その範囲は和ゲーだけにとどまりませんでした。


一般に体力回復のアイテムとした「がんばれゴエモン」やそのシリーズ。

イベントアイテムだった、「桃太郎伝説」や「新鬼ヶ島」。

おにぎりを食うとなぜかごろごろ転がりだして無敵になる「東海道五十三次」。

川のぬし釣り。ケルナグール。熱血物語。水戸黄門。魔界島。


これらの共通点は、「グラフィックはチープなのになぜか食欲をそそる」という点です。

Goemon1j0000.png

分かって頂けるでしょうか?当時のファミっ子の間では、こんなグラフィックでも何故か十分に「美味しそう」だったんです。なんか梅干しおにぎりの味が口の中に広がって、妙に食欲がわいてきたんです。「夕飯おにぎりにして」と親にリクエストして、怪訝な顔をされたことも一再ではありません。

ここでおそらく重要なのは、「統一感」と「没入感」。そのグラフィックが全体として「浮いて」さえいなければ、そのゲームの中に入り込むにあたって、そのチープさは全く障害にならない。この世界の中で、このおにぎりのグラフィックは十二分に「リアル」なのです。

その世界に没入することが出来てさえいれば、グラフィックのチープさは必ずしも問題ではない。私はかつて、それを「おにぎり」から教わりました。


ということで、今回の万里では、おにぎりに限らず「食べ物が出てくるファミコンタイトル」を幾つかピックアップして、その「美味しそう感」を皆さまにも味わって頂きたいと思います。


1.オバケのQ太郎 ワンワンパニック

Obake no Q Tarou - Wanwan Panic (J)0000.png

FC初期の食い物ゲーとしては非常に著名な一作です。Q太郎が空を飛んだりジャンプをしたりで犬を避けつつ、その辺に浮いている食べ物を食いまくってエネルギーを補給、友人たちのいろんなトラブルを解決します。

恐らく、コンシューマーゲーにおける「満腹度」「空腹によってゲージが減っていき、ゼロになるとミスになる」というシステムの草分けであると考えていいでしょう。そういう意味では、遠く「風来のシレン」や「ダンジョンマスター」の始祖であると言っても過言ではありません。あ、過言ですか。そうですか。

このゲーム、おにぎりやキャンディー、ケーキなどのグラフィックもさることながら、Q太郎が食べ物アイテムを食べる時の「ぱくっ」という効果音が妙に印象的で、音も併せて「なんかケーキ食べたくなる」という効果がかなり強いのです。ゲーム自体は若干理不尽難易度ゲーな側面もありますが、バンダイ作品の中堅どころと言っていいでしょう。


2.デビルワールド

デビルワールド.png

デビルワールドです。すいません、ちょっと画像が見えにくいかも知れないですが、ソフトクリームと、タマゴンの右下にある黄色いのわかるでしょうか。これ、目玉焼きなんですよ。

ソフトクリームの妙に気合いの入った造形もさることながら、目玉焼きを食べる時の「もきゅ!」という感じの効果音が、ワンワンパニックと同じくこれまた絶妙でして。このゲームやってると目玉焼きを食べたくなること請け合いです。

ただ、ソフトクリームと目玉焼きってあんまり食べ合わせよくないような気もするんですが。目玉焼きの原料とか考え始めると食欲なくなるんで注意です。


3.プーヤン

Pooyan0000.png

プーヤンです。母さん豚が一番おいしそう、とかそういう話ではなくて、これ骨付き肉を投げてるところなんですが、分かりますか?

「原始肉」というのはゲームにおいても一種特別な地位を占めている食料でして、ゲームにおいてはファイナルファイトで大きく出世したような気もしますが、コンシューマーでの「原始肉的な肉」の初出は多分これの筈です。狼に肉料理として食べられてしまいそうなところ、肉料理で反撃するというのは非常にウィットに富んだ演出ですよね。

ただ、やはりどちらかというと豚肉が食べたくなってしまうのが若干の問題点です。あと、プーヤンって最初にさらわれた子豚の名前なんですけど、ご存知ですか?母豚の名前は謎です。


4.アイスクライマー

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野菜枠ではアイスクライマーを外すわけにはいきません。ナスから始まって、ニンジンキャベツにトウモロコシ、かぶにかぼちゃにとより取り見取りです。めっちゃ食物繊維豊富。

造形がやけに細かいこともさることながら、ここでもやはりポイントになってくるのは効果音。表現が難しいんですが、とった瞬間の「むぎゅ!」という感じの音は、本来野菜食っても出るような音ではないんですが、なぜか妙に小気味よく、新鮮そうな野菜の色合いを含めて食欲をそそります。野菜大事だよねって思うこと請け合い。

一番うまそうなのは多分トウモロコシだと思うんですが、個人的にはキュウリのとぼけた表情もイチオシです。


5.サラダの国のトマト姫

Salad no Kuni no Tomato Hime0000.png

なにこの色艶。いや、実際には柿っ八は食料でもなんでもなく旅のお供でして、主人公もキュウリの戦士なので野菜枠なのですが、このグラフィックにおける柿っ八がやけにおいしそうだったので紹介してみます。

サラトマはみなさんご存知野菜や果物がキャラクターのアドベンチャーゲームでして、道中バナナロンやらウォーメロンやらモモ子やら、結構おいしそうな造形のキャラクターが出てきます。野菜嫌いの小学生にもお勧め。

柿っ八は主人公の所持品を勝手に持って落としまくってくれるという、なかなか印象的な相棒ポジションなのですが、実はあっち向いてホイをやってくれるのも彼なので割と重要なポジションです。間違ってもバナナロンに食べさせてはいけません。


6.くにおくんの時代劇だよ全員集合

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料理のグラフィック自体は出てこないのでちょっと番外ですが、個人的に非常に思い出深いのが時代劇。あちこちの食べ物屋で「そば」だの「うどん」だの「にぎりめし」だの「てんぷら」だのを注文できるのですが、それをかき込んでいるくに政のモーションが妙によくできていて、「ぎゅぎゅぎゅっ!」というような効果音もあいまってむやみやたらと食欲を煽るのです。

グラフィック自体は出ていないのにこの誘因力というのは、ある意味出色だと言っていいでしょう。このゲームやってると妙にそば食べたくなります。あと店員の女の子が地味に可愛い。


番外.アップルタウン物語

Apple Town Story - Little Computer People0001.png

食欲をそそるかどうかはちょっと別問題として、スクウェアの暗部こと「アップルタウン物語」にも食事シーンは出てきます。このゲーム、女の子「キャシー」と猫一匹の生活をただひたすら窃視するだけという、作ったヤツは一体何考えてたんだ的な恐ろしいゲームなんですが、元ネタの「リトル・コンピューターピープル」ではなんかよくわからないおっちゃんが窃視対象だったので、それよりは女の子にしようという判断がおそらく働いたのでしょう。

食事の時間になるとキャシーは1階に降りてきて、ちゃんと自分で冷蔵庫から材料を取り出し、コンロで調理してから食べ始めます。この時口を動かすモーションは結構よく出来ていて、スクウェアの底力を感じさせます。


ということで、速足ながらざっと見てまいりました。まだ前編ということで、他にも注目すべき「食事ゲー」はまだまだファミコンにあふれておりますので、残りは後編で、ということにしたいと思います。

posted by しんざき at 13:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月19日

レトロゲーム万里を往く その135 1990年までのファミコンカートリッジ742本の色について本気出して調べてみた

ちょっと前になるんですが、「ファミコンカセットで名作が多い色」みたいな話題を観測したんです。カートリッジの色ですね。

「あー、そういえば赤はキャプテン翼とかあったよなー」とか「ナムコは基本黒ばっかだよなー。たまにメッキあるけど」とか思ったんですが、ちょっとWebを検索してみたところ、カートリッジの色についてちゃんと調査したページは存在しないように見受けられました。


じゃあちょっとやってみるかと思いまして、取り急ぎ1990年までのソフトのカートリッジの色を調べてみました。最終的には、他のカートリッジまで全部調べて、ついでにファミマガのロムカセットカタログの点数を入力して色別の点数傾向を集計、とか考えているんですが、そこまでやってると相当しんどい作業になりそうで、傾向だけ見るなら今の時点でも十分そうだったので一旦ここまでで公開してみます。

調査方法は下記の通り。

・「タイトル名 ファミコン カートリッジ」でGoogle画像検索して、ヒットした画像中のカートリッジの色を記録
・微妙な色や経年劣化したものもあるので、なるべく複数画像から確認
・ゴールドカートリッジなど、通常版とは異なる特殊なカートリッジは考慮しない
・燃えプロ、カプセル戦記などバージョン違いで色違いがあるカートリッジは出現頻度が高い方に寄せる

ヒットしなかったらメーカー名とか一緒にぐぐると結構出てきます。


元のファミコンリストについては、こういったサイト様を参考にさせて頂いております。





なるべく複数ソースから確認するようにしてますが、誤りがあったらすみません。


で、色の区分けの際、例えば「濃緑 - 薄緑 - エメラルドグリーン」とか「オレンジ - 黄色」「濃青-水色」みたいな微妙な区分けが問題になるんですが、大体以下のような方針で寄せてます。

・緑については、「ポパイ」のような真緑のカートリッジがかなり少なく、分けると細分化し過ぎになりそうなので、エメラルドグリーンっぽくても基本「緑」に寄せる
・青については、水色を分けても濃青のタイトルが十分多いので分ける
・他は大体複数画像を検討して「こう見える」という色にカテゴライズする

なにせ若干微妙なラインもある話ですので、一部感覚的な話になってしまうことはご承知おきください。一応、CSVの「備考」のところに、疑問があったタイトルについてはその旨記載してあります。

で、こちらが調査データとなるCSVです。


ちょっとやっつけですが、幾つかグラフっぽいものも作ってみました。

まず、これが各色別の個数集計ですね。

カートリッジの色_集計.png

ヒストグラム.png


想像していたよりも偏りました。黒圧勝。まあ、考えてみると確かに、黒いカートリッジのソフトってたくさんありましたよねー。まずナムコのソフトが殆ど黒だったし。コナミやタイトーだって、カートリッジのイラストはカラフルでしたけど、色自体は殆ど黒でしたよね。確か、ファミコンのカートリッジって一部の生産ラインがまとめて供給していた、というような話も聞いたことがある気がするんですが、その辺の影響もあるんでしょうか。

ナムコやコナミの殆どのシリーズ、ドラクエ、ウィザードリィ、スペースインベーダー、ダウンタウンなどの錚々たるメンバーを考えていくと、「名作の数が最も多い色」というのは多分黒になるのではないかと。あまり評価が高くないソフトもたくさんあるんで、ファミマガレビューの平均点とか考えるとまだどうなるかわかりませんけどね。


黒の他には、白もかなり多いですね。例えばバルーンファイト、例えばハイドライドスペシャル、ファイナルファンタジー1〜3、桃太郎伝説だのわんぱくダック夢冒険だのまじかるキッズどろぴーだの、こちらもかなりの強力メンバーです。黒に対抗できる最右翼といえるのではないでしょうか。

アイレム、サンソフト、ニチブツ、ハドソン辺りは白のカートリッジのソフトをかなり出している印象。アイレムのスペランカー、ジッピーレース、10ヤードファイトあたりの特殊カセットは全部白ですしね。

色合いが微妙なものが多く、細かく分けるとかなりの数になりそうなんですが、青いカートリッジも相当数ありました。初代ベースボールを皮切りに、デビルワールド、エクセリオン、イース、レインボーアイランド辺りは青グループの代表格といっていいでしょう。ミシシッピー殺人事件とか時空の旅人とか、独特なAVGも結構いるんですけど。

ちなみに、ファミコンローンチタイトルのトップバッターであるドンキーコングのカートリッジは赤。「キャプテン翼」や「ロックマン2」、「マザー」辺りが赤チームの代表選手でしょうか。燃えプロは、バージョン違いで赤と黒両方ありましたね。


エメラルドグリーン勢も全部いっしょくたにしてしまった緑はというと、初代のポパイを代表格として、「フィールドコンバット」「半熟英雄」「サラダの国のトマト姫」「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」辺りの影に隠れて、「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」がキラリと光ります。まあ、画像検索していただくとわかるんですが、この辺個々のカートリッジの色は相互に随分違うんで、「緑」でくくっていいものかどうか難しいんですが…


他、経年での色合いの問題もあり、黄色と区別がつきにくい画像も多かったんですが、「スーパーマリオ」「スーパーマリオ3」が率いるオレンジの存在感も決して小さくありません。マリオブラザーズもオレンジでして、この辺色のイメージは統一されていたんですかね?「ソロモンの鍵」「クルクルランド」の戦力も文句のないところ。

みんな大好きナムコのメッキカセットシリーズは、便宜上まとめて「金」にカテゴライズしています。「スーパーゼビウス」「ドラゴンバスター」「スターウォーズ」の三作ですね。唯一の「特殊・スケルトン」枠は言うまでもない沙羅曼蛇。


ちなみに、こちらはちょっと主要なメーカーを抽出してみました。

主要なメーカー.png

ナムコ、タイトー、コナミの3大メーカーが黒に偏っているところ、実は任天堂のカートリッジがかなりカラフルなんですよね。これは、もちろん自社でラインを管理できるからということもあるんでしょうが、ソフトごとに色合いでイメージコントロールする、おもちゃ会社ならではの感性とかもあるんでしょうか。ハドソン、カプコン、バンダイ辺りも色がばらけています。

全体として見ると小数派の「紫」なんですが、任天堂は7作も出してるんですね。「テニス」「ワイルドガンマン」「ダックハント」「ホーガンズアレイ」「F1レース」「レッキングクルー」「スパルタンX」などの初期組がそのメンバーです。初期生産のカートリッジの使いまわしでもあったんでしょうか。


さて、長々と書いて参りました。


取り敢えず結論として、

・ファミコンカートリッジの色分けは、黒に相当偏っている。色ごとに戦ったら多分物量で黒が勝ちそう
・が、白も相当強力である
・青カートリッジのネタAVG戦力は侮れない
・灰カートリッジの希望はジーザスと星をみるひと
・ファミマガのレビュー得点集計もやりたいけどデータ入力で死にそう


これくらいの感じになりそうです。よかったですね。

なんにせよ、1990年以降についてもぼちぼち集計していきたいと思いますので気長にお待ちください。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 13:22 | Comment(6) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月14日

レトロゲーム万里を往く その134 バンゲリングベイは何故大人になればなるほど面白いのか

私、ファミコン史上で最も「売り方を間違えた」ゲームってこのゲームじゃないかと思ってるんです。


ファミコン時代、ハドソンって「コロコロコミック」と頻繁にタイアップしてましたよね。コロコロ以外でも、例えば攻略本とか、複数ゲームのガイドブックとか、「ゲームのコミカライズ」「漫画でゲームの面白さを表現する」という手法を盛んに使っていました。

当時、いろんな雑誌、ガイドブックに「ハドソンゲーネタの漫画」が載っていたことを、覚えている方も結構いると思います。高橋名人の登場以降は、それが更に顕著になりました。


ナッツ&ミルクはそれで良かったんです。ロードランナーも、チャレンジャーも、ボンバーマンも、バイナリィランドやスターソルジャーだってそれで問題なかった。


けど、バンゲリングベイはそれじゃいけなかった。このゲームは、「コロコロが対象としているようなちびっ子」に理解出来るゲームではなかった。「ヒーローの少年が帝国を破壊して、空母が沈没しかけていたところでヒロインを救い出す」なんてヒロイックなストーリーで了解されるようなゲームではなかった。本来、「シューティングゲーム」として売り出すべきゲームですらなかったんです。


当時、1985年2月22日時点にファミコンで出ていたSTGって「ギャラクシアン」「ゼビウス」「エクセリオン」「ギャラガ」ですからね。エクセリオンだけちょっとトリッキーですけれど、どれもこれも分かりやすいタイトルばっかりです。こんなわかりやすいゲームタイトルと同じつもりでこのゲームを手にとった小学生が、「このゲームわけわかんねー!」となってしまったのは、ある意味仕方ないことだったかも知れません。

結果的に、ファミコン時代初期についたイメージは長きにわたってこのゲームに張り付いてしまい、一時期は「クソゲー」とまで言われてしまっていた。ここ十年くらいで流石に認識も改まってきましたが、それだって一部の人たちが頑張って再評価を広め始めてからのことです。


「あまりにも革新的過ぎて、発売当時凄絶な誤解を受けてしまったゲーム」。それがバンゲリングベイだったと思うんです。もう少しファミコンユーザーの年齢層が広がった後、適切な売り出し方をされていれば、このゲームの評価は多分180度違っていた。


何故かというと、バンゲリングベイはすっげえ面白いからです。


「バンゲリングベイ」。1985年2月22日、ハドソンより発売。もともとはブローダーバンド社によって、欧米で大ヒットしたホビーパソコンである「コモドール64」に供給されたタイトルでした。「ロードランナー」「チョップリフター」の二作とともに「バンゲリング帝国三部作」を構成するタイトルでもあります。


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まずはゲームの話をしてみましょう。


〇バンゲリングベイという「フライトシミュレーター」。

バンゲリングベイは、恐らく家庭用ゲーム市場初の、「マップ探索型ゲーム」でした。

ちょっと今更ながらですが、簡単にゲームの内容を解説してみます。

ゲームを始めると、プレイヤーは新型ヘリコプター「シーアパッチ」に搭乗した状態で、空母「R・レーガン」の艦上に駐機しています。

Raid on Bungeling Bay (J)0001.png

ここから、プレイヤーはシーアパッチを駆って、100画面にも及ぶ広いマップを縦横無尽に飛び回り、バンゲリング帝国の兵器工場を爆撃して撃破しなくてはいけません。

ヘリの操作は、「十字キー上で加速、下で減速」「十字キー左右で旋回」「Aボタンで着陸、ないしショット」「Bボタンで爆撃」というものです。

巡回艇やレーダー、時には戦闘機を撃破しながら兵器工場を探し、細かく機動しながら工場を爆撃し、工場の耐久を0にしたら工場破壊。マップ上に存在する工場全てを撃破することがマップクリアの条件です。

Raid on Bungeling Bay (J)0002.png

これの左下のやつが工場ですね。背景は時間経過でちょっと夕方っぽくなってます。

まず第一に、「操作方法」が当時のファミコン小僧の最大のネックだったことは議論を俟たないでしょう。当時は、「左を押せば左に、右を押せば右に移動」という直感的な操作がデフォルトだった時代です。それが、まるでフライトシミュレーターのような複雑な操作方法をいきなり提示されたら、「なにこれ上手く動かせない」となるのはある意味当然です。「操作性に難がある」みたいな評価はそれに基づいていると思います。


が、ある程度慣れてくると、あるいは大人になってから触ると、この「ラジコンヘリみたいな操作方法」がこのゲームの最大の楽しみどころだってことが分かるんですよ。

これ、操作してるとまさに「まるでラジコンヘリをいじくっているような」楽しさを味わえますし、ピタッと狙ったところに止められる、あるいは戦闘機とのドッグウォーを上手く制したりできると、ただそれだけでえらい気持ちいいんですよね。「加速・減速」という操作のキャパシティが物凄く大きいんです。

ヘリの操作として考えれば実に納得感のある仕様で、そもそも「左を押せば左に動く」という方が物理法則を考えればおかしいわけです。そういう意味で、バンゲリングベイの操作系は極めてリアル志向、フライトシミュレーター的ですらあります。

まずは、「操作性」こそバンゲリングベイというゲームの肝だ、と言い切ってしまいたいです。


〇ヘリを使った「オープンワールド」。


他にも、バンゲリングベイの革新的な要素というのは山ほどあります。

・マップをあちこち見渡して、どこに何があるのかを探索する楽しみ
・どの順番でどう工場を撃破していくか、ということを自分で決めていく戦略性
・空母に駐機して、「ダメージを回復する・爆弾を補給する」という「拠点」「補給」の概念
・必要であれば敵の空港に駐機して爆弾を補給することも出来るというサバイバル要素
・「ALERT」後の爆撃機襲来や、「WARNING」の戦艦登場などの危機感のあるイベント要素
・それによって、拠点である空母を「守らないといけない」という防衛の要素
・相手の工場破壊によって敵の攻撃頻度が変わる、レベルコントロールの要素
・1P・2Pの「対戦」要素
・非常に細かく設定されたバックストーリー

などなどなどなど。本当にこのゲーム、革新的過ぎてとても1985年なんてド初期に出たゲームとは思えないんです。グラフィックをちょいちょいいじれば、5年後に出たとしても納得感があるゲームデザインです。


100画面にも及ぶ広いマップを縦横無尽に飛び回って、時には攻め、時には補給に戻って、作戦を達成する。時には拠点を守らないといけないし、時には敵の攻撃に対して先制攻撃を仕掛けないといけない。敵の思考ルーチン、拠点防衛や攻撃の戦略性などなど、「やればやるほど深い」というのがバンゲリングベイの世界です。

空母という「拠点」の重要性はいうに及びませんが、「ALERT」などのイベント時には拠点を全力で守らなくてはならなくなります。が、万一拠点を失ってしまったとしても、残機は1機になってしまうものの、敵の空港を利用することで戦闘の継続は可能。これ、「たった一人の戦争」感あって滅茶苦茶熱いと思いませんか。

「WARNING」後に建造開始される戦艦は非常に強力で、放っておくと確実に空母が撃沈されてしまうので、これもなんとか建造中に破壊しなくてはいけません。が、極まってくるとこの戦艦も、出航してしまってから倒すことが出来るようです(私は一度も倒したことがありませんが…)。「出航してからの戦艦を倒すこと」は、ある意味やり込み要素の前身でもあります。

1P・2Pの対戦では、2P側はバンゲリング帝国サイドを操作することになり、これも非常に革新的な要素です。とはいっても、マイクで戦闘機を呼び寄せることを始め、2P側で出来ることは限られており、1P側がある程度慣れた人だと帝国側が勝つことはかなり難しいそうです。詰めればこの要素も面白そうなんですけどね。


「広いマップを自由に探索」という点では、遠く遠く「オープンワールド」系ゲームのご先祖と言ってもいいかも知れません。このゲーム、画面端と画面端はつながっているというループ設計になっているんですが、その理由すら「バンゲリング帝国が作り出した謎の空間」という形で設定されていたりします。


ウィル・ライト氏自身が、この「バンゲリングベイ」のマップエディターから「シムシティ」を発想した、というのも有名な話ですよね。これは、当人のインタビューでもそのように話されていたようです。



私がなにより「惜しい」と思っているのは、このゲームがその後バーチャルコンソール化されておらず、今遊ぶのがかなり難しいということです。ロードランナーはバーチャルコンソールになってるんで、版権とかはなんとかなりそうな気もするんですが…。

私自身は実機でもまだこのゲーム持ってるんですが、「大人になってから落ち着いて遊ぶ」ことこそ楽しめるゲームだと思うので、是非バーチャルコンソール化されて欲しいなーと思っております。


ということで、長々書いて参りました。

私が言いたいことはたった一つ、

・バンゲリングベイは大人になってからこそが楽しいのでバーチャルコンソール化してください、もしくはリメイク希望

ということだけだということを最後に申し添えておきます。


今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 15:41 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月13日

俺たちはかつて、ゲームを遊べない時、説明書や攻略本だけ舐めるように読んで遊んだ気になっていたんだ

皆さん、こういう表紙に見覚えってありませんか。

メチャガイド.png

必勝作戦メチャガイドですね。すげー面白かったですよね、メチャガイド。大体、終盤にさしかかると「この先は自分の目で確かめてくれ!」パターンでしたけれど。

懐かしいかというと実は別に懐かしいわけではなく、1集から3集までは自宅にあるんで今でもちょくちょく読んでいるんです。4集以降はもってないです。欲しいです。

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こちらはファミマガ付録の「〇〇攻略大全」シリーズ。確か最初は「RPG攻略大全」の赤と黒だったと思うんですが、RPG攻略大全もどんどん巻を増していき、その内「SLG攻略大全」とか、この「AVG攻略大全」とかが出るようになっていきました。袋とじでクリアまでの攻略ルートとかありましたよね。


私たちに-----私は、「私は一人ではなかった」という確信をもってこの「私たち」という言葉を使うのですが-----私たちにとって、かつて「攻略本や説明書を読むこと」は「ゲームで遊ぶこと」と同義でした。


例えば、「ゲームは一日一時間」という高く分厚い壁にさえぎられて、ゲームを続けることが出来なくなった時。

例えば、「このゲーム買ってー!」とねだってもゲームは買ってもらえず、何故か480円くらいで売っていた攻略本だけ買ってもらった時。


私たちは、「本を読んでる分には親から怒られない」という最強のシールドを得て、ひたすら説明書や攻略本を読み込んで、ゲームを遊んだ気になっていたのです。

攻略本を読むのは、面白かった。説明書を読むのは、楽しかった。

攻略本の最後の方には、最終面の手前くらいで大体「この先は君の目で確かめてくれ!」とかいう短いテキストだけが載っていました。お前それのどこが完全攻略本だよ、とか思わないでもないですが、そんなことは全然なんの問題もなく、私たちはただ「ゲームのことが載っている本」を読んだだけで、十分ゲームの世界に旅立つことが出来ていたのです。


メチャガイドもそうですが、昔のゲームは比較的ボリュームが小さいので、ものによっては10ページくらいで最後までいってしまうこともありました。だから、昔のゲーム攻略本の中には「色んなタイトルの攻略が一冊に詰め込まれている」ものがたくさんありました。そのお得感たるや、ゲームそれ自体を遊ぶことと同等かそれ以上か、というくらいに、私は「攻略本」が好きだったのです。


そこに、ネタバレなどという概念はありませんでした。

それは体験でした。それは遊戯でした。それはゲームを遊ぶこと、ゲームの世界を味わうことだったのです。


だから私は、今でも、「説明書を読まない」などと言われると「え?何で?」とすら思ってしまいます。「説明書めっちゃ楽しいやん」と。その習性の為か、電子レンジを使わなくても電子レンジの説明書だけ読み込んでしまい、奥様に「いや使いなよ実地で」と突っ込まれたりします。

だから私は、今でも、「攻略サイト」や「攻略wiki」を読むのは好きです。たとえ全然遊んだことがないゲームでも、いやむしろ遊んだことがないゲームだからこそ、攻略情報を読むことでそのゲームを「味わった気に」なれるのです。キャラクターをビルドしたような気になれるのです。

だから私は、ネタバレという概念には比較的寛容です。知っていても十分楽しめるから。知っていても、むしろ二度楽しめたような気がするから。勿論作品にもよるわけですが。


時代は変わりました。あれから何年経ったでしょうか。20年?30年?


「ゲームの攻略本」という昔あったようなうっすい本は姿を消し、「メチャガイド」のような複数ゲームのガイドブックもどこかにいなくなり、ゲームの攻略本は「参考書」というよりは「資料集」とでもいうべきものになりました。攻略情報を集めるだけであれば、ネットを少し検索するだけで、なんの手間もなく事足りるようになりました。


なんの問題もありません。なにも悪いことはありません。ただ、変わった、というそれだけです。


ただ、今でも昔の攻略本を読んでみると、私は何故か「このゲームおもしれーー!!!」という感覚に包まれるのです。やったことがないゲームだろうが、何度もやったゲームだろうが、何の変わりもなく、私は攻略本を読むことで「そのゲームを遊べる」のです。

そんな体験を、今でも他の人に味わってほしいなあと。

今でもそんな風に思いながら、私はレトロゲームの記事を書き続けているのです。


私が書いたレトロゲーム記事が、誰かの「遊んだ気になる」手助けになるのであれば、それ以上幸いなことはありません。
posted by しんざき at 12:09 | Comment(18) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月10日

レトロゲーム万里を往く その133 星をみるひと

「星をみるひと」とは何だったのかを、ちょっと考えてみたいと思います。長文ですのでお暇な時にどうぞ。


歴史の話から始めさせてください。といっても、そんなややこしい話ではありません。


以前から何度か書いていますが、ファミコンにおけるRPGの歴史は、1986年に始まりました。

1986年2月21日にゼルダの伝説。3月18日にハイドライド・スペシャル。5月27日にドラゴンクエスト。8月1日にワルキューレの冒険。11月6日に銀河伝承。12月19日にディープダンジョン。1986年は、「コンシューマー市場におけるRPG元年」とでもいうべき年でした。


最初はアクションRPGから始まった一筋の流れが、1987年1月26日の「ドラゴンクエストII」で決定的な「王道RPG」の流れになった、というのはまず論を俟たないでしょう。当時のドラクエIIのお化けゲームっぷりは今さら言うまでもなく、ゲーム業界は否応なく「RPGというジャンルへのアプローチ」を考え始めることになりました。開発陣が「ドラクエの次」「確立された王道RPGの次」を模索し始めたであろうことは想像に難くありません。


RPGを作ろう。しかし、「ゼルダ」や「ドラクエ」そのまんまにするわけにもいかない。そしたらどうするか?


一つのアプローチとして、「既存のアクションゲームにRPG要素を付け足す・取り入れてアクションRPGにする」というものがありました。成長要素、メッセージによる情報収集、アイテム要素、謎解き要素。87年では、例えば「アルゴスの戦士」「ドラキュラII」「グーニーズ2」「ボンバーキング」「奇々怪界 怒涛編」辺りがその代表格といっていいと思います。


もうひとつのアプローチとして、夢幻の心臓・ドラクエ型のRPGに対して、システム面・シナリオ面・バランス面などで様々な差異を取り入れて、「別の王道RPG」を作ろうというものがありました。

87年6月12日の「ヘラクレスの栄光」、6月30日の「未来神話ジャーヴァス」9月5日の「ゾイド中央大陸の戦い」、移植作ですが10月13日の「覇邪の封印」辺りが、(成功失敗はともかく)その一つの試みであることは間違いないでしょう。


つまり、1987年は「ゼルダ・ドラクエじゃないRPG」を皆が模索していた年、とすら言えるのではないかと私は考えているのです。


そして1987年の12月に、ゲーム業界は「ファイナルファンタジー」の登場を見ることになるわけですが、その少し前、1987年の10月に、3つの見過ごせないタイトルが、たった5日間の間に集中して世に送り出されました。


私はこれら3作品を、「ドラクエに対する3種類の回答」として捉えています。


10月23日に、タイトーより「ミネルバトンサーガ」。これは、世界観は「王道RPG」でありながら、数々のシステム的な試みを結実させた傑作でした。

10月26日に、ハドソンより「桃太郎伝説」。これは、システムは「ドラゴンクエスト」に近いものでありながら、世界観・シナリオで全く違ったRPGを完成させた、同じく傑作でした。


そして、これらを背景に、1987年10月27日に発売されたのが、まさに「星をみるひと」だった、という話なのです。

Hoshi wo Miru Hito (J)0000.png

「星をみるひと」。RPG。1987年10月27日、ホット・ビィから発売。ホット・ビィは、他に「ザ・ブラックバス」「バズー!魔法世界」「武田信玄」「鋼鉄帝国」などが著名で、「世界観や、細かいところは非常に優れているのに、バランスや仕様に若干難がある」というのが割とどの作品でも共通しています。タイトーの下で「中華大仙」や「インセクターX」も開発していた様です。



まずはゲームの内容の話をしてみましょう。ネタバレについては遠慮なく飛び交いますのでご注意ください。



○「星をみるひと」に見るシステム的な理不尽カタログについて


「星をみるひと」がシステム面に数々の難点を抱えており、これが現在の視点どころか、当時視点ですら理不尽にゲームを遊びにくくしていた、というのは否定の術がない事実です。まずはここに触れないわけにもいきません。

「星をみるひと」ならではの難点は、大きく分けて「UIが全体的に不親切」「戦闘バランスが非常に不安定」「マップ仕様が異常にわかりにくい」の三点だと言っていいでしょう。


・UIが全体的に不親切
→移動速度が全体的に遅い、戦闘でコマンドをキャンセルすることが出来ない、戦闘シーンでHPが10の位より上しか表示されない(50なら「5」と表示される)、ダメージ床やアイテム取得時の演出が非常にわかりにくい、などなど

・戦闘バランスが非常に不安定
→最序盤から絶対に勝てない敵が出てくる、「逃げる」コマンドが存在しない為出会うとゲームオーバー確定(「てれぽーと」を覚えるまでは戦闘から逃げることは出来ない)、一部の武器を装備すると逆にダメージを与えられなくなる(素手はランダムダメージなのでまだ素手の方が若干マシ)、成長バランスが不自然でHPだけ異常に上がりが速い(最終的に主人公のHPは3万近くまで上がる)、それでも「かりう」などの凶悪な攻撃が存在する為ゲームオーバーとは常に紙一重、などなど

・マップ仕様が異常にわかりにくい
→あるマップに入った時と出る時の接続が一致しておらずワープしまくる(基本的にはエリアのスタート地点に戻される)、IDカードで開ける扉ではカードが2枚必要であり1枚しかないとハマる、一部のマップでは不可視のジャンプポイントがあちこちにあり避けないと進めない、マップ上のオブジェクトが一部カモフラージュされていて見えない(有名なのは最初の村だが、他にも色々ある)、ぶれいくで壊せる壁が明示されていない、などなど

上記は難点のごく一部であって、他にも正直色々あります。

特に戦闘バランスについては情け容赦がないレベルでして、最序盤でも安定して勝てる敵は「じゃんく」「ふらっか」のせいぜい二種類くらいで、この二種類以外にエンカウントしたら生き残れるかどうかは運次第、「ふっかつしゃ」や「くらっしゃ」にエンカウントした日には即ゲームオーバー確定、リセット押した方が早いという状態でした。なにせ逃げるコマンドが存在しないので。

最序盤をなんとか切り抜け、ある程度のHPと幾つかのESPを確保した後でも、「かりう」によるびょうき状態など、いついかなる時でもパーティ崩壊の危機はつきまといます。

みさを仲間にする時の複雑怪奇なルート、酸素ぱいぷを見つける場所のわかりにくさ、上述したマップ仕様のわかりにくさなど、厳しいところは枚挙に暇がありません。

ファミマガの「ファミコンロムカセットオールカタログ」ですら「ゲームを進めていくのが非常に辛いゲーム」と評されてしまっているこれらの難点が、後にこのゲームをおもしろおかしくバカにする向きを産んでしまったことは、ある程度やむを得ないこととも言えます。正直、テストプレイによるバランス調整が行われたのかどうかが疑われるレベルです。


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「ファミコンロムカセットオールカタログ」の記載。この採点、音楽・オリジナリティは低すぎるし逆に操作性は高すぎる、と思わないでもないんですが、点数が出ているだけでも良しとしましょう。

勿論、これらの難点の中には説明書で説明されているものもありますが、説明されていればいいというものでもなく、コンシューマRPGというジャンル自体の黎明期であったことを考慮に入れても苦しい点は多いです。


ただ、「理不尽さ」という点については、分からないでもないんです。


○ゲームにおける理不尽さと、「PARANOIA」的ディストピアとの関係


「星をみるひと」のストーリーを、説明書から引用してみましょう。

 未来のある場所に、「みなみ」という少年がいた。彼には、そこがどこかも自分が誰なのかも分からなかった。しかし、彼を目のかたきにおそいかかるものたちがいる。メカニックなロボット・軍隊であるガードフォース・攻撃本能しかない異様な生物・超能力者狩りをするデスサイキックたちが、彼を見つけるといきなり攻撃してくるのだった。なぜなら彼は超能力者であるから。…………

 彼らのいる巨大都市“アークシティ”では、その都市の管理を“クルーIII”と呼ばれるコンピュータが行っていた。“クルーIII”は、より完全な都市管理のため居住者の心の中まで干渉していて、わずかでも、都市に有害な心がめばえた居住者に対して絶えず矯正を行っていた。このシステムをマインドコントロールといい、その効力は“クルーIII”自身の存在も忘れさすほど強かった。しかし、ごく一部の人々にはマインドコントロールがきかないのがわかった。そこで“クルーIII”は、その人達を“サイキック”となづけてサイキック狩りをはじめた。サイキックは、捕らえられアークシティに連れ去られた。そこに、取り残された4人の子供がこのゲームの主人公である。


早い話、これ「1984年」とか「すばらしい新世界」、あるいは「PARANOIA」などのディストピアものSFの世界なんですよね。特に「PARANOIA」の影響があるんじゃないかと、私は勝手に思ってるんですが。


ご存知の方も多いと思いますが、「PARANOIA」は1984年に生まれたSFものTRPGの傑作でして、「マザーコンピューターに管理された社会」「コンピューターによる反逆者狩り」などの要素は「星をみるひと」の世界観と共通しています。


「星をみる人」の「クルーIII」の目的は、蓋を開けてみると結局人類の管理・統制ではなかったので、その点PARANOIAとは異なる点も勿論あるんですが。この「PARANOIA」的なディストピアの世界観や理不尽感を、「非ドラクエ化」の手段の一つとしてスタッフが取り入れようとしたんじゃないか、という推測は、時期を考えるとあながち無理筋でもないんじゃないかと考えています。

ディストピア世界観において、人命は時として紙よりも軽いものですし、視聴者はその理不尽さに容赦なく打ちのめされるものです。そこに親切さなどというものは存在せず、主人公は生き残る為に全てを賭けなくてはならないことが専らです。

その上、星をみるひとのシナリオは、「超能力者狩りが行われている世界である」ということを最初から明示しています。当初の戦闘バランスも、「メカニックなロボット・軍隊であるガードフォース・攻撃本能しかない異様な生物・超能力者狩りをするデスサイキックたちが、彼を見つけるといきなり攻撃してくる」というシナリオ通りには違いないんです。(シナリオ通りならいい、という話ではありませんが。。。)

つまり、「星をみるひと」の理不尽さの内2割くらいは、「ディストピアもの」としての「狙った」表現の一環なのではないかと私は考えるのです。(あと8割はテストプレイと調整不足)


上記したとおり、1987年って家庭用RPGの歴史からすれば初期も初期ですからね。そんなド初期に、いきなり「ディストピアものSF」とかいうとんでもないブラックな題材をもってくる、ホット・ビィの企画者がただものでなかったことは間違いないと思います。

ファミコンにおけるSFRPGという試み。この試みは、この数年後、「ラグランジュ・ポイント」という形で一つの到達点を見ることになります。



○「星をみるひと」のBGMの素晴らしさはガチ

上記の理不尽さを考慮した上でも、「世界観・シナリオの独創性」と「BGMの素晴らしさ」という少なくとも二点については、我々は「星をみるひと」をはっきりと評価しなくてはいけません。


「世界が実は巨大な宇宙船の中だった」という設定は、「宇宙の孤児」や「第二の太陽へ」なんかでSF小説では定番のテーマになりかけていましたが、当然ファミコンでやろうとしていたひとなどこの頃誰もいませんでした。

クルーIIIの正体が「イルカとシャチ」という海洋生物であること、彼らとテレパシーで交信することで判明する意外な目的、そして待っているマルチエンディング、とこれらの要素についても、当時基準で言えば「数年早い」と言うべき革新的な内容です。

このゲームの大きな要素として、「テレパシーを使うことによって、普段の台詞とは異なる思考の中身を覗くことが出来る」というものもありまして、それも情報から小ネタに至るまでかなり芸コマです。中には、自分がテレパシーで考えを読まれていることを悟っている人なんかもいるんですよね。ゲーム上必要な情報が明かされることは滅多にないんですが。

そして、あーくCITYで「この世界が巨大な宇宙船の中である」ことが明かされた後の、唐突な宇宙マップに出会った時の衝撃。あーくCITYのコクピットにたどり着いた後の怒涛の展開は、「世界観の見せ方」としては当時十分以上に衝撃的なものだったと思います。


シナリオが独創的であっただけに、上述したようなゲームシステム的なアラが数々あったことは残念という他ありません。同じようなことを考えた人は他にも多いらしく、フリーソフトで「星をみるひと」を遊びやすくした「STAR GAZER」といったリメイク版も存在します。バランスなども十分に改善されていますので、ご興味ある方は是非こちらを触ってみることをお勧めします。私もプレイしましたが、戦闘のテンポの良さ、謎解きの理不尽感改善、展開のサクサク感など、こちらは手放しでお勧め出来る出来です。



一方。「クソゲーの要件は「BGMだけは良い」と言われること」などという言葉もありますが、それを承知の上で断言しますと、「星をみるひと」のBGMの素晴らしさはガチです。

ひとつ動画を挙げさせていただきます。タイトルBGMからパスワード入力BGMだけでも聴いてみてください。

(タイトルBGMは0:11くらいから、パスワード入力BGMは0:54くらいから始まります)

タイトルBGMの、神秘的でありながらどこか不安を煽る印象的なメロディ。パスワードBGMの、透明感のある流麗な雰囲気から、一気に軽快なメロディにジャンプアップする展開などは、今の目から観ても十分「名曲」といっていいBGMなのではないかと思います。


と、ながながと語って参りました。


最後に書きたかったことをまとめておくと、

・星をみるひとには数々のシステム的な難点がある
・が、ファミコンRPG黎明期のこの時期に、「ディストピアものSF」などというダークなテーマを実現しようとしたことは評価されるべきである
・ただ、マップ仕様の意味不明さだけは勘弁して欲しい
・BGMの素晴らしさはガチ
・説明書のあいねは可愛いと思います。

大体これくらいになります。よろしくお願い致します。

今日書きたいことはこれくらいです。




posted by しんざき at 17:53 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月07日

ファミコン版「ゴーストバスターズ」の話、ないし「面白くない」をせめて自分の言葉で語って欲しい、ということ

昔ファミコンで、ゴーストバスターズというゲームが出ました。発売年は1986年、発売元は徳間書店です。

言うまでもなく「ゴーストバスターズ」は84年のオバケ映画(文字通りの意味で)でして、北米では大ヒット、確か日本でもかなりのヒットを記録していたと思います。「コミカルなお化け退治映画」ということで、今の視点でみるとB級感もあるんですけど、それでもその軽妙な展開とラストのマシュマロマンは十分楽しめる内容です。すいません、リブート版はまだ見てないんですが。

で、そんな「ゴーストバスターズ」のファミコン版なんですが、元映画のB級感だけをただひたすら煮詰めたような内容になっていました。ちょっと動画を引っ張ってみます。


基本的には、

・ゴーストを捕まえるためのアイテムを店で購入
・レースゲームのようなドライブ面を通過して各ビルに移動
・アクション画面でゴーストを捕獲
・ゴーストを捕獲することで報酬get→またアイテム購入
・最終的にズール寺院にいってゴーザを倒せばクリア

という流れのゲームですね。細かくは上の動画を見てみてください。

Webでは「クソゲー」として取沙汰されることが多いタイトルなんで、ご存知の方も多いと思うんですが、よく挙げられるのは

・全体的にグラフィックがチープ
・マップ画面が意味不明、かつ説明不足
・ドライブ面のバランスが理不尽。すぐガス欠になるくせに、急ぐために加速すると他の車にぶつかりやすくなり、ぶつかると金が減る
・なぜかショップに行くときまでドライブ面を通過するハメになる
・ズール寺院に入る条件がよくわからない(実際にはお金を$15000貯めることが条件なのだが、説明書にもその明示がない)
・ズール寺院でやることは、ゴーストをかわしながらひたすら連打で進んでいくこと。23階もあり手が疲れる
・ズール寺院では、こちらから攻撃をしてゴーストを倒すことが出来ない
・エンディングで処理がバグっており、エンディングメッセージが正常に表示されない(いわゆる「りり」問題)

この辺りでしょうか。

いや、「面白いか面白くないか」で言えば、多分面白くないんですよこのゲーム。今の視点で遊べば十二分に面白くない感が楽しめますし、当時の視点だってそこまでは面白くなかったかも知れません。そこに異存はないんです。


ただ、正直言いますと私このゲーム大好きなんです。すげー好きなんです。


このゲームは、私にとっては「お買い物ゲーム」でした。Shopに行ったときに画面に並ぶアイテムに、「$2500」とか「$12000」とか値段がついている。ただこれだけで、当時は十分面白かったんです。「あーこのアイテム買うのにこれだけ金がいる!あーあとちょっとで溜まる!溜まったーーー!!」という、せこせことゴーストを捕まえてお金が溜まっていく感。これが、無意味に好きだったんですよ私。

アイテムにしても、スーパートラップを初めて買った時にはその便利さに感動しましたし、ハイパービームを買った後はゴースト捕獲がサクサクと楽になりました(そんだけ貯めたなら先にズール神殿いけよって話ですが)。

その辺、「アイテムを買うことで明確に便利になってる感の演出」は結構上手かったと思うんですよね。サウンドジェネレーターはあんまり意味なかったですが。

このゲーム、徳間書店が出しているだけに、当時の「ファミリーコンピューターマガジン」では結構特集もされていまして、それと合わせて「このアイテム買えばこんな効果があるのかー!」とか考えながらお金を溜めるのも楽しかった。

アクション画面だって、ゴースト捕獲パートについて言えば決してつまらないものじゃありませんでした。

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画面上部でふよふよしているゴーストたちにビームを当てて、トラップに放り込む。で、お金ゲット。確かにやることは単純ですが、単純というだけで言えば他にも単純なゲームはいくらでもあります。ゲーム&ウォッチだって、ギャラクシアンだって見方によっては単純でしょう。ゴーストを捕獲すると同時に右下のお金表示が溜まっていく、その辺も十分楽しみになっていました。

批判が激しいズール寺院の階段画面だって、「ひたすら長い」という点を除けば(正直これについては弁護の余地ないと思います)、やってることは「山登りゲーム」の「タイミング測って連打」と同じようなものです。

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ラスボス戦について言えば、明確に「遊びどころ」のあるシューティングになっていまして、敵弾をかわしながら一発一発ゴーズに打ち込む感覚は、ここだけ言えば十分に「楽しい」ゲームになっていました。

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当時、ゲームをしていない間は攻略本や説明書を舐める様に読んでゲームをやった気になっていた勢の皆さまにはわかって頂けると思うんですが、カーチェイスだってショップだってガソリンスタンドだって、またマップ画面の仕様だって、説明書には全部記載されていました。このゲームに、「意味不明」な要素なんてなかったんです。


断っておきたいんですが、「このゲームはクソゲーじゃない!!」と言いたいわけでも、「このゲームバカにすんな!」と言いたいわけでもありません。実際に遊んで、「なにこれつまんねー!!!」という人がいれば、そこになんの文句もないんです。実際大多数の人はそう感じるでしょう。

ただ、

・当時視点で言えば、「〇〇が意味不明」という批判は当たらない点が多い(この頃のゲームで、説明書がない状態を意識して作られているゲームなど滅多にない)
・決して「全く遊べない」ゲームではなかった。質の高い低いはともかくとして、遊びどころもちゃんとあった
・私はこのゲーム好きです(賛同者滅多にいないけど)

という三点だけは言っておきたかったんです。


ところで以前、こんな記事を書きました。


「ほしをみるひと」でも、ロマンシアでも、コンボイの謎でも。いや、ゲームに限らず、全てそうだ。そのゲームをちゃんと遊んだ上で、「これはクソゲーだ!」と言うなら、文句をつける筋合いは一切ないと私は思う。

例えば、ある音楽について、「聴いたことないけどひどいって聞いたからひどい曲だ」と論じている人がいれば、アレ、なんかおかしいな、と誰でも思うだろう。

ある漫画について、「読んだことないけどつまんないって聞いたからつまんないマンガだ」と論じている人がいれば、ちょっと違うんじゃないかな、と誰でも思うだろう。

これは経験主義だろうか?そうかも知れない。しかし、「何かを批判するなら、最低限対象について知っておくことが礼儀」だと私は思うし、「けなすんなら人の言葉を借りてきてないで自分の言葉でけなせよ」とも私は思う。

ここ最近、また「やってないけどクソゲーって聞いたからこれクソゲー!!」的なレビューをたまに見かけるようになりました。どこかで面白おかしくプレイ実況している動画を引き写して、そこから面白おかしいところだけを抽出しているような感じの記事です。アクセス流したくないのでリンクはしませんが。

むかーしむかし、「スペランカー」「バンゲリングベイ」「たけしの挑戦状」「星をみるひと」といったタイトルで、同じようなことは頻繁にありました。ただ、面白おかしくクソゲーをけなしている人の言葉だけ借りてきて、つなぎ合わせてお手軽クソゲー批判記事に仕立てる、みたいな手法でした。


正直、かっこ悪いなー、と。「面白くない!!」ということだけでも自分の言葉で語れないのか、と。


以前から書いてある通り、私は「人の尻馬にのってけなすだけけなす」というスタンスが嫌いなので、「面白くない!!」ならせめて自分の言葉で「面白くない!!」と言えよ、とは思ってしまいます。


別にクソゲー批判してもいいと思うんですよ。クソゲー談義、全然いいと思うんですよ。馬鹿ゲーならガンガンバカにしていいと思うんですよ。

ただ、少なくとも自分で遊んで、自分で思ったことを書いて欲しいなーと。そうしてこそ、レトロゲーム談義界隈がもっと面白くなるんじゃないかなーと。遊んでないなら、そもそも「クソゲー」としてバカにする必要は一体どこにあるのかな、と。

そんな風に思った次第なのです。



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2016年08月20日

レトロゲーム万里を往く その132 幽☆遊☆白書 (SFC版)


「キャラクターものをどうゲーム化するか」って、ファミコン時代の黎明期から、ずっとゲームメーカーの主要なテーマの一つであり続けていたと思うんですよ。


ファミコンにおける「キャラクターものゲーム」の歴史をちらっと振り返ってみましょう。

まず、キャラクターもののゲーム化における、もっともシンプルな回答は「何も考えずにアクションゲームにしてしまう」というものでした。

ファミコンにおけるキャラゲーメーカーの雄といえばバンダイとハドソンかと思いますが、特にファミコン初期、バンダイは幾つもの「キャラクターものアクションゲーム」を出しています。


たとえばキン肉マンマッスルタッグマッチ。

たとえば オバケのQ太郎 ワンワンパニック。

たとえば ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境。

たとえばドラゴンボール神龍の謎。


勿論、バンダイ以外にもアクションキャラゲーは山ほどあります。ハドソンの「ドラえもん」「忍者ハットリくん」、ジャレコの「うる星やつら ラムのウェディングベル」、コナミの「火の鳥」東映の「北斗の拳」あたりは代表的なところでしょう。

ファミコン初期はまだゲーム化の引き出しが少なかったとはいえ、「取り敢えずアクションゲーム」というのが、キャラゲー化の一つの定番だったことは間違いないでしょう。名作もあれば、「うーん?」というゲームもありましたが、何はともあれ「漫画やアニメのキャラクターが動かせる」というのが、ファミコン小僧にとって一つの喜びだったことは間違いがありません。

ただ、「原作あんまりアクションと関係ないのにアクションゲームにしてしまっている」という例もままありまして(オバQもその口だったと思います)、その極端な例が東宝による「タッチ」のゲーム化だったと思います。まさか「野球ラブコメ漫画」が「ボールを投げまくって敵を倒す」ゲームに変貌するというのは、当時想像の範囲外の出来事でした。いやホント、あのゲームなんで野球ゲームじゃなかったんでしょうか。ファミスタの丸パクリの方がまだ原作ファンは納得したと思うんですが。


もうちょっと時代を下ってみると、「ビジュアルを活かしてアドベンチャーゲームにする」というソリューションが出てきます。これは、アクションゲームよりもだいぶ「ビジュアル的な原作再現度」を上げることが出来るという点もあり、ファミコン中盤から終盤にかけて名作も生まれました。

たとえば「めぞん一刻」。たとえば「ビー・バップ・ハイスクール」。たとえば「孔雀王」。たとえば「おそ松くん バック・トゥ・ザ・ミーの出っ歯の巻」。たとえば「かってにシロクマ」。

ただ、アドベンチャーゲームの欠点は「シナリオとテキスト次第では簡単にゲームがぶっ壊れる」というものでして、「AKIRA」や「美味しんぼ」などはだいぶ賛否が別れる内容になっていました。私も正直「美味しんぼ」のアレはどうかと思います。


ジャンルとしてはアクションとアドベンチャーの比率が高いと思いますが、他のジャンルを選んだキャラゲーも色々あります。

STGというジャンルを選んだ「機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル」「超時空要塞マクロス」「ガルフォース」、RPGというジャンルを選んだ「ドラえもん ギガゾンビの逆襲」「悪魔くん」「天地を喰らう」、他にはSLGやボードゲーム(おぼっちゃまくんとか)なんてのもありました。あるキャラクターものを、「そう来るか」でゲーム化するのは、一つのアイディア勝負でもあります。


そんな中、サッカーゲームをコマンドRPGに近いビジュアルゲームにした、「キャプテン翼」と「キャプテン翼2」が一つの『キャラクターものの到達点』だったことは間違いありません。

レトロゲーム万里を往く その5 〜キャプテン翼〜

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「漫画的なビジュアルと、サッカーというジャンルを両立させており、ゲームとしてもちゃんと面白い」というのは一つの奇跡だったと思います。このゲームを作れたというその一点だけで、テクモというメーカーの物凄さが分かります。


で。


めちゃくちゃ前置きが長くなりましたが、スーファミにおける「幽☆遊☆白書」も、私にとっては一つの「そう来るか!!」のゲームだったわけです。


幽☆遊☆白書。ジャンルは「ビジュアルバトル」。1993年12月22日、SFCでナムコから発売。

その最大の特徴は、「アクション性を大部分オミットして、完全ビジュアル重視の対戦ゲーにした」というところでしょう。

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これが、「幽☆遊☆白書」の対戦画面です。
御覧いただける通り、ビジュアルはSFCゲーの中でも相当頑張っていた部類だったと思います。しかも結構動くんですよ、これ。

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プレイヤーは、十字キーとX/B/Y/Aのボタンの組み合わせで、そのターンの行動を選びます。選べる行動には「攻撃」「防御」「技」「霊撃(いわゆる必殺技)」の大きく4種類がありまして、更に使うボタンとキャラクターによって、ビジュアルと技は枝分かれします。

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で、技の相性や使ったタイミングによって、当たる、かする、よける、技が成功する、失敗するなど、様々な結果が出ます。これによって、最終的に相手の体力を削りきったら勝ち、というわけです。

技を使うタイミングや、相手の技との駆け引き要素などは勿論ありますが、アクション性は殆どありません。「ビジュアルバトル」の名の通り、そのゲーム内容はどこまでも「ビジュアル重視」でした。

幽☆遊☆白書は格闘マンガです。そして、当時まだ、メガドライブの名作「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は発売されていませんでした(あっちは1994年です)。当時が、1991年のストIIを端緒とする格ゲーブームまっさかりであることを考えれば、「幽☆遊☆白書」のゲーム化をするとき、普通に考えれば「じゃあ格ゲーにしよっか」というのが自然な流れであるように思います。

しかし、ナムコはその道を選びませんでした。ナムコは、独自の「ビジュアルバトル」というシステムを開発し、それに幽白を乗っける方を選びました。

これは私の推測なんですが、恐らくナムコは、「格ゲーファンじゃなくて、漫画の幽白ファンが一番喜ぶゲームはどんなのかな?」というところから始めたのではないか、と思います。そして、原作の格闘要素を削ることなく、幽白独特のキャラクター、独特のビジュアルが最も映えるゲームシステムを選んだ。


ここには、「キャプテン翼」でテクモが起こしたイノベーションと通じるものがあるんじゃないか、と私は思うのです。


ゲームとしては、格ゲーはかなり忙しいシステムですし、プレイヤーを選ぶ側面も正直あります。特に、当時幽白のファンに多かった女性読者の中には、格ゲーブームと無縁に過ごしていた層もかなり多かったでしょう。

それに対して、「シンプルな操作でビジュアルが楽しめる」というシステムを用意することによって、「ゲーム慣れしていないファンでも、十分にビジュアルが楽しめる」というゲームを作り上げる。これも「キャプテン翼」と同じく、ナムコの一つの大英断だったと思うわけです。


後にトレジャーが送り出した「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」は、今でも愛好する人がいる程の、「深く、どこまでも遊べる」格ゲーに仕上がっていました。一方、SFCの「幽☆遊☆白書」は、「誰でも遊べて、ビジュアルが楽しめて、しかもちゃんと面白い」ゲームに仕上がっていました。

二つの、全く違った「幽☆遊☆白書」。これもまた、「キャラクターもののゲーム化」における好対照、歴史に残る分岐だと私は思います。




もうちょっとSFC版「幽☆遊☆白書」の話をしますと。なによりもそのキャラクターの選択にセンスを感じます。

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メインキャラクターの5人は当然として、プレイアブルキャラクターの中には六遊会チームの是流だの、魔性使いチームの吏将だの、「そいつが来るか」というキャラクターもかなり含まれています。是流なんて、原作中での戦闘シーンはめっちゃ短かったですけれど、ちゃんと技作りこまれてますよ。すばらしい。

そして、なんといってもキラリと光る「美しい魔闘家・鈴木」の存在。彼の美しい技の数々も、流石に限定されてはいますがきちんと再現されまくっており、開発者の愛を感じること大なわけです。鈴木いいですよね。このゲームではめっちゃ性能低いですけど。

キャラクターごとの性能差は結構極端でして、飛影なんて黒龍波は強力なんですけど他の技が軒並み近接なんで飛ばれると全部スカされたり、相手の行動をキャンセルする技がやたら強かったりと、対人のバランスには正直少々難がありました。あと100%戸愚呂めっちゃ強い。


このゲームの続編では「幽☆遊☆白書 特別篇」も発売されており、ストーリーモードがなくなった代わり、キャラクターバランスの改善、魔界の扉編キャラの追加などが行われています。ドクター神谷とか、刃霧要とかめっちゃいい味出してます。あと、若幻海がそのまんま使えたりします。


私の疑問は正直たったひとつで、「このゲームのシステムってキャラクターものゲーム化するのにはすごい適してると思うのに、なんでフォロワーがほぼいないんだろう?」という点です。なんでしょうね?ゲームとしても結構面白かったと思うんですが…。


と、長々書いて参りました。

結論として、

・キャプテン翼と「幽☆遊☆白書」はキャラクターものをゲーム化する際の革命児
・「幽☆遊☆白書」面白かったですよね
・ただ「剣よ伸びろ!」が強かったためにプレイヤーキャラでは桑原がやたら強かった印象
・魔強統一戦もすげー面白いですよ!!
・全然関係ないけど若幻海かわいいですよね

という5点だけを申し添えて、本エントリーの結びとさせていただこうと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。


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2016年06月30日

地球規模で知って欲しい、基礎からの「バルーンファイト」対戦攻略


みんな!!!!!バルーンファイトの対戦しようぜ!!!!!


ということで、今日はみなさんに、バルーンファイトの対戦の面白さをお伝えすると同時に、対戦初心者の人でもある程度中級者以上のプレイヤーと戦えるようになる考え方をお伝えしようと思います。日本のバルーンファイト対戦ステージの隆盛に少しでもご協力出来れば幸いです。

一般的な、バルーンファイトの対戦レギュレーションは以下のような感じになると思います。

・Bモード(2-PLAYER GAME)で対戦する
・あらゆる手段で相手の残機を0にした方が勝ち
・時間無制限
・CPUを倒してステージを進めることは可とする

ローカルルールによっては、ステージを進めることを不可としたり、ステージ毎に時間制限を設けたり、スコアアタックで戦ったり、CPUを魚に食わせた数を競ったりといったルールもあるようですが、ここでは上記の「スタンダードデスマッチ方式」をレギュレーションとしたいと思います。


今更いちいち説明するまでもないと思いますが、バルーンファイトの画面は下記のような感じです。

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赤い方が1P、青い方が2Pです。

勝利条件は単純で、「相手の風船を2つ割ると相手は一機死ぬ」「全機なくした方が敗北」という、ただそれだけです。風船を割るには、相手の風船に対して相手の上方向から体当たりをすることが必要です

操作方法として重要なのは、「Aボタンは押すごとにゆっくりと、Bボタンは押し続けると急速に画面上へと上昇する」ということです。これと十字キーでの方向操作さえできれば、バルーンファイトの対戦シーンに突入することが可能です。

この時期の「協力型2Pゲーム」には珍しく、バルーンファイトでは「自分でも直接相手を攻撃する」ことが可能になっています。例えばアイスクライマーの対戦では、「画面をずんずん先に進んで相手をスクロールアウトさせる」ということが主な対戦要素であるのに対し、直接の戦闘というのがバルーンファイトを熱くしている要素jの一つです。

必殺技?コンボ?特殊入力?そんなものはない。

十字キーと、AボタンBボタンが使えれば、もはや最上級プレイヤーと同じ条件で戦えるのです。この驚異的なハードルの低さは、今の対戦格闘シーンなどではなかなか見られないものでして、「対戦したいけど今の格ゲーむずかしいし…」という日本全国に4億6000万人くらいいる潜在的対戦プレイヤーにこそバルーンファイトを手にとって頂きたいですね。

尚、私が独自に検証したバルーンファイトの対戦ダイヤグラム(作成時間45秒)は下記のような感じになります。

ダイアグラム.png

かなり各キャラクターの性能が拮抗していることが見て取って頂けるのではないかと思います。選んだキャラクターによって大きな有利不利が発生せず、公平な対戦が実現できることも「バルーンファイト」というゲームの魅力の一つです。


○バルーンファイトの対戦のキモは、「位置関係の管理」である

バルーンファイトにおいて、相手に勝つ為に考えなくてはならないことはたった一つ。「相手より有利な位置取りを、どのように確保するか」ということです。

バルーンファイトで相手を倒す方法は、基本的には3つしかありません。

1.自分で相手の風船を割る
2.CPUを利用して相手を倒す、ないしCPUに倒させる
3.雷を相手に当てる

この3つです。

そして、これらすべてにおいて、「位置取りの把握」というものが極めて重要な要素になってきます。
順を追ってみていきましょう。

1.自分で相手の風船を割る

上でも書いた通り、相手の風船を割る為には、少しでも相手より高い位置から相手に体当たりをする必要があります。

その為、バルーンファイトの対戦攻略における基本は「画面上部を確保すること」です。


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なるべく画面上部に位置し続けて、相手に自分の頭上を取らせない。これが、バルーンファイトにおけるベーシックポジションになります。

バルーンファイトというゲームの操作感は良く出来ていて、単に「急上昇」ボタンであるBボタンを押し続けていると、画面の天井にがっつんがっつんぶつかって反動で位置が下がり、逆に不利になってしまいます。その為、天井に近い位置ではAボタンによる細かい浮遊を駆使しつつ、相手の隙を伺うことになります。

ただ、お互いにずっと天井に張り付いているだけだと膠着状態になってしまい、相手が天井からはじかれる隙を求めて体当たりし続けるしか打つ手がなくなってしまいます。(これはこれで、Aボタンの微調整によるテクニックが重要になるところです)

ここで、「誘い」と「雷」と「CPU」が重要になってくるわけです。

ひとつ目、「誘い」とは何かというと、敢えて相手に隙を見せて、相手がこちらを狙って下がってきたところを、すかさずBボタンで相手の上部に回ることです。

これが、2.CPUを利用して相手を倒す、ないしCPUに倒させる

にあたります。

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この画面の例でいうと、下の方の敵を倒しにいくと見せかけて、相手が下がってきたところをすかさず狙う、であるとか。


baloon3.png

当然、逆に相手がCPUを倒しにいく時、すかさず相手の頭上を狙う、ということもありです。

重要なのは、「今相手とCPUはどこにいるのか」「相手は画面上のどこに動こうとしているのか」「その意図は本当なのか、あるいは見せかけなのか」という諸要素の把握です。ここでは、心理的な読みあいも発生します。

CPUは、一度倒すとパラシュートで下に降りるのですが、その後着地すると、少ししてからスピードアップして復活します。このスピードアップは白→緑→オレンジの二段階あるのですが、特にオレンジの敵はかなりの速さと鋭い動きで、オレンジが対戦相手を狙っているのならば挟み込んでCPUと連携をすることも必要になってきます。

また、このステージの例でいうと、画面下部は疑似的に画面上部と同様の天井になっていますので、

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敢えてこの狭い空間に占位して誘いこみ、隙を見て画面上部に戻る、という動きも有効です。

もう一点重要なのが「雷」です。

baloon9.png

これです。あたると死にます。

雷は、不定期なタイミングで雲から発射されます。この時、発射される方向はランダムでして、右上・左上・右下・左下の4方向のどれかに発射されます。そして、地形などの障害物にあたると、当たった角度と同じ角度で反射します。

この時、「雷の軌道を先読みして、相手をそちら側に誘導する」ことによって相手の動きを制限して、有利な位置どりを得るというテクニックが非常に有用になります。

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これは、丁度雷が右上に向かって発射されたところです。ここから素早く軌道を判断して、軌道と自分とCPUで相手を挟み込むように動くと、相手の動きはかなり制限されます。

場合によっては、空中のぶつかりあいから相手を雷に突っ込ませることも可能になります。特に上級者同士の戦闘では、雷が勝負の決め手になることが極めて多いです。いみじくも、ゲーテの箴言に「雷を制すものはバルーンファイトを制す」という言葉がある通り、軌道の予測と雷の位置の把握はバルーンファイト対戦における必須テクニックといっていいでしょう。


・バルーンファイト対戦における緊急回避

CPUは慣れてくると雑魚以外の何物でもありませんので、「危ないな、と思ったらCPUを倒してしまってステージを進める」という思考が重要になってくる場合もあります。

バルーンファイトにおいて、プレイヤーの風船は二つありますので、一つ割られても即死はしませんが、風船が一つになってしまうと上昇力がかなり落ちてしまいます。その為、風船を一つ割られたら取りあえずステージを進めることに集中して、ボーナスステージでの回復を狙うという手もあり。勿論、それを見越してCPU狙いの相手をすかさず叩き落すのも対戦テクニックの一つです。

ちなみに、上級者同士の対戦では逆にあまりステージが進まない為、対戦プレイではあまり見なかったりもするのですが、バルーンファイトには「ぐるぐる」というオブジェクトもあります。

baloon11.png

これにあたるとランダムな方向にはじかれてしまう為、予想外の位置取りになってしまって不利になってしまうこと、逆に相手を不利にすることも可能になります。是非ご利用してみてはいかがでしょうか。


○対戦以外のバルーンファイトの遊び方

無論バルーンファイトの華は情け無用、仁義無用のデスマッチではあるのですが、その他にも2Pと競い合う要素はたくさんあります。

・シンプルな得点稼ぎ勝負(10ステージまで、といった制限を設ける手もあり)
・ボーナスステージでどちらが多く風船を割れるか一本勝負
・水の中をくぐってお魚に捕食されるかされないかのデスマッチ
・CPUをなるべくたくさんお魚に食べさせた方が勝ちというお魚養育勝負(通称「アクアノートの休日」)

などなど、ABA(全日本バルーンファイト協会)に認定された種目はたくさんあります。バルーンファイトというゲームの懐の深さを感じさせてくれるところ大です。

特に魚にCPUを食わせまくるゲームは、CPUのパラシュートの軌道を予測したり修正したりと、かなり奥が深いので是非一度挑戦してみてください。


ということで長くなってまいりましたが、私が言いたいことは

・バルーンファイトはシンプルイズベストで超面白いし対戦も異様に深いのでみんなバーチャルコンソールとかでバルーンファイト遊ぼうぜ!!!

という一点だけであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。

今日書きたいことはそれくらいです。

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2016年05月27日

レトロゲーム万里を往く その131 ぎゅわんぶらあ自己中心派2


イ ナ ヅ マ ヅ モ!!!(効果音つき)



「脱衣麻雀ゲームの系譜」という話は、それこそ万里を4回くらい使わないと終わらない訳ですが、世の中には「脱衣ではない麻雀ゲームの系譜」というものも当然存在するわけです。

恐らく、コンピューターゲーム業界における「ちゃんとした麻雀ゲーム」の元祖は、1981年アーケードの「ジャンピューター」になるのでしょう。ちなみに、この「ジャンピューター」を開発したのは、後に「ワールドヒーローズ」などで著名になるADKことアルファ電子です。ある程度高齢の方は、ADKと言われてもわからないけれど「アルファ電子」と言われるとピンとくるそうです。

その後、かのニチブツが「雀豪ナイト」で脱衣麻雀への枝分かれを行い、脱衣麻雀が一大勢力を築き始めた前後も、非脱衣型の麻雀ゲームの進化は続いていました。

1983年に産声を上げた、ファミリーコンピューターの「麻雀」や翌年の「4人打ち麻雀」。SNKの「麻雀教室」。シャノアールの「プロフェッショナル麻雀悟空」。セガの「麻雀戦国時代」。

時代を下るにつれ、例えばCPUが色々な思考ルーチンを持ったり、キャラクターによって手筋が変わったりと、麻雀ゲームはよりリアルな方向に進化していきました。


そんな中。同名麻雀漫画を題材にした「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、ゲームアーツによって、PC-8800をプラットフォームとして生まれました。


漫画としての「ぎゅわんぶらあ自己中心派」は、片山まさゆき先生の出世作であり、オリジナルの個性的なキャラクターに混じって、時には時事ネタ、時には他の人気漫画、時にはテレビ番組だの歌謡曲だの、様々なパロディキャラクターを麻雀漫画の中に登場させまくった作風が著名かと思います。

ぎゅわん自己の魅力は、言ってしまえば「突拍子もないキャラクター達が、突拍子もないシチュエーションで、突拍子もない麻雀を打つ」ということだったと思います。持杉ドラ夫はその名の通りの豪運で、勝ち過ぎの金蔵は第一ツモで字牌カンを連発し、バッドハンドは手牌にクズ牌ばかりをもってきて、北家ケンシロウは北家神拳を使いこなして敵と戦っていました。


早い話、「ぎゅわん自己」は、後の「ノーマーク爆牌党」などとは異なり、はちゃめちゃ麻雀を旨としたコメディであったわけです(時にはちゃんとした闘牌もありましたが)。不動産麻雀(牌が「居住場所・駅からの時間・築年などの条件になっており、上がると家賃ただでその家に入居出来る)とか、就職活動麻雀とか好きでした。特に不動産麻雀、あれ実際にやったらかなり面白いような気がする。

そんな「ぎゅわん自己」がゲームになった時、麻雀ゲームに何が起こったか。


それは、「キャラクターごとに異なる「能力」が麻雀に持ち込まれた」ということだったのです。


そう、それはもしかすると、「能力バトル麻雀」の源流。



「ぎゅわんぶらあ自己中心派」。1988年11月11日、アスミックよりファミコン版発売。1990年12月には「「ぎゅわんぶらあ自己中心派2」が発売されており、私が主に触っていたのはこの「2」の方でした。

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当時、「リアルな麻雀」というお題目の元、公平な配牌・公平なツモを前提としていた他の麻雀ゲームと異なり、「ぎゅわん自己」ははっきりと「キャラクターによって配牌やツモが偏ります」と断言していました。単に「cpuがやたら強い」という麻雀ゲームは既に多くありましたが、キャラごとにツキの方向性が異なり、しかもそれを明言しているというのは、恐らく「麻雀ゲーム」全てを見渡しても初の試みだった筈です。


原作で強いキャラクターであれば、明らかに強い配牌、強いツモが。

原作で弱いキャラクターであれば、明らかに弱い配牌、弱いツモが。


例えば、原作では「半荘で一回もムダヅモをしない」ということを自らに課しているという「ゴッドハンド氏」であれば、文字通り一切ムダヅモがない、ツモって不要な牌を切っているだけで自然と上がっているという、無茶苦茶な麻雀を打つことが出来ます。(ただし、何らかの事情で一回でもムダヅモをしてしまうとその能力が消える)

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例えば、原作では「第一ツモから4回連続で字牌をカンする」という滅茶苦茶な豪運を持っている「勝ち過ぎの金蔵」であれば、配牌時点で手牌に字牌があふれることになります。

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こんな手を上がるのもごく簡単。

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まあ、金蔵もゴッドハンド氏と同じく、一度でもロン上がりされるとツキがどかっと落ちてしまうわけですが。(これも原作準拠)

上記二人程極端ではありませんが、原作通り良配牌と良ツモを欲しいままにする持杉ドラ夫、ツモの良さが光る引若丸、意味不明な鳴きをしまくるタコ宮内、上がり役を宣言してしまうE.Tなど、自分で使う時もCPUを相手にする時も、原作通りの個性あふれまくるキャラクターが満載です。

勿論、プレイヤーは「指導者なし」にして通常の配牌・ツモにした上で原作キャラと戦うであるとか、ツキ自体を無効にすることも可能です。ただ、やはり「ぎゅわん自己」の華は、「このめちゃくちゃなゲームバランスで、各原作キャラの麻雀を楽しむ」というものだったと思います。

これは、飽くまで「キャラクター漫画を麻雀ゲームで再現しようとした」が故の解答でした。テクモの「キャプテン翼」と同じように、「原作再現」を麻雀でしようとした時に、既存の麻雀ゲームの方向性を一切捨て去る。ツモや配牌の偏りを、ナチュラルにゲームシステムに取り込んでしまう。これは一つのパラダイムシフトであったでしょう。


ですが、当時の麻雀ファンは「ぎゅわん自己」をプレイしてこう思ったのです。「あれ、これ結構面白いぞ?」と。


自分で「強いキャラクター」を使って、対戦相手をなぎ倒すのには、ごくシンプルな爽快感がありました。あるいは、ソニーくんやマスターのような普通のキャラクターを使って、強い対戦相手を倒すのには、ある意味パズルのような戦略感がありました。

金蔵を相手にする際には、字牌を絞って鳴きを止め、金蔵から狙い打ってツキを落とすのが絶対条件でした。ゴッドハンド氏相手であれば、鳴きに走って一手でも早く聴牌しなくてはいけませんでした。

麻雀が元々出来る人にも、そうでない人にとっても、「偏りがあるからこその面白さ」というものがそこにはあったのです。もしかするとそれは、後の「兎」や「咲」のような、「キャラクターごとに様々な能力を持っている」という「能力麻雀」の源流であったかも知れません。


キャラクターものがジャンルに何かを持ち込む、という意味では、対戦ゲームに「キャラ差」を持ち込んだ、「キン肉マンマッスルタッグマッチ」に近いものがあったかも知れません。この「ぎゅわん自己」は、麻雀ゲームというジャンルにおいて、決して小さなタイトルではなかったのです。

人気シリーズとなった「ぎゅわん自己」は、後にスーパーファミコン、メガドライブ、PCエンジン、セガサターン、プレステなど、様々なゲームハードでその姿を見せることになります。



私自身は、この「ぎゅわん自己2」が麻雀への入り口でした。脱衣麻雀ではなく家庭用麻雀ゲームが入り口になるという、もしかするとゲーマーからの麻雀ルートとしては少数派の方かも知れません。


ちなみに、「何をきっかけに麻雀に入ったか」というのはもちろん人それぞれだと思うのですが、「麻雀漫画をきっかけに麻雀を始めた」という人もかなり多いと思います。

個人的には、片山まさゆき先生の漫画で麻雀に入った人は、わりと上達が早いような印象があります。一方、「哭きの竜」や「アカギ」のような、「主人公が物凄い異能雀士」という漫画で麻雀に入った人は、ちょっとそれを引きずってしまうような印象があるのですが、まあそれは余談。最近麻雀に興味をもった人に、「嶺上開花という役は、忘れていても不都合が発生することは殆どない」ということを教えると何故か腑に落ちない顔をされるのですが、これは咲現象とでもいうのでしょうか。


ということで、長々書いてまいりました。最後に、「片山まさゆき先生の絵が30年前と比べても殆ど変わってないのは本当に物凄い」という私見を述べて項を閉じたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。




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2016年04月19日

レトロゲーム万里を往く その130 ロマンシング・サ・ガ 2

アト王「人助けのようなふりをしてあちこち占領している様だな」
ユリシーズ「せやな」
アリエス「一理ある」
テレーズ「知ってた」
チュウタツ「正直図星としか」
クリストフ「今更感強い」
セキシュウサイ「お前ら…」


アト王の仰せは正直もっともだと思うんです。ゲーム内では暗君ぽい扱いですが、実は結構根は鋭いんじゃないでしょうか、アト王。

魔界塔士サ・ガの頃から、サガシリーズ、ロマサガシリーズは「一見あっさりしているようで、実は結構ぶっ飛んでいる台詞回しとシナリオ展開」が魅力の一つだと思うんですが、ロマサガ2も当然その遺伝子を継いでいます。カンバーランドのあの辺の展開とか、「もう帰る」とか、「ははっザマアミロ」とか、ちょっとFFや聖剣では出てこない台詞・展開だと思います。個人的には、こういったぶっ飛び展開をサガ節と呼びたい。




ロマンシング・サ・ガ2。RPG。1993年2月10日、スクウェアよりスーパーファミコンで発売。「ファイナルファンタジー4 イージータイプ」を除くと、SFCにおけるスクウェアの7本目のタイトルになる筈です。

前作「ロマンシング・サ・ガ」に続き、FFシリーズとはまた一味違った様々な独自色・独自路線で、「FF」「聖剣」と並ぶスクウェアの人気RPGシリーズとなりました。ゲームボーイ時代の「サ・ガ」、続編の「ロマサガ3」、更にその後の「サガフロンティア」まで全てひっくるめて、非常に熱狂的なファンの多いシリーズとなった、と言ってしまっていいと思います。「ロマサガ」「ロマサガ2」「ロマサガ3」と、タイトルを追うごとに遊びやすさが飛躍的に増していったシリーズでもあります。


皆さまよくご存知の通り、先日、「ロマサガ2」のスマホアプリ版・PS Vita版のリメイクが発売されました。私はVita版をプレイしているのですが、リメイクの出来は総じて上々で、SFCの頃の感覚で楽しむことが出来ます。若干の追加要素などもあり、ロマサガシリーズに興味があるけれどまだプレイしたことがない、という人にもお勧め出来る出来です。まあ、ゲーム後半のバランス的には初心者にお勧め出来るとは必ずしもいいがたいのですが…。


ちなみに、以前、バレンヌ帝国の国家戦略については書きました。興味がある方は下記を一読ください。




ロマサガシリーズは非常に著名なタイトルですので、ゲームの細かい話は今回あんまりしません。

やたら長文になるのでちょっと頻繁に段落分けをしようと思います。



1.SFC時代のスクウェアのゲーム作りについて


歴史の話から始めさせてください。


SFC時代、スクウェアのゲーム作りは、「RPG」「シミュレーション(SRPG)」の二つに偏っています。

RPGは、言わずと知れたFF、聖剣、ロマサガの三大シリーズの他、ミスティッククエスト、ライブ・ア・ライブ、クロノトリガー、ルドラの秘宝、ガンハザード、トレジャーハンターGなど。

SRPGは、半熟英雄、バハムートラグーン、フロントミッションあたり。これらも、FC時代の続編である半熟英雄を除くと、多くの面でRPGタイトルの流れを汲んだゲーム達です。唯一ほぼ純粋なアクションゲームと言ってよさそうなアルカエストは、元々はHAL研から発売される筈だったゲームです。

FC時代の手探り感、PS時代の様々なジャンルへの拡張と比べてみると、SFC時代のスクウェアが「RPG」というジャンルのゲームを自分たちの得意分野として規定し、深く掘り下げようとしていた、ということがよくわかると思います。そこには、様々な試みの跡が見てとれます。



「ロマサガ」に先立って発売されたFF4、「ロマサガ2」に先立って発売されたFF5は、どちらも主人公キャラクター達に強いキャラクター性を持たせ、FC時代以上に「映画的」なシナリオ展開を意識されていたタイトルでした。

キャラクターとキャラクターの会話、関わり、互いの感情などの描写が、FFシリーズのシナリオ上で非常に重要な要素となっている、ということは論を俟たないでしょう。その傾向は、4以降、タイトルを経るごとに強くなっていきました。

主人公格キャラクターのクローズアップと掘り下げ。それが、SFC以降のFFが選んだ道でした。



2.ロマサガシリーズの「キャラクターの見せ方」


一方、「ロマサガ」及び「ロマサガ2」は、FFが志向していたように思える「キャラクターをクローズアップした映画的な筋立て」とは全く性格を異にするタイトルでした。


初代ロマサガは、「イベントによるキャラクターの掘り下げ」という方法をとりませんでした。


勿論、アルベルトにも、ホークにも、グレイにも、クローディアにも、アイシャにも、シフにも、バーバラにも、ジャミルにも、それぞれの事情や背景がありました。しかしその大部分は、劇中で明確に掘り下げられていくのではなく、様々なイベントにおける彼らのふるまいという形で少しずつ提示され、後はプレイヤーの想像に任せられる、という形式をとっていました。全ての主人公は、殆どのイベントを共通して経験することが出来、そこでの微妙な差異が、ロマサガにおける最大のキャラクター付けでした。

当時、ロマサガが「フリーシナリオシステム」を前面に押し出していたことを考えれば、恐らくスクウェア内部でも「非FF路線」を求めた結果の「ロマサガ」だった、という側面はあったのだろうと思います。



そしてロマサガ2は、FFシリーズとは全く違った意味で、驚く程「映画的」でした。



そこにあったのは、「国」と「歴史」を描く為の群像劇。キャラクター一人一人にスポットライトを当てるのではなく、(レオンとジェラールを除けば)逆にキャラクター達一人一人のシナリオにおける重要性を薄めることによって、ロマサガ2はバレンヌ帝国という「国家」をRPGの主役にしてみせたのです。


その最大の表れ、ロマサガ2のまさに中核となる二つのシステムが、「皇位継承」システムと「年代ジャンプ」システムでした。この二つのシステムが、RPGとしてのロマサガ2というゲームを形作っている、といってしまっていいと思います。(「ひらめきシステム」も非常に重要なんですが、これは一旦置いておきます)



3.「継承システム」と「年代ジャンプ」がRPGに持ち込んだもの。


ロマサガ2において、主人公はバレンヌ帝国の皇帝です。そして、とある事情によって、彼らは「自分が死んでも、自分の能力や記憶は次の皇帝に受け継がれる」という特性を得ることになりました。


プレイヤーは、様々な職業から「皇帝」となるキャラクターを選び、操りながら、数千年に及ぶバレンヌ帝国の歴史を自ら形づくっていくことになります。

皇位継承は、「イベントがある程度経過して、大きく年代が進む」いわゆる年代ジャンプ発生時と、パーティ全滅時・皇帝のLPが0になった時等に発生します。ある皇帝が世を去った後、プレイヤーは新たに4人の候補者の中から、「次の皇帝」を選びます。


ある時はバレンヌ帝国の戦士たちが。

ある時は武装商船団が。

ある時は格闘家が。

ある時は遠くヤウダのイーストガードが。

ある時はコムルーン火山に居住するサラマンダーが。


時には他国出身のものまで、継承システムの対象となってバレンヌ帝国をしょって立つ存在になるのです。全然バレンヌと関係ないどころか、時には人外ですら自国の皇帝に迎え入れる、バレンヌ国民の懐の深さには感嘆を禁じえません。というか、以前も書いたんですが、バレンヌ皇帝は他国で死にまくったり人魚と駆け落ちしていなくなったりするので、バレンヌの国民感情が結構心配です。


皇帝の能力や成長はどんどん次の皇帝に受け継がれていく他、例えば新しい陣形が使えるようになったり、例えば武器防具が量産されるようになったり、例えば経過した世代によって街やイベントが変化したりと、「年代ジャンプ」と「皇位継承」はゲーム攻略上非常に重要な位置づけになります。

その為、プレイヤーによっては「意図的に皇帝を殺しまくって皇位継承を発生させる」みたいなことをする人もおり、皇帝の墓場として有名なルドン高原に皇帝の死体が死屍累々、というような惨状も発生し得るわけです。恐ろしい話ですね。他国で国のトップが死にまくるとか、普通に考えれば国際問題だと思うんですが、大丈夫なんでしょうかルドン。



しかし。「世代がどんどん経過していき、キャラクターがどんどん入れ替わる」というのは、決してキャラクターの「浅さ」を意味しません。様々な職業のキャラクターが皇帝職を経験し、多くのキャラクターを部下にし、多くの人々と接していくうちに、やがてプレイヤーは、「自分がバレンヌ帝国の皇帝という、一人のキャラクターと化している」ということに気付くのです。

「国」という視点から見れば、レオンやジェラールのような一部の例外を除いて、皇帝にせよ臣下にせよ、歴史の中で一瞬過ぎていくだけのキャラクターに過ぎない。しかし、彼らは決して、「歴史に名を残せなかった人たち」ではない。

臣下としての、皇帝としての彼らのキャラクターは、プレイヤーが想像する他ない。しかし、だからこそ、バレンヌ帝国という一つの帝国を経営する内に、プレイヤーはどこまでも「バレンヌ国民」への思い入れを強くしていくことが出来る。



イベントについても、例えば「力が強く、どちらかというと粗野な職業の皇帝」と「魔力が高く、どちらかというと理知的な皇帝」で全く展開が変わったりということもあり、そのバリエーションは初代ロマサガ以上にバラエティ豊かです。私がロマサガ2を「群像劇」と考える所以でもあります。



4.バレンヌ帝国を経営しよう!!!


一方、ロマサガ2においては、バレンヌ帝国の国家戦略も重要な要素になります。

細かい話は冒頭リンクでも書いているのですが、プレイヤーはバレンヌ皇帝として、強大な敵と戦うと同時に、帝国を強大にする役割も負っています。彼、内政的にはお買い物の指示程度の仕事しかしてないのですが、外征・外交においては八面六臂、およそ皇帝職として許されるのかというくらいのハイパーハードワークをしていますので、バレンヌ皇帝に選ばれた人は生命保険に欠かさず入っておくべきだと思います。


ある時は他国の後継者問題に介入して内乱を平定したり。

ある時は武装商船団と交渉して支配下に置いたり。

ある時はでかいアリを退治して地域平和に貢献したり。

ある時は火山に氷をぶち込んで大問題を起こしたり。


皇帝は様々な地域で様々な活躍をするのですが、結果としていろんな地域がバレンヌの支配下になってしまっているので、「人助けのようなふりをしてあちこち占領している」という指摘は図星という他ありません。人助けには変わりないからね。仕方ないね。


ちなみに、バレンヌ帝国においては勿論財政も重要なのですが、バレンヌ国民は基本的に定期的な納税というものを行ってくれず、なぜか皇帝が戦いに買った時だけチリがつもるように収税が行われていく、というシステムなので、お金を貯める為には並々ならぬ苦労が必要とされます。

それでいて、高額の買い物をする機会は結構多いので、皇帝の中には「シティシーフの上前をひたすらハネ続ける」などという非道な行いに手を染める者もいると聞きます。政治だから仕方ないね。



5.みんなが豆電球を待っている


RPGとしてのロマサガ2には、もう一つ重大なシステムがあります。皆さまご存知「ひらめきシステム」です。

ロマサガシリーズの華が、なんといっても武器ごとの多種多彩な「必殺技」であることは論を俟たないところです。

ロマサガ1では、武器ごとに熟練度をひたすら溜めていって、ある程度その武器を鍛えると必殺技が使えるようになる、というシステムでした。


一方、ロマサガ2以降では、「敵と戦っている間に、キャラクターが新しい技をランダムでひらめく」というシステムをとっています。以降、ロマサガ3からサガフロまで、このシステムはロマサガシリーズの最大の特徴の一つであり続けています。


弱い敵ではひらめきにくい。

強い技はひらめきにくい。


この二つの要素と、「ランダム性」という最大の関門が、プレイヤーに「技のひらめき」を渇望させることになりました。ただ技をひらめく為だけに、序盤に無理して強い敵と戦う、といった行為もロマサガシリーズならではのものです。

キュピーン!という豆電球が発生した時、プレイヤーは思わずガッツポーズをとることになります。(そして登録を忘れていたパリイで意気消沈)



6.超絶ドット絵と超絶BGMについて。


ロマサガシリーズの戦闘時のドット絵は芸術という他ありません。

ロマサガ1でも「戦闘時のクローディアのドット絵は至高」というのが私の意見でして、クローディアめっちゃかわいいと思うのですが、本作でもそのクオリティはいや増しています。戦闘時のキャラクターの様々な挙動が、プレイヤーの心を奪った側面は決して否定出来ません。特にコマンド待ちのキック絵のクオリティ半端ない。

ちょっとここでは、軽く動画を紹介してみます。ご存知ない方は是非ご参照ください。


BGMについても言うまでもない伊藤賢治先生でして、全編すばらしい曲しか存在しません。伊藤賢治先生は、どうもご自分では「戦闘曲は得意ではない」とおっしゃっているということなのですが、ロマサガシリーズの戦闘曲のすばらしさはみなさん周知のとおりでして、七英雄戦の曲なんか聴いている側が震えてくる程の名曲です。超絶ドット絵と超絶BGMは、SFCで数あるRPGの中でも最高峰の一本と言ってしまってもいいでしょう。




さて、あきれ返る程の長文になりました。

取り敢えず私が言いたいことは


・帝国軽装歩兵もいいけどホーリーオーダー♀可愛いですよね、
・七英雄コラ(わかっていただろうにのう ワグナス)めっちゃ好き


という二点だけであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。

今日はこの辺で。

posted by しんざき at 19:28 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月07日

レトロゲーム万里を行く その129 ティンクルスタースプライツ

「シュミット使いです」って言うと大体「なんで?」と聞かれます(人気投票でぶっちぎり最下位だったらしい)。俺は単に高速機が好きなだけなんだ…!



歴史の話から始めさせてください。

かつて、ADKというゲームメーカーがありました。旧称はアルファ電子工業。1980年設立のアーケードゲームメーカーです。

他の多くのゲームメーカーと同じく、ADKもまた、ユーザーに対して様々な「顔」を見せたメーカーでした。

一般的には「ジャンピューター」の開発で著名だったメーカーですが、アーケードゲーマーの多くは「SNKと一緒にネオジオを開発したメーカー」と認識している筈です。

ネオジオというフィールドにおいて、ADKは「マジシャンロード」や「ラギ」「ニンジャコンバット」などをリリースし、「バカゲーも作るアクションゲームメーカー」としてゲーマーに知られるようになります。特にニンジャコンバット・ニンジャコマンドー等における、独特な「ADK色」は後々までユーザーの記憶に残りました。「取りあえず忍者が出てくるゲームをたくさん出してるメーカー」としてADKを認識していた人もいたかも知れません。

個人的には、この頃のADKタイトルでもっとも好きだったのは、一人称視点のチャンバラゲーム「クロスソード」でした。私は、擬似3DSTGとウルフェンシュタインの間にあって、FPSの草分けとなったゲームって実はクロスソードなんじゃないかとまで思っているのですが、それに賛同してくれる人は極めて希少です。違いますかね?いや、クロスソードが面白いことは取りあえず保証します。

1992年の「ワールドヒーローズ」や93年の「ワールドヒーローズ2」で初めてADKを認識した人、というのも勿論いると思います。この後の「痛快GANGAN行進曲」や「ニンジャマスターズ」などの存在もあり、「なんか妙に濃い格闘ゲームを作るメーカー」としてADKを認知していた人が、もしかすると一番多いかも知れません。この辺り、メーカーの認知度としては、データイーストへのそれと近いものがあったような気がします。


そんな中。そのゲームは、1996年になって、極めて唐突に我々の前に姿を現しました。


ティンクルスタースプライツ。対戦型縦スクロールシューティング。1996年、ADK開発、SNKより発売。

このゲームのビジュアルを見た人が、まずメーカーの名前を見て目を疑ったことについては議論の余地がないでしょう。ニンジャコマンドーの、ワーヒーの、痛快GANGAN行進曲の、あの暑っ苦しく濃いゲームを世に送り出してきたADKが、こんなビジュアルのゲームを出してきたのか…!? その衝撃は、丁度データイーストがマジカルドロップを繰り出してきた時の衝撃と近似していたと思います。

私の知人が、スプライツを見て思わず漏らした声を私は覚えています。「ADK、何か悪いモン食ったのか!?」

まず、ティンクルスタースプライツのビジュアル、ゲームシステムについては、下記の動画を一通り見ていただくのが一番話が早いと思います。


ちなみに、上の動画でプレイヤーキャラになっているのが、私のメインキャラであるシュミットです。動画のプレイヤーは非常に上手いですが、基本的に下位ランクのキャラクターです。


さて、ゲームの話をしましょう。


・熱い、ひたすらに熱い「対戦型シューティング」

勿論言うまでもなく、ティンクルスタースプライツのキモは「シューティングで対戦が出来る」という一点に尽きます。ただしゲームの成り立ちとしては、「STGの進化系というよりは落ち物パズルの変化球」と言った方が近いように、私には思えます。


・左右二画面に分かれて、それぞれのフィールドで縦スクロールSTGが展開する
・敵を倒すと敵が爆発し、その爆発に敵を巻き込むと「連爆」が発生する
・連爆がたくさん発生すると、相手のフィールドに攻撃を送り込むことが出来る
・対戦相手からの攻撃を更に攻撃したり、連爆に巻き込むと、「リバースアタック」「エキストラアタック」「ボスアタック」といった様々な攻撃を展開することが出来る
・敵の出現パターンはパズルゲームを意識したようなものになっており、上手く攻撃すると大量の連爆を発生させることが出来る
・エキストラアタックやボスアタックの性能はキャラクターごとに異なる

ティンクルスタースプライツの特徴をざっと書き出すとこんな感じでしょうか。

画面構成などをふくめ、ゲームの性質が「ぷよぷよ」などに代表される対戦型落ち物パズルに近い、というのはすぐに思う所かと思います。コラムスやぷよぷよについて、「これでシューティングやったら面白いんじゃね?」という形で発想されたのではないか、という推測も可能です。

で、そんなティンクルスタースプライツが面白かったかというと、

もう理屈抜きで超面白かったです。

連爆で、相手に大量のアタックを送り込む爽快感。
相手からの攻撃を、「うおーーー!!」とか叫びながら凌ぎに凌ぐ達成感。
敢えて敵や相手の攻撃、溜め段階をプールして、一気に反撃を送り込む戦略性。
エキストラアタックやボスアタックのバラエティ。
「エキストラアタック!」「リバース!」といったボイスのノリの良さ。
長時間聴くことになりながらも全く飽きのこないBGM。

正直なところ、ADKのゲームには荒削りなゲームの方が多かったと思うのですが、そんなADKタイトルの中でもぶっちぎりのスーパー完成度だったと思います。

パズル的な思考が得意な人も、STGが得意な人も、それぞれの強みを生かして闘うことが出来ました。

キャラクターごとのバラエティは、格ゲーでいうところの「キャラ差」的なものを生み出し、それぞれのキャラごとの遊び方を提供してくれました。

遊びやすく、遊んでいて気持ちよく、奥が深い。ティンクルスタースプライツは、STGとしてみても、対戦ゲームとしてみても、素晴らしい楽しさをプレイヤーに提供してくれるゲームだったのです。


勿論言うまでもなく、対戦型シューティングというジャンルが、このティンクルスタースプライツだけで構成されているわけではありません。古くは「スペースウォー!」やウォーロイド。新しくは、チェンジエアブレードや旋光の輪舞。アウトフォクシーズなんかも、ゲームとしてはSTGの感覚に近かったかも知れません。

ただ、対戦型STGというジャンルで、この「ティンクルスタースプライツ」のフォロワーというものは殆ど生まれていません。この完成度のゲームであれば、もっと色々なタイトル、色々なキャラクターでこのゲームシステムが使われてもよかったような気がするのですが…このゲームが「ネオジオ最後のADKタイトル」であるということもあり、個人的にはもっと色々なフォロワーの姿を見てみたかったという気もします。

これもまた、ゲーム業界における「惜しい一作」だったのかも知れません。



・メモリー女王が強すぎるんですが(あと若干影が薄い魔王の人)


話は変わりますが、先述の通り、このゲームの世界観は既存のADKゲームとはかけ離れまくっています。

今までのADKであれば、「主人公の大半が男くさい忍者」とか「「エキストラアタック!」の代わりに「みねうちでござる!」と言う」とか普通にやらかしそうなところ、ティンクルスタースプライツのストーリーはイカのような感じです。

 魔法世界プレアミューズに伝わる伝説の星、「ティンクルスター」。この聖なる星を手に入れた者は、どんな願いでもかなうといわれています。しかしある日、悪の帝王メヴィウスにティンクルスターが奪われてしまいました。このままでは大変です。

 プレアミューズの王女ロードランは、お供のラビキャットを連れティンクルスターを取り戻すために旅立ちました。行く手にはティンクルスターを狙う者や邪魔する者がたくさん待ち受けています。さあ!冒険の始まりです…!

早い話、ロリ魔法少女ものが唐突に忍者ゲーメーカーから出てきたんですよ。当時の驚天動地っぷりを皆さん想像していただけるでしょうか。

登場キャラクターは全て、大きなお友達にも好まれそうなかわいらしい少女やキラキラした青年たち、あとはメルヘンちっくな「いかにも魔法少女ものに出てきそうなキャラクター」で占められており、ニンジャコンバット路線からすると突如の480度大転換といっていいでしょう。ビックリする他ありません。

キャラクターについて簡単にレビューしてみますと、

・ロードラン:主人公の魔法少女。エキストラアタックの「ラビボム」が使い方次第で凶悪な攻め方を可能とし、スタンダードな性能でありながらかなり強い

・リアリー・ティル:主人公のライバルポジション的な少女。エキストラアタックがちょっと特徴的だが、そこまで強いという印象はない

・ヤン・ヤンヤン:露出度の高いつるぺたロリキャラ。エキストラアタックは変則的で強いものの、足が遅いため相手の攻撃に囲まれて逃げ場を失いやすい。対戦はキツい印象。

・ド・ケスベイ:スケベな猫仙人。短射程のエキストラアタックが使えないにもほどがあり、かなり弱い。ハンデ用キャラという印象

・ティンカー&リンカー:双子の妖精。「チームワークの勝利でーす!」ボイスがやたら耳に残る。画面を跳ねまくるエキストラアタックがかなり強力。

・アーサー=シュミット:私の持ちキャラ。昔の魔法少女ものにありがちな、色男三枚目キャラ。移動速度が超高速。しかし、攻撃力は貧弱。エキストラアタックも画面下からの直線攻撃という、避けやすく追い詰めにくい残念性能(一応、ノーマルアタックと挟み撃ちにすればそこそこ避けにくい)。弾を大きく避けまくって持久戦を狙うのに特化したキャラ

・ナンジャモンジャ:毛玉。エキストラアタックの軌道が極めて避けにくく、暴力的な性能。正直、ド・ケスベイと同じゲームに存在していい性能ではないと思う。通常ショットもやたら強く、初期キャラの中では最強候補か。

・マッキー&ペンテル:猫耳コンビ。エキストラアタックが追いかけてきて若干うざい。

・メヴィウス親衛隊(グリフォン):色男三人組。シュミットが三人いるような感じ。エキストラアタックが避けやすく、そこまで強キャラという印象はない


通常キャラ群は上記のような感じです。

他にも何人か隠しキャラがいまして、特に「悪の帝王メヴィウス」と「メモリー女王」の性能が極悪。

・メヴィウス:表ボス。通常ショットの攻撃力が鬼のように高く、エキストラアタックの追尾性能も鬼。適当に相手の攻撃を打ち返し、エキストラアタックを送ってるだけで圧殺できるだけのポテンシャルを持っている

・メモリー女王:裏ボス。ランの母親。エキストラアタックが画面ランダムの位置から自機を狙ってくるという超高性能弾で、一瞬油断しただけで逃げ場がなくなる。溜め撃ちの性能も暴力的。「お食べになって!」じゃねえよ節食しろ。


個人的には、対戦で使うならメヴィウスが最強なんじゃないかという気はしてます。ケスベイかわいそうです。



まあ色々と書いてまいりましたが、私が言いたいことを一行にすると

・今からでも遅くないからティンクルスタースプライツのシステム使ったゲーム増えろ

ということになり、他に言いたいことは特にない、ということを申し添えておきます。キャラゲーの器としても適したシステムだと思うんだけどなあ…


今日書きたいことはそれくらいです。


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posted by しんざき at 22:29 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月16日

レトロゲーム万里を往く その128 ガーディアンヒーローズ


セガサターンは、私たちの希望でした。



セガの話を、客観的かつ公平に記述することは困難です。私は元来タイトーっ子であり、セガについては(真正のセガファンの方に比べれば)片足突っ込んだ程度のファンでしかありませんが、そんな私にすら、セガというメーカー名は特別な響きをもって心に迫ってきます。

かつて、特にゲーセンにおいて、恐るべき完成度とシャープさを備えた名作の数々を、冗談抜きで怒涛のごとく連射していたセガというメーカー。ゴールデンアックスを、アウトランを、スペースハリアーを、アフターバーナーIIを、ファンタジーゾーンを、忍 -SHINOBI-を、バーチャファイターを、まるで当然のことのように我々の前に提示してみせたセガというメーカー。


そんなセガというメーカーに入れ込んだファンにとって、「ゲームハード」というものは一種の魔境でした。セガという素晴らしいメーカーが発売する、素晴らしいハード。 SG-1000。SG-3000。マスターシステム。メガドライブ。どう考えてもその時代時代の最高のハードなのに、何故か理不尽な数の暴力の元、「家庭用ゲーム機のデファクトスタンダード」というエンディングにたどり着けないその様は、超高難度RPGのラストダンジョンに挑み続ける感覚にも似ていました。

そんな、「頑張って銀メダル」というようなセガにとってのハードウェア戦争において、一点の突破口が見えたように思ったのが、プレステ - セガサターン時代でした。ソフトの価格高騰を背景に、SFCの覇権は終わりを迎えつつあり、まだ任天堂の後継ハードの姿は見えない時代。ナムコは強敵とはいえ、プレステの方向性も未だ見えず、一方でこちらにはキラーソフトのバーチャファイターがあり、デイトナUSAも見えている。そして何より1994年11月当時は、まさにバーチャファイター2がゲーセンに姿を見せ始めた、セガフィーバータイムとでもいうべき時代だったのです。


その結果どうなったか、という話は、ここでは一旦置きます。ただ、一つだけ書くとすれば、「セガサターンは、セガファンが期待した通りの素晴らしいハードだった」という一点について、議論の余地はないと私は考えます。


PS-SSの比較という話をした時、2Dゲームにおけるグラフィック描画力において、サターンの能力は一歩勝っていました。これは、特に対戦格闘ゲームや2DSTGの移植、ベルトスクロールアクションなどにおいて顕著に表れていました。ダライアス外伝やレイヤーセクション、ガンフロンティア、ガンバード、出たなツインビーヤッホー!やSNKの様々な格闘ゲームなど、当時セガサターンで人気を博した移植もの作品は枚挙に暇がありません。



そんな中。セガサターンオリジナルの、一つの「最強作品」が、トレジャーというメーカーからセガ経由で世に放たれました。



ガーディアンヒーローズ。格闘ゲーム・アクションRPG。1996年1月26日、トレジャーより発売。このずっとずっとあと、2011年10月12日に、XBOX360にてHD版が発売されています。

トレジャーというメーカーについては、今では「レイディアントシルバーガン」や「斑鳩」の印象が強い人が多いかもしれませんが、当時は「メガドライブでの傑作アクションゲームメーカー」という認識でした。トレジャーのタイトルに外れがないことは一部のメガドライブユーザーの間では有名で、「ガンスターヒーローズ」や「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」については、ハマりにハマった人が多かった筈です。


特に、「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」については、「格闘ゲームとしてすごくよくできているのに、4人同時プレイでごちゃごちゃ対戦出来る」「カオスなのに、そのカオスさがもの凄く面白い」という二点で、メガドライブ全体を見回してもトップクラスの傑作といっていいでしょう。個人的には、「熱血行進曲 それゆけ大運動会」以上に対戦が盛り上がるゲームだったと思います。


その、「幽☆遊☆白書 魔強統一戦」のDNAがそのまま受け継がれた上で、二ケタ程の超絶パワーアップが施されたのが「ガーディアンヒーローズ」でした。

ゲームの詳細については、wikipediaをご参照いただければと思います。

Wikipedia:ガーディアンヒーローズ


ゲームの動画は、こちらから参照することが出来ます。この動画はサターン版ですが、HD版はグラフィック面で更にパワーアップしています。




さて、ゲームの話をしましょう。


・不死英雄戦士の異様な頼もしさについて。


ゲームとしてのガーディアンヒーローズを一言でいうならば、「ベルトスクロールアクションと格闘ゲームを折衷してパワーアップさせたもの」です。


ガーディアンヒーローズは、ストーリーモードとVSモードに分かれます。ストーリーモードにおいて、プレイヤーは「ハーン」「ランディ」「ニコ」「銀次郎」の4人の冒険者の中から一人を選び、「初代「餓狼伝説」のような3ラインのフィールドで、剣と魔法の正統派ファンタジーバトルを繰り広げます。


ガーディアンヒーローズの「おもしろ要素」は幾つもあります。単純に箇条書きで列挙してみます。


・ゲームの進み方自体はベルトスクロールアクションに近い
・が、ラインが3ラインに限定されているので、軸合わせなどの若干とっつきにくいテクニックが必要ない
・幽白譲りの絶妙な操作感で、キャラクターをただ動かしているだけで面白い
・かつ、ベルトスクロールのように雑魚を豪快に蹴散らす爽快感、ボスを倒した時の達成感が非常に大きい
・初心者は、ある程度コントローラーをがちゃがちゃしていているだけでも進めるし、気持ちよさも味わえる
・しかし、後半戦になるといい感じに難易度が上がってくるので、成長を促す要素がきちんとある
・レベルの概念があるので、先に勧めなかった場合、雑魚的を倒しまくって強くした上で再挑戦する、といったことも出来る
・その上で、コンボを組み立てたり、距離を測って駆け引きをしたりといった、対戦格闘としての面白さもちゃんとある
・空中ガード、ジャンプキャンセル、空中コンボ、ライン移動を用いた待ち伏せなどなど、格ゲーとしても非常に先進的で奥が深い
・随所随所で仲間NPCが乱入したりして、ストーリーに没入している感が味わえる
・キャラクターが非情に豊富。しかも、条件を満たすとほとんどのキャラクターを使うことが出来るようになる
・ストーリー分岐も豊富でマルチエンディングであり、攻略のし甲斐がある
・一回のストーリー自体は短いので、何度も遊ぶことが苦にならない
・常在味方NPCである不死英雄戦士が異常に頼もしい。ある程度指示出しすることも出来、動かないように指示して自分だけで攻略するということも、暴れさせることも出来る
・キャラクターの個性もはっきりとしており、初期キャラクターである4人だけでも、「正統派戦士で、豪快な攻撃が特徴のハーン」「魔法使いで、遠距離からの魔法攻撃と、棒術を使った必殺技絡みのコンボで戦うランディ」「唯一回復魔法が使え、通常技は弱いがバリヤーやHPを消費しての範囲攻撃「おこったぞー」が強力なニコ」「テクニカルでコンボも難しいが、使いこなすと非情に強いギンジロウ」と、バラエティが非常に豊富。



エトセトラエトセトラエトセトラ。ここではストーリーモードに限定した話をしていますが、ストーリーモードだけでも十二分に遊びまくることが出来ます。

やはりまず何よりも、

・幽白譲りの絶妙な操作感で、キャラクターをただ動かしているだけで面白い

というところが、もうひっじょーーーに大きいわけでして。名作アクションゲームの必須要件、「動かすこと自体に爽快感がある」という部分を完全に満たしています。序盤は難易度が低いということもあって、ハーンの大振りでがががーーっと雑魚的をなぎ倒すのも、ランディのコンボでぽこぽこぽこっと敵にコンボを叩き込むのも、もう思う存分楽しむことが出来ます。

そのうえで、ゲームが大味かというとそんなことは決してなく、(少なくとも主要キャラクターに関しては)「考えて連続技を組み立てる」「間合いを考慮して戦略的に動く」ということに、非常に大きなリターンがあります。最初の内はとっつきやすく、掘り下げていくと奥が深い。この振れ幅が絶妙という他ないんですね。


ストーリー自体も、90年代前半によくあった「剣と魔法の世界観」に拒否感がない人であれば、合間合間に入る掛け合いも含めて、十分に楽しめる内容かと思います。伝説の剣を手に入れて喜んでいる冒険者4人を、突如襲う王国の兵たち。そして一行の前に現れる不死英雄戦士(アンデッドヒーロー)。ところどころで発生するNPCとの協力や会話、あるいは戦闘も含めて、盛り上がる要素満載です。



と。勿論、ここまでのストーリーモードだけでもガーディアンヒーローズは十分に面白い訳なんですが、実はまだこのゲームの面白さの3割でしかありません。

残りの7割は、「VSモード」に集約されているのです。



・天上神3人が余りにもカオスなんですが。

断言しますが、このゲームのキモはVSモードです。

VSモードにおいて、プレイヤーは、ストーリーモードで現れたキャラ殆ど全員を縦横無尽に操って、白熱バトルを繰り広げることが出来ます。しかも、参加可能人数は最大6人、HD版ではなんと倍の12人(オンライン対戦も可能)。

使用可能キャラクターがほぼ全員ですので、例えばNPCの不死英雄戦士、あるいは何度も手合わせする中ボスから、ストーリー上の最終ボスであるデカキャラを使うことも出来れば、果てはストーリーにはほとんど無関係な町民まで使うことが可能です。


これがもう超カオス。

ラスボスが1,2人でも混じっていれば、3ラインの内のいくつかのラインが極太ビームに埋め尽くされる、などということもふつうに起こりえます。一方、ラインを無視出来る町民などの一部キャラクターは、攻撃を受けないように受けないように、こそこそと逃げ回りつつ漁夫の利を狙うことも可能。そんな中でも、ランディやニコのような小柄なキャラクターも、どさくさに紛れて大ダメージコンボを決めることも出来ます。


カオスだからといって、ゲームが成立していない訳では決してなく。1〜200レベルまでの細かいハンデ付けを設定することも出来る他、強いキャラ程早く狙われたりといった要素もある為、「カオスなのにどういう訳か全体としてはバランスがとれている」という摩訶不思議の対戦ゲームを存分に楽しむことが出来ます。

ストーリー中ハーンのように正面から奮戦するも良し。圧倒的な必殺技を主軸に暴れまわるも良し。慎重に機会を伺いながら蜂の一刺しを狙うも良し。逃げ回りながら漁夫の利を狙うも良し。


そこにあったのは、圧倒的な自由度と爽快感の共存。3ラインという限定された戦場でありながら、ありとあらゆる楽しみ方をプレイヤーに許すその懐の深さが、ガーディアンヒーローズの最大の特長だといえるでしょう。


以前とある電源ゲーム会で、ガーヒー12人対戦をオール人間でプレイしたことがあるのですが、そりゃもう超絶楽しかったですよ。今からでも楽しめることは私が保証します。


ということで、長々と書いてまいりましたが、

・格ゲーが好きな人
・ベルトスクロールアクションが好きな人
・XBOX360を持っている人
・剣と魔法の世界観に拒否感がない人

上記に2つ以上当てはまる人の中で、万一まだガーディアンヒーローズをプレイしていない人がいれば、それは明確に人生を損していると思うので、ぜひともamazon辺りでポチることをお勧めします。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 19:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月12日

レトロゲーム万里を往く その127 聖剣伝説 LEGEND OF MANA


さあ、歌おう。声の限りに、Song of manaを。


以下、かなりの長文ですので、忙しい人は画面をスクロールして最後の3行だけ読んでください。デカい字で書いてあるので目立つ筈です。


プレイステーションというハードが1994年に世に出てから、もう21年が過ぎました。ファミコンが出たのが83年ですので、実は「ファミコン→プレイステーション」の時間的距離よりも、「プレイステーション→現在」の時間的距離の方が倍近く長い、ということになります。

かつて、プレイステーション・セガサターン・PC-FX・ニンテンドー64辺りの、いわゆる「次世代機戦争」を間近で経験した私にとっては、今でもプレイステーションは次世代機ではあります。とはいえ、流石にぼちぼち、レトロゲームネタとしてプレステゲームを取り上げても良い頃かと思いました。皆さまにとって、プレステやサターンにおける「レトロゲーム」はどんなゲームでしょうか。


ちょっと、「プレステ時代のスクウェア」を振り返ってみたいと思います。


プレイステーションというハードにおいて、スクウェアとエニックスという二つのメーカーは、いわば最強のキラーソフトメーカーとして認知されていました。当時、この二大メーカーがソニー産ゲーム機にタイトルを供給するという、ただそれだけのことが各雑誌で連日トップニュースになったことを記憶しています。

96年8月2日のトバルNo.1を皮切りに、キラーソフト中のキラーソフトだったFF7が発売されたのが1997年1月31日。その後、ブシドーブレードやゼノギアス、アインハンダーといったプレステの独自タイトル・独自シリーズの傍ら、ファイナルファンタジータクティクスやサガフロンティアなど、SFC時代からの看板を生かしたタイトルも、スクウェアは縦横無尽にリリースしていきました。

プレステ時代のスクウェアは、今の印象以上に「RPGのスクウェア」として認知されていた、ような気がします。しかし、実際にプレステのスクウェアタイトルを見ていると、ジャンルは意外な程多様性に富んでいます。トバル、牌神、ブシブレ、アインハンダー、パワーステークス、フロントミッション、双界儀。もちろんエアガイツも、武蔵伝だってスクウェアです。この中には結構な実験作も含まれています。

恐らくスーファミ時代よりもずっと、「プレステ時代のスクウェア」は冒険的だったのではないでしょうか。そこには、かつて「半熟英雄」や「アップルタウン物語」や「磁界少年メットマグ」を世に送り出した、いわばスクウェアの挑戦的なDNAの存在があったような、そんな気がします。


そんな中。レーシングラグーンの少しあと、デュープリズムの少し前に、プレステで初めて「聖剣伝説」のシリーズタイトルを冠したゲームが生まれました。


「聖剣伝説 LEGEND OF MANA」。RPG。1999年7月15日、スクウェアから発売。ゲームボーイに誕生し、SFCで人気を不動のものとした聖剣伝説シリーズの、待望を一身に集めた続編でありながら、その凄まじいまでの詰め込み具合と新機軸は、シリーズファンの度肝を抜くに十分過ぎる程でした。


ゲームの詳細については、Wikipediaをご参照ください。

Wikipedia:聖剣伝説 LEGEND OF MANA

こちらでは、ゲームのオープニングを参照することが出来ます。プレイシーンもちょっと出てきますが、なによりパステル調の美しい、美しすぎる背景グラフィックが一見の価値ありです。




さて、ゲームの話をしましょう。


そこにあったのは、ただひたすらの「ものすごい詰め込み」

およそありとあらゆるスクウェアのゲームの中でも、「詰め込み過ぎ」という点ではトップクラス、いや下手すると現在でもトップに君臨しているゲームなんじゃないかと思います。正直好みも分かれます。


かつて、「聖剣伝説2」や「聖剣伝説3」は、キャラクターが織りなすドラマと、若干のアクション性と、遊びやすさを絶妙に融合させた文句なしの名作タイトルでした。時折バグこそあるものの、FFとはまた違った味わいのその完成度は、今でも見劣りのするものではありません。

一方、聖剣伝説 LEGEND OF MANA(以下LOM)は、決して遊びやすいタイトルではありません。というか率直に言って、ライトゲーマーの方には攻略本なしだと結構わけわかんねえというレベルの内容だと思います。その意味で、このゲームは聖剣というよりはむしろサガシリーズに近いです。


一つには、このゲームがあまりにも「広過ぎる」という点があると思います。


LOMは、一人の青年(ないし少女)が、マイホームのベッドで夢から覚めるところから始まります。暖かく居心地のよさそうな(またこのグラフィックが素晴らしいの一言)家を出ると、マイホームの前にたたずんでいる、植物と人の間の生き物のような不思議な存在、「草人」。その草人から手渡される、「積み木の町」という「アーティファクト」。


「世界は、みるひとのイメージでかわるんだって。知ってた?」


まず、このゲームの第一の要素が「ランドメイク」システムです。白地図のような何もない世界に、自分で町やダンジョンを配置していく。そして、その町やダンジョンで起きるイベントを探しまわって、様々な条件を満たして、新しいアーティファクト(町やダンジョンを作る為のアイテム)を手に入れる。この繰り返しで、徐々に地図とイベント記録が埋まっていく。その感覚は、まるでイベントの宝探しです。

このゲームにおいて、プレイヤーは「能動的にいろんな場所を探し回って、いろんな条件を満たして自分でイベントを発掘する」という行動を求められるのですが、まずはここがノーヒントだと結構厳しい。最初の内こそ、町中で人に話しかけていれば勝手にイベントが始まるのですが、中盤以降世界が広くなるにつれて、どこの町に行って誰に話しかければ新しい展開が発生するのか、結構根をつめて探し回らないといけなくなってきます(わかりやすい奴もあるのですが)。


一方、このゲームの戦闘は、11種の武器ごとに操作性が変わる、ベルトスクロールのようなアクションです。ボタンとキーの組み合わせで様々な連続技が出来たり、ヒット&アウェイを狙ったり、逆に一気にラッシュをかけて相手を気絶させたりと、格闘ゲームのような要素を意識しているように見受けられる部分も結構あります。慣れてくると爽快感があるのですが、コツがつかめるまでは右往左往することになるかもしれません。

ダンジョン攻略やボス戦も決して難易度が低くはなく、後述する武器作成に手を出していない場合には、かなり苦労する場面もあります。特によくあがる名前が凶悪ボスの一角ラ・バン、ダンジョンとしては難関焔城。ダンジョンについていえば、テレポートのような手段が基本存在しない(固有の仕掛けとしてテレポート手段が存在するマップもある)為、行ったりきたりが面倒くさいという声もありました。


武器作成や必殺技を覚えるシステム(特定の特技をつけてひたすら戦闘回数をこなす)、ペット育成や楽器作成、ロボット作成のような寄り道も含めて、このゲーム、「深過ぎて面倒くさい」要素はかなり多いんですよね。この辺り、攻略的にはかなりシンプルだった旧聖剣シリーズファンの中で、LOMに対する好みがわかれる理由にもなっていると思います。


ここで、ある程度LOMの雰囲気や世界観が好みでないと、先を進めるのが苦しくなってしまったという人もいたでしょう。


が。「雰囲気や世界観」という部分がポイントになった時、LOMは、一部のゲーマーにとって凶悪無比な魅力を発揮し始めます。



あなたが、ボクらを好きな時、ボクらもあなたが好き。


真珠姫かわいい。(真顔で)


LOMには、三本の「シナリオの柱」とでもいうべきメインストーリーがあります。

一つは、宝石が人の姿をとった「珠魅(じゅみ)」という種族、その中の二人「瑠璃」と「真珠姫」を中心として織りなされる、「宝石泥棒編」。

一つは、エスカデ・ダナエ・マチルダ・アーウィンの、4人の幼馴染のちょっとした人間関係が、世界を揺るがす大事件に発展していく「エスカデ編」。

一つは、巨竜ティアマットと白竜ヴァディスに使える二人のドラグーン、ラルクとシエラを中心に進む、「ドラゴンキラー編」。


このメインストーリー、どれを進めても最終イベントまでたどり着けるのですが、これ意外にも山ほどのサブストーリー、そしてそれらを彩るキャラクター達がいます。

まずは、これら数々のストーリー群に出てくるキャラクター達と、彼ら・彼女らのセリフが、ツボにはまるともう底なし沼のように魅力的なのです。


例えば、月夜の町ロアで年中飲んだくれているアナグマの面々。

「ぐま!」


例えば、セイウチのバーンズが率いる海賊船バルドと、ダジャレ好きの海賊ペンギンたち。

「風がなければ船は進まん。 しかし、風の無い時こそ風に感謝する。 これが本当の海の男だ。」


例えば、世界全体のバックボーンストーリーの中核にいる、「マナの七賢人」の面々。

「見るのは未来だけでいい。罪の意識は、君を記憶の檻に閉ざし、鍵を開ける。鍵を開けて。自分自身を許せない人が、誰を許せると言うの?」


例えば、あちらこちらの町でぶらぶらしているだけのように見えて、実はメインストーリーの一番重要なところに鎮座している草人たち。

「ほしのかずをね かぞえてるのもね すきだな」「けっこうね、ほしってね たくさんあるっぽいよね」


例えば、相変わらずろくなことをしないろくでなしだけど妙に憎めない、シリーズ恒例の猫商人ニキータ。

「よき出会い! よきわかれ! 人生エンジョイするにゃ!」


例えば、当初世界征服を狙って町の一角にカボチャを繁殖させる、双子のちびっこ魔導士バドとコロナ、そして彼らが出身とする魔法都市ジオの面々。

「たいへんなのです!」「困ってるのです!」「とんでもないことです!」「一大事です!」


例えば、普段はマイホームの植木鉢に入ってじっとしているだけだけど、時には主人公の土産話を日記に書き綴ったり、時にはバドのほうきを探して大冒険する、いわば主人公の相棒「サボテン」。

「かかわっても かかわっても かやのそと」


その他その他その他その他、とにかくキャラクターは多すぎて到底書ききれないのですが、それら魅力的なキャラクター群が、時にはお互い関わり、時には一人で勝手なことをしている様は、群像劇などという一言では括れない光景です。


個人的に特に気に入っているのは、勿論メインストーリーの中でも最も完成度が高いといわれる宝石泥棒編の珠魅の面々と、魔法都市ジオの学生連中。ジオの学生を授業ボイコットから引き戻す「ギルバート・愛の出席簿」なんかでは、バドやコロナを連れてジオをうろついて、いろんな学生と話しているだけでも十分楽しいです。

一方、七賢人の言葉はどれも含蓄にあふれていてすごいのですが、特に「語り部のポキール」の言葉なんかは印象的なものが非常に多いです。

「つまるところキミは、闇を憎まなくていい。それだけがわかればいい。」
「人の愚かさばかり見る、キミの生き様に光明はあったかい?」
「キミに全てをまかせる。 しいて言うならば、それがボクの力だ。」


一方、七賢人は割とギャグもこなす人たちなのであって、鍛冶屋のワッツとのエピソードやガイアと真珠姫の会話なんかもなかなか楽しいです。オールボンの「シリアスも行き過ぎればギャグになるぞ」は、エスカデ相手ということもあって名言中の名言。


そして、それらキャラクターたちを隙なく彩っているのが、水彩画のような素晴らしいグラフィック群と、言葉を失う程に完成度の高いBGMの数々。私、数あるスクウェアRPGの中でも聖剣シリーズの曲は群を抜いて大好きなのですが、その一角で大きな存在感を占めているのがLOMです。

いうまでもないドミナの町や、オープニングの尋常じゃない清涼感を皮切りに、リュオン街道、月夜の町ロア、魔法都市ジオ、港町ポルポタや各ボス戦に至るまで、聞きごたえのない曲が一曲たりとも混ざっていないことは断言します。

特に、珠魅たちの都市である「煌きの都市」なんかは、一応ストーリー上ラストダンジョンにあたる筈なのに、ピアノを基調とした余りにも静かで寂寞感のあるBGMで、静かに聴きいっているだけで胸にじわっとくる名曲です。


そして、なんといっても、エンディングで流れる最後のボーカル曲「Song of mana」。町々をめぐるニキータと、草人たちの台詞をバックに流れ始めるSong of manaの晴れやかさは、何をおいても一聴の価値があると言っていいと思います。




ところでディオールチャートが長すぎるんですが。

話は変わりますが、このゲームの「武器作成」という仕組みは凶悪の一言ですべてを言い表せるものでして、とんでもなく奥が深いんですがとんでもなく大変だしとんでもなく面倒くさいです。

このゲーム、普段「使う」対象としてのアイテムが実はほとんど出てきませんで、武器防具以外のアイテムはほぼ全部が合成素材という、RPG全体を見ても割と珍しい陣容になっています。

もとになる素材に対して、順番に合成素材を使っていくことで、様々な特殊効果が発現したり、どんどん武器が強くなっていったりするのですが、とにかくこれが下準備から実行から、滅茶苦茶深くて滅茶苦茶時間を食います。

解説してくださっているページから、一部を引用してみます。略語がたくさん使われてますが、余り気にせず「そーゆーものだ」と思ってください。

引用元:M.T.R.聖剣伝説LEGEND OF MANA様

A : 0-0-9-0-0-0-0-0
  ・ 輝きx5>イオウx2>輝きx2
B : 0-0-9-6-0-0-0-0
  ・ >輝き>アウラx2>輝きx2
C : 0-0-9-6-7-0-0-0
  ・ >サラマx2>イオウ>輝き>イオウ>火マナ
D : 0-6-9-6-7-0-0-0
  ・ >輝きx2>シェイドx2>輝きx2
E : 6-6-9-6-7-0-0-0
  ・ >ウィスプx2>輝きx2
F : 6-6-9-6-7-0-8-0
  ・ >ジンx2>水銀>輝き>水銀>風マナ
G : 6-6-9-6-7-6-8-0
  ・ >輝き>カオス>ノームx2>イオウ>輝き
H : 6-6-9-6-7-6-8-6
  ・ >カオス>ウンディx2>水銀>輝き
これ、「輝き」とか「イオウ」とか書いてあるのが一回一回使う合成素材なんですが、一回使うごとに「カン、カン、カン」と金槌をたたいて10秒くらいはかかります。で、これ、基本というか、チャートの途中です。まだこれでも全然最強武器の部類には届きません。これだけのアイテムをそろえるだけでも偉い手間なのに、アイテム揃えてからある程度鍛えるまで数時間かかります。
 
今でこそ、MMORPGなんかで強力武器を手に入れるまでに手間がかかることは珍しくありませんが、PS時代当時、一人用のRPGでこれをやってしまうスクウェアには正直絶句する他ありません。

「アルティマニア」なんか読みながらやると楽しいことは凄く楽しいので、ついつい時間を使ってしまう武器作成なんですが、余りにも理論が複雑過ぎてとてもライトゲーマーがついていけるようなシステムではありません。詳細は是非上記リンク先様などで参照してみてください。



さて、大概長くなりました。

この記事を一言でまとめると、内容は

LOMはとんでもなく面白いし音楽超いいので遊んだことない人は是非遊んでみてください(あと真珠姫かわいい)

ということだけであって、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。

今日はこの辺で。

posted by しんざき at 00:58 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月23日

レトロゲーム万里を往く その126 ミネルバトンサーガ


ファミコンにおける「RPG」って何だったんでしょう、という、結構大きな話から始まるわけです。



もちろん、コンピューターゲームにおける「RPG」とは、当初は「D&Dをコンピューターの世界に持ち込んだもの」でした。最初、メインフレームで動いていた幾つかのダンジョン型ゲームは、やがて「Ultima」や「Wizardry」「Rogue」になって世界中のパソコンユーザーたちに知れ渡るようになりました。

そして、それらのゲームは海を越えて、日本では「ダンジョン」や「ぱのらま島」、「ドラゴンスレイヤー」、あるいは「ハイドライド」、「ザ・ブラックオニキス」「夢幻の心臓」といった、数々の国産パソコンゲームタイトル名作群に姿を変えました。


この頃、こういったパソコンRPGの流れを熟知していたであろうファミコンゲームの開発者たちが、RPGをファミコンの世界に持ち込む時、どういうことを考えていたのかなあ、などと私は想像します。


一番最初にきたのは、「ちびっこも含めたファミコンユーザーに分かり易い形で、RPGという新しい世界を知ってもらおう!」というものだった筈です。そこから考えると、アクションゲーム花盛りだった1986年、最初に出現したのが「パソコンのRPGを下敷きにした、アクション寄りRPG」だったのは当然のことと言えるでしょう。ゼルダの伝説はある程度「ハイドライド」や「ザナドゥ」を意識していた筈ですし、ハイドライド・スペシャルは「ハイドライド」を若干マイルドにした移植作です。数か月遅れた「ワルキューレの冒険」は、そこにぐっと「奥行」というか、色んな要素を加えたタイトルになっていました。


そして、おそらくは「夢幻の心臓II」を意識していたであろう「ドラゴンクエスト」と、その半年余り後に発売された「ドラゴンクエストII」が、ファミコン業界における「物語を語るRPG」のスタンダードになったことは疑いないでしょう。この後しばらく、ファミコンにおけるRPGの世界は、言ってみれば「どこまでドラクエで、どこからドラクエでないか」という視線と戦うことになりました。

1987年に発売されたRPGが、「ドラクエとどう差別化するか」ということを考えながらデザインされたことは想像に難くありません。例えばヘラクレスの栄光。例えばゾイド。例えばインドラの光。例えば桃太郎伝説。どれもこれもそれぞれに、「ここがドラクエと違うんだ!!」というアピールポイントを持ったタイトルたちでした。

私が考える「ファミコンRPGのキーワード」は、「試みの歴史」です。

スタート地点にあった数々の名作を、どんな試みで超克し、どんな試みを後につなげるか。RPGという物凄く広いフィールドに、限られたハードウェア性能を使って、一対何を埋め尽くすのか。そんな「試み」が繰り返し繰り返しユーザーに提示されたのが、ファミコンRPGの歴史だったのではないかと、私は思うのです。



そんな中そのゲームは、「未来神話ジャーヴァス」で微妙にRPGの潮流に乗り遅れた感があった、アーケードの雄タイトーから発売されました。


それは、数あるファミコンRPGの中でも有数の、「出会いと別れ」の物語。



ミネルバトンサーガ。RPG。1987年10月23日、タイトーから発売。

ジャーヴァスに続くバッテリーバックアップシステムを始め、数々の新機軸をファミコンRPGに持ち込み、その高い完成度は当時から一部ファミコンゲーマーの定評を受けていました。当時、ドラクエシリーズや桃太郎伝説などの影に隠れてしまった感は正直否めませんが、米田仁士先生の溜息が出るほど美しいパッケージイラストを始め、新旧RPGゲーマーにアピールする魅力を、そのタイトルは十分に発していました。



ゲームの背景など、詳細はWikipediaに記載されています。

Wikipedia:ミネルバトンサーガ ラゴンの復活

「ゲームのせつめいしょ」様では、説明書の内容をそのまま参照出来ます。

ゲームのせつめいしょ:ミネルバトンサーガ ラゴンの復活


動画はyoutubeから参照出来ます。後述しますが、BGMほんとーーーーに素晴らしいので、フィールドの曲だけでも聴いてみてください。



さて、ゲームの話をしましょう。


・そこにあったのは、度胆をぬく程の「新機軸」の数々。

まず特筆すべきなのは、ミネルバトンサーガの「オーパーツ」と称してもまったく違和感のない、凄まじいまでの新機軸の数々です。


ミネルバトンサーガは、ゲームの種類としては、ドラクエなどと同じ「2D見下ろし型RPG」ということになります。ゲームを初めてすぐの印象としては、ドラクエやFFとそれ程異なるところがないでしょう。

が、プレイヤーはすぐに、ミネルバトンサーガに込められた「工夫」の圧倒的な物量に気付かされることになります。


・魔法・飛び道具などの戦術次第で格上の敵も倒すことが出来る、シンプルでありながら奥が深い2Dアクション型の戦闘シーン(ここだけハイドライドっぽい)
・ラスボスを含め、どんな敵からでも100%逃げることが出来るという大胆なバランス設定
・個別にストーリーを持ち、くるくると出会い・別れを繰り返しながら入れ替わる仲間たち
・仲間たちは、ドラクエのような大名行列形式ではなく、フィールド上を自然に歩く(障害物は勝手に避ける)
・街道の上を歩くと敵が出てこない(例外もある)
・育成ゲームとしての楽しみも見せてくれる傭兵システムと、傭兵たちの階級
・傭兵は、この時期に既にオートAIを実装しており勝手に動く
・ゲームの進行具合に応じて、細かく変化する街の人々のセリフ
・当時はまだ数少なかったバッテリーバックアップ方式
・何故か敵とも会話が出来る戦闘中会話システム(それ程意味はない)
・船のグラフィックが大きい



繰り返しますが、このゲームが出たの、1987年の10月です。ドラクエIIのわずか8か月後。まだファミコンRPG全体の歴史としても黎明期というべき時期に、ここまでの工夫を詰め込んだタイトルは他にちょっと見当たりません。


個人的に、特に印象深いのは傭兵システムです。このゲーム、ストーリー上の仲間のレべルは基本的に上がらないので、育てることが出来るのは基本傭兵のみです。そして、傭兵一人一人にも「ルトナ」とか「キース」とか名前がありまして、育ってきて称号も上がると結構愛着がわくんですよね。

しかし。傭兵はある程度かしこいとはいえ、当然自分では操作出来ないので、油断すると案外さくっと死にます。そして死ぬと復活出来ず、「ユラトぉぉぉぉっ!!」とか絶叫することになる訳です。手塩にかけて育てた傭兵が、ひかせ際を誤ってあえなく敵に敗れた時の喪失感は、Wizardryのロストにも匹敵するものがあります。

一方、戦闘バランスは結構独特で、弾数制限がある(弾は街で購入できる)飛び道具を上手く駆使すれば、序盤でもかなり格上のキャラに勝つことが出来ます。これを利用した稼ぎテクなども存在しまして、序盤に戦えるシープヘッドを倒しまくると大量に経験値が稼げたりするんですが、そうしなくてもレベルは割とさくさく上がる親切仕様です。これで経験値稼ぎの楽しさを覚えたちびっこたちもいたのではないかと。

とはいえ、どれだけレベルを上げても、最終ダンジョンは割と地獄仕様でして、かなりの苦労を強いられることになります。機会があれば是非攻略をば。


くるくると入れ替わる仲間たちにも一人一人きちんとドラマがあり、台詞があり、出会いと別れがあります。この辺の見せ方、プレイヤーに対する「別れ」の提示というものが、このゲームはほんとーーーに真に迫っており、新たなキャラクターと出会った喜び、前のキャラクターと別れる寂しさを、非常に丁寧にプレイヤーに提示してくれます。私が、ミネルバトンサーガを「出会いと別れのRPG」と呼ぶ所以です。

街の人達を含め、ちょこちょこと変化しながらプレイヤーに提示されるメッセージの数々は、「自分は本当にこの世界を旅しているんだ」という臨場感を感じさせてくれること大でした。個人的にはジノーとかいい味出してたと思います。



・美麗なグラフィックと、神曲以外存在しないBGM。

ところで、上でも書きましたが、ミネルバトンサーガには神曲以外存在しません。断言します。

私が特に好きなのはフィールドのBGMとED・スタッフロールのBGMでして、とりわけスタッフロールのBGMについては、ラスボスを倒して平和な世界を廻った時のメロディラインそのままに、軽快さと透明感と重層な展開という、一見矛盾しているように見える要素を見事に並び立てている素晴らしい名曲です。

出来れば、ご自分でラゴンをしばき倒してからどっぷり聴かれるのをお勧めしたいところなのですが、忙しい方はyoutubeで検索してでも一聴されるとよろしいのではないかと思います。


ともあれ、ミネルバトンサーガのもう一つの凄さは、やはりなんといっても「世界の見せ方」なんですよね。

例えば、ストーリーの進み具合によって、同じ街でも聞ける噂話が変わったり。

例えば、色んな街の吟遊詩人から、その地に伝わる伝承を聞くことが出来たり。

例えば、説明書にアイテムの原料やの作り方が細かく書いてあったり。

例えば、製品への添付で世界地図を観ることが出来たり。


上記の美しいBGMや、細かく書きこまれたグラフィックも含めて、ミネルバトンサーガの世界観演出はとにかく徹底しています。ゲームの中にも外にも、南オフェーリアという世界がどんな場所なのか、プレイヤーに伝えようとする要素が山積みです。この辺りは、後のTAITOシューの世界観の組み立てにも通ずる部分があるような気がします。


と。長々書いて参りましたが、私の中では「メタルマックス」「サンサーラ・ナーガ」と並ぶ、ファミコンRPGの中でも屈指の名作が「ミネルバトン・サーガ」です。どうもまだバーチャルコンソールでも配信されていないようなのですが、機会あれば是非とも遊んでみることをお勧め致します。


今日書きたいことはこれくらいです。


posted by しんざき at 19:34 | Comment(1) | TrackBack(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月14日

レトロゲーム万里を往く その125 バルーンファイト


ファミコンで「ドッグファイト」を表現した、最初のゲームなんじゃないか、と私は思うのです。




1983年〜1985年あたりのファミコン市場は、一言で言ってしまうと「任天堂と愉快な仲間たち」が形成していました。ファミコン最初期の任天堂タイトルが、一から十まで一作も漏らさず佳作・名作揃いだったこと。それ抜きで、後のファミコンの隆盛はありませんでした。

前にも書いたことがありますが、1984年後期から1985年初めくらいのファミコンゲーム発売タイトルをざっと見た時、「当時の任天堂のスタッフが全員妖怪だった」という以外の結論を導出することは極めて困難です。

1984年11月2日 F1レース、同11月2日4人打ち麻雀、11月14日アーバンチャンピオン、11月22日クルクルランド、11月30日エキサイトバイク、85年に入って1月22日バルーンファイト、1月30日アイスクライマー。一本のゲームが数人、場合によっては一人で開発される時代だった、ということを考慮に入れても、一体どんな加速装置を使えばこうなるのかとしか言えない凄まじい過密スケジュールであることは議論を俟たないでしょう。当時の任天堂にはドラえもんでも実装されていたんでしょうか。


この傍ら開発がすすめられていたと考えられる、「ファミリーベーシックV3」は2月21日に発売されています。その後の、4月9日サッカー、6月18日レッキングクルー、6月21日スパルタンX、というスケジュールも今から見れば十二分に頭おかしいのですが、それでも1984年11月の妖怪スケジュールに比べれば、まだなんぼか納得感があると言っていいと思います。


強調しておきたいのは、ここで挙げたタイトルの中に、「面白くないゲーム」というものが一本たりとも含まれていないことです。F1レースは当時の基準からすれば常識外れのド迫力でしたし、4人打ち麻雀はお父さんたちの腰をファミコン前に落ち着けるのに一役買いました。アーバンチャンピオンは「対戦格闘」というもののルーツの一端を担っていますし、クルクルランドの宝探し感は鮮烈でした。「横スクロールジャンプアクション」に近いゲームを実現したエキサイトバイクは爽快感に溢れていましたし、アイスクライマーのポポとナナのジャンプ力は「お前らなんでオリンピック出ないの?」というレベルでした。



そして、そんな中に、佳作軍団の中でもひときわ輝く一作として、バルーンファイトがありました。



バルーンファイト。アクションゲーム。1985年1月22日、今日から数えて11131日前に、任天堂からファミコンで発売。元々はアタリの「ジャウスト」を移植しようとしていたところ、権利関係の問題でお蔵入りになり、坂本賀勇氏、横井軍平氏、岩田聡氏、田中宏和氏の4人で大幅なアレンジを加えて本作が誕生した、という逸話が知られています。私はファミコン版、アーケード版、それぞれの「ジャウスト」も遊んだことがあるのですが、後述する複数の理由から、「元ネタを遥かに超えたアレンジ作」になっていると言っていいのではないかと私は思います。



さて、ゲームの話をしましょう。


・何故なら、そこに「Aボタン」と「Bボタン」があったから。


ゲームシステムというのは、開発者の思想です。とりわけ「操作系」というのは、「このゲームをどう遊んで欲しいか」という、開発者の思想が如実に現れる部分です。

バルーンファイトに現れている開発者の思想というのは、私が考える限り、多分「メリハリ」だと思います。


キーワードは二つあります。「操作のメリハリ」と、「上下のメリハリ」


上記動画を見ていただければ一目瞭然ではありますが、バルーンファイトは、空を飛んで敵の風船を割っていくゲームです。プレイヤーは、風船を担いだ主人公キャラクターを縦横無尽に操って、あちこちを飛び回る敵の上をとり、敵の風船を割っていきます。


元ねたの「ジャウスト」と違って、バルーンファイトには二つのボタン操作があります。

Aボタンが、ゆっくりとしたパタパタ羽ばたき。Aボタンを押すと、プレイヤーは一瞬手を動かしてちょっとだけ浮き上がり、その後すぐ下降を始めます。

Bボタンが、高速のバタバタ羽ばたき。Bボタンを押していると、プレイヤーは水面下の白鳥かよって勢いで物凄くバタバタと手を動かし、上方向に高速のベクトルを持ちます。


まず、この二つのボタンが生み出している「操作のメリハリ」こそが、バルーンファイトというゲームのひとつの重要なエッセンスなのです。


バルーンファイトは、要所要所でかなり細かい操作を必要とされます。細かい地形を交わしたりとか。雷と敵に挟まれたところから脱出したりとか。バルーントリップでは何をかいわんやです。

一方、バルーンファイトでは要所要所で非常にすばやい動きを必要とされます。高い位置を急いで確保して、敵の頭上を取ったりだとか。逆に、敵に頭上をとられた場面から急いで逃げ出したりであるとか。


この時、単に「飛ぶボタンを押したり離したりして調節してね!」ではなく、「AボタンとBボタンを使い分けて、上手いことプレイヤーをコントロールしてね!」というのが、ひっじょーーーーーに明確な「プレイヤーへのメッセージ」でした。

バルーンファイトのキャラクターは、ふわふわとした非常に独特な浮遊感をプレイヤーに提供してくれます。羽ばたけばふわっと上に上がるし、ボタンを離せばすーっと下に落ちていく。その浮遊感に、上記の「メリハリのきいたボタン操作」が合わさった時、何が起きたかというと。


バルーンファイトは、プレイヤーに「俺上手くなってる感」を物凄いクオリティで提供してくれたのです。


AボタンとBボタンの使い分け。微妙な速度操作と浮遊感の制御に慣れた時、プレイヤーは縦横無尽に画面内を駆け回る自分の操作キャラクターの姿に気がつきます。次から次へと、思い通りにばちんばちん敵の風船を割っていく姿は、まさにエースパイロット。2P対戦(本来は協力プレイなわけですが)という要素も合わさり、戦闘機ごっこもかくや、といわんばかりの空中戦がそこにはありました。

この、「ボタンを使い分けて、上手く操作してる感」というものを味わうには、ボタン一つではそれなりの高さの壁があります。ボタン二つだからこそ実現できた楽しさが、そこにはあったのです。

プレイヤーキャラクターに風船が二つあって、風船が一つ割れてもまだ飛び続けることが出来る、という点で、学習機会が多かったという点もあるのでしょう。プレイヤーは、「今、自分の飛び方のどこが悪かったのか」というのを頻繁に学習しつつ、独特な浮遊感を我が物にしていくことになります。


一方。バルーンファイトには、「上下のメリハリ」というものもありました。


バルーンファイトの敵のアルゴリズムはひっじょーーによく出来ていて、三段階のレベルに分かれた敵キャラクターが、それぞれ実に自由に画面を飛び回ります。レベル1の敵キャラはまだもたもたとしているのですが、レベル3ともなると非常にすばやい動きでこちらの上空をとろうとしてきます。

敵に上を取られた状況というのは非常に危険なので、プレイヤーは出来る限り画面の上方を確保しなくてはいけません。ですが、Bボタンを押しっぱなしだと画面の天井でがくんがくん跳ね返されて却って危険ですし、雷が飛んでくる危険もあります。

そこで、プレイヤーは様々な手段を使って、「自分の上」を守りつつ、「自分の下」に敵を位置づけようとするわけです。例えば、地形を使って敵をおびきよせようとしたり、であるとか。例えば、Aボタンを駆使してはじかれない程度に天井に張り付いたりであるとか。

「ボタンを離すとどんどん下に落ちる」という要素もあり、Aボタン、Bボタンと密接に結びついた「上下の取り合い」は、擬似的な「敵との駆け引き」とでもいうべき要素をバルーンファイトに導入しました。2P対戦ともなれば一層その要素が顕著になり、プレイヤーは「一人のエースパイロット」として、対戦相手と熾烈な格闘戦を繰り広げることになります。私が、バルーンファイトを「ファミコン史上初のドッグファイト」と考える所以です。


AボタンとBボタン。一見ほんの小さなことですが、絶妙な操作感とあいまって、この要素がバルーンファイトを名作にしている、と私は思います。



・お魚さんの超絶食欲について。

敵をパラシュートのまま放置して海に落っことす、という遊びは当時誰しもがやったのではないかと思うわけですが。

上記、敵とのドッグファイトをメインとするAモード・Bモードの他に、バルーンファイトにはもう一つ遊び方がありました。そう、「Cモード」こと「バルーントリップ」です。



「バルーントリップ」では、敵キャラクターが出てきません。軽快なBGMの中、プレイヤーは一面の雷雲をもぐりぬけて、風船を割りつつひたすら進み続けることになります。固定画面型アクションゲームであるバルーンファイトで、唯一画面がスクロールするゲームモードです。

こちらも、上記の「AボタンとBボタン」を縦横無尽に使い分けながら、時にはすばやく、時には繊細な操作で障害物を交わしていくのがメインのゲームなわけですが、プレイヤーは基本雷に接触するか海に落っこちるか以外にゲームを終える選択肢がないわけで、冷静に考えるとすっげえ悲壮な状況だと思います。未帰還ミッションですよ未帰還ミッション。気分はエリア88のファイナルフライト。かなしい。


これ以外にも、プレイヤーが海すれすれを飛んでいるとたまに魚がぐわっと下から出てくるところ、ギリギリのところで捕食を免れる「川のぬし釣り」であるとか、パラシュートの敵に基本とどめをさしてはならず、全て海におっことして魚に食べさせなくてはいけない「アクアノートの休日」であるとか、通のバルーンファイターの中では様々な特殊プレイ形態が認定されています。嘘ですが。「プレイヤーの工夫次第で色々な遊び方が出来る」というのも、バルーンファイトというゲームの懐の深さを示す一端であるといえるでしょう。


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皆さんよくご存知の通り。

「バルーンファイト」が世に送り出されてから30年後の今年、バルーンファイトを作った一人の巨匠が世を去りました。

バルーンファイトを遊びながら、開発者の意図をあれこれ妄想する程度しか能がない私ではありますが、岩田氏が作った数々のゲームを、またそれ以外の膨大なゲームを、これからも変わらず遊び続けることで、ささやかな哀悼の意に換えたい、と、そんな風に考えるわけなのです。




以下は関連エントリー。
今まで一度も「ファミコン」を遊んだことがない人に、今だからこそ薦める10作
以下は関連してるんだかしてないんだかよく分からないエントリー。
撃墜王の一夜
posted by しんざき at 00:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月08日

今まで一度も「ファミコン」を遊んだことがない人に、今だからこそ薦める10作


ちょっとTwitterで話題になったので書いてみました。

対象となる人:PS3やWiiUくらいから家庭用ゲームに入った人、あるいはブラウザゲーム畑の人で、バーチャルコンソール含めファミコンのゲームやレトロアーケードゲームに触ったことがない人

選考基準1:俺の趣味
選考基準2:特にファミコンの作法や背景を知らなくても楽しめる
選考基準3:最近のハードで直系の続編、ないしシリーズ作が発売されていない(長寿シリーズ化していない)
選考基準4:1メーカーにつき一タイトル
選考基準5:最近のハードで出ていないものなら別に移植ものでも良い


上記くらいを条件とします。

なるべく「ファミコン時代ならでは」で「色んなメーカー」のタイトルを選ぶのが楽しそうだなー、と思う訳です。一方、最近でもシリーズが現役なゲームは、当然昔のタイトルが知られる機会も多かろう、ということで基本外しております。

その為、例えばFFとかマリオとかDQとかゼルダとかFEとか悪魔城とか、現在でも一線級のシリーズタイトルは外れます。好きだけど。当然女神転生も外れますし、くにおくんもPS3で出てるんで外れますし、悲しいことにメタルマックスまで外れます。

ただし、第一条件は飽くまで俺の趣味なのでそこまで深くは考えてません。

そんなもんリストアップしてもどうやって遊ぶん?と言われると困りますが、秋葉原にダッシュしてスーパーポテト辺りでニューファミコンと中古ソフト買うなり、バーチャルコンソールで遊ぶなりするのが良いのではないかと思います。


ということで、以下はしんざきセレクション、「初めてのファミコンゲーマーにおすすめのタイトル10選」。


以下、一作一作の解説に移ります。長文です。


○迷宮組曲(1986/11/13・ハドソン)

恐らく、ファミコンの数あるタイトルの中でも、トップレベルの「今でも遊べる名作アクションゲーム」だと私は考えています。スーパーマリオブラザーズ3と並ぶ、と言ってしまうと言い過ぎでしょうか。



名作アクションゲームの要件って、

・操作が直感的で敷居が低いこと
・操作していて楽しい、気持ちがいいと感じられること
・上達を実感しやすいこと

辺りかなーと思うんですけれど、迷宮組曲はこの三要件を完全に満たしています。Aボタン、Bボタン、それぞれを押した時のレスポンスで即座に操作方法が理解出来、ブロックを壊した時の効果音は気持ちよく、ジャンプの浮遊感はただそれだけで楽しく、階層が進むにつれて敵が強くなっていく度合はリーズナブルです。

それに加えて、「様々な宝探し的要素」「アイテムを集めて出来ることが増えていく楽しさ」「24時間聴いていても飽きないBGM」が無暗やたらとわくわく感を助長します。最近のアクションゲームに慣れた人であっても、アクションゲーム自体と縁遠い人であっても、迷宮組曲は自信を持ってお勧め出来るタイトルです。


○バトルシティー(ナムコ)

ナムコには勿論星の数程の名作ファミコンタイトルがある訳なんですが、敢えて「ファミコンならでは」を選ぶのならこれかなーと思いました。

何故かというとこのゲームは、ただの「名作」というだけではなく、「アーケード版のグラフィックを向上させて、数々の要素を追加した」移植作、言ってみればコンシューマーにおける「リメイク」の源流の一つだからです。(注:リメイク自体はロードランナーとかの方が早い)



バトルシティー、及びその原作であるタンクバタリアンは、ゲームとしては「インベーダー」や「ギャラクシアン」のような固定画面型STGの進化形として位置づけられるタイトルです。

インベーダーのような旧来型固定画面STGに対して、「守らなくてはいけない「基地」の存在」「自機は戦車であって、迷路上の画面内を上下左右に動きまわれる」「地形自体も破壊の対象となる」という要素を付け加えたのがタンクバタリアン。さらにパワーアップアイテムや2Pの協力・対戦要素、マップエディットまで付け加えられたのがファミコン版バトルシティーです。

当時、例えば「ゼビウス」にせよ「グラディウス」にせよ、アーケードからの移植作というものは、基本「限られた性能であるファミコンのカートリッジに、如何に演出や要素を節約してゲームを移植するか」という戦いを強いられていました。そんな中、「アーケードよりも明らかに進化している」というタイトルは、当時としてはかなりの少数派でした。

ナムコの数ある名移植作の中でも、一つのランドマークとなるタイトルと言えるでしょう。



○ハイドライドスペシャル(1986 東芝EMI・移植元はT&E SOFT)

「ゼルダの伝説」と並んでファミコンにおけるアクションRPGの源流の一つであり、ひいてはコンシューマー畑におけるRPGのルーツの一本として数えられるタイトルです。このちょっと後に「ドラゴンクエスト」や「ワルキューレの冒険」が発売されています。



ぷちぷちとスライムを潰してレベルを上げるという、いわば「経験値稼ぎ」という遊びの楽しさを、初めてファミコン小僧達に教えたタイトル、とも言えると思います。

ゲームとしても、勿論解かなくてはいけない謎、クリアしなくてはいけない障壁は幾つもあるのですが、操作も謎解きも比較的直観的であり、「レトロアクションRPG」の入口としては理想的なゲームの一つと言っていいかと思います。


○バルーンファイト(1985/01/22 任天堂)

任天堂のファミコンタイトルから一本を選ぶ」ということ自体がどう考えても無理ゲーなので自分の好みだけで決めてしまいます。言わずと知れた、バルーンファイトです。



空中を縦横無尽に飛び回れる浮遊感、敵の風船を割る爽快感に加えて、相手に上空をとられた時のスリル、雷や障害物などを絡めた上達曲線等、その良質なアクションゲームとしての出来は、元ネタとなった「ジャウスト」を凌駕していると思います。Cモードの「バルーントリップ」もハマリゲーです。

「アーバンチャンピオン」「クルクルランド」「アイスクライマー」辺りの同期組と並んで、「二人同時プレイでの協力・対戦」という要素を積極的に取り入れ始めた時代の作品でもあるでしょう。


○イー・アル・カンフー(1985/04/22 コナミ)

コナミからはイーアルカンフー。これもアーケード版からの移植作なんですが、ゼビウスのような性能縮退移植かと思ったら実は違った、という点を含め、これも色々な点で歴史的なタイトルだと思います。



アーケード版のイー・アル・カンフーは、勿論名作ではあるのですが、多彩な技や難易度を含め、「とっつきやすさ」という点では決して優れたゲームではなく、むしろ結構人を選ぶゲームでした。

それに対して、ファミコン版イー・アル・カンフーは、敵の数は少なければ技も少ないですが、それが逆に敷居を大幅に下げ、極めてとっつきやすいスルメゲーに大変身していました。

上記動画を見て頂けば分かる通り、ストIIのような「対戦格闘ゲーム」のフォーマットのかなりの部分がこの時点で完成していたこともあり、歴史的にも決して軽く扱っていいゲームではありません。このゲームの結実は、遠く「ファイティング武術」という形で3D格ゲー時代に還ってくることになります。

ちなみにしんざきは、どういう訳か今でも週に一回は必ずイーアルカンフーをやっています。殆ど習慣です。


○ジーザス 恐怖のバイオモンスター(1989/03/17 キングレコード・開発・移植元はエニックス)

アドベンチャーゲームから一つを挙げるとしたら、ということでSFAVGの金字塔、ジーザスをチョイス。



アドベンチャーゲームは、かつて「色んな単語をフリー入力して、正解単語を探す」というゲームから、「用意されたコマンドを色々試して展開を探る」というゲームに遷移した時代がありました。この「ジーザス」は、その「切り替わり」が完全に終わった後に産まれたゲーム、PC-88版の時点で既にコマンド選択型AVGだったタイトルです。

宇宙船という閉鎖空間を舞台に、サブタイトルにもなっている「モンスター」との戦いが繰り広げられるエイリアン型のストーリー。といってしまうと紋切型のシナリオのようですが、この頃顕著に上がってきていたグラフィック性能の影響もあり、魅力的なヒーロー・ヒロインが様々に活躍する、SFAVGの佳作が本タイトルです。

このゲームの試みは、遠く「メタルスレイダー・グローリー」で一つの到達点を見ることになります。



○ザナック(1986/11/28 コンパイル、元はMSX)

ファミコンからSTGを一作だけ挙げるとしたらほぼこれ以外の選択肢が存在しません。一択です。(三作なら、烈火とかオーバーホライゾンとかあるんですが・・・)



7種類の使い分けが可能で、しかもそれぞれに成長するパワーアップシステム。それに基づいた戦略性。スクロールの速さの緩急。処理落ちなど知ったことか、と言わんばかりの弾幕と弾避け、ボタン押しっぱなしでのソフト連射と撃ち込みの爽快感。それでいて、それら全ての要素を「ディスクの片面」という限定されまくった容量に圧縮している本作は、紛れもなく「奇跡のSTG」と断言してしまって問題ないでしょう。

BGMも爽快感が溢れており、その懐の深さは初心者から上級者までにそれぞれ違った楽しさを提供します。最近のシューティングゲームに慣れた方の審美眼にも、十分耐えるタイトルだと言えるでしょう。



○SDガンダム2 カプセル戦記(1989/03/03 バンダイ、開発元はヒューマン)

ファミコンにおけるバンダイの最高傑作、と言ってしまっていいと思います。



「SDガンダム」という素材を得ての、ガンダム版「大戦略」。しかし、「戦闘シーンをアクションゲームにした」という一点が、このゲームをFCバンダイの金字塔にしました。ゲームの基本的な部分はディスクシステムの「スクランブルウォーズ」で既に出来上がっていましたが、このゲームを「完成」させたのは間違いなくカプセル戦記でしょう。

様々なモビルスーツが縦横無尽に暴れまわるアクションシーンの、問答無用の説得力。このゲームで初めて「ガンダム」を知った、というファミコン小僧も多くいた筈です。ダブルゼータやνガンダムがいかに強力か、一方ザクやグフで大物食いを狙うのがいかに楽しいか、そんな「ガンダム」ならではの遊び方を教えてくれた本作は、コンシューマーのガンダムゲー全般を見渡しても一つの金字塔と言っていいと思います。

最近アクション系のSDガンダムゲーあまり見なくてさびしい。いや、Gジェネもいいんですけれど。


○ミネルバトンサーガ(1987/10/23 タイトー)

タイトーからはバブルボブルと散々迷いましたが、FCから正統派RPGを一つ上げるとしたら、という点を合わせてミネルバトンサーガです。



半アクションゲームとなる戦闘シーンだとか、既にAIが導入されている傭兵システムだとか、フィールドで地形に合わせて勝手に移動してくれる仲間たちだとか、当時の基準でこのゲームが革新的だった点は枚挙に暇がないのですが、やはり個人的には、何よりもそのBGMの素晴らしい透明感の印象が鮮烈です。フィールドBGM、オープニング、戦闘、ED、どれをとっても超絶完成度という他ありません。

後の「シルヴァ・サーガ」と併せて、その一種独特な世界観やストーリー展開についても一見の価値があります。


○キャプテン翼(1988/04/28 テクモ)

同じく「ソロモンの鍵」と散々迷ったのですが、「ファミコンならでは」というコンセプトでキャプ翼です。



ゲームとして完成しているのは「2」なのですが、初代キャプテン翼の衝撃度、「サッカーをこんな形で遊ばせるのか…!」というその新鮮過ぎた戦慄は、多くのファミコン小僧たちの共通体験になっているかと思います。

サッカーという題材を、「シミュレーションRPG」とでもいうべきシステムに落とし込み、必殺シュートに様々なビジュアルをくっつけた、当時のテクモの選択にはもはや感嘆する他ありません。「キャプテン翼」という題材を縦横無尽に使い切った、そのタイトルは今でも十二分に遊ぶ価値があります。



ということで、偉い長文になりました。

上記に挙げたタイトルに限らず、ファミコンには今でも楽しめるタイトルが山のようにあります。「まだファミコンを遊んだことがない」という皆さまは、一見チープなグラフィックを忌避せず、是非ともファミコンワールドに足を踏み入れて頂ければと思います。


posted by しんざき at 20:30 | Comment(23) | TrackBack(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月25日

皆はもっと赤勲章の恩義を忘れずに大切に扱ってあげるべき


何を言っているかよく、というかさっぱり分からないと思いますが、「ダライアス外伝」、通称ダラ外の話です。比較的どうでもいい話なのでそのつもりで読んでください。


ダライアス外伝は、タイトーから発売された、魚介類がボスであることが特徴である超名作横シューです。

敵を撃った時の爽快感、弾除けの歯ごたえ、画面の美麗さ、上達による達成感、素晴らしいBGM、パターン化の奥深さ、得点稼ぎの満足感と、およそありとあらゆるSTGの「面白さ」を凝縮した宝石のような名タイトルだと私は考えておりまして、STGが嫌いでない人でまだダラ外をやったことがない人は、今すぐサターン版辺りをハードごと買ってきて泣きながらやり込むべきだと思います。後悔はさせません。

お暇な方はこちらもどうぞ。

不倒城:1コインクリアの為のダライアス外伝講座
レトロゲーム万里を往く その35 〜ダライアス外伝〜

ところで、皆さんよくご存じの通り、ダライアス外伝のパワーアップシステムはちょっと特殊です。

パワーアップアイテムである「赤勲章」をとると、段階的にショットがパワーアップしていくのですが、「各段階の最強状態よりも、その一段階前の方がずっと攻撃力が高い」というのがその特徴でして、

ウェーブ → ウェーブ + 白弾 → ウェーブ + 小ウェーブ

とパワーアップしていく中で、白弾の攻撃力が高い為、ウェーブ + 小ウェーブになると攻撃力が激減してしまう、というのがその要因です。この攻撃力の差分が結構な感じでして、例えば赤ウェーブ + 白弾だと最強ラスボスの一角である「ストームコーザー」に瞬殺が効くところ、赤ウェーブ + 小ウェーブだとなかなか倒せず、発狂攻撃が始まって阿鼻叫喚の地獄絵図になる、というようなことがゲームのあちらこちらで観測されます。

この為、ダライアス外伝の中盤以降において、プレイヤーは「計画的な赤勲章取得」という新たな課題をつきつけられることになります。早い話、ウェーブ + 白弾の段階を保つ為、赤勲章から逃げ回らなくてはいけないという状況が発生する訳です。


地形。

敵弾。

それに加えて、新たに避けなくてはいけない対象として立ちふさがるのが、かつてのパワーアップアイテムだった「赤勲章」。なにこの状況。

特に、ゲーム終盤のゾーンでは、敵の攻撃も激しいし地形も複雑で、ただでさえ必死に弾避けをしなくてはいけない中、どんなに撃ちこんでも倒せない赤勲章から逃げ続けるのはそれこそ偉い苦労です。Z'ゾーンのラスト、炎地帯での赤勲章など、一部のダラ外ダーからは「赤い悪魔」呼ばわりされて畏れられる始末です。


そんなこんなで、ダラ外プレイヤーにとっては「ラスボス = 赤勲章」というのは一つの共通認識となっており、「赤勲章が最大の敵」で検索すると256,000 件のページにヒットするくらいです。


ですが。

ですが、です。

これ、赤勲章の立場になってみれば、これまた相当理不尽な話なのではないか、と私は思うのです。

白弾やレーザーの時は、赤勲章とみるや血道をあげて突っ込んできてくれたシルバーホーク(除くCゾーンのボス前)。

大ウェーブ白弾付きになるまでは、こつこつシルバーホークの攻撃力を育ててきてくれた赤勲章。いわばコーチです。トレーナーです。シッショーです。

それが、白弾付きになった瞬間、手のひらを高速回転させたかのごとく最強の敵呼ばわりです。なんですかこれは。まるで、合コンで最初はちやほやされるけど、盛り上がってきて趣味の話になった辺りで何となく空気がおかしくなって避けられるタイプの残念イケメン。食べ放題で奪い合いになるけれど、みんなの腹に一通りいきわたると「そろそろコロッケとか食べたいよね…」という感じで見向きもされなくなる蟹のごとしではありませんか。


私たちは、赤ウェーブ白弾付きになった時も、「ここまで育ててくれたのは飽くまで赤勲章さんなんだ」という感謝の念、尊敬の念を忘れるべきではないと思うんです。私たちは、赤勲章なしでここまでくることは出来なかった。そう考えれば、Yゾーンのラスト、丁度敵の攻撃が激しくなってきた時にふらっと現れる赤勲章に対して、殺意のこもった視線を向けることなんて出来ないと思うんです。そうではありませんか?ありませんか。そうですか。


取り敢えず、Z'ゾーンの最後で、赤勲章が「あ、シルバーホークが釣り天井でピンチだ!今助けにいくからな!」とか言いながらこちらに近づいてきている、とか想像すると、ちょっと赤勲章に対して優しい気持ちが湧いてきませんか?え?憎悪しか湧かない?そうですよね。


まあ何はともあれ、何の遠慮会釈もなく赤勲章がとれるようになったという一点だけでも、Gダライアスやダライアスバーストには惜しみない拍手を送らなくてはならない、と私は思うわけです。


あ、上記とはそれ程関係なく、ダライアス外伝が超絶面白いSTGであることは保証しますので、まだやってない人は今すぐやってくださいすぐやってください。明日辺りからスコアアタックに挑戦し始めるのがスケジュール的にもいいんじゃないかと思います。


更に全然関係ありませんが、「STGにおけるパワーアップアイテム」というものは、それだけでも万里が3つくらい書けそうな非常に深いテーマでして、ウルトラ警備隊のアイテムキャリアはプレイヤー機を殺す気満々で超強かったですよね。あいつこっちをパワーアップさせる意思全くなかったと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 21:24 | Comment(5) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする