2016年07月06日

ブログが主なのか、ブロガーが主なのか。


ここしばらく感じていた違和感をようやく言葉に出来たので、ちょっと書いてみようかと思います。


私は、ブログが主で、ブロガーが従だと思っていました。今でもそう思っています。


一般的なものであれば、「人があって、創作がある」のかもしれないですが、少なくともブログにおいては、「ブログがあって、ブロガーはそのおまけ」だと思っています。


何故ならインターネットだから。


すいません、この「何故ならインターネットだから」という言葉、私にとっては「これだけで説明が済む」っていうくらい大きな力を持ったマジックワードなんですが、普通の人にとってはそうでないことが予想されるので、もうちょっと補足します。



私は11年「不倒城」を書き続けており、不倒城にそれなりに思い入れを持っています。一番重要なのは「書きたいこと書く」ですが、結果としていろんな人に不倒城を読んでもらえれば嬉しいなーと思っていますし、不倒城の知名度が上がれば嬉しいなーと思っています。(注:この場合不倒城は「レトロゲームブログである不倒城」のことを指しますが、一旦それは置いておきます)

ただ、別にそこに、このブログを書いている「しんざき」という名前がくっついている必要はないのです。このブログを書いているのがしんざきだというのはどうでもいいことであって、何ならしんざさでもシソザキでもなんら問題はなく、極論しんざきと不倒城を結びつけるものが何ひとつなくたって構わないと思っています。


しんざきというネット上の人格は確かに存在しており、それはそれで色んな活動をしていますが、それはケーナ吹きであり、人狼プレイヤーであり、一レトロゲーマーであり、キャベツ太郎ソムリエの名前であって、「不倒城」の筆者である必要は全くない、とでもいうのでしょうか。


言ってみれば、私には間違いなく承認欲求がありますが、その承認欲求は「しんざき」ではなく徹頭徹尾「不倒城」を向いているのです。不倒城には有名であって欲しいですが、「しんざき」が有名になる必要はビタイチないのです。

何故ならインターネットだから。


私が知っているインターネットは、かつて「顔がない世界」でした。


顔がない人たちが、いろんな面白いことを書いて、書いて、書いて、それで私が好きなインターネットが出来上がっていました。そこに書かれたものを誰が書いたのかはさっぱりわかりませんでしたが、けれどそこに書いてある数々の「面白いもの」が、私は好きでした。

インターネット上のテキストは、そのテキスト自体が重要なものであって、そのテキストを「書いた人」が問題になるのは、そのずっとずっとずっと後でした。「え、○○を書いてたのってあなただったの!?」ということが驚きになることはあっても、「××さんが書いた○○」なんて看板が重要になることは稀有なことでした。


それがあまりに自然なことだったから、ブログがあったとして、「ブロガー」が露出する必要なんて全くないんじゃないか、とすら私は思っているのです(現実問題、流石にそれではいろいろと不便過ぎるので、最低限の繋がりは保っていますし、ブログ内でもしんざきを名乗ってはいますが)



「ブロガーのブランドイメージ」という言葉を、私がさっぱり理解出来なかったのは、つまりそういうことなのです。

ブロガーはブログを有名にしたいものなんじゃないの?と私は思っていたのです。ブロガーが、ブログではなく、自分の「イメージ」を作る必要がどこにあるの?と。

ブロガーが、ブログを離れて、ブロガー単品として活動しはじめるに至っては、完全に私の認識と主客が逆転してしまって、漫画全く描かないのに何故か言論人として有名になってる漫画家、みたいなイメージを抱いてしまっていました。すいません誰とは言いませんが。




ただこれ、いい悪いの話ではなく、単に文化の違いなんだと思います。私がかつて「顔がない」インターネットに余りにも馴染みすぎていたのと同じように、「まず顔があって、そしてブログがある」という文化に馴染んでいる人も多いんだろう、とは想像が出来ます。


文化の違いを無理にすり合わせる必要はありませんし、スタンスを無理に変える必要もありません。そういう意味では、「あ、これ文化の違いだ」と気づけたので、私は随分気楽になりました。


私はこれからも不倒城でレトロゲーム記事とそれ以外の記事を書き続けますが、皆様もしよろしければ、それらは「しんざきの記事」ではなくあくまで「不倒城の記事」だと認識頂ければ幸いです。


そして、ずっとずっと未来、いつかどこかで、「え、あれ書いてたのお前だったの!?」という言葉を少しでも聞くことができれば、それは私にとって本望というしかないなあ、とそんな風に思うのです。


posted by しんざき at 00:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月07日

ブログ記事の一番上に挿入されている、なんか雰囲気だけで本文とは何の関係もない画像って何の為にあんの?

言いたいことがタイトルだけで、本文で書くことが何もなくなってしまったので、以下キャベツ太郎のおいしさについて書きます。

長男から「パパ頑張ってね!」といってこれをプレゼントされた


・キャベツ太郎はソース味が美味しい
・超おいしい
・キャベツ太郎を食べる時に手が汚れるという人は素人
・袋を開けた後、袋をコップのようにして口に流し込むように食べると良い
・上記の食べ方をする為に、小袋で食べることが望ましい
・とにかく美味しい
・歯が汚れないように食べるには若干習熟がいるので、まあ最初は出来なくても気にしなくて良い
・私くらいになると歯も汚れないで食べられる
・小袋は30袋498円とかで業務スーパーで売っている
・コストパフォーマンスが激高い
・通常のキャベツはひと玉100円とかするのに、キャベツ太郎は30玉くらい入った小袋が30円で買えてキャベツに比べて約100倍のコストパフォーマンス
・すごい
・劇的に美味しい
・会社の近所のコンビニがキャベツ太郎を入荷する気配がない
・「キャベツ太郎を入荷するべき」というアンケートを地道に投入していたらある日アンケート箱がなくなった
・担当者おなかこわせ
・まあなんにせよキャベツ太郎は美味しい

以上、よろしくお願い致します。

posted by しんざき at 09:45 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

北海道の件について三行だけ

「断片的な情報を元に外野が騒いで親を断罪するのは、単に断罪者が気持ちよくなるだけで子どもの為には絶対ならんから、後は当事者と公的機関に任せて外野は騒ぐのやめようよ」

と心から思いますし、それが「ネグレクト・体罰を肯定する態度」と同一視されるとしたら同一視する人がおかしいと思います。


外野としては「ああ、無事だったんだ、良かった良かった」だけで十分だし、それ以上のことは踏み込まなくていいと思うんですけどね。けど騒ぐ人は騒ぐんだろうなあ。断罪するの気持ちいいだろうしなあ。

posted by しんざき at 18:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月29日

ネットゲームデータベース設計むかしばなし、あるいはとんでもないMMORPGの設計の話

むかーしむかし、あるところに、ネットワークエンジニア兼データベースエンジニアがおりました。元々はネットワークが専門だったのですが、色んな仕事を片付けているうちにデータベースもやることになり、某高額なDB試験のゴールドまでとってしまったというハイスペックなエンジニアでした。

彼のことを、仮にCさんと呼ぶことにします。

Cさんは、某アルファベット三文字の有名SI会社に勤めていたのですが、どうした風の吹き回しか、本人は殆どゲームをやらないのにゲーム会社に転職して、当時まだ日本で幾つかのタイトルが出始めていたばかりの、MMORPGという世界に活躍の場を移すことになりました。

周りの人間は、彼のことを物好きだなーと言っておりました。私もそう思います。

Cさんは、そのMMORPGで、最初にドすげえ事態をなんとか片付けなくてはいけませんでした。

それは、「本来であればクライアントやアプリケーションサーバで分散処理をすべき色々な処理を、何から何まで全部DBのストアドプロシージャにやらせていた為、ちょっとでもユーザーからのリクエストが増えるとロードバランスもクソもなく一瞬でDBに全部の負荷が載ってきて、イベントなどやろう日には百発百中システムが止まる」という凄まじい阿鼻叫喚地獄絵図でした。

その辺の顛末は、もう8年くらい前ですが、こちらの記事に書きました。興味がある方はどうぞ。

SI業界からネットゲーム業界に移った知人に色々話を聞いてきた。

・同一処理エリア内にプレイヤーキャラが20人以上いるとクライアントが固まっていた。
・クライアントが固まると一部のプロセスがゾンビになる場合があったので、スタッフがkillコマンドを直に流して落としていた。クライアントとの通信が切れたらアラームが発生するソフトがそれだけの為に作られ、24時間体制のシフトが組まれていた。
・無謀にもその状況で公式イベントを開催してみたら、DBサーバのCPU使用率が98%から落ちなくなり、ロードアベレージが100を越えた(1未満であることが望ましい値)。
・参加していたプレイヤーのクライアントソフトが一つ残らず落ちた。怖くて誰も2ちゃんを開けなかった(MMORPGのスタッフには、自分のゲームのスレに常駐している人が結構多いそうである)。
・kill -9 を流してもプロセスが落ちない。
・仕方ないのでサーバをリブートしようとしてもなかなか落ちてくれないので、どうしようもなくなって電源を落としたらDBが立ち上がらなくなった。


地獄絵図である。



これは、負荷分散とかスケールアウトといったことについて技術的知見をもったアーキテクトが一人たりとも開発チームにいなかったことが原因で起きた事態であり、端的に「それまでのゲーム開発」と「オンラインシステム開発」に求められるスキルが異なることを示していたのだろう、と思います。もう結構な昔話ですので、最近のMMORPGでこんなことはさすがにないんだろうと思います。よく知りませんが。

で、そんな彼から、当時もう一つ、データのモデル設計についての面白い話を聞いていました。

それは、Cさんがデータのキャッシングについての知識と小技をフル稼働して、なんとかシステムのパフォーマンス問題を小康状態にした、その矢先のことでした。

開発メンバーが深刻な顔を付き合わせて、なにやら相談していました。「RMT」とか「ユーザーからのクレーム」といった単語が途切れ途切れに聞こえてきます。

Cさんは、手近なメンバーに聞いてみました。分からないことをすぐ率直に聞けるのは有能さの証です。

「なにかあったんですか?」

「あーいや、ユーザーからの突き上げが凄くってですね。。。RMTの調査と規制、ずっと先伸ばしにしてたんですけど、いい加減なんとかしないとってことで」

ゲームを殆ど遊ばないCさんは、当然RMTという言葉も知りませんでした。

「RMTってなんです?」

「リアルマネートレード。早い話、現金でゲーム内のお金やアイテムを入手するってことでして、規約では禁止されてるんですが」

現在ほど明確な指針は当時まだなかったようですが、RMTを放置すると業者やbotによる通常プレイヤーへの圧迫が起きる上、反社会的勢力の資金源になる場合もあり、ベンダーにとっては当時から頭痛の種でした。

「しかし、まず調査が一苦労なんですよね。。。」

「? えーと、要は怪しいトレードをピックアップすればいいんですよね?確かにそこから通常取引との識別は難しいかも知れませんが、集中してそういう取引を行っているユーザーを特定すれば」

Cさんの感覚では、そこまで困難な話にも思えません。

「ええまあ、なのでそれ用のログ解析ツールを作ろうとしているんですが」

「ログの解析...?」

いまいち分かりません。何故わざわざログを解析する必要があるのか。

「トレードの履歴をまとめてピックアップすればいいんですよね?簡単なSQLで解決出来そうですが」

「SQLって、DBで検索するってことですか?」

そりゃそうです。何のためのDBなのか。

「ええまあ、一応パフォーマンスの問題がまだありますから、メンテナンス時間中にやった方がいいでしょうが」

「いや、トレードの履歴はログにしかありませんから、DBから検索するのは無理だと思いますが...」

「...はい?」

よくきいてみたところ、ド衝撃の事実が判明しました。このシステム、プレイヤーの位置情報とかその時点のステータスとかエリア内のオブジェクトの状態とか、クソどーでもよさそうなデータをDB管理していたくせに、なんとプレイヤーの所持金の出納データをDBで持っていなかったのです。

どういう話かといいますと。

例えば、銀行の現金残高のデータなんかは、必ず「全ての入出金データ」と「その合計をサマリーしたデータ」を別々のテーブルでそれぞれ管理しています。いつ、誰がいくら入金・出金したかという一件一件のデータが前者で、それら全てを合計したものが後者。こういう持ち方をすることで、最新のデータは一瞬で呼び出すことが出来ますし、一方履歴も全て追えるので、データの保証も常時行うことが出来ますし、「○月×日の所持金はいくらだったか」といったことも簡単に調査することが出来る訳です。ごく一般的なデータモデルです。

しかし悲しいかな、そのときの開発スタッフにはそういう知識がある人がいませんでした。彼らにとって、プレイヤーの所持金というものは、飽くまで「最新のデータだけ保持しておけばいい箱」でしかありませんでした。確かに、ドラクエやFFのようなオフラインRPGであれば、「いつ時点の所持金が幾らか」などということをセーブロードなしで再現する必要など発生しません。履歴管理の必要性など、そもそも設計段階で話題に挙がることすらなかったのです。

一応トレードの履歴はサーバーのログ管理機能でログに残ってはいるというものの、ログの書式も機能によってバラッバラで、しかもロギングの資料もなく、まずは機能ごとのログの解析が必要という有り様。端的に言って地獄です。

プレイヤーの所持金データをちょっとみれば分かることだったのですが、なにせ「ER図(DBの設計書)はないんですか?」と聞いてみたら「必要な資料なんですか?すいません、そういうの分かる奴がいないんで、調べて自分で作って頂けると...」と言われた現場です。全力でパフォーマンス問題に傾注していた彼は、まだその辺まで手がつけられていませんでした。

そして、でかい問題を解決した直後に降ってわいたこの問題が、やはりCさん以外に解決出来る問題でないことは明らかでした。Cさんの残業時間が入社直後の二ヶ月連続で250時間を越えることが確定した瞬間です。

結局この問題は、突貫でログ解析ツールをつくり、履歴テーブルを急造してそこにレコードを放り込もうとした矢先、ログを直近一週間分しか保持していないことが判明するという急転直下のひどいオチを迎える訳ですが、最終的には最新の状態を1レコードにしてそれ以降のデータのみ履歴で持つようにしたそうです(当然それ以降のデータしか調査・巻き戻しは出来ない)。大変ですよね。

Cさんはまだ同じ業界にいらっしゃいまして、さすがにこの当時ほどひどい事態は見なくなったということなのですが、今でもぽつぽつ面白い話は聞くことが出来ます。機会があれば(あとCさんの許可がもらえれば)また紹介したいと思います。


遠い、遠いオンラインRPGのお話でした。
posted by しんざき at 22:49 | Comment(7) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月27日

何故サミット会場に、日本が世界に誇るソウルフードであるキャベツ太郎を置かないのか本当に理解出来ない


きのこがどうだたけのこがどうだ言っている場合ではなく、本来こういう場に置くとすればやおきんのキャベツ太郎一択である筈で、外国人記者はスシどころか「キャベツ太郎ないの?? ノーーーーーーーーッ!(エコーつき)」と絶叫し続けているであろうことは全く想像に難くなく、それらの絶叫により今頃サミット会場は阿鼻叫喚の地獄絵図を呈していることが想定され、これは近隣の騒音問題を惹起する可能性すらある問題で、それら外国人記者のサイレントマジョリティ的な声を全国民に伝えないのはもはや報道の怠慢と言うもおこがましいレベルであり、政府は可及的速やかにやおきんに対して十分な量のキャベツ太郎を提供するよう要請すべきであってそのついでに日本でも数少ないキャベツ太郎ブロガーである私にキャベツ太郎の供与を行うことが望ましく要するにキャベツ太郎たべたい。



長男から「パパ頑張ってね!」といってこれをプレゼントされた


posted by しんざき at 10:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

「京大出て専業主婦なんてもったいない」という話について問題を切り分けてみた、あるいは主婦が「もったいない」といわれるのがよくわからない


このエントリーを拝読しました。


コメントを含めて、どうも幾つかの問題が割と面倒な感じに絡んでるなーと思ったので、余計なお世話とは思いつつも、ちゃんと切り分けてから考えてみたい欲求に駆られました。

ただ、テーマ自体がいわゆる「個人的な問題でも一般化したい病」に類するものなので、あまり建設的な議論にはならないと思います。ご承知の上お読みください。





恐らくこの話は、大きく四つくらいの問題に切り分けることが出来ると思います。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか
○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか
○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか
○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について


順番にいきます。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか

学んだ分野のカテゴリーや専門性と、それを学んだ動機、費用などによって変わってきます。

「もったいない」というのは何かというと、要するにコストとリターンがかみ合っていないことです。そして、その「かみあっていない」というのを評価する主体と評価軸は、視点によって変わります。

コストは単純に、その大学に入って卒業するに至るまでの、学業や研究に対する努力、時間的コスト、精神的コスト、金銭的コストなどがそれに当たるでしょう。自分ひとりで完結する話ではないのが若干厄介ですが、ちょっと頑張れば数値化することも可能かも知れません。


リターンについては色々面倒くさいです。これは「場合と視点による」という話になります。

三つくらい例示してみましょう。


やや曖昧なワードですが、例えば「社会」という視点で評価するとしたら。極端な例で言えば、「日本でほんの数人しか研究していない分野で、成果次第では大きな社会発展の種になる」というような専攻分野をとっていた人が、卒業してから完全にその研究をやめてしまった、というようなことであれば、「社会的にもったいない」というようなテーゼは成立するのかも知れません。あるいは、今完全に人手不足の分野で、その専攻をとった人はその分野の道を歩むことが期待される、という分野であれば、同じく「(社会的に)もったいない」と言えるかも知れません。

記事を拝読する限り、ブログ主様の専攻分野が上に該当するかというと、多分しなさそうな気がします。教授がもったいながるなら、まあ20歩くらい譲ってわからなくもないんですけどね。


例えば経済的な側面で評価するとしたら、「学歴を生かして就職していれば得られたかも知れない金銭的なリターン」というものがあって、それが得られなかったことについて「もったいない」という余地があるのかも知れません。もっとも、これも現在の社会状況から言えば、いい大学を出たからといって即高収入に通じるわけでもなし、どの程度働けば幾らのリターンと決まっているわけでもなし、随分と曖昧な話ではあります。


完全に主体的に、つまり一人称視点で評価するとすれば、リターンは「自分が今、満足しているかどうか」の一点になります。この視座で見る限り、自分の現在のあり方に満足しているのであれば、「もったいない」という言葉は根本的に筋違いでしょう。一方、例えば「大学入学前に強力な動機があり、それに中途で挫折してしまった」というようなことがあれば、現在の満足に若干の瑕疵が発生するかも知れません。

そして、これに関する限り、ブログ主様は現在の生き方に十分満足されているようには見受けられます。つまり、ブログ主様的には、一人称視点での「もったいない」という言葉は全く当たらない、ということになります。

それに対して、無理に前者二つの曖昧な「もったいない」という言葉を押し付けられているので、ご自分の意識とのギャップに不快感を感じられている、ということなのでしょう。多分ですが。





○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか

いやまあ、他人が口出すような話じゃねーよなー、と(そういう意味ではこの記事自体どうかという話ですが)。


これが例えば、国策プロジェクトによる奨励学生が選択した道とかであれば、ある程度上のような評価も意味を持ってくるのかも知れないですが。そうではない、少なくともご自分(あるいはご親族)の納得と努力の上で選んだ道であれば、少なくとも「一人称の評価」以外を適用するような筋合いはないでしょう。

この記事含め、他人の「もったいない、もったいなくない」という話については、「知るか黙ってろボケ」の一言で万事解決するのではないかと考えられます。あるいは、「お前は私の指導教官か?」でもいいかも知れません。どちらでも、わずか10文字前後で済むのでお勧めです。



○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか

実は、そもそもこれが良くわからないんですよね。

専業主婦という生き方って、つまりご結婚されて家庭を切り盛りされているわけで、別にニートやってるわけじゃないじゃないですか。言ってみれば、旦那さんを含め、家庭の運営というワンパックで評価されるべき「職業」であって、一概に生産性が低いみたいないわれ方をするのどうなのかなーと。

「学歴と直接結びついていない」という話であれば、上で書いたような専門的な分野を除いて、「学歴ときっちり結びつく」「大学で学んだことがそのまま役立つ」と言い切れる職業が、世の中にどれだけ存在するのか。少なくとも「学歴と直接結びついていない」職業は主婦だけではない、ということは断言出来ます。


しんざき家で言えば、しんざき奥様は現在専業主婦というカテゴリーに入ると思うんですが、子どもは育てるわ、掃除はするわ料理はするわ洗濯はするわ、物凄い生産性ですよ。いや勿論、専業だろうが兼業だろうが家事は家庭内で分担するものではありますが、それでも「家庭が職場」というのは「家にいる間中ずっと職場にいる」ということでして、仕事から完全に離れられるタイミングが極めて希少です。奥様のタスクとか、下手すると私よりずっと大変なんじゃないかと思うくらいですよ。


少なくとも私に関する限り、奥様が「専業主婦」というタスクをこなしてくれていなかったら、今よりずっと低い生産性でしか仕事を出来ないのは疑いないわけで。100歩譲っても、「専業主婦」という職業の生産性は夫婦セットで評価されるべきではないでしょうか。


勿論、「専業主婦」という職種の中で生産性の多寡というのはあるのかも知れませんが、少なくとも「専業主婦」という一言で「他の生き方よりも生産性や貢献度が低い」みたいな評価をされるの、どう考えても意味がわかりません。主婦という仕事は、もっと誇りを持って語られていいと思います。

主婦という職業に対するイメージって、多分男女間対立の一つのネタとして変な風に煽られてるようなところあると思うんですが、まあそれについては項を改めます。



○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について

コメント含めて色んなところで、上から目線とか下から目線とか、斜め上から胸そらし目線とか、よくわからないユークリッド幾何学的な角度が乱舞しているように思えます。


どうも、学歴や職業、生き方に絡んで自分の考えを開示すると、ここぞとばかりにマウントをとりにきたり、あるいは「マウントをとられた」と考えてよくわからない憤り方をする人がかなり多いように感じられます。

学歴というのは、言ってしまえば単なるラベルであって、本来であればそこまでデリケートに扱われるべき話でもないと思うんです。ただ、現実問題、「隠しておいた方が無難な属性」になってしまっている嫌いがあるなーと。

しょーもない話だと思うんですけどねー。お互いに、「お前らの人生と俺の人生には1ミリグラムの関係もない」という前提で考えた方がいいのではないかなー、とは。



ということで。切り分けちゃうぞおじさんとして、なんとなく切り分けられたような気はするので満足してこの辺で〆ます。皆様ごきげんよう。

posted by しんざき at 07:01 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月23日

我々はスネ夫という存在を過小評価しているのではないでしょうか


劇場版の大長編ドラえもんには「弱音枠」というものがあり、そこをほぼ毎回スネ夫が担当しています。


以下、無駄に長文なのでお暇な時にどうぞ。



劇場版大長編ドラえもんには、「中盤以降にのび太(あと場合によってはジャイアン、しずか)が覚醒する」という、お定まりの特徴があります。序盤、導入時にはいつも通りのダメのび太であって、ドラえもんのひみつ道具を私欲の為に使ったり、学校やのび太ママのお小言から逃避したりといった行動に走り、それがメインストーリーに流れ込んでいくことも良くある話です。

が、ストーリーがある程度進行し、ドラえもん一行の大ピンチや劇中の友人キャラクターの危機などが迫ると、のび太は周囲のメンバーに率先して、それらピンチに立ち向かっていくことになります。

例えば、「日本誕生」では、さらわれたククル達を助けようと真っ先に周囲を説得するのがのび太であったり、とか。
例えば、「宇宙開拓史」では、コーヤコーヤ星のピンチをジャイアンたちに知らせるも一度は説得に失敗し、自分とドラえもんだけでもロップルたちを助けようとしたり、とか。
例えば、「宇宙英雄記」では、一度は海賊に不覚をとった中、アロンたちやポックル星をなんとしても助けよう、と最初に声を挙げるのがのび太だったり、であるとか。


この時、しずかちゃんは大体の場合積極的にのび太を援護しようという立ち位置ですし、ジャイアンも多くの場合、多少文句を言いつつも友情の為に率先して協力する、といったパターンが専らです。


これは、「普段はダメだけどいざという時には勇気を出すのび太」であるとか、「普段は乱暴だけどいざという時には友情に篤いジャイアン」といったギャップ効果によって、観客に強い印象を残す演出であろうと思われます。これは昔からの演出ではありますが、ここ最近の劇場版を見ていると、


・新・のび太の大魔境
・のび太の宇宙英雄記
・新・のび太の日本誕生
・新・のび太の鉄人兵団
・のび太と奇跡の島
・のび太の人魚大海戦


と、「ひみつ道具博物館」以外のすべてで、若干形を変えながらも上記パターンは継続していましたので、現在でも定番の演出だと言ってしまっていいでしょう。


その際の典型的なパターンはこんな感じになります。


1.のび太やドラえもん、ないし友人たちのピンチが描写される。
2.のび太(ジャイアンである場合もある)が、そのピンチ打破の為に行動に出ることを主張する。例えば敵のアジトに乗り込む、友人たちを救出する、といった内容。
3.スネ夫がそれに対して弱音を吐いて反対する。
4.しずかやジャイアンがのび太に同調する。
5.スネ夫も仕方なく賛同する。


この、

3.スネ夫がそれに対して弱音を吐いて反対する。


という箇所、これが私の考える「弱音枠」です。

我々は通常、この「弱音枠」に「スネ夫の情けなさ」のみを読み取りがちです。

元来スネ夫は、原作・アニメ・劇場版問わず、視聴者の共感や高評価を誘うようなキャラクターではありません。普段はジャイアンの腰ぎんちゃくのような立ち位置に終始し(時には立場が逆転することもあるのですが)、ジャイアンよりも陰湿にのび太をいじめ、自分の家庭が裕福であることを鼻にかけ、ことあるごとに自慢する。

そういった彼がごくナチュラルに精神的弱さを出すことで、視聴者は「ああ、やっぱスネ夫は情けないな」「一方のび太は、普段は情けないけどいざという時は勇気があるな」と印象づけられることになります。

元より、これが製作者側の意図でしょうし、そのように視聴者が感じることはおかしなことではありません。


ただ、こと劇場版ドラえもんに関する限り、「大事な場面で弱音を吐く」というのは、十分に勇気がいることなのではないか、と私は思うのです。


たとえば、「のび太の宇宙英雄記」で、のび太一行(のび太、スネ夫、ジャイアンの三名)は一度宇宙海賊に敗北してしまいます。その後、ドラえもんに救出された後で、その後どうやって反撃するかを相談する中、スネ夫が恒例の弱音を吐き、ポックル星を放っておいて帰ることを主張します。


「普通の子どものぼくたちが宇宙海賊なんかに勝てるわけないじゃないか!」

で、これも恒例の通り、ほっといて帰ることを主張するスネ夫を、ジャイアンやしずか、のび太が勇気ある発言をして、スネ夫も最後には説得される訳なんですが。


これ、冷静に、客観的に考えるとスネ夫の発言100%正しいと思うんですよ。

宇宙海賊に敗北した後ですよ?ドラえもんに救出されてなんとか難を逃れた後だとはいえ、海賊がヌルくなければ本来殺されてても全くおかしくなかった状況の筈です。それなのに、空気に流されるまま「頑張って皆の笑顔を守り抜こう!」とか結論が出るのはどう考えてもおかしい。本来、敗北後には敗北の原因分析と、改めての戦力比較が必要になる筈なのです。

発言としては「冷静な諌言」というよりは泣き言に近かったですが、「一旦立ち止まって考えよう」的な方向の言葉としては、誰かが発言しなくてはいけない言葉だった、といっても良いのではないかと思います。


「宇宙英雄記」の話は典型的なパターンの一つですが、みんなががーっと盛り上がっている中で、一番勇気がいるのは、むしろこういう「総意に逆行する弱気な発言」であったりします。空気に流されてみんなに同調していた方が、少なくともその場では波風が立たない。これは仕事の場でも同じでして、どんな形であろうと「おいちょっと待て」的な発言を提示できる人材は貴重です。


そもそも、スネ夫は元来「空気を読む」キャラクターです。空気を読むと言っても褒められた話ではなく、ジャイアンを上手いことコントロールしたり、大人におべっかを使ったりといった、我田引水の為の空気の読み方なんですが、それでも彼が「その場の空気を上手いこと読んで、自分の思うように状況をコントロールできる」キャラクターの一人であることは疑いがありません。

そんなスネ夫が、ピンチの後の相談シーンで、周囲の「それでもポックル星を助けないと!」という雰囲気を感じ取れていないわけがありません。


それでも。空気を読みながらも、「おいちょっと待てお前ら」とばかりに、場の空気に対するアンチテーゼを提出できる。いってみれば「弱音ぢから」とでもいうべきこのスネ夫の能力を、我々はもう少し評価するべきなのではないかと私は思うのです。


劇の配役や演出的に考えても、「弱音枠」で弱音を吐けるキャラクターは、ほぼスネ夫一人しか存在しません。なにせ、劇の中盤以降、のび太は「適切な弱音を吐ける」キャラクターではなくなってしまいます。ジャイアンはいうに及ばず、しずかちゃんすら劇場版では「その場の空気に逆行する冷静な発言」をしない傾向があります。

それ以外のキャラクターを引き立てるという、演出上の問題だけでも、スネ夫は絶対に必要なキャラクターだと思うのです。我々はスネ夫の重要さをもっと認識するべきなのではないでしょうか。


まあ結果的には、ドラえもんのひみつ道具がチート能力を発揮して事態を打開してしまうケースが殆どなのですが。仕方ないですね。


一応まとめておくと、


・劇場版の定番パターンとして、「みんなが盛り上がる中弱音を吐くスネ夫」というのがあります
・「周りが盛り上がっている中弱音を吐ける」というのは結構勇気がいることです
・弱音を吐ける配役、というもの自体も意外と重要です
・我々はスネ夫を再評価すべき
・けどファミコン版ドラえもんのSTG面のスネ夫は正直あんまり使えないです
・全然関係ないけど日本誕生のしずかちゃんの原始人服は基本的にエロいと思います(二回目)


というどうでもいい感じの結論になるわけです。よかったですね。

今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 19:34 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月19日

初心者にも(ある程度)お勧め出来る、8つのラヴクラフト作品について

近年、いわゆる「クトゥルフもの」ないし「クトゥルーもの」はすっかりライトサブカルとしての市民権を得た感があります。


太古から宇宙に存在した、恐るべき旧支配者たちとそれにかかわる人間たちの物語。かつてはH.P.ラヴクラフトと、彼の数人の友人作家との間で描かれていた「ラヴクラフト宇宙」のエピソードは、例えばゲームのモチーフになり、ライトノベルのモチーフになり、漫画のモチーフになり、アニメやエロゲーのモチーフになりと、サブカル畑の至るところに出現するようになっています。


最近では、「World of warcraft」を元ネタとするオンラインカードゲーム「Hearthstone」にも、「クトゥーン」を始めとする「古き神」たちが出現し、ランダム20ダメージを飛ばしたり断末魔ミニオンをまとめて甦らせたりと猛威を振るっている始末です。ン=ゾスおなかこわせ。


昨今、「ラヴクラフトは読んだことないけど、クトゥルフ神話って言葉だけは知ってる」という人が相当数いらっしゃることは想像に難くありません。

ただ、これも有名な話ですが、ラヴクラフトは決して「神話」としてのクトゥルフのエピソードを描いたわけではありません。というか、実はラヴクラフトの作品で、クトゥルフやナイアルラトホテップなど、クトゥルフ神話で著名な名前がちょっとでも出てくる作品は意外と希少です。多分、全体の2割無いくらいじゃないでしょうか?

彼が描いたのは、「人間よりも遥かに昔から存在するものたち」と人間の関わりをテーマとした「宇宙的恐怖(コズミック・ホラー)」。それを「邪神」や「神話」といった形に、主にラヴクラフトの死後に整形していったのは、オーガスト・ダーレスを始めとする後続の作家たちなのです。(※ラヴクラフト自身、ダーレスの創作を気に入ってはいたようで、ダーレスへの激励の手紙や協力の痕跡が残っているそうです)


そういう話を聞いて、


「クトゥルフものの原点って気になるけれど、ラヴクラフトって難しそうだし…」


と思うクトゥルフもの初心者が、恐らく日本全国に2800万人くらいはいると考えられます。いるよね?




ラヴクラフトが書く文章に不思議な魅力があることは間違いないことなのですが、正直な話、ラヴクラフトの作品が(訳も含めて)かなり難解であり、慣れない人には非常に読みにくいことは否定が出来ない事実です。

ただ、クトゥルフもののルーツをたどるとすれば、ラヴクラフトの作品を避けて通ることは決して出来ない訳で、ここでは

ラヴクラフト作品の中でどれが初心者向けなのか、どれが難解過ぎるのか、

というお話を主に書いていきたいと思います。


そもそもラヴクラフト全集自体がとても初心者向けとは言えない


という点は唯一些少の問題ですが、まあ気にしないことにします。


○比較的初心者にも読みやすいラヴクラフト作品

○長かったり難解だったりで読解には若干努力が必要だが、話自体は面白いラヴクラフト作品

○読解にかなりの努力が必要だが、クトゥルフもののルーツを追うには抑えておきたいラヴクラフト作品

○sanチェックをしたい初心者にお勧めなラヴクラフト作品

の4カテゴリーに分けて紹介していきます。



○比較的初心者にも読みやすいラヴクラフト作品

「宇宙からの色」(ラヴクラフト全集4巻に収録)

個人的には、ラヴクラフトの短編・中編の中でも屈指の傑作に数えられるべき作品ではないかと思います。展開もわかりやすいですし、完成度も高く、話の展開、読んだ後の絶妙な後味の悪さも含めて、ラヴクラフト節が満載です。

時は1882年。アーカム近郊の農夫ネイハムの自宅近くに隕石が落ちたことをきっかけに、ネイハムの周囲では奇妙な事件が起こり始めます。不快な味がする作物、奇妙な生育をした動物たち、そして不可思議な色。

ラヴクラフトのこの手の作品の特徴は、「怪異の存在がヴェールの裏に隠れており、決して正体が明かされはしないこと」「一見逃げ道がありそうなのに、得てしてその逃げ道は選ぶことが出来ない、あるいは逃げ道として成立していないこと」あたりだと思うんですが、この作品でもそれが十分に発揮されています。ホラーとラヴクラフト宇宙観の適度なブレンド具合も良好。



「神殿」(ラヴクラフト全集5巻に収録)

第一次世界大戦中、敵の攻撃を受けて漂流するUボート。ある事件を境に、Uボートは漂流を始め、乗組員は徐々に正気を失っていく。ただ一人確固とした意志を保ち続ける、Uボートの艦長たる主人公は、やがて海底で奇妙な光景を目にする。

怪異の中にも幻想的な、ラヴクラフト作品の中でも美しい描写が特徴の一遍です。「異様な状況の中でも、徹頭徹尾冷静な主人公」と、彼の手記という視点から様々な恐怖が仄めかされる構成が素晴らしい。

ラヴクラフト作品の中でも例外的に、「最後まで正気を失わない、少なくとも最後まで主体的に狂気と対面し続ける」人物が主人公でして、彼の気骨には一種感銘を受けます。個人的には、短めの作品の中では「宇宙からの色」に次いで気に入っている作品。



「アウトサイダー」(ラヴクラフト全集3巻に収録)

廃墟のような広大な城に、たった一人で住む主人公の視点で進む物語。
ただ一度空を見てみたいという一心で、黒い塔をひたすらに上り、城からの脱出を試みる主人公が見たものとは。

ラヴクラフトの最高傑作として挙げる人も多い一作。

エドガー・アラン・ポーの影響を強く受けた、と解説されることの多い作品ですが、私自身は、なによりその「暗い森と、広大な城」「そこから続く尖塔」といった舞台の、その圧倒的な描写に驚かされます。この作品については、いわゆるラヴクラフト宇宙観はそれほど関係がないのですが、頽廃的な中でもどこか悲しいそのエンディングは、通常のホラーがお好きな方にもお勧め出来る作品です。




○長かったり難解だったりで読解には若干努力が必要だが、話自体は面白いラヴクラフト作品

「クトゥルフの呼び声」(ラヴクラフト全集2巻に収録)

大伯父の遺産を整理していた主人公は、ある時奇妙な粘土板と、記事を見つける。その粘土板に描かれた存在の情報を追ううちに、おぞましい事実が徐々に明らかに。

TRPGのタイトルにもなっている、クトゥルフ神話の代名詞的な作品です。ラヴクラフトが「ルルイエ」と「クトゥルフ」という存在を直接、具体的に描き出した、多分唯一の作品でもあります。クトゥルフ神話の原点を追うという意味でラヴクラフトを読むなら、この作品を外すことは出来ないでしょう。

この作品で注目すべきなのは、やはりなんといっても「ルルイエ」の描写だと思います。様々なところでネタになる、「ラヴクラフト的な描写」がこれでもかこれでもかとばかりに前面に打ち出されています。「ああ、この表現ってここが初出だったのか!」と納得すること請け合い。


「時間からの影」(ラヴクラフト全集3巻に収録)

3巻の最後に収録されている長編です。「イースの大いなる種族」や「盲目のもの」など、後々クトゥルフ神話の中でも重要な立ち位置になってくる存在が多く描写される、ラヴクラフト宇宙観の中でも特に重要な一作。

「数年の間、まったくの別人になっていた」教師が主人公。自分を取り戻した後、切れ切れに思い起こされる記憶と悪夢をたどって、彼と仲間たちはオーストラリアの遺跡を探索することになります。その中で彼が見たものとは。

この作品は、何といってもオーストラリアの遺跡探索時の描写と、徐々によみがえっていく主人公の記憶が交錯するシーンが一番の見所です。「恐ろしいエピソードが語られるのだが、一番恐ろしいのはそれ自体ではなくまた別のもの」という、ラヴクラフト得意の手法が用いられる作品でもあります。

物凄い時間スケールで交差するエピソードが、終盤にかたっぱしから回収されていく、その構成の巧みさはSFファンの審美眼にも耐えるものだと思います。ただ、やはり描写が細かくて読みにくい部分は若干あり。


「ダニッチの怪」(ラヴクラフト全集5巻に収録)

マサチューセッツ州のとある頽廃的な村、「ダニッチ(ダンウィッチ)」で起きた怪事件と、その事件にまつわるウィルバー・ウェイトリーについての物語。

上記の「時間からの影」や「狂気の山脈にて」と並んで、ラヴクラフト宇宙観の中心に位置づけられる作品の一つです。これは言ってしまっていいと思うのですが、クトゥルフ神話の中でも中心的な存在として描かれる、「ヨグ=ソトース」の存在が明らかになる作品でもあります。

「ダニッチの怪」や後のランドルフ・カーターものの作品を読んでいると、ラヴクラフトは、クトゥルフよりもむしろヨグ=ソトースを「邪神」的な存在として描いていた、ような節があります。ダーレスは更にそれを発展させて、「クトゥルフ神話」に組み込んだようです。

「ダニッチの怪」についていえば、中盤までウェイトリー家の異様さが語られた後、ヘンリー・アーミテッジ博士が登場してからが物語のクライマックス。アーミテッジ博士を含めた三博士による、ダニッチの捜索と怪異との対峙は必見です。



○読解にかなりの努力が必要だが、クトゥルフもののルーツを追うには抑えておきたいラヴクラフト作品

「狂気の山脈にて」(ラヴクラフト全集4巻に収録)

ラヴクラフト作品の中でも、一、二を争う長さの大長編にして、クトゥルフ神話の直接的なルーツといっても過言ではない重要な作品です。

岩石調査の為に南極を訪れた主人公一行は、二手に分かれた調査中に、高度に進化した生物の痕跡を発見する。世紀の大発見だと興奮する一行だったが、やがて生物の調査を行っていた隊との連絡が途切れてしまう。彼らの捜索に向かった主人公の見たものとは。

南極探検ものとしても成立しそうな程、探検についての描写が詳細で、スケールが大きい作品です。主人公が「狂気山脈」を探索するくだりについては、次に何が見つかるのか?そこに何があるのか?というのを想像して、冒険ものと同質のスリルを味わうことが出来ます。

そんな中、ラヴクラフト宇宙観に基づく存在が明らかにされる、物語終盤の展開は、ラヴクラフト作品屈指の完成度といっても良いと思います。

ただ、とにかく内容が細かく、かつ長い。描写が緻密なだけに、読み通すにはそれなりの時間と根性が必要です。ただ、読み通した時の充実感と面白さは保証しますので、気が向いた方は是非ご一読を。

個人的には南極洞窟の中の巨大ペンギンがお気に入りです。



○sanチェックをしたい初心者にお勧めなラヴクラフト作品

「未知なるカダスを夢に求めて」(ラヴクラフト全集6巻に収録)

ラヴクラフト全集6巻は危険です。上に書いたような作品を一通り読み終わって、更にラヴクラフト世界を味わってみたいと思った人が、最後にたどり着くべき地点です。

いわゆる「ランドルフ・カーターもの」といわれる作品が複数おさまっており、その集大成ともいえるカーターの冒険作品が、この「未知なるカダスを夢に求めて」です。夢の国における危険に次ぐ危険、それらと時には対峙し、時には回避するカーターの大冒険は読み応え満載です。

ただ、大長編なのに章立てが全くなく全部が一続きになっているとか、一人の人物の台詞が数ページにわたって続くとか、その構成は相当エキセントリックになっており、読者に若干のsanチェックを求めます。

「ラヴクラフト宇宙観」にどっぷり漬かった人であれば、「あー!ここでアレが出てきた!」「あー!今度はコレが出てきた!」とキャラクターものめいた楽しみ方をすることも可能ですが、まだ漬かりが浅い人には (;゚д゚) な顔になる可能性が否定できません。心してご一読をお勧めします。「凍てつく荒野のレン」とか「這いよる混沌」といった言葉に親和性の高い方は是非。


あと書けてない作品も相当数ありますが、上記が気に入った人たちは、

・インスマスの影
・チャールズ・ウォードの奇怪な事件
・無名都市
・ダゴン

辺り読んでみるといいと思います!!


ということで、大概長くなりました。

結論として、

ラヴクラフトは初心者向けとはとてもいえないけれど覚悟して読めば超面白いよ!

という一言を結句としたいと思います。

今日書きたいことはそれくらい。





posted by しんざき at 19:42 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月17日

いつからアンパンマンごときにバイキンマンが殺せると錯覚していた?


バイキンマンの本体がその名の通りばい菌、つまり雑菌であるとすれば、アンパンチやアンキック、アンチョップなどの物理攻撃が通用するような相手ではない。微生物をいくらぶったたいても殺し尽くすことは出来ない。むしろ、普段アンパンチで吹っ飛ばされて「ばいばいきーーん!」とか言っているバイキンマンの方が、アンパンマンに気をつかってやられてあげているのだと判断出来る。

雑菌を殺す方法は勿論数多あるが、その種別は物理的方法と化学的な方法に大別出来る。

【物理的方法】
・高温処理/焼却
・紫外線殺菌
・パルス光殺菌
・高圧殺菌/真空殺菌(真空パックなど)
・超音波殺菌
など

【化学的方法】
・ガス滅菌
・酸化剤、エタノール、抗菌薬などによる薬物殺菌
・酸/アルカリ殺菌
など

たとえばパン工場の面々にペニシリンマンやクレゾールマンがいたとしたら、彼らにはバイキンマンを殺せる可能性があるが、当然そんな人材はいないのであって、せいぜいカレーパンマンに含まれているであろうスパイスの抗菌作用に期待するのが関の山だ。食料品畑のアンパンマンやメロンパンナちゃん、食パンマンでは菌の苗床になって終わりである。(実際に、彼らは何度もカビルンルンの跋扈を許している)

舐めプをしているのはアンパンマンたちではない。バイキンマンの方なのだ。

ジャムおじさんの勢力で唯一バイキンマンを殺せる可能性があるとしたら、それはパン工場の窯による高温処理に他ならない。

最終兵器、窯。敵のラスボスに唯一対抗できるのは、パン工場のボスであるジャムおじさんその人であった!!!!そう考えると、アンパンマンのラストシーンがバイキンマンを道連れに親指立てながらパン窯に沈んでいくジャムおじさんの姿になることは全く想像に難くなく、考えるだけで目から流れ落ちる涙を止めることが出来ない。

こう考えると、アンパンマン陣営の首領にこそバイキンマンを殺せる可能性を託した、やなせ先生の深慮遠望には感嘆せざるを得ない。これに感動するのは一人私のみであろうか。


全然関係ないのだが、うちにあるアンパンマンの絵本で、「おやつの前に手を石鹸で洗わなかったバイキンマンを皆で非難して、バイキンマンだけお腹を壊す」という筋書きのものがあるんだけど、多分バイキンマン石鹸で手を洗ったりしたら死ぬし、あれ極めて悪質ないじめだと思う。


一言で言いたいことをまとめると、

パン工場陣営は、バイキンマンと本気で戦う気があるならクレゾールマンや次亜塩素酸ナトリウムマンを招聘しろ

という一言だけであって、他にいいたいことは特にない、ということを最後に申し添えておく。


今日書きたいことはそれくらい。












posted by しんざき at 09:19 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

岩明均先生の「雪の峠、剣の舞」は想像を絶する程面白いので皆さんに全力でおススメしようとおもいます。



歴史ものの創作で何よりも難しいのは「何でもない出来事を面白く書く」ことではないかなあ、とおもうのです。


歴史上重要な出来事であれば、それを面白く描き出すことはそこまで困難なことではないかも知れません。重要なイベントには、重要な出演キャラクターが複数関わっているものです。キャラクターが大物ばかりであって、主要キャラクターたちには大小無数のエピソードと数々の脇役たちが関わっているのですから、そこから「面白そうなこと」を抽出することは難しくない。勿論、それをどう描写するかは創作者の腕の見せ所なわけですが。


それに対して、「歴史上地味な出来事を面白く描き出す」というのは困難を極めます。地味というのは、大勢から注目される程のエピソードが発生しなかったということでもあり、つまり「エピソードの面白さ」だけで勝負することが出来ない。どんなエピソードが実際には存在したのか?ということを細かく検証し、足りないところを想像で補い、全体を矛盾なく構成し、更にそれを詳しくない読者にも面白く感じられるように描写しなくてはならない。

この過程が、まるで強風の中針の穴に糸を通すような困難事であることは、皆さんご想像いただけるとおもいます。


ところで、「寄生獣」や「ヒストリエ」「七夕の国」などで著名な岩明均先生は、それをある短編漫画でごく自然に、ごくあっさりとやってのけています。


「雪の峠・剣の舞」。単行本は2001年刊行、2004年に文庫化。「雪の峠」と「剣の舞」の、二編の歴史漫画を納めた、一巻完結の中編集です。しんざきが今まで読んだ一巻完結の漫画の中で、面白さと完成度のバランスについてはぶっちぎりトップではないか、とおもっている一冊でもあります。



「剣の舞」もひっじょーーーに面白いです。主要キャラクターが疋田文五郎(景兼)と上泉信綱、といえばわかる人にはそれだけでわかるでしょうが、フィクションを取り混ぜつつもカタルシスと切なさをバランスよく盛り込むその手腕は、勿論それだけで岩明先生の物凄さがわかる作品ではあります。


ですが、このエントリーでは、特に「雪の峠」についてのお話を中心に書かせて頂こうとおもいます。


・地味なエピソードと、すさまじいまでの「お話」のまとまり具合。


「雪の峠」のテーマというか、お話の中核は「佐竹家の築城」です。合戦でもなければ、群雄割拠の群像劇でもありません。


皆さんよくご存知の通り、佐竹家は元々常陸(現在の茨城県)を拠点としていた戦国時代の大名であって、関が原で中立、ないしやや西軍寄りの立ち位置をとった結果、紆余曲折の末出羽国(現在の秋田県)に転封されました。

佐竹氏は、「鬼義重」と言われた義重が当時既に当主から退いており、佐竹義宣が後を継いでいました。関が原の戦いでは東軍西軍いずれにつくか、親子間で意見の対立があったとも言われていますが、作中では最終的には西軍寄りの立ち位置を保った形になっており、その結果としての改易に家内でも不満の声が上がっている状態でした。

そんな中、出羽国における佐竹家の居城の場所を定めたいという評議が義宣より持ち上がり、それをきっかけに佐竹家の旧臣と、新勢力となる義宣の部下の間で対立が持ち上がることになります。


城を、どこにするか。


多くの「歴史もの」の創作、しかもテーマを絞った短編としては、かなり地味な部類のテーマであることはお分かり頂けるかと思います。無論徳川家も関わってはきますが、主要な登場人物の9割は佐竹家内部の人々に限られます。話のスコープは極めて限定されているわけです。


地味なテーマ。歴史上そこまで(一般的には)著名でもないエピソード。なら、お話も地味なのか?

というと、それがもうものすっげえ面白いのです。


まず、上で書いた「新当主である義宣とその腹心たち」と「義重時代から家中をしきってきた旧臣たち」それぞれのキャラクターと関わり具合がひっじょーーに面白い。リアリティがあり、どこか無機質でありながら、それぞれ非常に人間くさい、この絶妙な味わいを出せるのは正しく岩明先生ただ一人ではないか、と私はおもいます。


主役格となるのが佐竹家の新当主、佐竹義宣とその腹心、「渋江内膳」。渋江内膳は、渋江政光の通称であって、出羽久保田藩の家老となって藩政の改革を行った、実在の人物です。


こちらが佐竹義宣で、

義宣.png

こちらが渋江内膳。

内膳.png

渋江内膳は勿論優秀な人物であって、作中でも経済の勘所をよくわきまえた能吏として描写されてはいるのですが、一見するとそこまで「切れる」人物には見えない描き方がされています。のんびりした所作で、一面「七夕の国」の主人公南丸洋二のようなおっとりとした雰囲気があります。

新たに家中をまとめる秩序を作ろうと、佐竹義宣と渋江内膳を中心とした何人かのグループは、経済的な側面を重視した新たな府を、出羽は窪田に築こうとします。


一方、いわゆる「武断派で、頭の堅い旧臣」の代表格として描かれているのが、川井伊勢守。

伊勢.png

川井伊勢守以外にも、旧臣派閥として描写されるキャラクターは何人かいます。彼らは、関が原の戦いにおいても東軍につくことを主張した人たち。当然、義宣が決めた西軍寄りの態度、およびそれに端を発する改易には不満を持っています。また、長年の戦国時代の考えが抜けず、経済的な考え方はよくわからない。更に、渋江内膳を始めとした新参者が、自分たちより中核に近い位置で藩政に関わっているのがとてもとても気にいらない。


そして、客分家臣という立ち位置故か、川井たちとは若干距離を置いているようにも見えますが、義宣・内膳のグループには対立することになる梶原美濃守。

梶原.png


かつて足利義氏に仕えていた関係で、作中の時代では既に故人となっている上杉謙信とも面識があるという設定になっています。上杉謙信のエピソードをしょっちゅう旧臣たちにねだられて、ちょっと辟易しているのが上の画像。めっちゃイケメンおじいちゃんです。

彼は築城や軍略に明るく、川井ら旧臣たちに担がれて、渋江内膳の提案に対する反対案を提出し、内膳や義宣に対する旧臣たちの発言力を確保しようとすることになります。

お話は、主にこの梶原美濃守と、渋江内膳の知恵比べを中心として進むことになります。


この対立関係のリアリティがすごい。


新当主としての地位を固めたい義宣。

義宣を助けつつも、家中になるべく波風を立てたくない内膳。

喧嘩する気満々の川井ら旧臣。

川井らに若干呆れつつも、本気を出して内膳案を潰そうとする梶原美濃守。


その他、一見旧臣の味方をするように見せかけつつも、内心では義宣に助け舟を出そうとする前当主・義重(史実では「鬼」と呼ばれた猛将だったらしいですが、この作品中では優しいおじいちゃんという感じです)や、内膳の応援をしてくれる筆頭家老の和田安房守を含めて、おのおのの感情の動き、行動の仕方が実に味があり、まるで現在の会社組織における人間関係を見ているかのように細やかなのです。


この短編、徹頭徹尾「関が原後」の時代小説でありながら、会議あり書類作成あり飲みニケーションありと、随所随所で現代のサラリーマン生活を思い出させるようなところもあります。新進気鋭のサラリーマン、渋江内膳に明日はあるのか!?


老練な梶原美濃守に追い詰められ、知恵を絞る渋江内膳。彼が打つ秘策とは。


この辺の知恵比べの妙味、また最後にもってくる爽やかなカタルシスには、そんじょそこらの時代漫画では味わえないくらいの清清しさがあります。実話を下敷きにしつつも、きっちり漫画的なカタルシスを読者に提供しつつ漫画的に閉める岩明先生のテクニックは、ほんとーに物凄いと私はおもうわけです。


ちなみに、上の方で「サラリーマン的」と書きましたが、この作品、最後の解決法まである種現実の会社組織で使えそうな「組織論」的な解決法になっています。「そうだよなー。そりゃこの人にそういわれちゃどうしようもないよなー」というような、問答無用の説得力があります。

興味をもたれた方は、是非ご一読を。



・一方、「剣の舞」についても少し。

こちらはこちらで、「雪の峠」よりはだいぶヒロイックな感じですが、疋田文五郎という強力なキャラクターを中心に、見事にまとまったお話になっています。

実在の剣豪をそのまま描くのではなく、まったくの架空キャラクター「ハルナ」を主役に据えている辺りが岩明先生一流のテクニック。実話に即したリアリティという点では「雪の峠」に譲るかも知れませんが、重たさと気楽さ、そしてどこか寂漠とした悲壮感が絶妙にブレンドされている辺り、こちらも十二分に「歴史漫画」としての名作に数えるべき完成度になっているとおもいます。

取りあえずハルナはかわいいとおもいますので、雪の峠に興味を持った方はこちらも是非。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:50 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月11日

既婚ブロガーは配偶者にブログを開示しておいた方が絶対いいと思います


ひと昔前なら話は別かも知れないですが、今の時代には、近しい身内(特に配偶者)にはブログを開示しておいた方がメリットが大きい、と思うわけです。

私が思う、「配偶者にブログを開示する」ことのメリットは下のような感じです。


1.自分と対等の立場の人として、客観的な視点や助言を提示してもらえる
2.炎上しそうな記事の防波堤になってくれる
3.奥様に読ませられないような記事はそもそもネットに公開するべきではない
4.相互理解の一助、コミュニケーションの素材にもなる
5.ブログ関連で仕事やオフ会などがあった時の話が早い


順番にいきます。


1.自分と対等の立場の人として、客観的な視点や助言を提示してもらえる

以前も何度か書いていますが、「自分の文章を客観的な視点で読む」というのは、プロの作家さんにとってすらひっじょーーーに難しいことです。普通の人にとっては殆ど不可能事であると言って間違いありません。

むかーし、こんなことを書きました。

「自分が読む自分の文章」と、「他人が読む自分の文章」は完全な別物である。
自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。

面白い、面白くないだけの話ではなく、自分の考えに明確な誤りがあったり、事実誤認がはっきり紛れ込んでいる時ですら、自分ひとりでは気づきにくいのです。プロであれば、編集者さんが仕事としてその辺のチェックを行ってくれるんですが、素人ではなかなかそういう訳にもいかないです。

そんな時、「自分ではない人」が、事前に自分の文章を読んでくれるというのは、非常に非常に大きなことです。

しんざきは、子育てについての文章とか、ちょっと入り組んだ雑文を書く時には、しばしばしんざき奥様に「ねえねえ、時間ある時にちょっとこれ読んでみてくれない?」と聞きます。ありがたいことに、しんざき奥様はブログを書くことに理解をもってくれていますし、不倒城に興味をもってくれてもいます(多分)ので、大抵記事を読んでくれますし、色々と気づいた部分を教えてくれます。そして、そういう「気づいた部分」は、大体の場合私が「気づけなかった」部分でもあります。


ただしレトロゲーム記事だけはほぼ一顧だにしてくれません。レトロゲームブログなのに。なんということでしょう。

あと、しんざき奥様はスポーツにほぼなんの興味もないので、スポーツ系のネタを書いた時にも多分読んでくれないと思います。あんまり書かないですが。



2.炎上しそうな記事の防波堤になってくれる
3.奥様に読ませられないような記事はそもそもネットに公開するべきではない

この二つは関連しています。

今の時代、ブログでひどい内容を書いてしまって、それを責める反応が大量にやってきて大炎上してブログ閉鎖、というケースは枚挙に暇がありません。
炎上狙いでPV稼ぎだー、というアレな人についてはまあどうでもいいですが、一般的な感覚の人にとっては、「ついうっかり変なことを書いて炎上」という事態は防ぎたいところでしょう。

特にアクセスが欲しいブロガーは、ついつい記事の内容を先鋭化させてしまい勝ちです。それに伴って、一般的な感覚でのファールラインをつい忘れてしまうこともあるかもしれません。

そういう意味で、ブログ炎上を事前に防ぐ、ないし「こんなこと書いていいの?」と一般的な視点で一言聞いてくれる他人の存在というものは、とても大きいのではないかと私は思うのです。


また、内容としても、一番身近な身内に読ませることをためらうような内容は、そもそもたくさんの他人に開示していいような内容ではない、ことが多いと思われます。まあ、人によっては「身近だからこそ開示したくない」話というのもあるのかもしれませんが、どっちにしても夫婦間で隠しごとになるようなことを、不特定多数の他人に大声で発表するのはちょっとどうなのかと思います。

配偶者の存在が安全ブレーキになる、という側面も、おそらくあるのではないかと。

しんざきはしんざき奥様の倫理感やバランス感覚を非常に信頼していますので、万一変な記事を書きそうになったら止めてくれるんじゃないかと思います。まあ、そもそも炎上するような記事を不倒城で書いた記憶がありませんが。

なお、しんざきは割とオープンな性格でして、このブログに書いてあるようなしょーもないことは普段の生活でもくっちゃべっていますので、特に隠すメリットはありません。



4.相互理解の一助、コミュニケーションの素材にもなる

以前も書きましたが、結婚生活に限らず、身近な人とうまく過ごす為の必須要件は「関心量の調節」だと思います。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。


お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

相手が関心をもっていることへの関心が薄いと、無理解のペースが速まる。相手が何を楽しんでいるか分からないから、楽しい時間を共有出来ない。相手が何に苦労をしているかが分からないから、相手のペース配分に納得することも出来ないし、相手の疲れに共感することも出来ない。仕事にかまけている旦那の家庭が上手くいかないのは、その多くが「関心の配分」の調整ミスに由来している。

勿論普段の会話もそうなんですが、「自分がなんについて、どんな関心を持っているか」ということを伝えるために、ブログというツールはまさにうってつけです。なにせ、「自分が興味をもっているものについて書く」のがブログなのですから、これ以上のツールはありません。


自分が興味をもっていること、それについて語っていることを開示する。それについて会話する、対話する。そういったことが、日常生活においてコミュニケーションを深める、重要な一助になることは間違いありません。


5.ブログ関連で仕事やオフ会などがあった時の話が早い


話が早い気がするんですが、しんざきについていえばブログ関連で仕事をすることもオフ会に出ることも滅多にないのであまりメリットではありません。誰かお声がけください。



というような感じで、奥様や旦那様にブログを共有することは、非常にメリットだらけだと思うのです。

「客観的に読んでくれる、対等の立場の人がいる」というだけでも大きなアドバンテージだと思いますので、既婚ブロガーで配偶者にブログを内緒にしている方は、是非ご検討を。


ちなみにしんざきは、時にはかなりアホな内容の記事(こういうのとか)も書いており、それもしんざき奥様の目には留まっていると思うのですが、そっとスルーしてくれています。奥様優しい。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月10日

「科学に誠実な人の話はなぜ届きにくいのか」という話、あるいはなるべく分かりやすく「科学」について書く


特に疑似科学界隈でよく問題になるのですが、「科学に誠実な人のいうことはわかりにくく、科学に不誠実な人のいうことはわかりやすい」という厄介な特性があります。


分かりやすいことは、聞き入れられやすいことでもあります。分かりにくいことは、たとえ妥当であってもなかなか耳を傾けられないことでもあります。つまり、「妥当な内容の方がみんなに聞き入れられにくく、妥当でない内容の方がみんなに聞き入れられやすい」という、ひじょーーに厄介なジレンマが発生してしまいます。


何故かというと、「科学的に誠実な人程、「そんなものにはなんの効果もない」「それは頭っから間違っている、でたらめである」という分かりやすい断定をしにくい」という問題がある為です。

以下、その辺の話をしてみたいと思います。



@.科学って何?というお話

そもそも科学ってなんなの、という話から始めます。

一般の人は「科学」と聞くといわゆる「科学者」だとか「実験」だとか、理系っぽいものを思い浮かべるかもしれませんが、実際には人文科学や社会科学といったフィールドもあり、理系から文系まで、「科学」という言葉は非常に広い範囲を射程に収めています。ただ、ここでは主に「自然科学(物理学とか化学といった、いわゆる理系学問)」についての話が中心になります。


科学というのは、要するに手法、方法のことです。Civ4でいうところの科学的手法という奴です。また、科学的手法に則って集められた系統だった知識、それ自体のことでもあります。

ざっくり書くと


1.仮説を立て、
2.誰にでも明らかな根拠(再現可能な実験や観察)を元に、
3.その仮説について適切な方法で考察・推論・検証を行い、
4.根拠(エビデンス)に則ったことが明確な結論を出す。


このプロセスをきちんと回して得られた結論こそ、「科学的に正しい」と言える、という話なわけです(実際には確率的な部分や統計的な部分もあったり色々面倒くさいですが、話がややこしくなるので一旦おいておきます)。

一番重要なところは、


2.誰にでも明らかな根拠(再現可能な実験や観察)を元にしなくてはいけない


という点であって。どんな分野でも、「誰にでも明らかな根拠」を欠いた知識や結論は、科学的に正しいものとはみなされません。

たまに勘違いしている人がいるようなんですが、科学の根幹は飽くまで上記の「フロー、手続き」ですので、それによって得られた知識を絶対の真実と考えたりはしませんし、そこに含まれていないものを「間違い」と言ったりもしません。ある「科学的な正しさ」が後から同じく科学的な手続きによって否定されることは実によくあることですし、まだ「科学的に正しい」と認められていないことでも、それが後から「科学的に正しい」と認められる可能性も否定しません。

ただ、「それは現時点で科学的に検証されている」「それは現時点では科学的に検証されていない」というだけです。


A.じゃあ「科学的に正しいもの」って何?というお話


「科学的に正しいもの」とみなされる為の労力というのはそんなに軽いものではなく、ただ「実験をして結果が出ました」だけではなんの意味もありません。その内容は、きちんと論文にして、いろんな人に査読(論文のチェックや追試)をしてもらって、といった幾つものステップを踏まないと認められないのです。


例えば、だれか一人が「こんな実験やった!こんな結果が出た!」と言っていたとしても、エビデンス(証拠)が明確でなかったり、他の人達が追いかけでその実験をやって再現できなかったとしたら、それは「科学的に正しいもの」とはみなされません。

例えば、何人かの人が「これは体にいい気がする!」と言っていたとしても、きちんとした実験が行われていなかったり、査読された論文が残ったりしていなければ、それは「科学的に正しいもの」とはみなされません。



要するに、「みんながちゃんと試して、検証して、「これは正しい!」って言えるものだけ「正しい」と信じようね」というスタンスが科学の根底であって、そこを外れたものは(その時点では)信用に値しない、というのが科学なのです。


一人の知恵や経験は間違うこともあるけれど、みんなの分析や考察があるなら信用出来る。当たり前のことですよね。

自然科学で言えば実験と検証。人文科学で言えば文献や統計だったりしますが、その辺の話は科学一般すべて共通している筈です。



科学に誠実な人であればある程、「それは正しい」「それは間違っている」という言い切りを行うことに慎重です。なぜかというと、上記の1〜4までが科学の根底となる手続きである以上、


実験が行われて論文になっていないものはそもそも科学とは言えないし、

「正しい」「間違っている」どちらにしても、きちんと実験・検証しないと妥当だということは出来ないし、正しい可能性も、間違っている可能性も否定できないから。


なので、「それは現時点では科学的に検証されたことではない」という言い方しかできない場合が非常に多い、ということなんですね。

「正しい」というのと同じように、「間違っている」ということにもコストがかかります。反証するのも大変ですし、後から反証が覆る可能性だってないとは言えない。だから、「間違っている!」「でたらめだ!」という言葉は発しにくいのです。

それでも、そういったコストを敢えて背負って、妥当でないことに「妥当でない」ときちんという人は、大変尊敬に値すると私は思います。


B.不誠実なのに分かりやすい、という話


科学に不誠実な人は、上記のようなことを気にしません。

何の実験も行われていないのに、数人の「効いた気がする!」という話を元に「体にいい○○食品!!」と謳ってしまったり。

身内の回し読みだけで、信頼出来る査読を経ていないてきとー論文を元に「万能の××菌」などと謳ってしまったり。

場合によっては、本来そういう意味ではない論文の意味を曲解して、「△△が体にいい!!」などと謳ってしまったり。


何が厄介かって、そういう言い切り、断言は何より「分かりやすい」んですね。実験がどうとか査読論文がどうとか、しちめんどーくさい留保がついていない。「体にいい!」「なぜなら○○が××だから!(根拠なし)」おおそうなのか、いいじゃないか、と。


そして、それに反対する人のいうことはなんだかわかりにくい。実験?論文?査読?なんのこと?論文ならあるって言ってるじゃないの、中身まで知らないよ、と。


分かりやすいことは、受け入れられやすいことでもある。わかりにくいことは、受け入れられにくいことでもある。

それ自体は仕方ないことかも知れません。


ただ、我々が覚えておかないといけないことは、

「分かりやすいからと言ってそれが妥当だとは限らない」

ということであり、何かを信用するのであれば、昔からのきちんとした方法論に則ったものを信用した方がいいんじゃないの、ということだと思うんです。

疑似科学という、「分かりやすさ」を盾にいい加減なものでお金儲けをする人たちに騙されない方が、社会がもうちょっと素敵になるんじゃないかと、私は思うのです。



まとめておきます。


・科学というのは別に難しい話ではなく、ざっくりいうと「誰にでも検証可能な根拠に則って話しましょうね」ということです
・いわゆる疑似科学には、その「誰にでも検証可能な根拠」がくっついていない、ないしひじょーにいい加減です
・けど、面倒な留保がついていない分わかりやすいんですよね
・「分かりやすい」からといって頭から信用せず、「それは科学的なものなのか?」ということは、常に気にするべきだと思います


大体上記4点くらいが私の言いたいことになります。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 09:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月15日

デスゲームの運営・開発担当ですが、参加者よりも先に主催者を抹殺したいです


「主任」

「あい」

「今日の分の開発要望書来たんですが…」

「あーあー聞こえなーーーい」

「現実逃避しないでください」

「今日はもう帰って明日以降確認することにしたい」

「まだ午前9時です」

「はあ、しょーがねーな…あいつら何で要件定義書を思いつきだけで適当に作れるのかな…明後日くらいに食中毒で入院しないかな…」

「読みますね。えーと、カテゴリー:プレイヤーに与えられる能力。概要:対戦相手が下した決定を、ゲーム中一度だけ反転させることが出来る」

「どーやって?」

「私に聞かないでください。えーと、推定工数:軽微」

「なんでこっちが見積もりする前に向こうで工数決めてんだよ!!軽微なら自分らで作れや!!!」

「私にキレないで主催に直接キレてください」

「だってあいつら声怖いし…」

「電話にボイスチェンジャーでもつけたらどうですか。えーと、カテゴリー:プレイヤーに与えられる能力。概要:ゲーム中一度だけ、ゲーム内で登場した好きな数字を指定の数字に変えることが出来る」

「なにそのファジーな能力。というかそもそもゲーム内容の仕様って来てたっけ?」

「プレイヤーをどんなパターンで抹殺するかの仕様なら細かいのが色々来てるんですが」

「中学生の黒歴史ノートか」

「えーと、カテゴリー:プレイヤーに与えられる能力。概要:一度だけ、ゲームのルールに好きな文言を一行追加することが出来る」

「あ、アホか…本気でアホかあいつら…なにそれどうやって判定ロジックとか作るの…というか、「自分が勝利する」とか追記されたら一体どうするつもりなの…」

「追加したルールは相手にも公開しなくてはならない。なお、勝利条件に直接関わるような文言は追加できないものとする」

「うわすげえ適当な穴塞ぎだな。それ絶対頭いいプレイヤーに裏かかれてゲームごとぶちこわしにされるヤツ」

「ジャッジのこととか基本考えてないですよね彼ら」

「というか結局会場ってどこになったの?」

「ポリネシアの無人島を現在整備中だそうです」

「ぽ、ポリネシア…何カ月出張しないといけないんだよ…」

「せめて日本海とかにしてもらいたいですよね」

「最低限電車で通勤出来る範囲内でやってもらいたい」


プルルルルルルルル


「はい匿名開発株式会社、開発主任です。ああ、これは主催。どうもお世話になっております」

「いやな予感がする」

「はい?え、20秒先が分かる能力?いやその主催、我々は超能力開発組織ではないんですが」

「やばいいやな予感が的中した」

「いやその、そもそもゲームの仕様がもう少し明確にならないとですね、こちらとしても開発に支障をきたすんですが…」

「支障をきたすきたさないの問題じゃない」

「え、いや、漫画作品のタイトルだけ挙げられましても…主催、世の中には著作権というものが…」

「この仕事やめたい」


-------------------------------------------------------------

「くそ、俺たちに殺し合いをさせる気か!運営のヤツら、必ず叩き潰してやる!!」

「運営は苦労してるんで、運営じゃなくて主催を叩き潰してください…」


posted by しんざき at 19:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月13日

東大総長の式辞に関わる大変美しいブーメランについてのお話


子どもの頃、朝礼で校長先生のお話を聞くのは割と好きでした、というとびっくりされることがあります。

「偉い人のお話」という言葉を、まるで「つまらない話」の代名詞のように扱ってる人、います。

偉い人のお話なんて、子どもは基本的に左耳から右耳に通り抜けるもの、って思われてる人もいるみたいですけども、ちゃんと聞くと結構面白い話、いいこと色々言ってらっしゃるんですよ。勿論、時には退屈なこともありましたが、印象深いお話を毎週毎週よく考えてらっしゃってたなあと、大人になった今になって思います。勿論、学校によって色々なんでしょうが。


さて。


東大の入学式や卒業式の式辞というのは毎年話題になるんですが、これも上記と同じ話で、「偉い人のお話」に類すると思うんですが、きちんと読んでみると、毎年毎年、よくこれだけ力の入った式辞を考えられるなあ、と感心することしきりです。正直、こんなブログ読んでるよりよっぽどい面白いし為になります。

昨年は、平成26年度の教養学部の卒業式の式辞が話題になりました。ちょっとリンクしてみます。


一部を引用するのも気恥ずかしいところではあるのですが、強いて引用してみるとすれば、

私は大河内総長の「痩せたソクラテス」でもなく、濱田総長の「タフでグローバル」でもなく、自分自身が本当に好きな言葉を皆さんに贈って、この式辞を終えたいと思います。
それはドイツの思想家、ニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくる言葉です。

きみは、きみ自身の炎のなかで、自分を焼きつくそうと欲しなくてはならない。きみがまず灰になっていなかったら、どうしてきみは新しくなることができよう!
もちろん、いま私が紹介した言葉が本当にニーチェの『ツァラトゥストゥラ』に出てくるのかどうか、必ず自分の目で確かめることもけっして忘れないように。もしかすると、これは私が仕掛けた最後の冗談なのかもしれません。

辺りの言葉は、非常にユーモラスでもあり、印象深い言葉だったと思います。是非全文を読まれることをお勧めします。


で、先日の東大入学式の式辞も一部で話題になっているようです。


これも、そもそも話のテーマからして、一部引用がお勧め出来るような式辞ではないのですが、全文引用するわけにもいかないので、忸怩たる思いを抑えつつ、話題になっている部分だけ引用します。

ところで、皆さんは毎日、新聞を読みますか? 新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべきです。東京大学ではオンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービスを学生の皆さんに提供しています。ぜひ活用してください。その上で、皆さんにさらにおすすめしたいことがあります。それは、海外メディアの報道にも目を通すことです。日本のメディアの報道との違いに注目してみてください。また、世界の中で日本がどのように見られているかということも意識してみてください。

「新聞読みますか?」という問いかけから始まってはいるものの、主眼となっているのは「記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべき」という部分であって、決して単純に「新聞読みましょう」と言っている訳ではない、ということはわかって頂けると思います。というか、「オンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービス」をお勧めしている時点で、全然「新聞読みましょう」とは言ってないです。むしろ逆方向です。

また、「海外の報道などにも目を通し、違いに注目してみて欲しい」という点では、前述されている「忍耐強く考え続ける力」という点とも合わせ、日本の報道を相対的に見極め、妥当性を検討することを勧める形にもなっていると思います。

で、いみじくも、ヘッドラインだけを読むと力いっぱい誤解しそうな記事があちらこちらで観測できるようになっています。



上記の式辞を、「新聞を読もう」という6文字で要約するという行為の非常にハイパフォーマンスなギャグセンスについては、みなさんお分かり頂けると思います。

まあ、メディアのヘッドライン詐欺は今更の話です。これも、記事の本文を読めばもうちょっと詳細にわかるとは思うんですけどね。

然るに、世の中にはこの部分だけを取り上げて総長の批判をされている方もいらっしゃるようで、

これはちょっとブーメランとして美し過ぎるのではないかと思わないでもないわけです。「ヘッドラインだけじゃなくちゃんと本文も読め」という式辞に対して、ヘッドラインだけの情報で批判するというのは、何かのギャグなのでしょうか。東大批判出来れば、自分の頭に3,4本ブーメラン刺さってもかまわないっていうことなんですかね?美しい特攻魂には感動を禁じえません。

まあ、皆様におかれましては、こんなへんぴなブログ記事であればまだしも、価値ある情報については、きちんと中身まで読まれることを強くお勧めします。

全然関係ないんですが、昨日の記事、記事内で力いっぱい触れているにも関わらず、アイスクライマーはどうなんだとかFF6はどうなんだといわれると、ハイセンスなギャグだなあと思って心温まりますよね。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 12:26 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

「好き」を表明するハードルなんて、低ければ低い程いい

なんというか、「好き」を語るのに、前提知識とか、もろもろの条件とか、そんなもんが求められるのはあんまり好きじゃないなあ、と思うんですよね。「好き」を表明するのはただでさえ勇気がいることなんだから、ハードルは可能な限り低くあって欲しい。凄く気軽に「○○が好き!」と言える世界であって欲しい。


Twitterで、こんなことを書きました。

このTweet自体は、「自称○○好きに限って、実際は大してそれを摂取していない」という批判ツイートをみてツイートしたものです。


元ツイート自体はここでは引用しませんが、多分、「あるジャンルに対する半可通」に対する批判に近い文脈だと思うんです。「SF小説好き」というなら、せめて××くらいは読んでおけよ、とか。「本屋好き」というなら、何故もっと本屋に行かないんだ、とか。そういうことを言いたくなる気分も、心情として理解出来なくはないんです。


それを踏まえた上で。


私は、その対象がジャンルであれ作品名であれ何であれ、そしてその「好き」がどんなに中途半端な内容であれ、「好き」と表明することを全肯定します。「好き」と表明する為のコストは、可能な限り低くあるべきだと考えます。



何故なら、「○○が好き」というのはゴールではなく、スタートだから。



例えば「SF小説」というジャンルであれば、「あ、これ、好きだなあ」とおもったその時から、そのジャンルに対する世界は広がっていくものだから。そして、それは自分だけではなく、それを見た他の人へも伝播していくものだから。


ジャンルの裾野っていうのは、そうやって広がっていくものでしょう。誰かが、どんなに僅かな知識であろうと、「これ好き」といったところから、その人も、他の人も、さらにそのジャンルについて知っていく。そこからもっと詳しくなっていく。

要は、「好き」は出口ではなく、入口なんです。


入口は入りやすい方がいい。入りやすければはいりやすい程、そのジャンルは栄えます。


そこを、元からそのジャンルが好きな人が、「おいおい、その程度で「好き」とか言ってんのか?」と絡んでいたら、その入口、どうなりますか。もしかしたらその「好き」を見て、そのジャンルに入ってくれていたかも知れないそれ以外の大勢の人まで、軒並み排斥することになりませんか。


そういう意味では、私は、「中途半端な知識で語る」という、いわゆる半可通ですら、一義的に否定されるべきではないと思います。

明らかに誤った知識を広めていたらそりゃ指摘した方がいいかも知れないですが、そこに純粋な「好き」があるなら、「その程度の知識で語るな」という批判は慎重であって然るべきでしょう。そういう批判を投げかけたくなったら、もっと精密な内容を自分が語ればいい。それを見て、更に他の人がそのジャンルに入りたくなったら、そりゃもう万々歳じゃないですか。


「好き」を表明することというのは、自分をさらけ出す行為でもあり、ある意味ではハイリスクですらあります。注目を引くだけなら、どちらかというと「これ嫌い」を表明した方が楽に注目を稼ぐことが出来る。ローリターンハイリスク。


けど、だからこそ、「○○が好き!」ということくらい、何も考えずに表明できる世界であって欲しいんですよね。


だから私は、「「好き」を表明するのに、一切の前提知識も条件も要らない」と強く主張したいです。


どんなに中途半端な「好き」であっても、そこからそれに続く何かが始まることを。世の中の色んなジャンルが、色んな「好き」によって栄えることを、強く祈念しております。



以下は関連エントリー。



posted by しんざき at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

30年のゲーム人生の中で、最大のショックを受けた「あの時」のことについて


「あの時」のことを語っている人がいないか、ちょっとWebを探してみたんですが、意外と少ないようです。

一人のプレイヤーとして、ちょっと当時の自分の記憶を書き出しておきたいと思います。長文ですのでお暇な時にでも。



ゲーメスト、という雑誌があります。

種々雑多、様々あるゲーム雑誌の中でも極めて希少だった、「アーケードゲーム専門誌」。ゲーセンの様々なゲームについて、紹介、攻略、考察、ネタと、あらゆる切り口での記事が載っていた雑誌。1999年の新声社の倒産により廃刊となり、後継のアルカディアも不定期発行となってから、もう一年余りが経ちました。

昔こんな記事を書きました。良かったらご一読ください。


そんなゲーメストには、ハイスコア集計のページがありました。


様々なアーケードタイトルのスコアラーがたたき出したハイスコアを、全国津々浦々の店舗対抗で集計するシステム。店舗別の全一を残したスコアには「星」というものが支給され、星をたくさん持っているゲーセン(=凄腕スコアラーがたくさんそろっているゲーセン)はスコアラーの聖地になったりしていました。当時、全国規模でのアーケードゲームのハイスコア集計をしていたのは、ゲーメストとベーマガの二誌だけだった筈です。


まだ中高生だった私は、ゲーメストのハイスコアコーナーを読んでは、「スコアラー」という人種へのあこがれを高めていました。星をたくさん持っているゲーセンにわざわざ遠征して、スコアラーの超絶プレイを垣間見たりもしていました。「ワンコインクリア」というものを青息吐息の目標としていた自分とは、まったく別の次元でゲームを遊んでいるプレイヤーたち。自分でも遊んだことのあるゲームタイトルで、「え?これどうやったの?」というスコアを平然と誌上に掲載しているプレイヤーたち。


私は、人生で一度だけ、とあるタイトルで、彼らの世界に割り込もうと血道を挙げたことがあります。


そのゲームの名前は、「ダライアス外伝」といいました。


ダライアス外伝が発売されてすぐ、そのすさまじい完成度に魅了され切った私は、すぐに「これはただワンコインクリア狙ってるだけじゃ勿体ないぞ」と思いました。ダライアス外伝の面白さは、ただ「ボスを倒す」だけで満足していたそれまでの自分を、どこか違う領域に引きずり込んでいくような魅力をもっていました。

初回プレイであっさりワンコインクリアできた「ファイアーバレル(低難易度シューとして有名)」を除けば、自分としては記録的な速さでワンコインクリアを達成出来た私は、すぐに「スコア狙い」のプレイに足を踏み入れていきました。ボスのパーツ破壊のパターンを研究しました。復活砲台の稼ぎ方を研究しました。最初の内、同じ店の見知らぬ誰かとスコア争いをしていただけの私でしたが、やがてこう考えるようになりました。



全国一を、とれないもんかな。



大それた思いつきだったと思います。それでも、このゲームなら、もしかすると遠い世界に分け入っていけるかも知れない。単なるクリアラー(クリアするだけで満足してしまう人)だった私にそう思わせるだけの力が、ダライアス外伝にはあったのです。

当時のハイスコア集計において、ダライアス外伝は、最終ゾーン別にハイスコアが集計されていました。私はそんな中でも、初回の集計時点で激戦区になっているゾーンは避け、比較的スコアラーがやり込んでいないゾーンを狙うことにしました。あちらこちらの有名ゲーセンをめぐり、時にはスコアラーのプレイをチラ見し、どのゾーンでどんなスコアが出ているかを探りつつ、ひたすらにスコア狙いを追及しました。当時ゴーストライターのアルバイトをしていたのですが、そこで得た収入はすべてダラ外につぎ込みました。当時は本当に、一日の中でダライアス外伝に触れていない時間がごく僅かだったと思います。



結果だけいうと、この努力は一度だけ実を結びました。ハイスコア集計の初期の段階のどさくさで、私はとあるゾーンで、一度だけ全国一のスコアをとることが出来たのです。ゲーセンのオヤジに登録してもらったそのスコアには、全一の証拠である「★」が、私にとっては燦然と輝いていました。私が通っていたそのゲーセンは、全国ではほぼ無名のゲーセンで、私がとったその★が、多分歴代で3つか4つ目くらいの★だったと思います。


そう、たった一度だけ。私にとってはゲーマー人生のすべてを賭けていたに等しいそのスコアは、翌月には遥かトップ集団からおいていかれるだけのスコアになっていました。一度だけの全一に満足してしまった面もあったと思いますが、それ以降、私のスコアは全国一にかすりもしなくなりました。



そんな中、「あの時」がきました。



とあるバグによる、無敵技の発覚。

早ければCゾーンで無敵になれてしまうそのバグは、何の前触れもなく、唐突にダラ外プレイヤーの間で発見されました。そして、即ハイスコアには結びつかないものの、「無敵バグ」という存在と、「バグを利用したスコアかどうか、判断する手段が基本的には無い」という事実は、ハイスコア集計においては影響がでか過ぎました。

そして、ゲーメストには、「盛り上がっているところ大変残念ですが、ダライアス外伝のハイスコア集計は今月までとします」というテキストが掲載されることになりました。


最初に見た時は、そこまでの驚きでもなかった、と思うんです。

上記した通り、私がハイスコアに絡んでいたのはごくごく初期の一回切りで、それ以降は全国レベルのスコアに全くついていけなくなっていました。無敵バグの影響でスコア集計が打ち切られたからといって、私にとって直接の影響はありません。スコア集計打ち切り自体も、例えば永パの発覚とか、カンストの達成とか、そこまで珍しいものでもありませんでした。



記事を読んで少ししてから、腹の底から、何かわけのわからない感情が浮かび上がってきました。それ程衝撃を受けたつもりでもないのに、いつまで経っても、ハイスコア集計のページを閉じることが出来ませんでした。私は、自室の床に座り込んで、ゲーメストのハイスコア集計のページを見つめながら、いつまでも訳のわからない感情と戦っていました。


それは、悔しさ、だったかも知れません。憤り、だったかも知れません。無念さ、だったかも知れません。諦め、だったかも知れません。とにかく私は、自分が最も好きである「ダライアス外伝」というタイトルのハイスコアが、もうゲーメストで集計されないのだ、というその単純な事実に、それまでのゲーム人生でも一度もなかったショックを受けたのです。


今から思うと、私は単純に、もうスコアラーたちの神業をハイスコア集計コーナーで追いかけることが出来ないのだ、ということが、ただひたすらに残念だったのだと思います。自分でも、たった一度は手をかけることが出来たステージが、失われてしまうことが悔しかったのだと思います。

それでも、時にはスコア欄にダライアス外伝のスコアが載ることはあったのですが、それに★がつくことはもうありませんでした。



あれから、大体20年くらいが経ちました。随分長い時間だったと思います。


「あの時」受けたショックは、今でも、私の30年くらいのゲーマー生活の中で、最大のものであり続けています。あれ以来、私がゲームで頂点を目指そうとすることは無くなってしまいましたが、それでもダライアス外伝のたった一度のハイスコアは、私の中で大切な財産のままです。


当時、ハイスコア欄で見かけた数々の名前たちの中には、今でもゲームを続け、ゲームにかかわり続けている人もいれば、もうとっくにゲームに触ることはなくなってしまった、という人もいるだろうけれど。

それでも、「ハイスコア」という一つの価値を追い求めて、互いに凌ぎを削ったあの経験は、本当に貴重なものだったなあ、と。「あの時」のことがあろうがなかろうが、それだけは、何年経っても変わらないのだと。


そんなことを思ったのです。

posted by しんざき at 19:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」と旧作の最大の違いと、そこから読み取れるもの


3/13に、長男8歳のリクエストで、一家で「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」を観てきました。

結論として、「新・のび太の日本誕生」は面白かったですし、リメイクものとして見ても丁寧に作られている良作だったと思います。

ただ、何点か、旧作の「日本誕生」と大きめな差分があるなあと思いまして、ちょっとそれについて分析してみたくなりました。


下記、「日本誕生」自体は27年前の作品とはいえ、現在上映中の映画についてのネタバレですので折りたたみます。特に、「のび太の日本誕生」を旧作・新作いずれも観ていない、読んでいないという方、あるいは新・日本誕生の視聴予定がある方には、下記文章を読むことをお勧めしません。

今、旧「日本誕生」がkindleで期間限定無料で試し読み出来るようなので、最低でもそちらを先に読まれることを強く推奨します。




続きを読む
posted by しんざき at 11:50 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

ケーナを始めた頃の話、あるいは人生いつ何をすることになるのかわからないという話


ちょっと昔話をします。


大学に入ってすぐ、フォルクローレという音楽を演奏するサークルに入って、ケーナを吹き始めました。


実際のところ、私の楽器経験はその時点で皆無に等しく、楽器に対する親和性も高いとは全く言えませんでした。小学校のごく一時期を除くと、私が唯一触っていた楽器は小さなハーモニカで、その理由は「ハーモニカを隣の家のポチに向かって吹くと遠吠えを始めて面白い」というだけの話でした。

ハーモニカの演奏技術は「吹いたり吸ったりすると何か音が出る」という段階でした。小学校の授業でやったリコーダーも鍵盤ハーモニカも、中学に入る頃にはさっぱり忘れていました。鍵盤ハーモニカについては「あ、これがドだっけ?」というレベルでの認識は一応ありますが、リコーダーの穴をどう押さえればドが出るのかについては、今でも思い出せません。

楽譜の読み方に至っては、「えーと、この左の方のにょろっとした記号にはどんな意味があるんだ?」というレベル。これについては、一応18年音楽をやってきた今でもあんまり変わりません。


当時の私を知っている人は、私がケーナを始めたことを知って、一様に驚きました。「え、お前が楽器とかやんの?」という反応だったと思います。ニュアンス的には、「え、ジャワ原人が火とか使えんの?」という疑問と同じレイヤーでした。まったく同感です。


私は一時期長距離走をやっていて、高校の時には色々部活の掛け持ち(囲碁将棋部でモノポリーをしたりであるとか)をしていましたが、基本的には体育会系の人間のつもりでした。大学では、スポーツ青年としての立ち位置を確固たるものにする為、バスケか何かを始めるつもりでした。


そんな私がケーナを始めたのはなぜかというと、これがまた全くの偶然でした。


大学に入っての4月、サークルオリエンテーションというものが盛んにおこなわれていました。要は、各サークルの新入生の勧誘競争です。


件のフォルクローレ演奏サークルは、大学の並木道に陣取って、街頭演奏をしていました。私は、何か他のサークルの説明の列に並んだ時に、たまたまそのサークルの演奏の目の前に位置することになって、ほへーと眺めていました。


後になって分かったことですが、その時演奏されていた曲は、CUANDO FLOREZCA EL CHUNO(チューニョの花が咲く頃に)という曲でした。この曲は、私が初めてスペイン語の歌詞を覚えた曲でもあります。



単に「なんか知らんが変わった楽器ばっかだなあ」という程度の認識で見物していると、ビラを配っていた先輩が唐突に前ダッシュしてきまして、私に声をかけてきました。

「おーー!なんや興味ある!興味あるか!君はどんなサークル入りたいんや!」
「(興味あるとい訳ではなかったんだが)バスケをやろうかなーと」
「おお、そうかそうか!それは民族音楽向いてるな!!高校の時は何かやっとったんか!」
「長距離走やってました」
おお、それはケーナに向いてる!ケーナがいいな!君は!どう見てもケーナ向きや!」

この物凄いごり押し具合にはある意味感服しました。後にわかることですが、この先輩は、学園祭での民芸品販売で過去数年間の売り上げ合計を余裕で凌ぐ売り上げを挙げるという、途轍もない商才の持ち主でした。


で、その先輩に敬意を表す意味でサークル説明の部屋に立ち寄ったところ、ぼーっと受付席に座っていた女性の最初の一言が


「え?何か用?」


すごい。物凄い落差。落差のジェットコースター。テーブルマウンテンの崖かよ、と言わんばかりの凄まじいまでのテンションの差でした。ちなみに、後にわかることですが、この女性の先輩は、サークルでも最強の部類ののんびり屋さんでした。


「流石に大学のサークルにもなると、こちらの意表をつく新入生勧誘をしてくるもんだなあ」とよくわからない感銘を受けた私は、その場のノリだけで当該サークルへの入会を決めたわけです。1998年の春でした。



それから18年が経ちました。



全く主体的でない理由で始めたケーナは、今、私の人生の数パーセントを占有し、確実に人生の中で無くてはならない存在になっています。同期の中には、今でも演奏を続けている人もいれば、演奏活動から足を洗ってしまった人もいますが、ケーナのみを得物にして、ケーナ吹きとして活動を続けているのは、今では私一人です。


人生、どこで出会ったものが、どう続くものかわからんなあ、と。最近つくづくそう感じるようになりました。


今までなんの興味もなかったものが、ある日突然生活の中心になるかも知れない。今までなんの接点もなかったものが、ある日突然数十年にわたって付き合うものになるかも知れない。


一期一会という言葉とはちょっと意味が違いますが、そう考えると、なかなかおいそれと「出会い」を軽くは扱えないなあ、と思う次第なのです。


ネットのどこかで、皆さまとこの文章が出会ったとしたら、それはそれで何かの縁だと思います。今後ともよろしくお願いします。



posted by しんざき at 11:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

火ノ丸相撲は何故想像を絶する程面白いのか


とにかく火ノ丸相撲が面白いのです。



火ノ丸相撲は、週刊少年ジャンプで連載中の高校相撲漫画です。主人公の「潮火ノ丸」は、小柄な体躯でありながら極限まで体を鍛え上げ、体格のハンデをものともしない王道の相撲をとる。そんな彼が入部した、部員一名の弱小部、大太刀高校相撲部。そんな火ノ丸と、大太刀高校相撲部の活躍が描かれる漫画です。


正直申し上げまして、当初連載が開始した時は、「高校相撲の漫画かー、うっちゃれ五所瓦みたいな感じかなー。またニッチなところ来たなー」と思っていました。ニッチ狙いの短期連載なのかな、長期はちょっと難しいかもなあ、などと思ってしまっていました。

否。千遍否。私の見る目の無さをここまで痛感したことはありません。


恐らく火ノ丸相撲は、2年くらい前から現在に至るまで、今のジャンプの全漫画の中で最も「少年漫画としての王道」を行っている少年漫画です。超熱いし超面白い。


このエントリーでは、火ノ丸相撲の面白いと思う要素について列挙しまして、それら一つ一つについて説明していきたいと思います。みなさんには単行本の購入を強くお勧め致します。

私が考える、火ノ丸相撲の特に面白いと思う要素は以下の二つです。


・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい
・主人公やその周辺、及びライバルのキャラクター達に好感が抱きやすい
・相撲の描写の迫力がとにかく凄い
・主人公が突き当たる壁のリアリティが非常に高く、それを乗り越える為の鍛錬やパワーアップに納得感がある
・普通の相撲の描写と、いわゆる「必殺技」の描写のバランスがいい



この中でも特に、

・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい
・主人公、及びライバルのキャラクターに好感が抱きやすい

の二点について記載してみたいと思います。


・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい


特に格闘系、スポーツ系の少年漫画について、私は二つのキーワードで、その面白さの7割くらいを説明出来るんじゃないかと思っています。


私は随分前から、そのキーワードを「「まさか」の爽快感」と「「さすが」の爽快感」と呼んでいます。


「まさか」の爽快感というのは、要するに逆転が起きた時の爽快感、気持ちよさです。周囲から見くびられていた主人公や仲間たちが、強豪相手に大金星を挙げた時の爽快感。大ピンチに陥った主人公チームが、追い詰められた状況から大逆転した時の爽快感。これは、勝負ごとがメインとなっているあらゆる少年漫画で重要な気持ちよさだと思います。「まさか」の爽快感を演出するのが上手い漫画は、それだけで名作といってしまってもいいくらい読んでいて爽快感があります。


「さすが」の爽快感というのは、要するに「強い主人公・強い味方が期待通りの活躍をする」ということによる満足感です。読者が感情移入している味方側のキャラクターが、期待通りの活躍をする。圧倒的な力で強敵をねじふせる。ジョーカー的な味方キャラがものすごい描写と共に敵を一掃する。こちらの爽快感、気持ちよさも、少年漫画において重要なファクターの一つです。

昔の記事でもこの辺のところは書きました。お時間ある方は下記記事でも読んでみてください。


火ノ丸相撲は、上記「まさか」と「さすが」の配分が絶妙である上、お話の構造上、全く無理なく「まさか」と「さすが」がバランシング出来るようにできています。


この漫画の主人公である潮火ノ丸は、「かつては『国宝級・鬼丸国綱』とまで称されたが、体格に恵まれなかった為中学時代は無名だった」「中学の3年間徹底的に体を鍛え上げ、真っ向勝負を是とする相撲で高校横綱を目指す」という設定の持ち主です。まさに、「小兵がでかいヤツを、真っ向勝負でねじ伏せる」というのが火ノ丸相撲のテーマです。


「圧倒的強さを持っていても不思議ではない経歴・研鑽」と「相撲という競技において致命的とも言えるハンデ」が、お話の中核として最初から同居している。これはつまり、火ノ丸が強豪と戦うだけで、「突きつけられたハンデを打ち砕く」という「まさかの爽快感」と、「強豪である火ノ丸が活躍する」という「さすがの爽快感」が、ごく自然に演出されるということを意味します。

しかも、体格というハンデは基本的に解消されることがないものなので、今後火ノ丸がいくら鍛錬を重ねてパワーアップしても、話の構造上はずっと「小柄という体格故の大ピンチ」と「それに対しての大逆転」が不可分となります。そして、相撲という「無差別級の力と力のぶつかり合いであり、つく時には一瞬で勝負がつく」という、それこそ全く読者を油断させない題材。


これらが、少年漫画のストーリーの作り上本当に絶妙過ぎる要素だと思うんですね。


格闘もの少年漫画の基本が、「友情(仲間集め)、努力(パワーアップ)、勝利」であることは今更いう間でもないと思いますが、上記爽快感のバランスと合わせて、火ノ丸相撲のテーマはこれに完璧に合致しています。そして、それを相撲シーンの凄まじい描写力が強力にサポートする。


後述しますが、主人公である火ノ丸が非常に好感が持てるキャラクターであることもあり、読者はごく自然に火ノ丸に感情移入することが出来ます。火ノ丸が臨む試合も、ある時は圧倒的な力で相手をねじ伏せて周囲を瞠目させ、ある時は大ピンチの連続から大逆転を決める、熱い試合揃い。火ノ丸が数々の相撲に挑み、時には勝利し、時には敗北するだけでも、読者は少年漫画の醍醐味を存分に味わうことが出来る、ということです。


まずは、この「二つの爽快感のバランス」を、火ノ丸相撲という漫画の中核部分だと言ってしまいたいと思います。



・主人公、及びライバルのキャラクターに好感が抱きやすい


当然、少年漫画を彩るのは様々なキャラクター達なのですが、「火ノ丸相撲」においては、火ノ丸の周囲の人々、火ノ丸の前に立ちふさがる人々、火ノ丸に期待する人々を含め、実にいい味出しているキャラクターが満載です。

勿論、その筆頭は主人公の潮火ノ丸です。非常に相撲にひたむきで、時には強烈な殺気を放ち、時には泥臭く負の感情をあらわにすることもあるが、基本的には真面目な好青年(ちょっと機械に疎い)。

大きなハンデを抱えながらも相撲に打ち込む、という設定の関係もあるとは思うのですが、彼は普段実に前向きで真摯です。しかし一方、勝利への執着というのはとても大きく、それが試合の描写に現れることもしばしばあります。


序盤の試合で特に印象的なのは、「三日月宗近」と称される、国宝・沙田との一戦です。


中学時代敵がなかった沙田は、地区予選決勝トーナメントで相対することになった火ノ丸との相撲で、初めて味わう緊張感を楽しみます。その顔には笑みすら浮かび、火ノ丸も同じように勝負を楽しんでいるだろうと思った瞬間、


何を笑っていやがる


勝負の中での心の交流を、凄まじい殺気のこもった表情でガン拒否する火ノ丸。笑うのは勝って土俵を下りてから。普通の少年漫画であれば、お互いに勝負を楽しむライバル同士の描写も一つの王道である訳ですが、それを切って捨てる描写もこの漫画の重要な味わいの一つだと思います。


あと、この漫画って「イヤなヤツ」があまりレギュラーとして登場しないんですね。たまに出てくるイヤなヤツや軽薄なヤツは大概すぐ退場する連中ばかりで、レギュラーキャラは大概根がまっすぐな、好感が持てるキャラクターばかりです。人によっては(キャラクター的な)毒の薄さを物足りなく感じるかも知れないですが、スポーツ漫画として読んでいて気持ちいいのは重要なところだと思います。

例えば、当初はおどおどしたところが目につくばかりだったけれど、徐々に、徐々に相撲部部長としての自覚を持ち、端々で強者の風格を漂わせ始めた小関部長(最新話ではまたなんかエラいことになってますが)。

例えば、当初は典型的な「更正した悪役チンピラキャラクター」として出発しながら、様々なエピソードを経て相撲部になくてはならない存在として成長していく五條佑真。

例えば、空気が読めない設定ではあるものの、格闘技に対する真摯さは火ノ丸と通ずるものがあり、強敵とも伍する存在になる國崎千比路。

例えば、火ノ丸にあこがれ、自分も真っ向勝負の相撲をとりたいと目指しながら、勝利の為にそれすら捨てる覚悟をした三ツ橋 蛍。

例えば、相撲に対する真摯さでは火ノ丸たちにひけをとらず、軍師的な立ち位置を明確にしながら、一般常識については残念メガネ以外の何物でもない辻桐仁。

みんな、それぞれ「キャラクターが立った」連中揃いで、生き生きとしていることこの上ありません。

その他周囲の面々もみんなそれぞれ味のある連中ばかりなのですが、ここ最近では火ノ丸に目を賭けてくれる柴木山親方がお気に入り。天王寺咲さんの登場も併せて、柴木山部屋編は実に楽しいエピソードだったと思います。



と、いうことで。

他にも火ノ丸相撲の面白さ要素は山のようにあるとは思うのですが、長くなってきたので今回はこの辺で締めたいと思います。

未読の方には是非ご一読をお勧め致します。面白いですよ、火ノ丸相撲。





今日はこの辺で。

posted by しんざき at 20:02 | Comment(10) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

おしっこの飛沫は本当に天井まで届くのか問題(注:疑問止まり)


今から排尿に関する話をします。汚い話で恐縮です。(ブログにおける防御線の例)

先に断っておきますが、現状これは単なる私の疑問提示でして、適切な実験・実証等をまだ実施出来ていません。具体的な実験・実証例をご存知の方は情報を頂けると幸いです。
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posted by しんざき at 18:05 | Comment(5) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする