2012年11月20日
レトロゲーム万里を往く その112 「忍者くん」のジャンプは何故最強なのか
「制御出来ないジャンプ」の中で最強なのは忍者くんだよなあ、とふと思った。ふと思いつく内容なのか、という点はしんざきの脳構造の問題なので気にしないで頂きたい。
ただ、自分でも何故そう思ったのかが今一つ分からなかったので、分析してみたくなった。
まず整理から始めよう。
ジャンプアクションにおけるジャンプには、大きくわけて二種類ある。「ジャンプをしてから左右の方向調節などが利く、いわゆる「制御可能ジャンプ」と、「ジャンプした後は左右の調節などが出来ない、いわゆる「制御不能ジャンプ」である。当然物理的には後者が正しい。
ジャンプという操作は勿論ジャンプアクションの中核であるので、「ジャンプがどんな操作感なのか」という問題は、「そのゲームの面白さはどこにあるのか」という話の中ですっごく重要になる。「ジャンプという操作自体が面白い」ジャンプアクションの中に、外れはほぼ存在しないと言ってしまってもいい。
「制御可能ジャンプ」のゲームには、例えばスーパーマリオがあり、パックランドがあり、アイスクライマーがあり、ロックマンがあり、バブルボブルがある。
「制御不能ジャンプ」のゲームには、例えば魔界村があり、影の伝説があり、ナッツ&ミルクがあり、イーアルカンフーがあり、スペランカーがある。
で、そんな「制御不能ジャンプ」ゲームタイトルの中でも、特に「俺ジャンプしてる感」が優れている、一つの到達点というべきタイトルが忍者くんなのではないか、と思った次第な訳である。
「忍者くん 魔城の冒険」はUPLから1984年に発売された業務用アクションゲームで、翌1985年にジャレコからファミコンに移植されている。私がやり込んでいたのがファミコン版である関係上、主にファミコン版を元に話を進めさせて頂きたい。
↑のようなゲームである。関係ないが、このブログ8年やってて、この記事で初めて記事内に動画張った。こうやるのか。
また、アーケード版忍者くんについては、「OKINIIRI」のバブシカさんが語られている以上の内容の記事を見たことがない。読みどころが多過ぎて物凄いので、是非ご参照頂ければと思う。一部を下記にリンクする。
忍者くん―魔城の冒険―
忍者くん_魔城の冒険 攻略
私が考える限り、「忍者くん」というゲームにおいて、ジャンプというアクションが特筆すべき立ち位置にある理由は幾つかある。
1.ステージ構成上、ジャンプという操作の比重が非常に大きい
2.ジャンプという行為のリスク、リターンのバランスが素晴らしい
3.操作感が非常にリアルかつ独特であり、「俺ジャンプしてる」感がとても大きい
順番にいこう。
1.ステージ構成上、ジャンプという操作の比重が非常に大きい
上記動画を見て頂ければわかる通り、忍者くんのステージ構成は縦長であり、ゲームとしては「縦スクロール横移動アクション」ということになる。
忍者くんの基本的な進行方向は、「山を登っていくこと」だ。一段一段の足場は狭く、また同じ段にとどまっているメリットが極めて小さい為、ゲームのかなりの部分を「段差の上下」が占めることになる。ゲームの構造的に、既に「ジャンプ」が非常に重要である土台が形成されている訳である。この点はアイスクライマーや、一部の固定画面型アクションなどとも同様だ。
で。
2.ジャンプという行為のリスク、リターンのバランスが素晴らしい
「忍者くん」のジャンプには、「ハラハラ感」「どきどき感」とでもいうべきものが詰まっている。(わくわく7的表現)
何のことかというと、「ジャンプによって得られるリスク・リターンが非常に大きく、またバランスがいい」ということだ。
忍者くんの基本テクニックは、「敵に体当たりして気絶させてから倒す」ことである。一対一で敵と撃ちあうと大抵の場合撃ち負ける。非常に忍者らしいバランスだと言える。
その為の基本的な方法は、上から飛び降りて敵にぶつかることか、下から飛び上がって敵にぶつかること、である。端的に言って、「ジャンプは敵を気絶させる為の最大の武器」ということになる。
「手裏剣を無駄撃ちせず、全ての敵を一撃で仕留めるとボーナス得点」といったギミックもあるので、敵を気絶させて安全に倒すことによるリターンは非常に大きい。なにより、隠密忍者っぽくて気持ちいい。「敵の位置を狙い澄ましてジャンプ」というのは、忍者くんというアクションの一つの中核になる部分だ。
一方、忍者くんというゲームにおいて、「ジャンプは大きなリスク」でもある。忍者くんは非制御型ジャンプゲームなのであって、一度ジャンプすると後戻りが効かない。そして、忍者くんの敵キャラのアルゴリズムは結構絶妙で、こちらが思いもよらない動きをすることがある。
例えば、「ジャンプして着地したところに敵が打った手裏剣が丁度飛んできた」であるとか、「体当たりをしようとしたヤツに華麗にジャンプでかわされたと思ったら、反対側から別の敵が降ってきた」であるとか。そうでなくても、違う段に行くというのは「新たな敵と戦いにいく」という行為である訳なので、ジャンプによるリスクというものは決して低くない。むしろ、「不用意なジャンプは最大の死因の一つ」というべきものである。
リスクとリターンのバランス。最大のリスクがある行為で、最大のリターンを得る。これがあるからこそ、上手く隙をついて敵を気絶させ、手裏剣の一投で仕留めた時の気持ちよさが麻薬的なものになる訳である。忍者くんのゲームバランスの見事さというべきだろう。
3.操作感が非常にリアルかつ独特であり、「俺ジャンプしてる」感がとても大きい
これには感覚的な部分もあるので、若干説明が難しいのだが。
まず、忍者くんのジャンプはとても「放物線が美しい」。
上の動画を見て頂けば分かると思うが、忍者くんのジャンプには大小二種類があり、いずれも放物線を描いて下に落ちてくるジャンプである。放物線ではきちんと頂点近くで速度がゆっくりになり、そして止まり、だんだん加速しながら下に落ちてくる。まず、この感覚が無暗に臨場感を煽る。
勿論ジャンプの感覚は、決して「リアルであればそれでいい」というものではないが、忍者くんの「ふわっとした独特な軌道、操作感」は、滅多なゲームでは味わえないものである。
また、「忍者くん」のジャンプには、操作する時独特の「タメ」がある。
忍者くんは、上の段に上る時は横にレバーを倒しながらジャンプをする必要があるのだが、その際の一瞬のタメ、タメの後のふわりと宙に舞う感覚が、「重さ」をはっきりとプレイヤーに感じさせる素晴らしい操作感を演出しているのだ。「重さに逆らって頑張ってジャンプしてる感」に溢れている。
「ふわりとしたジャンプ」「綺麗な放物線」「一瞬のタメ」といった様々な要素が、一言で言うと「きちんと重さ・重力のあるジャンプ」という、問答無用の説得力を醸し出している。 若干感覚的な部分ではあるのだが、私が忍者くんを「最強の制御不可ジャンプ」ゲームであると考える、一つの大きな要素である。
こういう場面で引き合いに出してしまうのは大変恐縮なのだが、分かりやすいカウンター的な例として、「忍者ハットリくん」のジャンプが挙げられるだろう。
忍者ハットリくんのジャンプは非常に鋭角的であり、凄い勢いで上に登って行って凄い勢いで下に落ちてくる。なにせハットリくんはハットリさんなので多少のジャンプをしても驚くにはあたらないのだが、個人的には「忍者くん」のふわりジャンプに比べて、操作した時の臨場感や重力の存在感という点で数歩を譲ると思う。というか、多分ハットリくんにはイナーシャルキャンセラーが搭載されているのではあるまいか。
ということで、随分長くなってしまった。まとめると、
・忍者くんのジャンプの凄いところは、「ジャンプの存在感が物凄く大きい」「ジャンプという操作のリスク・リターンのバランスが物凄くいい」「ジャンプという操作感の説得力が物凄く大きい」という3点の物凄さに集約されるのではないか
・忍者くんの戦いかたは清く正しい忍者道を突っ走っており、某ワーヒーのフウマとかシャドウダンサーとか忍者龍剣伝のリュウ・ハヤブサとかに見習わせたい
・服が赤い点だけはちょっとどうかと思う
といった感じの結論が導けるわけである。よかったですね。
次回になるかどうかは分からないが、「制御ありジャンプ」についてももう少し書いてみたい。また項を改める。
2012年11月08日
レトロゲーム万里を往く その111 銀河英雄伝説4
現在の、移植されたらハード買いするゲームタイトルリスト:19XX、銀河英雄伝説4(EX)
現在の、ちゃんとWindowsで動く形でWindows版を再販して欲しいタイトルリスト:大航海時代II
上記リストには適宜タイトルが追加されます。
最初は、「銀河英雄伝説4(EX)は、とにかく超名作なので積極的に家庭用移植を訴えていきたい」というタイトルで書こうと思っていたのだが、いざ書いてみたら思ったより長くなったので急きょ万里を往くに編入してみた。「万里を往く」の中では初の純正パソゲーである。
移植ないしリメイクされないかなあ。多分銀英伝ものゲームの、またボーステックの最高傑作じゃないかと思うんだけどなあ。7でなんか色々トラブっちゃったみたいだから無理なのかなあ。
ということで、今日のエントリーでは、銀河英雄伝説4がいかに面白いのか、という点を解説の上、移植ないしリメイクを訴えていきたいと思う。銀河英雄伝説自体を知らない人は読んでみてください。面白いし、田中芳樹先生の作品には珍しくちゃんと完結しているので。
以下、ゲームの話。
銀河英雄伝説4。同名のSF小説の世界観を舞台にした、戦略/戦術SLG。1994年、ボーステックからPC-9801/9821向けに発売。同年に「EX」となるパワーアップキットが同じく9821向けに発売され、1997年にはWindows95/98版も発売されている。
ボーステックからは、元々「銀河英雄伝説」のゲームがシリーズで発売されており、1989年の「銀河英雄伝説」から、MMORPGとなる2004年の「7」まで続いた。ただ、ご存じの方も多いと思うが、「7」は様々な理由(サービスイン時点で5割近い機能が未実装だったりとか)からえらいトラブルが発生しまくりサービス終了。5と6は基本的に戦術モード限定のゲームであったし、3までは戦略要素がそこまでなかった為、「戦略シミュレーション」として完成していたボーステック銀英は実質この「4」のみだった、と言ってしまっていいだろう。銀英ものゲームは幾つかあるが、この「銀河英雄伝説4」があらゆる銀英ものゲームで最高傑作である、と言い切ってしまっても賛同してくださる方は多いのではないだろうか。
参照ページとして、Wikipediaにリンクしておく。
銀河英雄伝説 (ゲーム)
さて、ゲームの話をしよう。
・卿の名は?(戦略編)
銀河英雄伝説4は、言ってしまえば「銀英版三国志」である。
プレイヤーは、ゲーム開始時、「卿の名は?」の問いに答え、自分が操るキャラクターを決める。選択出来るのは少将以上のキャラクター。ヤンやラインハルトはもとより、アッテンボローやミッターマイヤー、ロイエンタールといった同盟、帝国それぞれの名だたる将たち、場合によってはパエッタやボロディンといった渋い役どころから、ブラウンシュヴァイク公やフレーゲルなどというやられ役まで選択することが出来る。
戦略マップは、同盟、帝国それぞれの星系で埋め尽くされている。アスターテやらアムリッツァ、ヴァーミリオンやエル・ファシルといった、原作でもそこかしこで名前が出てきた星系がマップ上にちりばめられているのである。そして、ヤンやラインハルト、ファーレンハイトやメルカッツといった面々には、それぞれ「統率」や「運営」「攻撃」「防御」といったステータスが設定されており、キャラクターそれぞれ得意不得意がある。ヤンは「統率」や「防御」に極めて優れているが、「運営」はからっきしである、とか。ミッターマイヤーは「機動」が最高である、とか。カールセンやモートン、グリューネマンやアルトリンゲンといった、原作ではいまいち影が薄い連中を活躍させることも可能だ。最早、これだけで原作ファンには燃えない要素があるまい。
そして、プレイヤーは、最初に選択した将官に扮して、この広大な戦略マップを、自陣営の色に染め上げる為に活躍したり活躍しなかったりするわけである。
キャラクターには階級があり、その階級次第で「出来ること」は違ってくる。たとえば少将であればまだ一個艦隊を指揮することは出来ず、自分の裁量で動かせる艦隊は限定されている。そこで、戦略的な様々な策を上官に「進言」することで舞台に介入する。例えば「○○と××でこういう艦隊を編成しましょう」とか。「○○艦隊と××艦隊でここを攻めましょう」とか。
進言は、容れられることもあれば却下されることもある。このときも原作通りの会話を垣間見ることが出来、例えばヤンに進言して断られれば「だめ!」と言われたり、シェーンコップが進言を容れられたら「あなたもなかなか物分りのよい方ですな」と上官とも思わぬ口をきくなど、原作ファン垂涎の展開がもうあちこちに埋められている。そして、自分の階級が進んでいけば自分の裁量で決められる部分もどんどん大きくなるし、宇宙艦隊司令長官のような要職につくことが出来れば、それこそ全艦隊を手足のように動かすことが出来る。
ただし、予算の範囲内で。当然のことながら、同盟・帝国いずれも「税収と予算」というものが決められており、軍を動かすには金がかかる。そして、予算がなくなると、艦隊移動ひとつ満足に出来なくなる。この辺りも、実に実に原作通りの展開であって、「補給がなければ戦えるもんも戦えない」という展開が再現されるわけである。
言ってはなんだが、CPUの首脳陣は結構おばかさんなので、放っておくと(これも原作通り)ガンガン無茶な作戦を立てる。フェザーン方面で攻められているのにそっちを放っておいてイゼルローンから逆侵攻しようとするであるとか、おいおいちょっと落ち着け、てなもんである。そこで、プレイヤーキャラクターはなるべく上手に戦略に口出しをして、状況を有利な方に有利な方に持っていかなくてはいけない。
こうして、プレイヤーは、予算や戦況とにらめっこをしながら、戦略ターンを思い通りに進めようとするわけである。例えば、原作通りに同盟側からアムリッツァに大挙進軍することも出来るし、逆にイゼルローンを盾にして専守防衛に走ることも出来る。「防御」に優れるミュラー艦隊の弱点を補うために「攻撃」がmax値であるビッテンフェルトを幕僚につけることも出来るし、フェザーンに侵攻することも当然出来る(その後補給とかにペナルティを食うが)し、場合によってはクーデターや亡命をすることすら出来る。
銀英4全体を通しての最大のキーワードが「原作再現」であることは間違いないだろう。もう、ゲームの作りから展開、コマンド、リップシュタット戦役やラインハルト暗殺未遂のような様々なイベントに至るまで、何からなにまで「原作をなぞった」ものばかりで、それでいて自由裁量は非常に大きい。原作通りの歴史を織ることも出来れば、ifを実現することも出来る。原作の味を濃厚に残しながらここまで広大な自由度を確保するというのも、これは一つの「奇跡のバランス」と言うべきなのではないか。
・卿の名は?(戦術編)
ところで、戦闘シーンもこれまた芸が細かい。
プレイヤーは、基本的に「艦隊」を率いて戦闘に臨む。艦には「戦艦」「高速戦艦」「駆逐艦」「輸送艦」といった様々な種類があり、原作と同じく、プレイヤーはそれらの艦を場面場面に沿って適切に自艦隊に配置しなくてはいけない。そして、戦闘シーンではミサイル、レーザー、近くにあっては空戦や、場合によっては要塞砲などを駆使して敵を撃破しにかかるわけである。
戦闘シーンが完全に上から見下ろしの2D場面であるのは残念とはいえる(まあこれも原作準拠といえなくもないが)が、それを含めても原作ファンの期待にこたえて余りある戦闘バランスである。例えばヤンやミュラーのように防御が高い提督は撃たれても撃たれてもなかなか致命的なダメージを受けないし、ビッテンフェルトやファーレンハイトのように攻撃の高い提督は、一戦で弱兵を壊滅してのける。敵を全滅するか、敵の士気を0にするかで戦闘に勝利することが出来、士気 = 提督の統率の値であるため、「統率」のパラメーターも極めて重要である。
戦場にはイゼルローンやガイエスブルクのような巨大要塞も存在し、これまた原作通り、要塞に正面からぶつかっては戦艦が何万隻あっても足りはせず、片っ端から要塞砲で殲滅されて終わりである。しかし、シェーンコップのような一部将兵が、行動力を溜めて使えるコマンド「占拠」を使えば、原作のように無血で要塞を占領することが出来る。恐ろしい原作再現度である。
また、戦術ターンごとに艦を修理出来る工作艦や、戦闘物資・ミサイルなどの補給が出来る補給艦が超重要なことも、原作を再現している要素の一つといえるだろう。
戦術的にも、例えば待ち伏せあり、包囲戦あり、背後からの奇襲あり、敵の分断ありと、原作でも出てきた様々な場面を再現するに足る、圧倒的な「許容量」を誇っている。その裏に流れるのは、アニメでもマッチっぷりが絶賛された、「ボレロ」など様々なクラシック音楽。これで燃えるなという方が無理な話である。
私はどちらかというと同盟スキーなのでボロディンやウランフといった面々を活躍させることが多いが、誰を使ってもゲームはクリアまでもっていける辺り、つくづくこのゲームの戦闘バランスは素晴らしいと思う。ただ、これも原作と同じく、基本的に同盟より帝国の方が優秀な提督が多いし、シナリオが先に進めば進む程帝国側にバランスが傾いていくので、そこをひっくり返すにはかなりの努力を強いられる。原作のヤンの苦労がよくわかるわけである。
ということで長々と書いてきたが、私が言いたいことは
・徳間書店でもどこでもいいから一刻も早く銀英4をリメイクするか、せめて今のWindows対応で再販すべき
ということであって、他に言いたいことは特にないことを付け加えておく。
今日はこの辺で。
現在の、ちゃんとWindowsで動く形でWindows版を再販して欲しいタイトルリスト:大航海時代II
上記リストには適宜タイトルが追加されます。
最初は、「銀河英雄伝説4(EX)は、とにかく超名作なので積極的に家庭用移植を訴えていきたい」というタイトルで書こうと思っていたのだが、いざ書いてみたら思ったより長くなったので急きょ万里を往くに編入してみた。「万里を往く」の中では初の純正パソゲーである。
移植ないしリメイクされないかなあ。多分銀英伝ものゲームの、またボーステックの最高傑作じゃないかと思うんだけどなあ。7でなんか色々トラブっちゃったみたいだから無理なのかなあ。
ということで、今日のエントリーでは、銀河英雄伝説4がいかに面白いのか、という点を解説の上、移植ないしリメイクを訴えていきたいと思う。銀河英雄伝説自体を知らない人は読んでみてください。面白いし、田中芳樹先生の作品には珍しくちゃんと完結しているので。
以下、ゲームの話。
銀河英雄伝説4。同名のSF小説の世界観を舞台にした、戦略/戦術SLG。1994年、ボーステックからPC-9801/9821向けに発売。同年に「EX」となるパワーアップキットが同じく9821向けに発売され、1997年にはWindows95/98版も発売されている。
ボーステックからは、元々「銀河英雄伝説」のゲームがシリーズで発売されており、1989年の「銀河英雄伝説」から、MMORPGとなる2004年の「7」まで続いた。ただ、ご存じの方も多いと思うが、「7」は様々な理由(サービスイン時点で5割近い機能が未実装だったりとか)からえらいトラブルが発生しまくりサービス終了。5と6は基本的に戦術モード限定のゲームであったし、3までは戦略要素がそこまでなかった為、「戦略シミュレーション」として完成していたボーステック銀英は実質この「4」のみだった、と言ってしまっていいだろう。銀英ものゲームは幾つかあるが、この「銀河英雄伝説4」があらゆる銀英ものゲームで最高傑作である、と言い切ってしまっても賛同してくださる方は多いのではないだろうか。
参照ページとして、Wikipediaにリンクしておく。
銀河英雄伝説 (ゲーム)
さて、ゲームの話をしよう。
・卿の名は?(戦略編)
銀河英雄伝説4は、言ってしまえば「銀英版三国志」である。
プレイヤーは、ゲーム開始時、「卿の名は?」の問いに答え、自分が操るキャラクターを決める。選択出来るのは少将以上のキャラクター。ヤンやラインハルトはもとより、アッテンボローやミッターマイヤー、ロイエンタールといった同盟、帝国それぞれの名だたる将たち、場合によってはパエッタやボロディンといった渋い役どころから、ブラウンシュヴァイク公やフレーゲルなどというやられ役まで選択することが出来る。
戦略マップは、同盟、帝国それぞれの星系で埋め尽くされている。アスターテやらアムリッツァ、ヴァーミリオンやエル・ファシルといった、原作でもそこかしこで名前が出てきた星系がマップ上にちりばめられているのである。そして、ヤンやラインハルト、ファーレンハイトやメルカッツといった面々には、それぞれ「統率」や「運営」「攻撃」「防御」といったステータスが設定されており、キャラクターそれぞれ得意不得意がある。ヤンは「統率」や「防御」に極めて優れているが、「運営」はからっきしである、とか。ミッターマイヤーは「機動」が最高である、とか。カールセンやモートン、グリューネマンやアルトリンゲンといった、原作ではいまいち影が薄い連中を活躍させることも可能だ。最早、これだけで原作ファンには燃えない要素があるまい。
そして、プレイヤーは、最初に選択した将官に扮して、この広大な戦略マップを、自陣営の色に染め上げる為に活躍したり活躍しなかったりするわけである。
キャラクターには階級があり、その階級次第で「出来ること」は違ってくる。たとえば少将であればまだ一個艦隊を指揮することは出来ず、自分の裁量で動かせる艦隊は限定されている。そこで、戦略的な様々な策を上官に「進言」することで舞台に介入する。例えば「○○と××でこういう艦隊を編成しましょう」とか。「○○艦隊と××艦隊でここを攻めましょう」とか。
進言は、容れられることもあれば却下されることもある。このときも原作通りの会話を垣間見ることが出来、例えばヤンに進言して断られれば「だめ!」と言われたり、シェーンコップが進言を容れられたら「あなたもなかなか物分りのよい方ですな」と上官とも思わぬ口をきくなど、原作ファン垂涎の展開がもうあちこちに埋められている。そして、自分の階級が進んでいけば自分の裁量で決められる部分もどんどん大きくなるし、宇宙艦隊司令長官のような要職につくことが出来れば、それこそ全艦隊を手足のように動かすことが出来る。
ただし、予算の範囲内で。当然のことながら、同盟・帝国いずれも「税収と予算」というものが決められており、軍を動かすには金がかかる。そして、予算がなくなると、艦隊移動ひとつ満足に出来なくなる。この辺りも、実に実に原作通りの展開であって、「補給がなければ戦えるもんも戦えない」という展開が再現されるわけである。
言ってはなんだが、CPUの首脳陣は結構おばかさんなので、放っておくと(これも原作通り)ガンガン無茶な作戦を立てる。フェザーン方面で攻められているのにそっちを放っておいてイゼルローンから逆侵攻しようとするであるとか、おいおいちょっと落ち着け、てなもんである。そこで、プレイヤーキャラクターはなるべく上手に戦略に口出しをして、状況を有利な方に有利な方に持っていかなくてはいけない。
こうして、プレイヤーは、予算や戦況とにらめっこをしながら、戦略ターンを思い通りに進めようとするわけである。例えば、原作通りに同盟側からアムリッツァに大挙進軍することも出来るし、逆にイゼルローンを盾にして専守防衛に走ることも出来る。「防御」に優れるミュラー艦隊の弱点を補うために「攻撃」がmax値であるビッテンフェルトを幕僚につけることも出来るし、フェザーンに侵攻することも当然出来る(その後補給とかにペナルティを食うが)し、場合によってはクーデターや亡命をすることすら出来る。
銀英4全体を通しての最大のキーワードが「原作再現」であることは間違いないだろう。もう、ゲームの作りから展開、コマンド、リップシュタット戦役やラインハルト暗殺未遂のような様々なイベントに至るまで、何からなにまで「原作をなぞった」ものばかりで、それでいて自由裁量は非常に大きい。原作通りの歴史を織ることも出来れば、ifを実現することも出来る。原作の味を濃厚に残しながらここまで広大な自由度を確保するというのも、これは一つの「奇跡のバランス」と言うべきなのではないか。
・卿の名は?(戦術編)
ところで、戦闘シーンもこれまた芸が細かい。
プレイヤーは、基本的に「艦隊」を率いて戦闘に臨む。艦には「戦艦」「高速戦艦」「駆逐艦」「輸送艦」といった様々な種類があり、原作と同じく、プレイヤーはそれらの艦を場面場面に沿って適切に自艦隊に配置しなくてはいけない。そして、戦闘シーンではミサイル、レーザー、近くにあっては空戦や、場合によっては要塞砲などを駆使して敵を撃破しにかかるわけである。
戦闘シーンが完全に上から見下ろしの2D場面であるのは残念とはいえる(まあこれも原作準拠といえなくもないが)が、それを含めても原作ファンの期待にこたえて余りある戦闘バランスである。例えばヤンやミュラーのように防御が高い提督は撃たれても撃たれてもなかなか致命的なダメージを受けないし、ビッテンフェルトやファーレンハイトのように攻撃の高い提督は、一戦で弱兵を壊滅してのける。敵を全滅するか、敵の士気を0にするかで戦闘に勝利することが出来、士気 = 提督の統率の値であるため、「統率」のパラメーターも極めて重要である。
戦場にはイゼルローンやガイエスブルクのような巨大要塞も存在し、これまた原作通り、要塞に正面からぶつかっては戦艦が何万隻あっても足りはせず、片っ端から要塞砲で殲滅されて終わりである。しかし、シェーンコップのような一部将兵が、行動力を溜めて使えるコマンド「占拠」を使えば、原作のように無血で要塞を占領することが出来る。恐ろしい原作再現度である。
また、戦術ターンごとに艦を修理出来る工作艦や、戦闘物資・ミサイルなどの補給が出来る補給艦が超重要なことも、原作を再現している要素の一つといえるだろう。
戦術的にも、例えば待ち伏せあり、包囲戦あり、背後からの奇襲あり、敵の分断ありと、原作でも出てきた様々な場面を再現するに足る、圧倒的な「許容量」を誇っている。その裏に流れるのは、アニメでもマッチっぷりが絶賛された、「ボレロ」など様々なクラシック音楽。これで燃えるなという方が無理な話である。
私はどちらかというと同盟スキーなのでボロディンやウランフといった面々を活躍させることが多いが、誰を使ってもゲームはクリアまでもっていける辺り、つくづくこのゲームの戦闘バランスは素晴らしいと思う。ただ、これも原作と同じく、基本的に同盟より帝国の方が優秀な提督が多いし、シナリオが先に進めば進む程帝国側にバランスが傾いていくので、そこをひっくり返すにはかなりの努力を強いられる。原作のヤンの苦労がよくわかるわけである。
ということで長々と書いてきたが、私が言いたいことは
・徳間書店でもどこでもいいから一刻も早く銀英4をリメイクするか、せめて今のWindows対応で再販すべき
ということであって、他に言いたいことは特にないことを付け加えておく。
今日はこの辺で。
2012年11月05日
レトロゲーム万里を往く その110 ドラえもん
形を変えた「チャレンジャー」なのではないか、などと思うわけなのである。
実は、私にとってはドラえもんはライバルである。私は、ファミコンにおけるハドソンの三大名作は「迷宮組曲、ボンバーマン、サラダの国のトマト姫」だと考えており、かつその中でもトップは迷宮組曲だと考えており、迷宮組曲がハドソンゲーでありながら当時あまりピックアップされなかった理由は、「高橋名人の冒険島(1986年9月12日)」と「ドラえもん(1986年12月12日)」という二大ミリオンセラーに挟まれていたからではないか、と思い込んでいるからである。
とはいえ、勿論ファミコン初期におけるハドソンの存在は巨大であり、後々「ドラえもんゲーに外れなし」と一部のファミコンゲーマーに言わしめるに至った、そのスタート地点である本作の存在は、やはり無視出来るものではない。
「ドラえもん」。アクションゲーム・シューティングゲーム。1986年12月12日、ハドソンよりファミコンで発売。「ステージが進むごとにゲームが全く変わる」ということが一つのウリとされており、全体的に底堅い面白さと、当然のように強力なタッグを組んだコロコロコミックの販促などもあり、110万本以上を売り上げるミリオンヒット作となった。
当時キャラクターゲームに注力していたメーカーはいくつかあるが、国民的キャラクターである「ドラえもん」のゲームがバンダイではなくハドソンから発売されたことには、勿論コロコロコミックとハドソンの緊密なタッグが背景にあったことではあろうが、なかなか興味深い現象だったと思える。ハドソンは90年以降、「桃太郎」や「ボンバーマン」「高橋名人」などの一部のキャラクターを軸にしたゲームに注力し続けることになるわけだが、その遠因には「忍者ハットリくん」やこのゲームによる成功体験があったりするんじゃないかなあ、と私は考えている。
1987年以降、「ミッキーマウス不思議の国の大冒険」や「桃太郎伝説」を境に、ハドソンが徐々にPCエンジンに軸足を移していったことを考えれば、「ハドソンがファミコンのみに注力していた時代の、終わり間際の作品」としてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。
参考ページとして、Wikipediaのページを挙げておく。
Wikipedia:ドラえもん (ファミコン)
さて、ゲームの話をしよう。
・常識はずれの「ゲームのバラエティ」。
ゲームとしての「ドラえもん」の最大の特徴は、やはり「ステージによってゲームが変わること」だといえるだろう。
ワールド1、「開拓編」は、ゼルダのようなトップビュー画面と、マリオのようなサイドビュー画面が入り混じった探検型アクションゲーム。
ワールド2、「魔境編」は、縦スクロールと横スクロールが入れ替わり立ち代り出現する、まるで「沙羅曼蛇」のようなシューティングゲーム。
ワールド3、「海底編」は、持てる数に制限のあるアイテムを入れ替えながら、ボス敵のいる部屋を目指すパズル的アクションゲーム。
まさしく子供向け番組の展開のように、「とにかく子供を飽きさせない」という思考が、そのゲーム作りの基底にあったのではないか、と私は考えている。
どのステージも、正直単体でみればそこまで強烈な印象はないが、それぞれはっきりとした「ウリ」をアピールしていたのが印象的だった。
例えば開拓編であれば、様々な隠しアイテムを軸にした探索要素とパワーアップ要素。最初は攻撃手段すら持っていないドラえもんだが、「ショックガン」や「空気砲」「強力うちわ」などを見つけることが出来ればどんどん攻撃手段がパワーアップするし、あちらこちらに隠された「ドラやき」や「キャンディー」「ミルク」などを集めていけば、体力が回復したり弾数が増えたりといった特典を得ることが出来た。
基本的には、開拓編の「ウリ」は「宝探し要素」だった、といってしまっていいと思う。複雑な手順を踏まないと出てこない「隠しキャラ」なども用意されており、雑誌とのタイアップによって情報を小出しにファミコン小僧達を釣る、伝統の隠しキャラ商法も黄金期だった筈だ。
一方、「魔境編」ははっきりと「グラディウス」を意識した、オプション(ジャイアンやスネ夫)を生かした地形との戦い、という要素が主軸だったと思う。巧みに弾を回避し、地形をかわし、敵を狙い撃つ、古きよき横シュー伝統の操作感が二面のウリだ。敵の攻撃は正直開拓編よりも遥かに激しく、ノーダメージで進むのは至難の業だ。当時のファミッ子の中にも、「魔境編をクリア出来ない」という子は割りといたと思う。
そして、最終面となる「海底編」も、これまたかなりの高難度だった。小部屋が幾つも連なった迷宮状のマップ。先に進むための「通り抜けフープ」や「カギ」「お守り」などのアイテムと、通常は一個、取り寄せバッグを持てば二個という、持ち運べるアイテムの個数制限。迷宮のあちこちに閉じ込められているのび太、スネ夫、ジャイアンを連れてこなくては最後の鍵を開けることは出来ず、中ボスであるオクトパスは強力で、しずかちゃんの前に立ちふさがるラスボスポセイドンの攻撃も激しい。難度だけから言えば、当時中学生のお兄ちゃんくらいでもそれなりにてこずったのではないだろうか。
一見ソフトなキャラクターものの中に、明確に用意された「展開の多彩さ」「面ごとのアピールポイント」「様々な隠しキャラ」「面を追うごとに増してくる難度」などの要素。見えてくるのは、「ターゲットとなる子供たちにどうやって飽きずに遊んでもらうか」「雑誌とのタイアップをどう生かすか」という、明示的な「ゲームを売る」戦略だ。この当時、ファミコン業界の中心の一角を担っていたハドソンの、一つの本気がこのゲームに表現されている、と考えるべきではないだろうか。
ドラえもんというと、とかく海底編のドラミちゃん出現裏技が取り沙汰されやすいが、ここにも「意図的に裏技を仕込むことによる広告戦略」があったのではないか、と私は考えている。マイクには「ハドソーン」と叫ぼうが「ファミマガー」と叫ぼうが結果は同じなので注意が必要である。
・多彩展開のご先祖様は?
ちょっと、時代背景の話をする。
この当時、1986年という年は、「RPG」というジャンルが強力な力を備え始めた、言ってみれば過渡期だった。ゲームの大容量化に伴い、アクションゲームの主軸も、「ワープマン」や「クルクルランド」のような固定画面型アクションゲームから、「東海道五十三次」や「がんばれゴエモン」「影の伝説」のようなスクロールアクションへと移り変わっていた。ゲームは長くなり、当然のことながらゲーム自体も複雑さを増してきていた。それでも、「ステージが進むごとにゲームが完全に変わる」というゲームは、当時はっきりと異色だった筈だ。
さて、「ステージが進むごとにゲーム展開が変わる」という点で、ファミコンにおける草分け作品はなんだったろう?
厳密を期すならば、ここでは「デビルワールド」あるいは「ハイパーオリンピック」の名を挙げるべきなのかも知れない。しかし、私はこう思う。「展開の多彩さ」をファミコンに初めて持ち込んだタイトル、それは「チャレンジャー」なのだ、と。
チャレンジャーは、いわずと知れたファミコン初期の名作アクションである。ハドソンから発売されたのが1985年10月。「インディ・ジョーンズ」を意識していると思われる、考古学者の主人公「チャレンジャー」が挑むのは、「ブラッディワッカー」のボスドン・ワルドラド。
「チャレンジャー」においても、ハドソンは「ステージごとにくるくると変わるゲーム展開」を用意していた。ステージ1は、暴走する列車の屋根の上と車内を進む、サイドビュー横スクロールアクション。ステージ2は、トップビューの探索型アクション。ステージ3と4は、固定画面内でアイテムを集めるダンジョン探索アクション。
私は、「ドラえもん」の原点は「チャレンジャー」にある、と思う。根底にある、「展開を多彩にすることで子供を飽きさせない」というハドソン共通の精神。むしろ「チャレンジャーでは出来なかったことを詰め込まれたのがドラえもん」という要素も、全くないとは言えないのではないか。
・ところで魔境編のステージ2のBGMがめっさいい曲なんですが。
【楽譜】ファミコン版ドラえもん 魔境編その2
なんか明らかにこの曲だけ他のアニメ調の曲と雰囲気違うんですが、なんなんでしょうコレは。ここだけ作った人違ったりしないですか。
ということで、また随分長くなってしまったので今回はこの辺りで筆を置く。次回はまたもうちょっと時代を下るかも。
実は、私にとってはドラえもんはライバルである。私は、ファミコンにおけるハドソンの三大名作は「迷宮組曲、ボンバーマン、サラダの国のトマト姫」だと考えており、かつその中でもトップは迷宮組曲だと考えており、迷宮組曲がハドソンゲーでありながら当時あまりピックアップされなかった理由は、「高橋名人の冒険島(1986年9月12日)」と「ドラえもん(1986年12月12日)」という二大ミリオンセラーに挟まれていたからではないか、と思い込んでいるからである。
とはいえ、勿論ファミコン初期におけるハドソンの存在は巨大であり、後々「ドラえもんゲーに外れなし」と一部のファミコンゲーマーに言わしめるに至った、そのスタート地点である本作の存在は、やはり無視出来るものではない。
「ドラえもん」。アクションゲーム・シューティングゲーム。1986年12月12日、ハドソンよりファミコンで発売。「ステージが進むごとにゲームが全く変わる」ということが一つのウリとされており、全体的に底堅い面白さと、当然のように強力なタッグを組んだコロコロコミックの販促などもあり、110万本以上を売り上げるミリオンヒット作となった。
当時キャラクターゲームに注力していたメーカーはいくつかあるが、国民的キャラクターである「ドラえもん」のゲームがバンダイではなくハドソンから発売されたことには、勿論コロコロコミックとハドソンの緊密なタッグが背景にあったことではあろうが、なかなか興味深い現象だったと思える。ハドソンは90年以降、「桃太郎」や「ボンバーマン」「高橋名人」などの一部のキャラクターを軸にしたゲームに注力し続けることになるわけだが、その遠因には「忍者ハットリくん」やこのゲームによる成功体験があったりするんじゃないかなあ、と私は考えている。
1987年以降、「ミッキーマウス不思議の国の大冒険」や「桃太郎伝説」を境に、ハドソンが徐々にPCエンジンに軸足を移していったことを考えれば、「ハドソンがファミコンのみに注力していた時代の、終わり間際の作品」としてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。
参考ページとして、Wikipediaのページを挙げておく。
Wikipedia:ドラえもん (ファミコン)
さて、ゲームの話をしよう。
・常識はずれの「ゲームのバラエティ」。
ゲームとしての「ドラえもん」の最大の特徴は、やはり「ステージによってゲームが変わること」だといえるだろう。
ワールド1、「開拓編」は、ゼルダのようなトップビュー画面と、マリオのようなサイドビュー画面が入り混じった探検型アクションゲーム。
ワールド2、「魔境編」は、縦スクロールと横スクロールが入れ替わり立ち代り出現する、まるで「沙羅曼蛇」のようなシューティングゲーム。
ワールド3、「海底編」は、持てる数に制限のあるアイテムを入れ替えながら、ボス敵のいる部屋を目指すパズル的アクションゲーム。
まさしく子供向け番組の展開のように、「とにかく子供を飽きさせない」という思考が、そのゲーム作りの基底にあったのではないか、と私は考えている。
どのステージも、正直単体でみればそこまで強烈な印象はないが、それぞれはっきりとした「ウリ」をアピールしていたのが印象的だった。
例えば開拓編であれば、様々な隠しアイテムを軸にした探索要素とパワーアップ要素。最初は攻撃手段すら持っていないドラえもんだが、「ショックガン」や「空気砲」「強力うちわ」などを見つけることが出来ればどんどん攻撃手段がパワーアップするし、あちらこちらに隠された「ドラやき」や「キャンディー」「ミルク」などを集めていけば、体力が回復したり弾数が増えたりといった特典を得ることが出来た。
基本的には、開拓編の「ウリ」は「宝探し要素」だった、といってしまっていいと思う。複雑な手順を踏まないと出てこない「隠しキャラ」なども用意されており、雑誌とのタイアップによって情報を小出しにファミコン小僧達を釣る、伝統の隠しキャラ商法も黄金期だった筈だ。
一方、「魔境編」ははっきりと「グラディウス」を意識した、オプション(ジャイアンやスネ夫)を生かした地形との戦い、という要素が主軸だったと思う。巧みに弾を回避し、地形をかわし、敵を狙い撃つ、古きよき横シュー伝統の操作感が二面のウリだ。敵の攻撃は正直開拓編よりも遥かに激しく、ノーダメージで進むのは至難の業だ。当時のファミッ子の中にも、「魔境編をクリア出来ない」という子は割りといたと思う。
そして、最終面となる「海底編」も、これまたかなりの高難度だった。小部屋が幾つも連なった迷宮状のマップ。先に進むための「通り抜けフープ」や「カギ」「お守り」などのアイテムと、通常は一個、取り寄せバッグを持てば二個という、持ち運べるアイテムの個数制限。迷宮のあちこちに閉じ込められているのび太、スネ夫、ジャイアンを連れてこなくては最後の鍵を開けることは出来ず、中ボスであるオクトパスは強力で、しずかちゃんの前に立ちふさがるラスボスポセイドンの攻撃も激しい。難度だけから言えば、当時中学生のお兄ちゃんくらいでもそれなりにてこずったのではないだろうか。
一見ソフトなキャラクターものの中に、明確に用意された「展開の多彩さ」「面ごとのアピールポイント」「様々な隠しキャラ」「面を追うごとに増してくる難度」などの要素。見えてくるのは、「ターゲットとなる子供たちにどうやって飽きずに遊んでもらうか」「雑誌とのタイアップをどう生かすか」という、明示的な「ゲームを売る」戦略だ。この当時、ファミコン業界の中心の一角を担っていたハドソンの、一つの本気がこのゲームに表現されている、と考えるべきではないだろうか。
ドラえもんというと、とかく海底編のドラミちゃん出現裏技が取り沙汰されやすいが、ここにも「意図的に裏技を仕込むことによる広告戦略」があったのではないか、と私は考えている。マイクには「ハドソーン」と叫ぼうが「ファミマガー」と叫ぼうが結果は同じなので注意が必要である。
・多彩展開のご先祖様は?
ちょっと、時代背景の話をする。
この当時、1986年という年は、「RPG」というジャンルが強力な力を備え始めた、言ってみれば過渡期だった。ゲームの大容量化に伴い、アクションゲームの主軸も、「ワープマン」や「クルクルランド」のような固定画面型アクションゲームから、「東海道五十三次」や「がんばれゴエモン」「影の伝説」のようなスクロールアクションへと移り変わっていた。ゲームは長くなり、当然のことながらゲーム自体も複雑さを増してきていた。それでも、「ステージが進むごとにゲームが完全に変わる」というゲームは、当時はっきりと異色だった筈だ。
さて、「ステージが進むごとにゲーム展開が変わる」という点で、ファミコンにおける草分け作品はなんだったろう?
厳密を期すならば、ここでは「デビルワールド」あるいは「ハイパーオリンピック」の名を挙げるべきなのかも知れない。しかし、私はこう思う。「展開の多彩さ」をファミコンに初めて持ち込んだタイトル、それは「チャレンジャー」なのだ、と。
チャレンジャーは、いわずと知れたファミコン初期の名作アクションである。ハドソンから発売されたのが1985年10月。「インディ・ジョーンズ」を意識していると思われる、考古学者の主人公「チャレンジャー」が挑むのは、「ブラッディワッカー」のボスドン・ワルドラド。
「チャレンジャー」においても、ハドソンは「ステージごとにくるくると変わるゲーム展開」を用意していた。ステージ1は、暴走する列車の屋根の上と車内を進む、サイドビュー横スクロールアクション。ステージ2は、トップビューの探索型アクション。ステージ3と4は、固定画面内でアイテムを集めるダンジョン探索アクション。
私は、「ドラえもん」の原点は「チャレンジャー」にある、と思う。根底にある、「展開を多彩にすることで子供を飽きさせない」というハドソン共通の精神。むしろ「チャレンジャーでは出来なかったことを詰め込まれたのがドラえもん」という要素も、全くないとは言えないのではないか。
・ところで魔境編のステージ2のBGMがめっさいい曲なんですが。
【楽譜】ファミコン版ドラえもん 魔境編その2
なんか明らかにこの曲だけ他のアニメ調の曲と雰囲気違うんですが、なんなんでしょうコレは。ここだけ作った人違ったりしないですか。
ということで、また随分長くなってしまったので今回はこの辺りで筆を置く。次回はまたもうちょっと時代を下るかも。
2012年08月14日
レトロゲーム万里を往く その109 19XX -THE WAR AGAINST DESTINY-
俺、19XXが家庭用に移植されたら、地元に帰って小さなお店を開くんだ…(フラグ立て)
ハード買い、という言葉がある。
家庭用ゲーム機を買う時、動機や順番は勿論人それぞれだろう。そのハードのメーカーが好きだから、スペックが凄そうだから、最新の機種だから。様々な理由が考えられるが、恐らく一番多いのは、「○○というゲームが発売予定で、そのゲームをやりたいから」という、ソフト重視の考え方だと思う。
これがもうちょっと先鋭化すると、仮に他にやりたいゲームが一作も発売されていないとしても、そのタイトルさえ発売されるなら無条件でそのハードを買う、という状態になる。一種の病気といって良い。
私はその病気に罹患している。
例えば私は、「ダライアス」シリーズの新作が発売される場合には、欣喜雀躍、無条件でそのハードに飛びつく。私はそれでPSPを買った。
例えば私は、「メタルマックス」の新作ないし移植作が発売される場合には、何も考えずにそのハードの入手に走る。私はそれでPS2を買い、DSを買った。
そして、私の中では「19XX」もそれに準ずる「ハード買い対象ゲーム」であり、もし家庭用に移植されたら一言足りとも口を挟まずに家電量販店に走り、即ハードごと確保する意志がある、という話なのである。
19XX -THE WAR AGAINST DESTINY-。縦スクロールシューティングゲーム。「1942」などのいわゆる「19シリーズ」の後継として、1996年、カプコンより業務用発売。当時は既に格闘ゲーム全盛の時代ではあったが、「バトルガレッガ」のほぼ同期生として、ゲーセンの一角で高い人気を誇っていたと思う。当時、「ガレッガは敷居が高く上級者向け、19XXは敷居が低く初心者・中級者向け」というような色分けがされていたように記憶している。
カプコンというメーカーについては、1990年代以降「ベルトスクロールアクションや格ゲーを中心とした、アクションゲームのリーディングメーカー」というイメージが支配的であったろう。
しかし、それ以前、1990年代序盤まではまだ、例えばバルガスやエグゼド、ガンスモークなどの初期STGを始め、1942や1943などの19シリーズ、アレスの翼やエリア88、サイドアームやらロストワールド、チャリオットやアルティメットエコロジーのような変り種に至るまで、「STGのカプコン」という側面も強かった。
そんな様々なカプコンSTGの中でも、19XXはカプコンSTGの最高峰といっても過言ではないであろう、凄まじい完成度を誇っていた、と思う。少なくとも私に関しては、「カプコン最高のSTGは?」と言われればためらいなく19XXを挙げる。
参照URLを挙げておく。
ゲームの詳細についてはWikipediaに詳しい。
Wikipedia:19XX -THE WAR AGAINST DESTINY-
家庭用に移植されていないこともあり、動画は非常に少ないが、一応ある。youtubeを参照されるべきだろう。
19XX - The War Against Destiny
19XX Mosquito Nomiss part 1 of 2
さて、ゲームの話をしよう。
・「マーカーミサイル」というたった一つの武器が撃ちぬいたもの。
さて、19XXは縦シューである。基本的なシステムは非常にスタンダードであり、それ程の説明を要しない。主人公は、P-38ライトニング・震電・モスキートの内から一機を選び、その戦闘機を駆って敵組織「アウターリミッツ」との戦いに臨む。ステージごとに「超爆撃機「亜也虎改」」だの「超巨大戦艦「雷鳴」」だのといったかっこいい名前のボスがおり、ボスを倒すとステージクリアになる。
19XXのシステムの最大の特色、そして面白さの源泉は、たった一つの要素に集約される。それは「マーカーミサイル」である。
マーカーミサイルはいわゆる溜め撃ちである。一定時間ショットボタンを押しっぱなしにして、離すと敵に向かってマーカーが発射される。マーカーが当たると敵は一定時間ロックオンされ、通常のショットと同時に、画面のどこからでも強力な「マーカーミサイル」が発射され続ける。
この単純なシステムが、19XXというゲームを名作にした、と私は思う。
マーカーミサイルというシステムが19XXに持ち込んだ要素は、多分4つくらいある。
1.報酬効果が高いことに起因する爽快感
2.マーカーを当てている間は位置取りが自由であることによる、弾避けへの集中のし易さ
3.マーカーを当てる場所を「狙う」という要素と、パターン構築の重要性の学習
4.溜める時間と溜めない時間というゲーム的なメリハリと、攻撃のリズム感という要素
まず、その1。マーカーを当てて、敵にバリバリマーカーミサイルを撃ち込む感覚がとにかくシンプルに気持ちいい。緑色のスゴげなショットが敵に襲いかかる様は、破壊欲求を存分に満足させてくれる。
その2。マーカーを当てさえすれば、自機がどこにいても敵に攻撃が出来る。その為、敵の弾に集中し易く、特に初心者が弾避けの楽しさに気づきやすい。
その3。マーカーミサイルの報酬効果が高いことから、プレイヤーは自然と「マーカーをいかに効率よく当てるか」を考えるようになる。すぐに破壊出来る場所にマーカーを当てても大して美味しくない。となると、敵の弱点、敵の固い部分をどうやって狙うか、そこにマーカーをどうやって当てるか、ということを考えるようになる。
その4。「マーカーを溜めている時間」というのが非常に重要になるので、その間をどう凌ぐか、またどんなリズムで敵に攻撃を当てていくといいか、ということを考えるようになる。言ってみれば、シューティングを遊ぶ際の「リズム感」とでもいうべきものがあり、それが自然と身に付く。
とにかく「19XX」の敵の出現パターンは徹底的に考え抜かれており、マーカーミサイルを上手く使えば使う程楽にクリアできるように出来ている。
例えば、耐久力が高いが攻撃はヌルい敵が画面の上部を動き回る→マーカーを当てれば他の敵を巻き込んで倒しやすい、であったりとか。
例えば、左右同時に耐久力が高い敵が出てくる→片方にマーカーを当てて、もう片方を撃っていれば自然と他の敵もしのげる、であるとか。
マーカーミサイルを中心に、「プレイヤーが考えれば考える程楽に進める」ような敵の出現パターンが用意されていることにより、19XXは初心者プレイヤーがめきめき上手くなる為の絶好の「教材」になっていたと思う。少なくともこの一点において、19XXのレベルはそんじょそこらの「覚えシュー」を遥かに超えていた。
STG初心者に対して、「STGの戦略性」を教えた名作。まずは、19XXをこう評価するべきだと私は考えている。
・震電はえええ!!(ライトニング使い)
勿論他にも、19XXの一級品なところは山ほどある訳なのだが。
・三機それぞれに存在する「得意武器」と、それに起因する戦略性
・二段階で攻撃・弾消しが出来る、いわゆるボンバーである「ヴァリアブルボム」という工夫
・勲章を集めまくるごとに点数が高くなっていく得点システムと階級制
・アイレムの仕事か、と思わせる程に重厚な敵グラフィックと演出のかっこよさ
・名曲しか存在しないBGM
最初に三機を選択することの出来る自機は、それぞれ得意な武器を持っており、得意武器であれば二段階にパワーアップすることが出来る。例えばライトニングは、正面広い範囲をカバーする連射ショット。震電はいわゆる「レーザー」的なスーパーシェル。モスキートは、広い範囲をカバー出来、張り付きが暴力的に強力な3WAY。
モスキートと震電の間にはエラい速度差があることもあり、当初この二機は中級者・上級者向けとして扱われていたような記憶がある。ただ、敵全滅を絡めて稼ぐ際、一番有利な装備は「敢えてその得意武器を外すこと」。震電に3WAYを装備させるのが一番全滅を取りやすい、という結論をどこかで聞いた覚えがある。稼ぎに向いた装備、面クリアに向いた装備を様々考えるのも、19XXの面白い要素の一つだろう。
また、いわゆるボンバーが「溜めボンバー」になっているのも19XXの重要な特色の一つだ。このゲームにおいて、ボンバーは「押した瞬間弾消しが出来、押しっぱなしでゲージが溜まり、離すと溜まったゲージに応じたボンバーが炸裂」というシステムだった。単純に2回弾消しが出来ることによって初心者が有利である点もさることながら、ボスの弾をひーこら避けながらなんとかレベル2、レベル3のボンバーを炸裂させようと頑張る、というような戦術要素も重要だったと思う。
面クリア時、敵の撃墜率に応じて階級が上がる、「昇格システム」も見逃せない。階級は高ければ高い程に面クリア時のボーナスの倍率が上がっていく為、「敵を全滅させた上で勲章を集めまくる」という点稼ぎ要素も非常に熱かった。溜めこんだ勲章がボスでの被撃墜によって一瞬で消滅するのも、ある種の風物詩であるといえる。
ただ、こういった19XXの様々な要素の中で、唯一といっていい大問題が、「現在に至るまで一回も家庭用に移植されていない」ことだと私は思う。これが本当にもったいない。STG初心者にもお勧め出来る一本であるというのに、置いてあるゲーセンをチェックするだけでも一苦労である。
面白い要素を挙げれば挙げる程、一体なぜ19XXが家庭用に移植されないのか、私にはさっぱり分からない。版権の問題もなさそうだし、ファンは一定数いる筈だし、いったいなんでなんでしょう。開発元と何かあったりするのでしょうか。
正直なところ「幻の名作」に片足を突っ込みかけていると思っているので、一刻も早く移植をお願いします。是非。是非に。あ、iOS移植でも構いませんがその場合ジョイスティックもセットでお願いします。
・その素晴らし過ぎるBGMと演出の妙。
BGMが素晴らしすぎることも避けては通れない。
このゲームのBGMについて一言で評価するとしたら、「名曲しかない」というのが正しい表現になると思う。
私が考える19XXのBGMの特色は、「恐ろしい程に耳に残るパーカッション」と、「ノリがよく、それでいて重厚なメロディとゲーム本編の絶妙過ぎる融合」である。
恐らくそういうコンセプトがあったのだろうと思うのだが、とにかく19XXのBGMは、特徴的なパーカッションが全編をリードし、その上にシンプルなようで耳に残る主旋律が乗る、という作りで統一されている。
例えば夕焼けの照らす洋上。ドラムの導入に続いて耳を叩きはじめるのは、コンガのような軽快な音とリズムのパーカッション。その上で流れ始めるのは、余りにも重厚な2面BGM「The Red Naval Port」。(リンクはyoutube)。
ひたすらに縦ノリ、純度120%超ハイテンションの導入に続いて、実際に演奏したら無暗に手が疲れそうな激しいパーカッションと共に始まる3面BGM、「Dance of Green Gnome」。
突如ゲームが変わったか、と思わせる程にお洒落なJazz風導入の5面BGM、「City Light In The Black Strait」では全編を通してハイハットのような音が鳴り続けてメロディをリードするし、言わずと知れた6面BGM「Grayish Tornado」と「Outer Limits」でも終始打楽器が印象的だ。特に6面BGMの緊張感とノリは、ゲーム未経験の人でも必聴であると断言してしまおう。幸い私は所持しているが、サントラが現在入手困難であることが残念でならない。
これらBGMと素晴らしいグラフィックが絡み合い、19XXは全編が徹底的に統一された雰囲気で彩られている。ボスとの激戦に合わせてBGMが展開する7面「The Last Ditch Fight」やあまりにも悄然としたED曲に至るまで、聴き逃すべき曲は一曲もない。カプコン演出の粋である、と言っていいだろう。
・まとめ
・19XXは速やかに、一刻も早く、日本全国一億三千万の民の為に家庭用に移植されるべき
・その際、移植先がiOSであるならば同時に外付けスティックも発売されるべき
・その際、可能な限りボタンは3ボタンで、通常ショット・ボム・連射ショットの3つのボタンが割り振られるべき
・移植さえされるならXBOXだろうが3DO REALだろうがハード買いするのでカプコン様お願いします
結論は以上であり、異論は受け付けない。
非常に長文になったので今日はこの辺で。
2012年05月24日
レトロゲーム万里を往くその108 重装機兵ヴァルケン
問題
ちくしょうハーマンの検索結果:約 10,400 件 (0.32 秒)
ジェイク=ブライン中尉の検索結果:約 1,360 件 (0.35 秒)
上記検索結果を見た時のジェイクの気持ちを答えよ。(配点5)
「その気になれる度」という尺度があると思う。
臨場感に近いが、もっと広いもの。なりきりやすさに近いが、もっと深いもの。ごっこ遊びで、どれだけその役に没入出来るか、という尺度。ぴったりした言葉がありそうな気もするが、ぱっと思いつかないのでここでは「その気になれる度」で統一しよう。
例えば、私にとって「エースコンバット」や「アフターバーナーII」は、非常に「エースパイロットの気分になれる度」が高いゲームである。
世の中には、色んな「その気になれる度」が高いゲームがあって、たとえばレーサーの気分になれる度が高いゲームもあれば、格闘家の気分になれる度が高いゲーム、ファンタジー世界の勇者の気分になれる度が高いゲーム、探検家の気分になれる度が高いゲーム、アルゴスの戦士の気分になれる度が高いゲームまで、多岐済々色々ある。
この時重要なのは、必ずしも「グラフィックがリアルかどうか」ではなかったりする。重要なのは没入感であり、気分の盛り上がりであり、世界観への入りやすさである。この辺は人それぞれ、「何が「その気になれる度」に結びつくか、というのは色々だろうと思う。
で。こういった「その気になれる度」の中でも、「ロボットのパイロットの気分になれる度」という、一つの特別な尺度があると思う。
かつて、ありとあらゆるゲームが、この「ロボットのパイロットの気分になれる度」を追及してきた。古くはテグザーが、ヴォルガードが、フォーメーションZが、マクロスが、カプセル戦記が、ウルフファングが。新しくはバトルテックが、バーチャロンが、戦場の絆が、機動戦士ガンダム EXTREME VSが。とてもじゃないがタイトルを挙げ切れるものではない。
で。そんな数々の「ロボゲー」の中でも、私にとって一つの特別なタイトルであるのが、「重装機兵ヴァルケン」な訳なのである。
「重装機兵ヴァルケン」。サイドビューのロボットものアクションシューティングゲーム。1992年12月、メサイヤよりSFCにて発売。これより前、メガドライブにて「重装機兵レイノス」が発売されており、その続編としての位置づけだった。レイノスの徹底硬派路線からは若干も方向転換があり、うるし原智志をキャラデザに据えた世界観とビジュアルが、当時から人気を博していたと思う。
「ロボットもの(アクション)シューティング」というのは、当時既にウルフファングや精霊戦士スプリガンが発売されていたことを考えると、ジャンルとしては激戦区だったといっていいだろう。そこに敢えて切り込んだヴァルケンだったが、流石はメサイヤというべきなのか、そこにあったのは十二分の独自路線と、戦慄する程にハイクオリティな「その気になれる度」だった。メサイヤというメーカーは、超兄貴やラングリッサーの印象が強いが、時折物凄いシブさを見せてくれるから侮れない。
いつも通り、ゲームについての詳細はWikipediaを参照して頂ければ幸い。
重装機兵ヴァルケン
さて、ゲームの話をしよう。
・その驚くべき「ロボットに乗って戦ってる」感。
実を言うと、話は「操作感」と「会話」に集約される。
重装機兵ヴァルケンはロボットものアクションシューティングである。プレイヤーは、突撃揚陸艦「バーシス」に乗り込み、「アサルトスーツ」を駆って戦うジェイク中尉を操って、敵軍をばったばったとなぎ倒したりパンチで殴り倒したりローラーダッシュで崖から落下したりスペースシャトルを横から叩き落したりする。
まず重要なのは、この「アサルトスーツ」を操作する感覚が、実に実に「らしい」ことだ。
このゲームのグラフィックは、決して「超リアル」なものではない。むしろ、今の目で見ればチープさの方が目立つグラフィックだ。
それでも、「ジャンプして、ダッシュして、撃つ」という操作感の馴染み方、そしてそれっぽさは、そんじょそこらのリアルゲームの比ではない。
YouTubeに1,2面の動画があったのでちょっと引っ張ってみよう。
重装機兵ヴァルケン Stage1&2 "CYBERNATOR"
そういえば、私ブログ書き始めてもうすぐ8年になるのだが、未だにYoutubeの動画をブログ中で表示する方法を知らない。まあいいが。
主人公が駆るアサルトスーツ「ヴァルケン」は、種種様々なアクションを持っている。ジャンプ中更にジャンプボタンを長押しすればホバリングするし、ダッシュボタンを押せばダッシュするし、シールドボタンを押せばシールドを構える。
これら、一つ一つのアクションが、「動かしやすい」「レスポンスがいい」「描き込まれていてよく動く」の三拍子そろいまくっており、とにかく動かしていて楽しいのだ。「こう動かしたい」「こう動かせれば気持ちよさそう」というのがとことんフォローされており、どこまでも痒いところに手が届く。この操作感は、任天堂やナムコのアクションにすら比肩し得るものだったと私は考えている。
アクションを操りながら武器を切り替え、パンチやバルカンを敵にブチ込む気持ちよさたるや、まさに気分はエースパイロット。この、「基本的な操作の快感」が非常に底堅いことが、まずはヴァルケンというゲームの根底を支えていると私は思う。
・クレアさん可愛い(真顔で)
上記、操作感に基づく「その気になれる度」を、更に一段と補強しているのが、戦闘中様々な場面で割り込んでくる「会話メッセージ」である。
主人公のジェイクは、実はバーシスのオペレータであるクレア曹長と恋仲であるイケメンリア充男なのだが、そのクレアが寄せてくれる色々な台詞を始め、例えば仲間の部隊とのちょっとした会話、館長からの指令、時には敵のパイロットとの会話まで含めて、とことん「ロボットもの漫画の主人公」気分をくすぐってくれる要素満載なのである。
例えば、敵が多いことに文句を言う味方機に「ぼやくなよ」と軽い言葉を返す主人公。
あるいは、任務を終えた後「おつかれさま」と微笑んでくれるオペレーター。
あるいは、キャラクターの死に敬礼の指示を出す艦長。
こういった、もろもろ「ゲームの外からのメッセージ」がそれっぽい世界観を演出してくれており、プレイヤーをとことん「ロボット漫画の世界観」に誘ってくれる。これら演出を、隙なくいい曲揃いのBGMと、いちいち作りこまれた効果音、爆発と共にばらまかれる破片といった、細かい小道具が助長する。
三位一体、「操作感」「会話」「演出」の三つに魅せられたプレイヤーは、ヴァルケンの世界観にどっぷりとはまっていく、という寸法である。この辺り、メサイヤのゲーム作りは素晴らしい。SFCで言えば格闘ゲームだった「らんま1/2」も名作だったが、ゲームメーカーとして持っている「面白さ」感覚の分厚さ、みたいたものがメサイヤにはあったと思う。
ちなみにこのゲーム、敵がロボットばかりではなく、自機と比すれば遥かに小さい歩兵やらなにやらも敵になるわけだが、そういう歩兵も弾をぶち当てればきっちり死ぬし、攻撃されればきっちりライフが減る。敵ロボットを撃てばそのパイロットが逃げ出す演出もあったり、この辺、細かいところまでヴァルケンの描写はとにかく凝っていたと思う。
・アクションシューティングとしてのヴァルケン。
上記とは別に、STGとしてヴァルケンを見れば、その最大の特徴は「武器の切り替えによってゲーム性が変わること」だったと思う。
例えば、パンチを主体に戦えば相手に張り付いてためパンチをぶち込むことがゲームの主軸になるし、バルカン主体であれば軸線をぶらさずに相手にバルカンを当てまくることがゲームの主軸になる。ミサイルであれば弾避けに集中しながら誘導ミサイルを当てまくることがメインだろう。
私自身は専らパンチ使いで相手に特攻するのが趣味であり、かなりの特攻野郎な感じであった。
唯一の難点は、隠し武器のナパームはともかくとして、途中で手に入る「レーザー」が武器として強力過ぎて、途中から武器の切り替えの必要が余りなくなってしまうことだと思う。レーザー一本あればゲームはクリアできる(洞窟面だけ使えないけど)。この辺り、パンチやバルカンでないとフォロー出来ない死角、みたいなものももうちょっとあってもよかったと思う。
ちなみに、レーザーがあったとしてもゲーム自体の難易度はそこそこ高く、プレイし応えがある。洞窟面は初見殺しだし、最終面はどんなに避けてもライフがガリガリ削れる。未プレイの方は是非SFC版を手にとって頂きたい。
ところでラスボスだけ何故か妙にロックマンを思い出してしまったんですが、これなんでしょう。いや、私が勝手に連想しただけなのでアレですが。
さて、大概長くなった。一応まとめると、
・ヴァルケンは「ロボットパイロットになった気分度」が物凄く高いゲームだと思う。
・ロボットものアクションは操作感超大事。
・BGMさり気なく素晴らしいですよね。
・エンディングのジェイク・クレアリア充爆発っぷりは是非観るべきだと思います。
・艦長かっこいい。
・ところでハーマンネタばっかりなんでこんなに定着したの?カーツさんももうちょっと観てあげて!意外と渋いから!
こんな感じになるわけである。よかったですね。
今日はそろそろこの辺で。次回はまた来月くらいには。
2012年04月15日
レトロゲーム万里を往くその107 くにおくんの時代劇だよ全員集合
ベルトスクロールアクションの時代、というものが多分あったと思う。
例えば、ファイナルファイト。例えば、ゴールデンアックス。
斜め上から見下ろした、奥行きのあるフィールド上でキャラクターを戦わせる、そんなアクションゲームがベルトスクロールアクションである。
固定画面型アクションゲームの姿を見かけなくなり始めてから、少し後。ストIIが世に出て、格闘ゲームの潮流が激流となってゲーセンを覆い尽くす、少し前。
アクションゲームの主役が完全に「格ゲー」になる、少し前。いや、格ゲーが主役になってからも、少なくとも1993年くらいまでは、「格ゲー」に並んでベルトスクロールアクションがゲーセンの主役だった時代があった筈だ。ベルトスクロールアクションの筐体の前に行列が出来る時代があった筈だ。
ベルトスクロールアクションの時代だった。
「ベルトスクロールアクションの時代」の覇者は、果たして誰だったのだろう?コナミも、セガも、SNKも、アイレムも、それぞれ名作と呼ぶに値するベルトスクロールアクションを送り出しているが、公平に考えれば、やはりカプコンだったのだろうと思う。ファイナルファイトを、キャプテンコマンドーを、天地を喰らう2を、パニッシャーを、そしてエイリアンVSプレデターを擁する、その存在感は確かに圧倒的だ。タイトー?ルナークの悪口はやめろ。
ところで、「ベルトスクロールアクションの時代」をそもそも切り開いたのは、テクノスジャパンというメーカーだった。
「熱血硬派くにおくん」と「ダブルドラゴン」で素晴らしいアクションゲームをゲーセンに届けてくれたテクノスジャパンだが、ある時期から急激に輝きを失ってしまった、という感は正直否めない。あれだけのゲームを作れたテクノスジャパンというメーカーが、バブルの波に揉まれて失速してしまったという事実は、個人的にも痛切の至りだ。
ただ、少なくともファミコンというフィールドにおいては、「ベルトスクロールの時代」は最初から最後までテクノスジャパンの独壇場だったのではないか、と、私はそう思っている訳である。
「ダウンタウンスペシャル くにおくんの時代劇だよ全員集合」。ベルトスクロールアクション。1991年7月26日、テクノスジャパンよりファミコン版が発売。文字通り「時代劇」の舞台において、ダウンタウンのキャラクター達が大暴れをする、ファミコン後期の名作である。
ダウンタウンシリーズの集大成、といっていいだろう。熱血行進曲における「動かすだけで面白い」という素晴らしい操作感と、ダウンタウンシリーズ特有の「ごちゃごちゃしたにぎやかさ」とでもいうべき感覚が融合した力作であり、発売当初から小中学生を中心とするファミっこ達に高い人気を博していたと思う。多少のバグや説明不足など、荒削りな部分もあったとはいえ、様々な小ネタや素晴らしい音楽まで含めて、総合的な完成度はベルトスクロールアクション全体を見渡しても低い部類ではない。
参考リンクを挙げておく。
ゲームの沿革は、例によってWikipediaに詳しい。
Wikipedia:くにおくんの時代劇だよ全員集合
こちらのページでは、主要キャラの画像を見ることが出来る。錚々たる面子である。
くにおくんの時代劇だよ 全員集合 主要キャラ
さて、ゲームの話をしよう。
・開始三分で黒幕が誰なのか分かりまくる件。
その黒幕バレバレっぷりはポートピア連続殺人事件のそれに匹敵する。いやまあ、お定まりのキャラがお定まりの役どころであるが故の安心感というのは勿論あるのですが。
ゲームとしては、時代劇だよ全員集合は、「ダウンタウン熱血物語の舞台を時代劇にしてみました」という一言で四割程は説明出来ると思う。
舞台は江戸時代。主人公は、くにお扮する渡世人「くに政」。ストーリーの主軸はいわゆる任侠もので、豪田が扮する文蔵親分への恩返しの為、さらわれた文蔵親分の娘「お琴」を助け出そうと日本中を奔走する。
ダウンタウンの特徴である、「雑魚をたくさん倒していくとその内中ボスが出て来て一区切り」というシステムには、「時代劇ベースの任侠もの」という舞台は最適だったというべきだろう。あちらこちらのマップをうろついていると、湧いて出てくる敵対組の子分達。それらをなぎ倒すと現れる親分格。その面子も、西村が扮する「権作」であるとか、小林の扮する「平七」であるとか、五代の扮する「弥五郎」であるとか、今までのダウンタウンシリーズを十全に生かし切った、キャラの立った面々ばかりである。
戦いの末に敵が味方になる展開あり、逆に味方が裏切る展開あり、一騎打ちありどんでん返しあり、その展開の多彩さとケレン味は、時代劇という舞台を100%利用しまくったものであり、ダウンタウン熱血物語のボリュームすら遥かに上回っている。「全員集合」の看板に偽りなしというべきだろう。(そして何故か忘れられている木下)
熱血物語を踏襲した、セリフの表示を主軸にしたストーリー展開も実に味のあるものばかりなのだが、ただなんで「くに政の最初の相棒」という重要なキャラクターであるつる松が、当時は登場すらしていなかった園川(後にEXに出てくる筈)などというマイナーキャラなのか、実は未だにいまいち分からないのだが、どなたかご存知ですか。私、つる松が何で終盤敵になって出てきたのかも実はいまいち分かってないんですが。あれは何なの?結局重吉のしわざなの?
・つ、つよすぎる…(注:ちょむずの甚六が)
アクションゲームとしての時代劇の特徴は、
・ジャンプ、ダッシュと絡めた多彩なアクション
・わらわらと群がってくる雑魚敵と、それを〆るボス敵
・気力ゲージがある限りは体力ゲージがなくなってもなんとかなる体力システム
・お金を使って入手する様々なひっさつわざやアイテム
・日本各地をモチーフにしたギミック山盛りなマップ
・自分で「どのような割合で成長させるか」をセッティング出来る各種ステータス
・いつでも変更出来る難易度システム
・何度倒しても復活しまくるぎんぱち一家
・にとろあたっくが強くはないが相当ウザイ、望月扮する「韋駄天の金助」
・熱血行進曲のトラウマを再現する弥五郎のどすすぺしゃる
・ちょむずにすると暴力的に強い、鬼塚扮する甚六親分
などの諸要素であらわすことが出来ると思う。
とかく、プレイヤーがあやつるキャラクターがどれもこれもさくさくと動きまくり、ダッシュジャンプアッパーとか武器投げとか桶ハメとか、地形と絡んで熱血行進曲以上に出来ることが増えている。日本各地を縦横無尽、戦いまくりながら転戦を続ける爽快感は、並大抵のものではない。
どれもこれも作りこみ具合が半端ではなく、それでいて全体としてみれば破綻していない。この「ゲームの広さ」は、まさしく当時、テクノスジャパンだからこそなし得た建て付けだったのだろう、と私は思う。
ただ、流石にここまでつめこまれた要素が多すぎると、細かいところではほころびも出てくるのか、所々にアラもあるのは唯一残念なところだ。全体が破綻するほどのものではないとはいえ、かなり大きなバグもあちらこちらに残っている。荒削り、という一言で表現するべきだろうか。
・すけすけのたびも反則過ぎる件。
ところで、「多彩なアイテム・ひっさつわざ」というのも勿論、ダウンタウンシリーズ共通の楽しみの一つだと思う訳だが、時代劇もその路線を更に推し進めており、熱血物語と比べてもアイテム・ひっさつわざ共に大幅に増量されている。
特に、日本各地に隠された「ひみつのみせ」で買えるアイテムはどれもこれもむやみやたらと便利なものばかりで、水流の影響を受けずに動ける「かっぱのきゃはん」や体力が徐々に回復する「まほうのきもの」などもさることながら、日本地図上で自由に移動出来る「まっぷのかーそる」や超絶大ジャンプが出来る「すけすけのたび」などは、あるかないかで別ゲーになりかねない程に便利なものであった。バランスブレイカー直前のアイテムがお金次第で買える、というのも時代劇ならではの味というものだったろう。
一方、ひっさつわざも熱血行進曲以上に多彩になっており、ダウン攻撃となるまっはきうきうやまっはふみふみ、にんげんぎょらいやじぶんぎょらいは言うに及ばず、やりようによってはやまだのじゅつまで一人のキャラで使えるようになるのは、すばらしい充実っぷりだったといえるだろう。
中でも、ダウン攻撃系の必殺技となる「まっはきうきう」あたりは、「体力がなくなっているところで追撃しまくると気力もさくさく削れてあっさり死ぬ」というこのゲームの体力システムの関係上、使い方次第で兇悪な殲滅力を発揮していた。
ただ、このゲーム全体的に「ガード」が空気な為、はいぱーがーどだけはさっぱり使いどころが分からなかった。あれ、うまく使うと楽になる場面とかあったりするんでしょうか。ダッシュジャンプアッパーで殴り倒した方が早い気がするんですが。
勿論、アイテムや必殺技を買いあさっているとお金が幾らあっても足りないわけで、金欠におちいったプレイヤーはお紋の賭場を訪れ、持ち金全部かけた上で「おきゃくさまのまけのようですね」を聞く事になるわけである。ある種の風物詩だと言える。
・音楽の出来がさり気なく物凄い件。
特にえっちゅうのBGM凄い。これサントラ出てないんだろうか。
任天堂やナムコ、カプコンほどにはクローズアップされにくいが、テクノスジャパンのタイトルにも、音楽が素晴らしいゲームはとても多い。中でも、ダウンタウンシリーズ、特に時代劇だよ全員集合のBGMは群を抜いている。
日本各地の民謡をファミコンBGMとしてアレンジしたそのBGMは、ゲームの雰囲気に完全にマッチしていることもさることながら、幾ら聴いていても耳に飽きない素晴らしい「馴染み方」を誇っている。アクションゲームのBGMとしては、ヘタするとロックマンシリーズに比肩するほどの名曲そろいだと思う。
取り敢えず、ニコニコ動画:くにおくんの時代劇だよ全員集合メドレーはアカウントを作っても聴く価値があると断言しておこう。画像はストーリーをなぞっているので、未プレイの方は音オンリー推奨で。
ちなみに、BGMを担当された田崎寿子氏は、真女神転生IIIや剣と魔法と学園モノ。3DなどのBGMも手がけておられるようだ。ご興味おありの方はチェックの程を。
ということで、大概長くなったため、一言でまとめると。「多彩極まるベルトスクロールアクションの歴史の中で、「時代劇だよ全員集合」も、確かに記憶されるべき名作なのである」、と、そのような言葉で本エントリーを集約したいと思う。
次回は多分またタイトルもので。5月には書くつもりでございます。
例えば、ファイナルファイト。例えば、ゴールデンアックス。
斜め上から見下ろした、奥行きのあるフィールド上でキャラクターを戦わせる、そんなアクションゲームがベルトスクロールアクションである。
固定画面型アクションゲームの姿を見かけなくなり始めてから、少し後。ストIIが世に出て、格闘ゲームの潮流が激流となってゲーセンを覆い尽くす、少し前。
アクションゲームの主役が完全に「格ゲー」になる、少し前。いや、格ゲーが主役になってからも、少なくとも1993年くらいまでは、「格ゲー」に並んでベルトスクロールアクションがゲーセンの主役だった時代があった筈だ。ベルトスクロールアクションの筐体の前に行列が出来る時代があった筈だ。
ベルトスクロールアクションの時代だった。
「ベルトスクロールアクションの時代」の覇者は、果たして誰だったのだろう?コナミも、セガも、SNKも、アイレムも、それぞれ名作と呼ぶに値するベルトスクロールアクションを送り出しているが、公平に考えれば、やはりカプコンだったのだろうと思う。ファイナルファイトを、キャプテンコマンドーを、天地を喰らう2を、パニッシャーを、そしてエイリアンVSプレデターを擁する、その存在感は確かに圧倒的だ。タイトー?ルナークの悪口はやめろ。
ところで、「ベルトスクロールアクションの時代」をそもそも切り開いたのは、テクノスジャパンというメーカーだった。
「熱血硬派くにおくん」と「ダブルドラゴン」で素晴らしいアクションゲームをゲーセンに届けてくれたテクノスジャパンだが、ある時期から急激に輝きを失ってしまった、という感は正直否めない。あれだけのゲームを作れたテクノスジャパンというメーカーが、バブルの波に揉まれて失速してしまったという事実は、個人的にも痛切の至りだ。
ただ、少なくともファミコンというフィールドにおいては、「ベルトスクロールの時代」は最初から最後までテクノスジャパンの独壇場だったのではないか、と、私はそう思っている訳である。
「ダウンタウンスペシャル くにおくんの時代劇だよ全員集合」。ベルトスクロールアクション。1991年7月26日、テクノスジャパンよりファミコン版が発売。文字通り「時代劇」の舞台において、ダウンタウンのキャラクター達が大暴れをする、ファミコン後期の名作である。
ダウンタウンシリーズの集大成、といっていいだろう。熱血行進曲における「動かすだけで面白い」という素晴らしい操作感と、ダウンタウンシリーズ特有の「ごちゃごちゃしたにぎやかさ」とでもいうべき感覚が融合した力作であり、発売当初から小中学生を中心とするファミっこ達に高い人気を博していたと思う。多少のバグや説明不足など、荒削りな部分もあったとはいえ、様々な小ネタや素晴らしい音楽まで含めて、総合的な完成度はベルトスクロールアクション全体を見渡しても低い部類ではない。
参考リンクを挙げておく。
ゲームの沿革は、例によってWikipediaに詳しい。
Wikipedia:くにおくんの時代劇だよ全員集合
こちらのページでは、主要キャラの画像を見ることが出来る。錚々たる面子である。
くにおくんの時代劇だよ 全員集合 主要キャラ
さて、ゲームの話をしよう。
・開始三分で黒幕が誰なのか分かりまくる件。
その黒幕バレバレっぷりはポートピア連続殺人事件のそれに匹敵する。いやまあ、お定まりのキャラがお定まりの役どころであるが故の安心感というのは勿論あるのですが。
ゲームとしては、時代劇だよ全員集合は、「ダウンタウン熱血物語の舞台を時代劇にしてみました」という一言で四割程は説明出来ると思う。
舞台は江戸時代。主人公は、くにお扮する渡世人「くに政」。ストーリーの主軸はいわゆる任侠もので、豪田が扮する文蔵親分への恩返しの為、さらわれた文蔵親分の娘「お琴」を助け出そうと日本中を奔走する。
ダウンタウンの特徴である、「雑魚をたくさん倒していくとその内中ボスが出て来て一区切り」というシステムには、「時代劇ベースの任侠もの」という舞台は最適だったというべきだろう。あちらこちらのマップをうろついていると、湧いて出てくる敵対組の子分達。それらをなぎ倒すと現れる親分格。その面子も、西村が扮する「権作」であるとか、小林の扮する「平七」であるとか、五代の扮する「弥五郎」であるとか、今までのダウンタウンシリーズを十全に生かし切った、キャラの立った面々ばかりである。
戦いの末に敵が味方になる展開あり、逆に味方が裏切る展開あり、一騎打ちありどんでん返しあり、その展開の多彩さとケレン味は、時代劇という舞台を100%利用しまくったものであり、ダウンタウン熱血物語のボリュームすら遥かに上回っている。「全員集合」の看板に偽りなしというべきだろう。(そして何故か忘れられている木下)
熱血物語を踏襲した、セリフの表示を主軸にしたストーリー展開も実に味のあるものばかりなのだが、ただなんで「くに政の最初の相棒」という重要なキャラクターであるつる松が、当時は登場すらしていなかった園川(後にEXに出てくる筈)などというマイナーキャラなのか、実は未だにいまいち分からないのだが、どなたかご存知ですか。私、つる松が何で終盤敵になって出てきたのかも実はいまいち分かってないんですが。あれは何なの?結局重吉のしわざなの?
・つ、つよすぎる…(注:ちょむずの甚六が)
アクションゲームとしての時代劇の特徴は、
・ジャンプ、ダッシュと絡めた多彩なアクション
・わらわらと群がってくる雑魚敵と、それを〆るボス敵
・気力ゲージがある限りは体力ゲージがなくなってもなんとかなる体力システム
・お金を使って入手する様々なひっさつわざやアイテム
・日本各地をモチーフにしたギミック山盛りなマップ
・自分で「どのような割合で成長させるか」をセッティング出来る各種ステータス
・いつでも変更出来る難易度システム
・何度倒しても復活しまくるぎんぱち一家
・にとろあたっくが強くはないが相当ウザイ、望月扮する「韋駄天の金助」
・熱血行進曲のトラウマを再現する弥五郎のどすすぺしゃる
・ちょむずにすると暴力的に強い、鬼塚扮する甚六親分
などの諸要素であらわすことが出来ると思う。
とかく、プレイヤーがあやつるキャラクターがどれもこれもさくさくと動きまくり、ダッシュジャンプアッパーとか武器投げとか桶ハメとか、地形と絡んで熱血行進曲以上に出来ることが増えている。日本各地を縦横無尽、戦いまくりながら転戦を続ける爽快感は、並大抵のものではない。
どれもこれも作りこみ具合が半端ではなく、それでいて全体としてみれば破綻していない。この「ゲームの広さ」は、まさしく当時、テクノスジャパンだからこそなし得た建て付けだったのだろう、と私は思う。
ただ、流石にここまでつめこまれた要素が多すぎると、細かいところではほころびも出てくるのか、所々にアラもあるのは唯一残念なところだ。全体が破綻するほどのものではないとはいえ、かなり大きなバグもあちらこちらに残っている。荒削り、という一言で表現するべきだろうか。
・すけすけのたびも反則過ぎる件。
ところで、「多彩なアイテム・ひっさつわざ」というのも勿論、ダウンタウンシリーズ共通の楽しみの一つだと思う訳だが、時代劇もその路線を更に推し進めており、熱血物語と比べてもアイテム・ひっさつわざ共に大幅に増量されている。
特に、日本各地に隠された「ひみつのみせ」で買えるアイテムはどれもこれもむやみやたらと便利なものばかりで、水流の影響を受けずに動ける「かっぱのきゃはん」や体力が徐々に回復する「まほうのきもの」などもさることながら、日本地図上で自由に移動出来る「まっぷのかーそる」や超絶大ジャンプが出来る「すけすけのたび」などは、あるかないかで別ゲーになりかねない程に便利なものであった。バランスブレイカー直前のアイテムがお金次第で買える、というのも時代劇ならではの味というものだったろう。
一方、ひっさつわざも熱血行進曲以上に多彩になっており、ダウン攻撃となるまっはきうきうやまっはふみふみ、にんげんぎょらいやじぶんぎょらいは言うに及ばず、やりようによってはやまだのじゅつまで一人のキャラで使えるようになるのは、すばらしい充実っぷりだったといえるだろう。
中でも、ダウン攻撃系の必殺技となる「まっはきうきう」あたりは、「体力がなくなっているところで追撃しまくると気力もさくさく削れてあっさり死ぬ」というこのゲームの体力システムの関係上、使い方次第で兇悪な殲滅力を発揮していた。
ただ、このゲーム全体的に「ガード」が空気な為、はいぱーがーどだけはさっぱり使いどころが分からなかった。あれ、うまく使うと楽になる場面とかあったりするんでしょうか。ダッシュジャンプアッパーで殴り倒した方が早い気がするんですが。
勿論、アイテムや必殺技を買いあさっているとお金が幾らあっても足りないわけで、金欠におちいったプレイヤーはお紋の賭場を訪れ、持ち金全部かけた上で「おきゃくさまのまけのようですね」を聞く事になるわけである。ある種の風物詩だと言える。
・音楽の出来がさり気なく物凄い件。
特にえっちゅうのBGM凄い。これサントラ出てないんだろうか。
任天堂やナムコ、カプコンほどにはクローズアップされにくいが、テクノスジャパンのタイトルにも、音楽が素晴らしいゲームはとても多い。中でも、ダウンタウンシリーズ、特に時代劇だよ全員集合のBGMは群を抜いている。
日本各地の民謡をファミコンBGMとしてアレンジしたそのBGMは、ゲームの雰囲気に完全にマッチしていることもさることながら、幾ら聴いていても耳に飽きない素晴らしい「馴染み方」を誇っている。アクションゲームのBGMとしては、ヘタするとロックマンシリーズに比肩するほどの名曲そろいだと思う。
取り敢えず、ニコニコ動画:くにおくんの時代劇だよ全員集合メドレーはアカウントを作っても聴く価値があると断言しておこう。画像はストーリーをなぞっているので、未プレイの方は音オンリー推奨で。
ちなみに、BGMを担当された田崎寿子氏は、真女神転生IIIや剣と魔法と学園モノ。3DなどのBGMも手がけておられるようだ。ご興味おありの方はチェックの程を。
ということで、大概長くなったため、一言でまとめると。「多彩極まるベルトスクロールアクションの歴史の中で、「時代劇だよ全員集合」も、確かに記憶されるべき名作なのである」、と、そのような言葉で本エントリーを集約したいと思う。
次回は多分またタイトルもので。5月には書くつもりでございます。
2012年03月05日
レトロゲーム万里を往く その106 「ゲームの面白さ」について考えてみる。
久々の万里な訳ですが、ちょっとタイトルものから離れて小ネタを書く。
「このゲームの面白いところはどこか」と言われた時、勿論それはゲームごとに千差万別、色々と違う訳なのではあるが。
突き詰めて考えると、代表的な「ゲームの面白さ」というものは、ざっくり4つくらいのグループに分類出来るのではないかなあ、という気がしている。既出かどうかは知らない。
一つは、「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」。STGで敵を破壊した時、ジャンプアクションでぴょーんと障害物を飛び跳ねた時、格ゲーで相手を攻撃した時、マッピーでぽよんとトランポリンに飛び乗った時。別にアクションやSTGに限らず、それがRPGだろうとAVGだろうと、「操作したことによって、直感的な気持ちよさが得られる」という楽しさは多分これだ。
一つは、「ハードルを越える楽しさ」。ゲームをクリアした時の達成感。強いボスをぜーぜー言いながら辛うじて倒した時の満足感。格ゲーで対戦相手に勝利した時、縛りプレイで目標を達成した時、ロンダルキアを踏破した時。エラい試行回数の末レアアイテムをゲットする喜び、というのも半分はこれなのかも知れない。
一つは、「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」。RPGや戦略SLGで自キャラ、自国を育てる楽しさ。アトリエシリーズで図鑑を埋めていく楽しさ、シムシティで箱庭がずんずん育っていく楽しさ。レアアイテムを集める理由のもう半分。これは多分、「集積の快感」とでも言うべきものだ。弥生時代に農耕を見出した人々ももしかすると同じ楽しさを味わっていたのではなかろうか。
一つは、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」。ストーリーが進むことによって得られるわくわくする感覚。キャラクターの一喜一憂に合わせて自分も一喜一憂する気持ちよさ、壮大な世界観を仰ぎ見る驚き。恋愛ゲームで美少女キャラクターに入れ込む感覚もここに分類されるかも知れない。
細かいところでは例外もあると思うが、いわゆる「ゲームの面白さ」というものの、8割がたはこの4つのグループのどれかに分類されるのではなかろうか。
で、この4つのグループの「面白さ」のうち、特にどれを好むか、ということで、その人が好きなゲームというものがざっくり分類出来そうだ、と私は思っている。例えば「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」を最も好む人であればやり込み要素が強いSLGやRPGが嗜好にマッチするだろうし、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」を重視する人ならばある程度ストーリー性があるゲームでないと味気ないと感じるかも知れない。好みは勿論人それぞれであり、かつ色んな要素が複合する話でもある。
多くのゲームは、これら4つの面白さについて、色んなバランスでいいとこどりをしようとしている。
例えば塊魂は、基本的には「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」がメインのゲームだろうと思うが、「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」というものも要所要所で取り入れている。
例えば女神転生シリーズのRPGには、「ハードルを越える楽しさ」が凄く色濃い要素として収まっているが、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」や「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」もひけをとらない。
ダライアス外伝のような様々なSTGは、基底にあるのは「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」だが、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」や「ハードルを越える楽しさ」も非常に良質だ。
こういった、「面白さのバランシング」こそがゲーム全体の方向性を決めるものなのであり、色んな要素の面白さがいい感じのバランスになっているゲームが「名作」と呼ばれるのではないか、と思った次第である。極端なバランシングをされたゲームもあると思うけれど。
で、自分で思った「自分の好み」なのだが。私にとっては、やはり一番重要なのは「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」なのであり、「操作していて気持ちいい」という感覚が最低限ないと、私は「ゲームを遊んでいる」という気分にあまりなれないのかも知れないなあ、と思っている。
その上で、私は「ハードルを越える楽しさ」もかなり好きなので、例えばステージクリア型で、敵をどっかんどっかんやっつけるととても気持ちいい「シューティングゲーム」が一番好きなジャンルなのではないか、と自己分析する。ちなみにこれは飽くまで好みの話であって、腕前の話ではない為、私がベルトスクロールアクションというジャンルのゲームが著しくへたっぴーであることは直接関係しない。
ここでちょっと問題になってくるのだが、実は私はどうも、「タッチパネルによる操作」というものに、いまひとつ快感を感じられないのだ。スマートフォンやタブレットでSTGやアクションを遊ぶことが、どうも気持ちよくないのだ。
これは単なる私の好みの問題ではあろうと思うのだが、例えばスマートフォンでSTGを遊ぶとどうしても自分の指が邪魔になるし、私にとっては「ボタンをカチッと押した時のレスポンス」というものも操作感としてかなり重要な要素なのかも知れない、とも思う。スマートフォンやタブレット端末が今後ゲームの主要なプラットフォームになっていくことは最早既定路線なのであり、このままだと時代の孤児になってしまう可能性は非常に高くてとても困る。
以上を踏まえると、「スマフォやタブレット端末は、セイミツ工業辺りの外付けコントローラーを早急に実装・発売するべき」という私利私欲にまみれた結論が出るわけである。よかったですね。
いやもうマジスマフォのSTGとかレバー+ボタンでやりたいんですけど。携帯性?ユーザビリティ?聞こえんなあ!
「このゲームの面白いところはどこか」と言われた時、勿論それはゲームごとに千差万別、色々と違う訳なのではあるが。
突き詰めて考えると、代表的な「ゲームの面白さ」というものは、ざっくり4つくらいのグループに分類出来るのではないかなあ、という気がしている。既出かどうかは知らない。
一つは、「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」。STGで敵を破壊した時、ジャンプアクションでぴょーんと障害物を飛び跳ねた時、格ゲーで相手を攻撃した時、マッピーでぽよんとトランポリンに飛び乗った時。別にアクションやSTGに限らず、それがRPGだろうとAVGだろうと、「操作したことによって、直感的な気持ちよさが得られる」という楽しさは多分これだ。
一つは、「ハードルを越える楽しさ」。ゲームをクリアした時の達成感。強いボスをぜーぜー言いながら辛うじて倒した時の満足感。格ゲーで対戦相手に勝利した時、縛りプレイで目標を達成した時、ロンダルキアを踏破した時。エラい試行回数の末レアアイテムをゲットする喜び、というのも半分はこれなのかも知れない。
一つは、「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」。RPGや戦略SLGで自キャラ、自国を育てる楽しさ。アトリエシリーズで図鑑を埋めていく楽しさ、シムシティで箱庭がずんずん育っていく楽しさ。レアアイテムを集める理由のもう半分。これは多分、「集積の快感」とでも言うべきものだ。弥生時代に農耕を見出した人々ももしかすると同じ楽しさを味わっていたのではなかろうか。
一つは、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」。ストーリーが進むことによって得られるわくわくする感覚。キャラクターの一喜一憂に合わせて自分も一喜一憂する気持ちよさ、壮大な世界観を仰ぎ見る驚き。恋愛ゲームで美少女キャラクターに入れ込む感覚もここに分類されるかも知れない。
細かいところでは例外もあると思うが、いわゆる「ゲームの面白さ」というものの、8割がたはこの4つのグループのどれかに分類されるのではなかろうか。
で、この4つのグループの「面白さ」のうち、特にどれを好むか、ということで、その人が好きなゲームというものがざっくり分類出来そうだ、と私は思っている。例えば「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」を最も好む人であればやり込み要素が強いSLGやRPGが嗜好にマッチするだろうし、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」を重視する人ならばある程度ストーリー性があるゲームでないと味気ないと感じるかも知れない。好みは勿論人それぞれであり、かつ色んな要素が複合する話でもある。
多くのゲームは、これら4つの面白さについて、色んなバランスでいいとこどりをしようとしている。
例えば塊魂は、基本的には「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」がメインのゲームだろうと思うが、「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」というものも要所要所で取り入れている。
例えば女神転生シリーズのRPGには、「ハードルを越える楽しさ」が凄く色濃い要素として収まっているが、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」や「何かを集めたり、何かを育成する楽しさ」もひけをとらない。
ダライアス外伝のような様々なSTGは、基底にあるのは「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」だが、「展開を味わい、キャラクターに感情移入する楽しさ」や「ハードルを越える楽しさ」も非常に良質だ。
こういった、「面白さのバランシング」こそがゲーム全体の方向性を決めるものなのであり、色んな要素の面白さがいい感じのバランスになっているゲームが「名作」と呼ばれるのではないか、と思った次第である。極端なバランシングをされたゲームもあると思うけれど。
で、自分で思った「自分の好み」なのだが。私にとっては、やはり一番重要なのは「操作することによる楽しさ、気持ちよさ」なのであり、「操作していて気持ちいい」という感覚が最低限ないと、私は「ゲームを遊んでいる」という気分にあまりなれないのかも知れないなあ、と思っている。
その上で、私は「ハードルを越える楽しさ」もかなり好きなので、例えばステージクリア型で、敵をどっかんどっかんやっつけるととても気持ちいい「シューティングゲーム」が一番好きなジャンルなのではないか、と自己分析する。ちなみにこれは飽くまで好みの話であって、腕前の話ではない為、私がベルトスクロールアクションというジャンルのゲームが著しくへたっぴーであることは直接関係しない。
ここでちょっと問題になってくるのだが、実は私はどうも、「タッチパネルによる操作」というものに、いまひとつ快感を感じられないのだ。スマートフォンやタブレットでSTGやアクションを遊ぶことが、どうも気持ちよくないのだ。
これは単なる私の好みの問題ではあろうと思うのだが、例えばスマートフォンでSTGを遊ぶとどうしても自分の指が邪魔になるし、私にとっては「ボタンをカチッと押した時のレスポンス」というものも操作感としてかなり重要な要素なのかも知れない、とも思う。スマートフォンやタブレット端末が今後ゲームの主要なプラットフォームになっていくことは最早既定路線なのであり、このままだと時代の孤児になってしまう可能性は非常に高くてとても困る。
以上を踏まえると、「スマフォやタブレット端末は、セイミツ工業辺りの外付けコントローラーを早急に実装・発売するべき」という私利私欲にまみれた結論が出るわけである。よかったですね。
いやもうマジスマフォのSTGとかレバー+ボタンでやりたいんですけど。携帯性?ユーザビリティ?聞こえんなあ!
2011年10月19日
熱血行進曲で、はなぞのの使いこなし方を聞かれたので真剣に考えてみた
インタビューズで答えたんだけど、どう見てもブログでやるべき長さだったので不倒城にも転載。
私が思うに、はなぞのはチームとしては決して弱くありません。他のチームと違ってぶっ壊れた選手やなんでも出来る選手がいないだけです。
まず最初に、はなぞのの各選手の性能を検証してみましょう。
りき:まっはぱんちを保有。パンチ力A(全選手中トップ)。走力C。耐久力高。体力250(にしむらに次いで全選手中2位)。
さおとめ:オーラパンチを保有。走力B(チーム内最高)。体力210。
まえだ:必殺技なし。走力D。パンチ、キック力が高い。体力180。体力は控えめなものの、耐久力はそこそこ。
よしの:必殺技なし。走力B(チーム内最高)。体力180。
わしお:マッハたたきを保有。走力C。立ち泳ぎが速い。武器投が強い。パンチ力低い。体力220。
しみず:ハリケーンクラッシュを保有。走力C。体力180。全体的に性能は低い。
こうして考えると、はなぞのは、「どのようにゲームメイクをするのか、勝ち筋をどうやって作るか」が非常に明確なチームである、ということがいえると思います。どの競技を何戦するかにもよりますが、「一般的なはなぞののゲームメイク」というものを考えてみましょう。
クロスカントリー:まず、他チームと違って走力Bの選手が二人しかいない為、出場選手は自動的にさおとめとよしのに決定します。クロスカントリーでは走力Cの不利が大き過ぎる為です。この際、冷峰のもちづきは基本各チームから徹底マークを受ける筈ですので、もちづきを落としつつ、どさくさに紛れて得点を稼ぎたいところです。
障害部屋競争:クロスカントリー程には走力での有利不利が出ません。クロスカントリーでのダメージが薄ければ、最優秀選手賞を狙う為にもさおとめやよしのを継続使用してもよいのですが、ここは武器を拾うことを重視して、わしおを一度は参戦させておきたいところです。ジャンプ力が高く、総合的なステータスも安定しているりきを使うのも当然アリでしょう。れいほうがくえんしょうを狙うなら一考に価します。
玉割ゲーム:パンチ力の高いりき、あるいはまえだをセレクトするのが一般的です。武器がまだ拾えていないのであれば、武器投げの強いわしおを選択する手もあるでしょう。可能な限り仲間チームを前面に立て、影でさりげなく得点を稼ぎたいところ。また、この後の勝ち抜き格闘を考えると、りきの体力の温存には気を使いたいです。
勝ち抜き格闘:はなぞのの真価を発揮する時です。まず、チームリーダーであり、こばやしを除けばほぼ勝ち抜き格闘最強クラスであるりきには軸になってもらわなくてはなりません。チームリーダーの中では唯一ジャンプキックはめが出来るのも重要なポイントです。耐久力の高さに甘えず、体力も温存を図りたいところです。
りき以外で戦えるのは、さおとめ、まえだ、武器持ちのわしおの三キャラでしょう。
まえだについては、一対一になればジャンプキックはめでの勝ち筋が見えます。肉弾戦では最強格なので、ひっさつわざを生かしにくい状況を作り、可能な限り相手の体力を削りたいところです。
さおとめは、空中ためオーラパンチなどのテクはあるものの、基本的には「暴れているリーダー格をオーラパンチで牽制・狙撃して、他の選手のライフが平らになるように誘導する」ということを意識して使うべきキャラではないかと思います。特に、龍尾嵐風脚モードになったりゅういち・りゅうじをノーリスクで撃墜出来る(=嵐風脚モードを抑止出来る)のは大きい。こばやしやごだいがハメモードになった時、遠くから邪魔をして、ハメられていた人に恩を売るというのもアリでしょう。
わしおはマッハたたきでの隙狙いと擬似ハメが全て。相手が吹き飛ばない程度の武器を慎重に吟味したいところです。
りき以外の3人ともに言えることですが、「マークされにくい強みを生かして、他3人をなるべく均等に弱らせる」というのが必須戦術になるのではないかと私は思います。これはゲーム全体を通してのはなぞのの戦略でもあります。
しみずは、あー、木刀持たせないと安定させようがないのに走力Cな子はちょっと…武器攻撃も弱いし…
各賞の条件も抑えておきたいところです。
最優秀選手賞:各種目の累計点が1位の選手
敢闘賞:各種目の累計点が2位の選手
れいほう学園賞:障害部屋、玉割ゲーム、勝抜格闘の累計得点が一番高い選手
まともに狙えるのは上の三賞なので、是非りきかさおとめに狙わせたいところ。
以上、長々と書いてきましたが、はなぞのの特徴は
・派手な選手が少ないが故にマークされにくい
・各選手の性能がはっきりしている為、戦略が立てやすい
・りきを軸とした、勝ち抜き格闘での追い上げが強い
・全体的な性能が派手ではないので、ガチでいっても文句が出にくい
・ごめん、しみずの使いどころは思いつかなかった
ということではないかと思いますので、そこを生かせば勝利は遠くないのではないでしょうか!
まあ俺連合使いだから連合使うけど。
関連エントリー:レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
私が思うに、はなぞのはチームとしては決して弱くありません。他のチームと違ってぶっ壊れた選手やなんでも出来る選手がいないだけです。
まず最初に、はなぞのの各選手の性能を検証してみましょう。
りき:まっはぱんちを保有。パンチ力A(全選手中トップ)。走力C。耐久力高。体力250(にしむらに次いで全選手中2位)。
さおとめ:オーラパンチを保有。走力B(チーム内最高)。体力210。
まえだ:必殺技なし。走力D。パンチ、キック力が高い。体力180。体力は控えめなものの、耐久力はそこそこ。
よしの:必殺技なし。走力B(チーム内最高)。体力180。
わしお:マッハたたきを保有。走力C。立ち泳ぎが速い。武器投が強い。パンチ力低い。体力220。
しみず:ハリケーンクラッシュを保有。走力C。体力180。全体的に性能は低い。
こうして考えると、はなぞのは、「どのようにゲームメイクをするのか、勝ち筋をどうやって作るか」が非常に明確なチームである、ということがいえると思います。どの競技を何戦するかにもよりますが、「一般的なはなぞののゲームメイク」というものを考えてみましょう。
クロスカントリー:まず、他チームと違って走力Bの選手が二人しかいない為、出場選手は自動的にさおとめとよしのに決定します。クロスカントリーでは走力Cの不利が大き過ぎる為です。この際、冷峰のもちづきは基本各チームから徹底マークを受ける筈ですので、もちづきを落としつつ、どさくさに紛れて得点を稼ぎたいところです。
障害部屋競争:クロスカントリー程には走力での有利不利が出ません。クロスカントリーでのダメージが薄ければ、最優秀選手賞を狙う為にもさおとめやよしのを継続使用してもよいのですが、ここは武器を拾うことを重視して、わしおを一度は参戦させておきたいところです。ジャンプ力が高く、総合的なステータスも安定しているりきを使うのも当然アリでしょう。れいほうがくえんしょうを狙うなら一考に価します。
玉割ゲーム:パンチ力の高いりき、あるいはまえだをセレクトするのが一般的です。武器がまだ拾えていないのであれば、武器投げの強いわしおを選択する手もあるでしょう。可能な限り仲間チームを前面に立て、影でさりげなく得点を稼ぎたいところ。また、この後の勝ち抜き格闘を考えると、りきの体力の温存には気を使いたいです。
勝ち抜き格闘:はなぞのの真価を発揮する時です。まず、チームリーダーであり、こばやしを除けばほぼ勝ち抜き格闘最強クラスであるりきには軸になってもらわなくてはなりません。チームリーダーの中では唯一ジャンプキックはめが出来るのも重要なポイントです。耐久力の高さに甘えず、体力も温存を図りたいところです。
りき以外で戦えるのは、さおとめ、まえだ、武器持ちのわしおの三キャラでしょう。
まえだについては、一対一になればジャンプキックはめでの勝ち筋が見えます。肉弾戦では最強格なので、ひっさつわざを生かしにくい状況を作り、可能な限り相手の体力を削りたいところです。
さおとめは、空中ためオーラパンチなどのテクはあるものの、基本的には「暴れているリーダー格をオーラパンチで牽制・狙撃して、他の選手のライフが平らになるように誘導する」ということを意識して使うべきキャラではないかと思います。特に、龍尾嵐風脚モードになったりゅういち・りゅうじをノーリスクで撃墜出来る(=嵐風脚モードを抑止出来る)のは大きい。こばやしやごだいがハメモードになった時、遠くから邪魔をして、ハメられていた人に恩を売るというのもアリでしょう。
わしおはマッハたたきでの隙狙いと擬似ハメが全て。相手が吹き飛ばない程度の武器を慎重に吟味したいところです。
りき以外の3人ともに言えることですが、「マークされにくい強みを生かして、他3人をなるべく均等に弱らせる」というのが必須戦術になるのではないかと私は思います。これはゲーム全体を通してのはなぞのの戦略でもあります。
しみずは、あー、木刀持たせないと安定させようがないのに走力Cな子はちょっと…武器攻撃も弱いし…
各賞の条件も抑えておきたいところです。
最優秀選手賞:各種目の累計点が1位の選手
敢闘賞:各種目の累計点が2位の選手
れいほう学園賞:障害部屋、玉割ゲーム、勝抜格闘の累計得点が一番高い選手
まともに狙えるのは上の三賞なので、是非りきかさおとめに狙わせたいところ。
以上、長々と書いてきましたが、はなぞのの特徴は
・派手な選手が少ないが故にマークされにくい
・各選手の性能がはっきりしている為、戦略が立てやすい
・りきを軸とした、勝ち抜き格闘での追い上げが強い
・全体的な性能が派手ではないので、ガチでいっても文句が出にくい
・ごめん、しみずの使いどころは思いつかなかった
ということではないかと思いますので、そこを生かせば勝利は遠くないのではないでしょうか!
まあ俺連合使いだから連合使うけど。
関連エントリー:レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
2011年09月10日
レトロゲーム万里を往く その105 レトロゲームに学ぶ女子力議論。
女子力が高い女子はさらわれて、かつ救出されなくてはならない。
これはレトロゲームにおける絶対的な普遍真理であり、反論は許されない。魔界村を、チャレンジャーを、ナッツ&ミルクを、スパルタンXを、影の伝説を、忍者じゃじゃ丸くんを、ドルアーガの塔を、ハイドライドスペシャルを見るが良い。「主人公の救出の対象」になる女子以上に女子力が高い女子など世に存在し得るであろうか。
レトロゲームは我々にこう教えてくれている。さらわれ力(さらわれぢからと読む)は女子力の最終到達地点であり、至高の女子力、究極の女子力である。我々は、彼女らのさらわれ力に学ばなくてはならないのだ。
間違ってもざっくざっくとタッタを切り刻むワルキューレであるとか、数限りないパトカーを灰燼と化すシティコネクションのクラリスなんかに女子力を学んではならない。フルータジアでぶんぶん木を切ってクジラ待ちで一夜を明かしたい、といったアウトドア志向女子であればまた話は別だが。
ということで、幾つかのケースを取り上げ分析することによって、さらわれ力を磨く為のワンポイントテクニックを抽出していきたいと思う。
Case1.魔界村のプリンセス
そもそもプリンセスはとある平和な王国のプリンセスであり、19歳であり、ヒゲ面いちごパンツとはいえお付の騎士までついていることを考えると、彼女の女子力はスタート地点からカウンターストップしている。正直女子力振り切れてる。シリーズの度に毎回欠かさずさらわれている点では、女子力における隙も極めて少ないといえるだろう。女子力界における室伏広治、女子力界におけるフリーザ様である。私の女子力は53万です。
とはいえ、彼女の行動には何点か特徴的な部分もあり、そこを模倣することで女子力を向上させることも可能であろう。
・何故か墓場でデートしている。(しかも男はパンツ一丁)
・身につけているアクセサリーは使いにくいが強力な兵装。
・アーサーが腕輪を持ってきていないと、情け容赦なく追い返す。
この辺りがポイントなのではないだろうか。先生、このプリンセスちょっとサドいです。
とりあえず墓場でデートは基本だな。基本。
次のケースを見てみよう。
Case2.スパルタンXのシルビア
24周するとラスボスとして襲ってくるであるとか、途中の笑い声が実はシルビアのものであるとか、根も葉もない都市伝説の犠牲者として名高いシルビアだが、彼女も立派なさらわれヒロインである。もっとも、ゲーム中では毎回律儀に椅子に縛られていること以外それ程強い印象はない。
影の伝説における霧姫もそうなのだが、とかくレトロゲームにおけるさらわれヒロインに共通している要素は学習能力の無さである。一般的に考えれば、一度さらわれたらいかづちの杖であるとかロケットランチャーの一つや二つ、護身用に持ち歩いてもおかしくないと思われるのだが、彼女らはとにかくさらわれる。律儀にさらわれる。霧姫なんか、助けられてスタッフロールが流れた5秒後にはもうさらわれているわけである。もはやこれは伝統芸能の域、ブートキャンプにおけるワンモアセッ、さらわれ芸と称しても違和感はないであろう。
ここで学ぶべきはワンパターンを恐れない、という心意気である。さらわれ道を極める為には、一度や二度の同一パターンでめげてはいけない。幾千万のさらわれ頻度をこなす覚悟が必要である、ということを彼女は身をもって教えてくれている訳である。
Case3.ドラゴンクエストのローラ姫
お楽しみしている場合ではない。竜王はこの人をさらって一体何がしたかったのか、という点が問題点としてしばしば挙げられるローラ姫ではあるが、彼女に学ぶべきは根性である。
ローラ姫必殺、恐怖の永久ループ「そんな ひどい…」を挙げるまでもなく、彼女の根性は想像を絶するレベルにある。救出された直後から割と自己完結した会話を繰り広げる根性、洞窟の中の段階から勇者にお姫さま抱っこを要求する根性まで含めて、ローラ姫の根性は王族の枠を完全に逸脱したものがあると見て間違いあるまい(これには当然、「いい根性してる」という意味での根性も含まれる)。
下手するとヤンデレの域に片足を突っ込みかねない、彼女の根性もまたさらわれヒロインの要件の一つなのである。
さらわれる側にもそれ相応の根性が必要である、という見本のような人物であると私はローラ姫を評価している。世の女子達よ、根性をつけよう。
ということで、急ぎ足ではあったが、女子力考の一助として3ケースのさらわれ女子を見てきた。
ここまでの議論をまとめると、
・女子力の到達点は「さらわれぢから」及び「救出されぢから」である。
・墓場でデートしているとさらわれる頻度が若干上がるかも知れない。
・ローラ姫は実はヤンデレヒロインの元祖的存在だったりするのではないか。
・ナッツ&ミルクのヒロインはヨーグルであってナッツでもミルクでもないのだが、何故こうも勘違いしている人が多いのか。
・誰か霧姫に外出禁止令を出してください。
という物凄くどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。
(この記事は、ブログ企画NoBorderに寄稿したものです)
これはレトロゲームにおける絶対的な普遍真理であり、反論は許されない。魔界村を、チャレンジャーを、ナッツ&ミルクを、スパルタンXを、影の伝説を、忍者じゃじゃ丸くんを、ドルアーガの塔を、ハイドライドスペシャルを見るが良い。「主人公の救出の対象」になる女子以上に女子力が高い女子など世に存在し得るであろうか。
レトロゲームは我々にこう教えてくれている。さらわれ力(さらわれぢからと読む)は女子力の最終到達地点であり、至高の女子力、究極の女子力である。我々は、彼女らのさらわれ力に学ばなくてはならないのだ。
間違ってもざっくざっくとタッタを切り刻むワルキューレであるとか、数限りないパトカーを灰燼と化すシティコネクションのクラリスなんかに女子力を学んではならない。フルータジアでぶんぶん木を切ってクジラ待ちで一夜を明かしたい、といったアウトドア志向女子であればまた話は別だが。
ということで、幾つかのケースを取り上げ分析することによって、さらわれ力を磨く為のワンポイントテクニックを抽出していきたいと思う。
Case1.魔界村のプリンセス
そもそもプリンセスはとある平和な王国のプリンセスであり、19歳であり、ヒゲ面いちごパンツとはいえお付の騎士までついていることを考えると、彼女の女子力はスタート地点からカウンターストップしている。正直女子力振り切れてる。シリーズの度に毎回欠かさずさらわれている点では、女子力における隙も極めて少ないといえるだろう。女子力界における室伏広治、女子力界におけるフリーザ様である。私の女子力は53万です。
とはいえ、彼女の行動には何点か特徴的な部分もあり、そこを模倣することで女子力を向上させることも可能であろう。
・何故か墓場でデートしている。(しかも男はパンツ一丁)
・身につけているアクセサリーは使いにくいが強力な兵装。
・アーサーが腕輪を持ってきていないと、情け容赦なく追い返す。
この辺りがポイントなのではないだろうか。先生、このプリンセスちょっとサドいです。
とりあえず墓場でデートは基本だな。基本。
次のケースを見てみよう。
Case2.スパルタンXのシルビア
24周するとラスボスとして襲ってくるであるとか、途中の笑い声が実はシルビアのものであるとか、根も葉もない都市伝説の犠牲者として名高いシルビアだが、彼女も立派なさらわれヒロインである。もっとも、ゲーム中では毎回律儀に椅子に縛られていること以外それ程強い印象はない。
影の伝説における霧姫もそうなのだが、とかくレトロゲームにおけるさらわれヒロインに共通している要素は学習能力の無さである。一般的に考えれば、一度さらわれたらいかづちの杖であるとかロケットランチャーの一つや二つ、護身用に持ち歩いてもおかしくないと思われるのだが、彼女らはとにかくさらわれる。律儀にさらわれる。霧姫なんか、助けられてスタッフロールが流れた5秒後にはもうさらわれているわけである。もはやこれは伝統芸能の域、ブートキャンプにおけるワンモアセッ、さらわれ芸と称しても違和感はないであろう。
ここで学ぶべきはワンパターンを恐れない、という心意気である。さらわれ道を極める為には、一度や二度の同一パターンでめげてはいけない。幾千万のさらわれ頻度をこなす覚悟が必要である、ということを彼女は身をもって教えてくれている訳である。
Case3.ドラゴンクエストのローラ姫
お楽しみしている場合ではない。竜王はこの人をさらって一体何がしたかったのか、という点が問題点としてしばしば挙げられるローラ姫ではあるが、彼女に学ぶべきは根性である。
ローラ姫必殺、恐怖の永久ループ「そんな ひどい…」を挙げるまでもなく、彼女の根性は想像を絶するレベルにある。救出された直後から割と自己完結した会話を繰り広げる根性、洞窟の中の段階から勇者にお姫さま抱っこを要求する根性まで含めて、ローラ姫の根性は王族の枠を完全に逸脱したものがあると見て間違いあるまい(これには当然、「いい根性してる」という意味での根性も含まれる)。
下手するとヤンデレの域に片足を突っ込みかねない、彼女の根性もまたさらわれヒロインの要件の一つなのである。
さらわれる側にもそれ相応の根性が必要である、という見本のような人物であると私はローラ姫を評価している。世の女子達よ、根性をつけよう。
ということで、急ぎ足ではあったが、女子力考の一助として3ケースのさらわれ女子を見てきた。
ここまでの議論をまとめると、
・女子力の到達点は「さらわれぢから」及び「救出されぢから」である。
・墓場でデートしているとさらわれる頻度が若干上がるかも知れない。
・ローラ姫は実はヤンデレヒロインの元祖的存在だったりするのではないか。
・ナッツ&ミルクのヒロインはヨーグルであってナッツでもミルクでもないのだが、何故こうも勘違いしている人が多いのか。
・誰か霧姫に外出禁止令を出してください。
という物凄くどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。
(この記事は、ブログ企画NoBorderに寄稿したものです)
2011年08月31日
レトロゲーム万里を往く その104 スーパーマリオブラザーズにおける戦略論
クッパさんには戦略眼が決定的に欠けているのではないでしょうか。
ちょっとスーパーマリオブラザーズの話をしよう。
スーパーマリオブラザーズは、いうまでもなく、1985年に発売されたファミコンソフトである。任天堂が放った大名作でもあり、国内限定でも680万本を売り上げ、空前のヒットを巻き起こしたもの凄いゲームである。
このゲームのストーリーは以下のようになっている。
さて。この時、マリオ・ルイージの戦略目標は単純明快である。彼らの最終目標はピーチ姫の救出であり、その行動指針は以下のような優先順になっていることが推測出来る。
1.クッパにさらわれたピーチ姫の救出
2.ブロックなどに変えられたキノコ王国住人の救出
3.(上記1,2を達成する手段として)クッパ及びカメ一族の撃破
実に明快。プロジェクト達成に最重要なのが「明確なゴール」であることは疑いなく、この点マリオ達の王女救出プロジェクトにおいて、目的の明確さについては文句のつけようがない。また、目的3が同時に1,2達成の手段になっていることを考えると、プロジェクトとしてのアウトラインも明快である。
強いて文句をつけるとすれば人月の規模感か。プロジェクトの規模の割にマリオとルイージしか実働メンバーがいないんですけどこの見積りどうなの、という一点に集約されると思うが、まあこれもマリオさんが、「亀をたくさん踏んでいるといつの間にか増殖している」という、一山いくらのチート人月単価の所有者であることを考えれば、そこまで重大な問題だとはいえないだろう。
翻って、カメ一族の方はどうか。純粋にストーリーから読み取る限り、クッパの当初の目標は、「キノコ王国を侵略する」ということである。プロジェクト達成ラインが明確ではないが、「キノコ王国は亡びてしまった」という記載からすると、当初の目的はほぼ達成出来ていると考えていいだろう。
問題なのはその後の対応である。これがもう、状況を克明に分析すればする程、眼を覆わんばかりの有様だ。
プロジェクトが達成出来た後は、その次の中長期目標を設定しなくてはならない。一般的に考えれば、侵略軍の新たな目標は「侵略した地域の維持」及び「新たな地域の侵略」となるのが妥当である。となると、「侵略した地域の維持」の為にも、リスク因子はなるべく排除しておきたいと考えるのが通常のプロジェクトマネージャーだ。
然るに、「このキノコ達の魔法を解き、よみがえらす事ができるのはキノコ王国のお姫様ピーチ姫だけ」と明言されている重要な戦略目標であるピーチ姫を、のーのーと手元に収監しておき、マリオやルイージが自軍の拠点を次から次へと失陥させている間も完全放置というのは、一体いかなる戦略的思考から行われた行動なのか。正直、この時点で既にプロジェクトマネージャーとしては犯罪的な錯誤をしていると考えざるを得ない。ステージ毎に偽クッパとか出して喜んでる場合じゃないだろう、と強く主張したい。
戦術的にも、戦力の逐次投入をして完全にマリオ・ルイージの各個撃破の対象となってしまっているのはありがちな話だから置いておくとしても、各城の守将の背後に毎回ご丁寧に橋を落とす為の斧を置いておくであるとか、マリオやルイージがパワーアップするキノコやファイアフラワーを自生するままに放置しておくといった、緊急時を想定した事前対応の不備がとにかく目立つ。コンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)に重大な失陥があるのではないか。監査法人の外部監査を早急に受けることをオススメしたい。
本来クッパはどうするべきであったかというと、マリオ・ルイージと同様明確なプロジェクト達成指針を定め、それを達成する為のアウトラインを設定するべきだったのではないか、と私は思う。
カメ一族の目標優先順は、本来以下のようなものになるのではないか。
1.キノコ王国侵略状況の維持
2.カメ一族の戦力増強、及び温存(1の手段)
3.マリオ・ルイージの抹殺(1の為のリスク因子排除)
こうして考えると、クッパ勢力のとった戦略がいかにまずかったかがよく分かる。少なくとも、3が上手くいっていない時点で2の徹底、及び1の為のピーチ姫排除は必須要件だったと思うのだが、この点やはり「緊急時対応の規程がそもそも存在しなかった」と考えるのが妥当のように思え、カメ一族にはコンティンジェンシープランの設定を急ぐよう強く提言したい。
以上をまとめると、
・プロジェクト達成の為には、プロジェクトの目的とその達成に向けたアウトラインが必須。
・カメ一族には一次プロジェクト達成後の戦略眼、及びコンティンジェンシープランが欠けている。
・クッパは取り敢えず橋の後ろの斧をどうにかしろ。
というとてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。
ちょっとスーパーマリオブラザーズの話をしよう。
スーパーマリオブラザーズは、いうまでもなく、1985年に発売されたファミコンソフトである。任天堂が放った大名作でもあり、国内限定でも680万本を売り上げ、空前のヒットを巻き起こしたもの凄いゲームである。
このゲームのストーリーは以下のようになっている。
キノコ達の住む平和な王国に、ある日、強力な魔法を操る大ガメクッパの一族が侵略して来ました。おとなしいキノコ一族は、皆その魔力によって岩やレンガ、つくし等に姿を変えられてしまい、キノコ王国は亡びてしまったのです。(ゲームの説明書様より引用)
このキノコ達の魔法を解き、よみがえらす事ができるのはキノコ王国のお姫様ピーチ姫だけ。彼女は今、大魔王クッパの手中にあります。
マリオは、カメ一族を倒してピーチ姫を救出し、再び平和なキノコ王国を築くために立ち上がりました。
さて。この時、マリオ・ルイージの戦略目標は単純明快である。彼らの最終目標はピーチ姫の救出であり、その行動指針は以下のような優先順になっていることが推測出来る。
1.クッパにさらわれたピーチ姫の救出
2.ブロックなどに変えられたキノコ王国住人の救出
3.(上記1,2を達成する手段として)クッパ及びカメ一族の撃破
実に明快。プロジェクト達成に最重要なのが「明確なゴール」であることは疑いなく、この点マリオ達の王女救出プロジェクトにおいて、目的の明確さについては文句のつけようがない。また、目的3が同時に1,2達成の手段になっていることを考えると、プロジェクトとしてのアウトラインも明快である。
強いて文句をつけるとすれば人月の規模感か。プロジェクトの規模の割にマリオとルイージしか実働メンバーがいないんですけどこの見積りどうなの、という一点に集約されると思うが、まあこれもマリオさんが、「亀をたくさん踏んでいるといつの間にか増殖している」という、一山いくらのチート人月単価の所有者であることを考えれば、そこまで重大な問題だとはいえないだろう。
翻って、カメ一族の方はどうか。純粋にストーリーから読み取る限り、クッパの当初の目標は、「キノコ王国を侵略する」ということである。プロジェクト達成ラインが明確ではないが、「キノコ王国は亡びてしまった」という記載からすると、当初の目的はほぼ達成出来ていると考えていいだろう。
問題なのはその後の対応である。これがもう、状況を克明に分析すればする程、眼を覆わんばかりの有様だ。
プロジェクトが達成出来た後は、その次の中長期目標を設定しなくてはならない。一般的に考えれば、侵略軍の新たな目標は「侵略した地域の維持」及び「新たな地域の侵略」となるのが妥当である。となると、「侵略した地域の維持」の為にも、リスク因子はなるべく排除しておきたいと考えるのが通常のプロジェクトマネージャーだ。
然るに、「このキノコ達の魔法を解き、よみがえらす事ができるのはキノコ王国のお姫様ピーチ姫だけ」と明言されている重要な戦略目標であるピーチ姫を、のーのーと手元に収監しておき、マリオやルイージが自軍の拠点を次から次へと失陥させている間も完全放置というのは、一体いかなる戦略的思考から行われた行動なのか。正直、この時点で既にプロジェクトマネージャーとしては犯罪的な錯誤をしていると考えざるを得ない。ステージ毎に偽クッパとか出して喜んでる場合じゃないだろう、と強く主張したい。
戦術的にも、戦力の逐次投入をして完全にマリオ・ルイージの各個撃破の対象となってしまっているのはありがちな話だから置いておくとしても、各城の守将の背後に毎回ご丁寧に橋を落とす為の斧を置いておくであるとか、マリオやルイージがパワーアップするキノコやファイアフラワーを自生するままに放置しておくといった、緊急時を想定した事前対応の不備がとにかく目立つ。コンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)に重大な失陥があるのではないか。監査法人の外部監査を早急に受けることをオススメしたい。
本来クッパはどうするべきであったかというと、マリオ・ルイージと同様明確なプロジェクト達成指針を定め、それを達成する為のアウトラインを設定するべきだったのではないか、と私は思う。
カメ一族の目標優先順は、本来以下のようなものになるのではないか。
1.キノコ王国侵略状況の維持
2.カメ一族の戦力増強、及び温存(1の手段)
3.マリオ・ルイージの抹殺(1の為のリスク因子排除)
こうして考えると、クッパ勢力のとった戦略がいかにまずかったかがよく分かる。少なくとも、3が上手くいっていない時点で2の徹底、及び1の為のピーチ姫排除は必須要件だったと思うのだが、この点やはり「緊急時対応の規程がそもそも存在しなかった」と考えるのが妥当のように思え、カメ一族にはコンティンジェンシープランの設定を急ぐよう強く提言したい。
以上をまとめると、
・プロジェクト達成の為には、プロジェクトの目的とその達成に向けたアウトラインが必須。
・カメ一族には一次プロジェクト達成後の戦略眼、及びコンティンジェンシープランが欠けている。
・クッパは取り敢えず橋の後ろの斧をどうにかしろ。
というとてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
今日はこの辺で。
2011年08月28日
レトロゲーム万里を往く その103 スプラッターハウス
実はナムコアクションにも二つの派閥があるんではないか、と私は思っている。
一つは、例えばマッピーやパックランド、ドラゴンバスターやワギャンランドなどを始めとした、王道系操作感重視アクションの派閥。こちらの派閥のゲームは、「初心者でも入りやすい敷居の低さ」とか「洗練された操作感」であるとか「素晴らしい完成度」であるとか、非常に綺麗な言葉を冠に抱いているタイトルが多い。
私はこちらの派閥のことを、「綺麗なナムコ」と呼んでいる。
もう一方が、例えば「オレサマハサソリベイダーダ」とかやらかしちゃうスターウォーズであるとか、妖怪道中期であるとか、言わずとしれたベラボーマンや源平討魔伝を擁する源平プロジェクトであるとか。アクが強く、敷居が高く、時折突拍子もない展開を情け容赦なく打ち出す、どう考えても万人向けとはいえないゲーム群だ。マインドシーカーがナムコの作品であることは今更挙げるまでもあるまい。ナムコは、決してお上品なだけのメーカーではないのである。
これらのタイトル群は、言ってみれば「綺麗じゃない方のナムコ」ということになるかも知れない。とはいえ、遊ぶ人を選ぶゲームが多いことは確かだが、それらのゲームはどうしようもなく魅力的だ。源平の、ベラボーの、あの底知れない世界観と爽快感は、遊ぶ人を捕らえて離さない。これらの「アクの強い方のナムコ」の魅力は、我々を引き付けてやまないのである。
「スプラッターハウス」も、そんな「アクの強い方のナムコ」の代表作の一つなのではないか、と私は思うのだ。
スプラッターハウス。横スクロールアクションゲーム。1988年、ナムコよりアーケード版発売。「13日の金曜日」をモチーフとするホラー映画テイストのジャンプアクションで、残虐性の強い描写も交えながら、底堅いゲーム性によって一部のファンから熱狂的な支持を得た。この背景には、当時スプラッター映画・ホラー映画がブームになっていたことが伏在している。
正直なところ好みが別れるゲームであることは間違いないが、ナムコ史の一角を占めるゲームであることも否定出来ない事実である。
PCエンジンを始めとする数々のゲーム機に移植されており、ファミコン版においては「わんぱくグラフィティ」などという凄まじいサブタイトルをつけられ、「これは本当にスプラッターハウスなのか?」と言わんばかりのSDアクションでファンの度肝を抜いた。見た目は可愛いがよくよくストーリーを追ってみるとこれが意外と鬱ゲーだったりもするのだが、まあそれはとりあえず置いとこう。
関連URLを挙げておく。
ゲーム自体についてはWikipediaに詳しい。
Wikipedia:スプラッターハウス
PSPで遊ぶことも出来る。画面写真、動画はこちらでご参照頂ければ。
PCエンジンアーカイブス
さて、ゲームの話にいこう。
(※今回の万里を往くでは、諸事情によって途中イメージ画像が挿入されますが、ゲームとは直接関係ありません)
・そこにあったのは、「ホラー映画」への徹底したオマージュ。
スプラッターハウスは、頭の先からつま先まで、先述した「ホラー映画」を徹底的に意識した作りになっている。ストーリーを追っかけてみると、物凄くオーソドックスなホラー映画をなぞっていることがよく分かる。諸事情によってイメージ画像つきでお送り致します。
まず、ゲームの背景。主人公のリックと恋人のジェニファーは、豪雨に追われ、見るからにおどろおどろしい感じの洋館の中に逃げ込む。
(注:画像は暗雲立ち込める丘の上に立つ洋館のイメージ映像です)
洋館で遭遇した怪物たちにジェニファーは連れ去られてしまい、自身も打ちのめされたリックは、絶望の中「ヘルマスク」の声を聞く。13日の金曜日のジェイソンがつけていたホッケーマスクに良く似たヘルマスクを身につけたリックは、ドーピングされるがごとく強靭な身体能力を得る。
(注:画像はドーピングのイメージ映像です)
そしてリックは、ジェニファーを助け出し屋敷から脱出する為、ヘルマスクの力を借りて悪夢の屋敷に挑む。
(注:画像は赤錆びたおどろおどろしい感じのダンジョンを探索するイメージ映像です)
洋館に逃げ込んだカップルが無事でいられる訳がない、というのがありとあらゆるB級ホラーのお約束であることはご理解いただけるであろう。一応バックストーリーでは「超心理学を専攻していたリックが、恋人のジェニファーと一緒に、超心理学の権威ウエスト博士の洋館を訪ねる」というものがあるのだが、そもそもそんな所に恋人を連れていくな、であるとか、オープニング画像を見る限りリックは最初からあの服装にスキンヘッドなんだけどどうなの、といった事情は勿論ある。とはいえ、これもホラー映画のお約束と考えれば些細な突っ込みであるといえよう。
この辺り、魔界村のオープニングで墓場デートをしゃれ込んでいた某騎士とお姫さまを彷彿とさせるところがある。魔界村のプリンセスが改造されていなかったことにはある種の疑問を感じざるを得ない。
その後の劇中は、お約束のように怒涛のホラー展開と鬱描写、最終的にはバッドエンドまっさかさま。一応ネタバレを考慮して詳細な描写は避けるが、鬱エンドの後に2、3と続編が出て微妙な展開を見せる、というところまでB級ホラーの展開をなぞっている点に関しては、ナムコの徹底っぷりに感嘆を禁じえない。
・一方ゲームの方はどうなのですか。
おどろおどろしい見た目とは裏腹に、結構基本をなぞっているというか、アクションとしてはむしろ王道を行っているのではないか、というのが私の印象である。
アクションゲームとしてのスプラッターハウスは、基本的にはスパルタンXの延長線上にある。主人公であるリックは、左右から迫ってくる敵をがんがん殴りつけたり、べしべしけり飛ばしたり、その辺に落ちている角材を拾ってめきょめきょとなぎ倒したりする。しゃがみキック連打が時折妙に安定行動になることはもとより、迂闊なジャンプは死を招くこと、地面に空いた穴が時として最強の障害であることなど含め、アクションゲームとしてのスプラッターハウスは意外な程シンプルだ。
ただ、敵のやられっぷりがいちいちグロいことであるとか(角材で敵を画面奥に叩きつけた時のグラフィックはなかなかにエグい)、「スライディング」という攻撃のテクニカルさ・強力さがアクセントになっていること、拾って使える武器の中には飛び道具も含まれていることなどが特色として挙げられるだろう。
スライディングについて言えば、「ジャンプの着地際に下とAを同時に押す」という操作の入力タイミングが相当にシビアで、使いこなすにはかなりの熟練が必要だった。とはいえそれに見合うだけの威力も十分であり、特にピギーマンなど一部のボスには、とある武器なしで活路を見出すにはスライディングに頼る他ない、という状況でもあった。
ボスについていえば、やはり個人的には上述の、3面ボスピギーマンの凶悪さが記憶に濃い。私がこのゲームをやり始めた頃は、ショットガンを2丁持っていけるということを知らず、一丁のショットガンを打ちつくした後に地獄をみたものであった。私はアクションゲーム下手っぴーであるので、今でもショットガンなしでピギーマンを倒す自信はこれっぽっちもない。夜道で遭いたくないボス敵ランキングを作れば、歴代アクションゲームの中でもかなり上位に入るであろう。
・音楽も流石のナムコでしたよ。
私は、ナムコ音楽の特徴は「統一感」なのではないかと考えている。どれか一曲物凄い曲が、というわけではないのだが、全体を通して非常に音楽がまとまっており、曲単位というより全体として印象に強く残る。オーダインも源平もワルキューレもそうだった。
スプラッターハウスもその点は多分に漏れず、ホラー映画テイストの序盤から、徐々に緊迫感を増していく5面6面、そしてどこか物悲しさを感じさせる最終面からラスボス・エンディングまでの展開は、やはり万人向けとはいえないものの、耳に残ること大であった。
効果音の印象度も相当なもので、特に「敵を撃破した時の音」はどれもこれも非常に印象的でとにかく耳に残る。ナタで敵をぶったぎる時のスコーンスコーンという音については、このゲームをやったことがある人なら大抵記憶に残るだろう。
「名作」などという言葉で一言で括ってしまうには無理があるかも知れないが、見過ごすことの出来ないナムコの佳作。一言でこのゲームをまとめると、そんな言葉になるのではないかと、私は思うのである。
ということで今日はこの辺で。
(このエントリーは、ブログ企画NoBorderに投稿したものです)
一つは、例えばマッピーやパックランド、ドラゴンバスターやワギャンランドなどを始めとした、王道系操作感重視アクションの派閥。こちらの派閥のゲームは、「初心者でも入りやすい敷居の低さ」とか「洗練された操作感」であるとか「素晴らしい完成度」であるとか、非常に綺麗な言葉を冠に抱いているタイトルが多い。
私はこちらの派閥のことを、「綺麗なナムコ」と呼んでいる。
もう一方が、例えば「オレサマハサソリベイダーダ」とかやらかしちゃうスターウォーズであるとか、妖怪道中期であるとか、言わずとしれたベラボーマンや源平討魔伝を擁する源平プロジェクトであるとか。アクが強く、敷居が高く、時折突拍子もない展開を情け容赦なく打ち出す、どう考えても万人向けとはいえないゲーム群だ。マインドシーカーがナムコの作品であることは今更挙げるまでもあるまい。ナムコは、決してお上品なだけのメーカーではないのである。
これらのタイトル群は、言ってみれば「綺麗じゃない方のナムコ」ということになるかも知れない。とはいえ、遊ぶ人を選ぶゲームが多いことは確かだが、それらのゲームはどうしようもなく魅力的だ。源平の、ベラボーの、あの底知れない世界観と爽快感は、遊ぶ人を捕らえて離さない。これらの「アクの強い方のナムコ」の魅力は、我々を引き付けてやまないのである。
「スプラッターハウス」も、そんな「アクの強い方のナムコ」の代表作の一つなのではないか、と私は思うのだ。
スプラッターハウス。横スクロールアクションゲーム。1988年、ナムコよりアーケード版発売。「13日の金曜日」をモチーフとするホラー映画テイストのジャンプアクションで、残虐性の強い描写も交えながら、底堅いゲーム性によって一部のファンから熱狂的な支持を得た。この背景には、当時スプラッター映画・ホラー映画がブームになっていたことが伏在している。
正直なところ好みが別れるゲームであることは間違いないが、ナムコ史の一角を占めるゲームであることも否定出来ない事実である。
PCエンジンを始めとする数々のゲーム機に移植されており、ファミコン版においては「わんぱくグラフィティ」などという凄まじいサブタイトルをつけられ、「これは本当にスプラッターハウスなのか?」と言わんばかりのSDアクションでファンの度肝を抜いた。見た目は可愛いがよくよくストーリーを追ってみるとこれが意外と鬱ゲーだったりもするのだが、まあそれはとりあえず置いとこう。
関連URLを挙げておく。
ゲーム自体についてはWikipediaに詳しい。
Wikipedia:スプラッターハウス
PSPで遊ぶことも出来る。画面写真、動画はこちらでご参照頂ければ。
PCエンジンアーカイブス
さて、ゲームの話にいこう。
(※今回の万里を往くでは、諸事情によって途中イメージ画像が挿入されますが、ゲームとは直接関係ありません)
・そこにあったのは、「ホラー映画」への徹底したオマージュ。
スプラッターハウスは、頭の先からつま先まで、先述した「ホラー映画」を徹底的に意識した作りになっている。ストーリーを追っかけてみると、物凄くオーソドックスなホラー映画をなぞっていることがよく分かる。諸事情によってイメージ画像つきでお送り致します。
まず、ゲームの背景。主人公のリックと恋人のジェニファーは、豪雨に追われ、見るからにおどろおどろしい感じの洋館の中に逃げ込む。
(注:画像は暗雲立ち込める丘の上に立つ洋館のイメージ映像です)
洋館で遭遇した怪物たちにジェニファーは連れ去られてしまい、自身も打ちのめされたリックは、絶望の中「ヘルマスク」の声を聞く。13日の金曜日のジェイソンがつけていたホッケーマスクに良く似たヘルマスクを身につけたリックは、ドーピングされるがごとく強靭な身体能力を得る。
(注:画像はドーピングのイメージ映像です)
そしてリックは、ジェニファーを助け出し屋敷から脱出する為、ヘルマスクの力を借りて悪夢の屋敷に挑む。
(注:画像は赤錆びたおどろおどろしい感じのダンジョンを探索するイメージ映像です)
洋館に逃げ込んだカップルが無事でいられる訳がない、というのがありとあらゆるB級ホラーのお約束であることはご理解いただけるであろう。一応バックストーリーでは「超心理学を専攻していたリックが、恋人のジェニファーと一緒に、超心理学の権威ウエスト博士の洋館を訪ねる」というものがあるのだが、そもそもそんな所に恋人を連れていくな、であるとか、オープニング画像を見る限りリックは最初からあの服装にスキンヘッドなんだけどどうなの、といった事情は勿論ある。とはいえ、これもホラー映画のお約束と考えれば些細な突っ込みであるといえよう。
この辺り、魔界村のオープニングで墓場デートをしゃれ込んでいた某騎士とお姫さまを彷彿とさせるところがある。魔界村のプリンセスが改造されていなかったことにはある種の疑問を感じざるを得ない。
その後の劇中は、お約束のように怒涛のホラー展開と鬱描写、最終的にはバッドエンドまっさかさま。一応ネタバレを考慮して詳細な描写は避けるが、鬱エンドの後に2、3と続編が出て微妙な展開を見せる、というところまでB級ホラーの展開をなぞっている点に関しては、ナムコの徹底っぷりに感嘆を禁じえない。
・一方ゲームの方はどうなのですか。
おどろおどろしい見た目とは裏腹に、結構基本をなぞっているというか、アクションとしてはむしろ王道を行っているのではないか、というのが私の印象である。
アクションゲームとしてのスプラッターハウスは、基本的にはスパルタンXの延長線上にある。主人公であるリックは、左右から迫ってくる敵をがんがん殴りつけたり、べしべしけり飛ばしたり、その辺に落ちている角材を拾ってめきょめきょとなぎ倒したりする。しゃがみキック連打が時折妙に安定行動になることはもとより、迂闊なジャンプは死を招くこと、地面に空いた穴が時として最強の障害であることなど含め、アクションゲームとしてのスプラッターハウスは意外な程シンプルだ。
ただ、敵のやられっぷりがいちいちグロいことであるとか(角材で敵を画面奥に叩きつけた時のグラフィックはなかなかにエグい)、「スライディング」という攻撃のテクニカルさ・強力さがアクセントになっていること、拾って使える武器の中には飛び道具も含まれていることなどが特色として挙げられるだろう。
スライディングについて言えば、「ジャンプの着地際に下とAを同時に押す」という操作の入力タイミングが相当にシビアで、使いこなすにはかなりの熟練が必要だった。とはいえそれに見合うだけの威力も十分であり、特にピギーマンなど一部のボスには、とある武器なしで活路を見出すにはスライディングに頼る他ない、という状況でもあった。
ボスについていえば、やはり個人的には上述の、3面ボスピギーマンの凶悪さが記憶に濃い。私がこのゲームをやり始めた頃は、ショットガンを2丁持っていけるということを知らず、一丁のショットガンを打ちつくした後に地獄をみたものであった。私はアクションゲーム下手っぴーであるので、今でもショットガンなしでピギーマンを倒す自信はこれっぽっちもない。夜道で遭いたくないボス敵ランキングを作れば、歴代アクションゲームの中でもかなり上位に入るであろう。
・音楽も流石のナムコでしたよ。
私は、ナムコ音楽の特徴は「統一感」なのではないかと考えている。どれか一曲物凄い曲が、というわけではないのだが、全体を通して非常に音楽がまとまっており、曲単位というより全体として印象に強く残る。オーダインも源平もワルキューレもそうだった。
スプラッターハウスもその点は多分に漏れず、ホラー映画テイストの序盤から、徐々に緊迫感を増していく5面6面、そしてどこか物悲しさを感じさせる最終面からラスボス・エンディングまでの展開は、やはり万人向けとはいえないものの、耳に残ること大であった。
効果音の印象度も相当なもので、特に「敵を撃破した時の音」はどれもこれも非常に印象的でとにかく耳に残る。ナタで敵をぶったぎる時のスコーンスコーンという音については、このゲームをやったことがある人なら大抵記憶に残るだろう。
「名作」などという言葉で一言で括ってしまうには無理があるかも知れないが、見過ごすことの出来ないナムコの佳作。一言でこのゲームをまとめると、そんな言葉になるのではないかと、私は思うのである。
ということで今日はこの辺で。
(このエントリーは、ブログ企画NoBorderに投稿したものです)
2011年06月12日
レトロゲーム万里を往く その102 フィールドコンバット
間が空きました。
いつの間にやら冬が終わり、春も終わり、季節はもはや夏に片足突っ込んでおりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。しんざきは元気ですがデスマに突入しかけています。
久々の万里は、ちょっと時代を下って、ジャレコの名作について書き連ねてみたいと思います。
以下平文。
「固定画面型シューティング」というジャンルは、正式なルーツ(Space War!みたいな)はともかくとして、業界的に見ればタイトーの「スペースインベーダー」がご先祖様になっているんじゃないかと思う。
インベーダーに始まったシューティングゲームは、一方では「シェリフ」のようなゲームを経由してアクションゲームの川に流れこみ、もう一方では「ギャラクシアン」や「ディフェンダー」のようなゲームを経て多種多様なスクロールSTG群を作り出す訳なのだが。
大多数のジャンルと同様、STGというジャンルも、進化の歴史の中で色んな実験作を生み出してきた、と思う。「こんなアイディア面白いんじゃないか」「こういう仕組みを導入すれば面白いんじゃないか」そんな開発者の思いが、意欲的な「試し」として結実するのが、ゲームにおける「実験」だ。
そういった大小様々な「実験」の中には、例えばムーンクレスタにおけるパワーアップやスクランブルにおける横スクロールのように、後後の大潮流を生み出した実験もあるし、データイーストの「サンダーストーム」のようにちょっと特殊な方向に進化したというか、ちょっと時代を間違えたんじゃないか感のある実験もあったわけなのだが。
私の中では、「フィールドコンバット」も、そんな大小さまざまな実験作の一つなのである。
フィールドコンバット。シューティングゲーム。1985年、ジャレコよりアーケード版発売。同1985年7月にはファミコン版も発売されており、こちらはバーチャルコンソールにも移植されている筈だ。
プレイヤーは、UFOのような形をした自機「ジェネシス-3」を操り、悪の天才科学者フォゾムとの戦いに挑む。一見すると「ゼビウスみたいな照準がついた、何の変哲もない手動スクロール縦シュー」なフィールドコンバットだが、その最大の特徴は「キャプチャービーム」である。
そう、このゲームにおいては、出てくる敵はキャプチャービームで捕獲することが出来るのだ。そして、任意に解放して、今度は自軍の仲間として使役することも出来るのだ。これが、STGとしてのフィールドコンバットにおける、唯一無二の特徴である。
残念ながらかつての私はアーケード版に触れることが出来なかったが、ファミコン版フィールドコンバットは相当やり込んだ記憶がある。BGMの出だしが「ワルキューレの騎行」という曲だ、などということは当時知らなかったが、妙に耳に残るBGMと共に、歩兵を捕まえたり戦車を捕まえたりヘリと激突して死んだりしていた。よくあることだった。
参考URLとして、例によってWikipediaを挙げておこう。
Wikipedia:フィールドコンバット
画面はYoutubeから見ることが出来る。このBGM、相当耳に残る。
フィールドコンバット for FC (1985)
さて、ゲームの話をしよう。
・それはおそらく、「キャプチャー」のルーツ。
私の認識が間違っているかも知れないが、多分フィールドコンバットは、「敵を捕まえて戦わせる」というシューティングゲームの草分け的な存在ではないかと思う。それ以前、「つかまった自機を取り戻してパワーアップする」というのはギャラガがやっていたが、捕まえてきた敵が勝手に動いて戦ってくれるというのは当時相当目新しかった記憶がある。
今でこそ「敵を仲間に」というのは珍しくもなんともないが、なにせゼビウスやスターフォースの時代だ。本来なら敵機はただひたすら撃ち落し得点を稼ぐだけの対象だった訳で、打ち落とすわけではなく、逃がす訳でもなく、「捕まえて味方にする」というのはとてつもない新機軸だったように、少なくとも当時の私には思えた。初めて敵歩兵をキャプチャーした瞬間はそりゃもう衝撃的であった。
なにせ打ち落とすより捕まえた方が得点は高いのだ。しかも捕まえた後フィールドに解き放って戦わせることすら出来るのだ。そりゃもう捕獲に走らないわけがあるまい。
結果的に、フィールドコンバットを遊んだお子様は敵をひたすらキャプチャーすることに励み、キャプチャービームを撃っている間は動けないという絶妙な条件が、「リターンを得る為にはリスクを経なければならない」という人生の基本則を教えてくれていることに気付く、という訳なのである。いやあ、フィールドコンバットまじ人生の先生ですね。死ぬ原因の8割くらいは「キャプチャー狙ってる間に敵弾に撃たれて死亡」だったんじゃあるまいか。
ただ、唯二の問題として、味方にした敵機があんまり賢くないということと、別に敵をキャプチャーしなくてもクリアには何の支障もないという点のみが、このゲームの画竜点睛を欠いていると私は思っている。
このゲームの目的というか、ステージクリアの条件は、奥にある4基の砲台を破壊してその奥に侵入すること、である。砲台を排除して隙間に侵入すると、敵の歩兵が一人、のこのこと歩いてきて白旗を振る。それでステージクリアである。
実のところ、他の敵を一匹も倒していなくても、奥の砲台を倒すことはそれ程難しくないし、むしろ敵を全部倒したり捕獲したりするより奥の砲台だけ狙った方が安全な場合すらある、というのは正直残念なところだ。どうせ「キャプチャー」という新機軸を盛り込んだのだから、いっそ捕まえた敵の力を借りなくてはクリア出来ないくらいの状況も作ってよかったのではないかと思うが、まあそれはそれ。砲台狙いに気付いた後もそこそこ楽しく遊べるというのは、流石ジャレコの底力、というべきなのだろう。
・「集めゲー」としてのフィールドコンバット。
これは以前も書いたことなのだが、私はファミコンにおける「集めゲー」の元祖が実はフィールドコンバットなんじゃないか、とか思ったりしているのだが、これに賛同する人はそれ程多くないと思うし、私もそこまで本気で考えているわけではない。気にしないでください。一応昔書いた記事にリンクしておく。
レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論
敵を捕まえまくって大軍団を編成、大軍団と大軍団の激突だ!!戦略的な要素もあるシューティングなんて滅多にねーぜ!!とか思うと実際フィールドコンバットってすげえ、と思うのだが、正直なところ敵も味方もそこまで賢くないし、解放した自機が的確に敵を排除していってくれるシーン、というのもあまり記憶にはない。この辺、あと一歩突き詰めれば本当の意味で「歴史的なゲーム」になっていたのではないかと思うと、一抹の残念さを感じたりもするのだが、まあ贅沢過ぎるというものであろう。
ここでは、「Gダライアス」のキャプチャーボールの遠い遠いご先祖様かも知れないよ!ジャレコ凄いね!とだけ書くに留めておく。
あとその、三國フィールドコンバットはどうなんだとほんの少しだけ思ったりしますけれど、自分でやってないので何もいえません。プレイした方、いかがでしたか。
尚、今回の記事は、orangewind師の「ゲイングランド」についての記事を読んで、「あ、初見の時ゴールデンアックスのキャラがフィールドコンバットやってるとか思ったなあ」と思い出した故のエントリーであることを申し添え、謹んでリンクを貼らせて頂く。
レトロゲームの煩悩 その4 ゲイングランド
と、復帰早々にだいぶ長くなったので、今日はこの辺で。次回はもうちょっと早めに書ければいいなあと思っております。多分タイトルものです。
いつの間にやら冬が終わり、春も終わり、季節はもはや夏に片足突っ込んでおりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。しんざきは元気ですがデスマに突入しかけています。
久々の万里は、ちょっと時代を下って、ジャレコの名作について書き連ねてみたいと思います。
以下平文。
「固定画面型シューティング」というジャンルは、正式なルーツ(Space War!みたいな)はともかくとして、業界的に見ればタイトーの「スペースインベーダー」がご先祖様になっているんじゃないかと思う。
インベーダーに始まったシューティングゲームは、一方では「シェリフ」のようなゲームを経由してアクションゲームの川に流れこみ、もう一方では「ギャラクシアン」や「ディフェンダー」のようなゲームを経て多種多様なスクロールSTG群を作り出す訳なのだが。
大多数のジャンルと同様、STGというジャンルも、進化の歴史の中で色んな実験作を生み出してきた、と思う。「こんなアイディア面白いんじゃないか」「こういう仕組みを導入すれば面白いんじゃないか」そんな開発者の思いが、意欲的な「試し」として結実するのが、ゲームにおける「実験」だ。
そういった大小様々な「実験」の中には、例えばムーンクレスタにおけるパワーアップやスクランブルにおける横スクロールのように、後後の大潮流を生み出した実験もあるし、データイーストの「サンダーストーム」のようにちょっと特殊な方向に進化したというか、ちょっと時代を間違えたんじゃないか感のある実験もあったわけなのだが。
私の中では、「フィールドコンバット」も、そんな大小さまざまな実験作の一つなのである。
フィールドコンバット。シューティングゲーム。1985年、ジャレコよりアーケード版発売。同1985年7月にはファミコン版も発売されており、こちらはバーチャルコンソールにも移植されている筈だ。
プレイヤーは、UFOのような形をした自機「ジェネシス-3」を操り、悪の天才科学者フォゾムとの戦いに挑む。一見すると「ゼビウスみたいな照準がついた、何の変哲もない手動スクロール縦シュー」なフィールドコンバットだが、その最大の特徴は「キャプチャービーム」である。
そう、このゲームにおいては、出てくる敵はキャプチャービームで捕獲することが出来るのだ。そして、任意に解放して、今度は自軍の仲間として使役することも出来るのだ。これが、STGとしてのフィールドコンバットにおける、唯一無二の特徴である。
残念ながらかつての私はアーケード版に触れることが出来なかったが、ファミコン版フィールドコンバットは相当やり込んだ記憶がある。BGMの出だしが「ワルキューレの騎行」という曲だ、などということは当時知らなかったが、妙に耳に残るBGMと共に、歩兵を捕まえたり戦車を捕まえたりヘリと激突して死んだりしていた。よくあることだった。
参考URLとして、例によってWikipediaを挙げておこう。
Wikipedia:フィールドコンバット
画面はYoutubeから見ることが出来る。このBGM、相当耳に残る。
フィールドコンバット for FC (1985)
さて、ゲームの話をしよう。
・それはおそらく、「キャプチャー」のルーツ。
私の認識が間違っているかも知れないが、多分フィールドコンバットは、「敵を捕まえて戦わせる」というシューティングゲームの草分け的な存在ではないかと思う。それ以前、「つかまった自機を取り戻してパワーアップする」というのはギャラガがやっていたが、捕まえてきた敵が勝手に動いて戦ってくれるというのは当時相当目新しかった記憶がある。
今でこそ「敵を仲間に」というのは珍しくもなんともないが、なにせゼビウスやスターフォースの時代だ。本来なら敵機はただひたすら撃ち落し得点を稼ぐだけの対象だった訳で、打ち落とすわけではなく、逃がす訳でもなく、「捕まえて味方にする」というのはとてつもない新機軸だったように、少なくとも当時の私には思えた。初めて敵歩兵をキャプチャーした瞬間はそりゃもう衝撃的であった。
なにせ打ち落とすより捕まえた方が得点は高いのだ。しかも捕まえた後フィールドに解き放って戦わせることすら出来るのだ。そりゃもう捕獲に走らないわけがあるまい。
結果的に、フィールドコンバットを遊んだお子様は敵をひたすらキャプチャーすることに励み、キャプチャービームを撃っている間は動けないという絶妙な条件が、「リターンを得る為にはリスクを経なければならない」という人生の基本則を教えてくれていることに気付く、という訳なのである。いやあ、フィールドコンバットまじ人生の先生ですね。死ぬ原因の8割くらいは「キャプチャー狙ってる間に敵弾に撃たれて死亡」だったんじゃあるまいか。
ただ、唯二の問題として、味方にした敵機があんまり賢くないということと、別に敵をキャプチャーしなくてもクリアには何の支障もないという点のみが、このゲームの画竜点睛を欠いていると私は思っている。
このゲームの目的というか、ステージクリアの条件は、奥にある4基の砲台を破壊してその奥に侵入すること、である。砲台を排除して隙間に侵入すると、敵の歩兵が一人、のこのこと歩いてきて白旗を振る。それでステージクリアである。
実のところ、他の敵を一匹も倒していなくても、奥の砲台を倒すことはそれ程難しくないし、むしろ敵を全部倒したり捕獲したりするより奥の砲台だけ狙った方が安全な場合すらある、というのは正直残念なところだ。どうせ「キャプチャー」という新機軸を盛り込んだのだから、いっそ捕まえた敵の力を借りなくてはクリア出来ないくらいの状況も作ってよかったのではないかと思うが、まあそれはそれ。砲台狙いに気付いた後もそこそこ楽しく遊べるというのは、流石ジャレコの底力、というべきなのだろう。
・「集めゲー」としてのフィールドコンバット。
これは以前も書いたことなのだが、私はファミコンにおける「集めゲー」の元祖が実はフィールドコンバットなんじゃないか、とか思ったりしているのだが、これに賛同する人はそれ程多くないと思うし、私もそこまで本気で考えているわけではない。気にしないでください。一応昔書いた記事にリンクしておく。
レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論
敵を捕まえまくって大軍団を編成、大軍団と大軍団の激突だ!!戦略的な要素もあるシューティングなんて滅多にねーぜ!!とか思うと実際フィールドコンバットってすげえ、と思うのだが、正直なところ敵も味方もそこまで賢くないし、解放した自機が的確に敵を排除していってくれるシーン、というのもあまり記憶にはない。この辺、あと一歩突き詰めれば本当の意味で「歴史的なゲーム」になっていたのではないかと思うと、一抹の残念さを感じたりもするのだが、まあ贅沢過ぎるというものであろう。
ここでは、「Gダライアス」のキャプチャーボールの遠い遠いご先祖様かも知れないよ!ジャレコ凄いね!とだけ書くに留めておく。
あとその、三國フィールドコンバットはどうなんだとほんの少しだけ思ったりしますけれど、自分でやってないので何もいえません。プレイした方、いかがでしたか。
尚、今回の記事は、orangewind師の「ゲイングランド」についての記事を読んで、「あ、初見の時ゴールデンアックスのキャラがフィールドコンバットやってるとか思ったなあ」と思い出した故のエントリーであることを申し添え、謹んでリンクを貼らせて頂く。
レトロゲームの煩悩 その4 ゲイングランド
と、復帰早々にだいぶ長くなったので、今日はこの辺で。次回はもうちょっと早めに書ければいいなあと思っております。多分タイトルものです。
2011年02月23日
レトロゲーム万里を往く その101 25周年ラッシュを迎え撃て!
先日、1986年2月21日発売の「グーニーズ」、そして「ディスクシステム」、及び同時発売の「ゼルダの伝説」などが発売25周年を迎えた。ディスクシステムが発売されて四半世紀というのは、非常に感慨深いものがある。
今年は2011年であり、1986年から25年経ったのだから、1986年発売ソフトが25周年を迎えるのは当然過ぎる話である。1986年という年はファミコン業界がまさに黄金期にさしかかろうとしている時代でもあり、この年に発売された作品には名作・迷作ともに枚挙に暇が無い。
今後の「25周年」を予測するにあたって、この年発売されたタイトルをざっと眺めてみるのは意外と面白いかも知れない。
ということで、25年前に戻って発売日カレンダーを眺めているつもりで、1986年の3月以降に発売する予定のゲームの内、主だったものをざっくりと見てみよう。元々網羅する気はないので、抜けは気にしないでいただければ。あと、ディスクとカートリッジはごっちゃにしてある。
まずは3月。
3/4:サーカスチャーリー
3/5:忍者ハットリくん
3/13:ジャイロダイン
3/18:マグマックス
3/18:ハイドライド・スペシャル
3/19:バルトロン
恐らく、当時ファミマガ(1985年創刊)やコロコロで発売日カレンダーを見ていたファミッ子が最も注目していたのは、ハドソンから発売の「忍者ハットリくん」ではないかと思う。とはいえ、ゼルダの伝説に続くアクションRPGである「ハイドライドスペシャル」も決して見逃せるタイトルではない。この年は、まさしくコンシューマーゲーム機における「RPG黎明期」だったのである。
続いて4月。
4/14:謎の村雨城
4/17:アーガス
4/17:アトランチスの謎
4/17:ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境
4/18:影の伝説
4/24:マイティボンジャック
4/25:グラディウス
4/26:スパイvsスパイ
「アトランチスの謎発売25周年」というのは相当にビッグイベントではないかと思うのだがどうだろう?何が謎なのかが最も謎である謎の村雨城とタッグで、ファミコン業界謎シリーズの嚆矢であろうと思う。
問題:(アトランチスの謎・ガンプの謎・神龍の謎・コンボイの謎・十王剣の謎・ワイリーの謎・イカロスの謎・謎の村雨城・謎の壁)の中から、最終的に謎が解けたものに○をつけなさい。(5点)
注目作は、なんといっても4/25のグラディウスであったろう。その他、マイティボンジャック、影の伝説など、アクションゲームでもキラリと光る佳作が多い。
5月、6月。
5/19:セクロス
5/27:ドラゴンクエスト
6/2:スーパーマリオブラザーズ2
6/3:B-WING
6/13:魔界村
6/13:スターソルジャー
6/26:スクーン
なんといってもドラクエが驚異的な存在感を放っているのは、今の目から見れば当然といえるだろう。とはいえ、この頃はまだそこまでのお化けゲームではなく、本当に凄いことになったのは「ドラクエII」からだった、という記憶がある。
もっとも注目されていたのは、キャラバン絡みで「スターソルジャー」だったかも知れない。確かこの当時、高橋名人は既にファミコン業界の花形的存在になっていた筈だ。1942、ソンソンに続いてカプコンが「魔界村」をリリースしているのも見逃せない。
セクロスを性行為の隠語として使うの禁止。
7月、8月。
7/3:東海道五十三次
7/18:バベルの塔
7/30:ソロモンの鍵
7/30:がんばれゴエモン
8/1:ワルキューレの冒険
8/6:メトロイド
8/8:六三四の剣
8/10:北斗の拳
8/22:じゃじゃ丸の大冒険
8/22:スカイキッド
ナムコが本気を出した。バベルの塔、ワルキューレ、スカイキッド、いずれ劣らぬ名作揃いであり、特にワルキューレは、ゼルダ・ドラクエ・ハイドライドスペシャルと合わせて、「RPG路線」を決定的なものにした一角だったのではないかと思う。
個人的には、東海道五十三次のサンソフトがキラリと光る。メトロイドは当然の注目作ながら、六三四の剣、北斗の拳の剣拳シリーズも当時結構注目されていたのではなかったか。
9月、10月。
9/12:高橋名人の冒険島
9/18:キングスナイト
9/19:スーパーゼビウス
9/26:悪魔城ドラキュラ
9/27:戦場の狼
9/27:テラクレスタ
10/23:うる星やつら
10/31:ミシシッピー殺人事件
きた。という感じの、高橋名人の冒険島の存在感は流石に凄い。当時も、特にコロコロでは猛プッシュされていたような記憶がある。ワンダーボーイなどと言ってはいけない。
テグザーに続くスクウェアの二作目、キングスナイトは誰がなんといおうとRPGである。そうだな、みんな!!
悪魔城ドラキュラ25周年は間違いなく来るだろう。ミシシッピー殺人事件もいぶし銀の存在感を見せている。
11月。
11/11:スーパースターフォース時空暦の秘密
11/13:迷宮組曲
11/20:デッドゾーン
11/21:もえろツインビー
11/21:アイギーナの予言
11/21:元祖西遊記スーパーモンキー大冒険
11/26:マッピーランド
11/26:怒
11/27:ドラゴンボール神龍の謎
11/28:キャッスルエクセレント
11/28:きね子
11/28:ザナック
作品数も増えてきた。この11月から翌1987年まで、ファミコン業界は一気にカンブリア爆発のごとき展開を味わうことになる。
迷宮組曲は、個人的にはハドソンのファミコンにおける最高傑作ではないかと思っているのだが、残念ながらこの当時は「高橋名人の冒険島」や12月のドラえもん、あるいはドラゴンボールなどに食われてそこまで存在感を発揮していなかったような記憶がある。神龍は一体何が謎なのか。
11月最後を締めくくる「ザナック」は、ファミコンにおける「最強」のシューティングではないかと思う。当時も、後からだんだん火がついてくるタイプの注目を浴びていた筈だ。
スーパーモンキー大冒険25周年には勿論金角・銀角と戦わないとな!!
ちなみに、11/12には「ファミリートレーナー」も発売されていた。ステップを中心としたゲーム性は、遠い未来DDRとして復活することになる。
そして、12月。
12/10:たけしの挑戦状
12/12:ドラえもん
12/15:魔鐘
12/15:水晶の龍
12/16:メトロクロス
12/19:パルテナの鏡
12/19:ディープダンジョン
12/24:闘いの挽歌
12/26:アルカノイド
12/26:時空の旅人
これまた、「来た。」という感覚の強い1986年12月。いわずもがなの作品が多いが、なるほど、パルテナの鏡が3DSで出るのは25周年だからか(本当にそうなのかどうか知らないが)
たけしの挑戦状が当時どういう受け取られ方をされていたか、私にはよく思い出すことが出来ない。とはいえ、水晶の龍がイロモノ扱いをされることになる責任は、間違いなく徳間書店にあると断言して問題ないだろう。
ちなみに、タイトーはこの頃「ダライアス」「奇々怪界」「アルカノイド」などをリリースし、スペースインベーダーから続くゲーセンにおける地位を磐石にしていたのだが、ファミコンにおける妙なイメージってどうも86年についてる気がしてならない。
と、駆け足ではあったが、「25周年予定ソフト」をざっくりと見てみた。あなたにとっての「25周年」はあっただろうか。
私はといえば、今日も迷宮組曲で井戸に突っ込んでこようと思うわけですよ。
今年は2011年であり、1986年から25年経ったのだから、1986年発売ソフトが25周年を迎えるのは当然過ぎる話である。1986年という年はファミコン業界がまさに黄金期にさしかかろうとしている時代でもあり、この年に発売された作品には名作・迷作ともに枚挙に暇が無い。
今後の「25周年」を予測するにあたって、この年発売されたタイトルをざっと眺めてみるのは意外と面白いかも知れない。
ということで、25年前に戻って発売日カレンダーを眺めているつもりで、1986年の3月以降に発売する予定のゲームの内、主だったものをざっくりと見てみよう。元々網羅する気はないので、抜けは気にしないでいただければ。あと、ディスクとカートリッジはごっちゃにしてある。
まずは3月。
3/4:サーカスチャーリー
3/5:忍者ハットリくん
3/13:ジャイロダイン
3/18:マグマックス
3/18:ハイドライド・スペシャル
3/19:バルトロン
恐らく、当時ファミマガ(1985年創刊)やコロコロで発売日カレンダーを見ていたファミッ子が最も注目していたのは、ハドソンから発売の「忍者ハットリくん」ではないかと思う。とはいえ、ゼルダの伝説に続くアクションRPGである「ハイドライドスペシャル」も決して見逃せるタイトルではない。この年は、まさしくコンシューマーゲーム機における「RPG黎明期」だったのである。
続いて4月。
4/14:謎の村雨城
4/17:アーガス
4/17:アトランチスの謎
4/17:ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境
4/18:影の伝説
4/24:マイティボンジャック
4/25:グラディウス
4/26:スパイvsスパイ
「アトランチスの謎発売25周年」というのは相当にビッグイベントではないかと思うのだがどうだろう?何が謎なのかが最も謎である謎の村雨城とタッグで、ファミコン業界謎シリーズの嚆矢であろうと思う。
問題:(アトランチスの謎・ガンプの謎・神龍の謎・コンボイの謎・十王剣の謎・ワイリーの謎・イカロスの謎・謎の村雨城・謎の壁)の中から、最終的に謎が解けたものに○をつけなさい。(5点)
注目作は、なんといっても4/25のグラディウスであったろう。その他、マイティボンジャック、影の伝説など、アクションゲームでもキラリと光る佳作が多い。
5月、6月。
5/19:セクロス
5/27:ドラゴンクエスト
6/2:スーパーマリオブラザーズ2
6/3:B-WING
6/13:魔界村
6/13:スターソルジャー
6/26:スクーン
なんといってもドラクエが驚異的な存在感を放っているのは、今の目から見れば当然といえるだろう。とはいえ、この頃はまだそこまでのお化けゲームではなく、本当に凄いことになったのは「ドラクエII」からだった、という記憶がある。
もっとも注目されていたのは、キャラバン絡みで「スターソルジャー」だったかも知れない。確かこの当時、高橋名人は既にファミコン業界の花形的存在になっていた筈だ。1942、ソンソンに続いてカプコンが「魔界村」をリリースしているのも見逃せない。
セクロスを性行為の隠語として使うの禁止。
7月、8月。
7/3:東海道五十三次
7/18:バベルの塔
7/30:ソロモンの鍵
7/30:がんばれゴエモン
8/1:ワルキューレの冒険
8/6:メトロイド
8/8:六三四の剣
8/10:北斗の拳
8/22:じゃじゃ丸の大冒険
8/22:スカイキッド
ナムコが本気を出した。バベルの塔、ワルキューレ、スカイキッド、いずれ劣らぬ名作揃いであり、特にワルキューレは、ゼルダ・ドラクエ・ハイドライドスペシャルと合わせて、「RPG路線」を決定的なものにした一角だったのではないかと思う。
個人的には、東海道五十三次のサンソフトがキラリと光る。メトロイドは当然の注目作ながら、六三四の剣、北斗の拳の剣拳シリーズも当時結構注目されていたのではなかったか。
9月、10月。
9/12:高橋名人の冒険島
9/18:キングスナイト
9/19:スーパーゼビウス
9/26:悪魔城ドラキュラ
9/27:戦場の狼
9/27:テラクレスタ
10/23:うる星やつら
10/31:ミシシッピー殺人事件
きた。という感じの、高橋名人の冒険島の存在感は流石に凄い。当時も、特にコロコロでは猛プッシュされていたような記憶がある。ワンダーボーイなどと言ってはいけない。
テグザーに続くスクウェアの二作目、キングスナイトは誰がなんといおうとRPGである。そうだな、みんな!!
悪魔城ドラキュラ25周年は間違いなく来るだろう。ミシシッピー殺人事件もいぶし銀の存在感を見せている。
11月。
11/11:スーパースターフォース時空暦の秘密
11/13:迷宮組曲
11/20:デッドゾーン
11/21:もえろツインビー
11/21:アイギーナの予言
11/21:元祖西遊記スーパーモンキー大冒険
11/26:マッピーランド
11/26:怒
11/27:ドラゴンボール神龍の謎
11/28:キャッスルエクセレント
11/28:きね子
11/28:ザナック
作品数も増えてきた。この11月から翌1987年まで、ファミコン業界は一気にカンブリア爆発のごとき展開を味わうことになる。
迷宮組曲は、個人的にはハドソンのファミコンにおける最高傑作ではないかと思っているのだが、残念ながらこの当時は「高橋名人の冒険島」や12月のドラえもん、あるいはドラゴンボールなどに食われてそこまで存在感を発揮していなかったような記憶がある。神龍は一体何が謎なのか。
11月最後を締めくくる「ザナック」は、ファミコンにおける「最強」のシューティングではないかと思う。当時も、後からだんだん火がついてくるタイプの注目を浴びていた筈だ。
スーパーモンキー大冒険25周年には勿論金角・銀角と戦わないとな!!
ちなみに、11/12には「ファミリートレーナー」も発売されていた。ステップを中心としたゲーム性は、遠い未来DDRとして復活することになる。
そして、12月。
12/10:たけしの挑戦状
12/12:ドラえもん
12/15:魔鐘
12/15:水晶の龍
12/16:メトロクロス
12/19:パルテナの鏡
12/19:ディープダンジョン
12/24:闘いの挽歌
12/26:アルカノイド
12/26:時空の旅人
これまた、「来た。」という感覚の強い1986年12月。いわずもがなの作品が多いが、なるほど、パルテナの鏡が3DSで出るのは25周年だからか(本当にそうなのかどうか知らないが)
たけしの挑戦状が当時どういう受け取られ方をされていたか、私にはよく思い出すことが出来ない。とはいえ、水晶の龍がイロモノ扱いをされることになる責任は、間違いなく徳間書店にあると断言して問題ないだろう。
ちなみに、タイトーはこの頃「ダライアス」「奇々怪界」「アルカノイド」などをリリースし、スペースインベーダーから続くゲーセンにおける地位を磐石にしていたのだが、ファミコンにおける妙なイメージってどうも86年についてる気がしてならない。
と、駆け足ではあったが、「25周年予定ソフト」をざっくりと見てみた。あなたにとっての「25周年」はあっただろうか。
私はといえば、今日も迷宮組曲で井戸に突っ込んでこようと思うわけですよ。
2011年02月18日
レトロゲーム万里を往く その100.5 万里の道を半ば過ぎて・後編
ということで引き続き。
レトロゲーム万里を往く その35 〜ダライアス外伝〜
間違いなく私が人生で一番遊んだであろうゲームであり、「自分にとっての最高のゲーム」を一本挙げるとしたら躊躇いなくこれを選ぶ。無人島に持っていくだと?コンパネとモニターと電源はあるんだろうな電源はァ。
陸シャコが萌えキャラであることには議論の余地がない。
レトロゲーム万里を往く その36 〜ハイドライドスペシャル〜
今でも音を脳内再生しつつ脳内プレイ出来る。アクションRPGの草分けの一角であることは間違いないだろう。
クイックロードは、本当に時代を数年先取りしていたと思う。
レトロゲーム万里を往く その37 〜コナミとペンギン達の足跡〜
コナミについてのちょっとしたお話。けっきょく南極大冒険の主人公は多分ペンタロウXの若い頃とかそういうペンギンだと思う。
レトロゲーム万里を往く その38 〜ファミコンジャンプ 英雄列伝〜
「オールスターキャラゲー」の草分けだと思うんだ。そういう意味ではマブカプみたいなお祭り格ゲーの遠い前身ともいえるのではないだろうか。
最強のヘルナンデス君が見られるゲーム、という点については議論の余地がないと思う。
レトロゲーム万里を往く その39 〜R-TYPE〜
アイレムが「自機 + α」というゲームデザインに優れていたのはなんでだろう、とか思った(ガンホーキとかイメファイとか)。R-TYPEは大好きだけど高次面復活とか出来る気が全くしません。
レトロゲーム万里を往く その40 〜スペースインベーダー〜
タイトーよ永遠に。これ書いた時は結構本腰入れて落ち込んだ記憶があるけれど、その後もダライアスバーストが出てくれた。本当に嬉しかった。
レトロゲーム万里を往く その41 〜ゼルダの伝説〜
偉大なるディスクシステム初代。同発タイトルでハイクオリティなゲームを出してくる、という任天堂の伝統の発祥かも知れない。
結局、このゲームを超えたディスクシステムのタイトルってあるんだろうか。
レトロゲーム万里を往く その42 〜リンクの冒険〜
レベルアップのシステムさえなんとかなれば!このゲームのレベルアップのシステムだけは、無条件でダメシステムと断言してしまっていいと思う。なんでああいう実装されたんだろう。
ゲームとしては大好き。青フォッカーがガチなのも当初から変わらない。
レトロゲーム万里を往く その43 〜Wizardry伝説・序文〜
レトロゲーム万里を往く その44 〜Wizardry〜
レトロゲーム万里を往く その46 WizardryIII
これこそ「伝説のゲーム」と呼ぶにふさわしい。とはいえ、ファミコン版Wizardryに関しては遠藤雅伸氏の手腕による隆盛が極めて大きいと思う。数あるアレンジ移植の中でも、「最適化」という点ではトップクラスなんじゃないだろうか。
マーフィーズゴーストさんをいじめないであげて!あ、グレーターデーモンは別にいいわ。
レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論
「集めゲー」「育てゲー」もすっかりメジャーになったなあ、という視点でMMORPGを見るのは何か間違っている気がする。
フィールドコンバット初代集めゲー理論。
レトロゲーム万里を往く その47 テトリス
テトリスと、落ち物パズルゲームがゲームに与えた意味、みたいな話。
テトリス程「突然変異」という言葉がふさわしいゲームもそうそうないと個人的には思う。
レトロゲーム万里を往く その48 パックランド
アクションゲームにおける「ジャンプ」に新しいアイディアを導入したゲーム、として捉えるべきだと思うんだ。
ジャンプ台ジャンプの気持ちよさは異常だと思うし、パック夫人の出産シーンはマジ謎。
レトロゲーム万里を往く その49 ツインビー
ベルによるパワーアップシステムは本当に気持ちよかった。赤ベルではない、点滅ベル+白ベルこそ漢の装備だ!(そして4面で死ぬ)
レトロゲーム万里を往く その50 源平討魔伝
レトロゲーム万里を往く その51 源平討魔伝(FC版)
源平二連殺。源平は、ファミコン版にしろAC版にしろ、色んな意味で「一筋縄ではいかないゲーム」だと思う。このゲームをナムコが出した、ということにこそ注目するべきだ。
レトロゲーム万里を往く その52 「ジーザス」とAVGの履歴書
私はジーザスを「メタルスレイダーグローリーの前身」として捉えていて、もうちょっとそういう文脈で書いても良かったかなーと思っている。
ゲームとしては、音楽に合わせた緊迫感の演出が白眉だったと思う。
レトロゲーム万里を往く その53 ジョイメカファイト
1993年って、考えてみるとスーファミが出てからももう3年経っているわけで、よくこんな時期にこんなソフトファミコンで開発出来たなあ、とちょっと思った。
レトロゲーム万里を往く その54 ファンタジーゾーン
1面のBGMは、色んなシューティングの中でもかなりトップレベルに明るいBGMだと思う。
慣性というのはご愛嬌ということで。ゲームとしては、「基地」の存在あってのゲーム性なんじゃないかなーと思った。
レトロゲーム万里を往く その55 メタルスレイダーグローリー
これもある意味伝説のゲームだと思う。当時、説明書に付属の漫画がやたらハイクオリティで戦慄した記憶がある。
ストーリーというか、ゲーム的な盛り上がりもちゃんといい感じだった。終盤の宇宙戦の展開は燃える。
レトロゲーム万里を往く その56 ファイナルファンタジーIII
最近知人がFF3を始めて、グッコーにどうしても勝てないというので良く聞いてみると、ネプト神殿のまま黒黒赤白のパーティでやっていることがわかった。むしろよくオーエンの塔クリア出来たな。
「悠久の風」は出色だと思います。
レトロゲーム万里を往く その57 グラディウス
偉大なゲームであることは議論を俟たない。
ゲームとしては、最大の要素はオプション以上に「地形」だったんじゃないかなあ、と今になって思う。
レトロゲーム万里を往く その58 アフターバーナーII
改めてみると、「大型筐体」について書いたのってこれが初めてだな。
大型筐体話はいろいろストックがあるので、また書きたい。
レトロゲーム万里を往く その59 ワルキューレの冒険 時の鍵伝説
いや、皆さんクジラに言いたいことがあるのは重々承知ですが、やはり個人的にはワルキューレのポイントは操作感だと思うのですよ。あの「ぎゅわっ」って感じの。
音楽が好き、という点ではナムコゲーの中でもトップクラスかも。
レトロゲーム万里を往く その60 奇々怪界
奇々怪界2どこいってしもうたんや…。
効果音もさることながら、お祓い棒で敵をべきべきなぎ倒す感覚についての記憶が濃い。アレは気持ちいいですよね。あと小夜ちゃんが可愛い。
レトロゲーム万里を往く その61 「映画を目指した」ゲームの災厄
これずーっと同じこと言い続けてる気がする。
言いたいことは「わざわざ映画を指向する必要ないんじゃね?」という一点であり、別にストーリーやグラフィカルな演出が必要ない、ということではない。
レトロゲーム万里を往く その62 格ゲー「衰退」を考える。
これはコネタというか。衰退とか繁栄というのも、正直1ジャンルだけとって語るようなことなのか?というのは思う。STGについても同じ。
レトロゲーム万里を往く その63 入出力オデッセイ
コネタが続く。入出力機器についての色々、というのは一度書いてみたかった。内容自体はいい加減だけど気にしない。
レトロゲーム万里を往く その64 バブルボブル
「固定画面アクションゲーム」というジャンルは、この時期に完成されてしまったと思う。
バブルボブルが名作中の名作であるということは議論を俟たないだろう。バブルの万能性には当時感動したものだった。
レトロゲーム万里を往く その65 あるゲーセンの記憶
あるゲーセンについての、ごく個人的な追憶。
キャビンのことは今でもたまに思い出す。
レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。
どうも、セクロスを性行為の隠語として使う風潮に対抗する会会長です。
関係ないが、エキサイトバイクが弾を撃つとこんな感じにはなると思う。
レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
それゆけ。
ファミコンという土俵で、このゲーム以上に対戦に向いているゲームって、そんなに数多くはないと思う。パーティゲームとしては大御所といっていいのじゃないだろうか。
返す返すもテクノスジャパンは惜しいメーカーだった。
レトロゲーム万里を往く その68 シリーズものゲームの「追加」「複雑化」を科学する。
シリーズを経るごとにゲームは複雑化してしまう、という宿命について。
最近、また別の解法があるような気がしてきたので改めて書くかも。
レトロゲーム万里を往く その69 サラダの国のトマト姫と、ハドソン帝国の盛衰
私が考える「ハドソン三巨頭」最後の一柱。ファミコン版サラトマは、結構冗談ごとじゃなく名作だったと思う。音楽も素晴らしかった。
テキストの語り口がなんといっても素敵でしたよね。
レトロゲーム万里を往く その70 レトロゲームが俺達に教えてくれたこと。
レトロゲーム万里を往く その71 俺達がレトロゲームから間違って教わったこと
小ネタ二連撃。
関係ないが、ぺんぎんくんWarsのビーバーの強さは異常だった。
レトロゲーム万里を往く その72 SDガンダム ガチャポン戦士2 カプセル戦記
バンダイFCゲーの最高傑作だと思う。
SDガンダムXは、まさにカプセル戦記の正当進化って感じでとても面白かった。CPUの思考ルーチンはちょっとアレだったが。
レトロゲーム万里を往く その73 マッピー
トランポリンの「ぽいーん」という音!跳ねる操作感!ナムコアクションの真髄がここにある!
マッピーキッズの女尊男卑っぷりはちょっとどうかと思ったが、まあ。それはそれ。
レトロゲーム万里を往く その74 「失望」のゲームデザイン
ゲームにおいて、どう「失望」をデザインするか?というのは、結構重要なテーマだと思う。
個人的には、失望が存在しないゲームにはあまり魅力を感じない。
レトロゲーム万里を往く その75 ファイアーエムブレム
多分、家庭用ゲームにおいては、キャラクター系シミュレーションRPGの草分けといっていいんじゃないだろうか。色々ネタが多いゲームでもあり、紋章の謎についてもまた書きたい。
撃墜王の一夜
その76なんてなかったんや。
レトロゲーム万里を往く その77 ザナック
凄まじいゲーム、の一言で済ませられると思うし、ディスク片面でこのゲームが作れたという事実は今でも信じられない。
新機軸詰め込みまくりなのにちゃんと面白い、ということに最も驚くべきなのかも知れない。
レトロゲーム万里を往くその78 ゲームにおける、「振り出しに戻る」の重要性。
「ゲームオーバー」について何か書いてみたい、と思った記憶がある。79も同じ。
レトロゲーム万里を往く その79 バトルシティーと、「敗北条件」。
このゲームも相当やり込んだ。アイテムのパワーアップが、どれ一つとってもゲームから浮いていないあたりにナムコの凄みを感じる。
レトロゲーム万里を往く その80 メタルマックス
レトロゲーム万里を往く その81 メタルマックス2
3が出て、しかも3がちゃんと「1」「2」「リターンズ」の続編で本当によかった。
ゲームとしては、「戦車の為に他の全てがある」という一言で表現出来ると思う。大味なようで計算されたゲームバランスも素晴らしい。
レトロゲーム万里を往く その82 桃太郎電鉄
「別れた彼女とやり掛けのデータが入ったままの桃鉄」が痛いアイテムであること、以外に実はポイントがない。
2以降もいいが、実は初代桃鉄も結構好き。
レトロゲーム万里を往く その83 レイストーム
このゲームの最終面のBGMは本当に衝撃的だった。
爽快感と美しさを兼ね備えた稀有な縦シュー、だと思っている。
レトロゲーム万里を往く その84 大航海時代
レトロゲーム万里を往く その87 大航海時代II
はやくアテネとイスタンブールを往復する作業に戻るんだっ。
なんだかんだいって、「交易が一番楽しい」というのはそうなのかも知れない。なにはともあれBGMが素晴らしい。
レトロゲーム万里を往く その85 アルゴスの戦士
業務用と似ても似つかないシリーズ。とはいえ源平には負けるか。
アクションゲームにRPG要素を取り入れました、というゲームはこの時期本当に大きかったと思う。また書く。
レトロゲーム万里を往く その86 キャラゲーのダメ率は本当に高いのか。
まあ確かに、アレなゲームは正直多かったとは思いますが。けど印象度の差、というのは大きいと思う。
レトロゲーム万里を往く その88 スターフォース
テーカンの元々の意図はどこにあったのか、ということをおくとしても、やっぱりスターフォースの象徴は連射だと思う。
キャラバンは遠くなった。
レトロゲーム万里を往く その89 ファミコン業界・長い長いタイトル群の夕べ。
小ネタ。平仮名がゲシュタルト崩壊を起こして困った。
レトロゲーム万里を往く その90 ルーラとはなんだったのだろうか。
同じく小ネタ。「世界を広げる為のエクスキューズ」というものは、現在でも色んなRPGで見られると思う。また書くかも知れない。
レトロゲーム万里を往く その91 キン肉マン マッスルタッグマッチ
「キャラ差」というものが導入された元祖だと思う。
ブロッケンJr?ああ使うといいさ。といってウォーズマンを選択するのがこのゲーム最大の性格悪い瞬間。
レトロゲーム万里を往く その92 ナッツ&ミルク
ハドソンのファミコン参入作品、という一点においても無視出来るタイトルではない。
うまく2スペースを飛び越えられたときの快感は印象深い。
レトロゲーム万里を往く その93 「勝利条件・敗北条件」についての一考察。
バトルシティの続き。敗北条件について書きたいことは、多分大体書いたと思う。
レトロゲーム万里を往く その94 半熟英雄
SFC版が一番完成されていたとは思うが、初代の味も好きだった。
というか、この頃主人公のバカ殿ぶりってあんまり強調されてなかったのになんでSFCはあんなことになってもうたん。
レトロゲーム万里を往く その95 冷気系や地震系の呪文のダメージは何故分かりにくいのか。
ヒャドって一体なんなんだよ、というところが端緒。普遍的な問題だと思う。
レトロゲーム万里を往く その96 エキサイトバイク
エンディングまで轢くんじゃない。
レトロゲーム万里を往く その97 高機動戦闘メカ ヴォルガードII
普通に面白い佳作シューティングだったと思うんだが、ここでもやはりBGMに歌がついていたというのが妙な印象になってしまっていてぐるるるる。
「体当たり」が基本テクニックの一貫、というのは画期的だったと思う。何か類似のゲームあったっけな。
レトロゲーム万里を往く その98 ロイヤルブラッド
オープニングのBGMは本当に素晴らしい。ファミコン版とSFC版でテンポが違うのが妙に気になるゲーム。それ以外はSFCのBGMもどれもいいんだけど。
そういえば、三國志も大航海時代も書いたのに何故かまだ信長書いてないな。その内書く。
レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと
夢を見ることは忘れないでいたい。今までも、これからも。
と、長々と書いた。
今後とも「万里を往く」はメインカテゴリとして書き続けたいと思っているので、皆さん今後とも適当によろしくお願い致します。
レトロゲーム万里を往く その35 〜ダライアス外伝〜
間違いなく私が人生で一番遊んだであろうゲームであり、「自分にとっての最高のゲーム」を一本挙げるとしたら躊躇いなくこれを選ぶ。無人島に持っていくだと?コンパネとモニターと電源はあるんだろうな電源はァ。
陸シャコが萌えキャラであることには議論の余地がない。
レトロゲーム万里を往く その36 〜ハイドライドスペシャル〜
今でも音を脳内再生しつつ脳内プレイ出来る。アクションRPGの草分けの一角であることは間違いないだろう。
クイックロードは、本当に時代を数年先取りしていたと思う。
レトロゲーム万里を往く その37 〜コナミとペンギン達の足跡〜
コナミについてのちょっとしたお話。けっきょく南極大冒険の主人公は多分ペンタロウXの若い頃とかそういうペンギンだと思う。
レトロゲーム万里を往く その38 〜ファミコンジャンプ 英雄列伝〜
「オールスターキャラゲー」の草分けだと思うんだ。そういう意味ではマブカプみたいなお祭り格ゲーの遠い前身ともいえるのではないだろうか。
最強のヘルナンデス君が見られるゲーム、という点については議論の余地がないと思う。
レトロゲーム万里を往く その39 〜R-TYPE〜
アイレムが「自機 + α」というゲームデザインに優れていたのはなんでだろう、とか思った(ガンホーキとかイメファイとか)。R-TYPEは大好きだけど高次面復活とか出来る気が全くしません。
レトロゲーム万里を往く その40 〜スペースインベーダー〜
タイトーよ永遠に。これ書いた時は結構本腰入れて落ち込んだ記憶があるけれど、その後もダライアスバーストが出てくれた。本当に嬉しかった。
レトロゲーム万里を往く その41 〜ゼルダの伝説〜
偉大なるディスクシステム初代。同発タイトルでハイクオリティなゲームを出してくる、という任天堂の伝統の発祥かも知れない。
結局、このゲームを超えたディスクシステムのタイトルってあるんだろうか。
レトロゲーム万里を往く その42 〜リンクの冒険〜
レベルアップのシステムさえなんとかなれば!このゲームのレベルアップのシステムだけは、無条件でダメシステムと断言してしまっていいと思う。なんでああいう実装されたんだろう。
ゲームとしては大好き。青フォッカーがガチなのも当初から変わらない。
レトロゲーム万里を往く その43 〜Wizardry伝説・序文〜
レトロゲーム万里を往く その44 〜Wizardry〜
レトロゲーム万里を往く その46 WizardryIII
これこそ「伝説のゲーム」と呼ぶにふさわしい。とはいえ、ファミコン版Wizardryに関しては遠藤雅伸氏の手腕による隆盛が極めて大きいと思う。数あるアレンジ移植の中でも、「最適化」という点ではトップクラスなんじゃないだろうか。
マーフィーズゴーストさんをいじめないであげて!あ、グレーターデーモンは別にいいわ。
レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論
「集めゲー」「育てゲー」もすっかりメジャーになったなあ、という視点でMMORPGを見るのは何か間違っている気がする。
フィールドコンバット初代集めゲー理論。
レトロゲーム万里を往く その47 テトリス
テトリスと、落ち物パズルゲームがゲームに与えた意味、みたいな話。
テトリス程「突然変異」という言葉がふさわしいゲームもそうそうないと個人的には思う。
レトロゲーム万里を往く その48 パックランド
アクションゲームにおける「ジャンプ」に新しいアイディアを導入したゲーム、として捉えるべきだと思うんだ。
ジャンプ台ジャンプの気持ちよさは異常だと思うし、パック夫人の出産シーンはマジ謎。
レトロゲーム万里を往く その49 ツインビー
ベルによるパワーアップシステムは本当に気持ちよかった。赤ベルではない、点滅ベル+白ベルこそ漢の装備だ!(そして4面で死ぬ)
レトロゲーム万里を往く その50 源平討魔伝
レトロゲーム万里を往く その51 源平討魔伝(FC版)
源平二連殺。源平は、ファミコン版にしろAC版にしろ、色んな意味で「一筋縄ではいかないゲーム」だと思う。このゲームをナムコが出した、ということにこそ注目するべきだ。
レトロゲーム万里を往く その52 「ジーザス」とAVGの履歴書
私はジーザスを「メタルスレイダーグローリーの前身」として捉えていて、もうちょっとそういう文脈で書いても良かったかなーと思っている。
ゲームとしては、音楽に合わせた緊迫感の演出が白眉だったと思う。
レトロゲーム万里を往く その53 ジョイメカファイト
1993年って、考えてみるとスーファミが出てからももう3年経っているわけで、よくこんな時期にこんなソフトファミコンで開発出来たなあ、とちょっと思った。
レトロゲーム万里を往く その54 ファンタジーゾーン
1面のBGMは、色んなシューティングの中でもかなりトップレベルに明るいBGMだと思う。
慣性というのはご愛嬌ということで。ゲームとしては、「基地」の存在あってのゲーム性なんじゃないかなーと思った。
レトロゲーム万里を往く その55 メタルスレイダーグローリー
これもある意味伝説のゲームだと思う。当時、説明書に付属の漫画がやたらハイクオリティで戦慄した記憶がある。
ストーリーというか、ゲーム的な盛り上がりもちゃんといい感じだった。終盤の宇宙戦の展開は燃える。
レトロゲーム万里を往く その56 ファイナルファンタジーIII
最近知人がFF3を始めて、グッコーにどうしても勝てないというので良く聞いてみると、ネプト神殿のまま黒黒赤白のパーティでやっていることがわかった。むしろよくオーエンの塔クリア出来たな。
「悠久の風」は出色だと思います。
レトロゲーム万里を往く その57 グラディウス
偉大なゲームであることは議論を俟たない。
ゲームとしては、最大の要素はオプション以上に「地形」だったんじゃないかなあ、と今になって思う。
レトロゲーム万里を往く その58 アフターバーナーII
改めてみると、「大型筐体」について書いたのってこれが初めてだな。
大型筐体話はいろいろストックがあるので、また書きたい。
レトロゲーム万里を往く その59 ワルキューレの冒険 時の鍵伝説
いや、皆さんクジラに言いたいことがあるのは重々承知ですが、やはり個人的にはワルキューレのポイントは操作感だと思うのですよ。あの「ぎゅわっ」って感じの。
音楽が好き、という点ではナムコゲーの中でもトップクラスかも。
レトロゲーム万里を往く その60 奇々怪界
奇々怪界2どこいってしもうたんや…。
効果音もさることながら、お祓い棒で敵をべきべきなぎ倒す感覚についての記憶が濃い。アレは気持ちいいですよね。あと小夜ちゃんが可愛い。
レトロゲーム万里を往く その61 「映画を目指した」ゲームの災厄
これずーっと同じこと言い続けてる気がする。
言いたいことは「わざわざ映画を指向する必要ないんじゃね?」という一点であり、別にストーリーやグラフィカルな演出が必要ない、ということではない。
レトロゲーム万里を往く その62 格ゲー「衰退」を考える。
これはコネタというか。衰退とか繁栄というのも、正直1ジャンルだけとって語るようなことなのか?というのは思う。STGについても同じ。
レトロゲーム万里を往く その63 入出力オデッセイ
コネタが続く。入出力機器についての色々、というのは一度書いてみたかった。内容自体はいい加減だけど気にしない。
レトロゲーム万里を往く その64 バブルボブル
「固定画面アクションゲーム」というジャンルは、この時期に完成されてしまったと思う。
バブルボブルが名作中の名作であるということは議論を俟たないだろう。バブルの万能性には当時感動したものだった。
レトロゲーム万里を往く その65 あるゲーセンの記憶
あるゲーセンについての、ごく個人的な追憶。
キャビンのことは今でもたまに思い出す。
レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。
どうも、セクロスを性行為の隠語として使う風潮に対抗する会会長です。
関係ないが、エキサイトバイクが弾を撃つとこんな感じにはなると思う。
レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会
それゆけ。
ファミコンという土俵で、このゲーム以上に対戦に向いているゲームって、そんなに数多くはないと思う。パーティゲームとしては大御所といっていいのじゃないだろうか。
返す返すもテクノスジャパンは惜しいメーカーだった。
レトロゲーム万里を往く その68 シリーズものゲームの「追加」「複雑化」を科学する。
シリーズを経るごとにゲームは複雑化してしまう、という宿命について。
最近、また別の解法があるような気がしてきたので改めて書くかも。
レトロゲーム万里を往く その69 サラダの国のトマト姫と、ハドソン帝国の盛衰
私が考える「ハドソン三巨頭」最後の一柱。ファミコン版サラトマは、結構冗談ごとじゃなく名作だったと思う。音楽も素晴らしかった。
テキストの語り口がなんといっても素敵でしたよね。
レトロゲーム万里を往く その70 レトロゲームが俺達に教えてくれたこと。
レトロゲーム万里を往く その71 俺達がレトロゲームから間違って教わったこと
小ネタ二連撃。
関係ないが、ぺんぎんくんWarsのビーバーの強さは異常だった。
レトロゲーム万里を往く その72 SDガンダム ガチャポン戦士2 カプセル戦記
バンダイFCゲーの最高傑作だと思う。
SDガンダムXは、まさにカプセル戦記の正当進化って感じでとても面白かった。CPUの思考ルーチンはちょっとアレだったが。
レトロゲーム万里を往く その73 マッピー
トランポリンの「ぽいーん」という音!跳ねる操作感!ナムコアクションの真髄がここにある!
マッピーキッズの女尊男卑っぷりはちょっとどうかと思ったが、まあ。それはそれ。
レトロゲーム万里を往く その74 「失望」のゲームデザイン
ゲームにおいて、どう「失望」をデザインするか?というのは、結構重要なテーマだと思う。
個人的には、失望が存在しないゲームにはあまり魅力を感じない。
レトロゲーム万里を往く その75 ファイアーエムブレム
多分、家庭用ゲームにおいては、キャラクター系シミュレーションRPGの草分けといっていいんじゃないだろうか。色々ネタが多いゲームでもあり、紋章の謎についてもまた書きたい。
撃墜王の一夜
その76なんてなかったんや。
レトロゲーム万里を往く その77 ザナック
凄まじいゲーム、の一言で済ませられると思うし、ディスク片面でこのゲームが作れたという事実は今でも信じられない。
新機軸詰め込みまくりなのにちゃんと面白い、ということに最も驚くべきなのかも知れない。
レトロゲーム万里を往くその78 ゲームにおける、「振り出しに戻る」の重要性。
「ゲームオーバー」について何か書いてみたい、と思った記憶がある。79も同じ。
レトロゲーム万里を往く その79 バトルシティーと、「敗北条件」。
このゲームも相当やり込んだ。アイテムのパワーアップが、どれ一つとってもゲームから浮いていないあたりにナムコの凄みを感じる。
レトロゲーム万里を往く その80 メタルマックス
レトロゲーム万里を往く その81 メタルマックス2
3が出て、しかも3がちゃんと「1」「2」「リターンズ」の続編で本当によかった。
ゲームとしては、「戦車の為に他の全てがある」という一言で表現出来ると思う。大味なようで計算されたゲームバランスも素晴らしい。
レトロゲーム万里を往く その82 桃太郎電鉄
「別れた彼女とやり掛けのデータが入ったままの桃鉄」が痛いアイテムであること、以外に実はポイントがない。
2以降もいいが、実は初代桃鉄も結構好き。
レトロゲーム万里を往く その83 レイストーム
このゲームの最終面のBGMは本当に衝撃的だった。
爽快感と美しさを兼ね備えた稀有な縦シュー、だと思っている。
レトロゲーム万里を往く その84 大航海時代
レトロゲーム万里を往く その87 大航海時代II
はやくアテネとイスタンブールを往復する作業に戻るんだっ。
なんだかんだいって、「交易が一番楽しい」というのはそうなのかも知れない。なにはともあれBGMが素晴らしい。
レトロゲーム万里を往く その85 アルゴスの戦士
業務用と似ても似つかないシリーズ。とはいえ源平には負けるか。
アクションゲームにRPG要素を取り入れました、というゲームはこの時期本当に大きかったと思う。また書く。
レトロゲーム万里を往く その86 キャラゲーのダメ率は本当に高いのか。
まあ確かに、アレなゲームは正直多かったとは思いますが。けど印象度の差、というのは大きいと思う。
レトロゲーム万里を往く その88 スターフォース
テーカンの元々の意図はどこにあったのか、ということをおくとしても、やっぱりスターフォースの象徴は連射だと思う。
キャラバンは遠くなった。
レトロゲーム万里を往く その89 ファミコン業界・長い長いタイトル群の夕べ。
小ネタ。平仮名がゲシュタルト崩壊を起こして困った。
レトロゲーム万里を往く その90 ルーラとはなんだったのだろうか。
同じく小ネタ。「世界を広げる為のエクスキューズ」というものは、現在でも色んなRPGで見られると思う。また書くかも知れない。
レトロゲーム万里を往く その91 キン肉マン マッスルタッグマッチ
「キャラ差」というものが導入された元祖だと思う。
ブロッケンJr?ああ使うといいさ。といってウォーズマンを選択するのがこのゲーム最大の性格悪い瞬間。
レトロゲーム万里を往く その92 ナッツ&ミルク
ハドソンのファミコン参入作品、という一点においても無視出来るタイトルではない。
うまく2スペースを飛び越えられたときの快感は印象深い。
レトロゲーム万里を往く その93 「勝利条件・敗北条件」についての一考察。
バトルシティの続き。敗北条件について書きたいことは、多分大体書いたと思う。
レトロゲーム万里を往く その94 半熟英雄
SFC版が一番完成されていたとは思うが、初代の味も好きだった。
というか、この頃主人公のバカ殿ぶりってあんまり強調されてなかったのになんでSFCはあんなことになってもうたん。
レトロゲーム万里を往く その95 冷気系や地震系の呪文のダメージは何故分かりにくいのか。
ヒャドって一体なんなんだよ、というところが端緒。普遍的な問題だと思う。
レトロゲーム万里を往く その96 エキサイトバイク
エンディングまで轢くんじゃない。
レトロゲーム万里を往く その97 高機動戦闘メカ ヴォルガードII
普通に面白い佳作シューティングだったと思うんだが、ここでもやはりBGMに歌がついていたというのが妙な印象になってしまっていてぐるるるる。
「体当たり」が基本テクニックの一貫、というのは画期的だったと思う。何か類似のゲームあったっけな。
レトロゲーム万里を往く その98 ロイヤルブラッド
オープニングのBGMは本当に素晴らしい。ファミコン版とSFC版でテンポが違うのが妙に気になるゲーム。それ以外はSFCのBGMもどれもいいんだけど。
そういえば、三國志も大航海時代も書いたのに何故かまだ信長書いてないな。その内書く。
レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと
夢を見ることは忘れないでいたい。今までも、これからも。
と、長々と書いた。
今後とも「万里を往く」はメインカテゴリとして書き続けたいと思っているので、皆さん今後とも適当によろしくお願い致します。
2011年02月17日
レトロゲーム万里を往く その100 万里の道を半ば過ぎて。
100個書いた。
ご存知ない方も多いのではないかと思うのだが、不倒城はレトロゲームブログである。レトロゲームをネタにして、私が書きたいことだけをあーだこーだ書き連ねることがこのブログの目的だ。
ブログを始めたのが2004年の11月なので、大体六年と三ヶ月経過したことになる。その間に、レトロゲームカテゴリーの記事は110記事、メインコンテンツと考えている「レトロゲーム万里を往く」は99記事書いた。大体1年に16記事くらい書いている見当である。
まあメインコンテンツと言っても、どういう訳かブログ全体のPVから考えるとニッチ記事中のニッチ記事な訳であり、基本的に自己満足コンテンツなレトロゲームカテゴリーな訳だが、自己満足は他者を満足させる為の入り口である。自分も満足させられない者が人を満足させられる道理があろうか。
ということで、100記事を一つの節目ということにして、自己満足の延長として今までうだうだと書いた内容を振り返ってみたいと思う。羞恥プレイの一貫である。
呆れる程長くなると思うのでお暇な時にどうぞ。はじめの方、なんか変なリンクがたくさんついちゃってるけど無視してください。
続きを読む
ご存知ない方も多いのではないかと思うのだが、不倒城はレトロゲームブログである。レトロゲームをネタにして、私が書きたいことだけをあーだこーだ書き連ねることがこのブログの目的だ。
ブログを始めたのが2004年の11月なので、大体六年と三ヶ月経過したことになる。その間に、レトロゲームカテゴリーの記事は110記事、メインコンテンツと考えている「レトロゲーム万里を往く」は99記事書いた。大体1年に16記事くらい書いている見当である。
まあメインコンテンツと言っても、どういう訳かブログ全体のPVから考えるとニッチ記事中のニッチ記事な訳であり、基本的に自己満足コンテンツなレトロゲームカテゴリーな訳だが、自己満足は他者を満足させる為の入り口である。自分も満足させられない者が人を満足させられる道理があろうか。
ということで、100記事を一つの節目ということにして、自己満足の延長として今までうだうだと書いた内容を振り返ってみたいと思う。羞恥プレイの一貫である。
呆れる程長くなると思うのでお暇な時にどうぞ。はじめの方、なんか変なリンクがたくさんついちゃってるけど無視してください。
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2011年02月03日
レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと
島国大和さんの記事を読んで、特に下の文章が心に残った。
先に断っておくが、私が考えたことは飽くまで上の文章のみに反応したことなので、島国大和さんが記事全体で言いたかった内容への反応にはなっていないと思う。全然別のテーマのお話ととって頂けると幸いである。
多分なのだが、かつてファミコンで遊んだ人達は、「将来のゲーム」に色んなことを夢見たと思う。そして、そういう色んな夢が叶えられてゲームはここまで来た、という実感は、私の中には確かにある。
夢が現実になって、色々なゲームが生まれて。で、現実になったからには現実として受け取る必要があって、そういうところで歪みが出てしまったものも多分あるのだろう。
以下、ちょっと雑然と書く。
ちょっと前、昔ファミマガで連載されていた「ディスくん」の漫画で、「2010年のゲーム」を1990年に語っているものが、一部で話題になったことがあった。挙がっているページがあったのでリンクしてみる。
近未来のゲームを予想するっ!!
ちなみに、上記の抽出からは、何故か結構重要なページが二枚抜けている。Togetterでまとめてアップして頂いているのを見かけたので、そちらもリンクしてみる。
【ファミマガ】ディスくんのまんがトピックス
4ページ目
5ページ目
上の漫画は、多分当時のファミコン少年が見ていた「夢」の、一つの形ではあったと思う。こういう夢も当時あった、という話だ。
・映画並みの綺麗な音、映像
・ワイヤレスコントローラー
・カラーの携帯機、ソフトは据え置き機のものがそのまま使える、テレビも見られる、ワイヤレス対戦
・画面に合わせて床が稼動するファミリートレーナー
・ゲームキャラと同じ動作をするコントローラー
・立体視出来るグラフィック
・実際に乗り込んで上下左右に動く筐体
・架空の世界に住む人達を、実際に通信回線でプレイヤーが演じるゲーム
・通信回線で色んな人と遊ぶRPG
・オンラインカジノ
こうしてみると、全く描写通りではないにせよ、殆どの「夢」が色んな形で実現していることが分かる。
セカンドライフやMMORPGはもうそのまんまだし、乗り込んだ筐体がぐいんぐいん動くR360は90年の段階で既に実現している。プレステのゲームをダウンロードして遊べるPSPにはワイヤレスLANが標準装備だ。
近年、もっと具体的な形で叶った「夢」もある。ゲームキャラと同じ動作で画面を操るキネクトだとか。立体視が出来る3DSだとか。
ファミコンの話をすれば、当時「もっとリアルなグラフィックで遊びたい」と思ったファミコン小僧は、特にキャラゲー回りに山のようにいたと思う。それは例えばバンダイのドラゴンボールや聖闘士星矢を遊んだ人や、一部の漫画をネタにしたアドベンチャーゲームを遊んだ人。RPG好きにだって、シューターにだって、アクションゲーマーにだってそういう夢はあった。
「ゲーセンのゲームを自宅でも遊びたい」という夢を見ていた人もたくさんいただろう。ゼビウスのアンドアジェネシスやナスカの地上絵をモニターに捜し求めた人から、FC版源平でボードゲームに衝撃を受けた人もいたかも知れない。PC版くらいの高解像度で信長や三國志を遊びたい、という人だって当然いた筈だ。
些細なことでいえば「ちらちらしない画面でシューティングを遊びたい」というのだって夢だった筈だし、「ヘクスを使った本格的なウォーシミュレーションが遊びたい」という夢や、「もっと大きなキャラを動かすイーアルカンフーが遊びたい」という夢も多分あっただろう。
「コクピットに乗って自分でロボットを動かすゲーム」「箱庭を作ってその中で色々といじるゲーム」「実際にペットを飼って餌をやったり散歩に連れていったりするゲーム」全て、昔どこかで聞いた覚えがある夢だ。
たくさんの夢が叶った。私は、夢が叶うところを、それこそ眼前で山のように見てきた。
夢が現実になるのは、布団から出て寒空に外出するのにも似て、ちょっと寂しいことでもあるけれど、それでも多分幸福なことだったのだろう。少なくとも私自身は、「こんなゲームが遊びたかった!」という戦慄を何度も味わったし、このゲームすげえ、ゲーム好きでよかった、という思いを何度もさせてもらった。
多分大事なことは、「次はどんな夢を見るか」ということなんだろうなあ、と思う。世界は多分、夢を見た人が、その夢に向かって転がしていく。夢はたくさんあればたくさんある程いい、と思う。
昔夢を見ていた人は、今はもうゲームに対して新しい夢を見ていないかも知れないけれど。今でも新しい夢がどこかで生まれて、それが叶う日があることを心から願う。
振り返りたい。で、色々考えた。
俺たちは、FCのしょっぺー画面のゲームを見ながら何を夢想していたか。
ゲームがどうなる事を希望していたか。それは達成されたのか。
先に断っておくが、私が考えたことは飽くまで上の文章のみに反応したことなので、島国大和さんが記事全体で言いたかった内容への反応にはなっていないと思う。全然別のテーマのお話ととって頂けると幸いである。
多分なのだが、かつてファミコンで遊んだ人達は、「将来のゲーム」に色んなことを夢見たと思う。そして、そういう色んな夢が叶えられてゲームはここまで来た、という実感は、私の中には確かにある。
夢が現実になって、色々なゲームが生まれて。で、現実になったからには現実として受け取る必要があって、そういうところで歪みが出てしまったものも多分あるのだろう。
以下、ちょっと雑然と書く。
ちょっと前、昔ファミマガで連載されていた「ディスくん」の漫画で、「2010年のゲーム」を1990年に語っているものが、一部で話題になったことがあった。挙がっているページがあったのでリンクしてみる。
近未来のゲームを予想するっ!!
ちなみに、上記の抽出からは、何故か結構重要なページが二枚抜けている。Togetterでまとめてアップして頂いているのを見かけたので、そちらもリンクしてみる。
【ファミマガ】ディスくんのまんがトピックス
4ページ目
5ページ目
上の漫画は、多分当時のファミコン少年が見ていた「夢」の、一つの形ではあったと思う。こういう夢も当時あった、という話だ。
・映画並みの綺麗な音、映像
・ワイヤレスコントローラー
・カラーの携帯機、ソフトは据え置き機のものがそのまま使える、テレビも見られる、ワイヤレス対戦
・画面に合わせて床が稼動するファミリートレーナー
・ゲームキャラと同じ動作をするコントローラー
・立体視出来るグラフィック
・実際に乗り込んで上下左右に動く筐体
・架空の世界に住む人達を、実際に通信回線でプレイヤーが演じるゲーム
・通信回線で色んな人と遊ぶRPG
・オンラインカジノ
こうしてみると、全く描写通りではないにせよ、殆どの「夢」が色んな形で実現していることが分かる。
セカンドライフやMMORPGはもうそのまんまだし、乗り込んだ筐体がぐいんぐいん動くR360は90年の段階で既に実現している。プレステのゲームをダウンロードして遊べるPSPにはワイヤレスLANが標準装備だ。
近年、もっと具体的な形で叶った「夢」もある。ゲームキャラと同じ動作で画面を操るキネクトだとか。立体視が出来る3DSだとか。
ファミコンの話をすれば、当時「もっとリアルなグラフィックで遊びたい」と思ったファミコン小僧は、特にキャラゲー回りに山のようにいたと思う。それは例えばバンダイのドラゴンボールや聖闘士星矢を遊んだ人や、一部の漫画をネタにしたアドベンチャーゲームを遊んだ人。RPG好きにだって、シューターにだって、アクションゲーマーにだってそういう夢はあった。
「ゲーセンのゲームを自宅でも遊びたい」という夢を見ていた人もたくさんいただろう。ゼビウスのアンドアジェネシスやナスカの地上絵をモニターに捜し求めた人から、FC版源平でボードゲームに衝撃を受けた人もいたかも知れない。PC版くらいの高解像度で信長や三國志を遊びたい、という人だって当然いた筈だ。
些細なことでいえば「ちらちらしない画面でシューティングを遊びたい」というのだって夢だった筈だし、「ヘクスを使った本格的なウォーシミュレーションが遊びたい」という夢や、「もっと大きなキャラを動かすイーアルカンフーが遊びたい」という夢も多分あっただろう。
「コクピットに乗って自分でロボットを動かすゲーム」「箱庭を作ってその中で色々といじるゲーム」「実際にペットを飼って餌をやったり散歩に連れていったりするゲーム」全て、昔どこかで聞いた覚えがある夢だ。
たくさんの夢が叶った。私は、夢が叶うところを、それこそ眼前で山のように見てきた。
夢が現実になるのは、布団から出て寒空に外出するのにも似て、ちょっと寂しいことでもあるけれど、それでも多分幸福なことだったのだろう。少なくとも私自身は、「こんなゲームが遊びたかった!」という戦慄を何度も味わったし、このゲームすげえ、ゲーム好きでよかった、という思いを何度もさせてもらった。
多分大事なことは、「次はどんな夢を見るか」ということなんだろうなあ、と思う。世界は多分、夢を見た人が、その夢に向かって転がしていく。夢はたくさんあればたくさんある程いい、と思う。
昔夢を見ていた人は、今はもうゲームに対して新しい夢を見ていないかも知れないけれど。今でも新しい夢がどこかで生まれて、それが叶う日があることを心から願う。
2010年11月05日
レトロゲーム万里を往く その98 ロイヤルブラッド
初期光栄SLGの文法、みたいなものがあると思う。
今更いちいち言うまでもなく、今はコーエーであるところの光栄は、SLGのリーディングメーカーである。「三國志」や「信長の野望」のような歴史SLGを始め、特に80年代中期から90年代に至るまで、コンシューマーにおける「歴史シミュレーションゲーム」というシーンは光栄を中心に回っていた、というのは決して言い過ぎではないだろう。光栄のSLGを遊びたいが為に高いPCに手を出した人も、光栄のSLGをきっかけに歴史に興味を持ち出した人も、当時のゲーム好き青少年の中には山のようにいた筈だ。その傍らエロゲーの始祖を出していたりもしたが。
で、光栄の歴代SLGを見ていると、提督の決断やジンギスカン、ランペルールから項劉記に至るまで、殆どは現実の歴史や実際の文献を下敷きにしたものであって、架空の世界を舞台にしたものというのは殆どない。
おそらく1990年当時の光栄には、「客層を広げる」という意図は間違いなくあった筈だ。1980年代を通じて、史実を元にした戦略シミュレーションの客層は十分裾野を広げることが出来た。歴史もの好きなファン、割とガチなシミュレーション好きなファン、そういった客層の獲得については、十分な成果を挙げることが出来た。
で、これは単なる私の想像なのだが、「三國志や信長はあの路線でいいとして、新たなファン層を獲得する為にはどうすればいいか」という話が出た時、DQやFFが完全にメジャーシーンに立っていたあの時代に、「じゃあファンタジーRPGファンにアピールできる、シミュレーションとしてはライトなもの作ればいいんじゃね?」という意図の下、ロイヤルブラッドが作られたのではないかと、私はそんな風に思うわけである。
ロイヤルブラッド。ウォーシミュレーションゲーム。PC版を端緒に、1991年8月29日、光栄よりファミコン版発売。翌1992年にはメガドライブ、スーパーファミコンにも移植されている。光栄、あるいはシブサワコウ氏は、このゲームに「イマジネーションゲーム」というジャンル名を冠として持たせていた。
恐らく舞台となる「イシュメリア」のモデルは、サクソン人支配時代のイングランドの筈だ。ケルト神話のエッセンスを絡めつつ、そこに展開されているのはごくオーソドックスな「剣と魔法とモンスター」の世界観であり、ドラゴンも出ればワイバーンも出るオークも出る、魔法も飛ぶが弓や大砲も飛ぶ。素晴らしいBGMを背景にゲームを彩るのは、信長や三國志と同様多彩な武官・文官達だ。
ゲーム的には「ファンタジー世界を舞台にした三國志」と説明するのが一番てっとり早いだろう。とはいえ、この当時の三国志(89年にIIが出ている)や信長の野望(90年に武将風雲録が出ている)と比べても、そのゲーム性は相当シンプルであり、難易度的にもかなりライトであることから、「あまり戦略シミュレーションに慣れていないゲームファン」が対象であることを窺わせる。
先に参照URLをあげておこう。
WikipediaのURLはこちらになる。
Wikipedia:ロイヤルブラッド
ほぼそのまま説明書の内容が参照出来るページはこちら。グラフィックもある程度閲覧出来る。
げーむのせつめいしょ:ロイヤルブラッド
さて、ゲームの話をしよう。
・ファンタジー版「三國志」の出来栄えは?
SLGとしてのロイヤルブラッドの特徴は、幾つかの項目で言い表せると思う。
1.簡素化された戦略コマンドや武将のステータス
2.軍師にかわる、「相談役」の存在
3.ファンタジー色を前面に押し出されたストーリー・グッドイベント・バッドイベントの存在
4.難易度が低いとはいえ、部隊の向きや間接攻撃などを考慮にいれる必要のある戦争シーン
5.宝石魔術師や第五部隊の存在
順番に見ていってみよう。
まず、1、2の要素は分かりやすい「ライトユーザーの取り込み」を狙った要素だ。
ロイヤルブラッドのコマンドや武将のステータスは、同時期の「武将風雲録」や「三國志2」などに比べると随分と簡素化されている。武将の能力は、基本的には政治力、軍事力、魅力のみ。戦略コマンドは軍事、民政、対外の三つに大別されており、軍事は戦争や戦力調達、民政は開発や施しと、その内容も実に単純だ。数年前の初代三國志で、コマンドが15もの小グループに分かれていたことを考えると、UIは非常に整理されているといっていい。
そして、三國志や信長ではある程度能力が高い武将を配下にしないと得られなかった「助言役」が、ロイヤルブラッドではゲームスタート時から標準装備である。
この相談役も、「民政家の女性」「初老の軍人」「老人」「道化師」の4人から選べるのだが、それぞれ同じことを言うにも全然内容が違っていてなかなか面白い。軍人は二言目には「○○を攻めるは今ぞ!」とかけしかけてくるし、道化師は「面白い傭兵をやとって民に見せてあげましょう」などと何がなんだかよくわからないし、なかなかにバリエーション豊かだ。まあ大体においてゲームの展開には役立つ、チュートリアル的な助言を出してくれる。
上記のバリエーションに加えて、3、ストーリーの見せ方や導入にもひと工夫されている。
ゲーム開始時に使用君主を選ぶと、その君主と部下、宝石魔術師たちの会話の形で状況を教えてくれたりとか。武将のグラフィックもエランやレッドワルトのような美形あり、女性あり、ショタあり、おっさんありと非常にバリエーション豊かで、プレイヤーの引き込みに一役買ってくれる。「頭でっかち」とか「武力一辺倒」とか「魅力で勝負!」とか、さまざまなタイプの武将がいて、プレイヤーの収集欲を刺激するのも光栄戦略シミュレーションの伝統といえるだろう。
三國志や信長でいう「豊作」とか「水害」といったイベントについても、ロイヤルブラッドでは例えば「レプラコーン」が現れて金貨をくれたり、「エルフ」が現れて民の忠誠度を上げてくれたり、逆にピクシーがいたずらをして土地の価値を下げてしまったりと、随所随所にファンタジー色が強い演出が施されている。
基本的には、民政に力を入れれば入れるほどグッドイベントがべきべき起こって、ゲームがどんどん楽になるというバランスで、これも戦略ゲームに不慣れな初心者に「取り敢えず開墾・施ししておきな?」という基本を学ばせるのに役立っていると思う。
・戦場の華、「第五部隊」の活躍。
さて、ロイヤルブラッドのもう一つの側面、戦争と傭兵の存在についてだが。
ロイヤルブラッドは当然ウォーシミュレーションなので、戦争をする。内政で整えた物資を使って兵士を雇い、隣国に攻め込んだり攻め込まれたり迎撃をしたりする。この辺も、流れは三國志や信長と一緒だ。
とはいえロイヤルブラッドの戦闘は、やはり三國志や信長に比べると単純だ。火計もなければ天候も風向きもない。ただ、「兵力は4+1個の部隊に分けられ、それぞれが向きを持っている」「後ろから攻撃されるとダメージが大きい」「一部の部隊は間接攻撃が出来たり、柵を作れたりする」といった要素が、戦術ゲーとしては大きいだろう。
そんな中でも異彩を放っているのが、「第5部隊」の存在である。
このゲームでは、通常の兵力の他に、「傭兵」を雇って戦わせることが出来る。傭兵はスケルトンやオーク、ガーゴイルといった小粒なモンスターであったり、サラマンダーやワイバーンといった大型モンスターであったり、ランツクネヒツやパイクスのような傭兵部隊であったりする。そういった面子に加えて、ゲームの中心でもある「宝石魔術師」やラスボス的存在「王冠のドラゴン」といった部隊が猛威を振るう。こういった、「通常の兵力外」の連中が第五部隊におさまるわけであり、この第五部隊の使い方こそがゲーム攻略の鍵だ。
兵力自体が少ない時でも、ある程度お金と名声があり、領地に傭兵が駐留しているときなら、プレイヤーは傭兵を雇うことが出来る。あるいは、手元に宝石魔術師がいるなら、第五部隊として戦争に参加させることが出来る。彼らの能力は強力だ。単純に攻撃力が高いだけでなく、間接攻撃が出来るファハンやガンナー、サンダラスやミーティアといった連中なら、離れたところから瞬時に相手戦力を壊滅させることすら出来る。また、ハイランダースのような一部のユニットは、雇うのにかなりの名声が必要とはいえ、王冠ドラゴンすら圧倒するほどの戦力を有している。
こういった傭兵を手元において運用し、戦闘をうまい具合に運ぶのも、ウォーシミュレーションに入り始めたばかりのプレイヤーをSLGゲーマーに仕立て上げる役にたっていたといえるだろう。実際のところ戦闘バランス自体は割りとぬるいのだが、それでも強大な王の軍勢と戦うには一工夫が必要だった。この辺の奥深さは流石光栄というべきだろう。
・想像を絶する程の良BGM。
さて。なによりかにより、私の中のロイヤルブラッドといえば「凄まじい良BGM」がその最大の特色である。
ファミコン時代、初めてこのゲームを立ち上げた人は、その圧倒的なオープニングBGMの格好よさに度肝を抜かれたであろう。全体としての味付けは、一言でいってしまうと「神話風」ではないかと思う。
戦略画面のBGM、戦闘画面のBGM、パスハ出現のBGMからオープニング、エンディングにいたるまで、このゲームのBGMは頭の先から足爪の先まで全身くまなく一級品揃いであり、聴いていて飽きのくるBGMは一曲たりともない。サントラは三國志3とセットだが、CDを購入してでも一聴の価値がある、とここで断言してしまおう。特にオープニングは、途中で入るエフェクトが心底邪魔に感じられる程の名曲である。テンポだけから言えば私はファミコン版のオープニングが一番好きだ。
その他にも、季節ごとに変わる戦略画面のBGMやら、どことなく東洋を思わせる一部マップの戦闘BGMとか、どれをとっても聴き応え満点の名曲ばかりである。菅野よう子氏が手かげている大航海時代や一部信長の素晴らしいBGMと比べても遜色ない、と私はこのゲームのBGMを評価している。
ちなみに、ニコニコ動画のIDをお持ちであれば、以下のURLからファミコン版オープニングは視聴が可能である。よろしければ。
ロイヤルブラッド オープニング
と、長々と語ってきたが。実際のところ、このゲームでどれだけライトユーザーが増えたのかはいまひとつわからないが、ロイヤルブラッドが光栄の名作群の一角であることは間違いないだろう。今遊んでも遊び応えのある、ファンタジーSLGの佳作である。
取り敢えず今日はこの辺で。
今更いちいち言うまでもなく、今はコーエーであるところの光栄は、SLGのリーディングメーカーである。「三國志」や「信長の野望」のような歴史SLGを始め、特に80年代中期から90年代に至るまで、コンシューマーにおける「歴史シミュレーションゲーム」というシーンは光栄を中心に回っていた、というのは決して言い過ぎではないだろう。光栄のSLGを遊びたいが為に高いPCに手を出した人も、光栄のSLGをきっかけに歴史に興味を持ち出した人も、当時のゲーム好き青少年の中には山のようにいた筈だ。その傍らエロゲーの始祖を出していたりもしたが。
で、光栄の歴代SLGを見ていると、提督の決断やジンギスカン、ランペルールから項劉記に至るまで、殆どは現実の歴史や実際の文献を下敷きにしたものであって、架空の世界を舞台にしたものというのは殆どない。
おそらく1990年当時の光栄には、「客層を広げる」という意図は間違いなくあった筈だ。1980年代を通じて、史実を元にした戦略シミュレーションの客層は十分裾野を広げることが出来た。歴史もの好きなファン、割とガチなシミュレーション好きなファン、そういった客層の獲得については、十分な成果を挙げることが出来た。
で、これは単なる私の想像なのだが、「三國志や信長はあの路線でいいとして、新たなファン層を獲得する為にはどうすればいいか」という話が出た時、DQやFFが完全にメジャーシーンに立っていたあの時代に、「じゃあファンタジーRPGファンにアピールできる、シミュレーションとしてはライトなもの作ればいいんじゃね?」という意図の下、ロイヤルブラッドが作られたのではないかと、私はそんな風に思うわけである。
ロイヤルブラッド。ウォーシミュレーションゲーム。PC版を端緒に、1991年8月29日、光栄よりファミコン版発売。翌1992年にはメガドライブ、スーパーファミコンにも移植されている。光栄、あるいはシブサワコウ氏は、このゲームに「イマジネーションゲーム」というジャンル名を冠として持たせていた。
恐らく舞台となる「イシュメリア」のモデルは、サクソン人支配時代のイングランドの筈だ。ケルト神話のエッセンスを絡めつつ、そこに展開されているのはごくオーソドックスな「剣と魔法とモンスター」の世界観であり、ドラゴンも出ればワイバーンも出るオークも出る、魔法も飛ぶが弓や大砲も飛ぶ。素晴らしいBGMを背景にゲームを彩るのは、信長や三國志と同様多彩な武官・文官達だ。
ゲーム的には「ファンタジー世界を舞台にした三國志」と説明するのが一番てっとり早いだろう。とはいえ、この当時の三国志(89年にIIが出ている)や信長の野望(90年に武将風雲録が出ている)と比べても、そのゲーム性は相当シンプルであり、難易度的にもかなりライトであることから、「あまり戦略シミュレーションに慣れていないゲームファン」が対象であることを窺わせる。
先に参照URLをあげておこう。
WikipediaのURLはこちらになる。
Wikipedia:ロイヤルブラッド
ほぼそのまま説明書の内容が参照出来るページはこちら。グラフィックもある程度閲覧出来る。
げーむのせつめいしょ:ロイヤルブラッド
さて、ゲームの話をしよう。
・ファンタジー版「三國志」の出来栄えは?
SLGとしてのロイヤルブラッドの特徴は、幾つかの項目で言い表せると思う。
1.簡素化された戦略コマンドや武将のステータス
2.軍師にかわる、「相談役」の存在
3.ファンタジー色を前面に押し出されたストーリー・グッドイベント・バッドイベントの存在
4.難易度が低いとはいえ、部隊の向きや間接攻撃などを考慮にいれる必要のある戦争シーン
5.宝石魔術師や第五部隊の存在
順番に見ていってみよう。
まず、1、2の要素は分かりやすい「ライトユーザーの取り込み」を狙った要素だ。
ロイヤルブラッドのコマンドや武将のステータスは、同時期の「武将風雲録」や「三國志2」などに比べると随分と簡素化されている。武将の能力は、基本的には政治力、軍事力、魅力のみ。戦略コマンドは軍事、民政、対外の三つに大別されており、軍事は戦争や戦力調達、民政は開発や施しと、その内容も実に単純だ。数年前の初代三國志で、コマンドが15もの小グループに分かれていたことを考えると、UIは非常に整理されているといっていい。
そして、三國志や信長ではある程度能力が高い武将を配下にしないと得られなかった「助言役」が、ロイヤルブラッドではゲームスタート時から標準装備である。
この相談役も、「民政家の女性」「初老の軍人」「老人」「道化師」の4人から選べるのだが、それぞれ同じことを言うにも全然内容が違っていてなかなか面白い。軍人は二言目には「○○を攻めるは今ぞ!」とかけしかけてくるし、道化師は「面白い傭兵をやとって民に見せてあげましょう」などと何がなんだかよくわからないし、なかなかにバリエーション豊かだ。まあ大体においてゲームの展開には役立つ、チュートリアル的な助言を出してくれる。
上記のバリエーションに加えて、3、ストーリーの見せ方や導入にもひと工夫されている。
ゲーム開始時に使用君主を選ぶと、その君主と部下、宝石魔術師たちの会話の形で状況を教えてくれたりとか。武将のグラフィックもエランやレッドワルトのような美形あり、女性あり、ショタあり、おっさんありと非常にバリエーション豊かで、プレイヤーの引き込みに一役買ってくれる。「頭でっかち」とか「武力一辺倒」とか「魅力で勝負!」とか、さまざまなタイプの武将がいて、プレイヤーの収集欲を刺激するのも光栄戦略シミュレーションの伝統といえるだろう。
三國志や信長でいう「豊作」とか「水害」といったイベントについても、ロイヤルブラッドでは例えば「レプラコーン」が現れて金貨をくれたり、「エルフ」が現れて民の忠誠度を上げてくれたり、逆にピクシーがいたずらをして土地の価値を下げてしまったりと、随所随所にファンタジー色が強い演出が施されている。
基本的には、民政に力を入れれば入れるほどグッドイベントがべきべき起こって、ゲームがどんどん楽になるというバランスで、これも戦略ゲームに不慣れな初心者に「取り敢えず開墾・施ししておきな?」という基本を学ばせるのに役立っていると思う。
・戦場の華、「第五部隊」の活躍。
さて、ロイヤルブラッドのもう一つの側面、戦争と傭兵の存在についてだが。
ロイヤルブラッドは当然ウォーシミュレーションなので、戦争をする。内政で整えた物資を使って兵士を雇い、隣国に攻め込んだり攻め込まれたり迎撃をしたりする。この辺も、流れは三國志や信長と一緒だ。
とはいえロイヤルブラッドの戦闘は、やはり三國志や信長に比べると単純だ。火計もなければ天候も風向きもない。ただ、「兵力は4+1個の部隊に分けられ、それぞれが向きを持っている」「後ろから攻撃されるとダメージが大きい」「一部の部隊は間接攻撃が出来たり、柵を作れたりする」といった要素が、戦術ゲーとしては大きいだろう。
そんな中でも異彩を放っているのが、「第5部隊」の存在である。
このゲームでは、通常の兵力の他に、「傭兵」を雇って戦わせることが出来る。傭兵はスケルトンやオーク、ガーゴイルといった小粒なモンスターであったり、サラマンダーやワイバーンといった大型モンスターであったり、ランツクネヒツやパイクスのような傭兵部隊であったりする。そういった面子に加えて、ゲームの中心でもある「宝石魔術師」やラスボス的存在「王冠のドラゴン」といった部隊が猛威を振るう。こういった、「通常の兵力外」の連中が第五部隊におさまるわけであり、この第五部隊の使い方こそがゲーム攻略の鍵だ。
兵力自体が少ない時でも、ある程度お金と名声があり、領地に傭兵が駐留しているときなら、プレイヤーは傭兵を雇うことが出来る。あるいは、手元に宝石魔術師がいるなら、第五部隊として戦争に参加させることが出来る。彼らの能力は強力だ。単純に攻撃力が高いだけでなく、間接攻撃が出来るファハンやガンナー、サンダラスやミーティアといった連中なら、離れたところから瞬時に相手戦力を壊滅させることすら出来る。また、ハイランダースのような一部のユニットは、雇うのにかなりの名声が必要とはいえ、王冠ドラゴンすら圧倒するほどの戦力を有している。
こういった傭兵を手元において運用し、戦闘をうまい具合に運ぶのも、ウォーシミュレーションに入り始めたばかりのプレイヤーをSLGゲーマーに仕立て上げる役にたっていたといえるだろう。実際のところ戦闘バランス自体は割りとぬるいのだが、それでも強大な王の軍勢と戦うには一工夫が必要だった。この辺の奥深さは流石光栄というべきだろう。
・想像を絶する程の良BGM。
さて。なによりかにより、私の中のロイヤルブラッドといえば「凄まじい良BGM」がその最大の特色である。
ファミコン時代、初めてこのゲームを立ち上げた人は、その圧倒的なオープニングBGMの格好よさに度肝を抜かれたであろう。全体としての味付けは、一言でいってしまうと「神話風」ではないかと思う。
戦略画面のBGM、戦闘画面のBGM、パスハ出現のBGMからオープニング、エンディングにいたるまで、このゲームのBGMは頭の先から足爪の先まで全身くまなく一級品揃いであり、聴いていて飽きのくるBGMは一曲たりともない。サントラは三國志3とセットだが、CDを購入してでも一聴の価値がある、とここで断言してしまおう。特にオープニングは、途中で入るエフェクトが心底邪魔に感じられる程の名曲である。テンポだけから言えば私はファミコン版のオープニングが一番好きだ。
その他にも、季節ごとに変わる戦略画面のBGMやら、どことなく東洋を思わせる一部マップの戦闘BGMとか、どれをとっても聴き応え満点の名曲ばかりである。菅野よう子氏が手かげている大航海時代や一部信長の素晴らしいBGMと比べても遜色ない、と私はこのゲームのBGMを評価している。
ちなみに、ニコニコ動画のIDをお持ちであれば、以下のURLからファミコン版オープニングは視聴が可能である。よろしければ。
ロイヤルブラッド オープニング
と、長々と語ってきたが。実際のところ、このゲームでどれだけライトユーザーが増えたのかはいまひとつわからないが、ロイヤルブラッドが光栄の名作群の一角であることは間違いないだろう。今遊んでも遊び応えのある、ファンタジーSLGの佳作である。
取り敢えず今日はこの辺で。
2010年08月05日
レトロゲーム万里を往く その97 高機動戦闘メカ ヴォルガードII
ウルトラマンとスーパーマンが戦った場合、実際の所は多分体格差でウルトラマンが勝つのではないか、などと私は想像するのだが。そういった他愛もない「どっちが強い?」遊びの中に、シューティングの自機で一番強いのどーれだ?というものがある。
判断材料?そんなものはない。ことは感覚の問題であり、強いて言えば適当な理由付けの説得力の大小である。例えば「ボムが強そう」という理由でダラ外シルバーホークやBATSUGUNの自機があがってもよかろうし、「当たり判定が小さい」という理由で首領蜂シリーズの自機があがってもいいだろうし、「フォースが無敵」という理由でR-9があがってもいいだろう。それ程真面目に考えるようなテーマでもない。
ただ、「シューティングの自機で一番頑丈そうなヤツ」というテーマで考えるとすれば、私は多分これを挙げる。そう、ヴォルガードIIを。
高機動戦闘メカ ヴォルガードII。横スクロールシューティング。1985年、デービーソフトよりファミコン版発売。前年、パソコン版で発売された「VOLGUARD」の移植作であり、「ディフェンダー」や「スクランブル」などの横スクロールSTGの草分けに続いて生まれた、横スクロールSTGの根っこの方に位置するタイトルでもある。
PC版ヴォルガードは「3機合体→ロボット変形」というロボットアニメの様な要素を取り入れて、おそらくパソコン向けSTGとしては初めてに近いヒット作だった筈だが、それを受けてファミコン向けに調整されたヴォルガードIIも、なかなか独特な要素を多く含んだ佳作だった。大ヒットとまではいかなかったものの、当時このゲームを所有していた小学生はそこまで希少な存在ではなかった記憶がある。
この時期、「フォーメーションZ」や「テグザー」「マグマックス」など、ロボット形態への変形を一つのウリにしたシューティングゲームが多く発売されているが、やはりその理由は「マクロス」などのロボットアニメに求めるべきなのだろう。「アニメをゲームに持ち込む」ことがゲームデザイナーのモチベーションの一つになっていたという推測は、そこまで無理筋ではないと思う。というか、ゲームの歴史に触れる上で「マンガやアニメからの影響」の話を避けて通ることは出来ない。また触れることもあるだろう。
簡単に参考ページを。
ゲームの情報自体は、Wikipediaにサマリーされている。
高機動戦闘メカ ヴォルガードII:Wikipedia
こちらからは画面スクリーンショットなども参照出来る。
高機動戦闘メカヴォルガード2
youtubeには動画もある。タイトル画面が非常にPCゲームっぽくて好感触。さり気なくBGMもいい出来だと思う。
ヴォルガード2:ファミコンゲーム
さて、ゲームの話をしよう。
・「体当たり」が基本テクニックの一つ、という異色。
私が思うFC版ヴォルガードIIの特徴は、率直にいって「ロボットへの変形」ではない。パワーアップシステムと、エネルギー管理という概念である。
ヴォルガードIIでは、自機に「エネルギー残量」という概念がある。エネルギーは弾をがんがん撃つと減り、敵をざくざく倒すと増える。エネルギーがある程度以上溜まった時に輸送機からの補給を受けると、自機はパワーアップする。弾が連射になったり、八方向になったり、レーザーが出るようになったり、バリアがついたりする。パワーアップはいずれも非常に爽快であり、段階によって変わるBGMも出色である。
「いかにエネルギーを溜めるか」「いかにエネルギーを溜めた状態で輸送機を呼ぶか(レーダーの破壊など、幾つかの条件がある)」「いかにエネルギーを節約するか」というのが、特に序盤、まだパワーアップ段階が低い内のプレイヤーの課題となる訳である。
さて、それはそうと、ヴォルガードIIにおいて自機は非常に頑丈である。画面右上には自機のダメージ量が記されており、00から始まるダメージが99に至るまでヴォルガードIIは墜ちない。その上、輸送機とのドッキングなど、ダメージを回復する手段も幾つかある。
この為、「まだショットが弱い内は、ショットをがんがん打っているとなかなかエネルギーがたまらないから、体当たりで雑魚敵を倒してエネルギーを溜める」という概念が、序盤の基本テクニックとして存在していたのである。後の数多くのSTGが「弾や敵に接触すること」をゲーム上のミス、ペナルティ対象として設定していたことから考えると、このゲーム性は極めて異色だ。「エネルギー管理とダメージ管理」という概念が、ヴォルガードIIというゲームを一つの実験作にしていた、と私は思う。
それはそうと、「ダメージ99を越えるまで自機が墜ちない」というのは、このゲームが簡単であるということを意味しない。
後の弾幕ゲーほどではないにせよ、このゲームの敵の攻撃は特に中盤以降かなりの激しさであり、白くて速い球を雨あられとばら撒いてくる敵や、接触すると物凄いダメージを普通に受ける敵が、次から次へと降りかかってくる。それを全て避けきるというのはなかなか無理の無理無理という状況であり、特に敵要塞「ズイガム・ボルド」戦などにおいては、「いかにダメージを押さえながらコアをぶち抜くか」というのが一つのテーマとして位置づけられていた。輸送機でのライフ回復のタイミングをまだかまだかと待ち続けながら、ダメージ量とにらめっこをするというのも、このゲーム独特の味の一つだったといえるだろう。
・パワーアップ形式の爽快感について。
ということで、このゲームの基本は「やられる前にやれ」な訳だが、「レーザー」や「バリア」「連射」などのパワーアップについては、プレイヤーの爽快感、破壊欲求を存分に満足させてくれる出来だったと思う。
なにせこのゲーム、「敵を倒してエネルギーを溜める」ことによる報酬効果が得点以上に高い。レーザーで10機くらいの敵をまとめてぶち抜いたり、自機の周りをぐるぐる回るバリアーで地上物をガンガンぶっ壊したりといった爽快感については、当時のお子様の心を掴むところ大であった。
レーザーを取得してから連射を取得する、通称「ハイパー連射」などについては、実は通常レーザーよりも強いといった要素もあり、「どの様にエネルギーを溜めて、どうパワーアップするか」というのをプレイヤーに考えさせる、良質なゲームデザインの礎になっていたと思う。
・ロボット形態とは何だったのか。
ごく一部にはロボット形態にならないと倒せない敵とかもいたのだが、正直あんまり意味なかったような気もしないではない。
ただ、ロボット形態で地上でじーっとしゃがんでいるとなかなかダメージを受けなかったりちょっとずつダメージを回復出来るといった要素もある為、終盤危なくなった時の緊急回避などにはそこそこ有効だったかも知れない。ただ、ウリであるロボット変形の基本が画面はじでしゃがんでじっとしていることというのはちょっとどうなんだ、という気も若干する。
・例によって破滅的なストーリーについて。
Wikipediaのストーリーを見て頂けば分かる通り、このゲームのストーリーも「支配下からの反撃」パターンであり、基本的に重い。以前もちらっと書いたが、どうもSTGには「重いストーリー」というものが一般に多いような気がする。「一体多という状況への説明付け」「ゲーム中ではストーリーを描写しにくいので説明書などで補完」といった要素が、こういった重いストーリー多発の要因になっている様に思う。
まとめてみると、ヴォルガードIIは「歴史に残る名作とまでは言わないが、様々な部分で実験的な特色を打ち出した、遊んでいて気持ちのいい佳作」というような評価になるのではないかと、私自身は思っている。
ということで、今回はこれくらいで。
判断材料?そんなものはない。ことは感覚の問題であり、強いて言えば適当な理由付けの説得力の大小である。例えば「ボムが強そう」という理由でダラ外シルバーホークやBATSUGUNの自機があがってもよかろうし、「当たり判定が小さい」という理由で首領蜂シリーズの自機があがってもいいだろうし、「フォースが無敵」という理由でR-9があがってもいいだろう。それ程真面目に考えるようなテーマでもない。
ただ、「シューティングの自機で一番頑丈そうなヤツ」というテーマで考えるとすれば、私は多分これを挙げる。そう、ヴォルガードIIを。
高機動戦闘メカ ヴォルガードII。横スクロールシューティング。1985年、デービーソフトよりファミコン版発売。前年、パソコン版で発売された「VOLGUARD」の移植作であり、「ディフェンダー」や「スクランブル」などの横スクロールSTGの草分けに続いて生まれた、横スクロールSTGの根っこの方に位置するタイトルでもある。
PC版ヴォルガードは「3機合体→ロボット変形」というロボットアニメの様な要素を取り入れて、おそらくパソコン向けSTGとしては初めてに近いヒット作だった筈だが、それを受けてファミコン向けに調整されたヴォルガードIIも、なかなか独特な要素を多く含んだ佳作だった。大ヒットとまではいかなかったものの、当時このゲームを所有していた小学生はそこまで希少な存在ではなかった記憶がある。
この時期、「フォーメーションZ」や「テグザー」「マグマックス」など、ロボット形態への変形を一つのウリにしたシューティングゲームが多く発売されているが、やはりその理由は「マクロス」などのロボットアニメに求めるべきなのだろう。「アニメをゲームに持ち込む」ことがゲームデザイナーのモチベーションの一つになっていたという推測は、そこまで無理筋ではないと思う。というか、ゲームの歴史に触れる上で「マンガやアニメからの影響」の話を避けて通ることは出来ない。また触れることもあるだろう。
簡単に参考ページを。
ゲームの情報自体は、Wikipediaにサマリーされている。
高機動戦闘メカ ヴォルガードII:Wikipedia
こちらからは画面スクリーンショットなども参照出来る。
高機動戦闘メカヴォルガード2
youtubeには動画もある。タイトル画面が非常にPCゲームっぽくて好感触。さり気なくBGMもいい出来だと思う。
ヴォルガード2:ファミコンゲーム
さて、ゲームの話をしよう。
・「体当たり」が基本テクニックの一つ、という異色。
私が思うFC版ヴォルガードIIの特徴は、率直にいって「ロボットへの変形」ではない。パワーアップシステムと、エネルギー管理という概念である。
ヴォルガードIIでは、自機に「エネルギー残量」という概念がある。エネルギーは弾をがんがん撃つと減り、敵をざくざく倒すと増える。エネルギーがある程度以上溜まった時に輸送機からの補給を受けると、自機はパワーアップする。弾が連射になったり、八方向になったり、レーザーが出るようになったり、バリアがついたりする。パワーアップはいずれも非常に爽快であり、段階によって変わるBGMも出色である。
「いかにエネルギーを溜めるか」「いかにエネルギーを溜めた状態で輸送機を呼ぶか(レーダーの破壊など、幾つかの条件がある)」「いかにエネルギーを節約するか」というのが、特に序盤、まだパワーアップ段階が低い内のプレイヤーの課題となる訳である。
さて、それはそうと、ヴォルガードIIにおいて自機は非常に頑丈である。画面右上には自機のダメージ量が記されており、00から始まるダメージが99に至るまでヴォルガードIIは墜ちない。その上、輸送機とのドッキングなど、ダメージを回復する手段も幾つかある。
この為、「まだショットが弱い内は、ショットをがんがん打っているとなかなかエネルギーがたまらないから、体当たりで雑魚敵を倒してエネルギーを溜める」という概念が、序盤の基本テクニックとして存在していたのである。後の数多くのSTGが「弾や敵に接触すること」をゲーム上のミス、ペナルティ対象として設定していたことから考えると、このゲーム性は極めて異色だ。「エネルギー管理とダメージ管理」という概念が、ヴォルガードIIというゲームを一つの実験作にしていた、と私は思う。
それはそうと、「ダメージ99を越えるまで自機が墜ちない」というのは、このゲームが簡単であるということを意味しない。
後の弾幕ゲーほどではないにせよ、このゲームの敵の攻撃は特に中盤以降かなりの激しさであり、白くて速い球を雨あられとばら撒いてくる敵や、接触すると物凄いダメージを普通に受ける敵が、次から次へと降りかかってくる。それを全て避けきるというのはなかなか無理の無理無理という状況であり、特に敵要塞「ズイガム・ボルド」戦などにおいては、「いかにダメージを押さえながらコアをぶち抜くか」というのが一つのテーマとして位置づけられていた。輸送機でのライフ回復のタイミングをまだかまだかと待ち続けながら、ダメージ量とにらめっこをするというのも、このゲーム独特の味の一つだったといえるだろう。
・パワーアップ形式の爽快感について。
ということで、このゲームの基本は「やられる前にやれ」な訳だが、「レーザー」や「バリア」「連射」などのパワーアップについては、プレイヤーの爽快感、破壊欲求を存分に満足させてくれる出来だったと思う。
なにせこのゲーム、「敵を倒してエネルギーを溜める」ことによる報酬効果が得点以上に高い。レーザーで10機くらいの敵をまとめてぶち抜いたり、自機の周りをぐるぐる回るバリアーで地上物をガンガンぶっ壊したりといった爽快感については、当時のお子様の心を掴むところ大であった。
レーザーを取得してから連射を取得する、通称「ハイパー連射」などについては、実は通常レーザーよりも強いといった要素もあり、「どの様にエネルギーを溜めて、どうパワーアップするか」というのをプレイヤーに考えさせる、良質なゲームデザインの礎になっていたと思う。
・ロボット形態とは何だったのか。
ごく一部にはロボット形態にならないと倒せない敵とかもいたのだが、正直あんまり意味なかったような気もしないではない。
ただ、ロボット形態で地上でじーっとしゃがんでいるとなかなかダメージを受けなかったりちょっとずつダメージを回復出来るといった要素もある為、終盤危なくなった時の緊急回避などにはそこそこ有効だったかも知れない。ただ、ウリであるロボット変形の基本が画面はじでしゃがんでじっとしていることというのはちょっとどうなんだ、という気も若干する。
・例によって破滅的なストーリーについて。
Wikipediaのストーリーを見て頂けば分かる通り、このゲームのストーリーも「支配下からの反撃」パターンであり、基本的に重い。以前もちらっと書いたが、どうもSTGには「重いストーリー」というものが一般に多いような気がする。「一体多という状況への説明付け」「ゲーム中ではストーリーを描写しにくいので説明書などで補完」といった要素が、こういった重いストーリー多発の要因になっている様に思う。
まとめてみると、ヴォルガードIIは「歴史に残る名作とまでは言わないが、様々な部分で実験的な特色を打ち出した、遊んでいて気持ちのいい佳作」というような評価になるのではないかと、私自身は思っている。
ということで、今回はこれくらいで。
2010年05月21日
レトロゲーム万里を往く その96 エキサイトバイク
跳ねられて、吹っ飛んで、5回くらい前転して、それでも彼らは走り続ける。彼らはどこから来たのか。彼らは何者なのか。
「走っている姿を見て哲学的なことを考えさせられるゲーム」というのが、多分ファミコンには最低三作ある。一つがメトロクロス、一つがけっきょく南極大冒険、そして一つがエキサイトバイクである。(注:私調べ)
ニンテンドーの作るバイクゲームはとにかくライダーが丈夫であって、例えばマッハライダーでは看板にぶつかって大爆発したバイクが次の瞬間ヒトデのように再融合して復活したりするのだが、エキサイトバイクのライダーも、耐久力的にはほぼそれに準ずるだろう。
轢かれても転んでも、ナニゴトもなかった様にバイクに駆け戻る彼らの姿は、見るものに一片の感動を抱かせずにはいられない。任天堂が何故ここまでライダーを無敵にしたがったのかはいまいち謎だが、このゲームを遊んでバイクに憧れたファミコン少年がいないことを祈ること大である。
ともあれ、取り敢えずはゲームの話だ。
エキサイトバイク。バイクレースゲーム。1984年11月、任天堂よりファミコン版発売。後、ディスクシステム版や業務用にも逆移植された、ファミコン黎明期の佳作の一角である。擬似3D視点だった「F1レース」に続くレースゲームだが、エキサイトバイクは奥行きのある4ラインを横からみた視点となっており、ゲーム性はジャンプアクションゲームのそれに近い。
当時ファミコンのゲームは「出せば売れる」という状況だったとはいえ、やはり任天堂ならではの「おもちゃ的感覚」に底固めされたゲーム性や、コースエディットなどを用いた遊び要素は息の長い人気を呼び、売り上げは100万本以上に上った(Wikipediaの記述によると157万本)。ファミコンに限っていえば「アクションゲーム寄りレースゲーム」の草分けともいえ、例えば後のメトロクロス辺りにも影響を与えているかも知れない。最近ではWiiウェアでダウンロードされたという話も聞く(これはやったことないけど)
参照記事としては、Wikipediaを挙げておく。記事としては簡素だが、エキサイトバイク関連の情報はほぼ集約されている。
Wikipedia:エキサイトバイク
さて、ゲームの話をしよう。
・横スクロールアクションゲームと、レースゲームの「間」。
上でも書いたが、エキサイトバイクのゲーム性は、レースゲームというよりはジャンプアクションゲームのそれに近い。プレイヤーは、AボタンとBボタン、二種類の加速を使い分けながら、車体を前に傾けたり後ろに傾けたり、ジャンプ台でジャンプし障害物をかわし、時にぬかるみにつっこんだり時に着地し損ねて凄絶に前転したりしながらゴールを目指す。
この頃既に発売されていた「F1レース」が、専用筐体による(擬似)3D視点を意識していたことと比べると、エキサイトバイクの画面構成やゲーム進行は、後のスーパーマリオブラザーズの様な横スクロールアクションに近いことが分かる。ファミコンにおける横スクロールジャンプアクションの源流の一つとしてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。
ゲーム性の肝としては、「奥行きのあるラインのどこを選択するか」という要素と、「ジャンプ台でジャンプした際、いかにバイクを制御するか」という要素、「AボタンとBボタンそれぞれの加速の使い分け」という要素、ほぼこの三つに集約されているといっていいだろう。
Aボタンによる加速は、それなりのスピードしか出ないがいつまででも走り続けることが出来る。Bボタンによる加速は、スピードが速いが押し続けているとエンジンが過熱してオーバーヒートし、暫く停止することを余儀なくされる。ローリスクローリターンとハイリスクハイリターンの使い分け、これがエキサイトバイクのポイントの一つである。
この時、加熱したエンジンを冷やすための地形(クールゾーン)というものがコース上には存在し、いいタイムを出す為にはこの上を上手く通ることが要求される。これがコース取り、「4つのラインのどれを選ぶか」という要素であり、いってみれば「地形を覚える」という記憶要素の源流だ。
そして、コース上に多く配置されたジャンプ台でジャンプをした際、どの様にバイクを制御するか?十字キーを後ろに入れればバイクはウィリーし、前に入れれば前傾する。これを上手いこと利用して綺麗なジャンプを決めることが、エキサイトバイクの三つ目のキモである。この辺り、「いじくってみると面白い」というおもちゃ的遊戯感は、エキサイトバイクが任天堂アクションの血族の一人である証だと私は思っている。
・仁義なき(マジで)轢き合い。
一方、エキサイトバイクにはCPUとの対戦要素もある。幾つかあるゲームモードの内、ライバルが出てくるものを選択すると、コース上には主人公以外に3台のマシンとライダーが配置され、主人公と熾烈な凌ぎの削りあいを演じることになる。
CPUマシンは主人公の周囲を縦横無尽に走りまわり、抜いたり抜かれたり勝手に転んだり、本当に様々な動きをする。端的にいって、CPUライダーは単なる「お邪魔キャラ」な訳だが、エキサイトバイクをエキサイトバイクたらしめているのは、まさにこのCPUの「動き」によるものだと私は考えている。
クールゾーンを踏むのを邪魔する。邪魔される。ジャンプ台での着地を邪魔する、邪魔される。後輪をぶつけてすっころがす。転がされる。轢かれる。轢く。
こうした「対等なガチ轢き合い」とでも言うべき要素には、単なる「お邪魔キャラとプレイヤー」という以上の熱い、暑苦しい程の何かが潜んでいた。相手は単なるCPUだが、その「熱さ」にはマリオブラザーズやアーバンチャンピオンをすら凌ぐ部分があった、と私は考えている。それはおそらく、タイムを競うレースゲームであるという要素と、各人のあまりに潔い転がりっぷりなど、様々な要素が融合して生まれた熱さだったのではないだろうか。
少なくともファミコン版エキサイトバイクに関して言えば、このCPUとの凄絶な転がしっここそが面白さの中核である、と勝手に断言してしまおう。転んだCPUの目の前に待機して、立ち上がった瞬間また転がすという、あたかもアリいじめの様な性格の悪い遊びに興じ、挙句にタイムが足りなくなって3位通過に失敗するという、頭の悪い遊び方をしていたプレイヤーは、当時私だけではなかった筈だ(多分)
・任天堂開発陣のバケモノ性について。
ところで話は変わる。
何度か書いているが、当時の任天堂のゲームリリーススケジュールを現在の視点で検討した時、「開発メンバーが全員妖怪だった」という以外の結論を出すことは難しい。
1984年11月2日 F1レース、同11月2日4人打ち麻雀、11月14日アーバンチャンピオン、11月22日クルクルランド、11月30日エキサイトバイク、1月22日バルーンファイト、1月30日アイスクライマー。出来の悪いゲームは一本たりともない。何度みても、およそ信じられないド級スケジュールである。
数人から場合によっては1人でもゲームが制作出来た時代のこととはいえ、この「下手すると2週間に一本の佳作リリース」は一体どの様な現場で成し遂げられたものなのだろう。当時の開発チームが何人いたのかよく分からないが、1985年当時にタイムスリップできたら、是非任天堂の開発現場を見学させてもらいたいものだ。
この一種異常なハイペースも、翌年1985年も二月を過ぎると流石に一旦落ち着くわけだが。それでも4月9日に「サッカー」、6月18日にレッキングクルー、同21日にスパルタンXというペースは今の基準で評価出来るものではない。
その後、7月26日と8月13日にそれぞれ「ブロックセット」「ジャイロセット」を発売した後、まるで充電したものを吐き出すかの様に発売されたのが、9月13日の「スーパーマリオブラザーズ」である訳なのだが。まあこの話はまたいずれ。
取り敢えず今回はこれくらいで筆を収める。次回は光栄あたりかも。
関連:レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。
「走っている姿を見て哲学的なことを考えさせられるゲーム」というのが、多分ファミコンには最低三作ある。一つがメトロクロス、一つがけっきょく南極大冒険、そして一つがエキサイトバイクである。(注:私調べ)
ニンテンドーの作るバイクゲームはとにかくライダーが丈夫であって、例えばマッハライダーでは看板にぶつかって大爆発したバイクが次の瞬間ヒトデのように再融合して復活したりするのだが、エキサイトバイクのライダーも、耐久力的にはほぼそれに準ずるだろう。
轢かれても転んでも、ナニゴトもなかった様にバイクに駆け戻る彼らの姿は、見るものに一片の感動を抱かせずにはいられない。任天堂が何故ここまでライダーを無敵にしたがったのかはいまいち謎だが、このゲームを遊んでバイクに憧れたファミコン少年がいないことを祈ること大である。
ともあれ、取り敢えずはゲームの話だ。
エキサイトバイク。バイクレースゲーム。1984年11月、任天堂よりファミコン版発売。後、ディスクシステム版や業務用にも逆移植された、ファミコン黎明期の佳作の一角である。擬似3D視点だった「F1レース」に続くレースゲームだが、エキサイトバイクは奥行きのある4ラインを横からみた視点となっており、ゲーム性はジャンプアクションゲームのそれに近い。
当時ファミコンのゲームは「出せば売れる」という状況だったとはいえ、やはり任天堂ならではの「おもちゃ的感覚」に底固めされたゲーム性や、コースエディットなどを用いた遊び要素は息の長い人気を呼び、売り上げは100万本以上に上った(Wikipediaの記述によると157万本)。ファミコンに限っていえば「アクションゲーム寄りレースゲーム」の草分けともいえ、例えば後のメトロクロス辺りにも影響を与えているかも知れない。最近ではWiiウェアでダウンロードされたという話も聞く(これはやったことないけど)
参照記事としては、Wikipediaを挙げておく。記事としては簡素だが、エキサイトバイク関連の情報はほぼ集約されている。
Wikipedia:エキサイトバイク
さて、ゲームの話をしよう。
・横スクロールアクションゲームと、レースゲームの「間」。
上でも書いたが、エキサイトバイクのゲーム性は、レースゲームというよりはジャンプアクションゲームのそれに近い。プレイヤーは、AボタンとBボタン、二種類の加速を使い分けながら、車体を前に傾けたり後ろに傾けたり、ジャンプ台でジャンプし障害物をかわし、時にぬかるみにつっこんだり時に着地し損ねて凄絶に前転したりしながらゴールを目指す。
この頃既に発売されていた「F1レース」が、専用筐体による(擬似)3D視点を意識していたことと比べると、エキサイトバイクの画面構成やゲーム進行は、後のスーパーマリオブラザーズの様な横スクロールアクションに近いことが分かる。ファミコンにおける横スクロールジャンプアクションの源流の一つとしてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。
ゲーム性の肝としては、「奥行きのあるラインのどこを選択するか」という要素と、「ジャンプ台でジャンプした際、いかにバイクを制御するか」という要素、「AボタンとBボタンそれぞれの加速の使い分け」という要素、ほぼこの三つに集約されているといっていいだろう。
Aボタンによる加速は、それなりのスピードしか出ないがいつまででも走り続けることが出来る。Bボタンによる加速は、スピードが速いが押し続けているとエンジンが過熱してオーバーヒートし、暫く停止することを余儀なくされる。ローリスクローリターンとハイリスクハイリターンの使い分け、これがエキサイトバイクのポイントの一つである。
この時、加熱したエンジンを冷やすための地形(クールゾーン)というものがコース上には存在し、いいタイムを出す為にはこの上を上手く通ることが要求される。これがコース取り、「4つのラインのどれを選ぶか」という要素であり、いってみれば「地形を覚える」という記憶要素の源流だ。
そして、コース上に多く配置されたジャンプ台でジャンプをした際、どの様にバイクを制御するか?十字キーを後ろに入れればバイクはウィリーし、前に入れれば前傾する。これを上手いこと利用して綺麗なジャンプを決めることが、エキサイトバイクの三つ目のキモである。この辺り、「いじくってみると面白い」というおもちゃ的遊戯感は、エキサイトバイクが任天堂アクションの血族の一人である証だと私は思っている。
・仁義なき(マジで)轢き合い。
一方、エキサイトバイクにはCPUとの対戦要素もある。幾つかあるゲームモードの内、ライバルが出てくるものを選択すると、コース上には主人公以外に3台のマシンとライダーが配置され、主人公と熾烈な凌ぎの削りあいを演じることになる。
CPUマシンは主人公の周囲を縦横無尽に走りまわり、抜いたり抜かれたり勝手に転んだり、本当に様々な動きをする。端的にいって、CPUライダーは単なる「お邪魔キャラ」な訳だが、エキサイトバイクをエキサイトバイクたらしめているのは、まさにこのCPUの「動き」によるものだと私は考えている。
クールゾーンを踏むのを邪魔する。邪魔される。ジャンプ台での着地を邪魔する、邪魔される。後輪をぶつけてすっころがす。転がされる。轢かれる。轢く。
こうした「対等なガチ轢き合い」とでも言うべき要素には、単なる「お邪魔キャラとプレイヤー」という以上の熱い、暑苦しい程の何かが潜んでいた。相手は単なるCPUだが、その「熱さ」にはマリオブラザーズやアーバンチャンピオンをすら凌ぐ部分があった、と私は考えている。それはおそらく、タイムを競うレースゲームであるという要素と、各人のあまりに潔い転がりっぷりなど、様々な要素が融合して生まれた熱さだったのではないだろうか。
少なくともファミコン版エキサイトバイクに関して言えば、このCPUとの凄絶な転がしっここそが面白さの中核である、と勝手に断言してしまおう。転んだCPUの目の前に待機して、立ち上がった瞬間また転がすという、あたかもアリいじめの様な性格の悪い遊びに興じ、挙句にタイムが足りなくなって3位通過に失敗するという、頭の悪い遊び方をしていたプレイヤーは、当時私だけではなかった筈だ(多分)
・任天堂開発陣のバケモノ性について。
ところで話は変わる。
何度か書いているが、当時の任天堂のゲームリリーススケジュールを現在の視点で検討した時、「開発メンバーが全員妖怪だった」という以外の結論を出すことは難しい。
1984年11月2日 F1レース、同11月2日4人打ち麻雀、11月14日アーバンチャンピオン、11月22日クルクルランド、11月30日エキサイトバイク、1月22日バルーンファイト、1月30日アイスクライマー。出来の悪いゲームは一本たりともない。何度みても、およそ信じられないド級スケジュールである。
数人から場合によっては1人でもゲームが制作出来た時代のこととはいえ、この「下手すると2週間に一本の佳作リリース」は一体どの様な現場で成し遂げられたものなのだろう。当時の開発チームが何人いたのかよく分からないが、1985年当時にタイムスリップできたら、是非任天堂の開発現場を見学させてもらいたいものだ。
この一種異常なハイペースも、翌年1985年も二月を過ぎると流石に一旦落ち着くわけだが。それでも4月9日に「サッカー」、6月18日にレッキングクルー、同21日にスパルタンXというペースは今の基準で評価出来るものではない。
その後、7月26日と8月13日にそれぞれ「ブロックセット」「ジャイロセット」を発売した後、まるで充電したものを吐き出すかの様に発売されたのが、9月13日の「スーパーマリオブラザーズ」である訳なのだが。まあこの話はまたいずれ。
取り敢えず今回はこれくらいで筆を収める。次回は光栄あたりかも。
関連:レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。
2010年03月09日
レトロゲーム万里を往く その95 冷気系や地震系の呪文のダメージは何故分かりにくいのか。
まず最初に、RPGのいわゆる「攻撃呪文」について考えてみよう。
RPGに攻撃呪文は数多あり、その攻撃呪文には「系統」とか「属性」といったカテゴリーがあることが多い。これは、古くはD&Dの時代からの伝統である。
例えば電撃がピシャーーンと落ちる雷系の呪文であるとか。例えば炎がヒュゴォッと襲い掛かる炎熱系の呪文であるとか、呪文の属性にも色々ある。そして、属性呪文を使いこなすと、「炎に弱い」とか「氷に弱い」といったモンスターに大ダメージを与えられたりもする。
「雷」とか「炎」の呪文というのは分かりやすい。実に分かりやすい。雷がドカーンと落ちてくれば大抵の人は痛かったりしびれたり大怪我したりする。炎がどひゃあああと降りかかってくればそりゃ熱いし大やけどする。実に直感的である。
「風」系の呪文というのは若干怪しい。ただ風がぴゅーぴゅー吹いているだけなら、傘の骨が折れることこそあれダメージを受ける筋合いはないので、多くのRPGにおいて、「風系のダメージ」というものはいわゆる「かまいたち」のイメージに集約されている。風によって真空が発生してどうとかいうアレである。そもそも本当に風によって真空が発生するのかどうかという問題もさることながら、そもそもそれ物理ダメージじゃね?という疑問も捨てきれない。切れてんじゃん。切り傷じゃん。属性関係ないじゃん。
これをもうちょっとややこしくすると、標題のテーマとなる「冷気系」とか「地震系」の呪文の話になる。
例えば、ドラクエにおける「ヒャド」の説明書きを参照してみる。厳密に検証するなら各シリーズタイトルの取説を検証するところだが、面倒なので取り敢えず目に付いた検索結果をひいてしまおう。可能なら後程取説に当たって補足する。
「鋭い冷気」でダメージ、とある。これ自体ちょっとイメージしにくい。鋭い冷気って何?冷たいの?それでおおきづちにぶんなぐられるのよりダメージ食らうの?
それがヒャダルコになるとこうなる。
刃とか槍って、それ物理攻撃じゃね?冷気あんまり関係なくね?
ヒャドやヒャダルコに限らず、「冷気系」の呪文というのは、とかくダメージの根拠が曖昧なものが多いように思う。あっちでは「相手を凍りつかせてダメージ」とか。あっちでは「複数の氷塊が相手を押しつぶす」とか「氷柱が相手を貫く」とか。あっちでは「吹雪を起こして敵を引き裂く」とか。これ、シリーズごとどころか、シリーズ内のナンバータイトル同士ですら設定が食い違ったりすることがある。
要は、冷気系呪文というものは「寒さでダメージなんだか物理的ダメージなんだかよくわからん」属性だ、と思うのである。
これは、「大地/地震系」の呪文にも同様のことがいえる。ただ「地震が起きました」だけだと「どうやってダメージ受けたの?転んだの?」という話になってとても困る。なので「地割れに飲み込む」であるとか「土塊/巨岩をぶつける」であるとか、時には「重力で押しつぶす」といった設定になりがちな訳だが、それやっぱり物理ダメージじゃん、と思ったり思わなかったりする。
ことは「呪文のダメージのイメージ付け」という話に集約される。
思うに、冷気系の呪文のイメージ付けがこうもあやふやなのは、「日常生活で冷気の危険性を感じる機会が(火に比べると)少ないから」だったりするのではあるまいか。
雪山に行ったりすると当然冷気は凄く危ないわけだが、普通の人はあまり頻繁には雪山にいかないし、火傷に比べると凍傷になる機会は少ない(住んでる地域によっては話が別かも知れないが)。
そして、日常生活に限らず、実際そこまで「即効性」の冷気のイメージというものは挙げにくいような気がする。たまに絶対零度までいっちゃうようなチート呪文もあるが。
それに対して、火や感電といった危険は普段から一般的に転がっている危険でありイメージしやすく、しかも大抵即効性であり「戦闘」というものに馴染む。
こういった、日常生活に依拠した「ダメージの説得力」というものが、呪文のイメージ付加というものに重大な意味をもっていると私は思う訳である。説得力のあるダメージは、属性そのまんま。説得力が足りないダメージは、そのままだとなんだかよく分からないので、物理的ダメージのイメージを付加したりする。
つまり氷の槍とか氷の塊といった「物理的イメージの付加」は「説得力のドーピング」なのではないか。
ヒャドやブリザド、クエイクといった呪文の若干よく分からなさは、そういった「説得力」のせめぎ合いの結果生まれたものであるという推測は、あながち的外れでもないのではあるまいかと思う。
総括すると、世の中には「ダメージの説得力がある」属性と「ダメージの説得力が(あんまり)ない」属性、という二種類の属性があり、後者の属性呪文はいまいち設定が曖昧になりがちなのではないかという、とてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
一応まとめておく。
・冷気系の呪文の分かりにくいところは、「冷たさ」で攻撃しているものと「氷柱や雪嵐を吹き付ける」といった物理的なダメージで攻撃しているものが混在していることではないかと思う。どっちなんだよと思う。
・冷気系に限らず、ダメージ呪文の「属性」というものには、「分かりやすいもの」と「分かりにくいもの」があるような気がする。
・「どんな風にダメージを受けているか、イメージが湧きにくい呪文」には、説得力増強の為に物理攻撃のイメージが付加されたりすることが多いんじゃないだろうか。
・ティルトウェイトの説得力は異常。
ということで今回はこのくらいで。
RPGに攻撃呪文は数多あり、その攻撃呪文には「系統」とか「属性」といったカテゴリーがあることが多い。これは、古くはD&Dの時代からの伝統である。
例えば電撃がピシャーーンと落ちる雷系の呪文であるとか。例えば炎がヒュゴォッと襲い掛かる炎熱系の呪文であるとか、呪文の属性にも色々ある。そして、属性呪文を使いこなすと、「炎に弱い」とか「氷に弱い」といったモンスターに大ダメージを与えられたりもする。
「雷」とか「炎」の呪文というのは分かりやすい。実に分かりやすい。雷がドカーンと落ちてくれば大抵の人は痛かったりしびれたり大怪我したりする。炎がどひゃあああと降りかかってくればそりゃ熱いし大やけどする。実に直感的である。
「風」系の呪文というのは若干怪しい。ただ風がぴゅーぴゅー吹いているだけなら、傘の骨が折れることこそあれダメージを受ける筋合いはないので、多くのRPGにおいて、「風系のダメージ」というものはいわゆる「かまいたち」のイメージに集約されている。風によって真空が発生してどうとかいうアレである。そもそも本当に風によって真空が発生するのかどうかという問題もさることながら、そもそもそれ物理ダメージじゃね?という疑問も捨てきれない。切れてんじゃん。切り傷じゃん。属性関係ないじゃん。
これをもうちょっとややこしくすると、標題のテーマとなる「冷気系」とか「地震系」の呪文の話になる。
例えば、ドラクエにおける「ヒャド」の説明書きを参照してみる。厳密に検証するなら各シリーズタイトルの取説を検証するところだが、面倒なので取り敢えず目に付いた検索結果をひいてしまおう。可能なら後程取説に当たって補足する。
ヒャド系の基本呪文。鋭い冷気で敵1体に約30ポイントのダメージ。(シリーズによってダメージ量に差異あり)はてなキーワード
「鋭い冷気」でダメージ、とある。これ自体ちょっとイメージしにくい。鋭い冷気って何?冷たいの?それでおおきづちにぶんなぐられるのよりダメージ食らうの?
それがヒャダルコになるとこうなる。
ヒャドより大きな氷の刃を呼び出して敵を攻撃する。
バトルロード2では、飛び上がって氷の刃を連続で放つタイプと氷の槍をつくって敵に向かって飛ばすタイプの2種類の唱え方がある。ドラクエ用語辞典
刃とか槍って、それ物理攻撃じゃね?冷気あんまり関係なくね?
ヒャドやヒャダルコに限らず、「冷気系」の呪文というのは、とかくダメージの根拠が曖昧なものが多いように思う。あっちでは「相手を凍りつかせてダメージ」とか。あっちでは「複数の氷塊が相手を押しつぶす」とか「氷柱が相手を貫く」とか。あっちでは「吹雪を起こして敵を引き裂く」とか。これ、シリーズごとどころか、シリーズ内のナンバータイトル同士ですら設定が食い違ったりすることがある。
要は、冷気系呪文というものは「寒さでダメージなんだか物理的ダメージなんだかよくわからん」属性だ、と思うのである。
これは、「大地/地震系」の呪文にも同様のことがいえる。ただ「地震が起きました」だけだと「どうやってダメージ受けたの?転んだの?」という話になってとても困る。なので「地割れに飲み込む」であるとか「土塊/巨岩をぶつける」であるとか、時には「重力で押しつぶす」といった設定になりがちな訳だが、それやっぱり物理ダメージじゃん、と思ったり思わなかったりする。
ことは「呪文のダメージのイメージ付け」という話に集約される。
思うに、冷気系の呪文のイメージ付けがこうもあやふやなのは、「日常生活で冷気の危険性を感じる機会が(火に比べると)少ないから」だったりするのではあるまいか。
雪山に行ったりすると当然冷気は凄く危ないわけだが、普通の人はあまり頻繁には雪山にいかないし、火傷に比べると凍傷になる機会は少ない(住んでる地域によっては話が別かも知れないが)。
そして、日常生活に限らず、実際そこまで「即効性」の冷気のイメージというものは挙げにくいような気がする。たまに絶対零度までいっちゃうようなチート呪文もあるが。
それに対して、火や感電といった危険は普段から一般的に転がっている危険でありイメージしやすく、しかも大抵即効性であり「戦闘」というものに馴染む。
こういった、日常生活に依拠した「ダメージの説得力」というものが、呪文のイメージ付加というものに重大な意味をもっていると私は思う訳である。説得力のあるダメージは、属性そのまんま。説得力が足りないダメージは、そのままだとなんだかよく分からないので、物理的ダメージのイメージを付加したりする。
つまり氷の槍とか氷の塊といった「物理的イメージの付加」は「説得力のドーピング」なのではないか。
ヒャドやブリザド、クエイクといった呪文の若干よく分からなさは、そういった「説得力」のせめぎ合いの結果生まれたものであるという推測は、あながち的外れでもないのではあるまいかと思う。
総括すると、世の中には「ダメージの説得力がある」属性と「ダメージの説得力が(あんまり)ない」属性、という二種類の属性があり、後者の属性呪文はいまいち設定が曖昧になりがちなのではないかという、とてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私
一応まとめておく。
・冷気系の呪文の分かりにくいところは、「冷たさ」で攻撃しているものと「氷柱や雪嵐を吹き付ける」といった物理的なダメージで攻撃しているものが混在していることではないかと思う。どっちなんだよと思う。
・冷気系に限らず、ダメージ呪文の「属性」というものには、「分かりやすいもの」と「分かりにくいもの」があるような気がする。
・「どんな風にダメージを受けているか、イメージが湧きにくい呪文」には、説得力増強の為に物理攻撃のイメージが付加されたりすることが多いんじゃないだろうか。
・ティルトウェイトの説得力は異常。
ということで今回はこのくらいで。