2011年08月31日

レトロゲーム万里を往く その104 スーパーマリオブラザーズにおける戦略論

クッパさんには戦略眼が決定的に欠けているのではないでしょうか。


ちょっとスーパーマリオブラザーズの話をしよう。

スーパーマリオブラザーズは、いうまでもなく、1985年に発売されたファミコンソフトである。任天堂が放った大名作でもあり、国内限定でも680万本を売り上げ、空前のヒットを巻き起こしたもの凄いゲームである。

このゲームのストーリーは以下のようになっている。
キノコ達の住む平和な王国に、ある日、強力な魔法を操る大ガメクッパの一族が侵略して来ました。おとなしいキノコ一族は、皆その魔力によって岩やレンガ、つくし等に姿を変えられてしまい、キノコ王国は亡びてしまったのです。
 このキノコ達の魔法を解き、よみがえらす事ができるのはキノコ王国のお姫様ピーチ姫だけ。彼女は今、大魔王クッパの手中にあります。
 マリオは、カメ一族を倒してピーチ姫を救出し、再び平和なキノコ王国を築くために立ち上がりました。
(ゲームの説明書様より引用)

さて。この時、マリオ・ルイージの戦略目標は単純明快である。彼らの最終目標はピーチ姫の救出であり、その行動指針は以下のような優先順になっていることが推測出来る。

1.クッパにさらわれたピーチ姫の救出
2.ブロックなどに変えられたキノコ王国住人の救出
3.(上記1,2を達成する手段として)クッパ及びカメ一族の撃破


実に明快。プロジェクト達成に最重要なのが「明確なゴール」であることは疑いなく、この点マリオ達の王女救出プロジェクトにおいて、目的の明確さについては文句のつけようがない。また、目的3が同時に1,2達成の手段になっていることを考えると、プロジェクトとしてのアウトラインも明快である。

強いて文句をつけるとすれば人月の規模感か。プロジェクトの規模の割にマリオとルイージしか実働メンバーがいないんですけどこの見積りどうなの、という一点に集約されると思うが、まあこれもマリオさんが、「亀をたくさん踏んでいるといつの間にか増殖している」という、一山いくらのチート人月単価の所有者であることを考えれば、そこまで重大な問題だとはいえないだろう。



翻って、カメ一族の方はどうか。純粋にストーリーから読み取る限り、クッパの当初の目標は、「キノコ王国を侵略する」ということである。プロジェクト達成ラインが明確ではないが、「キノコ王国は亡びてしまった」という記載からすると、当初の目的はほぼ達成出来ていると考えていいだろう。


問題なのはその後の対応である。これがもう、状況を克明に分析すればする程、眼を覆わんばかりの有様だ。

プロジェクトが達成出来た後は、その次の中長期目標を設定しなくてはならない。一般的に考えれば、侵略軍の新たな目標は「侵略した地域の維持」及び「新たな地域の侵略」となるのが妥当である。となると、「侵略した地域の維持」の為にも、リスク因子はなるべく排除しておきたいと考えるのが通常のプロジェクトマネージャーだ。

然るに、「このキノコ達の魔法を解き、よみがえらす事ができるのはキノコ王国のお姫様ピーチ姫だけ」と明言されている重要な戦略目標であるピーチ姫を、のーのーと手元に収監しておき、マリオやルイージが自軍の拠点を次から次へと失陥させている間も完全放置というのは、一体いかなる戦略的思考から行われた行動なのか。正直、この時点で既にプロジェクトマネージャーとしては犯罪的な錯誤をしていると考えざるを得ない。ステージ毎に偽クッパとか出して喜んでる場合じゃないだろう、と強く主張したい。

戦術的にも、戦力の逐次投入をして完全にマリオ・ルイージの各個撃破の対象となってしまっているのはありがちな話だから置いておくとしても、各城の守将の背後に毎回ご丁寧に橋を落とす為の斧を置いておくであるとか、マリオやルイージがパワーアップするキノコやファイアフラワーを自生するままに放置しておくといった、緊急時を想定した事前対応の不備がとにかく目立つ。コンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)に重大な失陥があるのではないか。監査法人の外部監査を早急に受けることをオススメしたい。


本来クッパはどうするべきであったかというと、マリオ・ルイージと同様明確なプロジェクト達成指針を定め、それを達成する為のアウトラインを設定するべきだったのではないか、と私は思う。

カメ一族の目標優先順は、本来以下のようなものになるのではないか。


1.キノコ王国侵略状況の維持
2.カメ一族の戦力増強、及び温存(1の手段)
3.マリオ・ルイージの抹殺(1の為のリスク因子排除)



こうして考えると、クッパ勢力のとった戦略がいかにまずかったかがよく分かる。少なくとも、3が上手くいっていない時点で2の徹底、及び1の為のピーチ姫排除は必須要件だったと思うのだが、この点やはり「緊急時対応の規程がそもそも存在しなかった」と考えるのが妥当のように思え、カメ一族にはコンティンジェンシープランの設定を急ぐよう強く提言したい。


以上をまとめると、

・プロジェクト達成の為には、プロジェクトの目的とその達成に向けたアウトラインが必須。
・カメ一族には一次プロジェクト達成後の戦略眼、及びコンティンジェンシープランが欠けている。
・クッパは取り敢えず橋の後ろの斧をどうにかしろ。


というとてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私

今日はこの辺で。
posted by しんざき at 17:37 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

レトロゲーム万里を往く その103 スプラッターハウス

実はナムコアクションにも二つの派閥があるんではないか、と私は思っている。


一つは、例えばマッピーやパックランド、ドラゴンバスターやワギャンランドなどを始めとした、王道系操作感重視アクションの派閥。こちらの派閥のゲームは、「初心者でも入りやすい敷居の低さ」とか「洗練された操作感」であるとか「素晴らしい完成度」であるとか、非常に綺麗な言葉を冠に抱いているタイトルが多い。

私はこちらの派閥のことを、「綺麗なナムコ」と呼んでいる。


もう一方が、例えば「オレサマハサソリベイダーダ」とかやらかしちゃうスターウォーズであるとか、妖怪道中期であるとか、言わずとしれたベラボーマンや源平討魔伝を擁する源平プロジェクトであるとか。アクが強く、敷居が高く、時折突拍子もない展開を情け容赦なく打ち出す、どう考えても万人向けとはいえないゲーム群だ。マインドシーカーがナムコの作品であることは今更挙げるまでもあるまい。ナムコは、決してお上品なだけのメーカーではないのである。

これらのタイトル群は、言ってみれば「綺麗じゃない方のナムコ」ということになるかも知れない。とはいえ、遊ぶ人を選ぶゲームが多いことは確かだが、それらのゲームはどうしようもなく魅力的だ。源平の、ベラボーの、あの底知れない世界観と爽快感は、遊ぶ人を捕らえて離さない。これらの「アクの強い方のナムコ」の魅力は、我々を引き付けてやまないのである。


「スプラッターハウス」も、そんな「アクの強い方のナムコ」の代表作の一つなのではないか、と私は思うのだ。


スプラッターハウス。横スクロールアクションゲーム。1988年、ナムコよりアーケード版発売。「13日の金曜日」をモチーフとするホラー映画テイストのジャンプアクションで、残虐性の強い描写も交えながら、底堅いゲーム性によって一部のファンから熱狂的な支持を得た。この背景には、当時スプラッター映画・ホラー映画がブームになっていたことが伏在している。

正直なところ好みが別れるゲームであることは間違いないが、ナムコ史の一角を占めるゲームであることも否定出来ない事実である。

PCエンジンを始めとする数々のゲーム機に移植されており、ファミコン版においては「わんぱくグラフィティ」などという凄まじいサブタイトルをつけられ、「これは本当にスプラッターハウスなのか?」と言わんばかりのSDアクションでファンの度肝を抜いた。見た目は可愛いがよくよくストーリーを追ってみるとこれが意外と鬱ゲーだったりもするのだが、まあそれはとりあえず置いとこう。


関連URLを挙げておく。

ゲーム自体についてはWikipediaに詳しい。

Wikipedia:スプラッターハウス

PSPで遊ぶことも出来る。画面写真、動画はこちらでご参照頂ければ。

PCエンジンアーカイブス


さて、ゲームの話にいこう。

(※今回の万里を往くでは、諸事情によって途中イメージ画像が挿入されますが、ゲームとは直接関係ありません)


・そこにあったのは、「ホラー映画」への徹底したオマージュ。

スプラッターハウスは、頭の先からつま先まで、先述した「ホラー映画」を徹底的に意識した作りになっている。ストーリーを追っかけてみると、物凄くオーソドックスなホラー映画をなぞっていることがよく分かる。諸事情によってイメージ画像つきでお送り致します。


まず、ゲームの背景。主人公のリックと恋人のジェニファーは、豪雨に追われ、見るからにおどろおどろしい感じの洋館の中に逃げ込む。


(注:画像は暗雲立ち込める丘の上に立つ洋館のイメージ映像です)


洋館で遭遇した怪物たちにジェニファーは連れ去られてしまい、自身も打ちのめされたリックは、絶望の中「ヘルマスク」の声を聞く。13日の金曜日のジェイソンがつけていたホッケーマスクに良く似たヘルマスクを身につけたリックは、ドーピングされるがごとく強靭な身体能力を得る。


(注:画像はドーピングのイメージ映像です)

そしてリックは、ジェニファーを助け出し屋敷から脱出する為、ヘルマスクの力を借りて悪夢の屋敷に挑む。


(注:画像は赤錆びたおどろおどろしい感じのダンジョンを探索するイメージ映像です)


洋館に逃げ込んだカップルが無事でいられる訳がない、というのがありとあらゆるB級ホラーのお約束であることはご理解いただけるであろう。一応バックストーリーでは「超心理学を専攻していたリックが、恋人のジェニファーと一緒に、超心理学の権威ウエスト博士の洋館を訪ねる」というものがあるのだが、そもそもそんな所に恋人を連れていくな、であるとか、オープニング画像を見る限りリックは最初からあの服装にスキンヘッドなんだけどどうなの、といった事情は勿論ある。とはいえ、これもホラー映画のお約束と考えれば些細な突っ込みであるといえよう。

この辺り、魔界村のオープニングで墓場デートをしゃれ込んでいた某騎士とお姫さまを彷彿とさせるところがある。魔界村のプリンセスが改造されていなかったことにはある種の疑問を感じざるを得ない。


その後の劇中は、お約束のように怒涛のホラー展開と鬱描写、最終的にはバッドエンドまっさかさま。一応ネタバレを考慮して詳細な描写は避けるが、鬱エンドの後に2、3と続編が出て微妙な展開を見せる、というところまでB級ホラーの展開をなぞっている点に関しては、ナムコの徹底っぷりに感嘆を禁じえない。



・一方ゲームの方はどうなのですか。

おどろおどろしい見た目とは裏腹に、結構基本をなぞっているというか、アクションとしてはむしろ王道を行っているのではないか、というのが私の印象である。

アクションゲームとしてのスプラッターハウスは、基本的にはスパルタンXの延長線上にある。主人公であるリックは、左右から迫ってくる敵をがんがん殴りつけたり、べしべしけり飛ばしたり、その辺に落ちている角材を拾ってめきょめきょとなぎ倒したりする。しゃがみキック連打が時折妙に安定行動になることはもとより、迂闊なジャンプは死を招くこと、地面に空いた穴が時として最強の障害であることなど含め、アクションゲームとしてのスプラッターハウスは意外な程シンプルだ。

ただ、敵のやられっぷりがいちいちグロいことであるとか(角材で敵を画面奥に叩きつけた時のグラフィックはなかなかにエグい)、「スライディング」という攻撃のテクニカルさ・強力さがアクセントになっていること、拾って使える武器の中には飛び道具も含まれていることなどが特色として挙げられるだろう。

スライディングについて言えば、「ジャンプの着地際に下とAを同時に押す」という操作の入力タイミングが相当にシビアで、使いこなすにはかなりの熟練が必要だった。とはいえそれに見合うだけの威力も十分であり、特にピギーマンなど一部のボスには、とある武器なしで活路を見出すにはスライディングに頼る他ない、という状況でもあった。

ボスについていえば、やはり個人的には上述の、3面ボスピギーマンの凶悪さが記憶に濃い。私がこのゲームをやり始めた頃は、ショットガンを2丁持っていけるということを知らず、一丁のショットガンを打ちつくした後に地獄をみたものであった。私はアクションゲーム下手っぴーであるので、今でもショットガンなしでピギーマンを倒す自信はこれっぽっちもない。夜道で遭いたくないボス敵ランキングを作れば、歴代アクションゲームの中でもかなり上位に入るであろう。


・音楽も流石のナムコでしたよ。

私は、ナムコ音楽の特徴は「統一感」なのではないかと考えている。どれか一曲物凄い曲が、というわけではないのだが、全体を通して非常に音楽がまとまっており、曲単位というより全体として印象に強く残る。オーダインも源平もワルキューレもそうだった。

スプラッターハウスもその点は多分に漏れず、ホラー映画テイストの序盤から、徐々に緊迫感を増していく5面6面、そしてどこか物悲しさを感じさせる最終面からラスボス・エンディングまでの展開は、やはり万人向けとはいえないものの、耳に残ること大であった。

効果音の印象度も相当なもので、特に「敵を撃破した時の音」はどれもこれも非常に印象的でとにかく耳に残る。ナタで敵をぶったぎる時のスコーンスコーンという音については、このゲームをやったことがある人なら大抵記憶に残るだろう。


「名作」などという言葉で一言で括ってしまうには無理があるかも知れないが、見過ごすことの出来ないナムコの佳作。一言でこのゲームをまとめると、そんな言葉になるのではないかと、私は思うのである。


ということで今日はこの辺で。


(このエントリーは、ブログ企画NoBorderに投稿したものです)
posted by しんざき at 23:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

レトロゲーム万里を往く その102 フィールドコンバット

間が空きました。

いつの間にやら冬が終わり、春も終わり、季節はもはや夏に片足突っ込んでおりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。しんざきは元気ですがデスマに突入しかけています。

久々の万里は、ちょっと時代を下って、ジャレコの名作について書き連ねてみたいと思います。

以下平文。


「固定画面型シューティング」というジャンルは、正式なルーツ(Space War!みたいな)はともかくとして、業界的に見ればタイトーの「スペースインベーダー」がご先祖様になっているんじゃないかと思う。

インベーダーに始まったシューティングゲームは、一方では「シェリフ」のようなゲームを経由してアクションゲームの川に流れこみ、もう一方では「ギャラクシアン」や「ディフェンダー」のようなゲームを経て多種多様なスクロールSTG群を作り出す訳なのだが。


大多数のジャンルと同様、STGというジャンルも、進化の歴史の中で色んな実験作を生み出してきた、と思う。「こんなアイディア面白いんじゃないか」「こういう仕組みを導入すれば面白いんじゃないか」そんな開発者の思いが、意欲的な「試し」として結実するのが、ゲームにおける「実験」だ。

そういった大小様々な「実験」の中には、例えばムーンクレスタにおけるパワーアップやスクランブルにおける横スクロールのように、後後の大潮流を生み出した実験もあるし、データイーストの「サンダーストーム」のようにちょっと特殊な方向に進化したというか、ちょっと時代を間違えたんじゃないか感のある実験もあったわけなのだが。


私の中では、「フィールドコンバット」も、そんな大小さまざまな実験作の一つなのである。


フィールドコンバット。シューティングゲーム。1985年、ジャレコよりアーケード版発売。同1985年7月にはファミコン版も発売されており、こちらはバーチャルコンソールにも移植されている筈だ。

プレイヤーは、UFOのような形をした自機「ジェネシス-3」を操り、悪の天才科学者フォゾムとの戦いに挑む。一見すると「ゼビウスみたいな照準がついた、何の変哲もない手動スクロール縦シュー」なフィールドコンバットだが、その最大の特徴は「キャプチャービーム」である。

そう、このゲームにおいては、出てくる敵はキャプチャービームで捕獲することが出来るのだ。そして、任意に解放して、今度は自軍の仲間として使役することも出来るのだ。これが、STGとしてのフィールドコンバットにおける、唯一無二の特徴である。


残念ながらかつての私はアーケード版に触れることが出来なかったが、ファミコン版フィールドコンバットは相当やり込んだ記憶がある。BGMの出だしが「ワルキューレの騎行」という曲だ、などということは当時知らなかったが、妙に耳に残るBGMと共に、歩兵を捕まえたり戦車を捕まえたりヘリと激突して死んだりしていた。よくあることだった。


参考URLとして、例によってWikipediaを挙げておこう。

Wikipedia:フィールドコンバット

画面はYoutubeから見ることが出来る。このBGM、相当耳に残る。

フィールドコンバット for FC (1985)


さて、ゲームの話をしよう。


・それはおそらく、「キャプチャー」のルーツ。

私の認識が間違っているかも知れないが、多分フィールドコンバットは、「敵を捕まえて戦わせる」というシューティングゲームの草分け的な存在ではないかと思う。それ以前、「つかまった自機を取り戻してパワーアップする」というのはギャラガがやっていたが、捕まえてきた敵が勝手に動いて戦ってくれるというのは当時相当目新しかった記憶がある。

今でこそ「敵を仲間に」というのは珍しくもなんともないが、なにせゼビウスやスターフォースの時代だ。本来なら敵機はただひたすら撃ち落し得点を稼ぐだけの対象だった訳で、打ち落とすわけではなく、逃がす訳でもなく、「捕まえて味方にする」というのはとてつもない新機軸だったように、少なくとも当時の私には思えた。初めて敵歩兵をキャプチャーした瞬間はそりゃもう衝撃的であった。

なにせ打ち落とすより捕まえた方が得点は高いのだ。しかも捕まえた後フィールドに解き放って戦わせることすら出来るのだ。そりゃもう捕獲に走らないわけがあるまい。

結果的に、フィールドコンバットを遊んだお子様は敵をひたすらキャプチャーすることに励み、キャプチャービームを撃っている間は動けないという絶妙な条件が、「リターンを得る為にはリスクを経なければならない」という人生の基本則を教えてくれていることに気付く、という訳なのである。いやあ、フィールドコンバットまじ人生の先生ですね。死ぬ原因の8割くらいは「キャプチャー狙ってる間に敵弾に撃たれて死亡」だったんじゃあるまいか。



ただ、唯二の問題として、味方にした敵機があんまり賢くないということと、別に敵をキャプチャーしなくてもクリアには何の支障もないという点のみが、このゲームの画竜点睛を欠いていると私は思っている。

このゲームの目的というか、ステージクリアの条件は、奥にある4基の砲台を破壊してその奥に侵入すること、である。砲台を排除して隙間に侵入すると、敵の歩兵が一人、のこのこと歩いてきて白旗を振る。それでステージクリアである。

実のところ、他の敵を一匹も倒していなくても、奥の砲台を倒すことはそれ程難しくないし、むしろ敵を全部倒したり捕獲したりするより奥の砲台だけ狙った方が安全な場合すらある、というのは正直残念なところだ。どうせ「キャプチャー」という新機軸を盛り込んだのだから、いっそ捕まえた敵の力を借りなくてはクリア出来ないくらいの状況も作ってよかったのではないかと思うが、まあそれはそれ。砲台狙いに気付いた後もそこそこ楽しく遊べるというのは、流石ジャレコの底力、というべきなのだろう。


・「集めゲー」としてのフィールドコンバット。

これは以前も書いたことなのだが、私はファミコンにおける「集めゲー」の元祖が実はフィールドコンバットなんじゃないか、とか思ったりしているのだが、これに賛同する人はそれ程多くないと思うし、私もそこまで本気で考えているわけではない。気にしないでください。一応昔書いた記事にリンクしておく。

レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論

敵を捕まえまくって大軍団を編成、大軍団と大軍団の激突だ!!戦略的な要素もあるシューティングなんて滅多にねーぜ!!とか思うと実際フィールドコンバットってすげえ、と思うのだが、正直なところ敵も味方もそこまで賢くないし、解放した自機が的確に敵を排除していってくれるシーン、というのもあまり記憶にはない。この辺、あと一歩突き詰めれば本当の意味で「歴史的なゲーム」になっていたのではないかと思うと、一抹の残念さを感じたりもするのだが、まあ贅沢過ぎるというものであろう。

ここでは、「Gダライアス」のキャプチャーボールの遠い遠いご先祖様かも知れないよ!ジャレコ凄いね!とだけ書くに留めておく。

あとその、三國フィールドコンバットはどうなんだとほんの少しだけ思ったりしますけれど、自分でやってないので何もいえません。プレイした方、いかがでしたか。


尚、今回の記事は、orangewind師の「ゲイングランド」についての記事を読んで、「あ、初見の時ゴールデンアックスのキャラがフィールドコンバットやってるとか思ったなあ」と思い出した故のエントリーであることを申し添え、謹んでリンクを貼らせて頂く。

レトロゲームの煩悩 その4 ゲイングランド


と、復帰早々にだいぶ長くなったので、今日はこの辺で。次回はもうちょっと早めに書ければいいなあと思っております。多分タイトルものです。
posted by しんざき at 23:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月23日

レトロゲーム万里を往く その101 25周年ラッシュを迎え撃て!

先日、1986年2月21日発売の「グーニーズ」、そして「ディスクシステム」、及び同時発売の「ゼルダの伝説」などが発売25周年を迎えた。ディスクシステムが発売されて四半世紀というのは、非常に感慨深いものがある。

今年は2011年であり、1986年から25年経ったのだから、1986年発売ソフトが25周年を迎えるのは当然過ぎる話である。1986年という年はファミコン業界がまさに黄金期にさしかかろうとしている時代でもあり、この年に発売された作品には名作・迷作ともに枚挙に暇が無い。

今後の「25周年」を予測するにあたって、この年発売されたタイトルをざっと眺めてみるのは意外と面白いかも知れない。

ということで、25年前に戻って発売日カレンダーを眺めているつもりで、1986年の3月以降に発売する予定のゲームの内、主だったものをざっくりと見てみよう。元々網羅する気はないので、抜けは気にしないでいただければ。あと、ディスクとカートリッジはごっちゃにしてある。

まずは3月。

3/4:サーカスチャーリー
3/5:忍者ハットリくん
3/13:ジャイロダイン
3/18:マグマックス
3/18:ハイドライド・スペシャル
3/19:バルトロン


恐らく、当時ファミマガ(1985年創刊)やコロコロで発売日カレンダーを見ていたファミッ子が最も注目していたのは、ハドソンから発売の「忍者ハットリくん」ではないかと思う。とはいえ、ゼルダの伝説に続くアクションRPGである「ハイドライドスペシャル」も決して見逃せるタイトルではない。この年は、まさしくコンシューマーゲーム機における「RPG黎明期」だったのである。

続いて4月。

4/14:謎の村雨城
4/17:アーガス
4/17:アトランチスの謎
4/17:ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境
4/18:影の伝説
4/24:マイティボンジャック
4/25:グラディウス
4/26:スパイvsスパイ


「アトランチスの謎発売25周年」というのは相当にビッグイベントではないかと思うのだがどうだろう?何が謎なのかが最も謎である謎の村雨城とタッグで、ファミコン業界謎シリーズの嚆矢であろうと思う。

問題:(アトランチスの謎・ガンプの謎・神龍の謎・コンボイの謎・十王剣の謎・ワイリーの謎・イカロスの謎・謎の村雨城・謎の壁)の中から、最終的に謎が解けたものに○をつけなさい。(5点)

注目作は、なんといっても4/25のグラディウスであったろう。その他、マイティボンジャック、影の伝説など、アクションゲームでもキラリと光る佳作が多い。

5月、6月。

5/19:セクロス
5/27:ドラゴンクエスト
6/2:スーパーマリオブラザーズ2
6/3:B-WING
6/13:魔界村
6/13:スターソルジャー
6/26:スクーン


なんといってもドラクエが驚異的な存在感を放っているのは、今の目から見れば当然といえるだろう。とはいえ、この頃はまだそこまでのお化けゲームではなく、本当に凄いことになったのは「ドラクエII」からだった、という記憶がある。

もっとも注目されていたのは、キャラバン絡みで「スターソルジャー」だったかも知れない。確かこの当時、高橋名人は既にファミコン業界の花形的存在になっていた筈だ。1942、ソンソンに続いてカプコンが「魔界村」をリリースしているのも見逃せない。

セクロスを性行為の隠語として使うの禁止。

7月、8月。

7/3:東海道五十三次
7/18:バベルの塔
7/30:ソロモンの鍵
7/30:がんばれゴエモン
8/1:ワルキューレの冒険
8/6:メトロイド
8/8:六三四の剣
8/10:北斗の拳
8/22:じゃじゃ丸の大冒険
8/22:スカイキッド


ナムコが本気を出した。バベルの塔、ワルキューレ、スカイキッド、いずれ劣らぬ名作揃いであり、特にワルキューレは、ゼルダ・ドラクエ・ハイドライドスペシャルと合わせて、「RPG路線」を決定的なものにした一角だったのではないかと思う。

個人的には、東海道五十三次のサンソフトがキラリと光る。メトロイドは当然の注目作ながら、六三四の剣、北斗の拳の剣拳シリーズも当時結構注目されていたのではなかったか。


9月、10月。

9/12:高橋名人の冒険島
9/18:キングスナイト
9/19:スーパーゼビウス
9/26:悪魔城ドラキュラ
9/27:戦場の狼
9/27:テラクレスタ
10/23:うる星やつら
10/31:ミシシッピー殺人事件


きた。という感じの、高橋名人の冒険島の存在感は流石に凄い。当時も、特にコロコロでは猛プッシュされていたような記憶がある。ワンダーボーイなどと言ってはいけない。

テグザーに続くスクウェアの二作目、キングスナイトは誰がなんといおうとRPGである。そうだな、みんな!!
悪魔城ドラキュラ25周年は間違いなく来るだろう。ミシシッピー殺人事件もいぶし銀の存在感を見せている。


11月。

11/11:スーパースターフォース時空暦の秘密
11/13:迷宮組曲
11/20:デッドゾーン
11/21:もえろツインビー
11/21:アイギーナの予言
11/21:元祖西遊記スーパーモンキー大冒険
11/26:マッピーランド
11/26:怒
11/27:ドラゴンボール神龍の謎
11/28:キャッスルエクセレント
11/28:きね子
11/28:ザナック


作品数も増えてきた。この11月から翌1987年まで、ファミコン業界は一気にカンブリア爆発のごとき展開を味わうことになる。

迷宮組曲は、個人的にはハドソンのファミコンにおける最高傑作ではないかと思っているのだが、残念ながらこの当時は「高橋名人の冒険島」や12月のドラえもん、あるいはドラゴンボールなどに食われてそこまで存在感を発揮していなかったような記憶がある。神龍は一体何が謎なのか。

11月最後を締めくくる「ザナック」は、ファミコンにおける「最強」のシューティングではないかと思う。当時も、後からだんだん火がついてくるタイプの注目を浴びていた筈だ。

スーパーモンキー大冒険25周年には勿論金角・銀角と戦わないとな!!

ちなみに、11/12には「ファミリートレーナー」も発売されていた。ステップを中心としたゲーム性は、遠い未来DDRとして復活することになる。


そして、12月。

12/10:たけしの挑戦状
12/12:ドラえもん
12/15:魔鐘
12/15:水晶の龍
12/16:メトロクロス
12/19:パルテナの鏡
12/19:ディープダンジョン
12/24:闘いの挽歌
12/26:アルカノイド
12/26:時空の旅人


これまた、「来た。」という感覚の強い1986年12月。いわずもがなの作品が多いが、なるほど、パルテナの鏡が3DSで出るのは25周年だからか(本当にそうなのかどうか知らないが)

たけしの挑戦状が当時どういう受け取られ方をされていたか、私にはよく思い出すことが出来ない。とはいえ、水晶の龍がイロモノ扱いをされることになる責任は、間違いなく徳間書店にあると断言して問題ないだろう。

ちなみに、タイトーはこの頃「ダライアス」「奇々怪界」「アルカノイド」などをリリースし、スペースインベーダーから続くゲーセンにおける地位を磐石にしていたのだが、ファミコンにおける妙なイメージってどうも86年についてる気がしてならない。


と、駆け足ではあったが、「25周年予定ソフト」をざっくりと見てみた。あなたにとっての「25周年」はあっただろうか。


私はといえば、今日も迷宮組曲で井戸に突っ込んでこようと思うわけですよ。
posted by しんざき at 23:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

レトロゲーム万里を往く その100.5 万里の道を半ば過ぎて・後編

ということで引き続き。

レトロゲーム万里を往く その35 〜ダライアス外伝〜

間違いなく私が人生で一番遊んだであろうゲームであり、「自分にとっての最高のゲーム」を一本挙げるとしたら躊躇いなくこれを選ぶ。無人島に持っていくだと?コンパネとモニターと電源はあるんだろうな電源はァ。
陸シャコが萌えキャラであることには議論の余地がない。


レトロゲーム万里を往く その36 〜ハイドライドスペシャル〜

今でも音を脳内再生しつつ脳内プレイ出来る。アクションRPGの草分けの一角であることは間違いないだろう。
クイックロードは、本当に時代を数年先取りしていたと思う。


レトロゲーム万里を往く その37 〜コナミとペンギン達の足跡〜

コナミについてのちょっとしたお話。けっきょく南極大冒険の主人公は多分ペンタロウXの若い頃とかそういうペンギンだと思う。


レトロゲーム万里を往く その38 〜ファミコンジャンプ 英雄列伝〜

「オールスターキャラゲー」の草分けだと思うんだ。そういう意味ではマブカプみたいなお祭り格ゲーの遠い前身ともいえるのではないだろうか。
最強のヘルナンデス君が見られるゲーム、という点については議論の余地がないと思う。


レトロゲーム万里を往く その39 〜R-TYPE〜

アイレムが「自機 + α」というゲームデザインに優れていたのはなんでだろう、とか思った(ガンホーキとかイメファイとか)。R-TYPEは大好きだけど高次面復活とか出来る気が全くしません。


レトロゲーム万里を往く その40 〜スペースインベーダー〜

タイトーよ永遠に。これ書いた時は結構本腰入れて落ち込んだ記憶があるけれど、その後もダライアスバーストが出てくれた。本当に嬉しかった。


レトロゲーム万里を往く その41 〜ゼルダの伝説〜

偉大なるディスクシステム初代。同発タイトルでハイクオリティなゲームを出してくる、という任天堂の伝統の発祥かも知れない。
結局、このゲームを超えたディスクシステムのタイトルってあるんだろうか。


レトロゲーム万里を往く その42 〜リンクの冒険〜

レベルアップのシステムさえなんとかなれば!このゲームのレベルアップのシステムだけは、無条件でダメシステムと断言してしまっていいと思う。なんでああいう実装されたんだろう。
ゲームとしては大好き。青フォッカーがガチなのも当初から変わらない。


レトロゲーム万里を往く その43 〜Wizardry伝説・序文〜
レトロゲーム万里を往く その44 〜Wizardry〜
レトロゲーム万里を往く その46 WizardryIII

これこそ「伝説のゲーム」と呼ぶにふさわしい。とはいえ、ファミコン版Wizardryに関しては遠藤雅伸氏の手腕による隆盛が極めて大きいと思う。数あるアレンジ移植の中でも、「最適化」という点ではトップクラスなんじゃないだろうか。
マーフィーズゴーストさんをいじめないであげて!あ、グレーターデーモンは別にいいわ。


レトロゲーム万里を往く その45 「集める」ゲーム論

「集めゲー」「育てゲー」もすっかりメジャーになったなあ、という視点でMMORPGを見るのは何か間違っている気がする。
フィールドコンバット初代集めゲー理論。


レトロゲーム万里を往く その47 テトリス

テトリスと、落ち物パズルゲームがゲームに与えた意味、みたいな話。
テトリス程「突然変異」という言葉がふさわしいゲームもそうそうないと個人的には思う。


レトロゲーム万里を往く その48 パックランド

アクションゲームにおける「ジャンプ」に新しいアイディアを導入したゲーム、として捉えるべきだと思うんだ。
ジャンプ台ジャンプの気持ちよさは異常だと思うし、パック夫人の出産シーンはマジ謎。


レトロゲーム万里を往く その49 ツインビー

ベルによるパワーアップシステムは本当に気持ちよかった。赤ベルではない、点滅ベル+白ベルこそ漢の装備だ!(そして4面で死ぬ)


レトロゲーム万里を往く その50 源平討魔伝
レトロゲーム万里を往く その51 源平討魔伝(FC版)

源平二連殺。源平は、ファミコン版にしろAC版にしろ、色んな意味で「一筋縄ではいかないゲーム」だと思う。このゲームをナムコが出した、ということにこそ注目するべきだ。


レトロゲーム万里を往く その52 「ジーザス」とAVGの履歴書

私はジーザスを「メタルスレイダーグローリーの前身」として捉えていて、もうちょっとそういう文脈で書いても良かったかなーと思っている。
ゲームとしては、音楽に合わせた緊迫感の演出が白眉だったと思う。


レトロゲーム万里を往く その53 ジョイメカファイト

1993年って、考えてみるとスーファミが出てからももう3年経っているわけで、よくこんな時期にこんなソフトファミコンで開発出来たなあ、とちょっと思った。


レトロゲーム万里を往く その54 ファンタジーゾーン

1面のBGMは、色んなシューティングの中でもかなりトップレベルに明るいBGMだと思う。
慣性というのはご愛嬌ということで。ゲームとしては、「基地」の存在あってのゲーム性なんじゃないかなーと思った。


レトロゲーム万里を往く その55 メタルスレイダーグローリー

これもある意味伝説のゲームだと思う。当時、説明書に付属の漫画がやたらハイクオリティで戦慄した記憶がある。
ストーリーというか、ゲーム的な盛り上がりもちゃんといい感じだった。終盤の宇宙戦の展開は燃える。


レトロゲーム万里を往く その56 ファイナルファンタジーIII

最近知人がFF3を始めて、グッコーにどうしても勝てないというので良く聞いてみると、ネプト神殿のまま黒黒赤白のパーティでやっていることがわかった。むしろよくオーエンの塔クリア出来たな。
「悠久の風」は出色だと思います。


レトロゲーム万里を往く その57 グラディウス

偉大なゲームであることは議論を俟たない。
ゲームとしては、最大の要素はオプション以上に「地形」だったんじゃないかなあ、と今になって思う。


レトロゲーム万里を往く その58 アフターバーナーII

改めてみると、「大型筐体」について書いたのってこれが初めてだな。
大型筐体話はいろいろストックがあるので、また書きたい。


レトロゲーム万里を往く その59 ワルキューレの冒険 時の鍵伝説

いや、皆さんクジラに言いたいことがあるのは重々承知ですが、やはり個人的にはワルキューレのポイントは操作感だと思うのですよ。あの「ぎゅわっ」って感じの。
音楽が好き、という点ではナムコゲーの中でもトップクラスかも。


レトロゲーム万里を往く その60 奇々怪界

奇々怪界2どこいってしもうたんや…。
効果音もさることながら、お祓い棒で敵をべきべきなぎ倒す感覚についての記憶が濃い。アレは気持ちいいですよね。あと小夜ちゃんが可愛い。


レトロゲーム万里を往く その61 「映画を目指した」ゲームの災厄

これずーっと同じこと言い続けてる気がする。
言いたいことは「わざわざ映画を指向する必要ないんじゃね?」という一点であり、別にストーリーやグラフィカルな演出が必要ない、ということではない。


レトロゲーム万里を往く その62 格ゲー「衰退」を考える。

これはコネタというか。衰退とか繁栄というのも、正直1ジャンルだけとって語るようなことなのか?というのは思う。STGについても同じ。


レトロゲーム万里を往く その63 入出力オデッセイ

コネタが続く。入出力機器についての色々、というのは一度書いてみたかった。内容自体はいい加減だけど気にしない。


レトロゲーム万里を往く その64 バブルボブル

「固定画面アクションゲーム」というジャンルは、この時期に完成されてしまったと思う。
バブルボブルが名作中の名作であるということは議論を俟たないだろう。バブルの万能性には当時感動したものだった。


レトロゲーム万里を往く その65 あるゲーセンの記憶

あるゲーセンについての、ごく個人的な追憶。
キャビンのことは今でもたまに思い出す。


レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。

どうも、セクロスを性行為の隠語として使う風潮に対抗する会会長です。
関係ないが、エキサイトバイクが弾を撃つとこんな感じにはなると思う。


レトロゲーム万里を往く その67 ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会

それゆけ。
ファミコンという土俵で、このゲーム以上に対戦に向いているゲームって、そんなに数多くはないと思う。パーティゲームとしては大御所といっていいのじゃないだろうか。
返す返すもテクノスジャパンは惜しいメーカーだった。


レトロゲーム万里を往く その68 シリーズものゲームの「追加」「複雑化」を科学する。

シリーズを経るごとにゲームは複雑化してしまう、という宿命について。
最近、また別の解法があるような気がしてきたので改めて書くかも。


レトロゲーム万里を往く その69 サラダの国のトマト姫と、ハドソン帝国の盛衰

私が考える「ハドソン三巨頭」最後の一柱。ファミコン版サラトマは、結構冗談ごとじゃなく名作だったと思う。音楽も素晴らしかった。
テキストの語り口がなんといっても素敵でしたよね。


レトロゲーム万里を往く その70 レトロゲームが俺達に教えてくれたこと。
レトロゲーム万里を往く その71 俺達がレトロゲームから間違って教わったこと

小ネタ二連撃。
関係ないが、ぺんぎんくんWarsのビーバーの強さは異常だった。


レトロゲーム万里を往く その72 SDガンダム ガチャポン戦士2 カプセル戦記

バンダイFCゲーの最高傑作だと思う。
SDガンダムXは、まさにカプセル戦記の正当進化って感じでとても面白かった。CPUの思考ルーチンはちょっとアレだったが。


レトロゲーム万里を往く その73 マッピー

トランポリンの「ぽいーん」という音!跳ねる操作感!ナムコアクションの真髄がここにある!
マッピーキッズの女尊男卑っぷりはちょっとどうかと思ったが、まあ。それはそれ。


レトロゲーム万里を往く その74 「失望」のゲームデザイン

ゲームにおいて、どう「失望」をデザインするか?というのは、結構重要なテーマだと思う。
個人的には、失望が存在しないゲームにはあまり魅力を感じない。


レトロゲーム万里を往く その75 ファイアーエムブレム

多分、家庭用ゲームにおいては、キャラクター系シミュレーションRPGの草分けといっていいんじゃないだろうか。色々ネタが多いゲームでもあり、紋章の謎についてもまた書きたい。


撃墜王の一夜

その76なんてなかったんや。


レトロゲーム万里を往く その77 ザナック

凄まじいゲーム、の一言で済ませられると思うし、ディスク片面でこのゲームが作れたという事実は今でも信じられない。
新機軸詰め込みまくりなのにちゃんと面白い、ということに最も驚くべきなのかも知れない。


レトロゲーム万里を往くその78 ゲームにおける、「振り出しに戻る」の重要性。

「ゲームオーバー」について何か書いてみたい、と思った記憶がある。79も同じ。


レトロゲーム万里を往く その79 バトルシティーと、「敗北条件」。

このゲームも相当やり込んだ。アイテムのパワーアップが、どれ一つとってもゲームから浮いていないあたりにナムコの凄みを感じる。


レトロゲーム万里を往く その80 メタルマックス
レトロゲーム万里を往く その81 メタルマックス2

3が出て、しかも3がちゃんと「1」「2」「リターンズ」の続編で本当によかった。
ゲームとしては、「戦車の為に他の全てがある」という一言で表現出来ると思う。大味なようで計算されたゲームバランスも素晴らしい。


レトロゲーム万里を往く その82 桃太郎電鉄

「別れた彼女とやり掛けのデータが入ったままの桃鉄」が痛いアイテムであること、以外に実はポイントがない。
2以降もいいが、実は初代桃鉄も結構好き。


レトロゲーム万里を往く その83 レイストーム

このゲームの最終面のBGMは本当に衝撃的だった。
爽快感と美しさを兼ね備えた稀有な縦シュー、だと思っている。


レトロゲーム万里を往く その84 大航海時代
レトロゲーム万里を往く その87 大航海時代II

はやくアテネとイスタンブールを往復する作業に戻るんだっ。
なんだかんだいって、「交易が一番楽しい」というのはそうなのかも知れない。なにはともあれBGMが素晴らしい。


レトロゲーム万里を往く その85 アルゴスの戦士

業務用と似ても似つかないシリーズ。とはいえ源平には負けるか。
アクションゲームにRPG要素を取り入れました、というゲームはこの時期本当に大きかったと思う。また書く。


レトロゲーム万里を往く その86 キャラゲーのダメ率は本当に高いのか。

まあ確かに、アレなゲームは正直多かったとは思いますが。けど印象度の差、というのは大きいと思う。


レトロゲーム万里を往く その88 スターフォース

テーカンの元々の意図はどこにあったのか、ということをおくとしても、やっぱりスターフォースの象徴は連射だと思う。
キャラバンは遠くなった。


レトロゲーム万里を往く その89 ファミコン業界・長い長いタイトル群の夕べ。

小ネタ。平仮名がゲシュタルト崩壊を起こして困った。


レトロゲーム万里を往く その90 ルーラとはなんだったのだろうか。

同じく小ネタ。「世界を広げる為のエクスキューズ」というものは、現在でも色んなRPGで見られると思う。また書くかも知れない。


レトロゲーム万里を往く その91 キン肉マン マッスルタッグマッチ

「キャラ差」というものが導入された元祖だと思う。
ブロッケンJr?ああ使うといいさ。といってウォーズマンを選択するのがこのゲーム最大の性格悪い瞬間。


レトロゲーム万里を往く その92 ナッツ&ミルク

ハドソンのファミコン参入作品、という一点においても無視出来るタイトルではない。
うまく2スペースを飛び越えられたときの快感は印象深い。


レトロゲーム万里を往く その93 「勝利条件・敗北条件」についての一考察。

バトルシティの続き。敗北条件について書きたいことは、多分大体書いたと思う。

レトロゲーム万里を往く その94 半熟英雄

SFC版が一番完成されていたとは思うが、初代の味も好きだった。
というか、この頃主人公のバカ殿ぶりってあんまり強調されてなかったのになんでSFCはあんなことになってもうたん。


レトロゲーム万里を往く その95 冷気系や地震系の呪文のダメージは何故分かりにくいのか。

ヒャドって一体なんなんだよ、というところが端緒。普遍的な問題だと思う。


レトロゲーム万里を往く その96 エキサイトバイク

エンディングまで轢くんじゃない。


レトロゲーム万里を往く その97 高機動戦闘メカ ヴォルガードII

普通に面白い佳作シューティングだったと思うんだが、ここでもやはりBGMに歌がついていたというのが妙な印象になってしまっていてぐるるるる。
「体当たり」が基本テクニックの一貫、というのは画期的だったと思う。何か類似のゲームあったっけな。


レトロゲーム万里を往く その98 ロイヤルブラッド

オープニングのBGMは本当に素晴らしい。ファミコン版とSFC版でテンポが違うのが妙に気になるゲーム。それ以外はSFCのBGMもどれもいいんだけど。
そういえば、三國志も大航海時代も書いたのに何故かまだ信長書いてないな。その内書く。


レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと

夢を見ることは忘れないでいたい。今までも、これからも。




と、長々と書いた。

今後とも「万里を往く」はメインカテゴリとして書き続けたいと思っているので、皆さん今後とも適当によろしくお願い致します。
posted by しんざき at 14:44 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

レトロゲーム万里を往く その100 万里の道を半ば過ぎて。

100個書いた。


ご存知ない方も多いのではないかと思うのだが、不倒城はレトロゲームブログである。レトロゲームをネタにして、私が書きたいことだけをあーだこーだ書き連ねることがこのブログの目的だ。

ブログを始めたのが2004年の11月なので、大体六年と三ヶ月経過したことになる。その間に、レトロゲームカテゴリーの記事は110記事、メインコンテンツと考えている「レトロゲーム万里を往く」は99記事書いた。大体1年に16記事くらい書いている見当である。

まあメインコンテンツと言っても、どういう訳かブログ全体のPVから考えるとニッチ記事中のニッチ記事な訳であり、基本的に自己満足コンテンツなレトロゲームカテゴリーな訳だが、自己満足は他者を満足させる為の入り口である。自分も満足させられない者が人を満足させられる道理があろうか。

ということで、100記事を一つの節目ということにして、自己満足の延長として今までうだうだと書いた内容を振り返ってみたいと思う。羞恥プレイの一貫である。

呆れる程長くなると思うのでお暇な時にどうぞ。はじめの方、なんか変なリンクがたくさんついちゃってるけど無視してください。
続きを読む
posted by しんざき at 23:20 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

レトロゲーム万里を往く その99 ファミコン少年がゲームに夢見ていたこと

島国大和さんの記事を読んで、特に下の文章が心に残った。
振り返りたい。
 俺たちは、FCのしょっぺー画面のゲームを見ながら何を夢想していたか。
 ゲームがどうなる事を希望していたか。それは達成されたのか。
で、色々考えた。

先に断っておくが、私が考えたことは飽くまで上の文章のみに反応したことなので、島国大和さんが記事全体で言いたかった内容への反応にはなっていないと思う。全然別のテーマのお話ととって頂けると幸いである。


多分なのだが、かつてファミコンで遊んだ人達は、「将来のゲーム」に色んなことを夢見たと思う。そして、そういう色んな夢が叶えられてゲームはここまで来た、という実感は、私の中には確かにある。

夢が現実になって、色々なゲームが生まれて。で、現実になったからには現実として受け取る必要があって、そういうところで歪みが出てしまったものも多分あるのだろう。


以下、ちょっと雑然と書く。


ちょっと前、昔ファミマガで連載されていた「ディスくん」の漫画で、「2010年のゲーム」を1990年に語っているものが、一部で話題になったことがあった。挙がっているページがあったのでリンクしてみる。

近未来のゲームを予想するっ!!

ちなみに、上記の抽出からは、何故か結構重要なページが二枚抜けている。Togetterでまとめてアップして頂いているのを見かけたので、そちらもリンクしてみる。

【ファミマガ】ディスくんのまんがトピックス

4ページ目
5ページ目

上の漫画は、多分当時のファミコン少年が見ていた「夢」の、一つの形ではあったと思う。こういう夢も当時あった、という話だ。

・映画並みの綺麗な音、映像
・ワイヤレスコントローラー
・カラーの携帯機、ソフトは据え置き機のものがそのまま使える、テレビも見られる、ワイヤレス対戦
・画面に合わせて床が稼動するファミリートレーナー
・ゲームキャラと同じ動作をするコントローラー
・立体視出来るグラフィック
・実際に乗り込んで上下左右に動く筐体
・架空の世界に住む人達を、実際に通信回線でプレイヤーが演じるゲーム
・通信回線で色んな人と遊ぶRPG
・オンラインカジノ


こうしてみると、全く描写通りではないにせよ、殆どの「夢」が色んな形で実現していることが分かる。

セカンドライフやMMORPGはもうそのまんまだし、乗り込んだ筐体がぐいんぐいん動くR360は90年の段階で既に実現している。プレステのゲームをダウンロードして遊べるPSPにはワイヤレスLANが標準装備だ。

近年、もっと具体的な形で叶った「夢」もある。ゲームキャラと同じ動作で画面を操るキネクトだとか。立体視が出来る3DSだとか。


ファミコンの話をすれば、当時「もっとリアルなグラフィックで遊びたい」と思ったファミコン小僧は、特にキャラゲー回りに山のようにいたと思う。それは例えばバンダイのドラゴンボールや聖闘士星矢を遊んだ人や、一部の漫画をネタにしたアドベンチャーゲームを遊んだ人。RPG好きにだって、シューターにだって、アクションゲーマーにだってそういう夢はあった。

「ゲーセンのゲームを自宅でも遊びたい」という夢を見ていた人もたくさんいただろう。ゼビウスのアンドアジェネシスやナスカの地上絵をモニターに捜し求めた人から、FC版源平でボードゲームに衝撃を受けた人もいたかも知れない。PC版くらいの高解像度で信長や三國志を遊びたい、という人だって当然いた筈だ。

些細なことでいえば「ちらちらしない画面でシューティングを遊びたい」というのだって夢だった筈だし、「ヘクスを使った本格的なウォーシミュレーションが遊びたい」という夢や、「もっと大きなキャラを動かすイーアルカンフーが遊びたい」という夢も多分あっただろう。

「コクピットに乗って自分でロボットを動かすゲーム」「箱庭を作ってその中で色々といじるゲーム」「実際にペットを飼って餌をやったり散歩に連れていったりするゲーム」全て、昔どこかで聞いた覚えがある夢だ。


たくさんの夢が叶った。私は、夢が叶うところを、それこそ眼前で山のように見てきた。


夢が現実になるのは、布団から出て寒空に外出するのにも似て、ちょっと寂しいことでもあるけれど、それでも多分幸福なことだったのだろう。少なくとも私自身は、「こんなゲームが遊びたかった!」という戦慄を何度も味わったし、このゲームすげえ、ゲーム好きでよかった、という思いを何度もさせてもらった。


多分大事なことは、「次はどんな夢を見るか」ということなんだろうなあ、と思う。世界は多分、夢を見た人が、その夢に向かって転がしていく。夢はたくさんあればたくさんある程いい、と思う。


昔夢を見ていた人は、今はもうゲームに対して新しい夢を見ていないかも知れないけれど。今でも新しい夢がどこかで生まれて、それが叶う日があることを心から願う。
posted by しんざき at 14:05 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月05日

レトロゲーム万里を往く その98 ロイヤルブラッド

初期光栄SLGの文法、みたいなものがあると思う。


今更いちいち言うまでもなく、今はコーエーであるところの光栄は、SLGのリーディングメーカーである。「三國志」や「信長の野望」のような歴史SLGを始め、特に80年代中期から90年代に至るまで、コンシューマーにおける「歴史シミュレーションゲーム」というシーンは光栄を中心に回っていた、というのは決して言い過ぎではないだろう。光栄のSLGを遊びたいが為に高いPCに手を出した人も、光栄のSLGをきっかけに歴史に興味を持ち出した人も、当時のゲーム好き青少年の中には山のようにいた筈だ。その傍らエロゲーの始祖を出していたりもしたが。

で、光栄の歴代SLGを見ていると、提督の決断やジンギスカン、ランペルールから項劉記に至るまで、殆どは現実の歴史や実際の文献を下敷きにしたものであって、架空の世界を舞台にしたものというのは殆どない。

おそらく1990年当時の光栄には、「客層を広げる」という意図は間違いなくあった筈だ。1980年代を通じて、史実を元にした戦略シミュレーションの客層は十分裾野を広げることが出来た。歴史もの好きなファン、割とガチなシミュレーション好きなファン、そういった客層の獲得については、十分な成果を挙げることが出来た。


で、これは単なる私の想像なのだが、「三國志や信長はあの路線でいいとして、新たなファン層を獲得する為にはどうすればいいか」という話が出た時、DQやFFが完全にメジャーシーンに立っていたあの時代に、「じゃあファンタジーRPGファンにアピールできる、シミュレーションとしてはライトなもの作ればいいんじゃね?」という意図の下、ロイヤルブラッドが作られたのではないかと、私はそんな風に思うわけである。


ロイヤルブラッド。ウォーシミュレーションゲーム。PC版を端緒に、1991年8月29日、光栄よりファミコン版発売。翌1992年にはメガドライブ、スーパーファミコンにも移植されている。光栄、あるいはシブサワコウ氏は、このゲームに「イマジネーションゲーム」というジャンル名を冠として持たせていた。


恐らく舞台となる「イシュメリア」のモデルは、サクソン人支配時代のイングランドの筈だ。ケルト神話のエッセンスを絡めつつ、そこに展開されているのはごくオーソドックスな「剣と魔法とモンスター」の世界観であり、ドラゴンも出ればワイバーンも出るオークも出る、魔法も飛ぶが弓や大砲も飛ぶ。素晴らしいBGMを背景にゲームを彩るのは、信長や三國志と同様多彩な武官・文官達だ。


ゲーム的には「ファンタジー世界を舞台にした三國志」と説明するのが一番てっとり早いだろう。とはいえ、この当時の三国志(89年にIIが出ている)や信長の野望(90年に武将風雲録が出ている)と比べても、そのゲーム性は相当シンプルであり、難易度的にもかなりライトであることから、「あまり戦略シミュレーションに慣れていないゲームファン」が対象であることを窺わせる。


先に参照URLをあげておこう。

WikipediaのURLはこちらになる。

Wikipedia:ロイヤルブラッド

ほぼそのまま説明書の内容が参照出来るページはこちら。グラフィックもある程度閲覧出来る。

げーむのせつめいしょ:ロイヤルブラッド


さて、ゲームの話をしよう。


・ファンタジー版「三國志」の出来栄えは?

SLGとしてのロイヤルブラッドの特徴は、幾つかの項目で言い表せると思う。

1.簡素化された戦略コマンドや武将のステータス
2.軍師にかわる、「相談役」の存在
3.ファンタジー色を前面に押し出されたストーリー・グッドイベント・バッドイベントの存在
4.難易度が低いとはいえ、部隊の向きや間接攻撃などを考慮にいれる必要のある戦争シーン
5.宝石魔術師や第五部隊の存在


順番に見ていってみよう。

まず、1、2の要素は分かりやすい「ライトユーザーの取り込み」を狙った要素だ。

ロイヤルブラッドのコマンドや武将のステータスは、同時期の「武将風雲録」や「三國志2」などに比べると随分と簡素化されている。武将の能力は、基本的には政治力、軍事力、魅力のみ。戦略コマンドは軍事、民政、対外の三つに大別されており、軍事は戦争や戦力調達、民政は開発や施しと、その内容も実に単純だ。数年前の初代三國志で、コマンドが15もの小グループに分かれていたことを考えると、UIは非常に整理されているといっていい。

そして、三國志や信長ではある程度能力が高い武将を配下にしないと得られなかった「助言役」が、ロイヤルブラッドではゲームスタート時から標準装備である。

この相談役も、「民政家の女性」「初老の軍人」「老人」「道化師」の4人から選べるのだが、それぞれ同じことを言うにも全然内容が違っていてなかなか面白い。軍人は二言目には「○○を攻めるは今ぞ!」とかけしかけてくるし、道化師は「面白い傭兵をやとって民に見せてあげましょう」などと何がなんだかよくわからないし、なかなかにバリエーション豊かだ。まあ大体においてゲームの展開には役立つ、チュートリアル的な助言を出してくれる。

上記のバリエーションに加えて、3、ストーリーの見せ方や導入にもひと工夫されている。

ゲーム開始時に使用君主を選ぶと、その君主と部下、宝石魔術師たちの会話の形で状況を教えてくれたりとか。武将のグラフィックもエランやレッドワルトのような美形あり、女性あり、ショタあり、おっさんありと非常にバリエーション豊かで、プレイヤーの引き込みに一役買ってくれる。「頭でっかち」とか「武力一辺倒」とか「魅力で勝負!」とか、さまざまなタイプの武将がいて、プレイヤーの収集欲を刺激するのも光栄戦略シミュレーションの伝統といえるだろう。

三國志や信長でいう「豊作」とか「水害」といったイベントについても、ロイヤルブラッドでは例えば「レプラコーン」が現れて金貨をくれたり、「エルフ」が現れて民の忠誠度を上げてくれたり、逆にピクシーがいたずらをして土地の価値を下げてしまったりと、随所随所にファンタジー色が強い演出が施されている。

基本的には、民政に力を入れれば入れるほどグッドイベントがべきべき起こって、ゲームがどんどん楽になるというバランスで、これも戦略ゲームに不慣れな初心者に「取り敢えず開墾・施ししておきな?」という基本を学ばせるのに役立っていると思う。




・戦場の華、「第五部隊」の活躍。

さて、ロイヤルブラッドのもう一つの側面、戦争と傭兵の存在についてだが。

ロイヤルブラッドは当然ウォーシミュレーションなので、戦争をする。内政で整えた物資を使って兵士を雇い、隣国に攻め込んだり攻め込まれたり迎撃をしたりする。この辺も、流れは三國志や信長と一緒だ。


とはいえロイヤルブラッドの戦闘は、やはり三國志や信長に比べると単純だ。火計もなければ天候も風向きもない。ただ、「兵力は4+1個の部隊に分けられ、それぞれが向きを持っている」「後ろから攻撃されるとダメージが大きい」「一部の部隊は間接攻撃が出来たり、柵を作れたりする」といった要素が、戦術ゲーとしては大きいだろう。


そんな中でも異彩を放っているのが、「第5部隊」の存在である。

このゲームでは、通常の兵力の他に、「傭兵」を雇って戦わせることが出来る。傭兵はスケルトンやオーク、ガーゴイルといった小粒なモンスターであったり、サラマンダーやワイバーンといった大型モンスターであったり、ランツクネヒツやパイクスのような傭兵部隊であったりする。そういった面子に加えて、ゲームの中心でもある「宝石魔術師」やラスボス的存在「王冠のドラゴン」といった部隊が猛威を振るう。こういった、「通常の兵力外」の連中が第五部隊におさまるわけであり、この第五部隊の使い方こそがゲーム攻略の鍵だ。

兵力自体が少ない時でも、ある程度お金と名声があり、領地に傭兵が駐留しているときなら、プレイヤーは傭兵を雇うことが出来る。あるいは、手元に宝石魔術師がいるなら、第五部隊として戦争に参加させることが出来る。彼らの能力は強力だ。単純に攻撃力が高いだけでなく、間接攻撃が出来るファハンやガンナー、サンダラスやミーティアといった連中なら、離れたところから瞬時に相手戦力を壊滅させることすら出来る。また、ハイランダースのような一部のユニットは、雇うのにかなりの名声が必要とはいえ、王冠ドラゴンすら圧倒するほどの戦力を有している。

こういった傭兵を手元において運用し、戦闘をうまい具合に運ぶのも、ウォーシミュレーションに入り始めたばかりのプレイヤーをSLGゲーマーに仕立て上げる役にたっていたといえるだろう。実際のところ戦闘バランス自体は割りとぬるいのだが、それでも強大な王の軍勢と戦うには一工夫が必要だった。この辺の奥深さは流石光栄というべきだろう。



・想像を絶する程の良BGM。

さて。なによりかにより、私の中のロイヤルブラッドといえば「凄まじい良BGM」がその最大の特色である。

ファミコン時代、初めてこのゲームを立ち上げた人は、その圧倒的なオープニングBGMの格好よさに度肝を抜かれたであろう。全体としての味付けは、一言でいってしまうと「神話風」ではないかと思う。

戦略画面のBGM、戦闘画面のBGM、パスハ出現のBGMからオープニング、エンディングにいたるまで、このゲームのBGMは頭の先から足爪の先まで全身くまなく一級品揃いであり、聴いていて飽きのくるBGMは一曲たりともない。サントラは三國志3とセットだが、CDを購入してでも一聴の価値がある、とここで断言してしまおう。特にオープニングは、途中で入るエフェクトが心底邪魔に感じられる程の名曲である。テンポだけから言えば私はファミコン版のオープニングが一番好きだ。

その他にも、季節ごとに変わる戦略画面のBGMやら、どことなく東洋を思わせる一部マップの戦闘BGMとか、どれをとっても聴き応え満点の名曲ばかりである。菅野よう子氏が手かげている大航海時代や一部信長の素晴らしいBGMと比べても遜色ない、と私はこのゲームのBGMを評価している。

ちなみに、ニコニコ動画のIDをお持ちであれば、以下のURLからファミコン版オープニングは視聴が可能である。よろしければ。

ロイヤルブラッド オープニング


と、長々と語ってきたが。実際のところ、このゲームでどれだけライトユーザーが増えたのかはいまひとつわからないが、ロイヤルブラッドが光栄の名作群の一角であることは間違いないだろう。今遊んでも遊び応えのある、ファンタジーSLGの佳作である。


取り敢えず今日はこの辺で。
posted by しんざき at 23:47 | Comment(4) | TrackBack(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月05日

レトロゲーム万里を往く その97 高機動戦闘メカ ヴォルガードII

ウルトラマンとスーパーマンが戦った場合、実際の所は多分体格差でウルトラマンが勝つのではないか、などと私は想像するのだが。そういった他愛もない「どっちが強い?」遊びの中に、シューティングの自機で一番強いのどーれだ?というものがある。

判断材料?そんなものはない。ことは感覚の問題であり、強いて言えば適当な理由付けの説得力の大小である。例えば「ボムが強そう」という理由でダラ外シルバーホークやBATSUGUNの自機があがってもよかろうし、「当たり判定が小さい」という理由で首領蜂シリーズの自機があがってもいいだろうし、「フォースが無敵」という理由でR-9があがってもいいだろう。それ程真面目に考えるようなテーマでもない。


ただ、「シューティングの自機で一番頑丈そうなヤツ」というテーマで考えるとすれば、私は多分これを挙げる。そう、ヴォルガードIIを。


高機動戦闘メカ ヴォルガードII。横スクロールシューティング。1985年、デービーソフトよりファミコン版発売。前年、パソコン版で発売された「VOLGUARD」の移植作であり、「ディフェンダー」や「スクランブル」などの横スクロールSTGの草分けに続いて生まれた、横スクロールSTGの根っこの方に位置するタイトルでもある。

PC版ヴォルガードは「3機合体→ロボット変形」というロボットアニメの様な要素を取り入れて、おそらくパソコン向けSTGとしては初めてに近いヒット作だった筈だが、それを受けてファミコン向けに調整されたヴォルガードIIも、なかなか独特な要素を多く含んだ佳作だった。大ヒットとまではいかなかったものの、当時このゲームを所有していた小学生はそこまで希少な存在ではなかった記憶がある。

この時期、「フォーメーションZ」や「テグザー」「マグマックス」など、ロボット形態への変形を一つのウリにしたシューティングゲームが多く発売されているが、やはりその理由は「マクロス」などのロボットアニメに求めるべきなのだろう。「アニメをゲームに持ち込む」ことがゲームデザイナーのモチベーションの一つになっていたという推測は、そこまで無理筋ではないと思う。というか、ゲームの歴史に触れる上で「マンガやアニメからの影響」の話を避けて通ることは出来ない。また触れることもあるだろう。


簡単に参考ページを。

ゲームの情報自体は、Wikipediaにサマリーされている。

高機動戦闘メカ ヴォルガードII:Wikipedia

こちらからは画面スクリーンショットなども参照出来る。

高機動戦闘メカヴォルガード2

youtubeには動画もある。タイトル画面が非常にPCゲームっぽくて好感触。さり気なくBGMもいい出来だと思う。

ヴォルガード2:ファミコンゲーム


さて、ゲームの話をしよう。


・「体当たり」が基本テクニックの一つ、という異色。

私が思うFC版ヴォルガードIIの特徴は、率直にいって「ロボットへの変形」ではない。パワーアップシステムと、エネルギー管理という概念である。

ヴォルガードIIでは、自機に「エネルギー残量」という概念がある。エネルギーは弾をがんがん撃つと減り、敵をざくざく倒すと増える。エネルギーがある程度以上溜まった時に輸送機からの補給を受けると、自機はパワーアップする。弾が連射になったり、八方向になったり、レーザーが出るようになったり、バリアがついたりする。パワーアップはいずれも非常に爽快であり、段階によって変わるBGMも出色である。

「いかにエネルギーを溜めるか」「いかにエネルギーを溜めた状態で輸送機を呼ぶか(レーダーの破壊など、幾つかの条件がある)」「いかにエネルギーを節約するか」というのが、特に序盤、まだパワーアップ段階が低い内のプレイヤーの課題となる訳である。


さて、それはそうと、ヴォルガードIIにおいて自機は非常に頑丈である。画面右上には自機のダメージ量が記されており、00から始まるダメージが99に至るまでヴォルガードIIは墜ちない。その上、輸送機とのドッキングなど、ダメージを回復する手段も幾つかある。

この為、「まだショットが弱い内は、ショットをがんがん打っているとなかなかエネルギーがたまらないから、体当たりで雑魚敵を倒してエネルギーを溜める」という概念が、序盤の基本テクニックとして存在していたのである。後の数多くのSTGが「弾や敵に接触すること」をゲーム上のミス、ペナルティ対象として設定していたことから考えると、このゲーム性は極めて異色だ。「エネルギー管理とダメージ管理」という概念が、ヴォルガードIIというゲームを一つの実験作にしていた、と私は思う。


それはそうと、「ダメージ99を越えるまで自機が墜ちない」というのは、このゲームが簡単であるということを意味しない。

後の弾幕ゲーほどではないにせよ、このゲームの敵の攻撃は特に中盤以降かなりの激しさであり、白くて速い球を雨あられとばら撒いてくる敵や、接触すると物凄いダメージを普通に受ける敵が、次から次へと降りかかってくる。それを全て避けきるというのはなかなか無理の無理無理という状況であり、特に敵要塞「ズイガム・ボルド」戦などにおいては、「いかにダメージを押さえながらコアをぶち抜くか」というのが一つのテーマとして位置づけられていた。輸送機でのライフ回復のタイミングをまだかまだかと待ち続けながら、ダメージ量とにらめっこをするというのも、このゲーム独特の味の一つだったといえるだろう。



・パワーアップ形式の爽快感について。

ということで、このゲームの基本は「やられる前にやれ」な訳だが、「レーザー」や「バリア」「連射」などのパワーアップについては、プレイヤーの爽快感、破壊欲求を存分に満足させてくれる出来だったと思う。

なにせこのゲーム、「敵を倒してエネルギーを溜める」ことによる報酬効果が得点以上に高い。レーザーで10機くらいの敵をまとめてぶち抜いたり、自機の周りをぐるぐる回るバリアーで地上物をガンガンぶっ壊したりといった爽快感については、当時のお子様の心を掴むところ大であった。

レーザーを取得してから連射を取得する、通称「ハイパー連射」などについては、実は通常レーザーよりも強いといった要素もあり、「どの様にエネルギーを溜めて、どうパワーアップするか」というのをプレイヤーに考えさせる、良質なゲームデザインの礎になっていたと思う。



・ロボット形態とは何だったのか。

ごく一部にはロボット形態にならないと倒せない敵とかもいたのだが、正直あんまり意味なかったような気もしないではない。

ただ、ロボット形態で地上でじーっとしゃがんでいるとなかなかダメージを受けなかったりちょっとずつダメージを回復出来るといった要素もある為、終盤危なくなった時の緊急回避などにはそこそこ有効だったかも知れない。ただ、ウリであるロボット変形の基本が画面はじでしゃがんでじっとしていることというのはちょっとどうなんだ、という気も若干する。



・例によって破滅的なストーリーについて。

Wikipediaのストーリーを見て頂けば分かる通り、このゲームのストーリーも「支配下からの反撃」パターンであり、基本的に重い。以前もちらっと書いたが、どうもSTGには「重いストーリー」というものが一般に多いような気がする。「一体多という状況への説明付け」「ゲーム中ではストーリーを描写しにくいので説明書などで補完」といった要素が、こういった重いストーリー多発の要因になっている様に思う。



まとめてみると、ヴォルガードIIは「歴史に残る名作とまでは言わないが、様々な部分で実験的な特色を打ち出した、遊んでいて気持ちのいい佳作」というような評価になるのではないかと、私自身は思っている。


ということで、今回はこれくらいで。
posted by しんざき at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

レトロゲーム万里を往く その96 エキサイトバイク

跳ねられて、吹っ飛んで、5回くらい前転して、それでも彼らは走り続ける。彼らはどこから来たのか。彼らは何者なのか。

走っている姿を見て哲学的なことを考えさせられるゲーム」というのが、多分ファミコンには最低三作ある。一つがメトロクロス、一つがけっきょく南極大冒険、そして一つがエキサイトバイクである。(注:私調べ)

ニンテンドーの作るバイクゲームはとにかくライダーが丈夫であって、例えばマッハライダーでは看板にぶつかって大爆発したバイクが次の瞬間ヒトデのように再融合して復活したりするのだが、エキサイトバイクのライダーも、耐久力的にはほぼそれに準ずるだろう。

轢かれても転んでも、ナニゴトもなかった様にバイクに駆け戻る彼らの姿は、見るものに一片の感動を抱かせずにはいられない。任天堂が何故ここまでライダーを無敵にしたがったのかはいまいち謎だが、このゲームを遊んでバイクに憧れたファミコン少年がいないことを祈ること大である。

ともあれ、取り敢えずはゲームの話だ。


エキサイトバイク。バイクレースゲーム。1984年11月、任天堂よりファミコン版発売。後、ディスクシステム版や業務用にも逆移植された、ファミコン黎明期の佳作の一角である。擬似3D視点だった「F1レース」に続くレースゲームだが、エキサイトバイクは奥行きのある4ラインを横からみた視点となっており、ゲーム性はジャンプアクションゲームのそれに近い。

当時ファミコンのゲームは「出せば売れる」という状況だったとはいえ、やはり任天堂ならではの「おもちゃ的感覚」に底固めされたゲーム性や、コースエディットなどを用いた遊び要素は息の長い人気を呼び、売り上げは100万本以上に上った(Wikipediaの記述によると157万本)。ファミコンに限っていえば「アクションゲーム寄りレースゲーム」の草分けともいえ、例えば後のメトロクロス辺りにも影響を与えているかも知れない。最近ではWiiウェアでダウンロードされたという話も聞く(これはやったことないけど)



参照記事としては、Wikipediaを挙げておく。記事としては簡素だが、エキサイトバイク関連の情報はほぼ集約されている。
Wikipedia:エキサイトバイク


さて、ゲームの話をしよう。


・横スクロールアクションゲームと、レースゲームの「間」。

上でも書いたが、エキサイトバイクのゲーム性は、レースゲームというよりはジャンプアクションゲームのそれに近い。プレイヤーは、AボタンとBボタン、二種類の加速を使い分けながら、車体を前に傾けたり後ろに傾けたり、ジャンプ台でジャンプし障害物をかわし、時にぬかるみにつっこんだり時に着地し損ねて凄絶に前転したりしながらゴールを目指す。

この頃既に発売されていた「F1レース」が、専用筐体による(擬似)3D視点を意識していたことと比べると、エキサイトバイクの画面構成やゲーム進行は、後のスーパーマリオブラザーズの様な横スクロールアクションに近いことが分かる。ファミコンにおける横スクロールジャンプアクションの源流の一つとしてこのゲームを捉えることも出来るかも知れない。

ゲーム性の肝としては、「奥行きのあるラインのどこを選択するか」という要素と、「ジャンプ台でジャンプした際、いかにバイクを制御するか」という要素、「AボタンとBボタンそれぞれの加速の使い分け」という要素、ほぼこの三つに集約されているといっていいだろう。


Aボタンによる加速は、それなりのスピードしか出ないがいつまででも走り続けることが出来る。Bボタンによる加速は、スピードが速いが押し続けているとエンジンが過熱してオーバーヒートし、暫く停止することを余儀なくされる。ローリスクローリターンとハイリスクハイリターンの使い分け、これがエキサイトバイクのポイントの一つである。

この時、加熱したエンジンを冷やすための地形(クールゾーン)というものがコース上には存在し、いいタイムを出す為にはこの上を上手く通ることが要求される。これがコース取り、「4つのラインのどれを選ぶか」という要素であり、いってみれば「地形を覚える」という記憶要素の源流だ。

そして、コース上に多く配置されたジャンプ台でジャンプをした際、どの様にバイクを制御するか?十字キーを後ろに入れればバイクはウィリーし、前に入れれば前傾する。これを上手いこと利用して綺麗なジャンプを決めることが、エキサイトバイクの三つ目のキモである。この辺り、「いじくってみると面白い」というおもちゃ的遊戯感は、エキサイトバイクが任天堂アクションの血族の一人である証だと私は思っている。


・仁義なき(マジで)轢き合い。

一方、エキサイトバイクにはCPUとの対戦要素もある。幾つかあるゲームモードの内、ライバルが出てくるものを選択すると、コース上には主人公以外に3台のマシンとライダーが配置され、主人公と熾烈な凌ぎの削りあいを演じることになる。

CPUマシンは主人公の周囲を縦横無尽に走りまわり、抜いたり抜かれたり勝手に転んだり、本当に様々な動きをする。端的にいって、CPUライダーは単なる「お邪魔キャラ」な訳だが、エキサイトバイクをエキサイトバイクたらしめているのは、まさにこのCPUの「動き」によるものだと私は考えている。

クールゾーンを踏むのを邪魔する。邪魔される。ジャンプ台での着地を邪魔する、邪魔される。後輪をぶつけてすっころがす。転がされる。轢かれる。轢く。

こうした「対等なガチ轢き合い」とでも言うべき要素には、単なる「お邪魔キャラとプレイヤー」という以上の熱い、暑苦しい程の何かが潜んでいた。相手は単なるCPUだが、その「熱さ」にはマリオブラザーズやアーバンチャンピオンをすら凌ぐ部分があった、と私は考えている。それはおそらく、タイムを競うレースゲームであるという要素と、各人のあまりに潔い転がりっぷりなど、様々な要素が融合して生まれた熱さだったのではないだろうか。

少なくともファミコン版エキサイトバイクに関して言えば、このCPUとの凄絶な転がしっここそが面白さの中核である、と勝手に断言してしまおう。転んだCPUの目の前に待機して、立ち上がった瞬間また転がすという、あたかもアリいじめの様な性格の悪い遊びに興じ、挙句にタイムが足りなくなって3位通過に失敗するという、頭の悪い遊び方をしていたプレイヤーは、当時私だけではなかった筈だ(多分)



・任天堂開発陣のバケモノ性について。

ところで話は変わる。

何度か書いているが、当時の任天堂のゲームリリーススケジュールを現在の視点で検討した時、「開発メンバーが全員妖怪だった」という以外の結論を出すことは難しい。

1984年11月2日 F1レース、同11月2日4人打ち麻雀、11月14日アーバンチャンピオン、11月22日クルクルランド、11月30日エキサイトバイク、1月22日バルーンファイト、1月30日アイスクライマー。出来の悪いゲームは一本たりともない。何度みても、およそ信じられないド級スケジュールである。

数人から場合によっては1人でもゲームが制作出来た時代のこととはいえ、この「下手すると2週間に一本の佳作リリース」は一体どの様な現場で成し遂げられたものなのだろう。当時の開発チームが何人いたのかよく分からないが、1985年当時にタイムスリップできたら、是非任天堂の開発現場を見学させてもらいたいものだ。

この一種異常なハイペースも、翌年1985年も二月を過ぎると流石に一旦落ち着くわけだが。それでも4月9日に「サッカー」、6月18日にレッキングクルー、同21日にスパルタンXというペースは今の基準で評価出来るものではない。

その後、7月26日と8月13日にそれぞれ「ブロックセット」「ジャイロセット」を発売した後、まるで充電したものを吐き出すかの様に発売されたのが、9月13日の「スーパーマリオブラザーズ」である訳なのだが。まあこの話はまたいずれ。


取り敢えず今回はこれくらいで筆を収める。次回は光栄あたりかも。


関連:レトロゲーム万里を往く その66 セクロスの悲哀と、主にバイクゲーのヨタ話。
posted by しんざき at 18:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月09日

レトロゲーム万里を往く その95 冷気系や地震系の呪文のダメージは何故分かりにくいのか。

まず最初に、RPGのいわゆる「攻撃呪文」について考えてみよう。

RPGに攻撃呪文は数多あり、その攻撃呪文には「系統」とか「属性」といったカテゴリーがあることが多い。これは、古くはD&Dの時代からの伝統である。

例えば電撃がピシャーーンと落ちる雷系の呪文であるとか。例えば炎がヒュゴォッと襲い掛かる炎熱系の呪文であるとか、呪文の属性にも色々ある。そして、属性呪文を使いこなすと、「炎に弱い」とか「氷に弱い」といったモンスターに大ダメージを与えられたりもする。


「雷」とか「炎」の呪文というのは分かりやすい。実に分かりやすい。雷がドカーンと落ちてくれば大抵の人は痛かったりしびれたり大怪我したりする。炎がどひゃあああと降りかかってくればそりゃ熱いし大やけどする。実に直感的である。


「風」系の呪文というのは若干怪しい。ただ風がぴゅーぴゅー吹いているだけなら、傘の骨が折れることこそあれダメージを受ける筋合いはないので、多くのRPGにおいて、「風系のダメージ」というものはいわゆる「かまいたち」のイメージに集約されている。風によって真空が発生してどうとかいうアレである。そもそも本当に風によって真空が発生するのかどうかという問題もさることながら、そもそもそれ物理ダメージじゃね?という疑問も捨てきれない。切れてんじゃん。切り傷じゃん。属性関係ないじゃん。

これをもうちょっとややこしくすると、標題のテーマとなる「冷気系」とか「地震系」の呪文の話になる。

例えば、ドラクエにおける「ヒャド」の説明書きを参照してみる。厳密に検証するなら各シリーズタイトルの取説を検証するところだが、面倒なので取り敢えず目に付いた検索結果をひいてしまおう。可能なら後程取説に当たって補足する。
ヒャド系の基本呪文。鋭い冷気で敵1体に約30ポイントのダメージ。(シリーズによってダメージ量に差異あり)
はてなキーワード
「鋭い冷気」でダメージ、とある。これ自体ちょっとイメージしにくい。鋭い冷気って何?冷たいの?それでおおきづちにぶんなぐられるのよりダメージ食らうの?

それがヒャダルコになるとこうなる。
ヒャドより大きな氷の刃を呼び出して敵を攻撃する。
バトルロード2では、飛び上がって氷の刃を連続で放つタイプと氷の槍をつくって敵に向かって飛ばすタイプの2種類の唱え方がある。
ドラクエ用語辞典
刃とか槍って、それ物理攻撃じゃね?冷気あんまり関係なくね?

ヒャドやヒャダルコに限らず、「冷気系」の呪文というのは、とかくダメージの根拠が曖昧なものが多いように思う。あっちでは「相手を凍りつかせてダメージ」とか。あっちでは「複数の氷塊が相手を押しつぶす」とか「氷柱が相手を貫く」とか。あっちでは「吹雪を起こして敵を引き裂く」とか。これ、シリーズごとどころか、シリーズ内のナンバータイトル同士ですら設定が食い違ったりすることがある。

要は、冷気系呪文というものは「寒さでダメージなんだか物理的ダメージなんだかよくわからん」属性だ、と思うのである。

これは、「大地/地震系」の呪文にも同様のことがいえる。ただ「地震が起きました」だけだと「どうやってダメージ受けたの?転んだの?」という話になってとても困る。なので「地割れに飲み込む」であるとか「土塊/巨岩をぶつける」であるとか、時には「重力で押しつぶす」といった設定になりがちな訳だが、それやっぱり物理ダメージじゃん、と思ったり思わなかったりする。



ことは「呪文のダメージのイメージ付け」という話に集約される。



思うに、冷気系の呪文のイメージ付けがこうもあやふやなのは、「日常生活で冷気の危険性を感じる機会が(火に比べると)少ないから」だったりするのではあるまいか。

雪山に行ったりすると当然冷気は凄く危ないわけだが、普通の人はあまり頻繁には雪山にいかないし、火傷に比べると凍傷になる機会は少ない(住んでる地域によっては話が別かも知れないが)。
そして、日常生活に限らず、実際そこまで「即効性」の冷気のイメージというものは挙げにくいような気がする。たまに絶対零度までいっちゃうようなチート呪文もあるが。

それに対して、火や感電といった危険は普段から一般的に転がっている危険でありイメージしやすく、しかも大抵即効性であり「戦闘」というものに馴染む。

こういった、日常生活に依拠した「ダメージの説得力」というものが、呪文のイメージ付加というものに重大な意味をもっていると私は思う訳である。説得力のあるダメージは、属性そのまんま。説得力が足りないダメージは、そのままだとなんだかよく分からないので、物理的ダメージのイメージを付加したりする。

つまり氷の槍とか氷の塊といった「物理的イメージの付加」は「説得力のドーピング」なのではないか。

ヒャドやブリザド、クエイクといった呪文の若干よく分からなさは、そういった「説得力」のせめぎ合いの結果生まれたものであるという推測は、あながち的外れでもないのではあるまいかと思う。



総括すると、世の中には「ダメージの説得力がある」属性と「ダメージの説得力が(あんまり)ない」属性、という二種類の属性があり、後者の属性呪文はいまいち設定が曖昧になりがちなのではないかという、とてもどうでもいい結論が導き出せるわけである。よかったですね。>私



一応まとめておく。

・冷気系の呪文の分かりにくいところは、「冷たさ」で攻撃しているものと「氷柱や雪嵐を吹き付ける」といった物理的なダメージで攻撃しているものが混在していることではないかと思う。どっちなんだよと思う。
・冷気系に限らず、ダメージ呪文の「属性」というものには、「分かりやすいもの」と「分かりにくいもの」があるような気がする。
・「どんな風にダメージを受けているか、イメージが湧きにくい呪文」には、説得力増強の為に物理攻撃のイメージが付加されたりすることが多いんじゃないだろうか。
・ティルトウェイトの説得力は異常。




ということで今回はこのくらいで。

posted by しんざき at 17:29 | Comment(16) | TrackBack(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月17日

レトロゲーム万里を往く その94 半熟英雄

まず最初に、ちょっと「昔のスクウェア」について考えてみたい。


現在は「株式会社スクウェア・エニックス」であるところの旧スクウェアは、1983年に設立され、1985年からファミコンに対してゲームタイトルを供給し始めた。最初のタイトルはゲームアーツ開発の「テグザー(1985年12月)」、翌年に続いたのは「フォーメーション…RP…G…?」と思わずユーザーを唸らせた「キングスナイト(1986年9月)」であった。

少年シーフというカテゴリのトビーたんが一部で人気を集めたが、RPGというジャンルの印象を固め始めていたユーザー達は、一見縦スクロールSTGのようにしか見えない同タイトルに首を捻ったという(要出典)


これとほぼ同じ時期、スクウェアは複数のPCゲームメーカーと手を組んで、「DOG」というブランドを発足している。これはディスクシステムというフィールドにタイトルを提供するゲームメーカー連合であり、パソコン業界で活躍していた複数企業をスクウェアがファミコン業界に呼び込んだ、というような動きだった。スクウェアにとっては結構大きな決断だった筈である。

続きを読む
posted by しんざき at 18:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

レトロゲーム万里を往く その93 「勝利条件・敗北条件」についての一考察。

ちょっと前にTwitterでもちらっと書いたこと。結構長話になりそうな予感があるので、先に言いたいことのメインパートを書いておく。

・あらゆるゲーム/遊びは4種類に分類出来る気がする。

1.「勝利条件も敗北条件もある」
2.「勝利条件はあるが敗北条件がない」
3.「勝利条件はないが敗北条件はある」
4.「勝利条件も敗北条件もない」

・勝利条件も敗北条件も、プレイ時間/遊び時間を区切る機能がある。ゲーム業界での話で言えば、例えばMMORPGはプレイ時間を長くしたい為、それ自体の勝利条件、敗北条件はない場合が多い。逆にゲーセンのゲームは特に敗北条件が厳密なことが多い。

・勝利条件はプレイヤーに達成感・爽快感を与えるものであり、また「ストーリー」があった場合それを完結させる為のものでもある。

・敗北条件はプレイヤーに敗北感・悔しさを与える為のものでもある。

・適切な「勝利条件」や「敗北条件」があるとゲームがとても面白くなる。

・3は遊びの一番原始的な形に近いと思うが、少なくともゲーム業界では、3に該当するゲームは随分前から少なくなっている様な気がする。これは、「達成感を自前で設定する」という遊び自体が受け入れられ辛くなっていることのあらわれかも知れない。



よし、言いたいことは大体言ったぞ。

ということで、以下は補論。

続きを読む
posted by しんざき at 15:31 | Comment(5) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

レトロゲーム万里を往く その92 ナッツ&ミルク

ナッツ「ドンキーコングのレディよりはヨーグルの方が正統派ヒロインっぽいんじゃないだろうか」

ミルク「カービィの中の人って俺じゃね?」
(「レトロゲーム箴言集「シャドウ・オブ・ハドソン」(民明書房刊)」より一部抜粋)



ファミコンにおける「ステージエディット」というものは一体何だったのか、ということをちょっと考えてみる。


説明するまでもないかも知れないが、ステージエディットというものは、例えばパズルゲームや固定画面アクションゲームなどで、自分の好きな様にステージを作成出来るという機能である。プレイヤーは、例えば難易度が高いマゾステージであるとか、逆に目をつぶっていてもクリア出来るヌルステージ、敵を徹底的にイジめ倒すことが出来るサドステージなど、様々なステージを作成することが出来る。

初期から中期のファミコンタイトルには、このステージエディット機能がついたゲームがぽつりぽつりと見られる。ぱっと思いつく感じ、1985年までの間に、ステージエディット機能がついているゲームは少なくとも5本出ている。ロードランナー、エキサイトバイク、レッキングクルー、バトルシティ、そしてナッツ&ミルクである。


ナッツ&ミルク。固定画面型アクションゲーム。1984年7月28日、ハドソンより発売。ファミコンにおける、記念すべき初のサードパーティ発(つまり任天堂以外から発売された)タイトルであり、また初の「ステージエディット」機能を盛り込んだゲームでもあった。3日後に同じくハドソンから発売された「ロードランナー」と並んで、ファミコン黎明期におけるハドソンのスタートダッシュを下支えした佳作タイトルの一角だったと言っていいだろう。ファミコン発売の年である1983年から少なくとも丸二年、ファミコン業界は任天堂とナムコ、そしてハドソンを中心に回っていたのである。


まずは関連リンクを。

ゲーム自体については、いつものことだが、Wikipediaに詳しい。
Wikipedia:ナッツ&ミルク

こちらのページでは画面も参照頂くことが出来る。素晴らしい見易さである。
ナッツ&ミルク


さて、ゲームの話をしよう。

・僕達が「アルゴリズム」に出会った日。

ナッツ&ミルクは固定画面型アクションゲームである。プレイヤーは、まんじゅうに足が二つついた様な独特のデザインをした主人公「ミルク」を操り、顔色が悪い敵キャラ「ナッツ」をジャンプで避けたり誘導して海に放り込んだりして避けながら、ステージ中の果物アイテム(バナナとリンゴのみという極めて健康的なチョイスである)を集め、ゴール地点である恋人「ヨーグル」の家を目指す。

ミルクは攻撃手段を持っていない。徒手空拳孤立無援のミルクに出来るアクションは、ただ移動とジャンプのみ。その為、ゲームの中心は「ミルクをひたすら追い掛け回すナッツをいかに避け、果物を集めるか」という点に終始する。

そのゲーム性として、「ドンキーコング」や「ドンキーコングJR」、「ポパイ」などと比較されるのはやむを得ないところだろう。「基本的には倒せない敵キャラ」「クリアの過程でアイテムを集める」「ヒロイン(JRの場合にはヒロインは父コングだが)のところに辿り着く」といった要素も、先行するタイトルと通じるところがある。「鬼ごっこ」的なゲーム要素が、アクションゲームとしては一番原始的な形だと考えることも出来るだろう。

ナッツ&ミルクが先達と大きく異なるのは、「50ステージ」という当時としては常識外れに膨大なステージ数と、ラウンドスキップ(セレクトボタンを押すことによってその面を飛ばすことが出来た)やボーナスステージなどの様々な追加要素にあるだろう。「ステージセレクト」的な要素が初めてファミコン業界に姿を現したタイトルでもあった。

ゲームとしてのナッツ&ミルクの特徴は、二つの要素に集約されると思う。つまり、「ジャンプによるパズル要素」と、「ナッツの行動予測」である。

ジャンプがジャンプアクションの根幹になるのは当然だが、このゲームにおけるジャンプは「ナッツをかわす手段」であると同時に、「得点稼ぎの方法の一つ」でもあり、「スプリングと絡めてパズル的な地形を突破する為のテクニック」でもある。

ナッツをジャンプで飛び越えるとボーナス点が入る。これは、「回避」という行動自体に報酬がつくことで、後述する「いかにナッツの行動を読むか」という流れにプレイヤーを呼び込むことに通じる。

また、通常のジャンプは1マス分しか飛ぶことが出来ないが、タイミングを合わせると2マス分の距離を飛び越えることが出来る、というのもこのゲームを奥深くしていた要素の一つだろう。50ステージどのマップをとっても、ジャンプというテクニックの使い方を考えないステージはなく、その「考えられた配置」の完成度は高い。


そしてもう一つ、「ナッツの行動予測」というものが、このゲームの「肝」であると私は考える。

ナッツは通常何も考えずにミルクを追いかけるだけの動きをするのだが、例えばある条件下では全く逆の方向に動いたり、ある地形上ではミルクの縦軸を先に追いかけたりと、様々な意味で「面白い」動き方をする。これを利用して、やがてプレイヤーは「ナッツをおびき寄せておいて、あるタイミングで一点突破する」であるとか、「ロープの上でナッツを誘導して、上手い事画面下に叩き落す」といった、相手の動きを予想した戦術というものを学習していくことになる。

すぐ後に発売された「ロードランナー」、そして11月の「パックマン」と並んで、「敵がこの後どういう風に動くか」ということを予想する、という楽しみ方をプレイヤーに提供した初めてのファミコンゲームである、と私はこのゲームを評価している。この一点において、ポパイやドンキーコングはナッツ&ミルクに一歩を譲るだろう。ロードランナーなどに比較すればその知名度では劣るが、ナッツ&ミルクも確かに、アクションゲームの根っこの近くに位置するタイトルの一つなのである。



・で、ステージエディットの話。

凄く端的に言うと、「データレコーダの為に追加された機能」なんじゃないかなあ、とか邪推してしまうのですが。

参照:ザ・周辺機器ズ様

ナッツ&ミルクが発売されたのは1984年7月28日。これに先立って、6月21日に任天堂より発売されたのが、いわずと知れたファミリーベーシックである。

ファミリーベーシック自体については以前もちらっと書いた。重要なのは、これと前後してファミコン用のデータレコーダ(カセットテープにゲームやベーシックのデータを記録する為の周辺機器)が発売されたことであり、おそらく任天堂はある程度MSX(ファミコンと同時期に発売された、低価格PCの規格。ゲームも出来る)を意識していたのではないか、という憶測である。


覚えていらっしゃる方も多いとは思うのだが、ファミコン初期には「ゲームのデータを保存する」こと事態が容易なことではなかった。当時はまだバッテリーバックアップも出現しておらず、フラッシュメモリなどカゲもカタチもない。パスワードコンティニューすらまだ一般的ではなかった(初出は多分85年のフラッピーだと思う)時代である。

そんな折、ベーシックの別売り付属機器として発売されたデータレコーダは、当然のことながらユーザーがせこせこと打ち込んだベーシックのプログラムを保存する為の機械だった訳なのだが、当時ベーシックを使いこなせるお子様は当然それほど多くなく、データレコーダが普及するには「他の使い道」がどうしても必要になる。当たり前である。

で、その「他の使い道」を提供する為に打ち出されたものの一つがハドソンと任天堂タッグによる「ステージエディット」である、という側面は意外にあったりするんじゃないかなあ、と私は推測(というか邪推)するのだがどうだろうか。

「ハードが先にあり、そこからゲームの要素が作りこまれる」というのは別に全然珍しいことではなく、例えばファミコンのタイトルには「マイク」を使った遊び方が導入されたゲームが山ほどある。とはいえ、このゲームの「データレコーダ対応」という要素については些か政治的なタイムリーさを見ざるを得ず、そういう意味では、「高橋名人の為に追加された」同じくハドソンの迷宮組曲、タイトル画面の連射機能を個人的には連想したりするのである。

少なくとも、当時ベーシックで打ち出された「自分でもゲームが作れる」という方向性をある程度意識した機能である、という推測は外れてはいるまい。バトルシティは確かデータレコーダ対応してなかった気がするけど。

もっとも、このしばらく後に「バッテリーバックアップ」という機能が一般化し、ターボファイルなどという超強力なライバル付属機器も現れ、データレコーダはあっさり時代の孤児となってしまう訳ですが。技術の進歩というものは、かくも速い。


勿論、上記のような邪推とは何の関係もなく、ステージエディットはそれ自体「とても面白い」要素ではあった。イラストのような色とりどりのステージを作ることも出来れば、本格的なパズル要素に挑戦することも出来る。

ナッツをブロックで囲んで外に出られなくしたりであるとか、海の上に配置してステージ開始早々延々と海中に没し続けるナッツを見て楽しむであるとか、そういった残酷な少年的遊び方をした人も当時は結構いたのではあるまいか。子供の創作意欲を刺激するメニューであったことは確かな事実だろう。

エディット機能は、後のファミスタや倉庫番などに受け継がれつつ、より機能の高いハードへと流れ込むことになる。



ということで、大概長くなったので今回はこの辺りで締めることにする。

次回はまたタイトルもの万里の予定です。

posted by しんざき at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月10日

レトロゲーム万里を往く その91 キン肉マン マッスルタッグマッチ

ブロッケンJr「ベルリンの赤い雨ーーーっ!」
ロビンマスク「・・・・・・」


うん、Jrなのに何故か毒ガス殺法なんだ。すまない。


多分なのだが、対戦格闘ゲームのルーツを辿っていくと、割と根っこの近くにファミコンのタイトルが何本かあると思う。

ことファミコンに関する限り、多分「格ゲー」の元祖的な存在はアーバンチャンピオンだ。横から見た一対一の殴り合い。上パンチ、下パンチ、強弱パンチなどの使い分け。そこには確実に対戦格闘のルーツがあった。

次に来るのがおそらくイーアルカンフーだと思う。以前も書いたが、左右に分かれた体力ゲージに、ローキック、ハイキック、中段パンチ、足払いなどなどの「通常技」の数々。この辺りのフォーマットは殆ど今の格ゲーと変わることはなく、「今の格ゲーに近い」という視点で言えば、ファミコン版のイーアルカンフーは業務用のそれとほぼ遜色ない。


で。その次に来たマッスルタッグマッチでは一体何が起きたんでしょう、というのが今回の万里のテーマな訳である。


キン肉マン マッスルタッグマッチ。対戦型アクションゲーム。1985年11月、バンダイよりファミコンで発売。同名のド級人気コミックをゲーム化した作品であり、プレイヤーはキン肉マンやらアシュラマンやらブロッケンJrやらウォーズマンやらを操り、2Dのリングの上で、相手をぶんなぐったり跳び蹴ったり必殺技を使ったりして叩きふせる。

バンダイのファミコン参入第一作品にして、バンダイ初のミリオンセラーとなったソフトの筈である。そしておそらく、国外アニメである「ポパイ」「ポパイの英語遊び」を除けば、ファミコン史上初の「キャラゲー」だったともいえるだろう。以後バンダイは、様々なアニメやコミックを下敷きにしたキャラゲーを連射し、ファミコン業界に様々な悲喜劇をもたらすことになる。



まずは参照リンクを。

ゲーム自体に関してはいつも通りWikipediaに詳しい。
Wikipedia:キン肉マン マッスルタッグマッチ

攻略を含めたゲーム情報についてはこちらのページが白眉だろう。画面写真も参照頂ける。
「キン肉マン マッスルタッグマッチ」攻略

さて、ゲームの話にいこう。


・マッスルタッグマッチに見る「キャラ差」のルーツ。

ファミコン黎明期、「二人で同時に遊べるゲーム」というタイトルはまだ意外と少なかった。その中でも、「対戦」というものをメインに据えたゲームは、はっきりと少数派だった。例えばマリオブラザーズ。例えばアイスクライマーやバルーンファイト、クルクルランド。これらはいずれも「対戦も出来ます」というスタンスのゲームデザインであり、ゲームの本筋は飽くまで協力プレイだった。

「サッカー」や「ゴルフ」の様な一部のスポーツゲームを除くと、それこそ「対戦ゲーム」と呼べるものはごく希少なものだったといえるだろう。85年中盤くらいまでは、アーバンチャンピオンくらいだったのじゃないだろうか。

そして、これら全てのタイトルの共通点は、「1Pも2Pも性能は同じ」という原則である。そこには、「友達同士公平に遊べるように」という理念が見え隠れしていた、と思う。



私が考える限り、マッスルタッグマッチが「対戦格闘」というジャンルにもちこんだものはたった一つ。「キャラ差」である。


先述した通り、マッスルタッグマッチには複数の超人が登場する。その数は8人。キン肉マン、テリーマン、アシュラマン、ラーメンマン、ロビンマスク、ブロッケンJr、ウォーズマン、バッファローマンがその面子である。バージョンによってはジェロニモがいたりペンタゴンがいたりするらしいがまあそれは別にいい。

で、これらの超人は一人一人性能が違う。ミートくんがリング上下から投げる「命の玉」をとることによって使用出来る必殺技も違う。スピードはとろいが必殺技は強いテリーマンやブロッケンJrであるとか、スピード速くてハメ手があるが通常技のどれかが弱いウォーズマンやバッファローマンであるとか。

対戦をするにあたって、ウォーズマンとキン肉マンでは明らかな性能差があった。命の玉をとったテリーマンに、キン肉マンやブロッケンJrで近づくことは死を意味していた。これは、それまでの2Pゲーにおける「1Pでも2Pでも公平に」という理念とは、全く異質のゲーム性だった。

つまりこのゲームは、おそらく家庭用史上初のどのキャラを選択するかによって有利不利が発生するゲームだったのである。

更に、超人間のキャラ差は様々な駆け引き要素、戦略性をも生み出した。

例えばブロッケンJrは、通常時は足の致命的な遅さが響いてヘタをするとキン肉マン以下の性能だが、命の玉をとれば途端に「唯一の飛び道具キャラ」として輝き出す。テリーマンもほぼそれと同様、「普段は弱いが命の玉をとればヘッドロック連打でほぼ無敵」というキャラである。つまり、ブロッケンやテリーマンは、「通常時をなんとか凌いで、命の玉で一発逆転を狙う」キャラということが出来る。

それに対して、例えばアシュラマンは通常時の性能は非常に良いが、必殺技の阿修羅バスターを対戦で決めるのは非常に難しい。ロビンマスクもほぼそれに順ずる。ラーメンマンはキックに光るものを持っているが、性能を全体的に見ればアシュラマンにおとり、必殺技の空手殺法を使いこなすのも難しい。キン肉マンには余りいいところがない。

ウォーズマンは暴力的なスピードで通常時の立ち回りも隙がなく、必殺技も強力。このゲームをやり始めたばかりの人は、必殺技の強力さに目を奪われて「ブロッケンJr最強」などと言ってしまいがちだが、おそらく最もオールマイティな強さを誇っているのはウォーズマンの筈である。

プレイヤーの得意不得意、ゲームに対する習熟度によってさえ、「どのキャラを選ぶべきか」が変わってくる。後のストIIの対戦ダイアグラムの変遷に通じさえする、この「キャラ差による戦略性の発祥」こそが、キン肉マンマッスルタッグマッチの歴史的意義であると、私はそんな風に思うわけなのである。


・マッスルタッグマッチのグラフィックと音楽。

第一作ということを割り引いて考えれば、正直「ドラゴンボール 神龍の謎」や「オバケのQ太郎」より頑張っていたんじゃねえか、という気がしないでもない。で若干でも製作期間に余裕があったんだろうか。

ちなみに神龍の謎についてはこちらのページをご参照されたい。画面写真を参照可能である。
ドラゴンボール 神龍の謎

マッスルタッグマッチのBGMの話で言えば、タイトル画面の軽快なBGMの印象が濃い。というか、対戦中はBGMがない。まだこの時期はBGMというより「ファンファーレ」というレベルの曲が多かったことを考えると、割と力を入れている方ではないだろうか。

余談になるが、私が思う「ファミコンBGMのトップランナー」はフラッピーである。当時、3種のBGMからゲーム中の音楽を選べるという演出を導入したゲームは他にただの一作もなかった筈だ。PCからの移植だけど。


私にとってのマッスルタッグマッチについて言えば、それは「キャラ差への挑戦」の記憶とほぼイコールになる。必殺技が使いにくいキャラで、どうやってブロッケンJrやテリーマン、ウォーズマンを返り討ちにするか。命の玉をとられた時どんな位置どりで凌ぐか。そういった記憶を考慮すると、少なくとも私にとっては、このゲームは「頭を捻って攻略法を考えた」初めてのゲームだったような気がする。

キャラ差がある故の戦略性。そういった観点から考えると、マッスルタッグマッチも一つの歴史的タイトルだといえるのではないだろうか。


という辺りで今回はここまで。
次回はもうちょっと時代を下って、もしかするとSFC頃のタイトルがメインになるかも知れない。
posted by しんざき at 01:32 | Comment(4) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月04日

レトロゲーム万里を往く その90 ルーラとはなんだったのだろうか。

ドラクエ9をやって、ふと思ったこと。過去の話がメインになるので万里で書く。

今回のドラクエでは、通常の職業の人が通常覚える魔法としては「ルーラ」が存在しない。代わりに、シナリオ進行上のとあるポイントで、主人公が無条件に覚える。同じくイベントで習得する5とは違い、9のルーラのMP消費は0であり、必然的に今回のドラクエではルーラが使い放題である。町の中から外に出る時に使うことすら気軽に出来る。超便利。


で、ふと思った。「あー、ここまでもってきたのかあ」と。


ルーラとはそもそも何だったのか、ということについて考えてみたい。

ドラクエにおけるルーラとは移動呪文である。1の時はラダトームに、2では最後に復活の呪文を聞いた場所に、3以降では1度でも立ち寄ったことのある町に、主人公パーティを一瞬で運んでくれる。同一効果は「キメラのつばさ」でも得ることが出来るが、こちらは勿論買うなり取るなりしなければならない。

ルーラがゲーム性に与える影響は、要するに「プレイ時間の短縮」である。ある町からある町へ移動する、その「移動時間」を省略する。その間発生することが想定される敵との戦闘も省略する。「昔行った町」をプレイヤーの視野に入れ続けることによって、ゲーム世界を広く感じさせる、という効能もあるだろう。やはり、ルーラ後の選択画面に街がずらっと並ぶと世界が広く感じられるものだ。


ちょっとここで資料をひいてみよう。
ニコニコ大百科:各作品のルーラ
以下は上記URLからの引き写し。

ドラゴンクエスト
主人公(Lv13)
ドラゴンクエストII
サマルトリアの王子(Lv10)
ドラゴンクエストIII
勇者(Lv7)
魔法使い(Lv12)
ドラゴンクエストIV
勇者(Lv9)
ブライ(Lv10)
マーニャ(Lv9)
ドラゴンクエストV
主人公(イベント習得)
娘(最初から)
エビルマスター(Lv30)
キメラ(Lv24)
ネーレウス(Lv10)
ホークマン(Lv13)
プチターク(Lv40)
ドラゴンクエストVI
主人公(Lv8)
バーバラ(Lv8)
はぐれメタル(Lv5)
魔法使い(職業Lv3)
はぐれメタル(職業Lv4)
ドラゴンクエストVII
主人公(Lv8)
メルビン(最初から)
魔法使い(職業Lv3)
ドラゴンクエストVIII
主人公(ゆうきスキルLv1)
ククール(最初から)

インデントが汚い点は勘弁していただきたい。注目したいのは、キャラクターの横に書いてある「ルーラを覚えるレベル」だ。

主人公のレベルとゲームの進行は大体シンクロするものだ。そこから「ゲーム進行上のどの辺でルーラを覚えるのか」を考えると、大雑把にいって「大体序盤から中盤にゲームが遷移する辺り」という共通点が見て取れる。もう少しいってしまうと、(1はちょっと例外だが)「世界が広がる辺り」という表現が妥当だろう。

例えばドラクエIIの例で言えば、サマルトリアレベル10というのは、まあ大体ムーンペタのある大陸に移って、ムーンブルク王女を仲間にして、船のあるルプガナを目指そうか、という辺りのレベルと考えていい。ドラクエ3のレベル7というのは、アリアハン大陸を抜けてロマリアに辿り着けるか着けないか、という辺りだろう。ドラクエ4であれば船のあるコナンベリーが視界に入る頃だし(当然だが、低レベルクリアの方々のようなプレイは想定していない)5のルラフェンは言うまでもなく、結婚イベントで船が手に入る直前だ。

この辺は、当然のことながらゲームデザイン上の調整であり、勿論「狙って」やっているのだろうと推測出来る。

ドラクエにおける「世界の広げ方」の管理はかなり厳密である。最初移動出来るのは極めて限定された範囲(例えばアリアハンとかローレシアとか)で、徐々にプレイヤーをゲームに慣らしていき、その後「次の大陸」という形で一気に行動範囲が広がり、そして船が手に入ることによってほぼ世界全域が行動範囲に含まれる。ただしこれは飽くまで「徒歩の延長」としての話であって、ラーミアや気球のような「敵との戦闘をすっ飛ばしてどこでも移動出来る手段」が手に入るのは、一部の例外を除いてほぼゲームの最終盤なのだ。

逆の言い方をすれば、ドラクエでは「敵をすっ飛ばせる移動手段」が最後の最後まで手に入らない。この状態で世界をめぐると、「ただ世界を回る」だけでも非常に手間がかかる。折角世界が広がったのに、例えば昔行った街にふと立ち寄る為に、プレイヤーはわざわざキメラの翼を買わなくてはいけない。

そこでタイミングよく「ルーラ」という移動手段を得ることによって、プレイヤーは既存の行動範囲内であればほぼ制約なしに動き回ることが出来るようになる。広がった世界を十分に堪能できる。


そこから考えると、ドラクエにおけるルーラというものは、いわば「世界を広げる為のエクスキューズ」として動作している、といえるのではなかろうか。


9におけるルーラは、レベルとはまるで無関係に「世界が広がる直前(転職が可能になり、ツォの浜→サンマロウを経て船が手に入る)」で習得することが出来、しかもMP消費がないので非常に容易に「昔行った街」に立ち戻ることが出来る。「ルーラの思想」を更に推し進めるとこういう形になるのかあ、などと私は妄想する訳なのである。

ちなみに、9においては過去シリーズと異なり、セントシュタインという街が非常に重要というか、ある種の「ゲームの基盤」的な役割を果たしている。おそらくその辺のところも考慮されたゲームデザインなのだろうと思う。


話は変わる。

ドラクエと対比しやすい存在として、当然のことながらファイナルファンタジーがある。FFにはいわゆる「ルーラ」の様な移動呪文が存在しない。フィールドでセーブ出来るという事情もあるが、それ以上に大きいのが、FFにおける「敵と戦闘せずに移動出来る手段」の(ドラクエと比較しての)気安さ、豊富さである。

例えばFFIIにはチョコボがいる。飛行艇もある。FFIで飛行艇が手に入るリュカーン砂漠もゲーム全体から見れば中盤だし、IIIに至ってはゲーム序盤から飛行艇が手に入り、以後展開に沿って複数の飛行艇を乗り継いでいくことになる(暫くは色々と制約があったり乗れない時期があったりするが)。4でも5でも6でも、かなり早い段階から「敵をすっ飛ばして移動出来る手段」が手に入るのである。

その代わり、ファイナルファンタジーシリーズでは「ストーリーの展開の一環として」世界が広がる、という傾向が強い。例えばIIでは竜巻発生前と後で世界の様相がほぼ変わるといっていいし、3は浮遊大陸前と後、4は地底世界と月世界、5でも6でもストーリーの進行によって世界の様相がまるで変わる。


こうして考えると、ドラクエとファイナルファンタジーは、「世界の広げ方」というものについてかなり異なった思想をもって作られているのではないか、という結論が導けそうだ。こちらについてはまた改めて、もうちょっと具体的に考えてみる。

posted by しんざき at 17:27 | Comment(6) | TrackBack(2) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

レトロゲーム万里を往く その89 ファミコン業界・長い長いタイトル群の夕べ。

とてもどうでもいい話。

先日、とある知人とふとした拍子に、「ゲオポリティク島における国家興亡論(アイレムからの発売中止タイトル)」についての話になった。どんな拍子だ、ということに関しては気にしないで頂きたい。

で、その知人が「ファミコンにそんな長いタイトルのゲームがあったのか!」とか言ったので、「未熟ものめが、ファミコンは長いタイトルのゲームだらけじゃ」と応えた。その時私の脳裏にあったのは、「アルゴスの戦士 はちゃめちゃ大進撃」や「ダウンタウン熱血曲それゆけ大運動会」などであった。

で。後になってよく考えてみると、それどころじゃないシリーズが結構あるんじゃないか、という気がしてきた。

そう、ヤツの名は探偵神宮寺三郎。探偵神宮寺三郎新宿中央公園殺人事件。長い。これは長すぎる。

単純にひらがなに直してみる。

たんていじんぐうじさぶろうしんじゅくちゅうおうこうえんさつじんじけん。34文字。

すげー。ことファミコン業界に限れば、これを越えるタイトルは余り多くないんじゃないだろうか。

以下、長いんじゃないかなーと個人的に思いついたタイトル。飽くまで思いついたものを後から検証した順であって、タイトル一覧を精査している訳ではないので、抜けがある可能性は多分にある。ちなみに、文字数のルールは、「サブタイトルまで全て含めた上で、読みに従ってひらがなに直した時の純粋な文字数」である。

まず、当初思いついたものを幾つか。

「アルゴスの戦士はちゃめちゃ大進撃」。
あるごすのせんしはちゃめちゃだいしんげき。20文字。ダメですアルゴス。全然届きません。

「元祖西遊記スーパーモンキー大冒険」。
がんそさいゆうきすーぱーもんきーだいぼうけん。22文字。サブタイトルなしと考えていると健闘している部類か。食料制限はもう少し緩くしてくださいお願いです。

「ファミコン探偵倶楽部2 後ろに立つ少女前編」。
ふぁみこんたんていくらぶつううしろにたつしょうじょぜんぺん 29文字。くそ、2をつうと読んでも30文字に届かないのか。

「SDガンダムワールドガチャポン戦士スクランブルウォーズ」。
えすでぃーがんだむわーるどがちゃぽんせんしすくらんぶるうぉーず 31文字。くう、30文字の壁はなんとか突破したが、まだ届かない。SDをスーパーデフォルメと読めば一応突破可能だが、流石に商品名を読みかえるのは反則だろう。

それじゃこれでどうだ。

「ダウンタウンスペシャル くにおくんの時代劇だよ全員集合」。
だうんたうんすぺしゃるくにおくんのじだいげきだよぜんいんしゅうごう 33文字

なんてこった。本命と思われた時代劇すら神宮寺に届かないのか。強しデータイースト。厚き神宮寺の壁。何故我々はヤツを越えられないのか。タバコは今後も吸い続けるのか。

というところで、もう一本思いついた。確かこれは正式タイトルの筈だ。

「なんてったってベースボール 子ガメカセット'91年開幕編」。
なんてったってべーすぼーるこがめかせっときゅうじゅういちねんかいまくへん 36文字

おお、きた。やっときました。流石の神宮寺も子ガメカセットには勝てなかった。でもこれ本当にタイトルなのか。なんかズルい気もするな。

というところで、もう一本強力なのがいた。
「SDガンダムワールド ガチャポン戦士5 BATTLE OF UNIVERSAL CENTURY」
えすでぃーがんだむわーるどがちゃぽんせんしふぁいぶばとるおぶゆにばーさるせんちゅりー 42文字

うおおすげえ。40文字越え来ました。流石SDガンダム、流石シリーズもの。でもバトル画面はアクションの方が正直良かった気がする。システム自体は後の「ギレンの野望」とかに流れこんでそうですな。

と、取り敢えず観測範囲内ではこれくらいが最大文字数でした。DSとかに話を広げるともっと色々出てくるみたいだけど。FC業界では暫定チャンピオン42文字。

以下は思いついたタイトルの羅列。一応文字数順。読みにくいが勘弁していただきたい。繰り返すが、多分抜けはたくさんある。特に30文字以下は。


えすでぃーがんだむわーるどがちゃぽんせんしふぁいぶばとるおぶゆにばーさるせんちゅりー 42文字
なんてったってべーすぼーるこがめかせっときゅうじゅういちねんかいまくへん 36文字
えすでぃーがんだむわーるどがちゃぽんせんしふぉーにゅーたいぷすとーりー 35文字
たんていじんぐうじさぶろうしんじゅくちゅうおうこうえんさつじんじけん 34文字
だうんたうんすぺしゃるくにおくんのじだいげきだよぜんいんしゅうごう 33文字

にしむらきょうたろうみすてりーすーぱーえくすぷれすさつじんじけん 32文字
あどばんすどだんじょんずあんどどらごんずぷーるおぶれいでぃあんす 32文字
なんてったってべーすぼーるこがめかせっとおーびーおーるすたーへん 32文字
ながぐつをはいたねこせかいいっしゅうはちじゅうにちだいぼうけん 31文字
えすでぃーがんだむわーるどがちゃぽんせんしすくらんぶるうぉーず 31文字
ほくとのけんふぉーしちせいはけんでんほくとしんけんのかなたへ 30文字
えすでぃーせんごくぶしょうれつでんれっかのごとくてんかをとれ 30文字
たんていじんぐうじさぶろうよこはまこうれんぞくさつじんじけん 30文字
やまむらみささすぺんすきょうとはなのみっしつさつじんじけん 29文字
ふぁみこんたんていくらぶつううしろにたつしょうじょぜんぺん 29文字
だうんたうんねっけつこうしんきょくそれゆけだいうんどうかい 29文字
ぷろやきゅうふぁみりーすたじあむはちじゅうななねんどばん 28文字

びーばっぷはいすくーるこうこうせいごくらくでんせつ 25文字
ほくとのけんつうせいきまつきゅうせいしゅでんせつ 24文字
あいあむあてぃーちゃーすーぱーまりおのせーたー 23文字

なんかひらがながゲシュタルト崩壊を起こしてきた。

無理矢理総括してみると、「サブタイトルの有無」という点からシリーズものが強いのは当然として、後は原作もの、アドベンチャー系が強い傾向がある様な気がする。これはやはり、元々「タイトル付け」という文化にある程度歴史というか、背景があるからこそなのだろう。推理小説とか漫画とか。

ちなみに、DSまで話を広げると暫定チャンピオンはこの辺らしい。
全米が震撼した?!ゲーム史上最も長いタイトル名
SIMPLE DS シリーズ Vol.14 THE自動車教習所DS?原動機付自転車・普通自動二輪・大型自動二輪・普通自動車・普通自動車二種・中型自動車・大型自動車・大型自動車二種・大型特殊自動車・けん引
絶対狙ってるだろコレ。

あと、「東北大学未来技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」なんてのもあるが何文字なのかは知らない。3文字以上は「たくさん」でいいですもう。

取り敢えず今日はこれくらいで。

参照:レトロゲーム万里を往く その10 意図不明タイトル群の夕べ

posted by しんざき at 18:59 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

レトロゲーム万里を往く その88 スターフォース

それは、遠い遠い昔のお話。



「連射が速い」ということが一つのステータスとして、ゲームを攻略する上での重要な才能として君臨していた時代。シンクロ連射装置などというものは、まだカゲもカタチも存在しなかった時代。高橋名人というささやかな夢を、皆がこぞって追いかけた時代。


「ディフェンダー」に始まり、「ヴァンガード」や「ゼビウス」といった名作によって既定路線となった「スクロール」という概念は、シューティング業界にもう一つのものを持ち込んだ。それが即ち「連射」である。

スペースインベーダーを草分けとする当初の固定画面シューティングゲームでは、1ステージに登場する敵の数がそもそも制限されていた。ハード的な制約などその他もろもろの事情もあり、基本的には自機から発射される弾の数は1ないし2。重要なテクニックになってくるのは、精密な操作と弾発射のタイミングだった。

それに対し、スクロールという要素は「敵の純増」「画面の広がり」「敵が出てくるペースの調整」など、様々なゲーム性の変化をSTGにもたらすことになる。ゼビウスの時点で、既に「たくさん出てくる空中敵の物量作戦」「それに対抗する為の連射」(あとバキュラ256発とか)といった連射の要素は発生していた。

そこに、「空中・地上の弾の打ち分け要素を撤廃」という処置をした上で、色んな要素を詰め込んで一気に連射の地位を上げまくったのが、言わずと知れた「スターフォース」である。


スターフォース。縦スクロールシューティング。1984年、テーカン(後のテクモ)よりアーケード版発売。翌1985年にはハドソンよりファミコン版が発売され、「キャラバン」や「コロコロコミック」などと合わせた広告戦略により、「スターソルジャー」などへと繋がるFC縦シューの基礎を形作り、さらには「高橋名人の出現」という、ファミコン業界の重要なターニングポイントの引き金を引いた。


まずは関連ページリンク。

アーケード版に関しては、いつも通りというか「OKINIIRI」さんを参照して頂けるのが一番いいのではないかと思う。バブシカさんの緻密なレビューが読める。
OKINIIRI:スターフォース

ゲームの背景その他に関してはWikipediaを参照のこと。
Wikipedia:スターフォース

さて、ゲームの話にいこう。


・突如そこに現れた「連射」の重要性。

当然のことながら、スターフォースは縦スクロールシューティングである。プレイヤーは自機「ファイナルスター」を操り、敵が撃ってきた弾を避けて、こちらの弾を地上・空中問わず敵にぶち当てる。そのゲーム性は今からは想像も出来ない程シンプルだ。

重要な要素は3つくらいある。

・耐久力のある敵の増加。
・「連射によってボーナス点が入る」ギミックの大量投入。
・敵の攻撃の基本は自機への突っ込み。


例えばの話、ゼビウスでは、バキュラ以外のあらゆる敵が「一発撃ったら終わり」だった。「耐久力」という概念がそもそも存在しなかったのである。これはボザログラムだろうが、アンドアジェネシスだろうが変わらない。撃つ場所は多いけど。


これに対してスターフォースでは、地上敵・空中敵問わず、耐久力のある敵が激増している。ラリオスやエリアターゲットは言うに及ばず、トッパーの様な空中敵、ジムダやマジッカなどの地上敵、ヒドンの様な「隠れキャラ」に至るまで、そこには「たくさん撃たないと倒せない」敵が山盛りだった訳である。

それに加えて、ラリオスやジムダ・ステギなどの「たくさん撃って撃破に成功すればボーナス点」という要素の追加。弾幕はそれほどキツくないけど、高速で自機に突っ込んでくる数々の敵機。敵を倒すことでポイントが加算され、エリアが先に進んでいくシステム。これらをまとめることで、このゲームはどうなったか。

そう。つまりスターフォースは、テーカンが意図したものなのかどうか、おそらく史上初の「連射が速ければ速い程有利」というゲームに仕上がっていたのである。


ここに、一人の巨人が現れる土壌が整った。


・高橋名人という「怪物」の出現。

ハドソンの高橋利幸氏が初めてファミコン小僧達の前に現れたのは、チャンピオンシップロードランナーの販促イベントである(参考:"高橋名人”という社会現象)その後、彼は「キャラバン」という、全国レベルでのゲーム大会において「高橋名人」となる。

「キャラバン」の第1回、「TDK全国ファミコンキャラバン 」で使われたゲームが、勿論スターフォースだ。

高橋名人は勿論ゲームが上手かった訳だが、彼の最も有名な特技である「16連射」が名人の看板になる為には、「連射というスキル」が重要な才能として数えられる必要があった。その為の土壌として、スターフォースというゲームはうってつけだった。

高得点を上げる為に、大量の敵を押しのける為に、ほぼ必須ともいえる「連射の速さ」。コロコロコミックの漫画で、デパートでの販促イベントで、「連射」という要素は高橋名人とセットになって、シューティングゲームでの主要な才能の一つへと駆け上がっていったのである。


私は、当時の業界の盛り上がりをうっすらと覚えている。ラリオスが、ジムダ・ステギが、漫画の展開とワンセットになって次から次へと撃破されていった風景。やがてごく一般的なゲーム好きのなかから「毛利名人」がハドソンに見出され、発生する「14連射」と「16連射」の対比。色々なメーカーがこぞって名人を擁立したことも記憶に残っているが、ある程度定着したのはバンダイの橋本名人くらいではなかったか。

「コロコロコミック」と「キャラバン」そして「高橋名人」と「連射」。後にスターソルジャーまで発売してこれらの要素を子供相手にクローズアップした、ハドソンの戦略は今から振り返っても見事だったと思う。


シューティングゲームの時代の、ほんの一時期。やがて、「連射」という要素は「シューティングゲームの多様化」や「連射装置・ソフト連射の普及」などによってスターダムから追いやられ、ハドソンもゆっくり、ゆっくりと業界のトップ集団から退いていくことになる。



・私にとってのスターフォース。

知っている人はよく知っている、「ジョイボール」という代物がある。十字キーにあたる部分がボール上になっており、ボールを掴んでぐりぐりと自機を操るという微妙な操作感のコントローラーだが、私が初めて「連射装置」というものを体験したのがジョイボールであり、このスターフォースだった。

ピアノ撃ちで必死にならなくてもラリオスが撃破出来る!というのは確かに鮮烈な感動だったが、周囲のファミコン小僧の間では「邪道なもの」として位置づけられており、またボールをちょっとずらすとくりっとメーウスに突っ込むことが多かった為、そこまで欲しいとは思わなかった。それよりなにより、当時は「手動連射をいかに速くするか」ということがファミコン小僧達の最大の関心事であった訳である。この点、ハドソンの戦略にものの見事に乗せられたといって間違いないだろう。

ゼビウス当時はまだそこまでゲームに時間を使えなかった私にとって、スターフォースは多分初めての「点稼ぎの楽しさ」を教えてくれたソフトだったと思う。エリアターゲットを倒した時のあのファンファーレを、ラリオス前の緊張感を、今でも私は覚えている。


シンプルイズベストの、その先にあったゲーム。スターフォースは確かに、縦スクロールSTGの一つのルーツであったと思う。
posted by しんざき at 00:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

レトロゲーム万里を往く その87 大航海時代II

ピリー・レイス「いいか、小僧どもっ。重要なのは水より食料だ!食料だ!食料だ!水が飲みたきゃその辺で上陸して汲めっ!」

ジョアン「サー、イェッサー!!」

ピリー・レイス「いいか、一に歓待!二に歓待!三、四がなくて五に探索だっ!」

ジョアン「サー、イェッサー!!」

カタリーナ「…屋形船の訓練?」

(「フルメタル・キャラベル(民明書房刊)」より一部抜粋)


ヴェネツィアン・ガレアスで南極圏・北極圏まで、昼夜問わず余裕でおっかけてくるレイス兄弟の物凄さを、我々はもっと認識するべきだと思う。後世に語り継ぐべきだと思う。

アルゼンチン海盆の暴風の中でも、北氷洋の氷の中でもにっこり笑顔でガレーを漕ぎ切るバルバリア海賊の皆さん。氷山とかガレーの櫂でバキバキですよ多分。なんだあいつら。実は水夫の代わりにターミネーターでも乗せてるんじゃないか。


ということで、なんか大分間が空いてしまいましたが、一応前回の続き。私にとってのオフライン版大航海時代の完成形、「II」について書きたいと思う。


初代「大航海時代」では、実はゲームの軸は二本しかなかった。つまり、「交易」と「戦闘」である。

ゲームの基本は、「交易品を運んで金を貯め、でかい船を買って強い敵を倒す」であり、いわゆる「冒険要素」といえるものは、たまに依頼される「宝探し」というものに集約されていた。「宝の地図」を渡され、副官の助言の元、宝の地図に示された世界のどこかに財宝を探しにいくというもので、勿論これはこれで楽しかった訳なのだが。

そこに、「集落」「発見物」「地図作成」という要素を放り込んで、「冒険」という太い一本の柱を構築したのが、「大航海時代II」というゲームであり、私が一つの「完成形」だと考える所以でもある。

「冒険」「海戦」「交易」。この3つが揃ってこその大航海時代である、と私は思う訳なのである。


大航海時代II。1993年2月、光栄よりPC版発売。インターフェイスに若干の難こそあれ、複数の主人公キャラクターの導入、「冒険」「海戦」「交易」の三本柱の確立、それによって滅多矢鱈に高まった自由度、美麗なグラフィックと菅野よう子作曲の素晴らしいBGMなどなど、頭の先からつま先まで一級の完成度で、後のオンライン版まで続く大航海時代シリーズの礎となった。のち、SFC、メガドライブなどの家庭用にも移植され、インターフェイスも様々に改善されていった。

まずは関連URLを。

まず、ゲームの関連情報に関してはWikipediaにサマリーされている。
Wikipedia:大航海時代II

攻略情報についてはヤキトリ屋さんが白眉だろう。
ヤキトリ屋


まずはゲームの話に行こう。


・「冒険」要素がゲームにもたらした色々なもの。

つまるところ、ゲームの中に超巨大な「宝探し」要素が一つ丸ごと放り込まれた、と考えていいと思う。

このゲームにおいて、「安い港で買って高く売れる港で売る」交易と、「たくさん砲や水夫をつめる船をたくさん集める」海戦については、前作とそれ程大きくゲーム性が異なる訳ではない(一騎打ちは結構重要な要素だけど)。

だが、「II」では地図が作れる訳である。集落が見つけられる訳である。サーベルタイガーが、マンモスが、モアイが、水晶のドクロが発見出来る訳である。これが燃えずにいられようか。

このゲームにおける発見物探しは、大体以下の様な流れで行われる。

1.コレクターと契約。

2.船で世界各地を回る。ナイル川を上ったり、ヴェルデ岬で嵐にあったり。

3.集落を発見する。

4.集落に上陸して探索。この際、集落の原住民との友好度を上げる為に食料を食わせまくったり(冒頭でいうところの歓待)、発見したコモドオオトカゲにかまれて船員が減りまくったりする。

5.帰還してコレクターに報告。冒険名声とお金を得る。


という様な感じで。この際、母港から離れた遠い異境で、「集落を発見しました」の文字列を見ることにとにかく麻薬的な快感がある。「次は何が見つかるのか?」というごく単純な好奇心を、パンダからオーロラからタスマニアタイガーにいたるまで、バラエティ豊富すぎる発見物の数々が裏付けてくれていたといっていいだろう。

一つには、「雰囲気作り」の上手さというものがあると思う。例えば北海を遠く北上した氷の海。例えばアマゾン川の上流。船の行き来が殆どない孤独感と、それぞれの場面に合致したBGMが、「今自分は未開の土地にいるんだ」という雰囲気を盛り上げる。

いわば「冒険感」あっての発見物システムだとは思うのだが、そんな中でもまるでマッピーのご先祖さまの如くひたすらPCを追いかけてくるレイス兄弟だけは誰かなんとかしてください。シップ買ってきて撃退するぞコラ。


ちなみに、発見物は毎回全てが見つかる訳ではないので、目当ての発見物を見つけることが出来るかどうかはリアルラック次第でもある。はるばるイースター島まで出向いて集落が見つからなかった時には流石にがっくりときたものだが、それもまた「II」の醍醐味である。


それに加えて、1では基本的に「積荷がたくさんつめるかどうか」「水夫がたくさん乗せられるかどうか」の二軸だった船選びにも、「積荷はあまりつめないけれど、少人数で動かせて速い船」といった「冒険向けの船」なども出てきて、船選びのバリエーションが倍増したことも特筆すべきだろう。スループやピンネースの便利っぷりには恐ろしいものがあった一方、シップやバーグでカロネード砲を撃ちまくる楽しみや、序盤の軽ガレーの効率の良さ、ジーベックの恐るべき万能っぷりなどなど、船の新調はお金の使い道を迷いに迷わせまくってくれる場面でもあった。


・エルネストストーリーの浮きっぷりについて。

一人だけ他プレイヤーキャラとの絡みが一切ないのですが、これはパウラさえいればそれで俺のストーリー全ておっけーおーるおっけー、とそういうことですか。(スタッテンの存在抹消)

ということで、「II」ではプレイヤーキャラクターも6人に増え、ストーリー的な面も大幅に増強されている。

初期から優秀な部下を抱え、「初心者向き」という触れ込みだが、実際にプレイしてみると罠要素満載の主人公、ポルトガルのジョアン・フェレロ。

ジョアンを付けねらう女海賊、イスパニアのカタリーナ・エランツォ。

剣術がカタリーナ程高くないので一騎打ちで意外と苦労する軍人、イングランドのオットー・スピノーラ。

借金王にして冒険家、イタリア(というかジェノヴァ)のピエトロ・コンティー。

おそらくもっとも進行が簡単で、それでいてクリアは途方もなく面倒くさい、オスマンの商人アル・ヴェザス。

そして登場当初14歳の少女を世界各地に連れまわしつつ世界地図完成を目指す、ネーデルランドの大学講師エルネスト・ロペス。


この中では、「色々と優遇されているが、実はストーリー上強敵との戦闘が絶対に避けられない」ジョアンが最強の初心者殺しと言えるだろう。冒険船で中東にいった辺りでイベント戦に巻き込まれ、敢え無く紅海の露と消えた航海者が当時どれだけ存在したことか。一方、何も考えずに船だけ襲っていれば取り敢えずストーリーは進む軍人二人は、むしろ初心者向きという気がしないでもない。

そしてただひたすら美少女パウラと(あとたまにスタッテンと)の会話イベントだけでゲームが進行していくエルネスト。まさしく愛一本道。この辺り、後のアンジェリークなどをリリースする光栄女性チームの影をほのかに感じたりするのだが、これは私の気のせいだろうか。


これらの主人公キャラに加えて、脇を固める副官・航海士の面々も非常にバラエティ豊富になっており、「人材集めの楽しみ」「誰を使って何をするか、という自由度」といった遊びも相応に深くなっている。

こと人材集めについていえば、信長の野望・三国志の頃から、光栄にはブ厚い「人材雇用の楽しみをどう演出するか」というノウハウが溜まっていると私は思う。測量や会計といった様々なスキル、ゆうき・けんじゅつ・直感といった能力値にいたるまで、「こいつは使えるなー」「こいつはそれ程でもないなー」と人材情報画面をつらつらと眺める楽しさは、まさしく光栄歴代のシミュレーションゲームと同質のものだといえるだろう。

サブキャラとしては、港の彩りである「酒場娘」の好み・性格が様々に分かれており、好みのプレゼントを酒場娘に貢ぐことに血道をあげる航海者が随所に見られたことも挙げられるだろう。自慢話を延々喜んで聞いてくれる酒場娘もいれば、「ふうんすごいわね」の一言で済ませる冷淡な酒場娘もいた辺り、なかなかにシビアなゲームであったといえないこともない。



・聴けば聴く程「MOSLEM DANCE イスラムの踊り」(中近東の港の曲)が素晴らし過ぎるんですが

そして、いわずと知れた音楽・グラフィックの美麗さ。初代大航海時代に続いて、私は歴代光栄ゲーの中でもこのシリーズの曲が白眉だと思っているのだが、その他ジョアンのテーマ、カタリーナのテーマ、戦闘の曲から酒場の曲にいたるまで、一つとして「浮いた」曲がないのもこのゲームの品質を示している一要素だと私は思う。

初代三國志から信長、ジンギスカン、ロイヤルブラッドに至るまで、光栄ゲーの「時代背景・世界設定にマッチしたBGM」作りの腕前は、様々なゲームの中でも際立っていると私は思う。

一部のタイトルでは菅野よう子さんの才能が遺憾なく発揮されていることだろうが、菅野曲ってそういえばどの辺までなんだろう。今度調べてみる。


ともあれ、「発見物集め」「人材集め」といった要素は一面集めゲーの楽しみを包含しているということでもあり、前作から引き続く「海戦」「交易」の楽しさを「曲・世界観」の高度さがコーティングしている、この大航海時代IIは私にとって文句なく名作である。今遊んでも十二分に楽しめるステキゲーだと思うので、Windows版のまともなリメイクを切に期待する次第である。お願いです光栄さん、Windows95版のバイナリをそのまんま焼いて定番シリーズに出すのはもう勘弁してください。



とまあ、非常に長くなったので今回はこれくらいで。次回はまた時代をさかのぼり、FC初期のSTGについて書くことになろうかと思う。


posted by しんざき at 19:01 | Comment(6) | TrackBack(1) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月22日

レトロゲーム万里を往く その86 キャラゲーのダメ率は本当に高いのか。

ちょっと気になるコメントを見かけたので。

れとろげーむまに様:ファミコンキャラゲーを振り返って
るいんずめもりぃ様
キャラゲーって基本的にクソゲーが多いっていうのが私の認識だったりするのですが。
まあスパロボやりまくってる私が言うことでもないですけど。
出来のいいキャラゲーができる確率が低いような気がしますよ。

ち、違うんだっ。別にキャラゲー自体がダメな訳じゃない、キャラゲーを囲むもろもろの事情が故に、結果的に「あまり出来の良くないキャラゲー」ばかりが印象に残ってしまった歴史があるだけなんだっ。

キャラゲーとは何かというと、要するに「オリジナルではない既存のキャラ」が出てくるゲームである。大抵の場合漫画やアニメや小説などの原作があり、原作のストーリーをなぞったり全く関係ないことをしていたりする。ドラゴンボールやキャプテン翼などもキャラゲーの一種だし、芸能人が出てくるゲームもキャラゲーといえるかも知れない。

で、「キャラゲーのダメ率が高い」というのはよく言われることではあるのだが。事実なのかというと、必ずしもそうでもない気がする(統計的な話をする気はないが)。「キャプテン翼」や「カプセル戦記」「さんまの名探偵」などの例を挙げるまでもなく、キャラゲーというジャンルには名作・佳作も数多く存在するし、ドラゴンズレアやスーパーモンキーなどの例を挙げるまでもなく、キャラゲー以外のジャンルにもちょっとアレなゲームは数多く存在する。

ただし、「キャラゲー以外のジャンルに存在するちょっとアレなゲーム」はそもそも知られていないのだ。遊ぶ側の記憶領域に残っていないのだ。本当にアレなゲーム(ゲームの出来だけの話ではない)は人口に膾炙する程売れていない。ファジカルファイターとか、遊んだことある人どれだけいますか?


キャラゲー以外のダメゲーがキャラゲー程は印象に残らないが故に、「キャラゲーにおけるダメゲー」が取りざたされてしまう。それが錯覚を呼ぶ。つまり、「ダメなキャラゲーが、ダメな一般ゲー以上に遊ぶ側の印象・記憶に残りやすい」という事情がある


○遊ぶ側の印象に残りやすい事情
・原作ファンである場合が多い為、遊ぶ側が原作のイメージとの差異に敏感
・また、原作とのイメージの差異が色々な側面でネタにされやすい
・タイアップが前提とされている為、広告宣伝が広範になりやすい
・その為、普段それ程ゲームを遊ばないユーザーにもある程度売れ・あるいは認知され、ゲームの出来が知られやすい


多分この辺が大きいんじゃないかと。つまり、「それなりに広く知られる」「しかも割と売れる」「印象が強烈」の三連殺が、キャラゲーの記憶を定着させているのではないかと思う訳である。コンボイが、神龍の謎が、たけしの挑戦状が未だにネタにされる、一つの理由はこれだ。実際のところ、「本当に出来がアレなゲーム」ってそんなに数はないと思うんだけど。

「割と売れる」ということについては、「キャラゲーであることのドーピング効果」とでも言うべき要素がかなりあると思う。忍者ハットリ君が150万本、ゲゲゲの鬼太郎が125万本という数字を示せば、その効果の程が分かろうというものだ。


一方。上記とは矛盾する部分があるが、「ダメなキャラゲーは徹底的にダメになる」事情というのも、もしかしたらあるのかも知れない。こちらは主に開発する側に存在する問題だ。

○ダメな時徹底的にダメになる事情
・原作ものの場合「旬を逃さない」ことが重要になる場合が多い為、開発期間がシビアになりがちである(気がする)。
・原作とのギャップを整合させる為、ゲーム性・ゲームバランスなどに無理がくる場合がある。
・一方、原作のネームバリューによってある程度「売れてしまう」為、会社が危機感を持ってリソースを振り向けない場合がある(気がする)。
・上記事情の関係から、「ダメゲーになっちゃったけど版権とか時期とか諸々の事情から引くに引けなくなって発売されちゃった」キャラゲー、というのが割とありそうな気がする。


私の知識は基本的にファミコン・SFC時代に偏っている為、最近のキャラゲーのことは良く知らんが、まあ多分そんなに事情は変わらんだろう。ファミコン時代、特に某B社から発売されていたタイトル群が、巨大な売り上げに比して若干出来があれれーという感じだった理由が、多分上の様な話だ。

3つ目は単なる邪推だが、1つ目と組み合わせて考えてみると、「粗製」のキャラゲーの中にはこういう思考で薄いリソースしか振り向けられなかったタイトルがありそうに思う。

ちなみに、2つ目の「ゲームバランス・設定」に関してはキャラゲーそれぞれでアプローチが違う。結果的に、「原作とのギャップを整合」させる手間を殆ど放棄したスーパーロボット対戦が隆盛しているという事実には、ある意味感慨深いものがある。

手前味噌ながら参照リンク。
レトロゲーム万里を往く その5 〜キャプテン翼〜
レトロゲーム万里を往く その22 〜芸能界ゲームよ永遠に〜
レトロゲーム万里を往く その38 〜ファミコンジャンプ 英雄列伝〜


まあ、結論として。

・「キャラゲーにはダメゲー含有率が高い」というテーゼは、必ずしも事実とはいえない気がする。
・本当にダメな一般ゲームはそもそも知られていない場合が多い。
・キャラゲーって売り上げドーピング効果が凄いですよねー。
・原作とのシナジー効果で印象残り過ぎ。結果的に「記憶に残るダメゲー」は結構あるけど、名作キャラゲーもたくさんあるよ!あるよ!
・ところで「バンダイ」の名前が今はもうない、という事実に時代を感じまくるんですが。



取り敢えずそんな感じで。
posted by しんざき at 18:29 | Comment(4) | TrackBack(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
このエントリーをはてなブックマークに追加