2016年01月02日

しんざきが全力でお勧めする漫画23選・後編

どうもしんざきです。

引き続き、お勧め漫画23冊の紹介を続けます。世界中どこにも需要がなかったとしても、書き上げねばならない時がある…!!

以下、一応ネタバレはなるべく避けて、その漫画のおすすめどころを挙げていく形態をとります。粗筋程度には触れるかも知れません。



○エリア88 十一巻

十一冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十一巻です。

閑話休題が終わり、いよいよ物語がゴールを見据えて動き出す巻、と言っていいでしょう。

エリア88から3年を経て除隊するカール・ベンディッツのエピソードを一つ挟んで、いよいよ神崎の陰謀が本格的に動き始めます。「プロジェクト4」が始動するのです。

この後、劇終までシンやエリア88の仇敵となり続けるプロジェクト4。武器商人たちを一か所に集めた神崎の狙いとは。

その傍ら、キムのキャラクターがこの巻辺りからさらに掘り下げられ始めます。「ヒバリの巣」のエピソードを起点に、意外と人好きのする面もあるグエンの動きもこの巻の見どころ。そして、11巻の終盤には、ゲイリー・マックバーンをはじめとする、プロジェクト4の精鋭パイロットたちが姿を見せ始めます。エリア88の、「空戦漫画」としての真骨頂がここから始まります。

「「くそくらえ」と返信しておきましたがね…」「いいぞ…最高だ!!」



○エリア88 十二巻

十二冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十二巻です。

ゲイリー率いるプロジェクト4空戦隊と、エリア88との戦いが始まります。ミッキー・サイモンとゲイリー・マックバーンが旧知の中であり、思わぬ再会が描かれるのもこの巻のハイライト。また、前巻で対空地雷の為に墜落しながらも生きていたグエンが、頑張って徒歩でエリア88に帰還しようとするエピソードもなかなかいい味出してます。88メンバーに「死んだんじゃなかったのか?」と言われまくるグエン、意外と馴染んでます。

今まで、基本的には「政府軍と反政府軍」の戦いだったエリア88ですが、この巻からぼちぼち、「それ以外の勢力」が様々に話に絡み始めます。次巻以降始まる、「戦争を伴った国際関係を描写するエリア88」の端緒ともいえるでしょう。

砂嵐にまかれて離着陸ができないエリア88に、マッキンレーがどうにか帰還しようとするエピソードもお気に入り。コミカルなところはとことんコミカルな辺りに、傭兵集団の図太さがよく表れています。

「そりゃ…どうも…。信用してもらう為に生きてる訳じゃない…生き残ってるから信用がついて回るだけだ」
「じゃあな…死ぬなよ!予定が狂う」



○エリア88 十三巻

十三冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十三巻です。

プロジェクト4との熾烈な空戦から十三巻は始まります。今までも様々なピンチ、様々な被害を経験してきたエリア88ですが、「空戦の腕前としても88と同等」という集団がきちんと描写されたのは、実は劇中ここが初めてになります。

「セイレーン」ことセラが一時的に88の捕虜になるのですが、見張り番を仰せつかったキムと喧々諤々の言い争いになるシーンがこの巻の見どころ。以降、この二人はある意味姉弟のような感じで、味のあるコンビをしばしば組むことになります。毅然としたセラに思わず涙してしまうラウンデル少佐かわいい。

一方、この巻の後半で、政府軍の戦争の行方は大きく、大きく動き始めます。プロジェクト4と神崎が加担した反政府軍は、一気にアスランへと押し寄せます。追い詰められたザク国王と、エリア88の命運は。

「片方のエンジンが死にかかった猫より、腹ペコのライオンの方が有利だろうが!」


○エリア88 十四巻

十四冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十四巻です。

アスランの陥落により、外人部隊としてのエリア88は存亡の危機に陥ります。外人傭兵という立場としては圧倒的不利になったにも関わらず、88に残った一部の88メンバーと、サキとのきずなが描かれるのが作品全体を通じても上位の、大きな今巻のハイライト。

一方、シンにとっては、この巻が重大な転機になります。間もなくプロジェクト4の総攻撃が始まる、というタイミングで、「ザク国王を連れてフランスに飛べ」と命じられたシン。複雑な心境を抱えつつパリへ飛んだシンは、そこでフランス空軍のローラン・ボッシュ氏と出会い、次巻以降の重大な展開が幕を開けます。中盤の佳境ともいえる、アフリカ編が始まるのです。

ボッシュ氏と飛ぶことになり、フランス空軍のメンバーに実力を見せつけるシン、という場面も、この巻の名場面の一つでしょう。「さすが」のカタルシスに該当すると思います。

「おれがくたばるのを見るのはいいが、見物料は高くつくことになる…お前らの命で払ってもらうぞ!」「覚悟のうえだ!」「そうだな…」「妥当な線だ!」



○エリア88 十五巻

十五冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十五巻です。

ついに、エリア88への総攻撃が始まります。雲霞のごとき戦闘機の大部隊を前に、エリア88のメンバーは、決死の脱出を兼ねた最後の総攻撃を行います。そんな中、サキとラウンデルが彼らに与えた指示の内容とは。

一方、パリに場面を移した物語は、平和になじむことのできないシンを描きだします。南アフリカでの作戦に誘われ、ボッシュ氏に連絡をとるシンがであったのは、エラー・ニップル・マップ・スラッシュの4人の傭兵部隊。彼らとともにバンバラに飛ぶことになる
シン。「エリア88の生き残り」というだけで即座に戦闘能力の高さを信用される、88の名声というものも「さすがのカタルシス」表現に一役買っています。

ここから始まるアフリカ編は、空戦描写こそ薄くなるんですが、しんざき的にはエリア88の中でも特にお気に入りなエピソード群の一つです。一方、プロジェクト4の陰謀も、更に一段階歩を進めることになります。


「おれが思うに、パンドラの犯した罪でもっとも重いのは…一番最後に希望をだしてしまったということだ」


○エリア88 十六巻

十六冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十六巻です。

この巻では、話のメインが完全にアフリカ編に移ります。

傭兵たちとともに、当初大統領を警護し、仕組まれたクーデターのタイミングで彼らを脱出させようとするシン達。一方、当初は「仕組まれたクーデター」を演出する筈が、密かに計画を変えるボッシュ。大統領たちとともに、どうやってボッシュの手から脱出するか?ここでのシン達の行動と判断は、間違いなくエリア88中盤の山場です。それぞれの特殊能力を生かして、バンバラから脱出しようとするシンたち傭兵部隊の運命は如何に。

一方の新88は、古いメンバーを失いつつ新しいメンバーも加え、静かにプロジェクト4への反撃を始めます。苦しい台所事情の中、どうにかこうにかやりくりを続けるサキの心労がしのばれる巻でもあります。サキさんマジ苦労人。

「男の尊厳か…そんなの…もってると…」「重くて…疲れ…る…ぜ…」


○エリア88 十七巻

十七冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十七巻です。

この巻では、アフリカ編が一つの決着を見ます。「たった一人で千人を相手に出来る男」ボッシュとシンの戦い。熾烈を極める追跡戦と、次々に倒れる傭兵たち。88と同等かそれ以上にギリギリの戦いの末に、シンが手にした結末とは。

個人的には、この巻の主役はどう考えてもマップだと思います。メルセデス・ベンツの特殊車両「ウニモグ」を駆り、ボッシュも驚愕するほどの山岳突破を見せるマップ。シンをして「まるで戦闘機で急上昇しているみたいだ」と言わしめるその運転技術は、車漫画としても一見の価値があります。

さりげなく今後いろいろ苦労しそうなエラーに幸あれ。

一方、88側の話も動き始めます。プロジェクト4によるスエズ侵攻計画に、ブラシア空軍の救出計画。苦しい台所事情の88ですが、反撃開始です。ラウンデルと二人、頑張って88をやりくりするサキが引き続き苦労人過ぎて泣けます。

「全機装弾完了!いつでも散歩にでられます!」「30ミリ砲かついで散歩もないもんだが…」


○エリア88 十八巻

十八冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十八巻です。

ブラシあ空軍を救って、プロジェクト4に一矢を報いた88ですが、その後手痛い反撃を受けることにもなります。苦しい台所事情に致命傷を受けた88に、向けられた助け舟とは。

そして、ここにきてついにシンが日本に帰国し、物語は新たな展開を迎えます。海音寺八兵衛を中心として、日本で登場する様々な重要人物。そして、シンをあきらめかけていた涼子とシンの運命が、ついに再び交錯します。このあたりの描写は、「逆転のカタルシス」に近いものがあると思います。

「さすがのカタルシス」から、追い詰められた状況からの逆転を予感させる「まさかのカタルシス」への転換。ここから、物語は「終盤」に向かって大きくかじ取りしていくことになります。

細かい話なんですが、プロジェクト4のスエズ侵攻作戦に絡んで、この巻では「エジプト」という国名が出ているのですが、後になってスエズは「タンドリア」の領土ということになってます。やっぱり実際の国名はいろいろまずかったんでしょうか。

「艦番は88!エリア88がこの艦の名前だ!!」


○エリア88 十九巻

十九冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十九巻です。

エリア88、プロジェクト4、海音寺老から公安、ブラシアやシンに至るまで、様々な勢力が独自の考えで行動をはじめ、長い物語はいよいよ決着に向かって動き始めます。本格的なプロジェクト4との総力戦を前に、準備を整えようとする88とサキ達。束の間の平和を味わうシンと涼子。一方、心情的にはシンに味方しつつも、国際的な世情を考えると冷徹にならざるを得ない海音寺老。彼の述懐には一読の価値があります。

一方、なんだかんだいって戦闘機に乗ってると嬉しいミッキーたち88のメンバーのやり取りもなかなかの見どころ。キムセラコンビも継続中です。

「ウォーレン、久々の実弾演習だ、しっかりやんな!!」「へーへー、腰抜かさんよーにがんばります」


○エリア88 二十巻

二十冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の二十巻です。

意外なことに、このあたりから「出産」というものが、一つのテーマとして顔をだし始めます。愛と出産という言葉が、最終巻ではより重い意味をもって戻ってきます。

一方、88側では、十巻くらいぶりに「旧エリア88」が物語に再登場します。サキやミッキーたちの古巣である、壊滅後のエリア88。そこを偵察にきたキムセラコンビが目撃したものとは。若干ホラーっぽい展開が楽しめる巻です。夜間に88の様子を見に行くところなんてちょっとゾクゾクしちゃいますね。一方、「お化けが出るんだもん」のセラは可愛い。

「サキがもっとも信頼する七人」という言葉が初めて出てくるのもこの巻です。

そして、束の間の平和を満喫していたシンに、まさかの連絡が入ります。シンと、物語の中核をなす過去の事実を話し合おうとする旧知の人物とは。このことをきっかけに、いよいよシンも、物語最終盤に関わっていくことになります。そして神崎は、ついに自らアスランに入り、ゲイリー・マックバーンに命じてスエズ侵攻作戦を開始しようとします。

「枯木も山のにぎわいというだろうが!!このテの基地には、幽霊の10人や20人、アクセサリーだとおもえ!!」「メチャクチャいう人やな」


○エリア88 二十一巻、二十二巻、二十三巻

十把一絡げ、という訳ではありません。21巻から先、エリア88という漫画は疾風怒濤の展開となり、粗筋を少し書いただけでも読者の楽しみを奪ってしまうと判断出来るのです。

ただ、エリア88とプロジェクト4の最終決着、そしてシンと神崎の最終決着については、どこをめくっても山場でないシーンはない、と言ってしまっていいでしょう。ゲイリー・神崎のコンビも結構息があったいい味コンビである他、それぞれの因縁、生と死、親と子、国と国の問題についても、それまで貼られていた様々な展開が、23巻に至って見事に収束し、物語は終幕を迎えます。

ことここに至ると、話はもはや空戦だけのことではなく、陸戦、海戦、経済戦、思想戦、外交戦、すべての問題がストーリーに絡んできます。これだけの要素を話に巻き込みつつ、最終的には全てを終結させる、新谷先生のストーリー構成にはもはや舌を巻く他ありません。読まずに死ねるかレベルの素晴らしい最終盤です。

一点だけ口を突っ込むとすれば、「神崎は一体いつの間にあそこまで空戦強くなったんだ…」という点がないではないですが、まあ些末な点なので気にしなくていいと思います。あと、最後の最後のシンの上記が、まさかのX-29(本当の最後はタイガーシャークですが)だというのも物語の出色だといっていいでしょう。

21巻から先一気読みをしてしまうと、スタッフロールが頭の中で実際に動いているような感動を得られることは間違いありません。

いくつか、個人的に気に入っているセリフだけ挙げておきます。

「黙って見るしかないじゃないか。歌でも歌えってのかよ…」

「普通に生きて…普通に死ぬためにここにきたのさ…」

「あばよマーチン、荷物はアリゾナに送ってくんな!」

「88より離陸するのは本日が最後である!」

「そう…サキがこの戦いを生き残ったら…」「こんな死神みたいなジジイとは二度と取り引きはせんだろうな…」

「ラウンデル…なにか…いったか?」



ということで、ここまで長々と書いてまいりましたが、今回挙げた漫画はすべて冗談抜きで超お勧めの漫画ばかりですので、未読の方は是非とも読んでみるべきだと思います。愛蔵版でもなんら問題ありません。さあ!だまされたと思って!!!!

愛蔵版 エリア88 全10巻完結 (少年サンデーコミックスワイド版)  [マーケットプレイス コミックセット] -
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関連エントリーも挙げておきます。

エリア88に見る、少年漫画的「さすが」というカタルシス または「最初から強い主人公」のお話

ということで今日はこの辺で。
posted by しんざき at 02:13 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

しんざきが全力でお勧めする漫画23選・前編


どうもしんざきです。

最近「ブログ主がお勧めする漫画○選」という記事をたびたび見つけますもので、不倒城でも触発されて一度やってみようと思いました。どの漫画も自信をもってお勧め出来る作品ばかりですので、みなさんちょっと手が滑って大人買いしたりするといいんじゃないかと思います。需要があるかどうかはしったこっちゃありません。

以下、一応ネタバレはなるべく避けて、その漫画のおすすめどころを挙げていく形態をとります。粗筋程度には触れるかも知れません。



○エリア88 一巻
エリア88 1 (少年ビッグコミックス) -
エリア88 1 (少年ビッグコミックス) -

一冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の一巻です。

今更いちいち言うまでもなく、エリア88はエースパイロット「風間真」通称シンを中心として描かれる、外人傭兵部隊「エリア88」の物語です。物語の当初で示されるのは、エリア88、あるいは外人傭兵部隊の戦いにおけるあまりのシビアさ、そしてこの物語が「群像劇」であることの提示。

エリア88一巻において、読者はその当初から、シンがエースパイロット中のエースパイロットであり、エリア88の中でも1,2を争う腕利きであることを知らされます。そして、1話の当初から「戦闘の結果で報酬が得られる」「戦闘機を買う資金や燃料・弾薬費は自分もち」「命令違反のペナルティは5000$」といった、様々な金絡みのルールを提示されます。さらに、腕利きであるエリア88メンバーやシンといっても、墜落することもあれば撃墜されることもある、ということを認識することになるのです。

また、物語を通して重要なメンバーであるサキ、ミッキー、マッコイ、神崎といったキャラクターが中心人物として登場する一方、ショートエピソードの主人公として元イギリス空軍のボリスや、ジェット時代のレシプロ乗りモーリスといったキャラクターも、非常に味わい深く描写されます。このあたりが、「パイロットとしてのエリア88メンバー」を群像劇として描く、エリア88という漫画のエッセンスだともいえるでしょう。

「シン…かえったら俺の部屋の電気…消しといてくれよな…」


○エリア88 二巻

二冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の二巻です。

すいません、この時点でこの記事の先が読めた人が大量にいるかと思いますが、うんざりした時点でブラウザの×ボタンを押してください。たぶん右上の方にあると思います。

二巻の当初において、お話の主人公は突如としてシンから切り替わります。そう、六木剛こと戦場カメラマンのロッキーが登場するのです。

彼は、物語上「一般人から見たエリア88と外人傭兵」を描写する役割を担っていると思います。日本人である彼は、シンとも交流を深めるのですが、それ以上に「負傷して戻ってきたのに、薬用アルコールを頭にぶっかけて即また出撃する」男、グレッグに度胆を抜かれます。後の主要人物になるグレッグ、二巻で初登場です。ロッキーが驚愕する中、エリア88の他のメンバーが慣れっこで笑っていることから、88メンバーの豪胆さが強調されていると思います。

ロッキーを中心としたアスランの描写は、いくつかの謎と伏線を残しつつ、もっと終盤に意外な形で再度読者の前に現れることになります。

また、物語後半には、日本に帰る為に、傭兵部隊の違約金150万ドルを貯めようとしているということが明かされます。ここで登場する「脱走兵キラー」の三人組と、エリア88メンバーのやり取りも物語上のハイライトの一つ。また、反政府軍の傭兵部隊「ウルフ・バック」が登場するのも、重要な1シーンと言えるでしょう。腕利きの集まりであるエリア88の中で、更に上位メンバーとして提示されるフーバーやランディ、バクシーなどは、この後々にも登場してきます。

「命は大切にせんとなあ」
「そうじゃよ。だいじにすれば一生使えるからな」




○エリア88 三巻

三冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の三巻です。

尚、上記二行は基本的にコピペ改変ですのでこの後もずっと変わりません。ご了承ください。

三巻では、物語当初、イタリアのアクロバットパイロット「マリオ」が登場します。エリア88としては珍しい憎まれ役のキャラクターですが、「空戦能力は重要だが、それ以上に生き残る能力が重要」という、エリア88のシビアさを強調するような役割を担っていると思います。また、もう一人のスポットライトキャラクターが、二巻で登場したフーバー。彼の指揮っぷりが、仲間たちにも信頼されていることが示されます。

物語後半では、シンの恋人である涼子と秘書の安田さん、この二人のキャラクターとサキの運命が交錯します。飛行機にしかけられた爆弾を排除するためにサキが選んだ手段は何か。また、これをきっかけに、シンと涼子は思わぬ接点を取り戻すことになります。

他、義手・義足のパイロット「鉄腕」ことキャンベルがこの巻で登場する他、マッコイにもらったカップヌードルを前にニヤニヤしているところが三巻最高の名場面であることは言うまでもないでしょう。シンかわいい。

「殺し方のうまいやつなら生かし方も心得ているはずだ…だてにエリア88のナンバー1,2といわれているわけじゃあるまい!」


○エリア88 四巻

四冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の四巻です。

この巻では、開始当初についにシンと神崎がお互いがいる位置を認識する他、後のエリア88を巻き込む陰謀が胎動し始める巻です。武器商人のジュゼッペ・ファリーナと神崎との接触、涼子とシンの過去の出会いの描写、涼子の父の津雲氏の登場、ジョゼやジュリオラの登場など、後の主要キャラとなる人々がわんさか初登場しまして、「エリア88の物語」というものが本格的に動き出すのがこの巻だといえるでしょう。

導入部が終わり、物語が始まる。その転換点が四巻だと私は考えています。

また、この巻ではシンとサキの間にある事件が起き、後にサキが追うある病気の要因が作り出されます。これが最終巻までいろいろと関わってくるわけなんですが、それについてはまた後ほど。

F-14とサーブ・ドラケンが模擬選をやるあたりは、戦闘機マニアにはたまらないシーンだと思います。というか、この漫画をきっかけに戦闘機マニアになった人も多いのではないでしょうか。

ちなみに、この巻では大和航空スイス支店の沢さんが非常にいい味出しています。安田さんに一目ぼれした沢松之助さんの運命は。

「俺たちは外人部隊…紙キレよりも薄い己の命… 燃え尽きるのにわずか数秒…」



○エリア88 五巻

五冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の五巻です。

五巻は、ファリーナ氏が本格的に活動を始め、エリア88が更なる陰謀に巻き込まれる、物語序盤の重大な転換点です。当初、ヘリコプター基地であるエリア85に派遣される、グレッグ、シン、ジェンセン、キャンベル、マロリー。彼らを襲う無人戦闘機と、数々の新兵器。その傍ら、ヨーロッパで治療を始めるサキと、涼子たちの再開。物語上のポイントが山積みされている巻でもあります。

ゲーム版エリア88をご存じの方であれば、砂漠を走る「地上空母」がついにこの巻で登場する、というところでピンとくるものがあるかと思います。どこから現れているか分からない無人機と、その謎を解こうとするグレッグやシンたち。以降数巻にわたって88と激戦を繰り広げる、地上空母のケレン味は後の様々な戦闘機ゲームにも大きな影響を与えていると思います。

ヘリパイロットたちに説教をするグレッグの言葉は、ずっと後になって読者たちの前に再登場することになります。

ちなみに、後の主要キャラクターであるケンやウォーレンが、さりげなく物語上に初登場するのもこの巻です。ほぼ一瞬ですが。

「命を粗末にするのはおれたちだけでたくさんだ…そのためにおれたちは高い金をもらってやとわれているんだ…」「俺たちは傭兵だ…帰る故郷もないし…立て直す人生も…ない…」


○エリア88 六巻

六冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の六巻です。

この巻では、ついに地上空母の存在を認識したエリア88と、地上空母の戦いが本格的に始まります。ヨーロッパから戻ってきたサキも加えて、エリア88メンバーが総力をかけて戦う、その行方は。

物語序盤において、シンやミッキーとファリーナ氏が、ひょんなことから接触する描写も六巻のハイライトだといえるでしょう。意外に憎めないキャラクターだったファリーナ氏と、ミッキーやシンのやり取りも非常にいい味を出しています。シンとミッキーの脱出行は、エリア88中盤以降ではなかなか見られなくなるコミカルな場面。ファリーナ氏も大爆笑してましたけど。

日本の大和航空、その社長に就いた神崎のエピソードも引き続き続いているのですが、ここで大和航空にも重大な事件が起きます。エリア88だけではなく、別勢力の悲喜劇もきっちり描かれる辺り、群像劇としての「エリア88」の真骨頂といってもいいでしょう。陰謀に巻き込まれた安田さんを、意外なキャラクターが助けたりもします。サキと涼子たちとのかかわりも見どころの一つ。

「こいつをもっていけば、マッコイだって腰を抜かすさ」


○エリア88 七巻

七冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の七巻です。

物語冒頭、サキから涼子のことを知らされ、自分がエリア88にやってきた経緯を話すことになるシン。6巻までのエピソードが回収され、その後に繋がっていくワンシーンです。シンの話を聞かされたサキの判断は。

地上空母との戦いも佳境ですが、この巻では、地上空母が有する秘密兵器「グランド・スラム」がその姿を現します。地上を走る空母である地上空母に対して、地中を進む大型ミサイルであるグランド・スラム。グランドスラムに狙われたエリア88とシンたちが、どうやって基地の破壊を食い止めようとするのか、そこが七巻の重要な展開です。

また、サキの弟である王子リシャールが、本格的に物語上で動き始めるのもこの巻です。当初反政府軍の重要人物として扱われているリシャールですが、彼の本音は政府軍との和平。面従腹背をとらざるを得ないリシャールの行動も、七巻の注目ポイントといっていいでしょう。

「ここの連中で、死んでいくのに犬死にでないやつなんているのかい?」


○エリア88 八巻

八冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の八巻です。

グランドスラム、そして地上空母との戦いをきっかけに、物語が大きく動き始めます。

アスラン王国の内部が本格的に描写され始めるのがこの巻。基地としてのエリア88にも大きな転換点となる事件が起きます。アスラン市内に入ったサキやシンと、同じくアスランに入国していた涼子や安田さんの運命は。

五巻からこっち、敵陣営の中核として常に存在感を発揮し続けていた地上空母との決着がつく巻でもあります。多くの犠牲を出した地上空母戦ですが、最後の最後まで「エリア88という存在の特殊性」が描写され続ける巻でもあります。一方、神崎の蠢動が、八巻の序盤で静かに再始動します。

様々な意味で、この巻が「エリア88の前半の終わり」という位置づけであることは論を俟たないでしょう。この後、サキやシン達は部隊の再編制の為ギリシャに飛び、物語はしばし中東を離れることになります。ギリシャの訓練施設のボスであるラウンデルも、後々の重要キャラクターです。

「午前2時ジャスト!悪魔よ…出ていけ!」


○エリア88 九巻

九冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の九巻です。

この巻では、前半、エリア88の再編成の話がひと段落します。傭兵という形ではなく、正規空軍の階級を持つことになったシン達。ここで一時的にコンビを組むことになる、ミッキー-ケンのコンビや、シン-ウォーレンのコンビなどは後々にも微妙に絡んできます。ミッキーとケンの軽いノリがいい味出してます。

一方、終盤まで絡んでくる主要キャラクターの一人、キム・アバがついに登場するのもこの巻。師弟関係ともいえるシンとのやり取りが、シビアながらも部下思いという、シンのキャラクターを表現してもいると思います。エリア88を通してのシンの代表的な乗機である、F-20タイガー・シャークもこの巻で登場します。新生エリア88基地である、山岳基地88も男の子回路を刺激すること大です。

なお、この巻では、谷の間を戦闘機が飛ぶことになる、「オペレーション・タイトロープ」がついに発動されるということで、ある意味歴史的な巻だともいえるでしょう。後々、エースコンバットシリーズで定番になるトンネルミッションの原型がここにあります。損失率15%と言われる、オペレーション・タイトロープの結果は十巻に持ち越されることになります。

個人的には、この巻冒頭でのサキとミッキーのやり取りがお気に入り。

「300メートルで離陸して、ヤケコゲのオリーブを買わされるのはだれだと思う?」「大型ヘリでいってきヤース」



○エリア88 十巻

十冊目は、やはり何と言っても戦闘機漫画の金字塔「エリア88」の十巻です。

お話は、グレッグの過去が描写されるところから始まります。当時、デンマークで「逃がし屋」をやっていたグレッグ。彼が外人傭兵部隊にくることになった理由とは。

オペレーション・タイトロープが終わり、命令違反で独房に叩き込まれつつも、その命令違反の為に被害を防げた為、皆から差し入れをもらいまくるキムの描写もお気に入り。外人傭兵部隊であるエリア88の雰囲気が、正規部隊化後もそのまま残っていることが描写されていると思います。

個人的には、エリア88での食堂での描写が、全編をわたっても結構強く心に残っています。司令官でありながら、傭兵たちと同じ食堂で食事をするサキ。彼の人望の一端がここで表現されます。

総じて、物語上は閑話休題といった感がある十巻ですが、「トンキン湾の人食いどら」ことグエン・ヴァン・チョムが登場することを含め、後々の伏線になる描写も結構隠れています。

「一人でやる方が気楽でいいからさ…」


さて。まだ十冊しかお勧め漫画を紹介していませんが、致命的なことにseesaaの文字数制限に引っかかってしまいました。続きは後編に持ち越そうと思います。

エリア88 全23巻完結 (少年ビッグコミックス)[マーケットプレイス コミックセット] -
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posted by しんざき at 17:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月31日

ブログ○周年の記事の数が年を経るにつれてどんどん減っていく、というお話

ふとどうでもいいことが気になったのでちょっと調べてみました。つまり、「ブログ一周年の記事はよく見かけるけれど、二周年、三周年の記事ってそんなには見かけないよね?」という疑問です。

単に観測範囲の問題かもしれないので、よくありそうな記事タイトルをダブルクオーテーションで囲って試しにぐぐってみました。検索設定やら表記ゆれやらで変動もしますが、大体の目安にはなると思います。


"ブログ一周年":約 61,900 件
"ブログ開設一周年":約 34,700 件

"ブログ二周年":約 8,470 件
"ブログ開設二周年":約 4,380 件

"ブログ三周年":約 3,950 件
"ブログ開設三周年":約 2,570 件

"ブログ四周年":約 1,580 件
"ブログ開設四周年":約 833 件

"ブログ五周年":約 2,970 件
"ブログ開設五周年":約 1,160 件

"ブログ十周年":約 1,290 件
"ブログ開設十周年":約 1,180 件


うん。まあ当たり前っちゃ当たり前の話かも知れませんが、どうも、「一周年→二周年」までの間に何かの壁があるようです。ここでがくっと記事タイトルの数が減ります。二周年→三周年では更に半減します。

二周年は大した区切りではないから記事自体書かない、という人も勿論いると思いますし、タイトルぶれで引っかかってない部分もあるとは思いますが、まあ普通に考えると「一年はなんとか続いたけれど二年は続かなかった」という人が多い、ということなんでしょう。意気揚々と、画像一杯夢いっぱいの一周年記事を書いた後、1年3カ月くらいから記事数が急減していくブログを観測する機会は割と多いです。つらい。

逆に、ブログ四・五周年辺りとブログ十周年の記事数があまり変わらない、というのはやや興味深いところです。まあ、今ブログ十年以上やってる人って、2004〜2005年頃にはもうブログ始めてた人(不倒城もそうです)なので、その頃のブログ開設数が多かった、という事情もあるかもしれませんが、何年か続いてるともう自分のペースも確立されるので、そのまま長期間継続しやすいということでもあるのかもしれません。


別に継続すること自体に意味がある訳ではないので、書くことがなくなったら書かなくていいとは思うんですが、やはり1年目全力で突っ走り過ぎてしまって、二年目以降息切れからフェードアウト、という流れにはやや悲しいものを感じます。

皆さまには、力を全力で抜きつつてきとーな内容で細く長く続けていくスタイルもご検討いただければと思い、僭越ながらお勧め申し上げます。


今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 12:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

ここ数作の映画ドラえもんについて、ちょっとピンチがぬるくって逆転のカタルシスが薄味だなーと感じた


このエントリーには、最近の映画ドラえもん(特に宇宙英雄記)、及び昔の大長編ドラえもんについて、ネタばれが含まれますのでご注意ください。


ドラえもん好きな長男(8歳)に付き合って、何本か最近の「映画・ドラえもん」を観ました。映画館に行って観た作品もありますが、大体はDVDです。

具体的には、以下のような作品が観測範囲です。

・のび太の宇宙英雄記(35作目@映画館)
・新・のび太の大魔境(34作目)
・のび太のひみつ道具博物館(33作目)
・のび太と奇跡の島(32作目)
・のび太の人魚大海戦(30作目)


あと、上記とは別に、新魔界大冒険は漫画で読みました。

上に挙げたような映画ドラえもんにおいて、悪役陣営が登場しない「ひみつ道具博物館」を除くと、のび太達は一応明確に設定された「敵役」と戦うことになります。途中でピンチになることもありますし、そのピンチに打ち勝って大団円を迎えることもあります。


で、上記観測範囲の中では、新大魔境はリメイクだからおいておくとして、それ以外の作品において、いまいちピンチがぬるいような気がするんですよ。ピンチが一応発生することはするんですが、そのピンチ具合が弱い為に、逆転のカタルシスがいまいち強くならない。

手前みそですが、以前書いたエントリーから引用します。例えば、「宇宙英雄記」におけるのび太達のピンチは、例えばこんな感じです。
・のび太は、ヒーローバッチが外れてコスチュームを失い、宇宙海賊の女幹部「メーバ」に囚われてしまう
→あっさりとドラえもんと合流。バッチもドラえもんが回収済
→メーバは、しずかちゃんの必殺技を一回食らっただけで特に見せ場なく退場

・宇宙海賊の幹部「オーゴン」に力負けして敗れ、海賊に囚われるジャイアンとスネ夫
→囚われた際には上記ののび太といっしょくたの場所で、まとめてドラえもんに救出されてすぐ戦線復帰
→一回目の登場で折角オーゴンの強さがクローズアップされたのに、取り立ててジャイアンの対策やパワーアップの演出はなく、終盤かーちゃんビンタでオーゴンを圧倒してあっさり勝利

・のび太は終盤、一人っきりで敵海賊の首領と対峙
→首領、最初だけのび太を攻撃するが、後は勝手に弱ってしまい、あやとりを連発するのび太をシカト。
→最後は謎の力(特に作中説明なし)に目覚めたのび太に攻撃されて敗れる

・敵海賊の戦力が、そもそも上記幹部と多少の戦闘員以外に殆ど描写されない
これ、第一の要因は「敵がぬるい」んですね。

大長編ドラえもんには、「ピンチからの逆転のカタルシス」を演出する為に、以下二つのパターンのどちらかを使うケースがしばしばみられます。


・「何らかの事情で、ドラえもんのひみつ道具が使えない、ないし使用に制限がかかる」

・敵の戦力、ないし科学力が十分に大きく、ひみつ道具を使っても優位になれない


ドラえもんのひみつ道具は基本的にチート戦力なので、普通に全開で戦っちゃうと普通の相手には勝負にならなかったりするんですね。だから、いろんな事情でひみつ道具を十分に使えない、あるいはドラえもんたちが力を発揮出来ないというパターンが前者のパターン。

例えばジャイアンがひみつ道具を空地に置いてきてしまった「大魔境」や、スモールライトから元に戻れなくなってしまった「小宇宙戦争」、ポケットが盗まれる「ドラビアンナイト」、根本的にもしもボックスでルールが変わってしまった「魔界大冒険」。この辺が代表格かと思います。

一方の後者は、敵が十分に強くって、ドラえもんが全開でひみつ道具をつぎ込んでも苦戦する、というパターン。敵にも未来戦力があった「日本誕生」とか、敵の物量が圧倒的だった「海底鬼岩城」「鉄人兵団」なんかこのパターンだったと思います。


どちらのパターンにせよ、ピンチに次ぐピンチにのび太達が追いつめられる時のハラハラ感、そこを大逆転するカタルシスというのは、観客にとって非常に大きなものだったと思います。


で。例えば「宇宙英雄記」にせよ「奇跡の島」にせよ人魚大海戦にせよ、環境的には特にドラえもんの道具が使用制限されない、全力戦闘可能な状況であるにかかわらず、敵戦力なり敵の動き方がヌルくって、ピンチらしいピンチが発生しないんですね。


そもそも「ピンチからの逆転のカタルシスが重視されていない」と言われればそれまでなんですが、折角「ピンチになりそうな状況」は逐一用意されているのに、これはちょっともったいないなあ、と。


例えば「小宇宙戦争」では、スモールライトの制限がある状況で、のび太達の作戦がかたっぱしからドラコルルに看破されて、のび太達は処刑寸前まで追い詰められます。例えば「海底鬼岩城」では、ポセイドン勢力の余りの強大さに、一時はドラえもん側キャラクターが全滅してしまいます。

それくらい追いつめられるからこそ、そこからの逆転のカタルシスが非常に大きくなるんだと思うんですよね。


海底鬼岩城程のピンチを作るかどうかはおいておくとしても、例えば「宇宙英雄記」でももうちょっと「敵陣営」である海賊たちを強く、ないし悪賢くしてもよかったんじゃないかなあ、と。彼らが完全なコメディリリーフということならまた話は別なんですが、そういう訳でもないんですよ。

細かくは書きませんが、人魚大海戦でも、奇跡の島でも似たようなことは感じました。


もちろん、ドラえもんの顧客はまず第一に子供たちなので、結果的に子供たちが楽しめていれば映画としては十分です。上記の作品群も、うちの長男に十分楽しめる出来だったことは間違いありません。とはいえ、もう一歩描写を踏み込むことで、更に(私が)楽しめる出来になっていたのではないかと思うと、引き続き「大ピンチのある大長編ドラえもん」の登場を祈念してやまない訳です。


あと、全然関係ないんですが、宇宙英雄記についていえば、一度海賊に捕まった後、脱出後に弱音を吐くスネ夫が一番真っ当なことを言ってると思います。一度は戦術的に敗北したんだから、自分たちの行動は振り返ってしかるべきだよなー…。まあ、その後はノリで勝っちゃうんですが。


今日書きたいことはそれくらいです。
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2015年12月27日

よつばと!とオバQの共通点、ないし異邦人ものというジャンルについて


「よつばと!」は、構造的には「オバケのQ太郎」と相似していると思うんです。


いや、今更の話かも知れないんですけど。


漫画とか小説の中で、結構メジャーなジャンルとして「異邦人もの」「異人もの」というものがあります。ある社会に、「その社会の外の人」「その社会とは根本的に違う存在」が入ってきて、その存在と周囲との軋轢を中心に展開する諸々のお話をさす、と思います。

この「異邦人もの」にも色んな分類がありまして、例えば「行き先」が読者側かそうでないかとか、「異人」が文化ギャップに戸惑うのか異人を迎え入れる周囲が戸惑うのかとか、まあさくっと書くのは難しいくらい色々あるんですが。


漫画業界で「異邦人もの」の第一人者といえば、やはり何と言っても藤子F・Aの両先生だと思います。例えばオバケのQ太郎、ジャングル黒べえ、怪物くん、チンプイ、ウメ星デンカ、ポコニャン、モジャ公などなどなど、この辺ぜーんぶ「異なる文化・社会の人が、我々の社会にやってきて様々な事件が起こるコメディ」つまり異邦人ものです。プロゴルファー猿にもそういう側面はありますし、キテレツ大百科でいうとコロスケも「異邦人」でしたし、21エモンだって異邦人もの(この場合異人は21エモン)です。

例えば「うしおととら」。例えば「寄生獣」。例えば「うる星やつら」。例えば「鉄腕バーディ」。例えば「道士郎でござる」。「Dr.スランプ」とか「レベルE」辺りもそうかもですね。

新しくは、例えば「聖☆おにいさん」とか、「テルマエ・ロマエ」なんかも「異なる社会からの異邦人」がメインテーマになる物語ですよね。

まあ古今東西、「異人もの」というのは山のようにある訳です。


で。「異邦人もの」の骨子は、「文化や思想の違いと、それに振り回されるキャラクター」であることが多いです。ガラスの壁がなんなのかわかんなくて四苦八苦するとらとか、日本の経済理念が理解出来ないウメ星デンカに振り回される太郎とか、そういうのですね。

で、この「文化摩擦」には割とはっきりとした方向性が二種類あって、


「異邦人」に振り回される周囲が戸惑うのか、

周囲になかなかあわせられない、ないし周囲とのギャップに「異邦人」が戸惑うのか、



この二種類が明確な方向性として表現されることが多いです。つまり、「振り回される側はどちらなのか」というお話。


例えば、「鉄腕バーディ」において、「戸惑う」側はむしろ異邦人のバーディである場合が多いです。まあ、「つとむと一体化してしまっている上にそれを周囲に隠さないといけない」という事情が大きいんですけど、バーディが割と生真面目な性格なので、どちらかというと「我々の現代社会に未来人が合わせようとして戸惑う」という描写が大きかったと思います。

「聖☆おにいさん」や「テルマエ・ロマエ」なんかもこちらですよね。日本の文化や科学技術に驚愕するルシウスは、「周囲に振り回される異邦人」の代表格ではないかと(4巻以降の伊藤編では逆転しましたが)。意外なようですが、「うしおととら」におけるとらなんかも、どちらかというとこっち寄り(現代社会にとらが戸惑う)だったと思います。とら、結構科学技術に弱いんですよね。


一方、例えば「ウメ星デンカ」や「オバケのQ太郎」なんかでは、「異邦人」であるデンカやQ太郎が現代社会に戸惑うという描写は殆どなく、振り回されるのは周囲であることが殆どです。ウメ星デンカやQ太郎が「自分たちの常識」に基づいて行動する時、周囲は大騒ぎになります。こちらのジャンルでは、基本的には「異邦人」が周囲に戸惑うことは少なく、彼らを基準点とした周囲との軋轢がコメディ的に描かれることが多いです。

全体としては、多分こちらのジャンルに該当する作品の方が多いと思います。タルルートくんとか、魔界探偵ネウロなんかもこちらですよね。物語開始当初のドラゴンボールも、恐らくこちらを意識して描かれていたんじゃないかなあ、と思います。


「ドラえもん」はキャラ立てとしては異邦人ものなんですけれど、ちょっと特殊なのは「基本的にドラえもんと周囲の文化に軋轢が発生しない」ということだと思います。一巻の当初こそ若干の軋轢が発生しますが、それは殆ど一瞬で収束します。基本的にはドラえもんは現代社会に戸惑いませんし、周囲はドラえもんの異質性に振り回されず、「22世紀から来たネコ型ロボット」というドラえもんが、むしろ当然の存在のように周囲に許容されます。ドラえもんの異質性は、ほぼ「ひみつ道具」を通してしか出力されないのです。これについては、また項を改めて書いてみたいと思います。




で。


上のようなカテゴライズをした時、私は「よつばと!」も「異邦人もの」に該当すると考えるのですが、これについてお話する際、意外と意見が分かれます。つまり、よつばと!を異邦人ものとして認識する人と、違うんじゃないの?と考える人がいます。


多分この理由は、よつばが「異邦人」としての属性と、「幼児」としての属性、両方を持っているからじゃないかなー、と思います。


少なくとも「よつばと!」のシナリオの当初、よつばは「幼児としても変わった幼児」として描写されて、基本的には周囲がそれに振り回される、という構成だったと思います。よつばの髪は緑色ですし、よつばはありとあらゆることを楽しむことが出来る無敵の幼児ですし、よつばがはっきりと外国人として認識される描写もあります。そういう点では、「異邦人」が周囲を振り回す、異邦人ものの典型的な側面も「よつばと!」にはあると思うんですよ。

ただ、物語が進むにつれてこの異質性はどんどん吸収されていきまして、よつばはどちらかというと「異邦人」ではなく「元気な幼児」として、周囲に包容されていきます。よつばはやっぱりいろんな事件を引き起こすんですが、それが「異邦人が引き起こす事件」ではなく、「元気な幼児が引き起こす事件」になっていくんですね。そして、よつばと!世界の周囲の人たちは極めて包容力が高いので、その辺の事件をほぼ吸収しきってしまうという。そのため、「異邦人と周囲との軋轢」が目立たなくなっている側面はあるかも知れません。

そういう意味で、よつばの幼児としての側面にフォーカスした場合には、よつばと!は異邦人ものから外れるのかなあ、などと今は考えているわけなのですが。


いい感じでまとまりもなくなってきたので何となくまとめを書いておきます。


・異邦人ものには、大きく分けて「周囲を異邦人が振り回す」パターンと「周囲に異邦人が振り回される」パターンがあります
・よつばと!は前者の異邦人ものだと思ってたけど見方を変えるとちょっと違うかも知れない
・それはそうとウメ星デンカは面白かったと思います
・怪物くんを観たヤツは30代以上だ!ジャングル黒べえを観たヤツは良く訓練された30代以上だ!
・全然関係ありませんが、藤子A先生のしんざき的最高傑作は「マネーハンター・フータくん」だと思います



今日書きたいことはそれくらいです。皆さんまた明日。


posted by しんざき at 10:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月09日

「分かりやすい悪役がいる話が実はデマないし偏向だった」という現象に名前をつけたい


悪役観測者問題とでも言うべきでしょうか。


こんな話を観測しました。


【大幅訂正】「水害対応の残業代で高給にならないようにしよう」と言った常総市議員はいなかったのか? Ver.2.0
毎日新聞;市職員、9月分給与100万円超も 水害対応で、残業最高342時間 /茨城(魚拓)

常総市の市議会議員の方が、「ボランティアもいるのに、災害対応で市職員が多額の給与をもらうのはいかがなものか?」と発言した、というニュースが最初にあって、それで一部の方ががーーっと吹き上がったところ、実際の答弁の動画をみたらほぼ真逆の内容でしたよ、という話です。

今回は、常総市の市議会議員の方が、結果的には「わかりやすい悪役」に仕立て挙げられた例と考えてよいかと思います。毎日新聞の描写は若干微妙なので意図的かどうかは不分明ですが、実際の答弁を最初から最後まで見れば、100人中93人くらいは「この表現はおかしい」と考えるレベルでしょう。こういう検証が簡単にできるようになったことは僥倖という他ありません。

このエントリーで言いたいことは、下記の4点だけです。


・「要約」という錦の御旗のもと、情報が偏向することは珍しくもなんともないことです
・メディアは、常に「分かりやすい悪役」を作る、という誘惑にさらされ続けています
・とはいえ、「分かりやすい悪役」を作りたがるのは別にテレビや新聞だけじゃないですから、「これだから○○新聞は」とか短絡するのも考えものです。ネットのメディアとかも相当色々やってます
・だからこそ、発信元がどこかに関わらず、「分かりやすい悪役」が含まれた情報の取り扱いには細心の注意を払うべきです



以下は補足になりますので、忙しい方は上の4行だけ読んでやってください。


順番にいきましょう。



・「要約」という錦の御旗のもと、情報が偏向することは珍しくもなんともないことです

まず前提なんですが。

良い悪いの問題ではなく、一般的に、報道の内容が100%事実を伝えられないのは当たり前のことです。

「事実をすべて、過不足なく伝える」というのは、言うのは簡単ですが、実際にやろうとするとものすげえ難易度が高い技です。例えば議員さんの答弁の内容を正確に伝える為には、それこそ今回のように、動画からテープ起こしした内容を一言一句そのまま載せるしかありません。紙面にそんなスペースはありませんし、記者や編集者にそんな時間はありません。

その為、記者や編集者は、ある程度元情報を要約して、必要な部分だけ取り出して紙面に載せることになります。ここまではごくごく当たり前のことです。

問題になってくるのはそのあと。「要約の加減・方向性」です。


今回、標題の日立市の件に関しては、分かりやすくファウルラインを超えた内容になっているとは思いますが、通常、「この要約はおかしい」と断言出来るケースはそれほど多くはありません。元の文言の内容や言い切り具合にもよりますが、多くの場合、「うーん、まあそういう風にもとれなくはないけど、ちょっとこのニュアンスはどうなんだ?」とかそういう程度になリ勝ちです。これについては、正直なところ、発信者の感覚や判断基準に多くの部分が委ねられることになります。

「ちょっとこのニュアンスはどうなんだ?」というのがある程度積もると「偏向」とか「ねつ造」といったラインに足突っ込むことになるんですが、明確に元情報と矛盾していない限り、明示的なアウト判定を出すのは難しいです。

これは飽くまで程度問題であって、多くのケースで「受け取り手の解釈の問題」と言われてしまうことになるんですよ。こういう場合、書き手の責任を追及出来るかはちょっと微妙です。

もちろん、情報の発信者には、なるべく情報を「誤解を伴わない」内容に整形する責任があります。とはいえ、我々情報の受け取り手の方でも、「意図している・意図していないにかかわらず、元情報はある程度整形された形でこちらに届く」「整形された情報は、元情報と同一ではなく、場合によっては偏向している」「整形前の情報にリーチする為にはひと手間必要」ということは、自衛の為に、当然の前提として把握しておく必要があるのではないかと思います。



・メディアは、常に「分かりやすい悪役」を作る、という誘惑にさらされ続けています

上記の話とは別に。

これは一般論として言ってしまっていいと思うんですが、そもそもメディアは「悪役を作りたがる」ものなんですよ

何故なら、遍くメディアは、「より影響力を高める」為に、「多くの人に反応してもらえる」情報を流したいから。そして、「悪役」が明確に存在する情報は、読者ないし視聴者に非常に反応してもらいやすいから。


早い話、「悪役がいる話」は、「手っ取り早く反応を稼ぐ方法」として非常にお手軽なんですね。

昔、その辺についてエントリー書きました。手前みそですが、リンクを貼っておきます。


「分かりやすい悪役がいる話には一見で飛びつかない」ルールを皆様導入するべき


で。

「明らかな悪役」が存在する話は、発信する側にとって幾つもメリットがあります。

・「悪役を糾弾する側」として、間接的・ないし直接的に立場を強めることが出来る
・読者・視聴者の強い反応を得ることが出来、影響力の増大につながる
・話が大きくなった場合、追及検証等、追加で扱えるネタになる


他にも細かいところは色々あると思いますが。これらだけでも、発信者にとっては魅力的な要素揃いです。垂涎といっていいです。

私自身、かつて報道者寄りの立ち位置にあったものなので、この辺の感覚は正直わかります。言ってしまえば、「ファウルラインを超える恐れさえなければ、報道者はどんどん悪役を暴きたい」んですよ。


誤解を招かないように言っておきたいんですが、「悪役を見つけて糾弾、批判すること」自体は、メディアや報道機関の重要な役割の一つですよ。それ自体は批判されるようなことではありません。この記事自体、「悪役を見つけて批判する記事」ですしね。


が。その「悪役見つけたい欲求」が、上の項目で挙げた「要約」と良くない方向で結びついてしまった時、意図してかどうかはともかく、「本来であれば悪役と言えない人が悪役になってしまう」現象が発生したりするんです。これは、時には「間違っている訳ではないけれどニュアンスの違い」だったりしますし、時には「偏向、ないしねつ造」だったりします。


これが、私が考えるところの「悪役観測者問題」です。



・とはいえ、「分かりやすい悪役」を作りたがるのは別にテレビや新聞だけじゃないですから、「これだから○○新聞は」とか短絡するのも考えものです

ちょっと話が変わります。

元記事の反応の中には、「これだから新聞は信用出来ない」とか「これだからマスコミは信用出来ない」といった、シンプルなマスコミ批判に落とし込んでいらっしゃる反応が多くみられます。

今回、元記事を載せるに至った毎日新聞はもちろん批判されてしかるべきなんですが、これが「単純に既存マスコミを悪役にする」方向に流れてしまうのは若干危険です、ということは書いておきたいです。

何故かというに、「要約をポイントにした悪役作り」は別に新聞やテレビの専売特許ではなく、Webの様々なメディアもそういった手法は縦横無尽に駆使しているから。むしろ、気を付けなくてはいけないケースは、新聞やテレビ以上に多いかもしれません。あんまりいうとブーメランになりそうですが。


これも何度か書きました。一つエントリーを挙げておきます。

歪曲報道を批判する、その口で情報の歪曲を行っているのは何のギャグなのか

以前程は見なくなりましたが、「Webで真実に目覚めてしまった人」というのは、かなり厄介な部類の思考疾患に当たります。既存の情報源に信用できない部分を見つけたからといって、即違うものを頭から信用してしまうのは、ピラニアから逃げてワニの口の中に飛び込むのとそれほど異なりません。影響力を稼ぐことによるインセンティブは、Webメディアの方がより即物的である場合が多いのであって、Webメディアの情報についても重々注意しなくてはいけないことは自明かと思います。

「その情報を流したのが誰か」は大きな問題ではなく、「その情報は、元情報とどれだけかい離しているか」「その情報は、元情報に当たらなくてはいけないような性質のものか」という二点にこそ、気を付けなくてはいけないのではないかなーと。




・だからこそ、発信元がどこかに関わらず、「分かりやすい悪役」が含まれた情報の取り扱いには細心の注意を払うべきです


以前の記事でも書きましたが、重要なのは、


・発信者には、「分かりやすい悪役」を作りたいという欲求が常にある、ということを把握しておくこと
・「分かりやすい悪役」が含まれた話は、受け取り手にとって非常に頭に血を登らせやすく、拡散されやすい情報だということを把握しておくこと
・だからこそ、「分かりやすい悪役」を観測した時は、脊髄反社で反応・拡散する前に、本当にそれが妥当な情報なのかを慎重に考え、確認しないといけない、ということ



上記の3点なのではないか、と私は考えるわけなのです。



「分かりやすい悪役」というのは、発信する側にとっても、受信する側にとっても魅力的なものです。我々は、何かに怒りを向けるという行為に、ある種の快感を覚えるようになっています。そして、自分が表明した怒りについて、他の人に共感をもってもらうことも気持ちがよいものです。

ただ、だからこそ、それによって「悪役にされた」側が、本当に悪役だったのか、ということは慎重に判断しないといけないのではないかと。「誤った悪役」が拡散された時の被害というものを、スマイリーキクチ氏の例を見るまでもなく、我々は承知している筈です。

それこそ、単に「発信者を悪役に」仕立て上げれば済む話ではありません。我々自身が「悪役」にならないように、我々は自衛するべきです。


今日書きたいことはそれくらいです。

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(追記と訂正 15/12/09 12:24)
スマイリーキクチ氏のお名前をスマイリーオハラ氏と誤記していたのを修正いたしました。
大変失礼いたしました。
posted by しんざき at 11:40 | Comment(4) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

名古屋からの訃報


知人の訃報を聞いた。


訃報といっても、ここ数日の話ではない。半年以上前の話のようだ。訃報は、本当にひょんなことから、名古屋の知人から届いた。

私にとっての名古屋とは、中学・高校時代をすごした土地であり、時折同窓会のタイミングでふらっと立ち寄る土地であり、高校時代に大好きだったラーメン屋がある土地であり、人生で最も通いつめたゲーセンの跡地がある土地である。

名古屋にいく機会は、二年に1回あるかないか。今となっては、私と名古屋の精神的距離、時間的距離は随分と離れてしまった。


知人は、かつてのゲーセン仲間だった。ゲーセンでしか知らず、ゲーセンでしか顔を合わせず、ゲーセンでしか会話しない、それだけの関係だ。知人と私は、強いて言えば、サムライスピリッツ斬紅郎無双剣、ないしはKOFシリーズにおけるライバルだった。知人は緋雨閑丸使いであり、私は服部半蔵使いであった。知人は庵使いであり、私はサイコソルジャーチーム使いであった。

知人の第一印象とは、単に、「やたらしつこく乱入してくるヤツがいるなー」という、ただそれだけの話であった。ゲームタイトルにもよるが、大方のタイトルにおいて、私の力量は知人のそれを上回っていた。知人は格闘ゲーマーであり、どうも格闘ゲーム以外のゲームを余りゲームとして認識していなかったらしく、私が格闘ゲームをやっていない時は話しかけてもいい時だと認識していたらしい。元来シューターの私にとっては迷惑な話であった。

知人に最初に話しかけられたのは、私がダライアス外伝の気分転換に雷電DXをやっていた時だったと思う。シューターは、シューティングゲームの気分転換としてまた別のシューティングゲームを遊ぶ。難儀な生き物である。



知人の訃報とは、つまり、彼または彼女に会う可能性が永遠に消滅するという、ただそれだけの話である。


知人の訃報を、私は人づてに聞いた。それも本当にひょんなことから、また別のゲーセン仲間と全くの偶然で話した際、彼の口から聞いた。半年ほど前に亡くなったらしい。何故亡くなったのか、というのは彼もよく知らなかったが、どうも病死ではないようだった。


私と知人は、実現性のない約束を一つ、していた。

私が、何の間違いか大学に受かって、東京に行くことになったとき。東京かー、いいなあ、と、知人は行った。東京行きてえなあ、と。



その内、東京のゲーセンであったら、また対戦しようか。



笑い話のような約束だ。当時私は携帯電話も持っておらず、当然連絡先の交換もしていない。いつか、どこかのゲーセンで、ふらっと向こう側を覗いた時、そこに知人が座っている。そんな状況に、一体どれだけ実現性があるのか。


約束は実現しないまま18年が過ぎ、そして私は、知人の訃報を名古屋から聞いた。


知人の訃報とは、つまり、彼または彼女に会う可能性が永遠に消滅するという、ただそれだけの話である。実現性は殆どゼロだったとはいえ、可能性はゼロではなかった。

知人の訃報とは、つまり、実現性のない約束の、可能性がゼロになるということである。私は、可能性の墓を立てなくてはならない。


知人とゲーセンで出会うことはもはやないが、私は今でもゲーセンの対戦台に座ることがある。この先、私にとっての「約束の墓」は増えていくかも知れないが、それでもたまには、ゲーセンの対戦台の向こうを覗き込んでみようか。


そんなことを考える夜だった。

posted by しんざき at 00:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月03日

神が天地創造の際、最初にクライアントを作っていたらどうなっていたか

一日目 神は天地創造のクライアントを作り、提案依頼書を受け取った。
二日目 神は天地創造の提案書を作成し、クライアントに送付した。
三日目 神はクライアントの社内会議の結果待ちをしている間、ソリティアで遊んだ。
四日目 神はクライアントと費用交渉をした。
五日目 神はクライアントとの要件定義会議に臨み、議事録を作成した。
六日目 神はクライアントとの要件定義結果から見積書を作成し、クライアントに送付した。納期の起源である。
七日目 神はクライアントから発注書を受け取り、開発環境の構築が見積から漏れていたことに気付いた。
八日目 神はクライアントと開発環境構築工数の交渉に臨んだが拒否された為、泣く泣く自前で開発環境を構築した。
九日目 神は光を作り、昼と夜が出来た。
十日目 神は空(天)をつくった。
十一日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
十二日目 神は太陽と月と星をつくった。
十三日目 神は魚と鳥をつくった。
十四日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
十五日目 神は結合テストを行い、天地をデバッグした。
十六日目 神はクライアントに受け入れテストを依頼する傍ら、納品物となる外部設計書・詳細設計書を後付けで作り始めた。
十七日目 神はクライアントから追加要件及び要件変更依頼を受け取った。デスマの開始である。


多分この後、要件に対する質問票を作ってクライアントに送ったら「なんかいい感じで」とか帰ってくると思うので、神が最初にクライアントを創造しなかったことは案件的に正しい。

posted by しんざき at 12:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

人生はロマサガ3というよりはスーパーモンキー大冒険に近い

・水・食料がなくなるとすぐ死ぬ

・一応複数の仲間がいるのだが、実際に戦力になる、というか戦っているのはごくごく少数

・ヒントなどという生易しいものはどこにもない

・ダメージを回復させる為には食うもの食いながらじっくり時間をかけて休むしかない

・魔法などという便利なものは存在しない

・戦闘に勝ったからといって都合の良いパラメーター的な成長が得られる訳ではなく、結局物をいうのは戦闘の習熟度

・徒歩旅は基本的に時間がかかるものである

・死んでも周囲の反応は割とあっさりしたものである

・セーブ & コンティニュー的なことは実は不可能ではないのだが、手順はやたらわかりにくく複雑であり、かつノーヒント

・こっそり隠した内容のものでもいつかはバレる


参照:人生はロマンシングサガのようだと思う
posted by しんざき at 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

多分勉強ができていた私は、具体的にどうやってノートを書いていたか


勉強ができる人とできない人の、ノートの取り方における決定的な違いについて


多分勉強はそこそこ出来ていたと思います。で、ちょっと当時のノートの書き方を思い出してみました。やってる人には当たり前のことかもですが、まあ気にせず。



ノートをとる目的って何かなー、ということをまず最初に考えるわけです。


まず、「中学校・高校くらいの授業におけるノート」というものを想定します。
中学高校でのノートの目的というのは、大体において

「復習する時の補助ツール」

です。かつ、基本的には、中間試験とか期末試験とか、そういった種々の試験が復習のベンチマークとして設定されます。


もちろん、副次的な効果として

・思考を整理して書き記す練習
・要点を的確に把握する練習
・情報を取捨選択する練習


といったこともありますが、それは後の話なので一旦おいておきます。


先生にもよりますし授業にもよりますが、教科書やプリントだけで授業が完結するなら復習なんて教科書読み直せばよく、ノートなんて一文字だって取る必要はないわけです。


そうでないということは、


「授業によって得られる情報量と、教科書によって得られる情報量のギャップ」


が存在する筈で、そこを埋めて記録に残すのがノートの目的なんですよね。

目的さえ達成出来れば、それにかかる労力は少なければ少ない程いいわけです。早い話ノートなんて情報量(書く量)が少なければ少ない程いい筈だ、と私は思うわけなんですよ。一応、これは中学当時から一貫した思考です。

昔から字が超絶へたくそで、習字の授業を蛇蝎のごとく忌み嫌っていた私は、とにかくノートを省略することばかり考えていました。

ギャップを埋めることが目的であれば、教師のお話や板書の内、「教科書、ないしプリント等の資料をを見ればわかる」部分はすべてまとめて省略することが出来ます。また、ギャップ部分についてキーワードや要点を抽出することが出来れば、更に書く量を減らすことが出来ます。

ということは、必要な情報量を持ったノートというものは、下記の手順で作られる筈です。


1.先生の話や黒板を観測して、「授業によって得られる情報量と、教科書によって得られる情報量のギャップ」は何かを把握する

2.更に、当該ギャップの要点がどこにあるかを考え、その要点を思い出すために必要なキーワードのみを抽出する

3.日付と、参照範囲(教科書の何ページとか)と、キーワードだけノートに記載する



これだけ。これで、教科書の当該範囲とノートを合わせて読むだけで、必要な情報量をすべて再吸収することが出来ます。場合によっては、ほんの数文字書くだけでノートへの記載が終了したりします。


冒頭のブログ主の方は、「一度脳にインプットしてから」という書き方をされていましたが、少なくとも私に関しては、ノート記載という作業は「情報量のギャップはどこにあるのか、ということを考える」「ギャップの中から重要そうなところだけを抽出する」という作業でした。

勿論、ギャップがどこかを把握するためには内容を理解しないといけない訳で、インプットはそれはそれで必要です。ただ、「これは教科書に書いてあるから記録する必要も今覚える必要もない」というところは片端から「一旦忘却可」にする。これだけで、書かなければいけない情報、授業における労力は劇的に減ります。

またこれが、多くの先生は「教科書に書いてない、授業だけで出す情報」に比重をかけたがるんですよね。ギャップの抽出にさえ成功すれば、それが丸々試験の要点だったりする時すらある。だからこそ、情報の取捨選択がより大事なわけなんです。


ちなみに、上記のノートは「自分がわかりゃいい」という自己完結型ノートですので、綺麗に整理されている必要は全くないです。というか、私のノートは「お、どこの未解読言語かな?シャンポリオン呼ぶ?」って感じで超絶汚かったです。

よく、「○○大生に学ぶノート術」みたいなので、「思考が整理された人のノートは必ず美しい!」みたいなこと書いてありますけど、あれ絶対嘘だと思います。自分がわかりゃいいんだよ自分がぁ。


あ、言うまでもないと思いますが、上記は飽くまで「復習が必要な中高の授業」の話ですからね。ノートが提出物になる場合とか、自分の思考を書き記さなければならない場合とか、ケースによって色々別のノートの書き方があると思いますが、まあそれはまた項を改めて。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 20:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月16日

ブロガーあるある10選が想像してたのと違った


「ブロガーあるある」10個を書いてみる

ブロガーあるある10選って↓のような内容を想像していたのだが全然違った。


1.思いっきり時間をかけて頑張って書いた記事は殆ど注目されず、10分で書いた手抜き記事が鬼のようにバズる

2.レトロゲームブログなのに何故か子育て関係の備忘録ばっかりがホッテントリ入りする

3.特に待っている人がいなくても、数日間が空いただけで「最近サボってしまってすいません」などと書いてしまう

4.トラックバック先でどんな被言及されてるのかなーと楽しみに見に行ってみたらただのリンクのみで内心ちょっとがっかりする

5.ブクマ数が2だと思わずセルクマしたくなるが我慢する

6.トラックバックをいちいち送るのが段々面倒になってくる

7.暇なときは書きたい内容が思い浮かばないのに、忙しくなってきた時に限って書きたい内容がバンバン浮かんでくる

8.記事がバズった時、すぐ次の記事を書いた方が見に来てくれる人は(若干でも)増えると分かっていても面倒くさくて次の記事が書けない

9.共感の言葉はそれ程記憶に残らないのに批判のコメントばっかりが印象に残る

10.コメント欄は怖いので自分ではあまり書きこまない


ブロガーとしての意識の差だろうか。
posted by しんざき at 09:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月15日

勇者のコミュ力が余りにも高過ぎて実際にはどう話しかけているのかよくわからない


先に断っておきますが、比較的どうでもいい話です。


一般的なRPGにおいて、主人公が「話す」コマンドを使ったり、町の住民の前でAボタンを押すと、何かしらの反応が返ってきます。時には「ここは○○のむらだぜ」と親切に教えてくれたり、「ぶきやぼうぐはそうびしないといみがないぜ。」とアドバイスしてくれたり、場合によっては「ぱふぱふしない?」などと誘惑してきたりします。


およそ、RPGの主人公に最も必要な才能は、戦う力でも魔法を使う力でもなく、初めて訪れる村や町で見知らぬ人に話しかけまくるコミュ力であることは議論を俟たない所かと思うのですが、改めて分析してみても、あの能力は殆ど魔法の域です。


多くの一人称系RPG(主人公に強いキャラクター性がなく、プレイヤーが一人称視点になるRPG)において、「主人公が実際に喋る台詞」は省略されるのが常です。会話はキャッチボールなので、街の住民からの何らかの回答があるからには、実際には勇者からの問いかけ・投げかけにあたる台詞が存在する筈なのです。

ということは、無粋を承知で村人のセリフを分析すれば、「どのように話しかけているか」ということが大体類推出来るのではないかと思ったわけです。「どう話しかければこういう回答が返ってくるか」ともいいます。

分かりやすいサンプルとして、ドラクエ3の幾つかの例で考えてみるとします。一応、ゲーム内から読み取れる範囲内でのみの類推とします。


1.「ここはカザーブ。山に囲まれた小さな村です。」

これは非常に分かりやすい例です。勇者が、旅の果てにたどり着いた村で、「ここはなんという村ですか?」と問いかければ、上記のような台詞が帰ってきてもおかしくはないでしょう。「山に囲まれた小さな村」という点については「ごめんなさい見りゃ分かります」という感もありますが、まあ現実にも一言多いおばちゃんはいるので、そんなに違和感はありません。


2.「この村より西に行けばシャンパーニの塔があります。」

周辺の施設に関する情報開示のよくある一例です。この種の台詞は、他にも「お城から海づたいを歩くと 岬の洞窟があるそうです。」であるとか、「東に旅をし 山を越えると小さな泉があるという。」とか、枚挙に暇がありません。

一言で引き出すのは若干難易度が高くなってきますが、まあ「この辺りに、何か変わった場所はありますか?」とでも問いかければ帰ってくる範囲でしょう。勿論、もっと長い会話が省略されているという可能性はありますが、ここでは飽くまでゲーム内で読み取れる範囲のみからの類推とさせていただきます。


3.「町の外を歩くとき 怪しげな場所には何かあるかもしれぬ。遠くで見るだけでなく その場所まで行くことだな。」

そろそろ厳しくなってきました。いわゆる、「ゲームシステムの説明」に当たる台詞であり、「連れてゆくなら戦士 僧侶 魔法使いの3人がいいぜ。ひっく。」なんかもこのカテゴリーに分類されます。強いていうと、こちらの身分が相手に知られていることを前提として、「何か助言を頂けないですか?」とでもいえば帰ってくる可能性がある内容でしょうか。

これについては、ゲームボーイ版「ジャングルウォーズ」の出発時の父親の台詞である、「こらこらパンツをはきなさい」という台詞が、実に自然にゲームシステムの説明をしていたという点で見事だったと思うのですが、まあそれは余談です。


4.「やがてアリアハンの勇者がやってきて 魔王を退治してくれるそうですよ。」

かなりの厳しさです。いわゆる世界観、シナリオの説明に該当する系の台詞です。正直なところ、ある程度長い会話の中でひょっこり出てくるならまだ分からなくもないのですが、開口第一声に出てくる内容ではないような気もしないではありません。
まあ、バラモスの脅威が迫ってくることを考えれば、みんな世間話でも魔王の話ばっかりしていると考えられないこともないでしょうか・・・


5.「パパとママなら夜になれば帰ってくるよ。」

見知らぬ家にずかずかと立ち入って、中にいる子どもに「お父さんかお母さんいないかなー?」と話しかける勇者は今の世界なら1フレで逮捕されそうですが、まあ今更の話題なので気にしないことにします。


6.「わ!お客さん!こんなところに入ってきちゃ困りますよ。」

困りますよね。実に自然かつ違和感のない、納得のいく台詞だと思います。


7.「アリアハンから来たの?でも そんな国知らないわ。」

開口一番出身地をdisられる勇者は宿屋の枕をひとしれず濡らしてもいいと思います。この台詞はイシスですが、ポルトガの「まあ こわい!東って野蛮人しかいないのでしょ。」みたいな台詞もこれに準じます。
この辺の台詞ですと、逆にどう話しかけてもこういう反応が返ってきそうなのでむしろ違和感はありません。


8.「私はサブリナ。こうして恋人のことを思っています。でも夜になれば……。夜が怖い。ああ 私のカルロス。」

いいから落ち着けと言いたくもないですが、これくらいになると既に勇者が一言も喋ってなくてもこう言って来そうです。バラモスさんマジ非モテ魔王。ちなみに、類似の台詞に「ああタニア……。僕の愛しき人……。」とかがあります。無言でキメラの翼使わなかった勇者マジ優しい。


9.「旅の人 聞いてくだされっ。わしのかわいい孫娘タニアが 悪党どもにさらわれてしまったのじゃ。 そこにおる若者が タニアの恋人のグプタ。わしは二人を結婚させようと思ったのに…… あんたらは強そうじゃな。どうかタニアを助け」「僕が行きます!見ず知らずの旅の人に頼むなんて…… 待っててください。きっと タニアを助け出してきます!
「グプタ!おお!このうえグプタまで捕まったら わしはわしは……。


なんかだんだんコミュ力の問題じゃなくなってきたような気がしてきました。もしかするとコミュ力が高いのは町の人たちの側なんでしょうか?


10.「聖なる川の流れで身を清めています。」

これ、女性が言ってる台詞なので比較的エロいと思います。素直クールというヤツでしょうか。違うか。
こういったクールエロな台詞も違和感なしで引っ張り出せる勇者侮れないと思います。


考慮外.「私は偉大な武闘家。噂では素手で熊を倒したことになっておる。しかし 実は鉄の爪を使っていたのだよ。わっはっは。」

これについては、墓場の横に立っている骸骨に平然と話しかける勇者の方がどう考えても変態だと思いますので考慮外とします。


とまあなんか途中からどんどん最初の時点の趣旨を見失ってきたわけですが、ここまでの話を勘案すると


・強さとか魔力の問題ではなく、レベル1時点から既にカンストしている勇者のコミュ力を育て上げた勇者母は本当に偉大


というどうでもいい結論が導きだせるわけです。よかったですね。>私


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:58 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月05日

褒め言葉を発する時、色々面倒なことを考えなくてはいけないような社会にはなって欲しくないものだなーと思った


手塚治虫のシュマリにまったく触れずにゴールデンカムイを読んですげえすげえって言ってるのを見ると、
ガンパレード・マーチを知らずにマブラヴオルタをすげえすげえ言ってた昔の自分を思い出してキュンとなります
http://anond.hatelabo.jp/20151005150750

「すげえすげえ」って言ってぜんっっっぜん問題ないと思うんですよ。褒め言葉なんて、どんどん手軽に気軽に、余計なこと一切考えずに、「すげえ」って思った瞬間に発していいと思うんですよ。そこに前提条件なんて必要ないし、褒めるのについて「越えておかなくてはいけないハードル」なんて必要ない。


何故かというと、褒め言葉で傷つくのは、「その作品が嫌いで、かつ「それが嫌い」ということがアイデンティティの一つになっちゃってる面倒くさい人」だけだから。今の時代、褒め言葉はめぐりめぐって結構創作者さんの元に届くもんで、それは創作者さんにパワーしか与えないから。好意の表出というのは、読んでいる側にとっても楽しくって嬉しいものだから。


冒頭の例には当てはまらないことですが、もし仮に、「褒められている対象の作品」が何かのパクリだったとすれば、それは「対象の作品」に対する批判、という形で表現すればいい訳ですよね。その場合でも、別に「その作品に対する好意」にケチをつける必要なんてない。

気に入らない作品があるなら、その作品を批判すればいいんですよ。その作品に好意を抱いている人にケチをつける必要はないんです。好意をもつことに罪は存在しない。


別に作品に対する好意に限らず、好意の表出というのは、基本的にはプラスの影響しかもたらさないと私は思うんですよね。もっと手軽に褒め言葉が流通する世界になって欲しい。言葉が軽くなるなんて心配をするのは、本当に言いつくせないほど言いつくして、その後でいい。


この場合、むしろ「お前ガンパレも知らないでマブラヴすげえとか言ってんの?ププー」とかいちいち言ってくるヤツがいれば、むしろそいつの方が上から目線獲得熱望おじさんとして非難されてしかるべきだと思うんです。貴重な好意の表出に対して、単に「俺の方が良く知ってるんだぜ」という貧相な優越感を満たすだけの為に文句をつけているという罪に対して。


人の好意に口を挟むな。人の好意にハードルを設けようとするな。人の好意をけなすことで優越感を満足させようとするな。


世の中が気軽な好意の表出で埋まるといいなーと思っている私は、そういう認識がもっと広まってくれるといいなあと思っているわけなんです。
posted by しんざき at 18:47 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月02日

ケーナを吹いている時の唐突な気づき、もしくは「部分」と「全体」の切り替えのお話



ちょっと昔話をする。ケーナという縦笛を練習していた時の話だ。


もう十年以上前のことだった筈だ。当時、私はまだ学生だった。

その時私は、ハッチャマリュクという南米のグループの、かなり難しい曲を練習していた、と思う。大学の学生会館、いわゆるサークル長屋のような場所だった。その一曲に随分長いこと手こずって、それでも思い通りの演奏が出来ず、まあ一言で言うと私は煮詰まっていた。

私は余り器用な方ではなく、一度煮詰まるとなかなかそこから脱出出来ない。たまに気分転換をしながら、執念深くその曲を吹けるようになろうとしていた。



ケーナを吹いている時、何の前触れもなく、「今鳴っている音って、息だよな」と思った。



それまでの自分は、「ケーナという楽器を演奏している」と思っていた。「自分の息を使ってケーナを鳴らしている」と思っていた。

何か特別なタイミングがあった訳でもなんでもなく、その瞬間、唐突に意識が切り替わった。「自分は息を吹いているだけ」であって、「その息を、ケーナが勝手に音に整形している」のだ、という意識になった。鳴っている音は、息である。つまり、自分は息を出しているだけだ。それが、たまたまケーナによって音に変わっているだけだ。


つまり、私は別に「演奏する」必要はなかった。「楽器を鳴らす」必要はなかった。「息を吹く」だけで良かった。それを音に変えるのはケーナの仕事であった。


そう切り替わった瞬間、今まで満足に吹けていなかったパートが、冗談の様にすらすらと吹けるようになった。嬉しいとか達成感というよりは、むしろ「なんだこりゃ」という感覚であった。自分でも何かずるをしているような気分だったと思う。



「気付き」というか、「唐突な意識の転換」で物事が上手くいくようになったことは、他にもないわけではなかったが、私が一番記憶に残しているのがこの時の話だ。以来、今でも私は、「自分は息を吐いているだけ」「それを音に変えるのはケーナの仕事」という意識を、どこかに残してケーナを吹き続けている。



多分これは、理屈で言うと、「全体ではなく、部分部分に集中する方が効率が良いということに気付いた」ということなのだ、と思う。実際には、ケーナを吹くという作業は「息を出す」という気管の仕事、「タンギングで息を区切る」という舌の仕事、「音階を操作する」という指の仕事の組み合わせだ。

それら全体を一遍に捉えるよりも、部分部分を取り出して意識した方が、私には適していた、ということだったのだろう。「楽器を演奏する」というワンパッケージの処理は、私の脳には少々高度過ぎた。「息を出す」ということと、指を動かすということを、切り離した方が私の脳は上手く処理することが出来たのだ。


人によっても違うだろうし、ものによっても違うだろう。ただ、「部分と全体の切り替え」というのは、意識の転換の方法として、割とアリだと私は思うようになった。


上手くいかない時は、全体ではなく部分を意識する。それでうまくいかないならば、逆に部分ではなく全体を意識する。これは、楽器の演奏だけではなく、割と普遍的な「切り替え」の仕方として、それ以来私に根付いた思考法だ。多分、色んな人が知っている思考法だとは思うのだが、私の場合、大学に入る年になり、ケーナを初めてようやくこれに気付いた。




ところで、近々「ロス・ガラパゴス」というグループで演奏をするのだが、丁度その曲を10年振りくらいに演奏することになった。その曲のタイトルは、Danza del Inca(インカの踊り)という。

10年前の練習と、10年前の発想の転換を、私の体は果たして覚えているだろうか。半ばわくわくしながら、私は最初の練習に臨もうかと思う。



11月1日土曜日、目黒区東山社会教育館のお祭りで、13時くらいから演奏します。気が向いた人は良かったらどうぞ。

目黒区東山社会教育館


posted by しんざき at 21:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

「メイドインアビス」が面白かったので単行本三冊大人買いした


「上昇負荷」という設定が絶妙だなあ、と思ったわけです。



「メイドインアビス」は、つくしあきひと先生の手による奈落探堀漫画です。一見すると絵本のようなかわいらしい絵柄と、実際読んでみると結構エグい描写が盛りだくさん、というギャップが特徴の一つかと思われます。


序盤の数話と、最新数話はWebで参照することが出来ます。

まんがライフWIN:メイドインアビス

ですが、序盤の数話を読んで「あ、面白そう」と思った場合、最新数話を読む前にまず単行本を購入することをお勧めします。ただ、ある程度エグい描写もあるので注意してください。

メイドインアビス 1 (バンブーコミックス) -
メイドインアビス 1 (バンブーコミックス) -


で、漫画の話なのですが。


メイドインアビスは、ジャンル的には「冒険漫画」に分類されると思います。


推定深度は2万メートルを超え、奥底に何があるのかは誰も知らない巨大な縦穴、「アビス」。アビスの中には、過酷な環境と、致命的な生物群と、「遺物」と呼ばれるオーパーツが溢れています。

アビスの底に消えた、「伝説の探堀家」である母・ライザの跡を追ってアビスに挑もうとする少女「リコ」と、彼女と共に旅立つ、記憶喪失のロボット少年「レグ」。過酷なアビスの奥底に進むにつれて、二人はアビスの謎と、自分たち自身の謎に迫っていきます。


一見するとよくある設定であるかのように見えるのですが、

・序盤からバランスよく散りばめられた謎と伏線(多分)の数々
・「上昇負荷」という設定の絶妙さと、それによる過酷さ・悲壮感
・ドラえもん感のある「奈落の遺物」の設定・描写
・強いんだけれど奈落の深部ではそうそう通用しない、という程度のレグの戦力設定の巧みさ
・オーゼンさんこわ美人妙齢カオナシかわいい(ただし多分60歳以上)


辺りが、しんざき的に「これ面白いなー」と思ったポイントであるわけです。


特に触れたいのは、「上昇負荷」という設定の妙です。


アビスに潜った探堀家たちは、例外なく「アビスの呪い」という奇妙な症状と戦うことになります。それは、「アビスの中で、上に向かってある程度移動すると発症する」謎の現象。アビスの呪いの重さに応じて、アビスの中は七層に分類されています。


一層での呪いは、軽い眩暈と吐き気。
二層での呪いは、重い吐き気、頭痛、末端のしびれ。
三層での呪いは、上記に加え幻覚と幻聴、平衡感覚の異常。
四層での呪いは、全身に激痛、穴という穴からの流血。
五層での呪いは、全感覚の喪失、それに伴う意識混濁、自傷行為。
六層での呪いは、人間性の喪失、もしくは死に至る。
七層での呪いは、確実な死。


漫画中では、この「アビスの呪い」が、非常に重要な障害として描写されます。

一層二層でも、登場キャラクター(主人公の少女含む)割とげーげー吐いたりしてて結構エグいんですけど、六層以降では実質「アビスの呪い発症 = 再起不能」なんですよね。つまり、六層より下に移動すると、二度とそこから登る = 五層以前に戻ることは出来ない。劇中では、探堀家が六層以降に挑むことを、事実上の片道行、二度と戻らない「絶界行(ラストダイブ)」と呼称しています。

この設定が絶妙だなーと思う点は何点かあって、


・短期的に、「上方向への移動」が極めて制限される(場所によってはそれだけで大ダメージ)ので、そこを利用したピンチと脱出を演出しやすい
・更に、ロボットなので呪いを受けないレグが存在するので、経験が浅いレグ・リコの絶大な有利ポイントが分かり易い
・「還れない旅」と「二度と会えない人達」という演出が強い説得力を持つ
・六層より先との途絶感が半端ではないので、「アビスの奥底に一体何があるのか」という謎の魅力が増す
・上昇しない限りは無事なので、絶界行に挑んだ探堀家(例えばライザ)がまだ生きているのかも?という希望も消えない


などなど、設定としての強力さが素晴らしいと思うのです。

展開もさくさくとスピーディで、下手な漫画だと一層につき一冊使ってもおかしくないんじゃないかというところ、作中の展開は既に四層です。リコもレグも結構容赦なくひどい目に遭いますし、いつだれが死んでも不思議ではないのがアビスの過酷さなので、次回何が起きるか?と予想するのも非常にスリリングです。


キャラクターにもいい味を出しているキャラクターが数多くいまして、特に「伝説の探堀家」の一角である不動卿オーゼンなどは、一見すると妙齢の女性、けど実は遺物で超パワーアップしているハイパー強い人で、感情が動くとカオナシ風の凄く怖い顔になったりと、いい味要素満載のステキキャラクターです。あと師範代のジオルさんなんかもいい味出してると思います。


奈落の底から届いた、リコの母親ライザの手記。そして、その手記と共にあった、「奈落の底で待つ」と書かれた紙片。

実際に奈落の底で待っているのは、一体誰なのか。あるいは、何なのか。


今後も面白くなりそうな予感が満々なので、興味を持たれた方はポチるといいと思います。私電子書籍版を買っちゃったんですが、なんかカバー裏にも色々描いてあるそうなので、どちらかというと書籍版をお勧めします。

メイドインアビス 2 (バンブーコミックス) -
メイドインアビス 2 (バンブーコミックス) -
メイドインアビス 3 (バンブーコミックス) -
メイドインアビス 3 (バンブーコミックス) -

まんがライフWINで読める番外編も、謎満載って感じでかなりお勧めです。

今日書きたいことはそれくらいです。






ところで、レグの正体ってトがつく人だったりしないでしょうか。
posted by しんざき at 19:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月22日

私が思うに、レトロゲームに「レトロ」分はそれ程重要じゃないんです

ところで不倒城はレトロゲームブログなのですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。

今日書きたい内容を先に箇条書きにすると、以下のようになります。


・レトロゲームの「レトロ」というのは、ゲームそれ自体ではなく、ゲームを取り巻く思い出、懐古、時代、その時の自分の環境だったりすると思います。

・だから、レトロゲームの定義は人によって変わります。人によってはプレステ2はレトロゲーム機ですし、人によってはスーパーカセットビジョンは次世代機です。

・レトロゲームが好き、という人にも、実際にはゲームそれ自体というより、そのゲームをやっていた頃の追憶が好き、という人もいらっしゃるようです。欲しいものはゲームそれ自体というよりあの頃ゲームを遊んでいた自分、というような。

・けど、思い出とかその頃の時代背景とか、そういうもんを取っ払っても、面白いレトロゲームタイトルは超絶面白いと思うんですよね。それこそ最新のゲームにも全く負けないくらいに。

・そういう、「最新のゲームとタメをはるようなレトロゲームの楽しさ」をたくさん伝えていきたい。



うん。大体言いたいことは言ったような気がします。


レトロゲームブログを名乗っておいてなんなんですが、少なくとも私の中では、レトロゲームの「レトロ」という部分ってあんまり重要じゃないんですよね。

私の好物のゲームをずらっと並べた時、その中にファミコン時代のゲームと、そのちょっと後くらいのゲームの含有率がかなり多いので、分かり易くレトロゲームブログと言ってはいるのですが、私にとって「レトロゲーム」とは「懐かしむ対象」ではないのです。現役で遊んでおり、現役で発掘する対象なのです。

不倒城:個人的トップ10ゲームとか10本じゃ全然足りないので100本くらい挙げてみました

私が今でもイーアルカンフーを週一回遊んでいるのは、単純にそれが楽しいからです。

私は今でも、今まで遊んだことがなかったファミコンのタイトルに出会って、「こんなに面白いとは!」とびっくり仰天することがあります。すいません、ドナルドランドとかアルマナの奇跡とか、正直舐めてました。


ゲーム自体の面白さ、遊びの面白さって、結構普遍的なものだと思うんですよ。鬼ごっこの、かくれんぼの面白さが普遍的なものであるように、「遊び」としてのゲームの面白さは、いつやっても変わるものじゃない。


「遊んでいた頃の、楽しかった思い出」「熱中した思い出」っていうのは、確かに面白さを強烈にブーストするスパイスではあるんですけど、それはゲームそれ自体にとってのコア要素じゃない。思い出があろうがなかろうが、サムライソードはサムライソードだし、カリーンの剣はカリーンの剣です。

あるゲームを面白く感じるかどうかは人それぞれとはいえ、「ある人にとって昔面白かったゲーム」は、「今、遊んだことがない人」にとっても十分楽しめる可能性があると思うんです。


かつて、ファミコンタイトルの最大の弱点は、「見た目のチープさ」と「流通経路の薄さ」でした。しかし、スマホアプリが百花繚乱の今の時代、見た目のチープさは致命的な問題ではないし、バーチャルコンソール他さまざまな経路が出来てきた今の時代、流通経路も決して薄くはない。


とすると、今という時代は、「レトロゲームは、決してレトロなだけのジャンルじゃないんだよ」ということを主張するのに、これ以上ないくらい絶好のタイミングなんじゃないかなあ、と私は思ったりするわけなんです。


最近ちょっとレトロゲーム分野が手薄でしたけれど。いちレトロゲームブロガーとして、「昔、このゲーム面白かったよね」ではなく、「このゲームを!!今遊べ!!!後悔はしないから!!!!!」という思いを、引き続き読者の皆さんに叩きつけていきたいと思う次第です。


今日書きたいことはそれくらい。


以下は関連エントリー。

今まで一度も「ファミコン」を遊んだことがない人に、今だからこそ薦める10作
posted by しんざき at 15:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月06日

「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」が余りにも大事過ぎる


能力名とかないんでしょうかこの能力。そのまんま書いてると文章が長くなりすぎるので、仮に能力αと呼称してみます。


家庭生活において、能力αは「日頃の地味な努力、地味な気遣いを埋没させない能力」です。

例えば、しんざき奥様は、日頃ホントーに色んなところで私をサポートしてくれており、家庭内で私は殆どノーストレスでいさせてもらっています。私の方でも、なるべく奥様がストレスを感じないで済むように、できる限り努力しているつもりです。

こういう、お互いの普段の努力って、ほっとくとすぐ「当たり前のこと」になって埋没しやすいんですよね。


それ以外でも、例えば家事の分担であるとか、子どもの宿題への頑張りであるとか、日常生活は「地味な努力」「地味な苦労」であふれています。

そういうものを、ただ頻度が高いだけで「当たり前のこと」「当たり前のもの」として流してしまうようになると、それはその内「降り積もるストレス」になってしまったり、お互いへの関心の低減に繋がったりしてしまいます。

そういう「当たり前のこと」を当たり前にせず、きちんと掘り起こして「偉かったね、ありがとう」と評価し合うことって、人間関係の上でものすごく大事なことだと思うんですよ。これは、夫婦間、親子間に限らず、どんな関係でもそうだと思います。



ブロガーや表現者にとって、能力αは「日常で気付きにくいことを、特別なこととしてみんなに伝えられる能力」です。

大体において、一般人の生活なんて、そこまで大きく異なるものじゃないんですよね。「波乱万丈の生活」をしている人は、勿論いないわけじゃないんですが、実際は非常に少ない。大多数の人は、当たり前の日常を当たり前に送っているんです。

けど、そんな生活を「つまんない生活」と考えられる人と、「面白い生活」と考えられる人の差って、多分根本は能力αにあると思うんですよ。ごく当たり前のように見える石ころの中に、何か特別なものを見つけられるか、どうか。さらに、それを人に伝えられるか、どうか。

能力αに優れている人の話って、凄く面白いんです。なんてことのない日常生活の出来事なんですが、その人のフィルターを通してみると、ただの石ころが物凄く綺麗な何かに見えてくる。

「サトラレ」っていう漫画にいましたよね。田中さんでしたっけ、画家のサトラレ。なんてことのない筈の近所の山の風景を、ひたすら描き続けている天才画家。


twitterや、色んなブログで「これは面白い」と唸らされるテーマって、大体「自分も気付いてはいたこと」「自分も経験してはいたこと」なんですよね。けど、そこに「ブログに書く程の特別さ」を自分は見出すことが出来なかった。この辺が、多分表現者としての能力の差に直結してるんだと思うんです。



例えば、仕事において能力αは「日常業務に改善点を発見し、ミスを低減させる能力」だったりします。例えば、勉強において能力αは、「校長先生の朝礼でのお話が、意外と含蓄にあふれて面白いということに気付く能力」だったりします。


事ほど左様に、「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」は、余りにも利点にあふれた重要な能力でありすぎるわけです。

「当たり前のこと」をただの「当たり前のこと」で、終わらせないように。しんざきも、「日常の色んなことを「当たり前でないこと」と感じられる能力」を今後とも研ぎ澄ませていきたいと考える次第です。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月01日

こういう「男性にとってのデート作法」みたいなものを逆用してる知人がいて、

初デートで連れてって良い店・悪い店を解説する
http://anond.hatelabo.jp/20150901003232

「こういうデート作法とか女性の扱い方TIPSみたいなのに心底うんざりしてる男の人って多いから、「私吉牛とかファミレスとか超OK」アピールしとくと「店選びとかで気を遣わないで済む女性」って思ってもらえて好感度めちゃくちゃ上がるよ」

とか話しててかなりの孔明だと思った。
posted by しんざき at 18:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

殺人事件の「被害者」の実名や個人情報が報道されることでどんな社会的メリットがあるのか、本当にさっぱり理解出来ない


タイトルで完結しているんですが。

今回の大阪の件でもそうなんですが、殺人事件の加害者についての実名報道の是是非非が議論される中、何故か被害者については、昔から一貫して実名報道が貫かれております。

加害者、ないし加害容疑者の実名報道について、社会的なメリットが存在し得ることはまだ理解出来ないでもないです。まあ、こちらについても議論の余地は色々とあると思うんですが。


それに対して、被害者の実名やら個人情報やら遺族の情報やらがガンガン報道される件については、もう本当に、社会的にはどんなメリットがあるのかさっぱり分かりません。実際のところ、「興味を引いてメディアが視聴率を稼げる」以外のメリットってあるんでしょうか。


デメリットなら色々と思いつきます。

・単純に、被害者、及び被害者遺族のプライバシーが侵害される
・被害者遺族に対する嫌がらせ、誹謗中傷などが行われるリスクが上がる
・被害者遺族の情報がコントロール出来なくなり、遺族の人間関係に影響が出るリスクが上がる


それに対して、例えば「今後の犯罪防止に詳細な情報が必要!」とかおっしゃる方もいないではありませんが、「被害者の氏名の公開」が防犯にどう結び付くのか、その辺も良く分からないところです。別に実名や個人情報が報道されなくても防犯対策は出来ると思うんですが。


もちろん、被害者遺族が「具体的に、自分たちの事情を広く広めたい」と言われるなら話は別かも知れませんが、遺族が明確に「そっとしておいてほしい」という意思を表明している場合ですら、実名報道されることがままあります。アルジェリア人質事件の時とか、そんな感じでしたよね。

アルジェリア人質拘束事件 実名報道 朝日新聞記者と私のやりとり


今回の大阪の件でも、もう既に出てますよね色々と。被害者、及び被害者遺族に対する責任論と、それに端を発する諸々の誹謗中傷。被害者の事情や個人情報がどんどん表に出てきて、それに対してヒートアップするネット文言。

子どもを失ったばかりの家庭に対して、「被害に遭ったのはお前らが悪い」という声を浴びせかける意味って、一対地球上のどこに存在するんでしょうか。殺人被害を受けて、それ以上に責任を追及される必然性が何故あるんでしょうか。


以前からあった話だとは思いますが、「被害者遺族に対する報道被害」というものは、ネットで可視化されているのをしばしば観測できます。

事故遺族をネット中傷 書類送検
グアム無差別殺傷事件、心から皆さまにお願い


ぱっとリンクが出てきませんが、先日の川崎市のいじめ殺人や、2011年の大津市のいじめ殺人ですら、被害者側に対して「自己責任」の罵倒があびせかけられていた記憶があります。

これら、被害者や被害者遺族のリスクやダメージに対して、引き換えになり得る程の「メリット」って本当にあるんでしょうか。



以前も、似たようなテーマの記事を二つばかり書きました。

正義感で個人情報を晒すことを許容していると、またスマイリーキクチ氏の中傷被害事件と同じようなことが起きると思います

上記は、どちらかというと容疑者の情報に関しての話です。


それに対してもう一方、上でも出しましたアルジェリア人質事件の報道に対して、こんな記事も書きました。

アルジェリア人質事件に関するBLOGOSの記事は、議論のすり替えしかしていない

これについては被害者側の実名報道寄りの話だったと思うのですが、ここでの「メディア側の論理」と思われる内容は、正直本当にわけが分かりませんでした。手前味噌になりますが、そのまんま引用します。


毎日起きている交通死亡事故の中にも、思わぬ社会の不備が隠されていることがある。遺族への取材が社会を突き動かし、事故対策が進むことは決して少なくない。

その一方で「Aさん」という匿名に社会を動かす力はない。
僕は「個人情報の保護」「匿名報道」という綺麗ごとや事なかれ主義よりも「実名報道」という疼きを伴う地道な作業が社会をつなぐ力を信じたい。

みんなで泣き叫んだり、怒ったり、笑ったりする記憶を共有する社会は「匿名」の中からは生まれてこない。語り、言葉を紡いで、つないでいくという作業から社会に連帯感が生まれてくると信じている。
僕が犠牲者なら事件の背景を徹底的に調べて、何か問題がなかったか報じてほしいと願うだろう。

僕は「実名」で死にたい。それは、僕が社会で生きていく上での誓約でもあり、権利でもある。
といった部分だろうと思う。

ここでは何点かの錯誤が発生している。

・首題で提示されている「個人や遺族の了解」という問題が(恐らく意識的に)無視されている。
・個人情報の保護という問題を、「綺麗ごと」「事なかれ主義」と無根拠にレッテリングしている。
・上記に付随して、個人情報の保護という問題を実名/匿名だけの問題にすり替え、矮小化している。
・「「Aさん」という匿名に社会を動かす力はない」という主張が無根拠。「連帯感」などの曖昧な言葉にすり替えられている。
・最終的に、首題に対する回答として、「僕は「実名」で死にたい。」という、いわば自分の意志しか提示していない。



他にも色々あるんですが。結局のところ、「殺された人の個人情報が暴かれる」ことで、一体どのように「社会に連帯感が生まれる」のか、私には今でもさっぱり分からないままなのです。


被害者や被害者遺族の人権についても、最近はようやく議論になってきたようではありますが。

より一層、「被害者のプライバシー保護」に対する機運が盛り上がり、最終的には「そっとしておいてほしい」と願う被害者遺族の感情こそ、最も大事にされるようになればいいなあ、と。

そんな風に思う次第なのです。
posted by しんざき at 18:48 | Comment(13) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

自分には理解できない時間の使い方でも尊重できる人になりたい

いや、早い話、「一晩ゲームする」っていう時間の使い方が暇つぶし認知されるのが気に食わない、って話なんですが。

twitterでこんなツイートを拝見しました。


はい。

私にもそういう記憶、あります。例えば学生時代に交わした、「飲みにいこうぜ」「すまんゲームやってる」「暇なんじゃん」という会話。自分にとっての大事な時間が、「暇な時間」とみなされることの理不尽さには結構悲痛なものがあります。

確かに、ゲームを「暇つぶし」と考えている側と、ゲームをやる時間を必死にひねり出している側とでは、根本的に時間間隔は合わないでしょうね、と思うわけです。我々ゲーマーにとって、ゲームとは「時間を作ってやるもの」なのであり、「その時間はゲームやるから」というのは「その時間は仕事するから」とか「その時間は子どもと遊ぶから」というのと少しも変わらず、大事な行動計画なのです。


「ゲームをする時間」というものは、ゲーマーにとって、必死に作った大事な時間なのです。


ただこれ、ゲームでよく聞く話ではありますが、考えてみるとゲームだけの話ではないなあ、と。自分にとって理解出来ない時間の使い方を耳にした時、結構同じような反応しちゃってないかなあ、と。


例えば、音楽を「電車の中の退屈な時間を埋めるもの」としか考えていない人にとっては、「自宅で音楽を聴いている」と聞いたとき、「暇なんだなあ」としか感じられないかも知れません。

例えば、漫画を「空いた時間に退屈しのぎとして読むもの」としか受け取れない人にとっては、「漫画読んでる」と聞いたとき、「じゃあ俺につきあえや」と思ってしまうかも知れません。


時間の使い方というのは人それぞれですし、何かをしている時の時間の価値というのも人それぞれです。当たり前のことのようですが、他人の時間の価値というものを、他人が推し量ることは簡単なことではありません。

これは、例えば夫婦間でも、親子間でも、同じようにいえることだと思うのです。

例えば、子どもが夢中になってやっていることが、親にとっては余計な手遊びに見えるかも知れません。それを「そんなことやってないで勉強しなさい」とぶった斬ってしまうのも、勿論TPOにもよるのですが、慎重に考えないといけないなあ、と。時にはじっくり待ってあげることも必要だよなあ、と。


自分には理解できない時間の使い方でも尊重できる人になりたいなあ、と。また、そういう人が増えるといいなあ、と。

そんな風に考えたわけなのです。
posted by しんざき at 23:08 | Comment(6) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする