「キャラゲー」という言葉がある。
漫画、アニメなどのキャラクターを起用したゲームという意味と、キャラクターの魅力に頼りっきりで他のゲーム性が薄いゲームの二つの意味があるのだが、今回は前者の意味で話を進める。ジャンルは様々だが、大体は「原作」に則ったゲーム性なり展開なりを有していることが多い。版権が絡むという大きな問題はあるが、一定数の原作ファンの売上が見込める、キャラクター作成やストーリーに頭を悩ませる必要がない、ゲームを横展開(販促活動など)させ易いといった様々なメリットがあり、基本的にはメーカーにとって美味しい題材である。
賛否両論あるだろうが、少なくともファミコンの初期から中期において、キャラゲーの功績は小さくなかった。ゲームをやったことがない少年が、「ドラゴンボール」や「星闘士星矢」をプレイしたい一心で親に必死の無心をするという、当時そういった市場の広がり方はかなり広範だったのではないか。
前回の「迷宮組曲」では、コロコロコミックとハドソン主導での販促(といっていいか若干微妙であるが)活動を紹介したが、こういった「キャラゲー」に関しては、なんといってもバンダイが草分けであったろう。ファミコンに関する限り、初めて発売されたキャラゲーは1985年の「キン肉マン マッスルタッグマッチ」(スパルタンXはキャラゲーというかどうか微妙なところだ)であったのだが、これ以降もバンダイは「超時空要塞マクロス」「オバケのQ太郎ワンワンパニック」「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境」などなど、僅か半年の間に立て続けのキャラゲーラッシュを見せている。
惜しむらくはこういったタイトルの大部分の出来が微妙であったことで、当時の子供の中には「折角ファミコンを買ってもらったのに一面の最初で挫折した」だの、「孫悟空が漫画の絵と似ても似つかぬ顔で、母親に泣き言を言ったらわがまま言うんじゃないとひっぱたかれた」だの、「ドラゴンボールだと思って小遣いはたいて買ったらスーパーモンキー大冒険だった」だのといった家庭内動乱を経験した者も少なくないかも知れない。元来、キャラゲーというのは名作、人気作の漫画やアニメにしか作られぬものであって、ファンの期待に十全に答えることはそう簡単ではないのだ。
こういった中で、ある時突然、「これひょっとすると原作より面白いんじゃねえか?」とユーザーに思わせる程の、突然変異的名作が出現した。
「キャプテン翼」(1988年4月28日 テクモ)である。
サッカーゲームではあるのだが、サッカーっぽいアクション性は殆どない。ボールを得た選手がフィールドを走りまわり、敵の選手と接触すれば「ドラクエ」の戦闘画面の様なコマンド選択で相手をかわす。ゴール前までボールを持っていけば、原作と同様の「ドライブシュート」や「タイガーショット」などが飛び交い、アニメ的な演出で選手を3人くらい吹っ飛ばしたりゴールを突き破って壁に突き刺さったりぐねぐねと左右に曲がったりカバ焼きにすると美味かったりする。この辺りの物理法則の狂いっぷりに関しては、今さらここで論ずる必要もあるまい。小林サッカーが「このゲームを参考にした」と言われる所以だ。
このゲームの物凄いところは、「ファンのニーズを完璧に把握していた」ところにある。
当時の少年ファンというのは、別にリアルなサッカーゲームを遊びたい訳ではなかったのだ。ゾーンプレスも知らなければセンタリングが何かもわからぬ、ヘタをするとオフサイドの意味すら解さない子供達にとっては、要するに翼や日向や若林の活躍が見られればそれで良かったのである。そういった意味で、「キャラクターの静的(漫画的)な対決」と「派手な必殺技」の二つに特化した、いわば「アニメの追体験」を実現しているこのゲームは、キャプテン翼という漫画のゲーム化としては一つの理想的な到達点であった。
原作にはないオリジナルのドラマ性もこのゲームの魅力であったろう。後に2、3と続編が続いていく中で、ゲームオリジナルのキャラや必殺技も数を増していき、後々に更なるパワーアップを遂げてプレイヤーの前に表れるケレン味は、まさに少年漫画の王道といえる。
こうして、当初から吹っ切れていたであろう開発陣は、原作以上のとんでもない必殺シュートを次々と量産していき、微妙なリアル路線に傾いていった原作を遥かに越えた「少年漫画」的世界がやがて出現することになった。仕舞いには「ゲームを元に漫画を描け!」などという声すら出始める始末である。原作を食ってしまうキャラゲーなどそう滅多にあるものではない。この辺り、細かいエピソードはまたいずれ紹介したい。
最後に一つだけ、ある必殺シュート時の会話への疑念を提起して本エントリーの結びとしよう。
「頼むぞ次藤!!」
「まかせろタイ!!」
本当に九州人か?
2004年12月01日
2004年11月24日
レトロゲーム万里を往く その4 〜ハドソン帝国の陰謀〜
実際のところ陰謀と言える程のものであったか疑問だし、帝国があったかどうかも微妙なところではあるのだが。前回に続いて、何故発売当初、迷宮組曲がそれ程の話題にならなかったか、という話。
迷宮組曲のタイトル画面の連射機能、どことなく浮いているなーと思われたことはないだろうか。
http://www.hudson.co.jp/gamenavi/gamedb/index.cgi
このURLは、ハドソン公式ページのゲームデータベースのURLである。「プレステ」「プレステ2」等の表示の下、「その他のゲーム」の表記を、お前ファミコンのお蔭で大きくなったんちゃうんかと釈然としない老人的思いを抱きながらクリックして、FCのゲームを検索してみる。
迷宮組曲が発売された、1986年11月周辺のゲームを見てみよう。
ミッキーマウス 不思議の国の大冒険 アクション ファミコン 1987.03.06
ドラえもん アクション ファミコン 1986.12.13
迷宮組曲 アクション ファミコン 1986.11.13
高橋名人の冒険島 アクション ファミコン 1986.09.12
スターソルジャー シューティング ファミコン 1986.06.13
忍者ハットリくん アクション ファミコン 1986.03.05
実際のところ、話は簡単である。迷宮組曲の前ニ作、というよりはある一人の人物を、ハドソンが前面に押し出し過ぎたのだ。
言わずと知れた高橋名人である。
高橋名人は、元来ハドソンの営業社員であったのだが、チャンピオンシップロードランナーの店頭デモなどから「ゲーム名人」としてデビューし、後に「16連射」等の伝説から一躍子供達のカリスマとなった人物だ。
当時、ネット情報など当然一般人の手の届くものではなく、社会そのものがゲームというものをあまり正当に認知していない状況下で、子ども達がゲームの情報に触れる場は、数少ないゲーム雑誌と漫画雑誌であった。例えば「ファミリーコンピューターマガジン」であり、「週刊少年ジャンプ」であり、そして「コロコロコミック」だ。
具体的なタイアップがどの様に行われていたのか私は知らないのだが、コロコロは当時ハドソンと緊密な連携を示し、様々な企画の仕掛け人として機能していた。例えば「スターフォース」「スターソルジャー」「ヘクター'87」などのゲームを用いた、全国展開のゲーム大会である「キャラバン」。コロコロコミック誌上でキャラバンと高橋名人の存在を盛んに喧伝し、同時に漫画としてキャラバンネタを扱うという宣伝スタイルであったと記憶している。また、高橋名人を主人公にした漫画は言うに及ばず、高橋名人と、元々ハドソンとは無関係であった毛利名人の対決を描いた物凄い映画まで製作されている。
この映画に関してはこちらを見てもらう方が早い。縦横無尽に突っ込んでくださっている。この映画のキモはゲームとなんら関係のない特訓風景だと思うのだが、ここでは何故高橋名人が16連射ではなく普通のドリルで工事をしているのかに関して疑問を提起するのみに留めよう。
http://my.reset.jp/~mars/btg/document5/gameking1.htm
(「BLACK徒然草」様)
どうでもいいが、高橋名人が「キャラバン」以降やたらと「野生」というイメージをつけられているのは、そもそもこの毛利名人を「知性派」としてプッシュしたこととの対比からではないかと思うのだがどうだろうか。毛利名人は毛利名人で、元々は単なる「知性派」であったのが、高橋名人との対比からイメージが誇張されていく過程で「美形」「華麗」などとグレードアップしていき、
http://gk.cool.ne.jp/gallery/gHistorical.html
(一番上の画像、左下を参照)
(「ゲーム貴族」様)
ここまでになってしまうということに少年誌の恐ろしさを痛感する。誰ですかこの光源氏は。
ともあれ、こういったパブリッシングに、連射とも高橋名人とも既存のキャラクターとも関連の薄い迷宮組曲は見事に置いていかれた。端的に言うと、周りが賑やか過ぎて目立たなかった。
コロコロコミックのみならず、「ファミマガ」などのその他ゲーム雑誌も、迷宮組曲の売りを今ひとつ紹介し切れなかったのではないか、という感がある。明らかな強みをもった「スターソルジャー」「高橋名人の冒険島(このゲーム、元々はセガの「ワンダーボーイ」の移植作で、セガとの裁判沙汰か何かがあった様に記憶しているのだが)」「ドラえもん」に対し、徒手空拳しゃぼん玉のみで闘うミロン。典型的な発売時期による悲劇だと言う他ない。
結果的に、迷宮組曲開発陣は無理矢理高橋名人との接点、つまりは「連射」というモチーフを自作に取り入れるしかなくなってしまったのではないか?つまり、タイトル画面の連射機能はゲーム本筋と何ら関係なく、後から付け加えられた哀しきモジュールなのではないかと私は推測するのである。
以上の文章とは何ら関係ないが、ネットで検索をしてみると、高橋名人のインタビューは結構あちこちで見受けられる。高橋名人狂騒曲の裏にあった、高橋利幸氏の素顔が垣間見られてどれも興味深い。URLを幾つか紹介しておこう。
http://www.vaio.sony.co.jp/Service/Game/Special/0402_meijin/
http://www.r25.jp/interview/20041014/page2.shtml
http://famicom20th.webcity.jp/tsubo_sp03.html
迷宮組曲のタイトル画面の連射機能、どことなく浮いているなーと思われたことはないだろうか。
http://www.hudson.co.jp/gamenavi/gamedb/index.cgi
このURLは、ハドソン公式ページのゲームデータベースのURLである。「プレステ」「プレステ2」等の表示の下、「その他のゲーム」の表記を、お前ファミコンのお蔭で大きくなったんちゃうんかと釈然としない老人的思いを抱きながらクリックして、FCのゲームを検索してみる。
迷宮組曲が発売された、1986年11月周辺のゲームを見てみよう。
ミッキーマウス 不思議の国の大冒険 アクション ファミコン 1987.03.06
ドラえもん アクション ファミコン 1986.12.13
迷宮組曲 アクション ファミコン 1986.11.13
高橋名人の冒険島 アクション ファミコン 1986.09.12
スターソルジャー シューティング ファミコン 1986.06.13
忍者ハットリくん アクション ファミコン 1986.03.05
実際のところ、話は簡単である。迷宮組曲の前ニ作、というよりはある一人の人物を、ハドソンが前面に押し出し過ぎたのだ。
言わずと知れた高橋名人である。
高橋名人は、元来ハドソンの営業社員であったのだが、チャンピオンシップロードランナーの店頭デモなどから「ゲーム名人」としてデビューし、後に「16連射」等の伝説から一躍子供達のカリスマとなった人物だ。
当時、ネット情報など当然一般人の手の届くものではなく、社会そのものがゲームというものをあまり正当に認知していない状況下で、子ども達がゲームの情報に触れる場は、数少ないゲーム雑誌と漫画雑誌であった。例えば「ファミリーコンピューターマガジン」であり、「週刊少年ジャンプ」であり、そして「コロコロコミック」だ。
具体的なタイアップがどの様に行われていたのか私は知らないのだが、コロコロは当時ハドソンと緊密な連携を示し、様々な企画の仕掛け人として機能していた。例えば「スターフォース」「スターソルジャー」「ヘクター'87」などのゲームを用いた、全国展開のゲーム大会である「キャラバン」。コロコロコミック誌上でキャラバンと高橋名人の存在を盛んに喧伝し、同時に漫画としてキャラバンネタを扱うという宣伝スタイルであったと記憶している。また、高橋名人を主人公にした漫画は言うに及ばず、高橋名人と、元々ハドソンとは無関係であった毛利名人の対決を描いた物凄い映画まで製作されている。
この映画に関してはこちらを見てもらう方が早い。縦横無尽に突っ込んでくださっている。この映画のキモはゲームとなんら関係のない特訓風景だと思うのだが、ここでは何故高橋名人が16連射ではなく普通のドリルで工事をしているのかに関して疑問を提起するのみに留めよう。
http://my.reset.jp/~mars/btg/document5/gameking1.htm
(「BLACK徒然草」様)
どうでもいいが、高橋名人が「キャラバン」以降やたらと「野生」というイメージをつけられているのは、そもそもこの毛利名人を「知性派」としてプッシュしたこととの対比からではないかと思うのだがどうだろうか。毛利名人は毛利名人で、元々は単なる「知性派」であったのが、高橋名人との対比からイメージが誇張されていく過程で「美形」「華麗」などとグレードアップしていき、
http://gk.cool.ne.jp/gallery/gHistorical.html
(一番上の画像、左下を参照)
(「ゲーム貴族」様)
ここまでになってしまうということに少年誌の恐ろしさを痛感する。誰ですかこの光源氏は。
ともあれ、こういったパブリッシングに、連射とも高橋名人とも既存のキャラクターとも関連の薄い迷宮組曲は見事に置いていかれた。端的に言うと、周りが賑やか過ぎて目立たなかった。
コロコロコミックのみならず、「ファミマガ」などのその他ゲーム雑誌も、迷宮組曲の売りを今ひとつ紹介し切れなかったのではないか、という感がある。明らかな強みをもった「スターソルジャー」「高橋名人の冒険島(このゲーム、元々はセガの「ワンダーボーイ」の移植作で、セガとの裁判沙汰か何かがあった様に記憶しているのだが)」「ドラえもん」に対し、徒手空拳しゃぼん玉のみで闘うミロン。典型的な発売時期による悲劇だと言う他ない。
結果的に、迷宮組曲開発陣は無理矢理高橋名人との接点、つまりは「連射」というモチーフを自作に取り入れるしかなくなってしまったのではないか?つまり、タイトル画面の連射機能はゲーム本筋と何ら関係なく、後から付け加えられた哀しきモジュールなのではないかと私は推測するのである。
以上の文章とは何ら関係ないが、ネットで検索をしてみると、高橋名人のインタビューは結構あちこちで見受けられる。高橋名人狂騒曲の裏にあった、高橋利幸氏の素顔が垣間見られてどれも興味深い。URLを幾つか紹介しておこう。
http://www.vaio.sony.co.jp/Service/Game/Special/0402_meijin/
http://www.r25.jp/interview/20041014/page2.shtml
http://famicom20th.webcity.jp/tsubo_sp03.html
2004年11月19日
レトロゲーム万里を往く その3 〜迷宮組曲〜
私は今怒っている。ゲキドしているのだ。英語で言えばangryと言っても間違いではない。何故世間の人間はタイトル画面から先に進まないのだ。そんなに雷が嫌いか。ミロン君がハンマーで壁を叩き割っている姿など見たくないというのか。それとも高橋名人に洗脳され切っているのか。
と、いうのも他ではない。とあるゲームのレビューサイト、複数のレビュアーがゲームに対する感想を書き連ねる某サイトで、迷宮組曲の項目を見かけたのだ。しかし、そこに並ぶ感想は、何故かタイトル画面の連射測定の話にばかり言及している。あまつさえ、「連射測定のことしか覚えていない」などとのたまわっている輩までおるではないか。ええい、そこに直れ。たたっ斬ってくれる。
迷宮組曲は、1986年11月、ハドソンより発売されたアクションゲームであり、個人的には数あるハドソンゲームの中でも一、ニを争う名作ではないかと考えている。
主人公の「ミロン」が、しゃぼん玉を唯一無二の武器として、王女を助ける為楽器を集めながらガーランド城の中を突き進む。
詳しいゲームの内容に関しては、私がくだくだと説明するよりも、先人のページを紹介する方が早い。リンクフリーのお言葉に甘えてしまおう。
All about 迷宮組曲
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~tindalos/millon/
このページが白眉であろう。前回「ソロモンの鍵」で紹介した両サイト様といい、何故レトロゲームの攻略ページというのは総じて凄まじい密度なのか。感嘆するばかりである。
で、私が考える迷宮組曲が名作である所以。それは、レスポンスの良さに由来する中毒性と、わかり易い「成長」方法である。
レスポンスというのは、要は操作感覚の快適さである。これは特にアクションゲームにおいては命といってもいい重要な要素であるのだが、迷宮組曲のレスポンスは実にすばらしい。ミロンがジャンプする感覚、ブロックをバブルで壊す感覚、敵を倒す感覚、アイテムを取る感覚、どれをとってもやっていて気持ちがいい。練りこまれたステージ構成とすばらしい音楽も手伝って、プレイヤーは遊んでいる間に迷宮組曲の世界に引き込まれていくという構図だ。
そしてミロンは、アイテムを取るごとに出来ることが増えていく。例えばジャンプシューズをとればスプリングで高くジャンプすることが出来る様になるし、薬をとれば一定の場所で小さくなることが出来る。ノコギリをとれば一部の個所で扉が叩き切れる様になると言う具合なのだが、この「出来ることが増えていく」という成長過程の作りこみも素晴らしかった。以前いけなかったところにいける、以前出来なかったことが出来る、というカタルシスの演出が実に上手い。
この様に、様々な魅力をもっている迷宮組曲なのだが、発売された当時はあまり売れ行きがよろしくなかった。それどころか、知名度すらそれ程でもなかった。
これはひとえにハドソン・およびその他ゲーム雑誌のパブリッシング、そして当時の時代背景に問題があるのだが、これに関してはまたネタが幾つもあり、あまりに項が長くなってしまいそうなので、次項に譲りたいと考えている。
ということで、今回は「続く」ということで一つお願いしたい。
と、いうのも他ではない。とあるゲームのレビューサイト、複数のレビュアーがゲームに対する感想を書き連ねる某サイトで、迷宮組曲の項目を見かけたのだ。しかし、そこに並ぶ感想は、何故かタイトル画面の連射測定の話にばかり言及している。あまつさえ、「連射測定のことしか覚えていない」などとのたまわっている輩までおるではないか。ええい、そこに直れ。たたっ斬ってくれる。
迷宮組曲は、1986年11月、ハドソンより発売されたアクションゲームであり、個人的には数あるハドソンゲームの中でも一、ニを争う名作ではないかと考えている。
主人公の「ミロン」が、しゃぼん玉を唯一無二の武器として、王女を助ける為楽器を集めながらガーランド城の中を突き進む。
詳しいゲームの内容に関しては、私がくだくだと説明するよりも、先人のページを紹介する方が早い。リンクフリーのお言葉に甘えてしまおう。
All about 迷宮組曲
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~tindalos/millon/
このページが白眉であろう。前回「ソロモンの鍵」で紹介した両サイト様といい、何故レトロゲームの攻略ページというのは総じて凄まじい密度なのか。感嘆するばかりである。
で、私が考える迷宮組曲が名作である所以。それは、レスポンスの良さに由来する中毒性と、わかり易い「成長」方法である。
レスポンスというのは、要は操作感覚の快適さである。これは特にアクションゲームにおいては命といってもいい重要な要素であるのだが、迷宮組曲のレスポンスは実にすばらしい。ミロンがジャンプする感覚、ブロックをバブルで壊す感覚、敵を倒す感覚、アイテムを取る感覚、どれをとってもやっていて気持ちがいい。練りこまれたステージ構成とすばらしい音楽も手伝って、プレイヤーは遊んでいる間に迷宮組曲の世界に引き込まれていくという構図だ。
そしてミロンは、アイテムを取るごとに出来ることが増えていく。例えばジャンプシューズをとればスプリングで高くジャンプすることが出来る様になるし、薬をとれば一定の場所で小さくなることが出来る。ノコギリをとれば一部の個所で扉が叩き切れる様になると言う具合なのだが、この「出来ることが増えていく」という成長過程の作りこみも素晴らしかった。以前いけなかったところにいける、以前出来なかったことが出来る、というカタルシスの演出が実に上手い。
この様に、様々な魅力をもっている迷宮組曲なのだが、発売された当時はあまり売れ行きがよろしくなかった。それどころか、知名度すらそれ程でもなかった。
これはひとえにハドソン・およびその他ゲーム雑誌のパブリッシング、そして当時の時代背景に問題があるのだが、これに関してはまたネタが幾つもあり、あまりに項が長くなってしまいそうなので、次項に譲りたいと考えている。
ということで、今回は「続く」ということで一つお願いしたい。
2004年11月17日
レトロゲーム万里を往く その2 〜ソロモンの鍵〜
万事、「最高」を決めるのは意外に難しいものだ。
明確な基準が一つ存在するのならばまだしも、ゲームの様に本来「面白さ」を競うべき商品では、元より客観的な判定など出来る訳がない。丁度、中華料理と和食とフランス料理、どれが一番美味いかを争うのに似ている。趣味と舌の違いでしかない問題に議論は不毛だ。
では、個人レベルの話ではどうか。例え和食派の人であっても、ブリと秋刀魚どちらが好きかは意外と迷う人もあろう。私にしても、例えば目前にダライアス外伝とレイストームとR-TYPEを並べられて、無人島に持っていくソフトを一つ選べといわれれば、一瞬で選択する自信はあまりない。
だが、例えば丼ものに話を限った場合、私がためらいなく鮪市場のネギトロ丼を掲げる様に、「アクションパズル」というジャンルにおいて「最強」のソフトを選べといわれれば、私は迷い無く一つのソフトを提示する。「ソロモンの鍵」だ。
何故二回目にソロモンの鍵を持ち出したかというと、先日中古ゲーム屋を漁った折、450円でソロモンの鍵のFCソフトを発見したからである。この名作が450円。過去の名作が安くプレイ出来る時代になったことを喜ぶべきか。
「ソロモンの鍵」は、1986年、テクモから発売された。アーケード版とFC版、どちらが先に発売されたか記憶にないが、おそらくAC版の方が先だったのではなかろうか。今はすっかり姿を見せなくなった「固定画面型アクションパズル」というジャンルで、例えばロードランナーや、フラッピーといったソフトが草分けと言えるだろう。
画面は1画面の迷宮である。主人公の「ダーナ」君は、鍵をとって出口を抜け、ステージをクリアする。ゲームの基本はそれだけだ。これだけのゲームシステムの中に、天才的なアイディアが存在した。
ダーナは、魔法を使って邪魔なブロックを消すことが出来る。これはいい。ロードランナーだってディグダグだってフラッピーだって、平安京エイリアンの検非違使だってやっていることだ。
しかし同じAボタンで、ダーナにはもう一つ出来ることがあった。それは、ブロックを「出現させる」ことだ。
言ってしまえば一言で済むこのパラダイムシフトが、このゲームに途方もない奥深さを与えることになった。ブロックは足場にもなるし、敵を閉じ込める蓋にもなるし、時には敵を倒す為の武器になることすらある。今までは迷宮を走り抜けるだけだったプレイヤーが、無限の機能をもった絵筆を与えられたに等しい。結果的に「ソロモンの鍵」全50数面は、今までの「削るだけの迷宮」とは全く趣を異にした、「作り上げていく迷宮」となってプレイヤーの眼前に現れることになる。これが、私がこのゲームを「最強のアクションパズルゲーム」と称する所以である。
難易度は遠慮なく高いが、進むに従ってプレイヤーの習熟度が上がっていく様に設計された、緻密なゲームバランスも見事だ。
本来なら画像を載せて紹介したいところだが、例によって版権絡みの勝手が良く分からない。ここは、いくつかのサイトを紹介するに留めたい。
「ソロモンの鍵」完全攻略への道
http://homepage2.nifty.com/mteast/mania/solomon/solotop.html
夢幻遊戯 ソロモンの鍵〜限りなきその世界 ...
http://www5f.biglobe.ne.jp/~solomonist/mugen/
明確な基準が一つ存在するのならばまだしも、ゲームの様に本来「面白さ」を競うべき商品では、元より客観的な判定など出来る訳がない。丁度、中華料理と和食とフランス料理、どれが一番美味いかを争うのに似ている。趣味と舌の違いでしかない問題に議論は不毛だ。
では、個人レベルの話ではどうか。例え和食派の人であっても、ブリと秋刀魚どちらが好きかは意外と迷う人もあろう。私にしても、例えば目前にダライアス外伝とレイストームとR-TYPEを並べられて、無人島に持っていくソフトを一つ選べといわれれば、一瞬で選択する自信はあまりない。
だが、例えば丼ものに話を限った場合、私がためらいなく鮪市場のネギトロ丼を掲げる様に、「アクションパズル」というジャンルにおいて「最強」のソフトを選べといわれれば、私は迷い無く一つのソフトを提示する。「ソロモンの鍵」だ。
何故二回目にソロモンの鍵を持ち出したかというと、先日中古ゲーム屋を漁った折、450円でソロモンの鍵のFCソフトを発見したからである。この名作が450円。過去の名作が安くプレイ出来る時代になったことを喜ぶべきか。
「ソロモンの鍵」は、1986年、テクモから発売された。アーケード版とFC版、どちらが先に発売されたか記憶にないが、おそらくAC版の方が先だったのではなかろうか。今はすっかり姿を見せなくなった「固定画面型アクションパズル」というジャンルで、例えばロードランナーや、フラッピーといったソフトが草分けと言えるだろう。
画面は1画面の迷宮である。主人公の「ダーナ」君は、鍵をとって出口を抜け、ステージをクリアする。ゲームの基本はそれだけだ。これだけのゲームシステムの中に、天才的なアイディアが存在した。
ダーナは、魔法を使って邪魔なブロックを消すことが出来る。これはいい。ロードランナーだってディグダグだってフラッピーだって、平安京エイリアンの検非違使だってやっていることだ。
しかし同じAボタンで、ダーナにはもう一つ出来ることがあった。それは、ブロックを「出現させる」ことだ。
言ってしまえば一言で済むこのパラダイムシフトが、このゲームに途方もない奥深さを与えることになった。ブロックは足場にもなるし、敵を閉じ込める蓋にもなるし、時には敵を倒す為の武器になることすらある。今までは迷宮を走り抜けるだけだったプレイヤーが、無限の機能をもった絵筆を与えられたに等しい。結果的に「ソロモンの鍵」全50数面は、今までの「削るだけの迷宮」とは全く趣を異にした、「作り上げていく迷宮」となってプレイヤーの眼前に現れることになる。これが、私がこのゲームを「最強のアクションパズルゲーム」と称する所以である。
難易度は遠慮なく高いが、進むに従ってプレイヤーの習熟度が上がっていく様に設計された、緻密なゲームバランスも見事だ。
本来なら画像を載せて紹介したいところだが、例によって版権絡みの勝手が良く分からない。ここは、いくつかのサイトを紹介するに留めたい。
「ソロモンの鍵」完全攻略への道
http://homepage2.nifty.com/mteast/mania/solomon/solotop.html
夢幻遊戯 ソロモンの鍵〜限りなきその世界 ...
http://www5f.biglobe.ne.jp/~solomonist/mugen/
2004年11月16日
レトロゲーム万里を往く その1 〜ゼビウス〜
犬の背中に乗って歩いたことはおありだろうか。
誰しもルーツというものがある。私の場合、ゲームに出会ったルーツというものは、犬の背中に揺られて歩いた記憶と共に存在する。当時、多分私は4、5歳であった。
セントバーナードだかゴールデンレトリバーだか分からぬが、その犬はとにかく大きく、更には毛が茶色でふさふさとしていた様な覚えがある。ちびガキとはいえ、散歩ついでに私を乗せて悠々と歩いていたのだから、当時既にそこそこの歳だったのかも知れぬ。名前は確か「らぐ」と言った。私の記憶の中ではもう一匹、「ぐら」という双子の大型犬が存在したことになっているが、これは何かしらの要因による単なる私の思い込みであるかも知れず、あるいは当時読んだ「ぐりとぐら」の記憶などが影響を及ぼしているのかも知れない。
その当時、私はラグを連れたお爺さんを知己に得て、頻繁に散歩に付き合わせてもらっていた。ふかふかした背中にしがみついて、のらくらと周囲の景色を眺めるのが好きであった。
その道のりに「つくい」があった。
つくいとは駄菓子屋の名前である。これが実は「津久井」という苗字のことなのだと悟ったのはつい二、三週間前のことであり、私の奥深くわだかまっていた「つくいとは何を意味する単語だろう」という疑問は二十年近くの休眠期間を経て、ついに終止符を打たれることとなったのだった。今世紀最大といってもいいショッキングな精神体験であった。
つくいでは老木の様に歳食ったおばあちゃん(当時の私にはそう見えた)が店番をしており、私が30円を手渡すと「ミニラーメン」を開けてくれた。頼むとお湯も入れてくれた。現在で言うところのベビースターラーメンなのだが、これが当時は絶品に思えたものだ。
その店先にあったのがゼビウスである。
ゼビウスというゲームに関しては、私如きが付け加えることはもう余りない。偉大なシューティングゲームの草分けであり、日本の7割以上の人々が記憶の原体験にゼビウスを持っているといっても過言ではなかろう。データ的には若干の過言かも知れないが。
私が当時、つくいでゼビウスをプレイしたのはほんの数回程である。プレイ料金は20円ばかりだったと記憶しているが、最長踏破記録はせいぜい1面のボザログラムまで程度であった筈だ。後はずっとミニラーメンを食べながら他人のプレイするゼビウスを見つめていたのだが、おそらく子供心にその方がコストパフォーマンスが遥かにいいと悟った故であろう。私がアンドアジェネシスと初めて対面するのはずっと後、ファミコン版のゼビウスを購入した後のことであった。だが、他人のプレイを眺め、時折誰も遊んでいない筐体のレバーをがちゃがちゃとするだけでも十二分に面白い程に、当時ゼビウスは魅力的であった。
私にとってのレトロゲームは懐古ではない。今現在でも私はFC本体でことあるごとに遊び続けているし、バブルボブルの腕前に関しては最近ようやくそこそこの物にまで進化したと自負している。ただ、レトロゲーム語りの最初の一回のみは、ルーツを振り返るという意味で懐古談に終始してしまった。長々しいエントリーで申し訳ない。
つくいは今はもう地上に存在しないし、おそらくはつくいのお婆ちゃんも、勿論ラグもこの世にはいない。私が犬の背中に乗って駄菓子屋に行くことはおそらく二度とない。
だが、私は今でもまだ、ゼビウスをプレイし続けている。
誰しもルーツというものがある。私の場合、ゲームに出会ったルーツというものは、犬の背中に揺られて歩いた記憶と共に存在する。当時、多分私は4、5歳であった。
セントバーナードだかゴールデンレトリバーだか分からぬが、その犬はとにかく大きく、更には毛が茶色でふさふさとしていた様な覚えがある。ちびガキとはいえ、散歩ついでに私を乗せて悠々と歩いていたのだから、当時既にそこそこの歳だったのかも知れぬ。名前は確か「らぐ」と言った。私の記憶の中ではもう一匹、「ぐら」という双子の大型犬が存在したことになっているが、これは何かしらの要因による単なる私の思い込みであるかも知れず、あるいは当時読んだ「ぐりとぐら」の記憶などが影響を及ぼしているのかも知れない。
その当時、私はラグを連れたお爺さんを知己に得て、頻繁に散歩に付き合わせてもらっていた。ふかふかした背中にしがみついて、のらくらと周囲の景色を眺めるのが好きであった。
その道のりに「つくい」があった。
つくいとは駄菓子屋の名前である。これが実は「津久井」という苗字のことなのだと悟ったのはつい二、三週間前のことであり、私の奥深くわだかまっていた「つくいとは何を意味する単語だろう」という疑問は二十年近くの休眠期間を経て、ついに終止符を打たれることとなったのだった。今世紀最大といってもいいショッキングな精神体験であった。
つくいでは老木の様に歳食ったおばあちゃん(当時の私にはそう見えた)が店番をしており、私が30円を手渡すと「ミニラーメン」を開けてくれた。頼むとお湯も入れてくれた。現在で言うところのベビースターラーメンなのだが、これが当時は絶品に思えたものだ。
その店先にあったのがゼビウスである。
ゼビウスというゲームに関しては、私如きが付け加えることはもう余りない。偉大なシューティングゲームの草分けであり、日本の7割以上の人々が記憶の原体験にゼビウスを持っているといっても過言ではなかろう。データ的には若干の過言かも知れないが。
私が当時、つくいでゼビウスをプレイしたのはほんの数回程である。プレイ料金は20円ばかりだったと記憶しているが、最長踏破記録はせいぜい1面のボザログラムまで程度であった筈だ。後はずっとミニラーメンを食べながら他人のプレイするゼビウスを見つめていたのだが、おそらく子供心にその方がコストパフォーマンスが遥かにいいと悟った故であろう。私がアンドアジェネシスと初めて対面するのはずっと後、ファミコン版のゼビウスを購入した後のことであった。だが、他人のプレイを眺め、時折誰も遊んでいない筐体のレバーをがちゃがちゃとするだけでも十二分に面白い程に、当時ゼビウスは魅力的であった。
私にとってのレトロゲームは懐古ではない。今現在でも私はFC本体でことあるごとに遊び続けているし、バブルボブルの腕前に関しては最近ようやくそこそこの物にまで進化したと自負している。ただ、レトロゲーム語りの最初の一回のみは、ルーツを振り返るという意味で懐古談に終始してしまった。長々しいエントリーで申し訳ない。
つくいは今はもう地上に存在しないし、おそらくはつくいのお婆ちゃんも、勿論ラグもこの世にはいない。私が犬の背中に乗って駄菓子屋に行くことはおそらく二度とない。
だが、私は今でもまだ、ゼビウスをプレイし続けている。
レトロゲーム万里を往く 〜出立に当たって〜
ということで、そろそろレトロゲームの話も始めてみるかと思い立った。
タイトルは帰宅中の思いつきによる。
レトロゲーム百鬼夜行では些か外聞が悪いし、レトロゲーム千夜一夜ではあまりにもありがちで意識せずとも何処かのパクりになるのは明々白々である。仕方ないので単位を一桁上げてみた。
ということでここまで大風呂敷な感じのタイトルになった訳で、実際は万里どころか半里にたどり着かず行き倒れてしまう可能性も否定出来ないが、まあ管理人は大風呂敷を何事もなかった様に綺麗に折り畳むのが得意な人間であるからおそらく大丈夫であろう。って、いいのかそれで。
画像を紹介出来るかどうかも知らず、万人に分かる内容に出来るかも分からず、しばらくは暗中模索の内に思ったことを書き連ねていくコーナーになりそうではあるが、お見捨てなくお付き合い頂ければ幸いである。
タイトルは帰宅中の思いつきによる。
レトロゲーム百鬼夜行では些か外聞が悪いし、レトロゲーム千夜一夜ではあまりにもありがちで意識せずとも何処かのパクりになるのは明々白々である。仕方ないので単位を一桁上げてみた。
ということでここまで大風呂敷な感じのタイトルになった訳で、実際は万里どころか半里にたどり着かず行き倒れてしまう可能性も否定出来ないが、まあ管理人は大風呂敷を何事もなかった様に綺麗に折り畳むのが得意な人間であるからおそらく大丈夫であろう。って、いいのかそれで。
画像を紹介出来るかどうかも知らず、万人に分かる内容に出来るかも分からず、しばらくは暗中模索の内に思ったことを書き連ねていくコーナーになりそうではあるが、お見捨てなくお付き合い頂ければ幸いである。





