2019年08月08日

レトロゲーム万里を往く その146 天外魔境真伝

まず、特に何も言わないでこの動画を見てみて欲しいんです。最初の30秒だけでいいです。


何が起きているかお分かりいただけたでしょうか?これ、綱手っていうキャラクターが、最初に「力王」っていう攻撃力強化技を使って、その後通常技を二発入れたら相手が死にました、っていう動画なんですけど。

この動画自体はTAS(Tool-Assisted Superplay)なんで、実機でやった訳ではないでしょうが、特にこの展開に神業が必要っていう訳でもなく、これと同じことは実機で誰でも普通にできます。というか、普通の対戦台の普通のプレイで、同じようなことは割と頻繁に起きます。

で、これ、「このキャラだけが特殊なチート最強キャラであって、他のキャラではもうちょっと優しい削り合いが展開されるのか?」というとそういう訳でもなくって、大体のキャラは似たような大ダメージを一発ないし数発でたたき出すことが出来ますし、そうでないキャラでもワンチャンでほぼ勝負を決める技を、一つや二つは持っています。体力ゲージは吹き飛ぶもの、っていうゲームです。

「なんつー大味なゲームだ」って思いましたか?

ところがですね、このゲームでの対戦、めっっっちゃ面白かったんですよ。以前書いた格闘ゲーム遍歴全編を通しても、五本の指には確実に入るくらい、私このゲーム大好きなんです。

このゲームの名前は、「天外魔境真伝」といいます。

天外魔境真伝。対戦型格闘ゲーム。1995年、ハドソンよりNEO-GEOにて発売。

皆さんご存知ですか?ハドソンから出ていた、PCエンジンの「天外魔境」シリーズ。「西洋からみた誤った日本観」をテーマにした和風RPGで、特に「天外魔境II」はPCエンジンゲー全てを通しても最強の名作だと私は思っているんですが、それはそうと「天外魔境真伝」はこの天外魔境のスピンオフシリーズで、天外のキャラクターが登場する格闘ゲームなんです。

そのシステムは、基本的には「サムスピ」を踏襲する武器格闘になっておりまして、

・小斬り・中斬り・強斬りと蹴りを組み合わせての戦い
・一部のボタンを組み合わせることで「特大攻撃」が出せる
・必殺技とは別に各キャラ数個の「術」を持っており、ゲージが貯まっていると使用することが出来る
・ちょくちょく「アイテム」が出現して様々な効果を発揮する

これくらいがゲームとしての特徴になると思います。

まずこのゲーム、冒頭で観て頂いた通り、「ゲージの吹っ飛び具合」が相当なものです。ワンチャンで6割体力ゲージが飛ぶのは割と普通です。中には「画面端でガードしただけで7割減る」とか「下Bからの通常コンボで4〜5割」なんてキャラもいます。ふつうです。

ただ、このゲームの凄いところは、「それでちゃんとバランスが取れていたし、ちゃんと面白かった」ってことなんですよ。一件大味なように見せて、実はちゃんと遊べるし、めいっぱい楽しめる。そういうゲームだったんです。

しんざきも、最初綱手のB+Cなんて見た時は、「なんだこのムチャなゲームは」って思ったんです。「超必でもないのに9割減っとるやん」と。

ただ、なんとなくこのゲームを始めてみると、段々このゲームの面白さ、「ちゃんと考えられている部分」が分かってきたんです。

・大ダメージを与える技を複数のキャラクターが持っており、どのキャラでもワンチャンスで勝利を狙うことが出来る
・お手軽に大ダメージを出せる訳ではなく、大ダメージを狙える技にはそれなりに下準備が必要だったり、リスクが発生する場合が多い
・空中ガードで大部分の地上技をガードすることが出来る為、案外すぐには対戦が終わらず、地上 - 空中の駆け引きが発生する
・アイテムのランダム性が絶妙で、追いつめられた状態からでもアイテムを端緒に逆転を狙える場合がある

これ、「大味に見せておいて、実は高度にバランスがとれているゲームだ」と思ったんですね。いや、そりゃ性能横並びではなくって、ある程度突き抜けた「強キャラ」ってのは勿論あるんですが、そのキャラを使わないと勝てないってわけではなく、下位キャラでも全然逆転勝利が狙えたりする。

格闘ゲームにおける立ち回りっていうのは、要は「リスク・リターンの交換の連続」です。どの程度のリスクをとって、どの程度のリターンを得るか、それを常に選択し続ける。多少のリスクをとって大きく攻めるか、小さなリスクで小さく攻めるか。天外魔境真伝っていうゲームは、まずこの「リスク・リターンの交換」のバランスが絶妙だったんですよ。

更に更に、

・技を当てた瞬間の絶妙な気持ち良さ
・各技のリスク・リターンの絶妙なバランス
・派手な術、派手な技を上手く当てた時の爽快感
・くるくる軽快に動くキャラクターと背景グラフィックの美しさ
・案外やりごたえのあるCPU戦(マント―A以降はギミック戦みたいな感じになる)
・ゲーセンの中でもさり気なく耳に残る名BGMの数々
・絹がかわいい

といった要素にすっかり魅せられて、しんざきは暫く真伝にドはまりしていた、という話なんです。特に絹のグラフィックは出色だと思うんで皆さんこの動画でも見てみてください。個人的には、このゲームの絹のグラフィックが、KOF95のアテナのグラフィックと並んでNEOGEO格ゲーの白眉だと思っています。


天外魔境真伝に出てくる各キャラクターの話をします。

【自来也】

隙が少なく判定が強い通常技、追撃可能な通常投げ、空中ガードに対抗できる空中投げ、ダッシュB+Cの強さ、手軽に使えて超強力な術「爆炎」の存在などから、基本的には本作ダイヤグラム不動の一位と見なされるキャラ。原作主人公の面目躍如といったところでしょうか。とはいえ、そんな自来也でも油断すれば絹にまくられるのがこのゲームの恐ろしいところでもあります。

【カブキ団十郎】

しんざきの愛用キャラ。見た目や性格の派手さに反して、実は本作でもトップクラスに地味な挙動を必要とされます。基本的には中間距離での中斬り刺しあいでダメージを重ねつつ、隙を見て強力な対空技「羅砕刃」を絡めたコンボを狙う。ただし羅砕刃は外すと文字通り死ぬので、勝つためには慎重の上にも慎重な立ち回りが要求されます。カブキさん原作ではあんな感じなのに。。。けど下B+Cがうまく入るとめっちゃ気持ちいいのと、コマンド投げであるカブキ烈空破には試合を決めるポテンシャルがあります。あと花嵐が派手。

【綱手】

冒頭動画の主人公で、強キャラ枠の一角。とにかく、いわゆるバイキルトの「力王」とスクルトの「金剛」二つの術が超強力。パワー型なのにスピードも速く中段攻撃も豊富。ただし通常技の判定・隙が全体的に弱いので普段の立ち回りにしんどさを抱えており、そこでバランスがとられていたりします。相手にすると怖いんだけど自分で使うと意外と強さを引き出せない、案外テクニカルなキャラ。あとドット絵は非常にかわいい。

【八雲】

とにかく術が強力。端でガードさせれば7割削る「不動」に目を奪われがちですが、実際に狙える場面は実はそうそうなく、どちらかというと出が早い「白虎」や空中ヒットを狙っていける「鳴神」を中心に戦っていくキャラです。あと、武器投げが使い放題なのと、地上技の出が早くコンボを繋ぎやすいのも強みですね。あと餓狼の不知火舞なみに露出度が高い。個人的には服を着ろ派です。

【大蛇丸】

密かな強キャラ。武器が槍でリーチがやたらと長く、一方実は素手状態での立ち回りが妙に強かったりするので、相手次第でスタンスを変えていけます。一発強打の術「凍竜」は当たったらほぼ勝ち確定。とはいえ普段は「氷竜」をメインに立ち回ることになるのではないかと。ところで綱手っていつから大蛇丸ベタ惚れキャラになったんでしたっけ?なんか原作当初はそんな設定なかったような…。

【卍丸】

2の主人公。とにかく下Bからお気軽につながる卍斬りコンボで4割減らせるのが最大の強み。ただ、使っていると案外相手を崩すのに苦労する印象があります。相手を投げただけで剣を手放すのは勘弁しろください。実はカブキの次くらいに地味なキャラなんじゃないか疑惑。

【極楽太郎】

典型的なパワーキャラ、ただし攻撃力は綱手に続いて次点だったりします。意外と即死コンボがないこのゲームで、数少ない「なんとか普段から狙っていける即死コンボ」を持っているキャラで、画面端で極楽ホームランを決められればそこから十割もっていけます。ただ、やはり通常技の出の遅さはネックであって、ダッシュ技からなんとかチャンスを見出していく、普段の立ち回りには我慢を強いられるキャラ。

【絹】

本人とシロがかわいい。ナコルル系伝統の「バディと協力して戦う」キャラ。とはいえ立ち回りは相当に厳しく、接近戦の刺しあいでは勝てる要素がありません。近寄られたらなんとか投げで距離をとって、あとは武器投げで牽制しつつシロや式神に戦ってもらうキャラ、と考えるべきでしょう。けどドット絵の完成度は物凄く高い。

ということで、長々書き連ねて参りました。

結局のところしんざきが言いたいことは、

・天外魔境真伝はめっちゃ面白いし大味に見せて実はすげえバランス熱いし後は絹がかわいいからみんな引き続きやっていこうな!!!!!
・アケアカNEOGEOに天外魔境真伝出してくださいお願いですこの通りです

という二点だけであって、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

マジで家庭用に一刻も早く移植されないだろうか…この際SwitchでもPS VITAでもいいから!!(版権の問題で難しいのはよくわかるが)

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月31日

レトロゲームサントラ語り・「ファイナルファンタジーIII 悠久の風伝説」


まず最初に、「昔のサントラ事情」について話さないといけない。

ゲーム音楽というのは、今でこそ随分とメジャーになり、サントラが発売されたり音源が公開されたり、あるいはspotifyでBGMが聴けたりというのも全く珍しくはなくなったが、私が子どもの頃、具体的に言うと1980年代〜1990年代序盤くらいまではまだぜーーーーんぜん一般的なものではなかった。そもそも「ゲーム音楽を単体で聴く」という楽しさ自体、きわめて狭い範囲にしか認知されていなかった、と言うべきだろう。

「ゲームの音楽が聴ける媒体」が発売されるのは、一部の特殊な販促(ハイドライドスペシャルとかサイコソルジャーとか)を除けば、それこそ「FF」や「ドラクエ」などの超有名ゲームが殆どだった。それも、当時は殆どがアレンジアルバム・ないしイメージアルバムで、原曲がそのまま収録されたサントラ、というのは本当にごく少数ではなかったかと記憶している(少なくとも家庭用ゲームでは)。「オリジナルサントラ」というものがある程度一般的になってくるのは、少なくともスーファミ時代以降のことである筈だ。

これは恐らく、「ファミコンの音をそのままCDにして売り物になるのか?」という疑念が、少なくとも販売側にはあったからではないか、と推測している。実際には、「ファミコンの音をそのまま聴きたい」というニーズも、間違いなく存在したのだけれど。

1990年当時、ファミコン少年だったしんざきは、めっきりファイナルファンタジー3にハマっていた。ガルーダを相手に竜騎士4人でジャンプしたり、暗黒の洞窟で分裂する敵相手に大混乱したり、進んでも進んでもゴールが見えないクリスタルタワーで目を白黒させたりしていた。

ファイナルファンタジー3は言うまでもなく大名作であるわけだが、何よりもまず、そのBGMがひたすらに素晴らしかった。

上から下まで透明感の塊、「ウネとドーガのテーマ」。荘厳さと緊張感の完全な融合、「クリスタルのある洞窟」。シャープなメロディがどこまでも続く「クリスタルタワー」。ファミコン音源で「哀愁」を表現し切ってみせた「古代人の村」。

そして勿論、歴代FFの全てを見渡しても、これ以上のフィールド曲があるのかと思わせる「悠久の風」。

当時、たった3音+ノイズという構成で、あの「FF3」音楽の世界を演出し切ってみせたあのBGM群は、今でも奇跡の産物としか思えない。くらやみのくもについにたどり着いた時には、BGMのあまりのかっこよさに操作を止めて延々音楽を流し続け、親に「音が大きい」と怒られたものだ。

「テープでファイナルファンタジー3の音楽が聴ける!!!」ということを知ったのは、少しあとのことだったと思う。親にねだり倒して買ってもらった「悠久の風伝説」は、私が生まれて初めて手に入れた「サントラ」だった。

実をいうと、最初は面食らったのだ。

持っている人はご存知だと思うが、「悠久の風伝説」はアレンジアルバムだ。しかも、ゲームBGMのアレンジアルバムとしては恐らくそこそこ挑戦的な作りであって、曲ごとにストーリーの解説をするナレーションがついているし、オリジナルのボーカル曲が2曲も入っている。

当時、「すっごいいい曲だから!!」と言いながら、親に乗せてもらった車のカーステレオにテープを突っ込んだのが、私の「ゲームサントラ原体験」ということになる。

突如、スピーカーから「ごごごごご…」という音が響いてきた。少したってから始まる、渋い声の男性の英語ナレーション。きょとんとしている小学生の私を前に、恐らく親も心配したに違いない。「このテープでいいの?」と聞かれたような気がする。私自身、「もしかすると、ゲーム音楽のテープを買ったつもりで、何か間違ったものを買ってしまったのでは?」と思いもした。

しかし、暫時の後、スピーカーからは、ひどく耳慣れた「プレリュード」の音が響き始めた。「やっぱりこれだった!」とひどく安心すると共に、ハープの裏のコーラスに聴き入った。

「ゲームの音とちょっと違う」とは間違いなく思った筈だ。期待していたものと違った、というのも否定は出来ない。

しかし、テープの展開が進むと共に、私は「ゲームとはまた違ったFF3の音楽」の世界にどんどん引き込まれていった。

1トラック目、「邪悪の胎動」いわずと知れたプレリュードから、ボス敵を模したアレンジ曲、そしてあの「クリスタルのある洞窟」の聴きなれたメロディに収束する展開。メロディの緊張感と荘厳さに震えた。

2トラック目、「風の啓示」。ウルの村の穏やかなメロディに続いて、言うまでもない「悠久の風」が、ゲームとはまた少し違った展開で響き渡る。この瞬間、間違いなく、「このテープを買って良かったんだ」と心から納得した筈だ。

3トラック目「彷徨の旅路」。ここで流れる「Roaming Sheep」は、まさかの透明感あふれる女性ボーカル曲だった。ゲーム内では流れないメロディなのだが、何度か聴く内に私はこの曲をひどく気に入り、一時期は何十分も繰り返しリピートしていた。それも、トラックなどないから、自分でテープを巻き戻して、「ここだ」というところで再生ボタンを押すのだ。丁度よく曲が始まるところで止められると、それだけで何だか「勝った」気がした。

4トラック目、「その大いなる導き」こちらは別の意味で度肝を抜かれた。同じくゲーム未登場のボーカル曲なのだが、ひどく儀式的な男性ボーカルに途中から女性コーラスが重なり、正直当時、小学生の自分は「怖い」と感じたと思う(今聴くとこれはこれでいい曲なのだが)。ところが、その怖さを抜けた先に、私がゲーム中でももっとも好きな曲の一つだった「ウネとドーガのテーマ」が待っていたのだ。これはまさに、ダンジョンを超えて目的地にたどり着くゲームの展開をなぞっているような気が、少なくとも当時はしたものだ。

5トラック目、「陰と陽の攻防」。飛空艇インビンシブルの、駆け抜けるような爽やかなテーマから、ハインの城で流れるメロディに繋がるのだが、恐らくアルバム的には、同じ曲が流れる「暗黒の洞窟」をイメージしているのだろう。これ、インビンシブルのテーマの最後にさり気なくFF1のマトーヤの洞窟のフレーズが入っており、これに気付いた時妙に嬉しくなったものだった。

6トラック目、凶々しき渇望。静かな、あまりに静かな導入から、闇の世界のあの怒涛のメロディ、そして「くらやみのくも」戦へとつながる構成。このトラックだけ最初のナレーションがない、というのも実に「分かっている」ところであって、これは間違いなく「クリスタルタワー」から闇の世界間でセーブポイントがないことを模しているのだと私は思っているのだが考え過ぎかもしれない。何にしても、この二曲が実に実に格好よく、このCD全体を見てもクライマックスであることは論を俟たないだろう。

7トラック目、「新たなる世界」。最後のナレーションの後半から、かぶさるようにエンディングの曲が始まるのが本当に本当に素晴らしく、ただサントラを聴いているだけなのに不思議な達成感に包まれ、この時私は「サントラ自体が「体験」なんだ」ということにようやく気付く。最後にもう一度インビンシブルのテーマが流れ、そしてフィナーレに繋がる展開の中、私は間違いなくインビンシブルの船上でアルス王やサラ姫と会話していたのだ。

多分、この「悠久の風伝説」が私にとっての「ゲームサントラ原体験」だったことは、この後のことを考えると、とても大きな意味をもっていたのだろうと思う。結局、当時私が思っていた「FF3のオリジナルサントラ」が販売されたのはこの何年も後であって、そこでクリスタルタワーやエウレカの曲に巡り合えた時はそれはそれで狂喜乱舞したわけだが、それでも私にとっての「FF3のサントラ」は間違いなく「悠久の風伝説」だったのであって、そこにはBGMを通じたゲーム体験が間違いなくあった。その後、私が聖剣3の曲を吹く為にケーナ吹きを志したのも、今でもゲーム音楽演奏の一端に関わり続けているのも、もしかするとこの「悠久の風伝説」の原体験あってのことかも知れない。

FF3の曲ってめっちゃいいよね、という本当にそれだけのことであって、もしこれを読んだ人のたった一人でも、また「悠久の風伝説」を聴いて頂けるのであれば、これ以上幸いなことはない。

今日書きたいことはそれくらい。






posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月29日

長男が信長の野望DSにハマり始めて気が付いたこと

長男11歳が信長の野望にハマり始めました。


DS版信長の野望ですね。烈風伝PKベースのヤツです。私、一番好きなのは「武将風雲録」なんですが、烈風伝もかなりの高ランク信長だと認識しております。シリーズ全体を見れば、天翔記・烈風伝・革新辺りの人気が高いんでしょうか。

元々、「ねこねこ日本史」や「漫画日本の歴史」辺りの影響で、戦国時代に興味は持っていたらしいんです。「武田信玄と上杉謙信どっちが強かったの!?」とか「信長ってなんで死んじゃったの!?」とか、戦国時代についての質問を受けたことも何回かありました。

で、自宅にあった「信長の野望」というパッケージを見て何やら大興奮し始めまして、「パパこれやってみたい!」と。丁度テトリス99にも気分的にひと段落がついたっぽかったので「いいよ」とやらせてあげまして、説明書がなかったんで基本的なコマンドの使い方だけ教えて後は放っておいてみたんです。

その内「色んなところから攻められて大変なんだけど!!」とか「兵士が全然足りないんだけど!!」とか、なんか凄く楽しそうに不満をいい始めたので、ああ、いい遊び方してるなーとニコニコしてたんです。

で、3,4日経って遊び方にもだいぶ慣れてきまして、「信長面白い?」と聞いてみたら「面白い!!」と即答してたんで、ちょっと見せてもらったんですが、なかなか、戦略シミュレーション歴が長い人間からすると意外な遊び方をしていたので、ちょっと気付いたことを書いてみます。

特に気が付いたのはこの辺です。

・信長など、強パラメータの大名を後方に置いたままで、一切前線に出していない。
・同じく、強パラメータの武将を各地の城主にしていて、あまり前線に出していない。
・弱いパラメータの武将まで「バランスよく」選んで戦闘に出している。

まず、「大名ってやられるとゲームオーバーになっちゃうんでしょ?」という思考で、大名を完全に後方にひっこめているのが、慣れた人間の発想からするとなかなか常識外なところかも知れません。

皆さんご存知の通り、信長シリーズにおける大名というのは重要な戦力の一角であって、基本大車輪の活躍をさせます。長男は織田家でプレイしているのですが、特に信長なんて烈風伝では「三段撃ち」などのチート能力保持者であって、縦横無尽に活躍させるのが定石なんですが、長男にとっては「やられるとゲームオーバー」⇒「後方で大事にしておく」という思考になるらしくって、全く戦闘に加えていなかったんですね。

これについては、彼最近自分で気づきまして、「信長が攻撃すると敵の兵士がすごい勢いで減る…!!」とか「城門があっという間に壊れる…!!!」とかやたら感動して、「パパ信長強いよ!!!!すごい強い!!!!」と私に報告しに来てくれました。「そうなのか!流石信長だな!!」と驚いておきました。

こういうの、ストレスからの解放ってとてもいい経験なので、本人自分で気付けて実に良かったと思います。

ちなみに、同じような思考で、「強い武将は偉くしないといけない」⇒「城主にしてあげる」(当然後方も含まれる)という思考のようで、秀吉とか勝家とか前線に出ていないので、これもその内自分で気付いて部下を使い倒してあげるようになるのがいいんじゃないかと思っています。

もう一つ、どうも「軍のバランス」というものを考えているようで、強い武将から弱い武将まで、くまなく選んで部隊に入れてるらしいんですね。これも、本来なら戦闘に参加させないような采配20とか戦闘10とか、そんな武将も使っているみたいなんで、それもその内「これ要らないんじゃ?」と気づく日が来るのかなーという感じです。

基本、しんざき家のゲーム方針は、「聞かれれば答えるけど、最低限の情報以外は余計なこと言わない」「好きな遊び方は本人に任せる」なので、それで「このゲーム難しい、遊ばない」ってなっちゃうならそれはそれで仕方ないかと思っているのですが、今のところ「手探りで戦法を考える」という楽しさを自分で味わってくれているようなので、非常に良い傾向だなーと考える次第なのです。これからも、まあ完全に詰まって聞かれたら最低限は助けるとして、出来るだけ自分の力で自分のゲームの地平を切り開いていってくれるといいなーと考えるばかりです。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 20:08 | Comment(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月19日

昔俺は、近所のおもちゃ屋で半熟英雄を予約して、その予約券を抱いて眠ったんだ


「ゲームを予約する」ってことは、昔、特別なことだったんだ。

何故だろう。何故半熟英雄だったのだろう?それはもうよく覚えていない。恐らく何かの理由はあったのだと思うが、それはもう、30年間の遠い遠い記憶の闇に紛れてしまった。

俺は当時、群馬県は高崎の、そのまた隅っこの方で暮らしていた。家の裏手には「裏山」があって、夜は街灯がつかないエリアがそこかしこにあった。

webではグンマーとか揶揄されがちな群馬県だが、webで聞く群馬についてのエピソードの大半は根も葉もない作り話だ。群馬ではちゃんと日本語が通じるし、県庁は掘っ立て小屋ではなくきちんとしたビルだし、上毛かるたについてうっかり馬鹿にしたものは身の安全の為にすぐさま群馬を脱出した方がいい。その程度の問題しか群馬にはない。

近所にはギャムズというおもちゃ屋があって、3階建てで、2階にはチョロQのコースが設置されていた。途中からはミニ四駆のコースもあったかも知れない。当たり前のことだが、当時はAmazonもなければ楽天もなく、俺たちがゲームを買える場所といえばほぼ「おもちゃ屋」に限られていた。当時、「ゲーム専門店」すらまだろくになかったように記憶している。少なくとも俺が住んでいる地域には、そんな洒落たものは一軒たりとなかった。


俺は「ゲームの予約」をしたことがなかった。


当時「ゲームが手に入るかどうか」というのは案外不明確な話であって、何軒おもちゃ屋を回っても在庫が見当たらないことも、そもそも入荷している店自体見当たらないということもあった。

予約という制度がなんなのかについて、きちんと理解していたわけでは全くない。ただ、「予約」という言葉それ自体には、得体の知れない力強いパワーを感じていた。それは、「新しいファミコンのゲームが手に入る」という事実を、先取して保証するものだった。実際には手に入るのが数週間から数カ月先だったのだとしても、「予約」を行えばもう手元にそのゲームが存在するような、まるで待っている期間もそのゲームをすぐ隣においておけるような、そんな気がしていた。

つまり予約というのは、俺にとっては「わくわくする時間の先取り」だったわけだ。

だから俺は、ギャムズで半熟英雄を予約した。母親と一緒にギャムズのレジに並んで、上ずった声で「よやくおねがいします」と言った。
半熟英雄が予約しないと手に入らない程の人気ゲームだったかというと、多分答えはノーだ。半熟英雄は、ドラクエやスーマリのようなお化けタイトルではなかった。かといって、入荷するかどうかも危ぶまれるようなマイナーなゲームというわけでもなかった。発売日の夕方にギャムズにいけば、ごく順当に並ばずに買えるゲーム。多分そうだったのだろうと思う。

半熟英雄が出たのは1988年の12月、ファイナルファンタジーIIが発売する2週間ばかり前だ。当時、スクウェアはまだそれ程メジャーなメーカーではなく、今のように数々の名作RPGを擁している訳でも勿論なく、「テグザー」や「キングスナイト」のような作品、あるいはDOGのディスクゲームの印象の方が強かった。初代のファイナルファンタジーも、どちらかというと「非ドラクエ型RPG群の一つ」という扱われ方だったと思う。

だが、ファミマガで読んだ半熟英雄はとても面白そうだった。だって敵も味方もリアルタイムで動くんだぜ?

城を奪って、奪った城を育てて、収入を確保して、将軍を雇って。卵からモンスターを呼び出して戦わせて。そんなゲームが面白くないわけがないじゃないか。

もらった「予約券」には、俺の名前と、予約タイトルの「半熟英雄」の名前が、並んで店員の手書きで書いてあった。恐らく、そんなに御大層なものではなかったに違いない。ちゃんとしたフォーマットがあったかどうかも怪しい。ただ、それは間違いなく、私にとっては初めての「ゲームの予約券」であり、ゲームが手に入る保証、つまりゲームを遊ぶまでのわくわく感を具現化したものだった。うちに持って帰って表裏丹念に眺め、当時宝箱にしていたクッキーの箱か何かにしまい込み、夜寝るときも枕元に置いて寝た。

ようやく手に入った半熟英雄は勿論面白く、俺は将軍集めに夢中になり、「アポロン、ダイダロス、ヘレン」という三択で「アポロンこい!!!ダイダロスでもいいぞ!!!」と思っていたら見事にヘレンを引き当ててのたうちまわったりしている訳だが、なによりも俺にとって、半熟英雄は「初めて予約して買ったゲーム」という意味での特別感が強い。あの可視化されたわくわく感、一片の紙片にこめられた特別感の記憶は、今でも頭の中のどこかにある。

あれからもう、30年が過ぎた。

勿論時代も変わった。今は大体のゲームはダウンロード販売に対応するようになり、「予約しないと手に入らないゲーム」というものは殆どなく、予約というのはもっぱら特典目当てに行う行為になった。

それはただ「変わった」というそれだけのことであって、勿論悪いことでもなんでもない。ゲームの入手性というのは昔よりも遥かに改善されていて、やっとの思いで手に入れたゲームをカツアゲされることも、目当てのゲームと抱き合わせで要らないゲームを買わされることももうない。意見は人それぞれだろうけれど、今は結構、ゲーマーにとって理想の時代ではないかと俺は思う。

ただ、あの頃の「ゲームが手に入るかどうか分からない」という得体の知らない危機感、それを退けてわくわくを具現化したような「ゲームの予約」という行為については、誰かがどこかに書き留めておいてもいいんじゃないかと思って、こんなしょうもない記事を書いたんだ。

あの頃わくわく感を抱きしめて寝た何人ものファミコン小僧が、今でも全力でゲームを楽しめていることを、心から願う。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 17:06 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月16日

なんかSpotifyでFC時代コナミ矩形波倶楽部の曲がいつの間にか超充実してたんで皆速攻でSpotify始めた方がいいです

おいラグランジュポイントにアルマナの奇跡にファルシオンにコズミックウォーズまで来てんじゃねえか!!!!!!


うわあああ、spotifyいつの間にかコナミの曲が超充実してるやん



ということで、以前からspotifyのゲームBGMにおける充実っぷりについては何度か書いている通りなんですが、このサービスなんか知らん内に曲が充実していることがありまして、昨年夏くらいにはまだ矩形波倶楽部の曲ってあんまりなかった筈なんですが、いつの間にやらすげえ充実してました。

ざっと挙げるだけでも、

・アクスレイ
・魂斗羅
・SUPER魂斗羅
・コズミックウォーズ
・ファルシオン
・グラディウスII(バージョン違い・ハード違い各種)
・ラグランジュポイント
・MSX RACINGSPIRIT
・クォース
・アルマナの奇跡
・エキサイティングシリーズ各種
・エスパードリーム1,2
・グラディウスII
・コナミワイワイワールド1,2
・悪魔城ドラキュラII
・悪魔城伝説
・ドラゴンスクロール
・バイオミラクルぼくってウパ
・ファイナルコマンド赤い要塞
・モトクロスマニアックス
・幻想水滸伝1,2
・悪魔城すぺしゃる ぼくドラキュラくん
・愛戦士ニコル
・月風魔伝
・謎の壁
・迷宮寺院ダババ

この辺がぜーーーーんぶ来てます。なんなんでしょうこの充実っぷり。ものすげえな。幻想水滸伝の存在感も勿論大きいですが、基本的には「FC・GB時代の矩形波のド本気タイトル勢ぞろい」と言っていいでしょう。いや、コナミワイワイワールドで一部の曲名が面白いことになってたり、キングコングは存在ごと抹消されていたり、色々と面白い部分もあるのですが、そこはもうある程度致し方ない。

コナミBGMのずるいところは、「全ての曲がもれなくかっこいい」ということでして、コナミBGMである時点でかっこいいことが保証されてるの殆ど反則の域だと思うんですが、グラIIや悪魔城の曲が超かっこいいのは当然として、ゲームとしては比較的マイナーなタイトルにも超絶名曲が色々と顔をそろえておりますので、ちょっと今日はその辺のタイトルについて軽く語ってみたいと思います。


〇ファルシオン

私、「ファミコンコナミゲーBGMで最強のタイトルは何か」って言われれば1フレでファルシオンって答えるくらいファルシオンの曲好きなんですけど、いやこのゲーム何がすごいって「スタート直後からいきなりBGMが全力」なんですよ。ファルシオンSTAGE1のBGMくらい最初のメロディがガチな曲ってのもなかなかないんじゃないかと思うんです。ディスクシステムの確かそこそこ初期のタイトルだった筈なんですが、いきなりこんな超かっこいい曲が作れちゃう辺り矩形波倶楽部すげえ。最初ディスクシステムで聴いた時、あまりのかっこよさにしばらく曲ループしちゃいましたよ。

ゲーム自体は疑似3Dシステムのアフターバーナ―チックなSFSTGでして、難易度もそこそこキツいです。今プレイできるのかなあ。VCで出てましたっけ?


〇ラグランジュポイント

言わずと知れたFCコナミRPGの代表作、つってもコナミってFC時代RPGあんまり出してなくて、これとゴエモン外伝とあとなんでしたっけ?ああMADARAがあったな。RPG要素もあるアクションゲームなら山ほど出てるんですけどね。武器合成すごい楽しかったんだけど終わってみるとあまり使った武器がない…。細野先生がキャラデザやってることをずっと後に知って驚愕したりしました。

ただこのゲーム、ご多分に漏れずBGMはガチ中のガチでして、どのBGMもやたら透明感があるメロディで印象的な中にもどこか切ない。まあゲーム自体結構重い展開ありましたんでその印象もあるのかも。フィールドの曲とかベースラインがめちゃ耳に残るんですよね。サントラがプレミア化してるんでその点でも貴重。サテライトベースの曲死ぬほどお洒落ですよね。


〇アルマナの奇跡

悪いことは言わないから取り敢えずSTEGE1の曲を聴け!!だまされたと思って!視聴だと途中までしか聴けないから取り敢えずSpotifyのIDをとれ!!!ちなみにこの後の曲も死ぬほどかっこいい曲しかありませんからね。メインBGMも、よくこんなメロディラインかんがえつくなあ…と思うくらいひたすらかっこいい。

いやこのゲーム、探索型アクションゲームの中にもワイヤーアクションがすげえいいエッセンスになっててすげえ面白かったんですけど、なんか遊んでた人少ないんですよねえ。なんでしょうね。ディスクだったのがいけないんだろうか。


〇迷宮寺院ダババ

コナミディスクゲーいい曲しかないやん!!!!!!と思うこと請け合いでして、エスニックな雰囲気の中にもシャープな水彩画のような透明感があるところ、これ矩形波のお家芸っていうか一子相伝の秘伝みたいなエッセンスが何かあるんですかねえ。これもエリア1の曲ひたすらかっこいいですよね。。。

ダババ自体は最初のデモがなんやねんって感じの、ゲーム的にはキングコング2にやや近い坊主がひたすらぴょんぴょんハネながらアクションするアクションゲームなんですが、アルマナ以上にプレイしてた人を見たことがありません。結構面白かったんですけどねこれも。ただ、何故彼が普通に歩かないでぴょんぴょんはね続けているのかはよく分からない。


〇ドラゴンスクロール

今回改めて聴いて一押しのタイトル。森の曲めっちゃかっこいいやん!!!!0:35からの展開が鳥肌立つくらい流麗ですね。

いやすいません、今回挙げた中で、このタイトルだけは当時プレイしたことないんで実はよく知らないんです。。。申し訳ない。ディスクのコナミゲーは大体やってたんだけどなあ。むしろカートリッジあんまり触ってなかったからなあ。


ということで、他にも月風魔伝とかエスパードリームとか言うに及ばない名曲も山ほどあるので、皆さんノータイムで聴きに走るといいですよ!!

取り急ぎしんざきの私選FC時代矩形波倶楽部名曲集をプレイリスト登録してみました。気が向いたら聴いてみてください。



今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 19:55 | Comment(5) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月25日

レトロゲーム万里を往く その145 消えゆく「ふっかつのじゅもん」的インターフェースと消えゆくノウハウの話

次女に、「パパなんでそんなにえらぶのはやいの?」と言われました。

なんの話かといいますと、コントローラーによる文字入力の話です。

いや、実は最近無線LANルーター替えまして、色んな機器でLANの設定やり直してたんですよ。

で、SwitchでLANのパスワード入力してた時、横で見てた次女がふと口にしたのが上の疑問でして。我が家ではSwitchを基本テレビに接続していて、入力はプロコンでやってるもんで、タッチパネルではなく、コントローラーで画面上の文字を選択していく形式なんですが。

で、次女は「パパの、画面で文字を選んでいくペースがやたら速い」ということにびっくりして、冒頭の言葉を発したようなんですね。

そんな速いかな?と思ったんですが、取りあえず「パパこういうの慣れてるからねー」と言っといたんです。

ただ、その後ちょっと思い出したんですが、次女、何かのゲームで「自分の名前」を画面上から入力しようとしたとき、文字をみつけて選んで、また次の文字をみつけて選んで、っていうのにちょっと時間がかかったみたいなんですね。もしかするとその時の印象があったのかもなあ、と。

私自身は、こういう「コントローラーで文字を入力する」という時、殆ど無意識でこういうやり方をしています。多分同じようなやり方をしている人は多いと思います。

・入力する文字は、数文字〜十文字くらいの単位で頭の中で覚えてしまう
・ある文字を入力している時、次の文字の位置を事前に探しておく
・どうカーソルを動かせば次の文字まで最短でたどり着けるか、を事前に把握しておく(画面の上下ループの有無も考慮する)

いや、しょーもない話なんですけどね。そんなん出来てどうすんだって話です。ただ、よくよく考えてみると、これも「ノウハウ」の一種ではあるなあと。しかも、もしかしなくても「この先消えゆくノウハウ」かも知れないなあ、と。

だって、今文字入力なんて殆どタッチパネル、及びフリック入力でやっちゃいますしね。「コントローラーで、カーソルを動かして、画面の文字を選ぶ」なんてインターフェース、今一部のゲーム機以外では殆ど残ってないんじゃないでしょうか?

自分を振り返ってみると、こういう「ノウハウ」をどこで身に着けたかというと、疑う余地なくファミコンのパスワード入力です。「ふっかつのじゅもん」的なアレです。

Dragon Ball - Dai Maou Fukkatsu (J)-1.png

いやこれはドラゴンボール大魔王復活ですけど。ちなみにこのゲームの場合、画面左右・上下がループしていないので、次の文字への最短距離を考えるにはそこを考慮しないといけません。「ぽ」から「あ」とかめっちゃ遠い。

Getsufuu Maden (J)-1.png

こっちは月風魔伝ですね。これは「左右はループしているけど上下はループしていない」というタイプです。しかも左右ループがちょっと特殊で、「一つ前の文字に戻る」という形式なので、「あ」で左を押すと「ん」にジャンプする。だから「む」の次が「ん」だったりすると地味に面倒。

これ、ファミコン時代でも、時代の変遷に伴ってだんだん見なくなっていったインターフェースなんですよね。バッテリーバックアップが便利過ぎたし、データ量が増えるペースが速すぎた。パスワードはコントローラーで入力出来る文字数ではなくなってしまったし、その必要自体もなくなっていった。

いや、場面やデータ量を限定出来るゲームであればまだまだパスワードの使いではあったし、バッテリーバックアップの最大の弱点は「電池切れ」ですから、何十年経っても問題なく記録が保存できるという点で、パスワード入力の優位性は最後まで消滅してはいないと思うんですけどね。

かつて我々は、「ふっかつのじゅもん」で散々「パスワード間違い」の悲哀をやらかしました。「め」と「ぬ」とか散々写し間違えましたし、その為にロンダルキアの洞窟に費やした数時間の努力が一瞬で無に帰したりしたわけです。じゅもんを入力するのもひたすら面倒だったし、無情にも「じゅもんがちがいます」と言われたら、一文字ずつ間違えそうな文字を総当たりで試したりもしていた。

あの時の絶望感、あの時の無駄な努力というものは、今でも私の中に、苦い記憶として刻まれています。

だからこそ、バッテリーバックアップやその他のクイックセーブ形式で、ファミっ子たちが「パスワードの記録と入力」の苦行から解放されたことは、ゲーマーにとって福音だったとは思うんです。(今度は「おきのどくですがぼうけんのしょはきえてしまいました」の悲劇が発生するわけですが、まあそれは一旦おいておく)

ただ、ふと振りかえってみると、あの「ふっかつのじゅもん」的なインターフェースで培われたもの、育った文化というものも、確かになくはなかったなあ、と。冒頭で書いた「ノウハウ」なんかも、その一側面ではあるなあ、と。

ある意味では、アレも、どこかに記録しておくべき時代のひとかけらだったのかもなあ、と思いつきまして、本当にちょっとしたことなんですが書いてみた次第なんです。

皆さん、最近「コントローラーで文字入力」しましたか?

もし、もう数年コントローラーで文字入力してない、という人がいたら、たまには「ふっかつのじゅもん」を振り返ってみてください。案外面白かったですよ、あの文化。

あと、全っ然関係ないんですが、「ファミコン業界で一番エロいパスワード入力形式」はメタルスレイダーグローリーの「寝ているエリナに話しかける言葉」というインターフェースだ、という厳然たる事実を皆さんにお伝えしつつ本項を閉じたいと思います。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 07:07 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月10日

個人的な格闘ゲーム遍歴について思い出せる限り書いてみる・前編

スマブラをきっかけに何となく振り返りたくなったので、ストII以降の私の格ゲー遍歴について、記憶頼りに書けるだけ書いてみる。


【1991年】
ストIIが登場した年。といっても、私が見ていた限りでは、ストII登場当初は「なんかすごくキャラクターがでかいアクションゲーム」という認識で、対戦格ゲーの金字塔という認識が出るのは暫く後のことだったように思う。皆かわるがわるCPU戦をやっては、四天王までたどり着けずに死んだり、昇竜が出せただけでどよめいたりしていた。

当時は、ちょっとコインを入れてブランカを使ってみたくらいで、順番待ちを推してまでプレイしようという意欲は出なかった。私は当時知らなかったのだが、夏〜秋にかけて、一部では徐々に対戦が盛り上がり始めていたらしい。

この頃、ネオジオ筐体で「餓狼伝説」も発売され、こちらはストII以上にCPU戦に傾斜している作りだった。シナリオや演出も充実している上に、なにせCPU戦に乱入すると、まず2vs1の協力プレイになって、CPU戦終了後に対人対戦が始まるのだ。対戦は「CPU戦のおまけ」というような認識だった。要所要所でデモに登場するギース様のキャラクターブレっぷりが嫌いではなかった。プレイヤーが勝ち進むとイライラしたりゆるるさーーんと叫んだり、当時のギース様は大物なんだか小物なんだかよく分からないお方だった。

餓狼伝説はストIIよりもだいぶプレイした。使用キャラはアンディで、一気に突進する残影拳が気持ち良かった。ビリーへの投げハメとか、CPU攻略を初めてちゃんとやったゲームだったように思う。


【1992年】
ストII'の登場。それと前後して、ありとあらゆるゲーセンに「対戦台」が導入されて、一気に「対戦」という遊びの面白さが知れ渡っていった。当然のように私も「ストIIおもしれえ!(当時は無印のストIIとダッシュをあまり区別していなかった)」となり、格ゲーに首ったけになっていった。

どの対戦台も人とギャラリーが鈴なりで、当時はあちこちのゲーセンを自転車でめぐって、「ストIIが空いてるゲーセンないかな」と探し回っていたような記憶がある。使用キャラは主にブランカで、理由は「必殺技を出すのが割と簡単だから」だったと思う。昇竜拳は出せず、練習しようにも空いている筐体がなかった。

対戦はある時期からベガが猛威を振るい始めた。当時はまだ「対戦マナー」のようなものについての議論が始まる前だったが、「ベガ禁止」という張り紙を貼っていたゲーセンもそれなりの数あったような気がする。「ベガはサイコハメだけじゃない!」という特集でダブルニーハメについて記載していたゲーメストを、私はもう持っていない。

ほぼ同時期、ゲーセンに一瞬だけ「富士山バスター」が登場し、「このゲームは一体…?」「河童…?芸者…?」とか友人と遠巻きにしていたのだが、何故かすぐに筐体ごと無くなってしまった。やり込んでおけばよかったと今では思うが、まあ今更の話だ。

同じ年、ぼちぼち様々な対戦格ゲーが脇を固め始める。「龍虎の拳」は2,3コインでスルーしたのだが(確か気力システムがあまり好みに合わなかったのだと思う)、「ワールドヒーローズ」は結構やった。使用キャラはドラゴンとマッドマンで、敗北時の「フゥーーーッ!!」というようなエコーバリバリのドラゴンのボイスに大笑いしていた。ジャンヌがやたら強かった。

冬頃「餓狼伝説2」が発売。相変わらずアンディでぼちぼちやっていたが、こちらはあまり対戦の記憶がない。当時、ネオジオといえばMVS筐体で、対戦台が入っていないゲーセンが多かったのかも知れない。曖昧。龍虎に続いて「超必殺技」というものが話題になり、初めて鳳凰脚を見た時は単純に「すげえ!」と思った。ただ、あの頃から既にコマンド複雑化の兆しはあり、超列破とか全然出せなかった。BC同時押し許さない。


【1993年】
ワーヒー2、餓狼スぺ、サムスピ、スーパーストIIの年。第一の格ゲー黄金期と言っていいのではないだろうか。この頃には私も、昇竜波動竜巻くらいは不自由なく出せるようになっていたのだが、何故か使っていたのはバルログだった。イズナで相手を投げるのがとにかく気持ち良かったのだ。空中投げを狙ってぴょんぴょん飛んでは、相手の対空技に迎撃されたりもしていた。

といっても、対戦をそこまで頑張った記憶はない。この頃は格ゲーのタイトルも増えてきて、色々なタイトルをとっかえひっかえ遊んでは、ゲーメストを熱心に読み漁ったりしていた。

特にハマったのはサムスピだった。使用キャラは半蔵と十兵衛。半蔵でひたすらモズ落としを狙っては、覇王丸にばっさばっさ斬られていた。当時から派手な大技が好きだったのだが、半蔵では全然勝てないので、対戦ではもっぱら十兵衛を使っていて、飛んできた相手を一生ジャンプ中斬りで落とす仕事をしていた。この頃シャルロットが猛威を振るい、格ゲーにおけるキャラバランスと、強キャラに対する自分のスタンスというものについて、一時期真剣に悩む。「強いキャラを使う」ことに対する罪悪感のようなものが醸成されたのは、多分この頃だと思う。今から考えると若かったという他ない。

餓狼スぺは、ギースやダックを使おうとして超必コマンドのあまりの難しさに速攻挫折。ブレイクスパイラルのコマンドを知った時は「なんじゃこりゃーーー!!」と叫んだし、立ちブレイクとか今でも出せる気が全くしない。あれ対戦で普通に使える人は一般的な人間カテゴリーに入れてはいけないと思う。


【1994年】
スパII X、ワーヒーJET、そしてなんといってもバーチャ2が出た年なのだが、何故かその辺を殆どスルーしてしまい、何をやっていたかというと豪血寺一族2と痛快GANGAN行進曲だった。

GANGANは対戦をやったことは一度もなく、「久々のCPU攻略ゲー」と認識して、フウマでガンガン必殺を決めては喜んでいた。ADKのノリをこの頃ようやく把握。

豪血寺2はゲームからキャラクターからアクションから超好みであって、こちらは破鳥才蔵を使っていた。冷静に考えて忍者キャラにだいぶ偏っていると思うが、忍者くんのみぎりから忍者好きだったのはもはや習性だった。ステージBGMで「歌」が流れるというのがこのゲーム売りの一つであって、「涙の「…」」は今でも歌うことが出来る。超必が出しやすいのが良かったのかも知れない。

ゲーメストでは、「スパII Xで豪鬼を使うコマンドが掲載されている筈なのに、何故か誌面では全部黒塗りになる」という、通称豪鬼事件が発生。前後してゲーセンでは茶リュウが乱舞した。豪鬼使ってるところだけギャラリーしに行ったりした。ザンギエフで豪鬼に果敢に挑戦していく人を目撃、その姿に謎の漢らしさを感じる。

同じ頃「ヴァンパイア」と「KOF'94」もゲーセンに登場し、こちらは対戦を含めて相当やり込んだ。ヴァンパイアは、しゃがみ大Pが中段でしゃがみ小kから目押しでつながるという、今考えると「お前は何を言ってるんだ」的な狂性能であるオルバスを使っていたのだが、その分モリガンやデミトリも十分狂っていたから一応セーフだと思う。目押しコンボは難しかったがめちゃ楽しかった。

KOF'94では、レトロゲーム好きとしてサイコソルジャーチームと怒チームを使っていた。サイコソルジャーチームでは、アテナの投げ→超必空振りで投げが超必のダメージに化けるという裏技のようなテクニックがあり、そればっか狙っていた記憶がある。


【1995年】
ダライアス外伝というゲームに全人生をささげていた為、一時期格ゲーから若干疎遠になるが、後半くらいから復帰。その為、私は実はヴァンパイアハンターをあまりやっていない。曲は滅茶苦茶好きだったので、多分cpu戦くらいはちょこちょこやっていたのだろうと思う。

「サイバーボッツ」「ワーヒーパーフェクト」「風雲黙示録」辺りをちょこちょこ触った後、「天外魔境真伝」にドハマりする。BC同時押し一発で体力が半分以上飛ぶという、一見狂ったようなダメージバランス、その一方で全体としてみるとちゃんとバランスが取れているという、あのバランス感覚は芸術だと今でも思う。

使用キャラはカブキ団十郎で、ゲーメストの記述を真に受けて「ダッシュからカブキクラッシュと羅砕刃の二択」をしかけようとしては毎回中斬り辺りで追い払われていた。綱手が「りきおぉーー!」と叫ぶとその時点で死を覚悟したし、自分がダウンした時点で術ゲージが溜まった自来也が真上にいると大体死んでいた。ビジュアルはどう見ても八雲より絹の方がお気に入りだった。当時から着衣嗜好だったのだと思う。

その後、「ストZERO」「KOF95」にハマる。ストZEROは当然の如くガイを触ってみたところ死ぬほど強く、当時強キャラを使うことに軽い罪悪感を感じていた私はあれこれ悩んだのだが、KOF'95で使っていた純正サイコソルジャーチームはどう考えても強キャラではないのでいいということにした。関係ないが、アテナのデザインは95の時点で既に完成されていた、と今でも思う。あのキャラデザした人は天才以外の何者でもないと言えるのではないだろうか。ただし声は94のあの眠そうな感じが好き。

10月、TAITOから「サイキックフォース」が発売。エミリオが実は男の子だということが判明してゲーメストが阿鼻叫喚になったりしていたが、あれも今なら「俺たちの業界ではご褒美だ」になるんだろうなーと思う。時代は変わった。私自身はウォン様を使って、「時よ!」を潰されたり、コンボからの戒めの洗礼を叩き込んだりしていた。

ほぼ同時期、「マーヴルスーパーヒーローズ」が登場。シュマゴラスに一目惚れし、キレが良すぎるシステムボイスに身もだえしつつ、エリアルがさっぱり入力できなくて挫折する。これについては以前書いた

秋頃、「サムライスピリッツ斬紅郎無双剣」発売。グラフィックの余りの美麗さに驚愕し、演出の余りの派手さに瞠目し、世紀末過ぎる対戦バランス調整に戦慄した。どのキャラ相手でも背後を取られるとその時点で永久コンボによる即死を覚悟しなくてはいけないというあのバランス、嫌いじゃない。使用キャラは主に羅刹半蔵と羅刹ガルフォードの忍者組で、大抵閑丸とか幻十郎辺りに撲殺されていた。

ということで、致命的な長文になったので前後編に分けたいと思う。後編はあまり経たないうちに書く。(多分)
posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月14日

ゲームサントラ語り・「ダライアス外伝」オリジナルサントラについて

なんといいますか、あの頃ScitronのCDって、もの凄い特別感があったんですよ。


実は先日、都内某所で@twit_shirokumaことシロクマ先生、謎のSTG男子こと@tarako-9pさんとお会いする機会があったんですよ。

その時、サイトロンレーベルのCDについて色々話しまして、勿論あの頃のサイトロンCDを今でも聴いていらっしゃる方、たくさんいるとは思うんですが、こういうのもwebに書き残しておいてもいいんじゃないかなーという話になったんです。

ということで、ちょっとサイトロンレーベルのCD、分けても私にとって最も特別なタイトルである、「ダライアス外伝」のCDについて書かせて頂きたいと思います。

***

皆さん、ゲームBGMって聴く人ですか?昔に比べると、今めっちゃ広まりましたよね、ゲームBGM文化。人気ゲームは大体BGMがCDになったりネット販売されたりしますし、そうでなくてもsteamで音源だけ売られてたりとかする。spotifyみたいにゲームBGMが気軽に楽しめるサービスも今、たくさんあります。

昔話で申し訳ないんですが、90年代くらいまではゲームBGMって今程広範な文化じゃなくって、サントラ出ない、音楽聴きようがない、っていうゲームタイトルも全然珍しくなかったんですよ。結構たくさんのメーカーがゲームBGMに力を入れ始めて、「この曲めっちゃいい」というBGMもたくさん増えて、けどCD化はされてない、とかよくありました。当然のことながら、youtubeもニコ動も存在しない時代です。

特にゲーセンって、基本色んなゲームの音で五月蠅いじゃないですか。BGMなんてゆっくり聴けたもんじゃなかったんですよ、昔。ただ、漏れ聴こえてくるBGMをちらちら聴いてる限りだと、もうものすっごいかっこいい。なんだよこの曲超かっこいいよ!!ゆっくり聴かせろよ!!ってなってたわけです。昔は、ゲーセンに録音機器持ち込んでBGM録音しようとしてた人なんかもいましたよね。BOSS7を録音しにくる人が続出したダライアスの話とか有名ですけど。

私にとって、それは例えばネビュラスレイの1面BGMであり、ニューマンアスレチックスのキャラ選択BGMであり、レイフォースの1面BGMであり、ガンフロンティアの「砂漠の山嵐」であり、ナイトストライカーのURBAN TRAILであり、そして例えばダライアス外伝のイソギンチャクでした。

ゲーセンの騒音をやすやすと突き破って聴こえてくる、まるで冗談のようにかっこいいメロディ。それをいつでも聴くことが出来るサントラ。そんなサントラを出してくれるScitronというレーベルは、おおげさでもなんでもなく、私にとってはずっと変わることなく「神レーベル」だったんです。

ダライアス外伝。1994年、TAITOが発売した横スクロールSTG。今更いちいち言うまでもなく、名作中の名作のお魚狩りSTGであって、私が間違いなく「人生で一番はまったゲーム」と断言出来るタイトルでもあります。私の高校生活は間違いなくダライアス外伝と共にありましたし、ダライアス外伝というゲームがなければ、今、私が見ている風景も恐らく全く違うものだったでしょう。ダラ外というゲームに出会えたのは、私の人生の中でもトップクラスに素晴らしい奇跡だったと思います。

ダラ外については、以前、下記のような記事でも書きました。単に私が全力で「ダラ外おもしれえ!!!」と言っているだけの記事ですが、興味があったら読んでみてください。

今回はゲームの話ではないんです。サントラとBGMの話なんです。

これももう、ご存知の方については今更の話だと思うんですが、ダラ外のBGMって死ぬほどかっこいいんです。もうめっっっちゃかっこいいんです。ただ曲として死ぬほどかっこいいだけじゃなく、ゲーム展開と曲が完璧にリンクしていて、ゲームをしながら耳に入ってくるBGMがこれがもうまた頭おかしいレベルでかっこいいんです。「なんで!!この場面で!!!その音が!!!!鳴らせるの!!!!!!」と何度叫んだことでしょうか。

皆さん、Spotifyやってますか?Spotifyって、カプコンの曲とかSNKの曲とかゲームBGMもめっちゃ色々聴けるんで、ゲームBGM好きでSpotifyやってない人は今すぐ光速で会員登録するべきだと私思うんですけど、ZUNTATAの曲もSpotifyで山ほど聴けます。もうホント凄いですこれ。今ではもう手に入らない音源とかもガンガン聴けたりして、ZUNTATA好き、ゲームBGM好きの天国です。

で、ダラ外のBGMも、Spotifyでほぼほぼ聴けます。正確に言うとVISIONNERSのアレンジバージョンだけ入ってないんですけど。聴いたことない人はちょっと試しに聴いてみてください。

もう、もうですよ、なんていうんでしょう、例えば1面BGMの「VISIONNERS」とか、「STGの1面で!!こんな曲が流れるのかよ!!!!」とか当時思った私の感動を、皆さん理解して頂けるでしょうか。

ダラ外のBGMって、全体的に静かな立ち上がりの曲が多いんですよ。例えば雷電IIとかR-TYPEとかネビュラスレイみたいに、開始直後から「おおっ!!かっこいい!」って感じとはちょっと違うんです。

例えば1面〜2面のBGMであるVISIONNERSにしても、立ち上がりはごく静かです。まるで口笛のような軽いメロディに女性の吐息のような音が重なって、やがて鳴り始まるベース音。少しずつプレイヤーの耳に入ってくる音が増えていき、1分頃からまさかの女性ボーカルのような音が始まる。これ、ゲームの展開も「立ち上がりはゆっくり、徐々に敵の攻撃も激しくなり始め、ボスの辺りで最高潮に達する」ってBGMの展開と完全にリンクしてるんですよね。個人的になんですが、「STGの面展開とBGMの完全なシンクロ」というのを、私が初めて意識したのもTAITO
STG、特に「ガンフロンティア」と「ダライアス外伝」だったと思います。

VISIONNERSは、ダラ外でも唯一「面をまたがる曲」でして、通常ならボスを倒した後にクリアBGMになるのに、それがスキップされてそのままSTAGE2の展開に繋がります。これ、1ボスのゴールデンオーガをどれくらいの時間で倒したかによって変わってくるんですが、順当にいけば2面(BかC)で敵ががーっと展開してくるところと曲が盛り上がるところが重なって、これがまた死ぬほどかっこいいんですよ。

私がVISIONNERSって曲に持っている印象って、「対話」なんです。ゲームと話している。ゲームが語り掛けてきている。ゲームの中に、何か「伝えたいもの」が入っている。それこそ何千回聴いたかわからない(序盤での捨てゲーも含めて)曲ですが、聴く度に何かしら新しい発見がある、どこまでいっても「話題」が尽きない曲でもあるんです。

例えば「投影」。イカやカザミダイやベレムナイトなど、複数のボスで使われている曲でして、実は私、最終面の「SELF」を除くとこの曲が一番好きなんですが。

これもまた、重いんですよ。すごい重い。曲自体に重量感があるといいますか、出だしの「ぼぉぉん…」って感じの音のイメージがそのまま切り替わらずに、曲調が変わった後ですら継続するというか、途中の盛り上がりも含めてこの曲もめっちゃかっこいいんですが。これ、私にとっては「タイタニックランスの曲」でして、一時期復活砲台稼ぎを随分煎じ詰めていたこともあって、一番馴染みのある曲の一角でもあります。

例えば「E・E・G」と「AXON」。これ、多分意図的に、イントロのメロディが同じになってるんですよね。聴き慣れるとイントロで区別出来まして、音数が多い方がAXONなんですが。やっぱり、ゾーンPボス、通称「空シャコ」で流れる「E・E・G」の激しいメロディは、敵の激しい攻撃と相まって耳に残りまくります。まあ、ゆっくり聴いている余裕はないわけですが。

ダラ外全曲をとっても恐らく1,2を争う人気曲であろう、「FAKE」。これがまたかっこいいんですよね。悔しいくらいかっこいい。開始1秒から始まるリズミカルなメロディとパーカス、「繋がり過ぎ」とでも言うような、一部の隙もないテクノミュージック、そして時折裏に流れる女性コーラス。これが流れているという、それだけでエレクトリックファンやピラニアがイケメンボスになってしまう。正直ずるい。ずる過ぎる。


そして、全てを収束させる、ラストステージBGMである「SELF」。

これ本当に、当時ゲーセンで聴くことが出来て度肝を抜かれなかった人がいるのかっていうレベルの物凄い展開だったんですけれど、ラストステージって、当初無音なんですよ。無音。BGM流れない。ただ、激しい敵の攻撃と自機の発射音、そのSEだけが、まるでリズム外れのパーカッションのように流れ続ける。

敵の攻撃を凌いで凌いで、一息つくかどうかというところで、ゆっくりと流れるピアノのような、静かな、あまりにも静かな「SELF」のメロディ。荘厳とすら思える曲のサビで、威容を見せるそれぞれのラストボス。激しい攻撃とは裏腹に、ゆっくりとデクレシェンドしていく「SELF」の展開。

私自身は、ジャングルステージこと「Yゾーン」でのこの展開が脳裏に焼き付いているんですが、背景の美しさもさることながら、「鳥が飛び立った辺りから虹が立ち、そのあとおもむろに出現するオーディアストライデント」という、このシーンを思い出すだけでも未だに鳥肌が立ちます。

もうこの展開が鮮烈過ぎて、この最終ステージのBGMの作り方だけでもSTG史に残ると主張してはばからない訳なんですよ。凄い。ほんとーーに凄い、ダラ外のBGM、そして小倉さん。この、ラストステージでの荘厳さというのは、その後姿を変えてレイストームにも導入されたものだと私は考えています。

とまあ、とにかく幾ら言葉を費やしてもダラ外BGMの魅力というのは全く語り尽せないわけでして、上で書き切れなかった他の曲も含め、サントラ持ってない方は是非Spotifyでがつんと聴いて頂きたいんですが、ここでもう一つ、私は「ダライアス外伝サントラのライナーノーツ」の話をしたいと思うんです。

これは正直に言ってしまいたいんですが、私は当時、ダラ外サントラのライナーノーツを読んだ時、「??????」と思いました。買った人の8割方は同じ感想だと思います。

何故ならそこには、曲のことなど殆ど書いておらず、ただひたすら「ユング心理学に登場する心理学用語と、その解説・解釈」について書き連ねられているのですから。

ダラ外CD.png

これ、ライナーノーツのごく一部なんですが、ノリ的には(ストーリーが記載してある2ページを除き)ほぼ全編こんな感じです。「まずは意識である」という書き出し、一時期凄い有名だったような印象があるんですが、今となっては知らない人も多いでしょう。当時、例えばコンポーザーへのインタビューとか、曲の解説とか、音楽的スタンスとか、そういうことがごく順当に書かれているライナーノーツに慣れ切っていた我々は、唐突に始まったユング心理学論の前に抗する術を知りませんでした。

いや、勿論これ、別にダラ外と無関係の話じゃないんですよ。一番最後のページでちょっとした種明かしがされていまして、「ダライアス外伝」というゲームとユング心理学との間の関連がちゃんと明かされるんですが、「まさかゲームのオリジナルサントラでこうくるとは…」というのは正直な感想でして、これ以降のScitronのZUNTATA CDに関してちょっとした身構えをする原因となっていました。未来完了とか、レイストのサントラなんかも相当エキセントリックなことになってましたよね。いや、これはこれで大好きなんですけど、私。

ライナーノーツばっかりはSpotifyでも再現されないところでして、こういうのを書き残しておくことも必要だろうと思い、ちょっと引用させて頂いた次第です。皆さま、ダラ外CDの凄さの片りんが伝わりましたでしょうか。

まあ何はともあれ、私が言いたいことは

・ダライアス外伝のBGMは全曲超絶かっこいい名曲しか存在しないのでまだ聴いていない人は一刻も早くSpotifyに会員登録してダラ外聴いて下さい後悔はさせません

という一点のみであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:39 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

「ロックマン」シリーズに関する記憶と所感

先日、こんな記事を拝読しました。

力作エントリーでして、ブログ主様のロックマンシリーズへの愛をひしひしと感じます。素晴らしいと思います。

で、私自身ロックマンシリーズは大好きでして、Xと大体の無印シリーズタイトルをプレイしている身として、ちょっと個人的な所感を書いてみたくなりました。長文なのでお暇なときにどうぞ。

大した話ではないのですが、以下のような構成になります。よろしくお願いします。

・「ロックマンシリーズは難しい」というテーゼに対する自分なりの感想と記憶
・ファミコン版ロックマンのレベルデザインの物凄さについて
・ロックマンシリーズの曲めっちゃいい話と天地を喰らう2との関連について

順番にいきます。



〇「ロックマンシリーズは難しい」というテーゼに対する自分なりの感想と記憶

ところでそもそも、私「ロックマンシリーズは難しい」という認識自体がありませんでした。

私にあったのは、ブログ主さんも書かれている通り、

「ロックマンシリーズはタイトルによって難易度の高低差が激しい」
「ファミコン時代は、1からシリーズを経るごとに簡単になっていった」

という認識です。特にファミコン時代の認識は、当時大体のファミっ子が同じような感覚であって、「ロックマンって昔のヤツの方が難しかったよね」というのが支配的な感覚だったのではないでしょうか。同じカプコンでいえば、「魔界村」とか「闘いの挽歌」の方がよほど単純な難易度は高かったと思います。

ただ、ロックマンシリーズって、特にファミコン時代は大部分のタイトルがミリオンいってるお化けシリーズでしたので、「多くのファミっ子が遊んだことがある」「かつ、普通に攻略可能な範囲の」ゲームとしては難易度が高めだった、という側面はあるのかも知れません。魔界村とか、多分当時の小学生結構挫折しちゃってましたしね。ロックマンは、後述のレベルデザインの話もあって、「頑張って攻略しよう」と思える程度の難易度ではあった。

アクションゲームとしてのロックマンを考えると、2における「E缶の導入」と3における「スライディングの導入」というのがそれぞれ滅茶苦茶大きなターニングポイントだったのではないかなあ、と思っています。

E缶については冒頭記事のブログ主さんも詳述されているので割愛しますが、ロックマン3のスライディングってアクションとしてめちゃ強くって、

・何の制限もなく高速移動が出来る
・しかもその高速移動中、当たり判定が縮む
・一切タイムラグがなく次の行動に移れる
・操作が極めて容易

という感じでして、「スライディングという行動をとること」のデメリットがほぼ存在しません。特に3のスライディングは「通常移動要らねえ」レベルで強くって、敵の攻撃を避ける際にも、敵に攻撃する際の適切なポジションをとる際にも大活躍します。

「「スライディング」という操作の導入がロックマンというアクションをだいぶ簡単にした」という側面は、少なくとも3,4については割と当てはまるのではないでしょうか。

その後、6まで順調に難易度を下げていったロックマンシリーズが、SFCに舞台を移した「7」で急に難易度を上げてきた、というのも冒頭記事のブログ主さんと同じ認識でして、そちらについては割愛します。

ちなみに私自身の好みとしては、ロックマンシリーズの最高傑作って「9」だと思っているんですが、それについてはまた別途書きます。



〇ファミコン版ロックマンのレベルデザインの物凄さについて

ところで、ロックマンシリーズのレベルデザインはものすっごいです。1987年というあの時代に出来たゲームとしては、「オーパーツ」とまで言ってしまってもいい過ぎではないのではないかと思います。

私が考える限り、ロックマンシリーズのレベルデザインの凄さというのは、以下2点に集約されます。

・「弱点システム」を利用した、プレイヤーの習熟の誘導
・楽をする手段の豊富さと、それを選択するかどうかの自由

まず、皆さんご存知の通り、ロックマンには「倒したボスの武器を使えるようになる」というシステムと、「ボスにはそれぞれ武器の相性がある」というシステムがあります。「倒した相手の武器が使える」ということ自体十分わくわくしたのに、更に「ボスには明確な弱点が設定されていて、相性のいい武器を持ち込むと攻略がとても楽になる」というメリットがあったんですね。

たとえば、ロックマン1では、こういう相性順があります(厳密にいうとボスには複数の弱点があるので、下記の矢印以外にも相性順は存在するんですが、それは一旦置いておきます)。

ボンバーマン(ハイパーボム)→ガッツマン(スーパーアーム)→カットマン(ローリングカッター)→エレキマン(サンダービーム)→アイスマン(アイススラッシャー)→ファイヤーマン(ファイヤーストーム)→ボンバーマン

ロックマン2でいうとこうです。

メタルマン(メタルブレード)→バブルマン(バブルリード)→ヒートマン(アトミックファイヤー)→ウッドマン(リーフシールド)→エアーマン(エアーシューター)→クラッシュマン(クラッシュボム)

ちなみに、クラッシュボムは一応クイックマンに効くんですが、武器の挙動の関係上ちょっと当てにくいので、クイックマンはフラッシュマンのタイムストッパーで弱らせて後はロックバスターで倒すのが個人的なセオリーでした。フラッシュマンには普通にメタルブレードが効きます。

こんな感じで、「このボスを倒した後にこのボスに向かうと楽に倒せる」というルートが複数存在する上、ロックマンって結構「ステージごとの難易度差」が大きくって、簡単なステージ、難しいステージがあったんですよ。しかも、「簡単なステージのボス武器」が「それよりちょっと難しいステージのボスの弱点」だったりするように、本当にうまーく設定してあるんです。例えばフラッシュマンのタイムストッパーがクイックマンステージで有用だったり、比較的簡単なボンバーマンステージのハイパーボムがもうちょっと難しいガッツマンに有効だったり。

更にそれに加えて、マグネットビームとかアイテム2号とか、それぞれのステージにはボス武器以外に手に入るアイテムが存在していて、「このステージに行く前にこのアイテムを取っておきたい」というような要素もあって。

「エアーマンにはリーフシールドが有効だけど、ロックバスターでも普通に勝てるし、最初に2号とっとくとメタルマンステージでE缶とれるな」「そうすれば次にクラッシュマンが倒せるし、そしたらクラッシュボムでアイテムが回収できるな」みたいな攻略順アレンジも可能だったんです。

これによって何が起きたかというと、

・簡単なステージを見つけて順番にクリアしていくことで、プレイヤーの習熟度が段々上がるようになっていた
・しかも、簡単なステージを先にクリアすることが、後々のステージの攻略のカギにもなっていた
・結果、攻略順を自分で考えれば考える程簡単に攻略できるようになっていた
・更に、自分で合うようにある程度攻略順をカスタマイズできるようにすらなっていた

という、滅茶苦茶よく出来たゲームデザインを成立させていたんです。やってる内に勝手に上手くなるし、上手くなってくると自分でも色々工夫が出来る。理想のレベルデザインに近いと思います。

これ、物凄いと思いませんか?初代ロックマンが出た1987年って、ロマンシアとかエルナークの財宝辺りと同時期です。まだ「クリアさせるように作る」ということ自体が一般的でなかった時代に、「プレイヤーを習熟させて攻略成立に導く」という思想とレベルデザインを完成させていたのがロックマンなんですよ。まだ、初代「ロックマン」では若干粗削りなところもありましたが、ロックマン2、3になるにしたがって、この「攻略ルート構築」という遊びはより洗練されていきました。

「プレイヤーを導いて、攻略させる」という思想。これの嚆矢の一つとして挙げられるのがロックマンシリーズである、とまで言ってしまっては言い過ぎでしょうか。いやあんまり考えないで言ってるんですが。

この、「弱点をキーにした攻略順」という概念は、遠く「モンスターハンター」なんかでも導入される概念になります。

ちなみに、もう一方、

・楽をする手段の豊富さと、それを選択するかどうかの自由

について。

クイックマンステージにおけるタイムストッパーの位置づけなんか代表的なんですが、ロックマンって「プレイヤーの選択による難易度トレードオフ」があちこちに存在するんですよ。

クイックマンステージでは、ステージ途中、画面横から出てくる即死トラップが厳しくって、アドリブ避けには相当の腕が必要とされるんです。だから、タイミングと位置を覚えて上手いこと避ける、という攻略が必要だったんですが、この時フラッシュマンステージでとれる「タイムストッパー」を使えば極めて簡単に道中を突破できるんです。

ただし、その場合ステージボスのクイックマンに対してはタイムストッパーが使えない。クイックマンも相当の難易度を誇る強敵ですから、クイックマンとガチンコで戦うのはそれはそれで相当の難易度な訳です。

このように、「楽をする手段が複数ある」「ただし、それぞれの手段にメリット・デメリットがある」「その選択はプレイヤーの手にゆだねられている」という要素も、ロックマンはシリーズのあちこちに用意していまして、これも重要極まる「ロックマンの味」の一つになっていました。攻略カスタマイズの幅の一つとして、一点触れておきたかった内容です。



〇ロックマンシリーズの曲めっちゃいい話と天地を喰らう2との関連について

ところで、今更言うまでもありませんが、ロックマンシリーズって曲めっちゃいいですよね?私、特に3のマグネットマンステージとか、2のヒートマンステージとか大好きなんですが。

ロックマンシリーズってファミコン版でも結構曲の担当が変わっていて、例えば1,2の作曲者は「エリア88」や「マジックソード」の曲も手掛けた松前真奈美さんである一方、ロックマン3や4の作曲者は「ブレイジングスター」や「ブレスオブファイア」も手掛けた藤田靖明さんなんですけど。

いうまでもなく、ロックマン1や2の曲物凄い名曲ばかりだし、私エリア88のBGMも滅茶苦茶好きなんで松前さんのサウンドも最高なんですが、ここで一つ皆さんに聴いて頂きたいのがファミコン版「天地を喰らう2」の戦闘曲なんですよ。


この!!このロックマンテイスト!!!どこかに中国色も残しつつ、中華ロックとでもいうべきすさまじいメロディアスな展開、これ「最高」という以外の二文字が必要でしょうか?特に攻城戦の曲とか、決戦の曲とか素晴らしいという以外の言葉がない。

まあアレです、作曲者から見て色んなタイトルの曲を漁ってみるのも、その共通テイストを漁ってみるのも楽しいですよねっていう話です。あと天地を喰らう2いいよね!!1もいいけど!!!

ということで長々語って参りましたが、私が言いたいことを一言にまとめると

ロックマンシリーズはめっちゃ面白いので昔のタイトルも今のタイトルも皆積極的に遊びまくるべき

という一点だけであって、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 10:50 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月29日

あなたが今すぐにswitch onlineで「ソロモンの鍵」を遊び始めるべき理由

皆さん、「ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online」遊んでますか?


オンラインサービスのついでにファミコンの大名作がswitchで遊び放題とか、端的に言って凄まじいお得度のサービスですよね。

私、「switchにも早いとこバーチャルコンソール導入しろください」とずっと思っていたので、今回割としれっとこんなサービスが導入された際には、正直驚愕して言葉を失ってしまいました。

勿論、ラインナップに様々な意見がつくのは当然であろうというところではあるんですが、ローンチ、および続発のタイトルに関しては、「全く外さないド本命」のゲームタイトルばかりが選ばれているといってまあ間違いないでしょう。

確かに、ゼルダだのスーマリ3だのバルーンファイトだのアイスクライマーだのダウンタウン熱血物語だのグラディウスだのといったタイトル群を見ていると、戦力的にはまさに「呂布と関羽と張遼と孫策が徒党を組んで大軍勢で攻めてきました」といレベルの圧倒的バリュー。今後もどんどんタイトルが追加されていくのは規定路線な訳で、現状利用しないのが勿体ないレベルに既に達しているのではないかと思うわけですが。

もし今の時点で、「この中からどれか一つ、絶対に遊ばないといけないゲームタイトルを挙げよ」と言われれば、少なくとも私の答えは決まっています。

それは「ソロモンの鍵」だ、と。


ソロモンの鍵。1986年7月30日、テクモよりファミコン版が発売。アーケードとファミコン版がほぼ同時にリリースされたタイトルでもあり、この年の2月に「テーカン」から「テクモ」に社名を変えたばかりのテクモが、「マイティボンジャック」に続いて送り出した一作です。

以前も一度書いたことがあるのですが、私はこのゲームを、「バブルボブル」と並んで「究極の固定画面型アクションゲーム」として考えています。また、「アクションパズル、というジャンルの一つの到達点」でもある、と思っています。

まずは、固定画面型アクションゲームについて考えてみたいと思います。


〇固定画面型アクション今昔

固定画面型アクションゲームというのは、今の言葉で解説すると「画面がスクロールしないアクションゲーム」です。といっても、勿論「スクロール」という機能の方が後から出てきたわけであって、「PONG!」でビデオゲームが黎明を迎えてからしばらくの間、ゲームといえば殆どが固定画面型でした。

多くのジャンルがそうであるのと同様、固定画面型アクションゲームも、様々なジャンル的枝分かれを経験しながら発展していきました。

例えば、「ヘッドオン」に始まり、「パックマン」で爆発的ヒットを記録して、ジャンルとして確立されたドットイートゲームの流れ。

PONG!を始祖に持ち、「ブレイクアウト」を始めとした数々の子孫を擁する、ブロックくずしゲームの流れ。

「ドンキーコング」をルーツ(SpacePanicという先達がいるとはいえ)として、「マリオブラザーズ」や「フェアリーランドストーリー」などを始めとする数々のスタンダードを送り出した、ジャンプアクションゲームの流れ。

そんな中、アクションゲームに「パズル要素」というものを重要なツールとして導入し始めた流れがあった、ということは言っていいと思うんです。

私が考える限り、「アクションパズル」の一つの萌芽は、1979年に出現した「平安京エイリアン」に見ることが出来ると思っています。四方八方から侵攻してくるエイリアン、それに対して穴を掘って迎え撃つ検非違使。どこにいくつの穴を掘るか。敵のルートをどう想定するか。あれは、間違いなく一つの「パズル要素」の導入でした。ロードランナーの直接的なルーツの一つ、と言ってもいいと思います。

一方、より純粋なパズルゲームに近い形のタイトルとしては、1982年の「倉庫番」の存在も挙げておきたいところです。静的な画面で、ブロックを動かして所定の場所に納める。これはアクションゲームというよりははっきりとパズルゲームですが、後々の作品に与えた影響については指摘するまでもないところです。ちなみに、セガの名作「ペンゴ」が発売されたのも1982年です。

そして、おそらくはっきりと「アクションパズル」というジャンルが確立されたのが、恐らく1983年。「ロードランナー」と「FLAPPY」の二大名作が姿を現したタイミングのことだったのではないか、と考えるわけです。

アクションパズルには、「アクション要素とパズル要素のバランス」というものがあります。アクションゲームとしての側面とパズルゲームとしての側面、どちらが強いか。例えば倉庫番ははっきりと「パズル寄り」のゲームですし、平安京エイリアンははっきりと「アクション寄り」のゲームです。

ロードランナーとFLAPPYの二作は、いずれも「アクションとパズル要素のバランス」が物凄く優れていました。敵との戦い、敵と追いかけっこして、時には地形やブロックを利用して倒して、というのはどう見てもアクションゲームです。一方、パズル要素、うーーんと悩んでステージをクリアしなくてはいけない側面もちゃんとあって、しかもそれがとんでもなく良質なのです。ゲーム史上、ここまで完璧な「バランス」をとったアクションパズルは、それまで存在しなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。


ところで、ここまで出てきたタイトルの一つの共通点として、いずれも「ブロックや地形を削る・ないし動かす」というものをゲームの中核に据えている、ということが言えると思います。

ロードランナーは、地形を掘って穴を開け、それを突破口としてパズルを解いていきます。FLAPPYは、ブロックを動かして、時には潰して、パズルを解いていきます。これについては、ペンゴも、バベルの塔も、エッガーランドも、数々のアクションパズルに共通する要素です。

それに対して、「ソロモンの鍵」はどうだったか。

ソロモンの鍵は、ただアクションパズルとして完成度が超絶高いだけでなく、一つの革新的な要素をもっていました。

ソロモンの鍵は、恐らくアクションパズルゲーム史上初の、「創る」ないし「作る」パズルゲームだったのです。


〇何故なら、そこに換石の術があったから。

ソロモンの鍵は、固定画面型アクションゲームです。プレイヤーは、主人公の「ダーナ」を操って、ベルを取ると現れる妖精を助けながら、鍵をとって出口を目指します。

dana.png

これがダーナ君です。で、ステージがこんな感じです。

solomon_no_kagi_(j)0001.png

これだけ見ると、ソロモンの鍵は一般的な固定画面型アクションゲームと異なることがありません。ですが、ソロモンの鍵には、「換石の術」という、唯一無二、アクションパズルとしての最強の武器があります。

ダーナは、「ブロックを消す・削る」だけではなく、「ブロックを新たに作る」ことが出来るのです。

ダーナは、Aボタンを押すと杖を振ります。目の前に消せるブロックがあれば消します。何もなければ新しくブロックを作ります。使い放題です。

作ったブロックは、勿論足場に出来ます。

敵を閉じ込める、あるいは敵がこちらに来るのを防ぐことにも使えます。

地形を変更して敵のルートを誘導する手段にも、誘導した敵を落っことして倒す為の攻撃手段にも、当然ステージを突破していく為の移動手段にも、隠れているアイテムを探す為の宝探し用途にすら使えるのです。

物凄い可用性。たった一つのシステムが、ここまで縦横無尽、ゲームの全面に渡ってあらゆる機能を担った例は、固定型アクションゲーム全体を見渡しても稀有といっていいでしょう。言ってみれば、「普通の固定画面型アクションゲーム」が、換石の術というシステムたった一つで、「アクションパズルにおける金字塔」に化けたのです。

これまでのアクションパズルは、基本的には「動かす」「消す」ことしか出来なかった。

けれど、ソロモンの鍵は、「換石の術」というシステム一つで、そこに「作る」というとてつもない広さを持ったフィールドを追加してのけた。そこにあった「遊び」の広さはまさに天井知らずで、ただパズルゲームを解いていくだけでなく、何ならステージを全く違う形に変えることも、ブロック一つで簡単にすることだって出来るわけです。

アクションパズルにおけるソロモンの鍵の存在感の物凄さをご理解いただけるでしょうか。

「一つのギミックがゲーム全体を形作る」という点では、例えばバブルボブルのバブルや、あるいはR-TYPEのフォースにも通じるところがあります。まずは、アクションパズルというジャンルに触れるなら、一度は「ソロモンの鍵」をプレイしておいて決して損はない、とまでは言い切っていいように思います。


〇とはいえゲーム自体は相当難しいです

といっても、ソロモンの鍵は当時でも「高難度ゲーム」として認識されておりまして、全ステージ50面、自力で全て解けた人というのは決して多数派ではありませんでした。単純なパズル的要素もさることながら、中には宝探し要素、ノーヒントでの謎解き要素なんかもありまして、真のエンディングにたどり着くには並々ならぬ試行錯誤が必要でした。

当時、「誰にでもクリアできるように」という思想は全く一般的でなく、むしろ「ゲームをクリア出来る人はすごい」という扱いであったことが前提とはいえ、今の視点からすると相当なムズゲーバランスであることは正直なところでしょう。

ただ、例え全編クリアが出来なくても十分に「ソロモンの鍵」が面白いポイントとして、

・純粋にアクションゲームとして遊びやすい
・ブロックを作ったり消したり色々工夫しているだけで十分面白い
・敵配置が考え抜かれていて、考えれば考える程サクサク進めるようになる
・音楽がめっちゃ癖になる

という点は強調しておいてよいところだと思います。特に音楽。一見単調なようで、何故かスルメのように味が出てくるマジカルBGM。ボーナスステージのBGMの爽やかさは特筆すべきところだと考えます。


まあ何はともあれ、折角オンラインで配信されているわけですし、まだ未プレイの方は騙されたと思って是非起動してみて頂きたいわけです。ダーナくんが操る「換石の術」が、たった一つでどれだけゲームを奥深くしているか。味わって頂ければ幸いなことこの上ありません。ちなみに、同じテクモでいうと、「マイティボンジャック」もかなりの勢いでお勧め出来ます。まあ、最強のお勧めテクモゲーは「キャプテン翼2」なんですけど。


長くなりましたが、今日書きたいことはそれくらいです。













posted by しんざき at 22:38 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

古いコンテンツを楽しむ為の資質というものがある

なんか最近、「古い漫画を今読んで楽しいと思えるかどうか」みたいな話が一部で盛り上がってました。

あるコンテンツを楽しめるかどうか、あるコンテンツを摂取して面白いと思えるかどうかというのは、完全無欠に「人それぞれ」であって、いいも悪いもありません。「面白い」「面白くない」は誰にも否定されてはならない、大げさに言えば聖域です。ドラゴンボールが面白くなかろうが、ブラックジャックが面白くなかろうが、それ自体は批判されるべきではありません。これは前提です。

何故か世の中には、「自分が好きなコンテンツを「面白くない」と言われると、自分が喧嘩を売られたと感じる人」が結構いまして、それは困ったもんだなあと思います。

まあ勿論、「あるコンテンツを楽しんでいる人たちの集まりに入ってきて、わざわざ「これ面白くねーよ!!」と水をぶっかけにいく」みたいなテロ行為も世の中にはありまして、こういうのについてどう反応するかはケースバイケースだと思うんですが。あれ何でしょうね、わざわざそのゲームの愛好者のスレ探し出して、そのゲーム全然面白くなかったって話し始める人。ちょっとテロリズム精神が強すぎると思うんですが。

ただ、いい悪いの話ではなく「向き・不向き」くらいのレベルの話で言えば、「こういう人は古い漫画を面白く読める頻度が高いかも」という、言ってみれば「古い漫画楽しみスキル」みたいなものは存在するかも知れないなあ、と思います。

例えば「絵柄に対する許容範囲が広い人」とか。「歴史的な背景を勘案することが出来る人」とか。古い漫画の絵柄が、現在の絵柄トレンドと合致しないことは当然ですし、「なんかこのストーリー見たことあるな」じゃなくて「ここがルーツだったんだ!」と思える人の方が古いコンテンツを楽しめるのも当然です。

「この時代にこれやっちゃうのかよ!!」みたいなところに感動出来ると凄く楽しいですよね。AKIRAとかマジすごい。あれ80年代とか信じられない。

とはいえ、私は漫画好きではありますが、漫画読みというよりはレトロゲーマーだと自認しておりますので、この記事では「レトロゲームを楽しめるかどうかの資質」に関してちょっと考えてみようと思います。

***

先に定義なんですが、ここでいう「レトロゲーム」というのは、仮に「1980年代〜1990年代初頭くらいまでのコンシューマー・アーケードゲーム」とさせて頂ければと思います。まあレトロゲームにも色々ある訳で、基本的にざっくりした話です。

「昔の名作、と言われるゲームを遊んでみたけど面白くなかった」という感想に接することは割と頻繁にあります。特に最近は、古いゲームがリバイバル移植されたり、switchオンラインで昔のファミコンタイトルが移植されたりして、接触機会自体もそこそこ多いのでしょう。

勿論タイトルやジャンルによって色々なんですが、敢えてその辺を四捨五入して、例えばamazonストア辺りを巡回して「面白くなかった」という感想の要素を抽出すると。

意外に「面白くない理由」というものはバラエティ豊富ではなく、大体以下のようなものを観測する頻度が非常に高いです。

・ゲームを進めるに当たって説明不足、何をすればいいか分からない
・難易度が高すぎる、不親切、クリアできるように作られていない
・グラフィック、ないし音質がしょぼい
・展開・ゲーム速度が遅くてイライラする
・ストーリー性が薄い、ないしストーリー性がない

この辺の話はむべなるかなというか。勿論グラフィックとか音とか、そもそもハードウェア性能に依存する要素についてはどうしようもないんですが。

一つ確実に言えることは、少なくとも1980年代くらいまでのゲームって、「クリア」や「エンディング」に対するスタンスが今と根本的に違うんですよ。

つまり、そもそも「クリア」というのはおまけ要素、ループゲームが殆どだった時代に表れた「一区切り、という機能」だったのであって、「プレイヤーをクリアまで導く」「クリアまでがワンセット」という思想が多分なかった。どっちかというと「クリア出来た人は凄い!」という感じ、タイトルによっては「クリア出来るもんならしてみろ!」というニュアンスすらあって、例えばクリアした画面を撮ってメーカーに送ると記念品が、みたいなキャンペーンまで頻繁に存在したんです。ヴォルガードIIとかフラッピーとか。懐かしいですよね。

要は、「クリア出来るように作られていない」ということがマイナス評価になっちゃう人にはちょっと苦しいかな、ってゲーム、多いと思うんですよ。ただしロマンシアだけは許さない、絶対にだ。

それに伴って、「説明不足」という要素も確かにあるかも知れません。説明書を読むことは勿論前提として、その上でも「ゲーム内でのチュートリアル」なんて殆ど存在しなかった。「そうびしないといみがないぜ」というのはアレ、結構親切な台詞なんですよ。私、アレ系でいうと「ジャングルウォーズ」の「こらこらパンツをはきなさい」っていう台詞が白眉だと思ってるんですが。

また、昔のゲーム、特にアクションゲームは「コンテンツ」というより「遊び」を下敷きに作られているということもあり、「操作感を楽しむゲーム」というものが多かったことも、一つ言える要素だと思います。マッピーとかパックランドとか、トランポリンで跳ねたり、ジャンプ台でジャンプしてるだけで面白かった。そういう、言ってみれば「手触り」みたいなものは、楽しめる人と楽しめない人で多分はっきりと二極化します。

ゲーム速度については正直「タイトル次第」です。速いゲームは速いし遅いゲームは遅いです。基本、RPGについては「移動速度」がネックになることが多いんですかね?アクションゲームやSTGではあんまりこの不満出ない気がします。

ただ、例えばスーパーモンキー大冒険とか、闘将ラーメンマンを遊んだ人が「このゲーム遅すぎるんやけど」というなら私自身全力で首肯します。ぶんぶん頷きます。

あと、昔は「スキップ機能」というものがあまり一般的でなかった、ということは言えるかも知れないですよね。デモシーン丸々すっ飛ばす、みたいのはまあありましたが、メッセージの早送り機能なんてほぼ見なかったですよね?あれいつ頃からでしょう、サウンドノベルとか、サウンドノベル派生のエロゲーとかですかね?

ストーリーというものについても、容量の制限があるのは当然として、そもそもストーリーって「おまけ要素」に近かったですからね。ゲーム上ではあまり表現されずに、想像や妄想で補完するタイトルが多かった。それはそれで楽しかったわけですが。

この辺つらつらと考えてみますと、「こういう人はレトロゲームを楽しめることが多いと思います」という要素、言ってみればレトロゲーム楽しみスキルは、大体以下のような内容に収束するのではないかと考えます。

・操作感、手触りを楽しむことが好きかどうか
・手探りでハードルを越えていくことに達成感を感じるかどうか
・自分のプレイを試行回数で最適化していくことが好きかどうか
・妄想力が高いか、ストーリーを脳内補完するのが好きかどうか
・「クリア」「エンディング」に関する比重が低いかどうか

勿論、「タイトル次第」な部分は極めて大きい訳であって、タイトルによってはこんなん一つも当てはまらなくても十分楽しめる、というケースが大アリなんですが。その上で、「上の要素に幾つか当てはまる人は、むしろレトロゲームをやらないと勿体ない」という言い方は出来ると思う訳なんです。


最初の方で書きましたが、近年、レトロゲームに触れる機会というものはむしろ増えているし、プラットフォームも充実してきているわけで。名作かそうでないか関係なく、「昔のゲーム」というものは一つのコンテンツとして十分扱えると思うんです。

今だからこそファミコン。ちょっとでも「向いてるかも」と思った人には、是非レトロゲームを触ってみて欲しいなーと。私も今後とも、全力でお勧めしていこうと考える次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月01日

レトロゲーム万里を往く その144 ある格ゲーへの挫折と、20年ぶりの再会

単なる思い出話をします。長文なのでお暇なときにどうぞ。

1995年、9月のことでした。

当時は格闘ゲームがゲーセン中で湧きたっていた頃で、カプコンでいうとスパIIXが未だに遊ばれ続ける一方、「ストZERO」や「ヴァンパイアハンター」の対戦台が熱気に満ちていました。対戦台の後ろには順番待ちの行列が並び、ギャラリー専の人が張り付くことも珍しくありませんでした。

SNKでいうと、餓狼は「3」が出ていましたし、KOF95ではルガール・庵・京のチームがどの対戦台でも大暴れしていました。

私自身が主に何を遊んでいたかというと、5月頃にゲーセンに姿を見せた「天外魔境真伝」でした。私の持ちキャラはカブキ団十郎でして、派手な見た目とは裏腹に比較的地味なキャラ性能で、ダッシュからカブキ羅砕刃とカブキ烈空破の二択をかけることに命をかけていました。で、大抵読みを外して、相手のガード後に超必並みのダメージを(力王BCで)叩き込まれていました。

今から振り返ってみると、当時既に、「格闘ゲームタイトルの飽和」という現象は起こっていたように思います。色んなメーカーが、色んな格闘ゲームをゲーセンに送り出していました。一方、ゲーセンに通う客はそこまで爆発的に増えたりはしないので、対戦台が盛り上がるタイトルとそうでないタイトルにははっきりとした差が表れていましたし、そもそも対戦台が入らないタイトルも多数ありました。バーチャ2や真サムは対戦台に並ぶ客が引きも切らない一方、風雲黙示録やギャラクシーファイトで対戦出来たことは一度もありませんでした。

そこに、「マーヴル・スーパーヒーローズ」というタイトルが登場しました。


最初の印象は、「なんだ!!これ!!!やたらかっこいい!!!!!」だった、と思います。

マーヴル・スーパーヒーローズは、文字通りマーヴルのキャラクターを格闘ゲームの世界に叩き込んだゲームタイトルで、前作「X-MEN」の流れを汲んでいました。が、その演出、その完成度は、少なくとも私の目には、「X-MEN」のそれを遥かに超えているように思いました。


画面狭しと暴れまわる、ヒーローヴィラン、人外ミュータントの皆さま。

スーパージャンプと高速移動で、目まぐるしく変動する画面とキャラクターを追いきれない程のスピード感。

インフィニティジェムをめぐる駆け引きと、ジェムを発動した時の強力な効果。

攻撃を当てた時、必殺技を当てた時の絶妙な手ごたえと爽快感。


それら全てが、私にとっての「マーヴル」の第一印象だったのですが、私が何よりも強く引き付けられた要素は何かというと、とにかく「ボイス回りの演出がやたらかっこいい」ということでした。

特に「インフィニティスペシャル(いわゆる超必殺技)」回りの演出で顕著だったのですが、超必を発動した瞬間、マーヴルのシステムボイスは、やたらとキレのいい発音で「インフィニティ!!」と叫ぶのです。その後、相手にどかどかどかーーっとダメージを与えて、フィニッシュの瞬間には画面にばーーーんと踊る超必の技名。

私は今でも、マーヴル・スーパーヒーローズの演出を「カプコン格ゲーの到達点」だと思っていますし、あのゲームが後々の格ゲーに与えた影響は計り知れないと思っています。とにかく、ただ動かして、ただゲージを溜めて、ただ超必を相手にぶち当てる、それだけでマーヴルは十二分に面白かったし、物凄くスタイリッシュだった。「訳が分からん程かっこいい」という以外に、あのゲームを表現する言葉はいらないんじゃないか、とすら思っています。

マーヴル・スーパーヒーローズにコイン投入して、私が最初に選択したキャラは、どういう訳か「シュマゴラス」でした。

理由は既によく覚えていません。特段際立って触手好きなわけでもありませんし、当時私が使っていたキャラはどちらかというとスピード系キャラが多く、特に色物に傾斜していたわけでもありません。後から知ったことですが、シュマゴラスというキャラは、どうもマーヴルの中の人にとってすら「誰だっけ?」と思える程、原作での存在感に恵まれないキャラのようでした。

ただ、「マーヴル・スーパーヒーローズ」のゲーム中において、シュマゴラスが魅力にあふれたキャラだったことは断言出来ます。

こちらを見つめる一つ目のつぶらな瞳。ダッシュする時の素早いクモスタイルへの変形。変幻自在の通常技と必殺技。そしてなによりも、カオスディメンジョンの圧倒的な演出と破壊力。

私はどちらかというとSTG好きで、当時はおそらく「ストライカーズ1945」や「ゲーム天国」にハマっていた時期だと思うのですが、その合間を縫うように、私はマーヴル・スーパーヒーローズにコインをつぎ込み始めました。

マーヴルは、楽しかった。マーヴルは、派手だった。マーヴルは、触っているだけで感動出来た。

ただ、そこには一つだけ、大きな、とても大きな壁がありました。


私には、「エリアルレイヴ」がさっぱり入力出来なかったのです。


エリアルレイヴというのは、マーヴルの中核システムの一つであって、いわゆる空中コンボです。「エリアル始動技」を相手に当てると、相手は空中高く吹っ飛ばされます。間髪入れずにレバー上を叩き込むと、相手を追って大ジャンプした自キャラが、空中でガンガン連続技を叩き込むことが可能になるのです。

エリアルレイヴは、目玉システムなだけあって、極めてダメージソースとしての比率も高く、マーヴルの対戦は「どうやってエリアルに繋ぐか」のせめぎ合い、のようなところがありました。スパイダーマンが、ウルヴァリンが、マグニートーが、アイアンマンが、自由自在にエリアルを叩き込んでいる姿の格好良さは、皆さんもご記憶のことではないかと思います。

何故エリアルが出来なかったのか、ということは、今でもよくわかりません。おそらく、「ジャンプするのにもタイミングが重要で、ボタンを押すのにもタイミングが重要」ということが私の脳の許容量を超えていたのだと思います。元より私は大して格ゲーが上手くもなく、アクションゲームのへたっぴーさでは人後に落ちないと思っているのですが、それでもあれほど「このシステム全然使いこなせない」と思ったことは後にも先にもあれ一回切りだったと思います。

いくらコインをつぎ込んで練習しても、私はさっぱりエリアルを入れることができませんでした。ゲーメストを読んでやり方を覚えて、コンボルートをメモしてゲーセンに持ち込みまでして、それでもダメでした。私のシュマゴラスが、中Kで相手を空中に吹っ飛ばして、華麗に相手にコンボを叩き込むことは、ついに一度もありませんでした。

当然のこと、私は対戦ではさっぱり勝てませんでしたし、「重要なシステムの一つをさっぱり楽しめない」という重圧は非常に大きく、CPU戦すらあまり楽しめなくなっていきました。

このゲームはこんなに面白いのに。

このゲームはこんなにかっこいいのに。

やがて私は、失意の裡にマーヴルをやめてしまい、その後しばらく特殊コンボ系のシステムは苦手になってしまいました。例えば、ストZERO3のオリコンも苦手でしたし、ウォーザードの浮かしコンボも苦手でしたし、天草降臨の14連斬も苦手でした。一種のトラウマだったかも知れません。


これが、言ってみれば私にとっては初めての、「格ゲーでの挫折」でした。


私のこの苦手意識が克服されるのは、実に5年後。「ギルティギアゼクス」でダストアタックというシステムに出会った時でした。

何故、マーヴルでは出来なかったエリアルがギルティで出来たのか、というと話は単純で、ギルティでは「ダストアタックを入れた後はレバー上入れっぱなし」で、ジャンプをするタイミングについては全く考慮する必要がなかったためだと思います。私の不器用さでも、左手を全く考慮する必要がなければ、右手だけであれば処理出来たと。多分そういうことだったのだと思います。

あれから23年が経ちました。

つい先日、とある飲み会の待ち時間でふらっとゲーセンに寄った時、マーヴルの対戦台を見かけました。プレイしている人はおらず、オープニングデモが流れ続けていました。

私は何の気もなしにコインを投入して、ちょっとだけ時間をつぶそうと思ってシュマゴラスを選びました。cpu戦で最初にアイアンマンに当たりました。

皆さんご存知の通り、カプコン格ゲーのCPUは序盤比較的弱く、割とこちらの攻撃に当たってくれます。ちょこちょこと小競り合いをして、立ち中Kが相手にヒットしました。レバーを上に入れたら、上に弾き飛ばされたアイアンマンを追って、シュパっとシュマゴラスがジャンプしました。

コマンドは頭が覚えていました。中P中K、空中投げ、J大P、もう一回大P、

あ、

繋がった。

「マジか」と独り言が漏れました。嬉しいというよりむしろ唖然としました。かつて、あれだけ練習して、あれだけさっぱりだったエリアルが、何故かあっさりと繋がった。

といっても、当時の感覚を思い出してしまったのがむしろダメだったのか、その後もう何度か同じことをやろうとしてもさっぱり出来なかったわけですが。とにかく一回、たった一回だけ、私には、かつて出来なかったことができたのです。

実のところ、これが、これだけが、この記事を書いた理由です。

「昔はさっぱり出来なかったエリアルレイヴが、久しぶりにプレイしてみたら一回だけ出来た」というほんのそれだけの話です。

ただ、ほんのそれだけのことが、私にとってはかつての私の努力と失意に対する20年越しの敢闘賞のように思えたのです。

だから私は、今でも格ゲーを遊びます。ギルティを遊びます。スト5を遊びます。昔遊んで、しばらく遊んでいなかったタイトルにも、時折思い出したようにコインを入れます。ワーヒーパーフェクトに、天外真伝に、龍虎2に、神皇拳に、アシュラブレードに、マーシャルチャンピオンに。

皆さん、格ゲーやってますか? 昔、格ゲーやってましたか?

もしよかったら、ちょっと久々にコインを入れてみてはいかがでしょうか。もしかすると、昔は気づかなかった発見が、思いもよらない敢闘賞が、あなたを待っているかも知れません。

今日書きたかったことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月31日

レトロゲーム万里を往く その143 「キャッスルエクセレント」と、ゲーム攻略というものを教えてくれた友人のお兄さんの話

皆さん、「キャッスルエクセレント」ってゲーム、ご存じですか?



元々は88の「ザ・キャッスル」っていう固定画面アクションゲームだったんですが、ファミコンに移植されるにあたってマップから何から大幅にアレンジされて、「伝説の一作」と言われるくらいの超絶完成度を手にした名作アクションパズルゲーム。

私、ファミコンにおける「アクションパズルゲームの到達点」って4作あると思ってるんです。

一つが、「換石の術」というギミックを最大限に使って、「削る」のではなく「作る」ブロック型パズルというアイディアを実現した、テクモの「ソロモンの鍵」。

一つが、L字ブロックという「向き」を考慮しないといけないギミックを主軸に、思考の必要性を三段階くらい深くしてのけた、ナムコの「バベルの塔」。

一つが、考えに考え抜かれた面配置と、「敵を使ってマップを作る」というアイディア一つでアクションとパズルを完全に両立して見せた、アイレムの「迷宮島」。

そして、アスキーの「キャッスルエクセレント」。

キャッスルエクセレントは、「おしゃれな見た目とポップなBGM、そして軽快なアクション」というガワに、「超絶難易度のパズル要素」というものをどかっと載せた、言ってみれば「全部載せ」のパズルアクションゲームでした。

100個にも及ぶ部屋から成る、巨大な城。

それらを結ぶ六色の扉と、それを開くための無数のカギ。

やたら軽快なジャンプとナイフによる攻撃アクション。

それらアクションを駆使しないとクリア出来ない数々の難関マップと、一見おしゃれなようで案外エグい動きをする敵キャラたち。

それら全てを、「ムチャな作り込み」と「物凄い完成度」という共通要素ですべて紐づけて、一つの作品にまとめ上げたゲームがキャッスルエクセレントです。恐らく、ファミコン全時代を見渡しても有数の攻略難度を誇るゲームではないでしょうか。

私は、この「キャッスルエクセレント」をきっかけに、「ゲームを攻略するとはどういうことなのか」を学びました。


以下、ちょっと昔話をします。長文になりますがご容赦ください。

当時私は低学年の小学生でした。小1だったか小2だったか、正確なところはよく覚えていません。30年ちょっと前の話です。

「キャッスル」というゲームが面白いらしい、それを移植したキャッスルエクセレントも面白いらしい、という話は、確か兄から聞いたのだったと思います。その情報を元に、私はキャッスルエクセレントにたどりつきました。親に買ってもらったのだったか、当時流行っていた「ゲーム交換店」で交換してもらったのだか、これまた明確なところは覚えていません。

ただ、キャッスルエクセレントは、低学年の小学生にはちょっと難し過ぎました。

いや、面白かったんです。無茶苦茶面白かったし、わくわくしたんです。

ぴょーんと長いジャンプをさせるのは面白かったし、敵をナイフでやっつけるのは楽しかった。マップをあちこち探索するのもわくわくした。このわくわく感は、間違いなく、当時ファミコンで感じることが出来た中でも最上質のものでした。

けれど、何せキャッスルエクセレントは、ファミコン全体でも有数の高難度ゲームです。マップとマップの繋がり、鍵を使う時の計画性、マップのギミックを冷静に観察する観察力と、それをクリアする為の学習力。そういったものなしにキャッスルエクセレントを攻略することは出来ません。

悪いことに、キャッスルエクセレントにはセーブ機能があり、そのセーブ機能を前提にバランス調整されているような節もあるのですが、当時セーブする為にはそれ専用の「データレコーダー」というインフラが別に必要だったのです。そんな高度なインフラが家に存在するわけもなく、ゲームオーバーになる度に最初から試行錯誤のやり直し、というのが当時の定番パターンでした。

当時の私は、せいぜい最初の十数マップをいったりきたりするのが精一杯で、クリア出来ないままに挫折してしまったのです。

「ナッツ&ミルク」や「デビルワールド」でキャッキャ遊んでいた頃の話です。当時は大変大変悔しかったのですが、今から考えるとまあ仕方ないのかな、と思いもします。

それから何年か経ちました。私は、小学校中学年を経て、高学年になっていました。

当時、小学生の遊びの王様は文句なくファミコンでした。ファミコン好きの友人は何人もいましたし、ぼちぼちスーパーファミコンの話題を持ち出す友人もいる頃だったと思います。

当時、キャッスルエクセレントは既に「ちょっと昔の」ゲームでしたが、私はあるとき、友人たちにキャッスルエクセレントの話をしてみました。ちょっと前なんだけど、こんなゲームあってさー。すげえ難しかったんだけど知ってる?

すると、その中の一人がこう言いました。うちにあるよ、そのゲーム。俺クリア出来ないけど、兄ちゃんがクリアしてたよ

本当か!!と私は勢いこみました。なにせ、当時私にとってはゲームの先達であった私の兄ですら、キャッスルエクセレントには挫折していたのです。

ちょっと聞いてみると、その友人のお兄さんはもう大学生で、ファミコンの他にパソコンのゲームも色々やっている、という話でした。色々ありまして、私はキャッスルエクセレントのカセットをもって、その友人の家に遊びにいき、そのお兄さんにアドバイスをしてもらうことになりました。冷静に考えるとその友人の家にもキャッスルエクセレントはあるわけで、私がソフトをもっていく必要などまるでなかったのですが、まあ子どものやることです。やっぱり「自分のソフトでクリアしたい」という欲求があったのでしょう。

私は、そのお兄さんに「キャッスルエクセレント攻略ノート」というものを見せてもらいました。

衝撃を受けました。

その人は、キャッスルエクセレントのマップ全てを図に書き出しており、そのマップ同士の繋がり、ギミックの特徴まで、詳細にノートに書き出していたのです。当時の自分の感覚では、「びっしり」という密度に見えました。

ここまでやるのか。

ここまでやらないといけないのか。

ここまでやれるものなのか。

今から思えば、それくらいの「攻略ノート」を作る人、というのは、当時そこまで珍しくはなかったのかも知れません。webで調べれば攻略情報がわかる時代ではありません。どこの本屋でも攻略本が売っている時代でもありません。プレイヤーそれぞれが、それぞれの攻略情報を蓄積して、ゲームを攻略していた時代です。

ただ、当時ちゃらんぽらんに、ノリと勢いでゲームを攻略していた私にとっては、それは「ゲームを攻略するってのはこういうことだぜ」というビジョンを見せつけられた思いだったのです。

試行錯誤と、蓄積と、蓄積を元にした改善の積み重ね。それが「ゲームを攻略すること」でした。私は、その時それを初めて知りました。

そんなお兄さんの随所随所のアドバイスの元、私はなんとかかんとか、2時間くらいで「キャッスルエクセレント」のエンディングにたどりつきました。今から思えば、そのお兄さんもよく付き合ってくれたなーと思います。勿論感動したのですが、その時、クリアした感動以上に、「これが攻略か!!」という衝撃が大きかったように思うのです。

この時の衝撃は、更に数年を経て、「ダライアス外伝」というゲームの攻略に結び付くことになるのですが、まあそれは余談。



ところで。

つい最近、PS VITAの「LA-MULANA EX」というゲームを買いました。きっかけは、ねとらぼさんで、てっけんさんのこの記事を読んだことでした。

面白そうだなーと思いましたし、今現在遊び始めて「これおもしれえ!!」と思ったんですが、それについてはまた別に書きます。

それ以上に私は、「このわくわく感、なんか記憶にある…」「あ!!これ、キャッスルエクセレントの時のヤツだ!!」と感じたのです。手探りでマップを埋め、マップのギミックを解き明かしていく感触。少しずつノウハウと情報を蓄積していかないと歯が立たない難易度。それは確かに、私がかつて、一度は挫折した「キャッスル・エクセレント」で感じたものと同じものでした。

あの時と同じ、「蓄積して、攻略する」という楽しさを、もう一度味わえるのか。

私はそんな風に感じて、ここからの「ラ・ムラーナ」というゲームに付き合う時間を、これ以上ないくらい楽しみにしている、と。

そんな話だったのです。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

レトロゲーム万里を往く その142 桃太郎伝説

神話・民話クロスオーバー、とでもいうべきジャンルがあるような気がします。

つまり、実際に存在する神話や民話、あるいは伝説的な実在の人物をゲームに、あるいは創作に登場させて活躍させる。かつ、複数の神話や民話を様々に交錯させて、登場人物同士に関連や人間関係を作る。舞台の時間軸は、現代であることもあれば、神話時代の当時である場合も、全然別の世界、別の時代である場合もあります。

世界史なり、おとぎ話なり、絵本なりで馴染みのあるキャラクターが、具体的な形をとって舞台上で活躍する、その「この人知ってる!」「この話知ってる!」的な既知感が、そういったジャンルの魅力の根源の一つになっている、というのはおそらく間違いないでしょう。

最近で言うと、言わずと知れた「Fate」やFGOなどのシリーズの他、遺物や遺跡を擬人化したようなソーシャルゲーム、一部の無双シリーズ、ヴァルキリープロファイルやゴッドオブウォーのような神話をテーマにしたゲーム、平野耕太先生の「ドリフターズ」やら女神転生やら大神やら、まあ枚挙に暇がないと思います。皆さんがお好きな「神話・民話クロスオーバー」作品は何でしょうか?

ところで、ことゲームの世界に限った話で言うと、この流れには割と明確なルーツがあるのではないかなあ、と私は思っています。

実際の神話・民話・伝説を下敷きにしている、というだけであれば、例えば「ドルアーガの塔」や「バベルの塔」「ソロモンの鍵」「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」あたりの話もしないといけないかも知れないですが、私が考える限り、コンシューマー機で明確に「神話・民話クロスオーバー」をやった最初の作品は、恐らく「ヘラクレスの栄光」だと思うんです


ヘラクレスの栄光は、1987年6月、データイーストから発売された作品です。ギリシャ神話を題材にしており、主人公はギリシャ神話の英雄ヘラクレスですし、ギリシャ神話の神々が山ほど出てきて色んな活躍をします。

基本的にはヘラクレスの「12の功業」を題材にしてはいるのですが、流石デコというべきなのか、その神話アレンジっぷりはかなりのものです。ヘパイストスは何故かアイテム扱いだし、ヘラクレスはバーの女の子に「ヘラちゃん」呼ばわりされるし、なんかヴィーナスがハーデースに捕まってるし、ラスボスはどういう訳かそのハーデースです。元ネタのギリシャ神話では、ヘラクレス別にハーデースと喧嘩してないんですけどね。「ケルベロス捕まえるけどええか?」「まあええで、ただし怪我させんなよ」っていう会話しただけで。そもそもハーデースとヘラクレスって叔父と甥の関係ですしね。

ところで、この「1987年」という年には、神話・民話クロスオーバージャンル的に、決して見過ごせない作品がもう2本出ています。

ひとつが、87年9月に発売された、「デジタル・デビル物語 女神転生」。この作品、ストーリー的には神話や民話要素はあんまり濃くないんですが、イザナギ・イザナミという日本神話要素を導入していること、色んな仲魔が神話や伝説からもってこられていること、様々な神話や伝説の登場キャラクターを戦わせることが出来ることを考えると、「クロスオーバー」のルーツとしてはかなり大きな作品だったんじゃないかなあと私は思っているんです。ベルゼブブやルシファーとクリシュナが戦うんですよ、この作品。超神話クロスオーバーじゃないですか?

まあ女神転生についてはまた改めてじっくり書くとして、もう1本。「神話・民話クロスオーバー」ジャンルの、割と根っこの方にある代表的な作品として「桃太郎伝説」があるんじゃないかと。私はそんな風に考えている訳なんです。

「桃太郎伝説」。1987年10月26日、ハドソンから発売。ゲームシステム的には「ドラクエ」を下敷きにしたスタンダードな2DRPGなんですが、日本の「昔話」を主要な題材とした世界観で、民話や伝説の要素が密接に世界観に取り込まれているのが大きな特徴です。


開発の指揮をとったのは言わずと知れたさくまあきらさんで、氏がこの作品以降、「桃太郎」のキャラクターを縦横無尽に展開し、「ターボ」「外伝」「新・桃太郎伝説」のような後継作RPGの他、「桃鉄」シリーズを世の中に送り出したことは皆さんご存知かと思います。また、イラストを担当した土居孝幸さんも含めて、「週刊少年ジャンプ」の読者投稿コーナーだった「ジャンプ放送局」との関連、相互影響がかなり大きかったタイトルでもあるでしょう。このゲームのネタ部分はかなりの部分ジャンプ放送局テイストだったと思います。

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私が考える桃太郎伝説の特徴を箇条書きにしますと、こんな感じになります。

・実際の民話・伝説を巧みにゲーム展開やイベントに取り込んだ、舞台立てとシナリオ構築の巧みさ
・初心者を意識したナビゲーションの工夫
・ほんわかした雰囲気にも関わらず、ゲームの難易度は正直かなり高い
・その為、一部のシステムで無理やりバランスをとっている感は正直ある
・ネタ部分は多分好みが分かれる
・希望の都が死ぬほど広い
・音楽めっちゃいい(特にパスワード入力画面(てんのこえ)が)

いくつかピックアップして補足してみます。


〇実際の民話・伝説を巧みにゲーム展開やイベントに取り込んだ、舞台立てとシナリオ構築の巧みさ

まず、なんといってもこれです。これあっての桃太郎伝説、これあっての神話・民話クロスオーバーです。

桃太郎伝説は、勿論その中核にあるのは「桃太郎」のお話であって、鬼ヶ島にいる鬼を退治する為に桃太郎が旅立つところが、そのお話の淵源です。

Momotarou Dentetsu (J)0001.png

ところが、この「桃太郎伝説」の世界観は、決して桃太郎の世界にとどまらず、ものすごい勢いで脱線していくんですね。世界地図をモチーフにした世界のあちらこちらで、日本の民話・童話・伝説を元にしたお話が、これでもかこれでもかと展開していくんです。

例えば、「金太郎」「浦島太郎」などの、メジャー童話の主人公たち。今作では、桃太郎は基本的に一人旅(+オプション3匹)である為に単なる「サブキャラクター」だった彼らですが、後のシリーズではメインキャラクターに昇格することになります。

例えば「花さか爺さん」。花さか爺さんが飼っていた犬が、桃太郎にお供する犬になる、なんて、まさに「ザ・民話クロスオーバー」って感じですよね。

例えば「おむすびころりん」のおむすび村や、「三年寝太郎」を舞台とした寝太郎の村。「舌切り雀」をモチーフにしたすずめのお宿は、あちらこちらで回復ポイントとなっていますし、「並び地蔵」は重要なヒントを教えてくれます。さるかに合戦のさるかに村、「やまんば」の話などなど、実に自然にゲーム展開に吸収されていくんです。

私が特にうまいなーと思っているのは、「クリアに必要なアイテム集め」という要素を、「かぐや姫」のエピソードとくっつけたところです。ドラクエであれば「もんしょう」や「あまぐものつえ」といった必須アイテムが、火鼠の衣や、燕の子安貝といった、竹取物語のエピソードのアイテムに化けるわけです。これ、おとぎ話を聞いたことがある人なら、誰でも「あーーっ!」ってなるエピソードだと思うんですよ。

各地で「鬼」をボスに据えることによって桃太郎の味は確保した上で、色々なエピソードに民話要素を絡める。特に、ラスボスかつ鬼たちの元締めを「えんま大王」に設定したのは、世界観をビシッと絞める上での特筆すべきポイントだと思います。この辺りは、さくまあきら氏の妙技といっていいでしょう。

「ドラクエ」や「ゼルダ」のようなファンタジー世界観を、日本民話の世界に引き込んでしまう。それによって、子どもから大人まで、シームレスに遊べる世界観をデザインしてしまう。

とにかく、ゲーム全編にわたって「おとぎ話」ベースで世界観が統一されていることが、「桃太郎伝説」の味わいの根源であることは間違いありません。このゲームを、「神話・民話クロスオーバー」の重要なタイトルであるとみなす理由です。

また、このゲーム、術を基本的に「仙人」からの修行で教わるという要素があるんですが、これもなかなか、イベントとしてのバラエティに富んでいます。最強術であるろっかくやきんたんの術はまだしもとして、ひえんの術の習得滅茶苦茶大変でしたよね。これもいい思い出です。


〇ほんわかした雰囲気にも関わらず、ゲームの難易度は正直かなり高い
〇その為、一部のシステムで無理やりバランスをとっている感は正直ある

一方このゲーム、難易度は正直かーなーりー高いです。特に戦闘バランスは相当厳し目で、

・回復の術のコストが高い
・お供の三匹がランダム行動で殆ど頼りにならない
・桃太郎が一人旅である割りに状態異常でハメてくる敵が存在する
・敵の攻撃も割とエグい上にちょくちょく奇襲してくる
・アイテムが持てる個数も限定されている

この辺りについては指摘しておく必要があるでしょう。特に、「氷の塔」や「鬼の爪痕」といった難所では、相当ハマったプレイヤーも多いのではないでしょうか。

この為に、例えば「回復ポイントをあちこちにばらまく」であるとか、「段(レベル)が上がるとその場でステータスが全回復する」といった救済要素でなんとかバランスをとっている、というような印象は正直あります。当時のバランシングが相当渋い方向に寄っていたのではないかという印象もあり、ここは桃太郎伝説の敷居を若干上げていたところかも知れません。

あまりにも攻略難度が高い為、一部の隠しパスワード(「ふ」とか)に頼らざるを得なかった、という人も中にはいるかも知れません。あれ、かぐや姫のアイテムが全部入手済になってるので、個人的にはあんまり好きじゃないんですが。やっぱかぐや姫イベントはちゃんとやりたい。

とはいえ、攻略ヒントがかなり親切であること、段自体はそれなりにサクサクと上がることも含めて、初心者にも遊べるようにという試行錯誤は相当積まれたのだろうと拝察します。その点も桃太郎伝説の丁寧なところです。


〇ネタ部分は多分好みが分かれる

特にほほえみの村周辺では、上でも書いた「ジャンプ放送局」ノリのギャグネタが方々に現れる部分があり。これについては、「おとぎ話世界観」から若干浮いているなーと感じる人もいるかも知れません。当時メインターゲットであったろう小学生男子には大うけだったのではないかとは思うのですが。個人的には、きんぎんパールプレゼントのおにが好きです。あと勉強の鬼とか。

また、何故か後々の桃太郎シリーズで欠かさず「女湯」が作品中に出てきたことも、本作品がスタート地点であることは見逃せない事実です。本作品は、攻略スピードによって桃太郎の年齢が上がっていくのですが、「8歳までなら女湯に入れる」というのが割と絶妙な条件でして、相当早解きで進めないと8歳までに希望の都にはたどり着けません。こういうご褒美的なお遊び要素を入れるのも、さくま先生お得意の手法であるように思います。

ちなみに、「貧乏神」「福の神」「すりの銀二」など、のちの桃鉄でレギュラーになるキャラクターたちも、大体このゲームで登場しています。この辺のキャラクター展開も桃伝の特色の一つです。


〇音楽めっちゃいい(特にパスワード入力画面(てんのこえ)が)

冗談抜きでめっちゃいいです。ちょっと久々に聞いてみてください。


この、哀愁の中にもメロディアスな旋律、いつまでも耳に残る特徴的なフレーズといい、妙にかっこいいベースラインといい、パスワード入力画面としてはドラクエIIの「ラブソングさがして」に匹敵する超良曲だと思うんですが、皆さんどう思いますか?

勿論、戦闘曲やら希望の都の曲やら、「和風」の中にもコミカルさやかっこよさが隠されている印象的な曲ばかりなのですが、やはり「桃太郎伝説」屈指の名曲といえば「てんのこえ」だと言い切ってしまいたい気分です。作業用BGMとしても極めて優秀です。


ということで、長々書いてしまいました。

実のところ、桃太郎伝説の話はファミコン版だけでは完結しませんで、SFC版の「新・桃太郎伝説」も含めて語らない訳にはいかないのですが、大概長くなったのでそちらについては項を改めたいと思います。何はともあれ、桃太郎伝説は面白いので未プレイの方はぜひ遊んでみてください。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

ミニファミコン週刊少年ジャンプバージョンの収録タイトルが超楽しそうだったので、各タイトルについて私見を書く・その1


超楽しそうですよね。


ファミコン初期の盛り上がりが、少年雑誌、特に週刊少年ジャンプやコロコロコミックとのタイアップあってのものだった、ということは今更書くまでもない話かと思います。

しんざきもご多分に漏れず、キャラゲー、特にジャンプキャラゲーは当時相当遊びました。すげー楽しかったゲームもあれば、そこまで楽しめなかったゲームも、なんかピンポイントに妙なところだけ楽しめたゲームもありました。

ファミコンミニジャンプはどうせ買うと思うのですが、実際遊んだことがあるゲームについて、レビューという程のものではないんですがちょこちょこ私見を書きたくなりましたので、何回かに分けて書きます。名作も山ほど入ってるので皆さん買って遊びましょう。

先に書いておくと、今回の収録タイトルで遊んだことがないのは「北斗の拳3 新世紀創造 凄拳列伝」「まじかる☆タルるートくん FANTASTIC WORLD!!」「ろくでなしBLUES」「暗黒神話 ヤマトタケル伝説」の4本です。これらについてはファミコンミニジャンプを買ってから遊んでみます。


〇キン肉マン マッスルタッグマッチ

超人がタッグを組んで、四角いジャングルで殴り合ったり蹴りあったりベアークローで相手を即死させたりする名作アクションゲーム。今でもかなり遊べると思います。


以前も一度書いたんですが、「お友達同士公平に遊べるように」という理念が基本だった対戦可能ゲームに、明確な「キャラ差」を持ち込んだということで歴史的な一作だったと思います。恐らく、「対戦ダイアグラム」というものが機能する最初のゲームではないでしょうか。

このゲームにおいて、光の玉をとったウォーズマンと正面から向かい合うことは、死を意味していました。

滅多に決めることの出来ないキン肉マンのキン肉ドライバーで敵をノックアウトすることができた時は、脳汁がドバドバ出る程の達成感を感じました。

「キャラの性能に大きな差がある」という要素は、それだけで数々のドラマを生む要素だったのです。

ゲーム自体も、シンプルでありながら十分に駆け引きが成立する内容で、光の玉を取る為の位置取り、パートナーとチェンジしやすい位置取りなど、「リング上の位置」を大きな要素としたせめぎ合いは、このゲーム特有のものと言っても間違いではないと思います。

当時は、「唯一の飛び道具キャラ」「飛び道具ハメが可能」ということでブロッケンJr.の強さが取沙汰されることが多かったのですが、ある程度対戦慣れしてくると「足の速さこそ正義」ということがだんだん分かってくるゲームでして、一番オールラウンドに戦える「器用万能」の最強キャラは恐らくウォーズマンの筈です。ウォーズマン - バッファローマンとか、ウォーズマン - テリーマンなんかが、大人げないタッグ選択の代表格です。

一方、投げキャラは全体的に不遇でして、特に主人公であるキン肉マンの性能の低さは泣けてくるレベル。キン肉ドライバーで勝つ、という条件を自らに課すと、それだけで軽い縛りプレイが楽しめます。お勧めです。




〇ドラゴンクエスト

最初は「ジャンプ漫画のゲーム集」という認識だったので、一瞬「え?なんでドラクエ?」と思ってしまったのですが、冷静に考えるとこのタイトルを選んだことにこそ、今回の企画の神髄があるような気になってきました。


当時ジャンプを読んでいたファミっ子たちで、「ファミコン神拳」や「ジャンプ放送局」に食らいつかなかった人は果たしているでしょうか。ファミコン神拳奥義大全書、懐かしいですよね。

つまりこれは、「かつてドラクエはジャンプと共にあったんだ!そうだろう、皆!!」という、タイトル選者の強いメッセージなのではないか、と私は思うのです。

ドラクエについては今更語るまでもないとは思うのですが、一点超個人的な思い出を書くとすれば、「なるべくステータスが高くなる名前を考える」というのが当時私の大きな課題でした。

ご存知の方も多いと思いますが、ドラクエって初期ステータスが主人公の名前を数値変換したもので決まってまして。確かその法則がファミマガのウル技大技林なんかにも載ってたんですよ。

確か大技林に載っていた「一番初期ステータスが高くなる名前」のサンプルが「かによ」だったと思いまして、当時は訳も分からずその名前を入力していたファミっ子たちも結構いたのではないかと思います。途中から数値変換の仕組みを理解しまして、「かによと同じ余りになる文字でなるべくかっこいい名前を」なんて苦労した記憶があります。

ドラクエ11クリア後に無料DL出来るとはいえ、名作中の名作であることに間違いはないので、未プレイの方は是非。「荒野を行く」で感動しましょう。




〇北斗の拳

「あべしシステム」を搭載したことで無茶苦茶に有名になった一作です。


北斗の拳は言うまでもないお化けコンテンツ漫画なのですが、ファミコン版北斗の拳は、ゲーム自体はオーソドックスな2Dスクロールアクションゲームです。

超絶ジャンプ力やら、キックしただけで画面外まで吹っ飛ぶ雑魚敵やら、ボスを倒した時に表示される必殺技名やらで、プレイ感はそれなりに爽快で、当時もそれなりに楽しく遊んだ記憶があります。

ただ、例えば「ステージをクリアする為に、複数の扉から正解を探し回らないといけない」であるとか、「割と序盤から敵の攻撃が遠慮なく激しい」「高速ですっ飛んでくるスライディング敵」「飛び道具山盛り」など、遊びにくい点も色々あり、そうした点で忌避する人も多かったタイトルではあります。

なんか妙に有名になってしまったのが上述した「あべしシステム(私が勝手にこう呼んでるだけ)」でして、ピンク色の敵をパンチで倒すと出てくる「あべし」の文字列を取るとパワーアップするという、冷静に考えるとお前は何を言っているんだ感があるシステムが搭載されています。原作には確か「あべし」なんて断末魔殆ど出てこなかった筈なんですが、このゲームだけで「あべし」が有名になりました。中にはあべしシステムのことしか知らない人もいた始末。

むしろ北斗の拳をあまり知らない人にこそ遊んでみて欲しい一作かも知れません。



〇ドラゴンボール 神龍の謎

北斗の拳に続き、言うまでもないジャンプ最強格の超絶コンテンツ「ドラゴンボール」、その初代ファミコン作品はトップビューの2Dアクションゲームです。


ドラゴンボールは、何故か割と早い内に「アクションゲーム」を一度離れたタイトルでして、これ以降しばらくはカード&すごろくバトル的なシステムになるのですが、初代は割とスタンダードなアクションです。

普段はトップビューの見降ろし型、ボス戦はサイドビューになる視点切り替えタイプのアクションゲームで、グラフィックは流石に多少チープではあるのですが、「原作を読んだ人であれば大体どれがどのキャラかわかる」レベルはキープされています。しばしば原作ガン無視のキャラクターが出てきたりもしますが、まあそこは初期キャラゲーのご愛敬というものでしょう。

難易度はやや高め、ライフがかなり厳しいバランスではあるものの、「きちんと遊べる」ラインは確保されていると思います。妙にいい味を出しているBGMもなかなかの出来です。

ただこのゲーム、当時の私がアクションゲームド下手っぴーだったこともあって、個人的には「ヤムチャにひたすら苦戦しまくって結局勝てなかった」という記憶が濃く、あまりいい思い出がありません。。。今やればリベンジ出来るのだろうか。


〇キャプテン翼

テクモの伝説的なシリーズの一作目です。個人的には、続編となる「キャプテン翼II」と並んで、「ファミコンにおけるジャンプゲーム」という枠組の中では一、二を争う超絶名作だと考えています。


当時、「サッカーゲーム」というジャンルは、トップビューの任天堂「サッカー」型スポーツアクションゲームというフォーマットが既に出来上がっており、色んなゲームがそれを踏襲していました。

それに対して、敢えてアクションゲームではなく「ビジュアル重視のシミュレーションRPG」とでもいうべき味付けをして、キャプテン翼世界をファミコン地平に再現した、このゲームの発想の転換は天才の発想だったと思います。テクモの凄みを感じる他ありません。

フィールド上で選手が接触すると現れる、まるでRPGのようなコマンド選択画面。コマンドを選ぶ度に現れる、アニメさながらのビジュアルシーン。パスカット、タックル、ドリブル、シュートなどの読み合いと駆け引き。キャラクターの成長とレベルアップ。

原作にあった「超人サッカー」的な要素を更に推し進めて、様々な「必殺シュート」を実装し、ファミっ子たちを漫画の世界に招待したことも大きな功績だと思います。「キャプテン翼」という世界を再現する為に、このシステムは一つの到達点だったと言っていいでしょう。初代キャプテン翼では、岬くんを探すシーンがアドベンチャーゲーム仕立てになっていたりもしました。

このゲームが切り開いた「ビジュアル重視の漫画再現」という地平は、続編である「キャプテン翼II」で完成することになります。



本日は一旦ここまで。続きはまた書きます。

posted by しんざき at 12:03 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月13日

本当にSF史に残すべきゲームは何かということを俺が教えてやる


「星をみるひと」だ。


もう一度言うぞ。「星をみるひと」だ。

いいか、これはガチでいってるんだぞ。少なくとも家庭用ゲームで、かつSF史という観点で言えば、「星をみるひと」よりも重要なタイトルというのは数えるほどしか存在しない。


なぜかというと、コンシューマーゲームに初めて「ハードSFの文法」というものを持ち込んだのが、この「星をみるひと」だからだ。

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いいか?「星をみるひと」が発売されたのは1987年10月27日だ。

ゼルダが出たのが86年の2月。ドラクエが出たのが86年の5月で、ドラクエIIが出たのが87年の1月。女神転生が87年の9月で、ミネルバトンサーガが出たのが87年の10月だ。つまり、86年から87年末という、「家庭用RPGの黎明期」に出たタイトルだ、とまでは言っていいだろう。

まあこの時期、PCでは既に「ジーザス」とか「レリクス」とかが出てるんだがそれは一旦置いておいてくれ。家庭用ゲームの話だ。え、レリクスはファミコンでも出てた?知らないぞ、何かの勘違いじゃないのか?


もちろん、「星をみるひと」以前にSFゲーがなかったかというと、そんなことはない。デッドゾーンとか、ガルフォースとか、水晶の龍とか、未来神話ジャーヴァスとか、SFといっていい世界観のゲームはすでに色々とあった。メトロイドだって銀河伝承だってSFだ。単に設定だけの話で言えば、ヴォルガードIIとかマグマックス辺りだって相当ハードな設定だったしな。

あ?水晶の龍は野球拳しか記憶にないだと?馬鹿野郎、あれちゃんと遊ぶとびっくりするくらいちゃんとSFやってるんだよ。アニメーションだってすげえんだぞ。あとユージンがかわいい。


じゃあなんで「星をみるひと」がわざわざSF史に残すべきゲームなのかって?

それは単純だ。星をみるひとは、全てがSFだったからだ。それまでのSFゲーと違って、システム、世界観、ストーリー、バランスから個々のメッセージに至るまで、「星をみるひと」は全てが混じりっけなしのハードSFだった。


例えば、ヴォルガードIIはストーリーや世界設定だけから言えばハードSFと言っていいが、ゲームをやっている間にそれを実感できるタイミングはほぼないだろう?ズィガム・ボルドは超かっこいいし戦っていて燃えるが、ゲーム全てが隈なくSFだ、という訳ではない。

その点で言えばゼビウスもマグマックスもそうだ。ゼビウスは紛れもなくSFだったが、あれはゲームだけでは完結しないんだ。ファードラウトを読んで初めて完全なSFになるんだ。

デッドゾーンはSFだ。だが、あのゲームのシステムは、基本的にはポートピア連続殺人事件と変わらない。なんか知らんが仙人がいきなりおにぎり投げてくるしな。なんなんだろうなアレ。

銀河伝承もゾイドも同じことなんだが、当時のSFゲーというものは、まだまだ「SFのフレーバーを既存のシステムに被せただけ」というものが多かった。そういう意味では、今でもそのレベルのSF度しかないゲームは数多い。別にそれが悪いってわけじゃないし、それだって立派なSFなんだけどな。


「星をみるひと」は違った。星をみるひとは、「ハードSF」という「システム」だった。


「星をみるひと」は、要は「1984年」や「すばらしい新世界」のようなディストピアSFを、本当にファミコンで実現しようとした、いや、「実現してしまった」ゲームだった。

「星をみるひと」のストーリーは、こうだ。


 未来のある場所に、「みなみ」という少年がいた。彼には、そこがどこかも自分が誰なのかも分からなかった。しかし、彼を目のかたきにおそいかかるものたちがいる。メカニックなロボット・軍隊であるガードフォース・攻撃本能しかない異様な生物・超能力者狩りをするデスサイキックたちが、彼を見つけるといきなり攻撃してくるのだった。なぜなら彼は超能力者であるから。…………

 彼らのいる巨大都市“アークシティ”では、その都市の管理を“クルーIII”と呼ばれるコンピュータが行っていた。“クルーIII”は、より完全な都市管理のため居住者の心の中まで干渉していて、わずかでも、都市に有害な心がめばえた居住者に対して絶えず矯正を行っていた。このシステムをマインドコントロールといい、その効力は“クルーIII”自身の存在も忘れさすほど強かった。しかし、ごく一部の人々にはマインドコントロールがきかないのがわかった。そこで“クルーIII”は、その人達を“サイキック”となづけてサイキック狩りをはじめた。サイキックは、捕らえられアークシティに連れ去られた。そこに、取り残された4人の子供がこのゲームの主人公である。


ゲームをやった人ならわかると思うが、「星をみるひと」では、ここで書かれていることが全て再現されている。ガチで全てだ。


・スタート地点直後から情け容赦なく出現する超強力なサイキック狩り(基本的に遭遇すると即ゲームオーバー)
・実際にクルーIIIから隠れている為、プレイヤーからもマップ上で所在が確認出来ないのが最初の村
・どんなに強くなってもハマりがあり得る戦闘バランス
・テレパシーを使っているとわかる、人々の本音とマインドコントロールされている人たち


「星をみるひと」はよくクソバランスといわれる。それ自体を否定はしないが、そのクソバランスのうちの少なくとも2,3割は、開発者が狙って用意したものだと俺は思う。星をみるひとの世界がどこなのかということを考えれば、「スタート地点周辺に弱い敵しかいない」などという状態は不自然極まりない。いつどこでサイキック狩りに遭遇するかわからないし、捕まったら即死につながるのは当然のことだ。

ハードSFというのは、そもそも世界として優しくないんだ。ファンタジーや、フレーバーとしてのSFにしか触れていなかった当時のファミっ子が、「星をみるひと」の世界に目を白黒させるしかなかったのは、当然といえば当然のことだ。まあ、目を白黒させる理由はSF要素以外にも色々あったんだが。

あなたがSF好きで、しかもTRPGに触れている人なら、おそらく「PARANOIA」を知っていることだろう。1984年に出版されたハードSFTRPGだ。PARANOIAは、偏執狂のコンピューターに支配された世界で、コンピューターの理不尽な要求をどうにかこうにか掻い潜らないといけない、というゲームだ。ミッションの目的などは二の次で、プレイヤーは生き残ることに集中しなくてはいけない。というか、ミッションが目的通り解決出来ることは滅多にない。

そして、「PARANOIA」の世界観は、「星をみるひと」にかなり近い。サイキック狩りやマインドコントロール、サイキックが実はミュータントだという設定なんかを併せて考えれば、当時「星をみるひと」が「PARANOIA」を意識していた可能性はかなり高いと俺は思う。勿論、「星をみるひと」のストーリーはそこで終わってはいないわけだが、それは一旦おく。


そして、「PARANOIA」は、単純にゲームとして考えれば理不尽極まりない。プレイヤーは反逆者であり、ミュータントでありながら、それを隠し、仲間たちをコンピューターに売ることによって生き残らなくてはならない。ちょっとでもミスれば「ZAP!ZAP!ZAP!」だ。


そう、「星をみるひと」は、RPGといえば「ドラクエ」や「ゼルダ」だった家庭用ゲーム業界に、いきなり突っ込まれた「PARANOIA」だったんだ。それまで「ぐりとぐら」や「エルマーとりゅう」を読んでいた読者たちに、なんの事前警告もなく伊藤計劃を投げつけるようなものだ。家庭用ゲーム業界に超新星のように現れたハードSFだ。


これが「SF史に残すべきタイトル」でなくてなんなんだ?


誠に残念なことに、「星をみるひと」はちょっと理不尽に振り過ぎた。あるいは、理不尽さをカバーして、ゲームとしても楽しめる程度のマイルドさにチューニングする手順を踏まれていなかった。もちろん、それ以前の問題として色々な側面が粗削り過ぎたのは百も承知だ。


だが、それでも。


「ラスボスを倒して、世界に平和を取り戻す」でもない、「大切な人の仇をとって、故郷に凱旋する」でもない。それまでのRPGの常識を破ったあの最後の展開は、パスワード入力画面のあの余りにも透明感のあるBGMは、間違いなく誰かがどこかに記憶しておくべきものだと。


俺はそう思ったんだ。

posted by しんざき at 07:35 | Comment(3) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

レトロゲーム万里を往く その141 ドラゴンクエストIII

少なくとも私にとっては、一番のポイントは「そこに物語がなかったこと」だった、と思うんです。


いや、ちょっと誤解を招きそうな書き方ですね。

ドラクエIII自体に物語性がなかった、という話でなくて、「キャラクターが物語を背負わされていなかった」「だから、そこにちょうどいい「物語許容度」が生まれた」とでもいうんでしょうか。

要するに、ドラクエIIIは妄想の許容度が高かったんです。物語を、ドラマを、自分で作ることが出来た。だから、自分でどんどんお話の細部を想像していける人であれば人である程、ドラクエIIIって魅力的なゲームだったんじゃないか、と思うんです。

例えばドラクエ4は、全キャラクターの造形がちゃんと決まっていたし、個々に色んなストーリーを、人間関係をもっていた。

勿論5は言うまでもない、キャラクターがかなりの細部まで作りこまれた作品だったし、6も事情はそれに近いです。7も8もほぼそれに同様で、唯一9だけはかなり「キャラクターの物語」について想像を膨らませる余地があった。それにしたって、3程「妄想許容度」みたいなものは高くなかった、と思うんです。

3の仲間キャラクターが背負っているものって、唯一主人公である勇者の家族、そしてオルテガの話があるだけで、あとは完全にキャラクター造形が自由でした。名前も変えられるし、主人公の性別だって変えられる。5以降、主人公の性別選べるドラクエって9までないですからね。

勿論、イメージとしてキャラクターの見た目はある程度決まってはいましたが、それにしたってゲーム画面上では全然自由でした。好きなように、「こいつはどんなキャラ」「こいつはどんな背景」という、いわば二次創作的な想像を自分の中で作り上げることが出来たんです。なんだったら、別作品から完全に別のキャラクターの名前をとってきて、そのキャラクターをドラクエ世界で活躍させることだって出来た。

これについては、2だって、勿論1だってかなわない。


つまりドラクエIIIというゲームは、今現在でも、「ドラクエシリーズで最も「自分で物語を作り上げることが出来る」ドラクエだった」ということが言える、と私は思うわけです。




ドラゴンクエストIII。1988年2月10日、エニックスから発売。昨日が、ちょうど発売から30周年ということで、色んな人がドラクエIIIの話をしていました。

正直なところ、ゲーム内容については今更私が付け加えられることなんて何もないと思うので、本記事では「しんざきにとって、ドラクエIIIはなぜ面白かったか」ということだけを書きたいと思います。これにしたって手垢がついた話かもしれないですが、まあそんなこと言ってたら何も書けないし別にいいや、ということにしましょう。

ポイントは主に二つです。

・物語に詰め込むことの出来る、「プレイヤーの想像/創造」の許容度
・世界が広がっていく感覚、ペースの絶妙さ

順番にいきます。



〇物語に詰め込むことの出来る、「プレイヤーの想像/創造」の許容度

今更いちいち言うまでもなく、ドラクエ3にはルイーダの酒場があり、キャラクターメイクが出来ます。主人公も、最低限の設定やビジュアルイメージこそあるものの、ゲーム中では徹頭徹尾「はい/いいえ」しか喋らない、言ってみれば「顔も中身も決められていない」主人公でした。

つまり、ドラクエIIIって「二人称のRPG」だったんです。例えばWizardryとか、あるいはD&Dとかと同様、システムが「あなた」「あなたたち」に対して語りかけるゲーム。主人公は飽くまで「あなた」であって、他の誰かではない。主人公の仲間は「あなたの仲間たち」であって、決まったキャラクターではない。

しかし、ドラクエIIIの世界観、ビジュアルは飽くまで具体的であり、可視的でした。プレイヤーは、主人公と仲間たちが世界を旅して、戦って、探索して、人々と会話して、成長することを自分の目で見ることが出来ました。


この、「見える部分」と「見えない部分」の隙間が、ドラクエIIIってものすごい絶妙だったんですよね。例えばWizardry程「ゼロからすべてを頭の中でくみ上げる」必要はなかった。いやそれだって十分楽しいんですけど、そこまでの広さではなくって、ある程度はゲーム側で補完してくれていた。それに対して、いわば「プラスアルファ」の部分を自分で想像して、補うことが出来た。


例えば、この仲間の武闘家はこういうヤツで、こういう性格。

僧侶はこういうキャラで、こいつと仲がいい。

魔法使いは普段あんまり話さないけれど、打ち解けてくると話が止まらなくなる。


いや、当時は本当に、そういうキャラクターがモニターの中に「いた」んです。会話にしてもイベントにしても、勿論物語にしても、ドラクエIIIは適度に「描かれない部分」「語られない部分」を残しておいてくれて。当時、プレイヤーは、そういう「空白」部分を自分で補いながらゲームを進めることが出来た。

だから、本当にプレイヤーごとに物語があって、仲間同士の会話があって、死闘をくぐった末の絆があったと思うんです。

こういう「自分であれこれ妄想しながら遊ぶ」って、好きな人と、そうでもない人がいます。どちらかというと、ある程度決まったストーリー、物語があって、それを読み解きながら遊ぶ方が好き、という人もいます。

例えばのちの5,6程のドラマではないものの、ドラクエIIIは、そういう人に対する楽しみもちゃんと用意してくれていた。例えばカンダタとか、ヤマタノオロチとか、サマンオサとか。要所要所で、そういう「視聴型」としても楽しめるRPGになっていたんです。

ただ、物語を自分から補いながら遊ぶのが好きな人にとっては、ドラクエIIIって本当にどこまでも深い楽しみ方を提供してくれるゲームだったと思うんですよね。

私にとってのドラクエIIIと、皆さんにとってのドラクエIIIはおそらく全く違うゲームで、けれど全員がドラクエIIIを楽しむことが出来た。だからこそ、ドラクエIIIって、今でも色んな人にとって特別なタイトルであり続けているんじゃないかなあ、と、そんな風に思うわけです。




〇世界が広がっていく感覚、ペースの絶妙さ

これについては以前も書いたんですけど。

ドラクエIIIって、「制約と解放」というバランスの作り方、ペース配分が本当に絶妙でして。「そろそろちょっと窮屈だなー」と思う瞬間に、本当にぶわーーーっと世界が、あるいは行動の余地が広がるんですよ。

例えば、丁度アリアハンを踏破して、ゲームに慣れた頃に現れる誘いの洞窟と、そこを抜けた先にあるロマリア。

ロマリアで手に入る「はがねのつるぎ」と、その時上がる攻撃力の高揚感。

まるで世界が広がったエクスキューズのようなタイミングで習得出来るルーラの便利さ。

ピラミッドで手に入る瞬間、行ける範囲が激増するまほうのかぎ。

苦労に苦労を重ねて手に入れた黒コショウと、ようやく入手できた船。

世界にちりばめられた旅の扉を自由に使うことが出来るようになる、さいごのかぎ。

世界中を巡りに巡って、ついに手に入ったラーミア。


それぞれ、色々大変な思いをして、その直後にその大変さが報われて、そこで世界がいきなり広がるという。ただのレベルデザインの話を始めた、「世界デザイン」「ペースデザイン」とでもいうべきこの展開配分の絶妙さは、おそらくドラクエシリーズ全体を見ても最高峰の部類だと思います。


私自身は、やはりなんといってもファミコン版に馴染んでいるので、その後のゲームボーイ版、SFC版やらのリメイクなんかは、正直ちょっとしっくりこないところもあります。ロマリアからはがねのつるぎなくなっちゃったりしましたしね。

とはいえ、やはり随所随所で世界が広がるペース配分はやっぱり不朽のものでして、その後のドラクエもその路線はずーっと引き継いでいると思うんですよね。これが、私が考える限り、「ドラクエ普遍の味」とでもいうものであって、それが完成したのが多分ドラクエIIIだったんじゃないかなあ、と、そんな風に思うわけなんです。



ということで、ちょっと「私にとってのドラクエIII」について書いてみました。今更の話ではありましたが、皆さんにとってのドラクエIIIはどんなゲームだったでしょうか。


最後に、これももうご存知の方が多いと思うんですが、ちょっと私が好きなサイトの紹介をさせてください。




私が一番好きなのは、勿論私自身のドラクエIII世界なのですが、その次に好きなのがこの方のドラクエIII世界です。「百万ゴールドの男」はこれはこれで、よくこのお話完結させたなーすげーなーと思わずうなってしまう程、また読後感もとても気持ちがいいお話なのですが、掲示板の方でちょくちょく展開されている、ライオットたちの話も好きです。

二次創作がお好きな人はぜひ読んでみていただければ。


ということで、今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 00:10 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

レトロゲーム万里を往く その140 「くにおくんシリーズ」における二つの系列について


ご存知の方には今更かもしれませんが、ちょっとくにおくんの話をします。既出議論だったらすみません。


いわゆる「くにおくんシリーズ」には大きく分けて二つの系列があります。つまり、

・熱血硬派 〜 ドッジボール、サッカーなど各種スポーツ系くにおくんの系列
・ダウンタウンシリーズの系列

の二つです。

そして、この二つは、少なくともSFC時代までは、微妙な例外もありながら、二つの要素において明確に分けることができます。
つまり、

・サブキャラクターが名前呼びか苗字呼びか
・シリーズのヒロインが誰か(くにお、ないしりきの彼女は誰か)

くにおくんシリーズに詳しい方であれば周知のことだとは思いますが、この記事では、上記にまつわるくにおくんシリーズの世界観の特徴について、資料を当たりながら簡単にまとめたいと思います。尚、説明書関連の資料については、フィンさんの手による「げーむのせつめいしょ」様に多くを依存しております。お礼申し上げます。


〇くにおくんシリーズの大まかなすみわけ

便宜的に、上記のくにおくんの二大系列について、「熱血硬派・ドッジボール系列」と「ダウンタウン系列」と呼称することにします。FC・SFC時代までの、代表的なタイトルは以下のような感じです。

◆熱血硬派・ドッジボール系列の代表的タイトル

・熱血硬派くにおくん
・熱血高校ドッジボール部
・熱血高校ドッジボール部サッカー編
・いけいけ熱血ホッケー部
・くにおの熱血闘球伝説
・くにおくんの熱血サッカーリーグ
・初代熱血硬派くにおくん
・新・熱血硬派 くにおたちの挽歌


◆ダウンタウン系列の代表的タイトル

・ダウンタウン熱血物語
・ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
・ダウンタウンスペシャル くにおくんの時代劇だよ全員集合!
・びっくり熱血新記録! はるかなる金メダル
・(熱血格闘伝説)←やや微妙
・ダウンタウン熱血べーすぼーる物語

こんな感じです。くにおくんシリーズを網羅しているわけではありませんので、その点はご了承ください。

この中で「熱血格闘伝説」だけやや微妙としているのは、このゲーム、これ以外のシリーズと共通するサブキャラが、ずっと後に再登場するとらいち・とらじくらいで、他はほぼいないんですよね…。ダウンタウンの開発者である吉田さんや関本さん、熱血硬派の開発者である岸本さんのお名前も、スペシャルサンクスに出てくるだけです。一応キャラクターは基本苗字呼びなので、ここでは便宜上ダウンタウン系列に入れてあります。


〇それぞれの系列の特徴

で、この二つの系列って、実は世界観というか、キャラクターの扱いがかなり明確に違うんですね。

大きな要素は、冒頭に書いた通り二つです。

・サブキャラクターが苗字呼びか名前呼びか
・ヒロインが誰か

まず、前者の「サブキャラクターが苗字呼びか名前呼びか」についてですが。基本的には「熱血硬派・ドッジボール系列」は名前呼びで、「ダウンタウン系列」は苗字呼びです。

そもそも最初の時点では、くにおくんに登場するキャラクターは基本的に名前呼びでした。熱血硬派くにおくんには、「りき」「しんじ」「みすず」「さぶ」などの敵ボスキャラクターが登場します。

その後、その流れを引き継いだと思われる、ファミコン版の「熱血高校ドッジボール部」では「ひろし」「こうじ」「みつひろ」などの名前呼びキャラクターが追加され、これらキャラクターは熱血高校ドッジボール部サッカー編でもそのまま引き継がれています。

一方、「熱血高校ドッジボール部」の二年後に発売された「ダウンタウン熱血物語」ではここが少し変わっています。くにおとりき、あとまみ以外のサブキャラクターが、基本全て苗字予呼びなのです。かみじょうも、やまもとも、にしむらも、きのしたも、ごうだもごだいも、全て苗字ですよね。

この流れは、直系の続編である「熱血行進曲」でも引き継がれており、すがた、いちじょう、おとなしなど、追加キャラクターはほぼ全て苗字呼びです。例外は「ダブルドラゴン兄弟」ことりゅういち・りゅうじのみ。


後々のシリーズで微妙に登場枠が混じることもあるのですが、この二系列のゲームでは、基本的にこれら「名前呼びのキャラクター」と「苗字呼びのキャラクター」の行き来がないんです。これが、まず第一の大きな違いです。


もう一つ、非常に大きな問題として「ヒロイン問題」というものがあります。

熱血硬派・ドッジボール系列のヒロインは誰かというと、基本的にサッカー部のマネージャー「みさこ」です。彼女は、シリーズタイトルによってだいぶビジュアルが変わるんですが、立ち位置はほぼ一定です。


みさこが登場したのが「熱血高校ドッジボール部サッカー編」。このタイトルでは、EDにて、プレイヤーの操作キャラクターにキスをする演出があります。

で、「くにおくんの熱血サッカーリーグ」の説明書(参照:http://www.geocities.jp/frnyanko/setsumei/famicom/nekketsusoccerleague/nekketsusoccerleague.html)には以下のような記載があります。
こんにちは。熱血高校サッカー部・マネージャーの「みさこ」です。おひさしぶり〜。(略)
 今回「みさこ」はみんなといっしょに試合に行けないけれど、たまには外国から「電話ぐらいかけてほしいな……」うふっ? がんば〜! 熱血FC!!

この辺見ても、みさこが完全にドッジボール系列のヒロインとして位置づけられていることが分かると思います。

で、SFCの「くにおたちの挽歌」に至っては、みさこが「くにおの彼女」と明言されています

くにおと同じ熱血高校の生徒。くにおの彼女。
ビジュアルがファミコン時代と全然違うんですが、まあそこは気にするべきところではないでしょう。

ここまでのシリーズ作品では、「くにおの彼女」と明言されるようなキャラクターは一切登場しておりませんでした。ついでに言うと、くにおたちの挽歌以降の作品でもそのように明言されることはありません。「くにおたちの挽歌」の特殊性は、一点、ここに集約されると言っていいでしょう。

しかもこの作品では、りきの彼女が「きょうこ」になっています。

あれ?真美はどこいった?と思ったあなた。その疑問は正しいです。

実は、「りきの彼女」とされる島田真美も、「ダウンタウン系列」にしか登場しないのです。彼女は、ドッジボール系列の作品には一切登場しません。最近発売された「りき伝説」にも登場しませんでした。

ちなみに勿論、ダウンタウン系列でのヒロインは「はせべ」こと長谷部和美であって、彼女も基本ドッジボール系列には登場しません。時代劇では着物まで着てヒロインやってたんですけどね。

この、「ヒロインの違い」というのは非常に大きな問題として、ダウンタウン系列・ドッジボール系列を分かつ大きな壁になっている、と言っていいでしょう。


これらの要素から、

・くにおくんシリーズでは、二つの系列がほぼパラレルワールドのようなことになっている
・一部例外はあるものの、基本的には、二つの系列ではくにおとりき以外のキャラクターの行き来がない(ただしSFCまでの話)

という二点についてはご理解頂けるものと思います。


〇何故こうなったのか

明確な理由まではちょっと分かりませんが、この辺の記事を読むと多少事情を類推することができます。


緒方氏:ダウンタウンシリーズの企画やっていた吉田という者がいて、ドッジボールの時にいたのかな?彼がそのタイミングで入ったか記憶が定かではないのですが。ゲーム性として彼が作りこんだところから、あのスタイルになったと言っても過言ではないですね。

「くにおくん」を何作か作っていくうちに新潟の会社※でも開発が始まって、それぞれのラインにばらつきが出るっていうのでベースのキャラクターの設定を作ろうって話になりました。もう一人の関本がシナリオ関係ですから、設定とかを統一させる形で出したんです。ドッチボールもアーケードもファミコンも、まだその時はとくに誰が誰って決めてないんですよ。後付けで名前は決めてますが、ほぼほぼ社員の名前出してるんで(笑)

※当時テクノスジャパンでは新潟にも開発の会社を設けていた。くにおくん25周年記念で発売された『熱血硬派くにおくん すぺしゃる』の開発元「株式会社エイビット新潟」はテクノスジャパンの新潟事業部のメンバーを主として立ち上げたゲーム開発会社。

ここでいう吉田さんというのは、ダウンタウンシリーズのディレクターである吉田晄浩氏のことですね。ダウンタウンシリーズは、この吉田氏と、もけけ関本氏が主要スタッフになっています。

「熱血硬派くにおくん」の主要スタッフだったのが岸本良久氏(企画)と緒方孝治氏(デザイナー)(参照:http://dengekionline.com/elem/000/000/419/419451/)。

このインタビューだけでは時間軸がよく分からないのですが、少なくとも当初は統一設定のようなものを作らずにそれぞれの解釈で開発をしていた、と。後から統一の設定を作ったものの、おそらく細かいところまでは統一し切れなかった、あるいは統一しなくていいんじゃないかと判断された、というのが主要なところなのではないかなーと推察します。この辺については後ほどもうちょっと細かいところを調べてみます。いい資料をご存知の方は教えてください。


〇「くにおのおでん」の特殊性

ところで、SFCには「くにおのおでん」という落ち物パズルゲームがあります。


発売が1994年5月27日。テクノスジャパンが事務所を閉鎖し、事実上の業務停止状態になったのが翌1995年の12月なので、ほぼテクノスジャパンの最晩年に発売されたタイトルです。(参照:Wikipedia)

このくにおのおでん、ゲーム自体はお世辞にもそれ程オリジナリティが高いとは言えないタイトルなのですが、くにおくんシリーズ好きにとっては一つ決して無視できない要素を持っておりまして。つまり、「明確にみさことはせべが共演する、恐らく唯一のタイトル」なんですよ。

(引用:Wikipedia)
対戦に使用可能なキャラクターは、「くにお」、「りき」、「ごだい」、「にしむら」、「はせべ」、「ももぞの」、そして「????」と名前が伏せられているキャラクターの7人。その他「みさこ」、「ごうだ」、「まみ」、「とうどう」、熱血格闘伝説に登場した「ダブルタイガー兄弟」などがモブキャラクターとして登場している(「みさこ」は物語の発端と言う事もあり、パッケージイラスト、OPにも出ている)。

上記のように登場人物は『ダウンタウンシリーズ』から出演しているが、唯一「みさこ」だけは『熱血高校ドッジボール部 サッカー編』(後年には『熱血硬派シリーズ』にも登場)からの出演であり、ある意味ではシリーズの枠を越えた共演作となっている。
時代を越えて、世界観を越えて、ダウンタウンとドッジボールが交わった場所。

この一点だけを見ても、「くにおのおでん」というゲームは決して軽視して良いタイトルではありません。くにおくんシリーズにおける一つの歴史作と言っていいと思います。いやまあ、ゲーム自体はちょっとあのその、ではあるんですが。


〇まとめ

話が長くなりましたので、簡単にまとめます。

・くにおくんシリーズはどれも面白いよね
・けどダウンタウン系列とドッジボール系列では結構キャラクターの立ち位置が違うよ
・あとヒロインが長谷部かみさこか問題は結構大きな問題だよ
・個人的には長谷部の方が好きです

というところが主なところであり、他に言いたいことは特にありません。皆さんダウンタウン熱血物語SP遊んでください。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 12:45 | Comment(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

レトロゲーム万里を往く その139 ドンキーコングJR.

いきなりで申し訳ありませんが、今から皆さんに「ドンキーコングJR.の2面が結構すごい」、という話をしようと思います。


皆さんご存知の通り、ドンキーコングJR.は「ドンキーコング」の続編として開発されたアーケードゲームであり、1983年7月15日、ファミコンの同時発売タイトルの一つでもあります。アーケードのドンキーコング時点では、まだ主人公に「マリオ」という名前がついていなかったところ、アーケードのJR.時点で正式に「マリオ」がネーミングされた、という歴史的な一作でもあります。

最近だとGCどうぶつの森のファミコン家具でも登場していたそうで、たぶん遊んだ人が多いんじゃないでしょうか。

で、ドンキーコングは勿論任天堂の大ヒット作であって、取沙汰されることも多いメジャータイトルなんですが、JR.の方はドンキーコングに隠れがちというか、あんまり目立たない立ち位置だと思うんですよね。けど、実際遊んでみるとドンキーコングとは全く違う方向性のことをやっていて、特にそれが2面に凝縮されていると私は思っているので、その話をします。


これがドンキーコングJR.の1面です。

kongjr1.png

上の方にマリオがいて、コングがつかまっていることが目を引くと思います。このゲーム、マリオが下積み時代に悪役もやっていたということで有名でして、ドンキーコングの息子であるドンキーコングジュニアがコングを助けにいく、という筋書きになっています。初代ドンキーコングですごい頑張ってコングをやっつけてレディを取り返したのに、次回作でこの仕打ちっていうのは、マリオも結構理不尽な扱いをされてると思います。ヒーローにも下積みが必要なのです。


で、ですね。「ドンキーコングJR.」を遊んでいる時のプレイヤーの体験、という話なのですが。

画面を見てもらえばわかると思うのですが、ドンキーコングJR.の1面において、プレイヤーはほとんど「ツタの上り下り」という行動に終始することになります。

ジュニアは、ツタを登ったり下りたり、横のツタに移動したりしながら、マリオがけしかけてくるケイブシャーク(これは私が勝手に呼んでいるだけであって、実際の名前はスナップジョーです。けどこいつケイブシャークじゃね?)を避け、画面上部のコングのところを目指します。

この時、「両手で左右のツタをつかむと、一本のツタをつかんだ状態より速いスピードで登れる」というギミックがありまして、ここでプレイヤーはリスクとリターンの概念を学ぶことになります。

両手を使って上るとスピードが速くなるけれど、左右に当たり判定が広がっている為に、ケイブシャークにかまれやすくなる。片手を使うとスピードがのろいけれど、ケイブシャークを避けやすい。

つまり、リスクがある行動で素早く目的地にたどり着くか、リスクを抑えて安全に目的地にたどり着くかという切り替えを、プレイヤーにごく自然に学習させる作りになっているのです。ここだけでも、ドンキーコングJR.の深さにはなかなかバカにならないところがあります。

一方、「ジャンプ」という操作は1面時点では中核ではなく、どちらかというと補助的な役割になります。ツタに飛びつくために使う、って感じですね。これは、「上り下りという操作は存在するが、飽くまで補助的な役割であり、中核となる操作は飽くまでジャンプ」というドンキーコングと通じるところがあります。

で、2面の話です。

これがドンキーコングJR.の2面です。

kongjr2.png

これですね、「画面の色んなところで、なんかごちゃごちゃしたものが色々動いてる!!」ってだけで、ドンキーコングJR.のワクワク感って凄いものがあると思ってるんですけど。


ドンキーコングJR.の特殊なところは、どういうわけかここでいきなりゲームが広がりまくるところです。別の言い方をすると、「さっきまではドンキーコングの続編だったのに、なんかいきなり新作アクションゲームになった」ということになります。


二面を見て頂けると、ステージが4つのエリアというか、4つの全く違ったギミックで構成されていることが分かると思います。

kongjr2_1.png

まず、左下にあるのがジャンプ台エリア。ここでは、ジュニアをジャンプさせて、右下のエリアに安全に移動することが第一目標になります。タイミングよくジャンプすると、中段の移動ロープエリアにショートカットすることもできます。

右下にあるのが移動する足場と鎖エリア。ジュニアは、足場から落っこちないように注意深くジャンプしながら、中段エリアの移動ロープにつかまろうとします。時々、上で飛んでいるニットピッカーが卵を落としてくるので、それを避けるというのも必要な操作になります。

中段が、移動ロープと小さな足場のエリア。移動ロープは長くなったり短くなったりするので、プレイヤーはうまいこと長くなっているタイミングで移動ロープにつかまって、左側に移動しなくてはいけません。

上段が普通のツタとニットピッカーエリア。マリオがけしかけてくるニットピッカーを上下に避けながら、最上段を目指すエリアです。ここの操作は1面に近いですが、上から襲ってくるケイブシャークに対して、ニットピッカーは横から一直線に襲ってくるという違いがあります。


お分かりいただけるでしょうか。この面、エリアごとに気にしなければいけないこと、考えなければいけないことが全く変わるという、むしろスクロールアクションに近い構成になっているのです。しかも、1面では「ツタの上り下り」という一つのアクションをひたすら突き詰める感じになっているのに、2面では「序盤はジャンプ、中盤以降はツタ」という形で、中核となるアクション自体が全く変わります。


つまり、「プレイヤーに必要なスキルが、2面の序盤でいきなり変わるうえ、一つのステージの中でも序盤と中盤以降で全く違う」ということが起きているのです。


プレイヤーは、ゲームを遊んでいる内に、その場面場面で必要となるスキルを自然と身に着けることになります。任天堂のゲームってそれが全体的にすごく巧みでして、「ゲームを普通に遊んでいるといつの間にか上手くなってる」というのが味の一つだと思うんですが、ドンキーコングJR.についてはそれがちょっと異質だなと。「1面で手に入れたスキルが、2面の当初は役に立たない」って、任天堂にしてはかなり特殊な面構造だと思うんですよ。


初代ドンキーコングもそれに近かったですが、ゲーム黎明期のアクションゲームというものは、どちらかというと「一つのギミックが画面の中に複数配置されていて、それをタイミングや限られたアクションでどんどんクリアしていく」という構造のゲームが多数派でした。

そんな中、「一つの面の中に色んなギミック、色んなバリエーションをいきなりぶち込んでくる」というドンキーコングJR.の2面は、ファミコン最初期という時期を考えると、相当特殊なことをやっていたと思うのです。ひとつの固定画面の中にバリエーションを作りこむ、という点では、任天堂が当時から得意としていた「ゲーム & ウォッチ」に近いところもあります。


ちょっと大げさな言い方をすれば、家庭用ゲームにおける「ステージの途中でのアクションの展開」というもののルーツがドンキーコングJR.にはある、とまで言えるのではないか、と私は思っているのです。


正統派固定画面アクションゲームであるドンキーコングに対して、「画面内に配置された色々なギミックを楽しむ」「ゲームのアクションが面の途中で全く変わる」というドンキーコングJR.。この二つを、ファミコンという新ハードの同時発売タイトルに両方ぶち込んでくる任天堂の戦略は、今から考えても面白いなーと思った次第なわけです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:55 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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